見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

全国津々浦々/雑誌・芸術新潮「神の空間を旅する 神社100選」

2016-08-31 22:19:51 | 読んだもの(書籍)
○雑誌『芸術新潮』2016年8月号 創刊800号記念特大号「神の空間を旅する 神社100選」 新潮社 2016.8

 読むというより眺める記事が多いので、7月末に購入して以来、気が向くとパラパラ開いて眺めている。「神社100選」は「神社の誕生」「神話の神様とその現場」「神社名建築紀行」「神と仏の千年史」「人、神となる」「山は神さま」「国宝あります」「諸国一の宮めぐり」の8つのカテゴリーに計100社を選び、写真・基本データ(祭神、社格、所在地、行き方など)・短いもので200~300字の紹介文が掲載されている。「日本全国」と言いたいところ、沖縄はあるが、北海道は1社もない。私は、わずかな期間だが道民だったことがあるので、ちょっとショックだったが、まあ妥当かなあ…。江差の姥神大神宮を入れてほしかった。よく見ると、ほかにも1社も入っていない県があって、岩手、山梨、徳島、佐賀が該当する。

 100社のうち、行ったことがある(記憶がある)のは、半数を少し超える程度だった。コンプリートだったのは「人、神となる」の10社。日光東照宮とか大宰府天満宮とか明治神宮とか、現代の日本人にとって、最もポピュラーな神社が多いカテゴリーである。私は寺好きだから、「神と仏の千年史」のカテゴリーもかなり踏破している。全滅だったのは「山は神さま」で、山登りを伴う神社には全く行けていないことを自覚した。

 個人的に、リストに入れてほしかったな~と思ったのは、島根県の揖屋(いや)神社。入沢康夫さんの詩「わが出雲・わが鎮魂」に登場する神社である。それから、和歌山県の天野社(丹生都比売神社)。逆に、よくこんなところが入ったなあと驚いた(嬉しかった)のは滋賀県の油日神社。のんびりした雰囲気を思い出して懐かしかった。写真を見て、行きたい!と思った第一は、長崎県・対馬の和多都美神社。海上に立つ二基の石の鳥居、見てみたい。社前には不思議な「三柱鳥居」があるという。京都の吉田神社は、参拝したことはあるのだが、奇妙な外観の大元宮という建物は記憶にない。今度、見てこなくちゃ。

 さて「神社とは何か」「神道とは何か」「カミとは何か」については、多方面から解説記事が書かれている。私は「神話の神さま名鑑」(死後くん・イラストレーション)の記事がけっこう気に入った。女性にモテモテのオオクニヌシノミコトとか武闘派のタケミカヅチノカミとか、実にイメージどおりで笑った。ただ、スミヨシ三神は、私は老人のイメージである。「人を神として祭るということ」は、茨城大学教授の伊藤聡さんの解説。Q&A方式で分かりやすい。内容をよく分かった人が編集しているなと感じた。ここも別府麻衣さんのイラストレーションが可愛い。日本国の大魔縁となった崇徳院、可愛すぎるw

 神社の外観は、お寺に比べると変化に乏しいから、つまらないかと思ったが、けっこう眺めて楽しめるものである。本誌は、日常のたたずまいを中心に掲載しているが、神社は「祭り」のときだけ、全く別の空間に変わってしまうもので、その魅力は、記憶と想像で補う必要がある。
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中国統治のマヌーヴァー/習近平の中国(宮本雄二)

2016-08-31 20:25:16 | 読んだもの(書籍)
○宮本雄二『習近平の中国』(新潮新書) 新潮社 2015.5
 
 この夏、久しぶりの中国旅行に出かけるとき、成田空港の書店で買って、行き帰りの飛行機の中で読んできた。罵倒と嘲笑だけの嫌中本は避けようと思い、直感で選んだ本書は、全く知らない著者の本だったが、中国に対する深い理解に支えられていて、好感を持った。

 著者は外務省で長く中国関係の仕事に携わり、2006年から2010年まで駐中国大使もつとめている。冒頭の回想によると、2001年のはじめ、北京勤務から帰国した著者は「中国共産党の統治は長く持たない」という見通しを持って、「今後5年持つかどうか」という数字を入れたペーパーを、外務省内で配ったことがあるそうだ。江沢民政権の末期の話である。しかし予測は外れた。以後、著者は、もっと中国人のものの考え方を理解すること、中国共産党の統治能力を過小評価しないこと、を自戒とする。私はこの箇所を読んで、あ、この著者は信頼できるという確信を得た。

