自分表現

家族に応援されながら、自由気ままに趣味の世界を楽しむ、自分への贅沢なご褒美

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伊香保・榛名山にちょこっと行って参りました。

2021-02-22 09:52:24 | 日記
私は地元老人会の写真クラブに入っています。

次の会合には『冬』を主題にした写真を2枚持参しなければならず、その日が近づいています。
2月も半ばを過ぎ、春の雰囲気が漂い始めていますが、遠くの山々は白い雪を冠っでいます。

今日は、冬を切り取りに近くの伊香保と榛名山に出かけて参りました。



伊香保の『かのうや旅館』は、子どもの頃、夏になる度に祖父に連れられ一週間程過ごしたところです。

現在は、『かのうやホテル』という名前に変わっていますし、昔の『かのうや旅館』は、石段の1番上にあり『かのうや本館』と名付けられていました。

当時の4階建ての建物は今もあり、伊香保の石段街の写真には必ず写り込んでいます。
昔は親戚だったので、祖父や父が生きていた時代には互いに交流がありましたが、今は時の流れの中で自然に付き合いは無くなりました。

十数年前、かのうやに親戚が集まり、私も呼ばれたので同席した事があります。身内が群馬県主導で第三セクターのスキー場の社長に就任した者と、県副知事に就任した者、弁護士会代表で天皇陛下に謁見した者、付け足しとして私も特任教授就任で同席し、とりあえず親戚一同が集まっての食事会の席を『かのうや』で行ったのです。私は、それ以来、訪ねた事はありません。



伊香保神社には、有名な話があるのでご紹介いたします。

それは、伊香保神社掲額事件(いかほじんじゃけいがくじけん)と言います。
文政年間に発生した千葉周作が興した北辰一刀流と馬庭念流の抗争事件です。

北辰一刀流創始者千葉周作は、1820年(文政3年)から廻国剣術修行の旅に出て、各地で他流試合を行なっていました。
3年目の1822年(文政5年)、上州一の剣豪といわれる馬庭念流の小泉弥兵衛を破り、熱しやすく冷めやすいという上州(群馬)気質の小泉をはじめ100名を超える人々が、あっと言う間に千葉周作の北辰一刀流に入門したのです。
当時の北辰一刀流の道場は、北斗妙見菩薩(妙見様)近くの冷水村(高崎市冷水町)の佐鳥浦八 邸の馬庭念流道場に作られました。
この時の門弟のほとんどは、馬庭念流の門人だったのです。

入門者たちが伊香保神社へ北辰一刀流の額を奉納しようとすると、その情報が馬庭念流の道場のある馬庭村(群馬県高崎市吉井町馬庭)に伝わったのです。

馬庭念流は戦国時代の剣客樋口定次以来上州で連綿と続く流派で、新興勢力の北辰一刀流の進出を許せば面目にかかわるとして一同は憤激したのです。

掲額を阻止するため、馬庭念流一門500余名のほか、同じくらいの数のやくざ者や、鉄砲を持った猟師まで集まり、気勢を上げ、千葉周作門下一同が伊香保神社に武道額を持ち込むのを待ち構えていたのだそうです。
伊香保に今も残る木暮ホテル(金太夫、武太夫)の主も馬庭念流の使い手でした。
事態を重くみた当代樋口定輝は大事を制止するために、伊香保へ向かいましたが、これを見た人々は、当主の出馬だと勘違いして、いよいよ騒ぎは大きくなったのです。

村役人木暮武太夫や代官所の取成もあって、千葉周作は上州から撤退し、事なきを得たのです。

この結果、上州(現・群馬県)において北辰一刀流は明治中期に至るまで、教える者がほとんどいなくなりました。
その後、千葉周作は江戸に戻り、北辰一刀流の道場として日本橋品川町に玄武館(後に神田於玉ヶ池に移転)を設立したのです。

千葉周作が守護神として終身信仰した北斗妙見菩薩を祀る石碑(北辰鎮宅霊符尊)が伊香保神社階段下(日本で始めて温泉饅頭を作ったと言われている饅頭屋さんの建物の右横)に昭和三年に建立されていますので、伊香保温泉に行った時には一度訪ねて欲しいと思います。





