見もの・読みもの日記

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近世日本の新しい相貌/「鎖国」という外交(ロナルド・トビ)

2008-09-05 23:09:07 | 読んだもの(書籍)
○ロナルド・トビ『「鎖国」という外交』(全集 日本の歴史 第9巻) 小学館 2008.8

 刺激的なタイトルに違わず、魅力的な本だった。まず「鎖国」という日本語が、享和元年(1801)刊行の志筑忠雄著『鎖国論』まで存在しなかったという指摘に驚かされる。寛永年間(1630年代)、日本人の海外渡航禁止、キリスト教禁止、ポルトガル人の国外追放などの「鎖国」政策が次々に打ち出されるが、これはむしろ徳川政権が交易と外交を一元的に掌握するための積極的な意志表明と解すべきものだ。今年の初めに読んだ、羽田正氏の『東インド会社とアジアの海』(講談社、2007)にも同じような指摘があったことが思い出された。

 実際、徳川幕府には交易と外交を行うための「四つの口」があった(109頁)。長崎を通じた、オランダ人・中国商人との接触。対馬(宗氏)を通じた朝鮮との接触。薩摩(島津氏)を通じた琉球王国との接触(その先には中国=明・清がある)。そして、松前を通じた、アイヌ、ロシアなど複雑な北方地域との接触である。近世日本は「四つの口」と通じて東アジア地域と確実につながり、世界と結びついてきた。

 たとえば、明清の交替に伴い、明の遺臣から長崎に軍事援助を求める書簡は届けられた。幕府は長い検討の末、これを拒絶したが、「家光はじつは中国からの援軍要請に関心を寄せ、中国に派遣する遠征軍の戦闘計画を立てていた」という証拠(板倉重宗の手紙)があるそうだ。えええ~これ、実現していたら、その後の東アジア秩序はどうなっていただろう!?

 清と台湾の戦争についても、幕府は怠りなく進展を見守っている。台湾平定をほぼ成し遂げた康熙帝は、1684年、福建地方沿岸の「遷界令」(住民の強制移住政策)を解除する「展界令」を発布した。これによって、長崎に来航する中国貿易船が激増することを察知した徳川政府は、鉱物資源の流出を食い止めるため、直ちに新たな貿易制限令を定めた。この対抗措置(貞享令)は、現実には十分な実効性を持たなかったようだが、それでも徳川幕府が、周辺諸国の政情に耳と目を鎖していたわけではないことが分かる。今の日本政府よりも、海外の情報収集能力は高いかもしれない、と感心した。

 18世紀、吉宗が漢訳洋書輸入の禁を緩めたことは、しばしば「蘭学の夜明け」と称される。この「蘭学」の強調には、「東アジア世界と交渉を絶って、西洋文明を慕ってきた日本」という、明治以来の日本人の希望的セルフイメージが埋め込まれているように思う。確かに吉宗個人に、西洋の天文学・暦学に対する強い関心があったことは事実だが、それよりも幕府の喫緊の課題は、中国の生糸、台湾の砂糖、朝鮮人参など「輸入依存体質」の早急な改善だった。吉宗は、長崎を訪れる中国商人から薬種やサトウキビに関する情報を収集し、輸入品の国産化を推し進めた。吉宗の功績は大きいが、「鎖国」日本の現実が、脆弱きわまる「輸入依存」国家であったこと(この自己矛盾!)や、それを抜け出すにあたって、中国商人の国際ネットワークが活用されたことは、もっと知られていいと思う。

 著者は、近年、朝鮮通信使をはじめとする「描かれた異国人」の研究に取り組んでおり、本書にも、豊富な図版とともに、興味深い成果が紹介されている。異国人のコードである「フリル」や「ひげ」に注目してみると、「朝鮮人行列図」と題されている作品が、日本人による「仮装行列」を描いたものだと分かったりする。日本人のパフォーマンスが生んだ「賄い唐人」も面白いと思った(韓国人は嫌がるかなあ)。

 「富岳遠望奇譚」は初めて知る話で、奇抜な発想に口あんぐり。なんと霊峰富士は、中国東北部の豆満江河口や、朝鮮半島江原道からも見えると考えられていたのだそうだ。根底には、徳川幕府が朝鮮通信使を利用して創出しようとしたのと同じ、「異国に慕われる(賞賛される)日本」のイメージがあるのだろうが、ここまで荒唐無稽だと罪がなくて笑ってしまう。

 日本の近世は面白い。見かた次第で、まだまだ、その相貌は改まっていくような気がする。
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