見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

情けは望ましい社会の為/現代貧乏物語(橋本健二)

2016-11-30 19:54:43 | 読んだもの(書籍)
○橋本健二『現代貧乏物語』 弘文堂 2016.11

 冒頭の問題提起は強く共感できるものであった。2005年に「格差社会」が流行語になってから10年以上が過ぎ、貧困や格差に関する研究レベルは確実に上がり、研究の裾野も広がっている。しかし、研究が進んだだけでは現状を変える力にならない。研究が社会に影響力を持ち得るのは、第一に研究者が審議会に入るなどして政府や自治体の政策決定にコミットすること、第二に論文や学術書ではなく「一般向けの作品を通じて人々に訴え、その認識を変えること」によってだという。著者は、そのような優れた「作品」(専門の壁を越えて広く訴えるもの)の一例として、100年前の1916年に書かれた河上肇の『貧乏物語』をあげる。

 私は河上の名著を読んでいないので、著者の要約に従うと、上編は貧乏の定義を論じ、中編は貧乏の原因を論じ、下編では貧乏を根絶するための方策として、(1)富者が自ら奢侈贅沢を廃止すること、(2)貧富の格差を是正すること、(3)生産を私人の金もうけにまかせず、軍備や教育と同様に国家が担当することを提言したものだ。著者いわく、貧困を論じて、これほど長く読み継がれ、社会に影響を与えた「作品」はほかにない。草創期の中国共産党の指導者たちも河上の本を(中国語訳で)読んでおり、毛沢東が河上を高く評価していたことを、私は初めて知った。

 以下、著者は『貧乏物語』の構成に倣って、現代日本の貧困を論じていく。まず貧困と格差の現状について。河上は、肉体を保持することのできない「第一級の貧乏人」のほかに、収入がほぼ貧困線上であるため、職業生活や子育てに必要な出費をすることができない人々を「第二級の貧乏人」と定義する。これは現代の貧困概念に近い。現代の貧困研究では「標準的な生活様式」を維持することができない(それによって人間関係などが失われる)状態は相対的貧困であると考える。けれども、相対的貧困概念を認めようとしない人々は少なくない。

 貧困者と被保護層(≒生活保護受給者)の関係について。著者によれば、日本の生活保護の不正受給比率は驚くほど低く、金額も慎ましいものである。むしろ生活保護を受ける権利があるにもかかわらず、受けられていない人々を著者は問題視する。日本の生活保護の補足率は国際的に見ても異常に低い(補足率15.3%って…)。一例かもしれないが、妻の葬儀のためにとってある100万円の貯金があるために生活保護を受けられない男性の実話には、やり切れない憤りを感じた。

 では、貧困は社会にどのような影響をもたらすか。貧困率と平均寿命はかなりの程度まで対応するという。貧困と格差のどちらが大きく影響するかについては、さらに詳しい研究が紹介されている。他人より大幅に所得の低い人々は強い不満を持ちやすいので、たとえ豊かな社会でも経済格差が大きいと、公共心や連帯感が育ちにくく、犯罪が増え、精神的なストレスが高まり、平均寿命は下がるのだという。これを与太話と思って鼻で笑う人もいるんだろうな。

 これに比べると、貧困層の子どもは成績が低いことが多いという指摘は、体験的に納得しやすい。しかし、これを本人の損失とだけ考えてはいけない。いま、高校を中退した男性が、就職を断念し、生涯、生活保護を受ける場合と、直ちに生活保護費を支給し、2年程度の職業訓練を施すことによって、正社員の職を獲得し、税金と社会保険料を納め続ける場合を比較すれば、後者のほうが間違いなく社会の利益になるのである。経済格差が拡大し、貧困層が増大すると、内需が伸び悩み、経済成長が困難になる。近年の日本の経済停滞は「格差拡大不況」の性格が強いという指摘は、とても納得できるものだった。

 次に貧困と格差拡大の原因について。高齢化、グローバリゼーション、労働運動の衰退など複合的な要因があげられているが、1980年代に始まった格差拡大に最初は気づかず、その後は無視あるいは容認した政府の罪は大きいと著者は指摘する。この状況を克服するために、まず必要なのは「貧困はあってはならない」「格差の縮小が必要である」という合意をつくることだ。著者は、格差拡大を正当化する代表的な四つの理論、「機会の平等」論、「自己責任」論、「努力した人が報われる社会」論、「トリクルダウン」論をひとつずつ論駁し、具体的な施策として、(1)正規雇用と非正規雇用の均等待遇、(2)最低賃金の引き上げ、(3)労働時間短縮とワークシェアリングなどを提唱する。空理空論ではなく、たとえば給付型奨学金制度の導入のために、「国民の平均収入を相当程度上回る収入を得ている大卒者」および「大卒者を採用した企業」から大学教育税を徴収してはどうか、という提案がなされているのも面白い。ベーシック・インカムは、突飛な話と思われがちだが、生活保護、基礎年金、児童手当、膨大な数のケースワーカーの配置などを節約できるという説明を聞くと、真面目に検討してもいいのかもしれない、と思えてきた。

 最後に著者は、市場メカニズムを否定するのではなく、人々が市場メカニズムに翻弄されない仕組みをつくることの重要性をあらためて説く。期待されているのは新中間層であり、私もその一人であることはよく自覚しておく。そして、社会に向けて、こういう「作品」を書いてくれる研究者がもっと増え、もっと評価されますように。

コメント    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 2016年11月@関西:高麗仏画... | トップ | NHKの冒険/『獄門島』と『シ... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

読んだもの(書籍)」カテゴリの最新記事