また、すぐその碑の近くには、大隈重信公のご母堂が、子安観音像を寄進していますので、併せてご覧頂きたいと思います。





伊香保温泉には長い歴史があります。
探れば探るほど『伊香保』の面白さが発見出来ます。
まだ、まだ、私の知る伊香保をご紹介したいのですが、またいつかご紹介する機会に譲りたいと思います。

群馬県人なら誰もが知る『上毛かるた』には、「伊香保温泉 日本の名湯 」と、謳われていますが、伊香保温泉の歴史を含めた総称をカルタの詞で表したのです。





テレビのバラエティー番組では必ずこの橋が紹介されるのですが、昔はこんな橋はありませんでした。おそらく、温泉組合が考えた『客寄せパンダ橋』だろうと思います。また、このすぐ近くには露天風呂があり、私が子どもの頃は無料の男女混浴露天風呂だったと記憶しています。


伊香保の民家は、崖に作るのでこの様な作りの住宅が多く見られます。


若者向けにこの様なマンホールの蓋を見つけました。





















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令和三年 初詣に行ってまいりました。

2021-01-03 13:31:54 | 日記
諏訪神社に行ってまいりました。



この神社は、一月一日は、人混みでしたが、二日になると殆ど参拝客は居ませんでした。まぁ、いっものことです。おみくじは大吉。今年も良い事があるでしょうか。





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鎌倉市扇ヶ谷の海蔵寺に出かけて参りました。

2020-11-14 09:10:00 | 日記
先日、鎌倉市扇ヶ谷に在る「海蔵寺」に出かけて参りました。

この寺は、武田流流鏑馬を細川家から相伝され世に広めた金子有鄰先生の菩提寺なのです。

私は、お焼香をさせて頂く事を長年懐中に温めていた事がやっと叶って、今やっと安堵しているところです。
今までも、鎌倉には仕事柄時々行く機会がありましたが、なかなか私的な時間をとる事が出来ずにいましたので、退職した今、まだ体の自由が効く此の時に行く事が出来て良かったと思います。

金子有鄰先生は、約60年前に私の祖父の告別式に、わざわざ鎌倉から群馬の地においで下さり、お焼香をして下さったのです。
私が、小学校3年生の時の事でした。
その後も何度かご自身の先祖の地として先生ご本人が認知された金古入道山古墳を見る為に、来県されましたが、昭和55年に鎌倉の扇ヶ谷の平安居で永眠されました。

私は、祖父の告別式に来て下さった先生の永眠を知らず、告別式に馳せ参じなかった事に、心に引っ掛かりを感じていましたが、先生の墓前にお線香を手向けられ、少しだけその引っ掛かりが取れた様な気持ちがしています。
金子有鄰先生がお亡くなりになった事や、その他詳細について私に教えて下さった、日本古式弓馬術協会理事長の豊田先生には深く感謝いたします。



























金子有鄰先生の平安居は、海蔵寺のすぐ近くの扇ヶ谷に在りましたが、今はベーグルを売る店になっていました。
金子家を継がれた方は、今は何処にお住まいになっていらっしゃるのかは、私如きには分かりません。
ここには金子有鄰先生が収集された名のある日本刀や槍、馬具、甲冑、書物等を収納していた宝物蔵も在ったと思うのですが、おそらくその姿も今は無い様に思われます。
私は、景観がすっかり様変わりしてしまった事に、驚きを禁じ得ませんでした。
この場所は、観光客が押し寄せる小町通りからも1km程離れていて、昔の鎌倉の雰囲気を漂わせる数少ない地域でもありましたが、ベーグルのお店が出来ているという事は、それなりに人の往来もあるのだろうと考えられます。




