見もの・読みもの日記

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さよなら、早稲田/書と絵画と工芸と(センチュリーミュージアム)

2020-07-13 21:40:25 | 行ったもの(美術館・見仏)

センチュリーミュージアム 『書と絵画と工芸と』(2020年6月8日~7月18日)

 まだ新型コロナウイルスの影響で閉まっている美術館・博物館も多いので、開催中の展覧会情報を探してネットを回遊していたら、センチュリーミュージアムにおける展示活動終了のお知らせを見つけてびっくりした。慶應義塾大学三田キャンパスに2021(令和3)年創設予定の「慶應義塾ミュージアム・コモンズ」の開館に合わせ、所蔵資料全点を慶應義塾大学に寄贈することになったためだという。最終日の1週間前、たぶん最後の参観に行ってきた。

 今回は、館蔵コレクションの全てのジャンルの中から名品を選び、一堂に集めたものだという。確かにその言葉に嘘はない。冒頭は、真っ白な荼毘紙に墨色鮮やかな『賢愚経断簡(大聖武)』、『二月堂焼経』、院政期の装飾経など。古筆は『荒木切』(古今集)、『紹巴切』(後撰集だ!)、『石山切』(伊勢集)は、白地に花鳥の小さなモチーフを散らした目立ちすぎない料紙で、連綿とした筆跡の美しさが映える。古筆類は、趣味のよい表具も見もの。横幅のある『常知切』(和漢朗詠集)のまわりには逞しい唐獅子。『紹巴切』は上下に尾長鳥(花喰鳥?)が円を描いていた。

 墨蹟は中峰明本が2件出ていたが好きなのかなあ。1件は師の高峰原妙の頂相に賛を記したもの。おかっぱ頭のむさくるしい坊さんの肖像なのに、表具の控えめな草花文が可憐。後陽成天皇の天神名号(南無天満大自在天神)は、さすがの迫力で気持ちいい。解説を読んだら「署名はないが、筆跡から後陽成天皇の自筆疑いなきものである」とあって、確かに。

 側面に螺鈿を排した卓(机)(室町時代)や五鈷杵、羯磨、彩色木製の華鬘など、工芸品もいろいろ出ていた。面白かったのは『洋犬錫象嵌鏡箱』。円形の黒っぽい鏡箱の蓋に二匹の洋犬の姿が象嵌されている。細身で足が長く、シッポと耳も長い。滑石経は見たことがあると思った。

 上の階へ。思ったおり、ほかのお客は誰もいない。左右の壁に沿って並ぶ仏像を懐かしく眺める。素朴な平安仏が多くて好きだが、特に木造毘沙門天像の足の下で、ぺちゃんこに倒れ伏した餓鬼が見上げる視線と目が合ってしまった。かわいい。窓の外のベランダには5枚の「特青砥」。明清の宮廷に敷き詰められていたタイルで「嘉靖16年(1537)」「雍正4年(1726)」「嘉慶4年(1799)」「道光2年(1822)」「光緒2年(1876)」があることをメモしてきた。このミュージアムは、なんだか雨の日に来ることが多かったように思うのだが、この日は窓の外がよく晴れていた。

 平台ケースには古鏡の名品が並んでいて、戦国・前漢時代の素っ気ない幾何学文様の銅鏡もよいが、唐代の装飾鏡にも惹かれる。『平螺鈿背六花鏡』は、正倉院御物のような大きさを想像してきょろきょろ探したが、直径10センチほどの小型鏡。でも、実際に使われていたんだろうなあと想像される。

 最後は何度も展示室を見まわし、名残を惜しんで退出した。この美術館は2010年10月の開館で、開館当時を知っているので感慨深い。実は、ブログに記事を書いたら、学芸員の方からコメントだったかメールだったかをいただいたことがあった。それから北海道赴任時代、週末に帰京して同館に行ったら手帳を置き忘れてしまい、連絡をいただいて、慌てて取りにいったこともある。お世話になりました。

 来年、「慶應義塾ミュージアム・コモンズ」が開館したら必ず見に行くけど、現在のセンチュリーミュージアム4階に飾られていた巨大な鉄製如来頭部(新羅時代)や5階の仏像の数々に再会できたら、感無量だろうなあ。それまで、しばらくのお別れ。

 10年間、ありがとうございました。


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