 はじめに共産党の統治実態についての解説がある。党の基本構造や党と行政組織の関係は、一般的な解説書でも見たことがあるが、彼らの組織運営の基本が「個別醞醸(うんじょう)」という話し合い方式であるというのは知らなかった。筋を通しながら、柔軟かつ上手に組織をまとめ、物事を決めていくには高い能力を必要とする。だから共産党は、優秀な人材の確保に強いこだわりを持っているという。

 少し歴史を振り返ってみよう。鄧小平は自分の後継者に、胡耀邦と趙紫陽を考えていたが、どちらも民主化問題でつまずいてしまった。そこでダークホースとして浮かび上がったのが江沢民である。江沢民時代の中国は、基本的に鄧小平が定めたラインで進んだ。社会の安定と順調な経済発展をもたらしたのは江沢民の手腕だが、腐敗防止の取組みは進まず、国民の格差は拡大した。このことに「国民は本当に怒っている」と著者は書いている。

 次の胡錦濤も鄧小平が決めたリーダーだった。しかし胡錦濤時代になっても、江沢民の影響力が政治常務委員会を支配していた。「独裁」と見られがちな共産党だが、その基本原則は「集体領導、民主集中、個別醞醸、会議決定」の16文字だという(2002年決定)。中国は意外とルール重視の国なのだ。ルールの制約の中で目的を実現するには、ルールを操って事を進める実力がなくてはならないのだが、胡錦濤にその力はなく、既得権益層の抵抗を突破できなかった。「中国国民は本当に怒っている」と著者は再び書く。

 そこに登場したのが習近平である。共産党が統治を継続するには、既得権益層を倒して、大改革を成功させ、国民の信頼を回復させなければならない。そのためには、強いリーダーシップをとれる総書記が必要である。この危機感が、習近平への権力の集中に党内のコンセンサスを与えている。

 習近平は、特に党内の引き締めと反腐敗闘争に力を入れている。反腐敗は国民へのアピールでもあるが、共産党を「規律正しい能力の高い実働部隊に本気で変えたいのだ」と著者は言う。このへん、やっぱり長い歴史を持つ政治の国のリーダーだなあ、と私は単純に感心する。「トラ(大物)もハエ(小物)もともに叩く」と宣言し、盟友・王岐山とともに徹底した取組みを行い、「大トラ」徐才厚と周永康(どちらも江沢民と関係が深い)を処断した。しかし、これ以上の大トラ退治はないだろうと著者は見る。反腐敗闘争をやりすぎると、党の分裂を招いたり、党に対する国民の信認が決定的に下がる可能性がある。そこは微妙なバランスが求められているのである。

 共産党が国民の不満に敏感で、いつも「統治の正当性」の強迫観念におびえていることについて、著者は「易姓革命」の伝統から説明している。なるほど。「中国共産党のものの考え方の中には、われわれの想像以上に、国民との関係が大きな位置を占めていることを頭に入れておく必要がある」という指摘はとても面白い。全く逆の観察をする中国ウォッチャーも多いだろうが、中国の歴史を知っていると非常に納得がいく。

 「統治の正当性」の回答として、江沢民は2001年に「三つの代表」理論を掲げた。共産党は中国の「最も先進的な生産力」「最も先進的な文化」「最大多数の人民の利益」を代表するというものだ。共産党は階級闘争を捨て「みんなの党」になろうとしたのだが、上手くいかなかった。中国社会の急激な変化と多様化は、古い制度を無意味にし、新たな制度とそれを運営できる新たな人材が求められている。経済は、もはや成長モデルからの転換が急務である。伝統的な価値観が廃せられたあと、社会の中心となる価値観が定まっていない。共産党は、かつての無知で貧しい国民ではなく、賢く豊かで、自己主張する国民を「指導」していかなければならない。「民主」の問題は絶対に避けられない。

 等々、とにかく課題山積の中で、中国共産党は統治の継続に挑戦している。変わり続ける中国が、今後どうなっていくのか、習近平の仕事ぶりを虚心坦懐に見守りたい。むかし、内田樹先生が『街場の中国論』という本で、13億人の大国を統治するのに必要なマヌーヴァー(攻略)は、当然、日本のそれとは異なる、という趣旨のことを書いていたが、「中国統治のマヌーヴァー」の一端を垣間見たように思った。

 なお、最後に「中国の軍拡を必要以上に恐れるな」という章と「日中関係の行く末」についての著者の希望を述べた章があり、どちらも興味深いものだった。
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