お墓参りを終えたので、観光はまた別の日にする事として、一路自宅に向けてクルマを運転しました。

午前9時半に自宅を出発しましたが、紅葉のシーズン真っ只中でしたので、往路は圏央道を使わず、環八や首都高を使い、距離的にはやや遠廻りをして、ベイブリッジを通り鎌倉入りしました。
復路は、山側の圏央道をひたすら走り、自宅に戻った時刻は午後6時でした。総距離は凡そ350kmでした。
行きも帰りも一般道路は混雑していてノロノロ通行とストップの繰り返しでしたが、高速道路の平均時速は、50km〜80km程度の速度で流れていて、紅葉の時季であるのにもかかわらず、まあまあの流れだったので、クルマの運転疲れもあまり感じませんでした。


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一泊2日の人間ドックに来ました。

2020-10-20 10:25:32 | 日記
今日から明日の正午くらいまでの間、済生会前橋病院の人間ドックを受診いたします。
一泊2日の人間ドックは、時間にゆとりがあり、のんびりとしたひと時を過ごす事ができるので、私は、サラリーマン時代から、1年に一度この病院に来ていましたが、退職した今も引き続き、人間ドックはこの病院にしています。









明日の胃カメラさえなければ、実に快適なのですが、コロナウィルスの関係から、胃カメラの挿入は、鼻からではなくて口からの挿入になるのだそうです。


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義母の手術に寄せて

2020-08-27 13:40:42 | 日記
今、義母が手術室に入りました。
私は、妻と義妹(妻の妹)の3人で義母が元気に手術室に入るのを見送りました。コロナウィルスによる警戒体制で、家族の人数は制限されています。今は、手術が成功裏に終わる事を、待合室で待っているところです。




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アンテナを整備しました。

2020-08-15 12:21:36 | アマチュア無線
しばらく前から21MHzの4エレメント八木アンテナのSWRが無限大になっていたので、整備しました。私はタワーには登れませんので、友人の狩野さん(JP1XYQ)にお願いしました。狩野さんは、100m以上の高さのタワーに登り、高圧電線を設置する仕事に従事している人なので、アマチュア無線用のタワーに登るのには熟れていらっしゃる人です。
給電部の中にある配線が劣化していて使い物にならない事が分かりました。直すためには手元にある材料だけでは足り無い物があり、近くのカインズホームに出向き、圧着端子やユー字の留め具等を購入して来て破損部分を作り直しました。
狩野さんにはお手数をかけてしまいましたが、再び21MHZが使用できるようになったので、良かったです。








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『鼻高展望花の丘』のヒマワリ畑

2020-08-11 15:56:31 | アマチュア無線
先日、上毛新聞に『鼻高展望花の丘』のヒマワリ畑の記事が写真と共に掲載されていたので今日の午前中に出かけてきました。







ヒマワリの殆どは下を向いていて、すでに時期を逸した感がありましたが、それでもまだ花をしっかりと咲かせている物があったので、写真を写してきました。

長坂牧場のアイスクリームは絶品で食べたいところなのですが、今日は午前中には自宅に帰り、畑の草退治をする予定なので、アイスクリームを食べるのは、又の機会にする事にしました。













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コロナ関連の自粛が緩和された最初の流鏑馬の稽古

2020-07-26 16:27:49 | 日記
自粛が緩和された7月5日に流鏑馬の稽古が再開されましたが、次の週には再び自粛となってしまいました。以下の写真は、7月5日に実施された稽古の模様です。















武田流流鏑馬の稽古日が早くやってくると良いと思います。
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2020年 3.543MHzモービルハム~群馬倉渕小栗の里の集いについて~

