三菱ジープ互助会

全国の三菱ジーパーとの連携の輪を拡大しよう。
≪設立の趣旨≫
①修理情報の共有
②J3等車両研究
③部品調達他

立ち入ってはいけない世界に足を突っ込んでしまいそうです。溺れる前に安全なところに避難します。その⑦

2019-04-21 20:48:14 | 日記
CJ3A-J1,J2について過去6回触れてきましたが、最後は国産化ジープJ3のくだりは避けて通れません。これまで同様に例の4x4マガジンの特別編から一部を抜粋したいと思います。

《J3の開発設計》
 J3の開発設計は1953年(昭和28年)4月から1955年(昭和30年)9月までの2年5ヶ月で、アメリカに派遣された課長たちが帰国した1954年5月から数えて1年4ヶ月を要している。生産は1953年(昭和28年)7月から1960年(昭和35年)7月までの7年間にわたった。

《J3を基にJ4を生産》
 J3を軍用化したものがJ4であるが、両車の違いは、全長で60㎜、全幅で60㎜、全高で49㎜とJ3が大きめであること、車重は165キロもJ4が重いことがあげられる。他に、馬力は6馬力J3が大きい。更にJ3は6V電装、J4は12Vである。J3の総生産台数はノックダウンの分を含めて5757台、J4は8655台となっている。

《J3は日本の自動車工業史の中で記念碑的な位置にある》
 初期のJ3のフロントグリルはWILLYSのレリーフだけで、スリーダイヤの三菱マークはなかった。フードの側面も同様だが、これは浮き出し鉄板の溶着だった。J3が国産化された最初のジープとはいっても、これまでの記述でおわかりのように、完成車を参考にしながらのノックダウン生産から始まり、1954年(昭和29年)5月以降の国産化着手後徐々に部品の国産化が図られていったのである。要するにJ3は単にジープの一車種であるというだけではない。ジープ国産の過程が凝縮された形で、その生産史の中に織り込まれているのである。完成車を1台輸入し、ノックダウン生産をし、部品を徐々に国産化し、最終的に国産車として」生産されるという、非常に複雑な過程がい車種の中で行われたのである。その意味でJ3は我が国自動車工業史の中でも記念碑的位置にある車種であるといって過言ではない。

これで一連の記載は終わりに致します。石川先生の残された偉業に心から感謝致します。1年に1回は、当地日野市から近いのでお墓参りに出かけています。なかなか分かりにくい場所にあるお墓ですが、先祖代々の歴史を感じる立派なお墓です。この連休中に行こうと思います。

 

★三菱ジープ互助会★
 代表発起人J57改@日野市
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