見もの・読みもの日記

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働きすぎの罠/軋む社会(本田由紀)

2008-07-01 21:49:30 | 読んだもの(書籍)
○本田由紀『軋む社会:教育・仕事・若者の現在』 双風舎 2008.6

 2006年から2008年にかけて、新聞・雑誌などに発表された文章の集成である。きちんとした論文の形態を取るものから、軽めの短文、座談会、若者(中学生くらい?)を読者として想定した文章など、さまざま。

 内容的には、『多元化する「能力」と日本社会』(NTT出版 2005.11)に重なるところが多い。旧来のメリトクラシー(能力主義)=学歴主義に加えて、「人間力」「共感力」「創造性」など、わけのわからない要求が上乗せされたハイパー・メリトクラシー社会が、若者の「進路不安」を煽っているという指摘である。これ、既に安定した就業を確保済みの私でも、残りの職業人生を考えたとき、ものすごく共感できる。

 著者は、旧著で、ハイパー・メリトクラシー支配に対抗する手段として、「専門性」への期待を表明していた。本書では、少しアレンジして「柔軟な専門性(flexpeciality)」を提唱する。本田さんが造った言葉のようだ。確かに著者が指摘するように、「日本では『専門性』という概念が、硬直的にとらえられがち」(わかるわかるw)なので、ある種の誤解を避けようとしたのだと思うが、これは根づくかなー。疑問。

 また、新しい視点として「働きすぎ」の問題が取り上げられている。「働きすぎ」はなぜ起きるのか。従来は「上司が残業をしていると帰りにくい」といった「集団圧力系ワーカホリック」が語られてきた。いま、存在感を増しつつあるのは、「自己実現系ワーカホリック」であるという。たとえば、歩合制バイク便のライダーやケアワーカーのように、①趣味性(好きなことを仕事にしている)、②ゲーム性(仕事の自己裁量性、自律性が高い)、③奉仕性(他人の役に立ちたいという気高い動機)、④サークル性・カルト性の強い業種が陥りやすい。

 当人が満足なら、それでいいのではないか、という見方もあり得る。しかし、彼らは自発的に「自己実現」に邁進しているように見えて、実は企業側が、少ない対価(雇用の安定性、賃金)で、最大限の労働効率を引き出すため、巧妙な「からくり」を仕掛けているのであり、「<やりがい>の搾取」と言うべきものだ、と著者は批判する。うむうむ、これもよく分かる。「奉仕」とか「使命」とか「達成感」とか、きれいな言葉を使いたがる経営者には、つねに眉唾で臨むことだ。

 著者と阿部真大・湯浅誠との鼎談は、さらに興味深い事例・論点を提供している。阿部さんの「仕事はつまらないもので、必要悪である」「自己実現は余暇ですればよい」という、言ってしまえば身もフタもない態度を、肝に銘じておきたい。いや、私も30代の半ばまでは「低賃金で、余暇を大事にしながら、だらだら働くことのできるような職場」(阿部)が嫌で嫌でしかたなかった。周りの人々みたいな働きかたはしたくない、と思って、「自己実現系ワーカホリック」の道に進みかけたこともある。でも、なべて過ぎたるは及ばざるが如しで、社会が雪崩を打ったように「働きすぎ」に傾斜している現在、踏みとどまるのも勇気だろう。また、全ての人間が、全生涯を通じてバリバリ働けるものではないのだから、やっぱり「だらだら働くことのできる職場」って、一定程度は社会に必要なんだなあ、と思うようになった。

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