やっせんBO医

日本の教科書に記載されていない事項を中心にした個人的見解ですが、環境に恵まれず孤独に研鑽に励んでいる方に。

日和見感染とウイルス再活性化

2009年10月10日 06時34分12秒 | 感染症
変化するのは四季の移り変わりくらいではないかと思えるほどの鄙びた田舎町にも、時間は等しく流れている。保管庫のカルテは少しずつ分厚くなり、今年から診察室の前に自動血圧計が据え付けられた。薬屋から配られた資料は整理箱からあふれ、目を通されることもないまま机に積み上げられる。せわしく動き回りながらも刺激に満ちているわけでもない、そんな日常の小さなほころびの中に断層のようなものを感じることがある。多くの場合それは疾患の理解に関するもので、何のことはない、単なる勉強不足が原因だ。そんな時にはすでに何周遅れかの走者の気分で、改めて教科書を引っ張り出すのである。

昔は日和見感染といえば血液悪性腫瘍を除けばステロイド投与例くらいのものだった。しかし近頃は多種多様な薬剤が使われている。関節リウマチ(RA)の治療はその代表で、TNF-α阻害薬などの生物学的製剤が導入され大きく変わりつつある分野である。RA自体が感染の危険因子で予後にも関連することに加え(Arthritis Rheum 2002; 46: 2287-2293、Ann Rheum Dis 2005; 64: 1451-1455)、ステロイド(Arthritis Rheum 2006; 54: 628-634)やMethotrexate(Ann Rheum Dis 1991; 50: 642-644)などのDMARDが感染リスクを増大させることは以前から知られていたのだが、TNF-α阻害治療(Arthritis Rheum 2005; 52: 3403-3412)も易感染性をもたらし、中でも結核については強く注意喚起がなされているのは周知のことだろう(結核 2004; 79: 747-750)。

このように日和見感染症は何らかの事情により免疫防御能の低下をきたした患者に多く見られるものだ。通常「①粘膜や皮膚の正常細菌叢を構成する弱毒微生物、あるいは②健常状態では潜伏感染状態に封じ込められている病原微生物による感染症」と定義されている。(日内会誌 2002; 91: 2949-2953)。後者に関して、このような例として結核菌、非結核性抗酸菌、クリプトコッカスなどの真菌、糞線虫などの寄生虫が挙げられている(N Engl J Med 2002; 347: 517-524)。一方、自然界では多くの細菌が「生きているが培養できない状態」viable but nonculturable (VNC) stateにあることが明らかにされており、微生物学的にはVNC状態になった細菌を培養可能状態に戻すことを再活性化reactivationと呼んでいる。またヘルペスウイルスなどは宿主の体内に潜伏感染している時には感染性ウイルスは存在しないが、再活性化に伴い再び完全な感染性ウイルスを出現させ得る能力を備えているのもよく知られている(戸田新細菌学 33版、南山堂、2007)。ストレスや加齢・悪性腫瘍などに伴う免疫低下状態、さらに抗TNF-αモノクローナル抗体治療が帯状疱疹リスクを増加させるというのはその典型だ(JAMA 2009; 301: 737-744)。

ところが、上記の日和見感染の範疇に必ずしも含まれないものも存在している。たとえば近年HIV感染者/AIDS患者(People living with HIV/AIDS: PLWHA)の臨床経験から、本来健常人にも病原性を示すウイルスがPLWHAではより病原性が強くなることが知られている(日内会誌 2002; 91: 2949-2953)。さらにウイルスの再活性化についても新たな知見が得られているのだが、一般には案外知られていないのではないだろうか。

特に注意が喚起されているのはB型肝炎ウイルス(HBV)である(日本肝臓学会;免疫抑制・化学療法により発症するB型肝炎対策ガイドライン)。以前はHBe抗原が消失し、HBe抗体が出現(seroconversion)すればB型肝炎は治癒したとみなされていた。しかし、precore領域の変異株ではHBe抗原が産生されないことが明らかにされている。さらにHBs抗原が陰性であっても血清中HBV DNAが陽性であるものがあり、Occult Hepatitis Bと呼ばれているが(Principles and Practice of Clinical Virology 6版、Wiley、2009)、これらのHBV抗原陰性例からのHBV再活性化はde novo B型肝炎と呼ばれ劇症化率が高く、予後は極めて不良であることが知られるようになった(臨床消化器内科 2009; 24: 677-683)。実際、日本における劇症肝炎のうち、免疫抑制・化学療法によるHBV再活性化が増加していることが警告されているのである(日本腹部救急医学会雑誌 2009; 29: 577-582)。

このHBVの再活性化の契機となるものとして最も知られているのは血液悪性腫瘍に対するリツキシマブ(抗CD20モノクローナル抗体)治療だが(Medical Postgraduates 2009; 47: 154-161)、その他の免疫抑制療法でも発現する可能性があり、最近では抗TNF-α製剤によるものも報告されている。HBs抗原陽性者はもちろん、HBs抗原陰性者であってもHBs抗体陽性かつ/あるいはHBc抗体陽性者ではHBV再活性化の危険が指摘されており(J Rheumatol 2009; 36: 1188-1194)、抗TNF-α治療開始前に全例でスクリーニングを行うことが必須とされ、アミノトランスフェラーゼとウイルス量のモニタリングを治療中と治療終了後3か月間行うこと、そしてHBV感染の所見があればヌクレオシド誘導体による予防と早期治療が薦められている(J Gastroenterol Hepatol 2006; 21: 1366-1371)。Methotrexate中止後にHBV再活性化をきたした症例報告も散見されており(Harrison’s online; McGraw-Hill’s Access Medicine)、免疫抑制による単純な日和見感染という概念に収まりきらない複雑な問題を孕んでいる。さらにTNF-αの下流で機能するIL-6を抑制した場合の免疫系への影響も今後検討されなければならないが、同様に特異的免疫が障害され易感染性をきたすことが推測されるのはもちろん(Ann Intern Med 1998; 128: 127-137)、ウイルスの再活性化を発現する可能性も否定できず、トシリズマブ(抗IL-6レセプターモノクローナル抗体)が慢性活動性EBV感染の再活性化を誘発し、結果として血球貪食症候群から死亡にいたった症例が報告されているのである(Ann Rheum Dis 2006; 65: 1667-1669)。

薬物治療の長い歴史の中で副作用など意識されることさえ稀だったかもしれない。しかし、そんな牧歌的な時代はすでに遠い存在だ。近年続々と上市されている薬剤の多くは一定の頻度で重篤な副作用が発現することを覚悟しなければならない。そしてかつてなかったこのような事態に、製薬企業は試行錯誤を繰り返しながらも安全対策を主導することを選択したのである。その結果、あるものは自ら納入施設・医師を限定するに到った。その決断は十分理解できる。だが、ここには大きな問題があると思う。医師の処方権を侵害するなどと言うのではない。少なからぬ患者が事実上その薬剤の恩恵を受けられなくなっていると言いたいのだ。しかもこれは数多くある日本の医療格差の一つに過ぎない(川渕孝一. 医療再生は可能か. ちくま新書. 2008)。ところが、つい最近耳にした話だが、ワイスはリウマチ専門医と非専門医の連携支援に乗り出し、パスの作成にも関与しているという。企業にとっては自社製品が中心であるのに対し、医療の現場では患者を中心に動いている。ここには越え難い断絶があり、ワイスも上記用件を満たしながら営利を追求しようというのが本音だろう。とはいえ、このことは製薬企業が今後地域医療の中で重要な位置を占める存在となりうることを示すものだ。このような試みは素直に歓迎したいと思う。 (2009.10.10)