やっせんBO医

日本の教科書に記載されていない事項を中心にした個人的見解ですが、環境に恵まれず孤独に研鑽に励んでいる方に。

分子標的薬、抗体医薬と薬剤性肺障害

2009年09月24日 04時39分53秒 | びまん性肺疾患
分子標的薬の登場はまさに新世紀の幕開けにふさわしいものに思われた。理論的に創造された薬物は分子生物学の輝かしい勝利を実感させ、何より従来の抗腫瘍化学療法につきものだった副作用から患者を解放できるのではないかという期待を抱かせたのだ。ところが世界で最初に日本で承認されたイレッサのその後の展開は夢見心地の臨床医を覚醒させるに余りあるものだった。治験段階では重篤な副作用が少なく安全な薬であると評価されていたのに反し、市販直後から薬剤性間質性肺炎による死亡例が多発し社会問題にまでなったのだ。もっともこれには思わぬ“薬効”も付随した。国が製薬企業に全例調査を求めるようになったため、それまで日本では稀だった数千例の規模のデータが得られるようになり、それなりにエビデンスを創出することができるようになったのである。

薬剤性肺障害の機序としてこれまでしばしば語られてきたのは、直接的な細胞障害によるものと免疫反応を介したアレルギー性のものの二つである(Am Rev Respir Dis 1986; 133: 321-340、Am Rev Respir Dis 1986; 133: 488-505)。詳細に関してはブラックボックスのままであったのだが、近年上市された分子標的薬や抗体医薬の場合には、種々のサイトカインやそのレセプター、あるいは細胞内シグナル伝達に特異的に作用することから、肺傷害のメカニズムをもそれらの薬剤固有の働きに直接関連させて説明することも不可能ではない。たとえばEGF(epidermal growth factor;上皮増殖因子)は傷害された肺胞上皮の再生に必須であるとされるのだが、ゲフィチニブなどのEGFR-TKI(epidermal growth factor receptor-tyrosine kinase inhibitor)によって上皮の再生が阻害されると線維芽細胞が肺胞腔内に侵入し線維化を形成する可能性が考えられる(Cancer Res 2003; 63: 5054-5059)。マウスのブレオマイシン誘発肺傷害の発生にMHC class Ⅱ抗原(H2-Ea遺伝子)の機能欠損が関与し(Cancer Res 2004; 64: 6835-6839)、また欧米人に比し日本人で薬剤性肺障害の発症頻度が高いとされるなど(日内会誌 2006; 95: 1058-1062)、背景に遺伝的要因の関与も推測されているが、本邦で多数例の解析が行われているEGFR-TKIであるゲフィチニブとエルロチニブにおいて、間質性肺疾患の発症頻度、危険因子が互いに類似した結果であったことは上記の仮説を裏付けるものかもしれない。

間質性肺疾患の病態に関連するものとしてEGF以外にも様々な因子が検討されている。たとえばVEGF(vascular endothelial growth factor;血管内皮増殖因子)は血管形成や血管透過性に関与し、肺胞構造と機能を維持するために毛細血管内皮細胞のアポトーシスを抑制するのに寄与していると考えられているものだが(Respir Res 2006; 7: 128)、このVEGFの作用を阻害することによって肺胞上皮のアポトーシスを速め、蜂巣肺形成や肺機能悪化を促進させる可能性が示唆されている(Thorax 2005; 60: 171)。実際、肺線維症患者(特発性、膠原病関連)ではBALF中のVEGFが低下していることが示され(Am J Respir Crit Care Med 2002; 166: 382-385)、抗VEGF抗体であるベバシズマブ投与例での間質性肺炎が報告されている(Clin Oncol 2007; 19: 803-805)。

しかし、これらサイトカインの役割に関して一貫した結果が得られているわけではない。上述の報告とは逆に過剰なVEGFがARDSやIPFの病態に関与することや(Respir Res 2006; 7: 128)、マウスブレオマイシン肺傷害モデルにおいてはVEGFの作用を阻害することによってむしろBALF中の細胞数・炎症性サイトカインの発現・アポトーシス・肺線維化が減少するという報告もあり(J Immunol 2005; 175: 1224-1231)、VEGFの関わりは単純ではないことがうかがわれる。このような相反する結果はEGFについてもみられており、マウスブレオマイシン肺傷害モデルにおいてゲフィチニブがブレオマイシンによる線維化を抑制したとするものがあり(Am J Respir Crit Care Med 2006; 174: 550-556)、TGF-αによる線維芽細胞増殖をゲフィチニブが抑制した可能性が考察されている。このようにEGFR-TKIは線維芽細胞の増殖因子受容体シグナルを阻止することから、肺線維症の治療薬として有望であるという議論さえある(医学のあゆみ 2004; 208: 410-406)。分子標的薬の作用は特異的であるものの、他のサイトカインへの影響の程度ははかり知れず、作用のタイミングなどで帰結が異なる可能性も考えられ、結果の解釈には細心の注意が要求される。

かつて“歴史は進歩する”と唱えられていた時代があった。科学技術への限りない信頼に裏打ちされ、21世紀には多くの問題が解決されるだろうと夢想されていたのだ。今から考えればいかにも楽天的なそのような思想はいつしか忘れ去られ、今や科学は警戒される対象である。応用科学の一分野である医学も例外ではない。そのような時代の雰囲気の中にあって医療における安全性の確保もこれまでになく強調されている。もちろんないがしろにされるべきではないが、個人や一医療機関の質を保証すればすむ問題ではなく、処理能力を超えた数の患者が押し寄せる場合には容易に破綻してしまうものであることも認識しておく必要があるだろう。

また、これは医師自身や製薬企業にもその責任の一端があるのだが、薬剤性肺障害は社会的にも厳しい視線にさらされている。ともすれば非合理的とも感じられるほどだが、一方で、進行した悪性疾患患者で予後への影響が少なかったことをもって責任が減じられるかのような言い訳がなされているとすれば、それは正当ではないと思う。犠牲になったのがもし自分の身内だとすればどうだろうか。現代日本で先進的であるはずの医療の恩恵に与るどころか、安らかとは言えない最期を迎えることを強いられるのである。いくらriskとbenefitに基づいた科学的な評価から集団での有用性が証明されていると強調されても、ともに苦しんだ者にとっては到底納得しがたく、口には出さなくともわだかまりを抱えるものだろう。医師として自らの判断に一点の非もなかったと確信してはいても、このような場面で相手の心の奥底に届けられる言葉はないのかもしれない。しばしば、医者は他人の不幸を飯の種にしているなどと揶揄され、一片の真理をついているとは思うのだが、そこに印象されるような気楽な商売という見方には同意できない。科学と人間が折り合いをつけることができないぎりぎりの地点で、ともすれば人々の憎悪の言葉を一身に浴びながら立ちすくむ。これが偽らざる日常である。 (2009.9.24)