2020-04-20 20:59:07 | アマチュア無線
3.543MHzモービルハムの皆様、今年の幹事を仰せつかっています宮原です。中華人民共和国の武漢にて発生した『コロナウイルス』による感染は、猛威を振るい、今や世界を席巻している事は周知のとおりであります。日本国政府は三蜜を訴えるとともに、先日、『緊急事態宣言』を発しました。この猛威を振るうコロナウイルス感染に終止符を打つための薬は現在出来ていません。これに感染した場合、死に至る場合もあり、世界各国における死者の数は、日を追うごとに増えています。したがって、令和2年度の幹事として、各位の健康安全に対しての責任が持てませんので、表記の集いは、中止といたします。ただし、①コロナウイルスに対する新薬が出来上がり、②完全治療が出来、③政府による『コロナウイルスによる罹患の終息宣言』が発せられれば、この限りではありません。しかしながら、その時の時勢はどのようになっているのか、予想が尽きませんので、あらためて考えていければよろしいのではなかろうかと、提案させていただきます。以上、残念ではありますが、集いの中止宣言を申し上げます。
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日本古式弓馬術協會の初稽古を参観しました。

2020-01-16 18:37:57 | 日記
令和2年1月12日、日本古式弓馬術協會の初稽古が湘南馬事センターで行われたので、参観をさせていただきました。湘南馬事センターは、関越高速道の本庄児玉インターの近くに在るのですが、車のナビゲーションにヒットせず、その所在がわからず、結局、理事長の豊田重之先生に電話をして、途中まで迎えに来ていただきました。理事長の豊田先生が直々に迎えに来てくださるような事をしてしまい、大変申し訳なく思います。

2頭の馬は、日本古式弓馬術協會が保有する馬で、これから初稽古が行われるために静かにスタンバイしていました。向かって右の馬は“麦風”左の馬は“天蓬”という名前です。
二頭ともに静かに初稽古の準備です。


武田流流鏑馬を現代に伝え広められた方が、金子有鄰先生です。有鄰先生は、師匠である井上平太氏から武田流流鏑馬を伝授され、昭和9年に一子相伝の武田流流鏑馬を受け継いだ方として知られています。以後、鎌倉の地に在って東京を中心とし、私財を投じて流鏑馬の保持と日本馬術の振興を図りました。有鄰先生は、昭和55年6月2日に子息の四郎家教さんと六郎家堅さんに武田流を継承する資格があると遺言し、没されました。四郎家教さんは、大日本弓馬会会長として活躍され平成21年1月に没する前に、金子家暢氏を後継者として指名したのですが、大日本弓馬会が後継師範としてそれを受け入れず、師範のいないまま運営されるに至ったようです。
一方、金子六郎家堅氏は、昭和58年7月に金子有鄰先生の弟子達と共に、武田流鎌倉派を結成して、武田流門人を正会員とする『日本古式弓馬術協會』を設立し、理事長として湘南馬事センターを稽古の拠点にして活動しました。そして、平成24年1月に没する前に、直弟子の伊村直也範士を後継者に指名し、今も、日本古式弓馬術協會は、武田流流鏑馬を世に伝えています。

現在の理事長、豊田重之範士です。








この方は、高橋宗和範士です。


1月の空は曇り空でしたが、空気が澄んでいて爽やかな気持ちになりました。
弓を持って颯爽と稽古をされている方は、橋本秀昭範士です。




左が橋本範士、右が豊田範士(理事長)です。






初稽古が終了する時に、ご厚意により麦風に騎乗させていただきました。初稽古で、体から湯気が出ていた麦風の背中に乗らせていただきましたが、いささか体重のある私ではありますが、麦風は、私の体を優しく支えてくれました。騎乗の私は、実に感激いたしました。
さらに、近くの食事処で美味しい昼飯もご馳走になってしまい、たいへん恐縮してしまいました。


騎乗した麦風からの眺めはとても良くて、馬事センターの外の景色までもしっかりと見渡せました。
私は、橋本先生が付き添ってくださったので落ち着いて乗ることが出来ましたが、神事の流鏑馬奉納の時には、凡そ300メートルもある流鏑馬のコースをフルスピードで駆け抜ける間に、騎乗で両手を離し、的をめがけて矢を放つ人馬一体の神業をやってのける事を想像すれば、武田流流鏑馬の迫力を感じずにはいられませんでした。
今年も、近江神宮にて武田流流鏑馬の神事を奉納されるかと思いますが、先生方をはじめとし、お弟子さんたちの益々のご活躍を祈念申し上げ、湘南馬事センターを後にしました。
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