見もの・読みもの日記

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新種発見!/辞書には載らなかった不採用語辞典(飯間浩明)

2015-02-15 13:07:11 | 読んだもの(書籍)
○飯間浩明『辞書には載らなかった不採用語辞典』 PHP研究所 2014.12

 少し前に見つけた著者のツイッターのアカウントを私はフォローしている。著者は『三省堂国語辞典』(略して三国)の編纂者。街場やマスコミで見つけた変わった日本語を、時々つぶやいてくれる。その場合、こんな乱れた日本語はダメという教条的な態度ではなく、新種を見つけた昆虫少年みたいに冷静で、そこはかとなく嬉しそうなのが気持ちよい。本書は、2014年1月に新版(第7版)の出た『三国』に載らなかったことばを、150余件(たぶん)の見出しのもとに実例を掲げ、解説したものである。

 どこから読んでも面白いのだが、冒頭に「思わず言い間違った? まだ定着していないことば」の章を持ってきたのは、編集としていかがなものか。最初は誤用やあやしげなことばも、次第に広まり、社会に定着したと見られれば、辞書に採録される。そのあたりの機微は分かっているつもりだが、著者ほど現実を客観的に受け止められない私は、読んでいるうち、だんだん腹が立ってきてしまった。「移ろぐ」「おぼつく」「命さながら」「思いよがり」「相手を落とし込める」「軽々しく持ち上げる(軽々との意)」等々、なんだよこれは、という用例が相次ぐ。そのうちの相当数が、大手の新聞・週刊誌、NHKの番組から採集されているのが、情けないと思った。ことばの使い方について、マスコミは範を示すべき、と考える私は古いんだろうな。まあ発言者は必ずしも記者やアナウンサーではないので、一般人の発言を勝手に修正して報道にのせるわけにはいかない、という苦しい立場は理解する。

 誤用には法則があって、すぐに思い浮かぶのは似た言葉の混淆である。「思い上がり」と「独りよがり」が混淆して「思いよがり」になるなど。動詞の「移ろぐ」は「移ろいで」のかたちで現れるもの。本来の「移ろう」であれば「移ろって」になるはずだが「くつろいで」等の連想で誤用されることがある。動詞の活用は変化する、という解説が面白かった。ご飯は「よそう」が本来で「よそる」は変化形。子供は「おぶう」が本来で「おぶる」は変化形。私は後者は言わないが、前者は使うことがある。

 「目配り」というべきところ「目配せ」を使う例は、校閲の行き届かないらしい地方版(新聞)にまれに見られる、という解説があり、地方新聞、ちゃんとしろよ、と憤激したが、一種の方言になりつつあるのかもしれない。「方言あるいは方言ふうのことば」の章では、私(東京育ち)の感覚では、気持ちの悪い表現が、地方によっては無問題であることを知った。「手出し」を「負担」「自腹」の意味で使うとか、「小言」を「不平不満」の意味で使うとか。「やっと」を「ほんの少し前」の意味(期待して待っていた事態に限らない)で使う地域もある。「とぎった鉛筆」も聞いたことないなあ。誤用なのか方言なのかは、目くじらを立てる前に、気をつけなければならないと思う。

 「ガチな」「キョドる」「ぽちる」はまだ駄目(不採用)か。もう流行語の範囲を超えて定着しているので、次回の『三国』改訂には載りそうな気がする。長年の観察のたまものとして面白かったのは、1996年に松本人志が使った「ギロッポン」(六本木)。たぶん意図的なギャグで、出演者全員が「言わない言わない」と全否定して大笑いしたにもかかわらず、その後、テレビや雑誌で普通に使われた例を5つ拾っているという。金田一秀穂先生も「逆さ言葉」の例に上げていたそうだ。それから、村上春樹が1986年にエッセイ『ランゲルハンス島の午後』で使った「小確幸」(人生における小さくはあるが確固とした幸せのひとつ)というのがあり、最近のネット流行語「小並感」「微レ存」は、この仲間であろうと位置づけている。鋭い!

 あと、本書は触れていないが、新たに採用される言葉があれば、(これまで掲載されていたのに)落ちる言葉もあるのだろうな。『三国』新版では、追加された約4,000語の入れ替わりにどんな言葉が消えて行ったのかも聞いて見たい気がする。

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