見もの・読みもの日記

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中国内部の異世界/さいはての中国(安田峰俊)

2019-12-04 23:25:28 | 読んだもの(書籍)

〇安田峰俊『さいはての中国』(小学館新書) 小学館 2018.10

 続編『もっとさいはての中国』が面白かったので、さかのぼって読んでみた。序章は、中国系住民の増加により新たなチャイナタウン化が進む埼玉県西川口。あとはカンボジアのプノンペンと、カナダのトロントへ歴史問題の活動家に取材に行く2編があるが、他の9編は中国国内のルポルタージュである。ただし、一般の中国案内では、まず話題にならないような取材対象であるところが本書の眼目。

  私は特に巻頭の2編が面白かった。第1章は広東省深圳市。職業安定所のある「三和」地区一帯には、20~30代の貧しい若者が、ネカフェや安宿で多数暮らしている。金があるときはネトゲやオンラインカジノで遊び、なくなればデジタルガジェット工場の短期労働で稼ぐ。その繰り返しだ。人生の大部分をデジタルに支配された「サイバー・ルンペンプロレタリアート」。家族や故郷とのつながりを失い、底辺生活から抜け出せる希望もない。「絶望の中で欲望に負け続ける」という形容が、残酷だが、彼らの状況をよく表している。

 日本にも同様の貧しい若者はいるだろうが、これほど絶望的な状況が、これほど大量には発生していないのではないか。中国では、贅沢も貧乏も、どっちの方向も極端に突き抜けている。一方で、彼らは似た境遇どうしのつながりを求め、独特の符丁や隠語を駆使して、ネットで活発なコミュニケーションを取っている。著者はそこに、前近代の中国に存在した「会党」や「幇」との類似性を見る。

  また、彼らは出稼ぎ農民の子弟が圧倒的に多い。鄧小平時代に社会主義市場経済が本格化すると、農民夫婦がそろって出稼ぎに出るようになり、祖父母や親類に預けられる「留守児童」が増えた。不幸にしてネグレクト(育児放棄)状態に置かれるなど、満足な教育を受けられなかった子供たちの成長の果てが、三和の若者たちなのである。これは読んでいてつらかった。人は生まれてくる時代も家庭も選べないのだ。

  第2章は広東省広州市。広州はアフリカ系外国人が極めて多いことで知られており、公的には2万人、不法滞在を含めると10万~30万人にのぼると言われているのだそうだ。私は15年くらい前に広州に行ったことがあるが、当時は全くそんな気配はなかったので、激しい変化に驚いた。著者はナイジェリア人の集まる瑶台西街と、さまざまな国のアフリカ人が集まる小北地区を訪ねている。

  カルチャーギャップによる摩擦や反目も起きているようで、路上でマリファナを吸うとか酔っ払って大声で騒ぐとか、アフリカ人の行動に眉をひそめる中国人も多い。「連中は声が大きくて態度が傲慢だ。文化的な水準も低い。自国のルールだけで生きていて、中国の文化を尊重しない。なのに数ばかり増えやがって」という証言を読んだときは、申し訳ないが大笑いしてしまった。日本人が、日本の街で出会う中国系住民や旅行者に漏らす不満と、あまりにも瓜二つなので。

  さらに、国内問題の改善よりもアフリカ諸国へのバラマキを優先しているかに見える中国政府の政策の評判が悪いというのも、日本社会にたいへんよく似ている。中国はもともと庶民レベルでは黒人やイスラム教徒への差別感情が強いこともあって「アフリカ人に中国の女性が大勢レイプされている」みたいなデマがネットで拡散されていたりもするそうだ。このへんも一部の日本人の周辺アジア諸国に対する差別・偏見と似たところがある。中国社会に、人種差別をタブー視する人権意識が育ち、定着することを強く望む。もちろん日本も同様に努力しなければね。

  このほかでは、湖北省武漢市の中国共産党テーマパークの取材に関連し、なぜ習近平政権が個人崇拝と大衆煽動的なプロパガンダを重視するかという問いに対し、彼らは多感な十代に文化大革命を味わった世代で、毛沢東式の手法こそ「政治」の本質だと刷り込まれているから、という顔伯鈞氏の説を紹介していて興味深く感じた。大連市のラブドール(ダッチワイフ)工場のルポも面白かった。日本の成人向けラブドールに学びつつ、もっと広い市場開拓に意欲を燃やしており、市政府からイノベーション産業支援として多額の補助を受けているというのがすごい。あと、内モンゴル自治区と漢化しつつあるモンゴル民族のルポはちょっと悲しい。


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