見もの・読みもの日記

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家族-続いていくもの/映画・心の香り

2007-09-04 23:33:21 | 見たもの(Webサイト・TV)
○「中国映画の全貌 2007」より孫周監督 映画『心の香り』(1992)

■新宿 ケイズシネマ
http://www.ks-cinema.com/schedule.html

■goo映画:『心の香り』
http://movie.goo.ne.jp/movies/PMVWKPD16513/comment.html

 中国ネタが続くが、「中国映画の全貌2007」を見てきた。この夏は思うように休暇が取れなかったので、休める日の限られた選択肢の中から、この作品を選んで見に行った。

 ふと自分のブログを検索して、そうか、近年は「中国映画の全貌」に行っていなかったんだな、と思い起こした。この新旧中国映画を一挙に紹介する特集上映は、1990年4月から不定期に、17年間、7回にわたって、千石の三百人劇場で行われてきたが、同劇場の閉館にともない、今年は、場所を新宿のケイズシネマに移して開催されている。三百人劇場の「中国映画の全貌」にずいぶん通った。80年代の名作『芙蓉鎮』も『赤いコーリャン』も私はこの特集上映で見た。実は『心の香り』も、千石で一度見ているのだが、もう一度見たくなって出かけたのだ。

 舞台は珠海市の近郊か。70歳になる老京劇俳優・李漢亭(リー・ハンティン)のもとに、結婚して家を飛び出した娘のもとから、孫の京京(チンチン)がやって来る。離婚の相談中の両親から追いやられたのだ。似たものどうしの祖父と孫は、意地を張り合い、互いに寂しい本心を見せようとしない。

 やもめ暮らしの李漢亭の世話を焼いているのは、むかし馴染みの蓮姑(リエングー)。蓮姑の夫は、戦後、国民党員として(←たぶん)台湾に渡り、40年間音信不通だった。蓮姑は貞節を通して夫を待ち続けたが、夫は台湾で新しい家族を持っていた。そして、帰国直前の夫の急死を聞いた蓮姑も、静かに天に召される。ああ、中国と台湾の政治的分断は、こういう悲しい物語を数々生んでいるのだろうな、としみじみ思った。

 最初に観たときは、李漢亭の蓮姑の間に通い合う「恋」としか呼びようのない情感に、新鮮な衝撃を受けた。こんな老年期が過ごせたらいいなあ。日本人って、年を取ると子供に戻る(戻ってもいい)ことになっているけど、中国人のように、成熟したまま年を取るのも、なかなか素敵だと思う。

 舞台が南方に設定されているにもかかわらず、登場人物のセリフは標準語に近くて聞きやすい。平明だけど心に残るセリフがたくさんあった。あーでも、私の中国語力が落ちているので、十分に聞き取れなかったのが残念。蓮姑は京京に向かって「人生活着一輩子、可是不容易」(生きていくっていうのは、そう簡単なことではないのよ)って諭すように話しかけていたっけ。蓮姑が死を目前に李漢亭に語るセリフも、ちゃんと聞き取りたかったのになあ~。「富貴も何も望まなかった。情けのある暮らしができて幸せだと思う。でも、何か満足できないと思ってしまうのは、いけないことでしょうか」と語るのである。

 蓮姑とその夫の後生を弔う金策のため、秘蔵の胡弓を売りにいった李漢亭は、思いもかけず、京京が京劇を歌うのを聞く。私は、この美しいシーンを視覚的に記憶していたけど、あらためてスクリーンで見ると、心臓に突き刺さるような「声」のインパクトが強い。やっぱり、京劇って歌う(唱戯)ものなんだなあ、と思った。

 このとき、李漢亭は、自分がこの世を去っても、娘を通じて孫の京京に受け継がれていくものを確かに感じたのだと思う。中国人の「家(伝世)」を大切に思う気持ちが(それ自体、美しい面も醜い面もある伝統だけど)、抒情的に、共感豊かに描かれている。

 ラスト・シーン。京京は、どうやら母のものに帰ることにしたらしい。李漢亭は静かな言葉で京京を送り出したあと、まるで流行歌のような京劇の一節(?)を高らかに歌い上げる。「分かっているのに、敢えて聞く、云々」。これも悔しいが「明明知道」までしか聞き取れなかった。そして、街路をたどり始めた京京は、祖父の歌声に大声で「雲はここにあり」(?)と和するのだ。あれ、何の一節なのか、知りたい!!!

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