見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

画像もすごいが文字もすごい/公開講演会・画像史料の語る日本史

2018-01-30 23:16:30 | 行ったもの2(講演・公演)
東京大学史料編纂所画像史料解析センター 創立20周年記念公開講演会『画像史料の語る日本史』(1月27日13:00~17:00、弥生講堂一条ホール)

 画像史料解析センターの講演会があるという情報が、SNSで流れてきた。東大史料偏差所の史料展覧会には、なるべく行くようにしているのだが、附属施設である画像史料解析センターの公開イベントは、私の記憶にない。参加無料、事前申込み不要だというので、とりあえず行ってみた。40分ずつの4つの講演が組まれていた。

(1)須田牧子:「倭寇図巻」研究の現在

 最初の講演は、むかしから気になっている『倭寇図巻』について。史料編纂所が購入した時は「明仇(=明の仇英)十洲台湾奏凱図」という題箋がついていたが、辻善之助が「倭寇図巻」と命名した。不明な点が多かったが、2010年、赤外線撮影によって新たな文字が見つかったことで研究が進展した。同じ頃、中国国家博物館の『抗倭図巻』の存在が明らかになり、やはり赤外線撮影によって文字が判明する。また、『文徴明画平倭図記』という書物から『平倭図巻』(現存せず)の詳しい図様が分かり、『抗倭図巻』とよく似ていることが分かった。しかし、3つの図巻が直接の模倣関係にあったとは考えられず、明代後期につくられた多数の蘇州片(模本)の一部と考えられる。

 以上は、2014年刊行の『描かれた倭寇:「倭寇図巻」と「抗倭図巻」』にも述べられていることだが、だいぶ内容を忘れていたので、あらためて面白かった。歴史研究が、絵画史の「蘇州片」という視点を入れることで、新たな展開を見せるのが興味深い。蘇州片に多い主題として「清明上河図」や「武陵源図(桃花源図)」があるが、実は『倭寇図巻』にはそれらと共通するモチーフ(平和の象徴である桃樹など)が見られる、という指摘は刺激的だった(※ネット検索したら、板倉聖哲先生の『蘇州片と「倭寇図巻」「抗倭図巻」』という論文あり)

 あと講師のレジュメの最後にある「倭寇図を消費し、倭寇小説を読み倭寇演劇を享受する明清の社会相をどうとらえるか」という一文が気になる。倭寇演劇なんてものがあったのか。

(2)金子拓:長篠の戦い-いかに描かれたか/いかに描くか-

 『長篠合戦図屏風』は、犬山白帝文庫所蔵の成瀬本が最も有名だが、これとは別に東博本『長篠合戦図屏風』(下絵)は、近年ようやく認知されたものだという。私はこの屏風を、2016年の山梨県立博物館『武田二十四将』展で初めて見た記憶がある。講師は、東博本が成瀬本の構図を基本的に継承しながら、人物・馬の多さ、特に武田側の軍勢が多く描かれ、真田隊の活躍が描かれること、徳川家康の存在を馬印のみで表し、姿を直接描かないことなどに注目する。現在、史料編纂所では、彩色を加えた東博本の復元模写を作成中で、2020年度には完成させ、なんらかのかたちで公開したいとのこと。楽しみである。

(3)杉本史子:世界と空間を描く―江戸時代、表現する人々-

 日本地図にかかわった人々を世代別に考察する。まず、初めて本格的な日本地図を作成した伊能忠敬。通称は三郎右衛門、または勘解由。儒学を学ぶ上で林大学頭から忠敬という名をもらったが、伊能忠敬とは名乗らなかっただろうというのに驚かされた。日本全国を測量してまわるのに「御用」を称することができたのは大きな便宜だが、費用の大部分は自弁だったというのも驚くべきこと。あと、忠敬以前の測量は内陸の田畑を測るものだったが、忠敬は「海際測量」に徹した。それは対外的に日本の姿を明らかにする必要があったためである。

 次世代の開成所の学者・技術者たちは伊能図をもとに「官板実測日本地図」を作成した。将軍慶喜はこの地図をパリ万博で展示し、各国に贈呈し、日本の国土の姿を広めた。彼らの営為を引き継ぐのが、明治以降の近代海図である。史料編纂所の赤門書庫には、国内でも珍しい19世紀の海図が多数発見されている。

(4)保谷徹:古写真ガラス原板にみる幕末・明治の日本

 明治時代にオーストリアから来日した写真家ヴィルヘルム・ブルガーとその弟子ミヒャエル・ブルガーのガラス原板コレクションの調査を2010年から開始。超高精細カメラで撮影し、画像を拡大すると、遠景や細部にさまざまな情報が隠れていることが発見できた。ガラス原板の解像度(情報量)はすごいと聞いていたけど、拡大画像を見せられてよく分かった。地平線上の小さな建物や壁の落書も発見することができる。しかし、なんといっても文字が写っていると、撮影場所や時代が、たちまち判明する。やっぱり画像もすごいが文字の情報量はすごいと最後に思った。明治初頭の写真には、鶴岡八幡宮の仏塔など、神仏習合の様子が多数、残っているのも興味深かった。

 想定より来客数が多かったのか、配布資料が足りなくなっていたり、時間が押して質疑応答がカットになったり、全体に講演者が一般向けに喋り慣れていなかったり(保谷先生は上手かった)、運営に不慣れな点が目立ったが、まあ面白い話を聴けたので、よかったことにしておこう。

コメント    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 御室の宝蔵+地方仏の至福/... | トップ | 9回生きて帰って来た/不死身... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

行ったもの2(講演・公演)」カテゴリの最新記事