見もの・読みもの日記

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親日外国人の戦後70年/幻滅(R・ドーア)

2015-02-13 22:32:39 | 読んだもの(書籍)
○ロナルド・ドーア『幻滅:外国人社会学者が見た戦後日本70年』 藤原書店 2014.11

 イギリス生まれの経済学者ロナルド・ドーア氏(1925-)の本は『金融が乗っ取る世界経済』(中公新書、2011)しか読んでいないが、経済オンチの私にも分かりやすくて、勉強になり、楽しめた。90年代以降の日本の経済政策に対する批判は、煙たいけど親身な小父さんの小言のようで、ありがたかった。

 そのドーア氏の最新刊のタイトルが「幻滅」だという。カバーの折り返しには「私の対日観を変えたのは、その憂うべき右傾化である」云々という、本文の一部が掲載されていて、ああ、そういうことなら仕方ないな、と、残念だけど受け入れてしまった。

 本書は、終戦直後から今日(2013年)まで、戦後日本の社会・政治・経済の歩みと、著者の研究者人生が重ね合わせて語られている。1947年に「日本研究専門」の学士となった著者は、ロンドン大学で、江戸時代の藩校や寺子屋についての博士論文を書いていた。1950年、在日英国大使館の文化顧問の書生として来日し、東大で特別研究生となる。江戸時代の教育をテーマに博士論文を書くはずだった著者は、次第に眼前の日本社会に惹かれ、農村調査に出かけたり、政治演説を聴いたり、珍しいお祭りを探したり、活動の範囲を広げ、日本の社会経済構造の研究にシフトする。

 日本とイギリスを行ったり来たりの生活を続ける著者は、実の多くの日本人や親日家と交際を持つ。最初期の友人は、ロンドンで通訳をつとめた山川均・山川菊栄夫妻。吉田健一、中野好夫、加藤周一、丸山真男、鶴見兄弟ら。1960年代(高度経済成長の時代)には、永井道雄、ドナルド・キーンとよく会っていたという。政治家では三木武夫・睦子夫妻。エコノミストの東畑精一、大来佐武郎など。それぞれ印象的なエピソードが語られていて、有名人の面貌がぱっと明らかになる感じがした。中野好夫氏は、口が悪くて博識で、大笑いをよくする。「(福田恆存より)性格的にシェークスピアの翻訳者として適していたと思う」と語られていて、よし、中野のシェークスピア翻訳を読んでみよう、と思った。

 聞き覚えのある日本研究者の名前、エドウィン・ライシャワーやジョン・ダワーも登場する。かつてドナルド・キーンと著者は「日本研究の二羽ガラス」(そんな言い方あるのか?)と呼ばれたこともあるそうだが、キーンさんが日本国籍を取得し、永住の意思を表明しているのに対し、著者が「幻滅」を公言されるのはちょっと悲しい。お二人の日本への思いは、そんなに遠く隔たってはいない筈なのに。「変わったのは、私ではなく、日本である」と著者は言う。

 著者の「幻滅の始まり」は1980年代だった。中曽根政権の「小政府・大軍備主義」、米中対立における日本の決定的な米国加担、民営化、教条主義的な新自由主義の導入が始まった頃だ。あの頃、ほんの少し進路を曲げたように見えた日本の末路が今日の姿である。

 著者は、1950年代、主に「革新」派の日本人との接触において親日家のスタートを切ったと語っているが、別にガリガリの「左翼」だったわけではない。安全保障については、憲法を改正し、軍事力は持つけれど、他国の侵略のためには使わないということを正直に規定すべきだと述べている(暗喩的なおとぎ話まで使って)。関連して、南原繁も「軍隊なしの日本は、どうやって、国際社会の一級加盟国となれるか」と吉田茂首相を攻めたという話が語られている。初めて知った。

 辛いのは、最近、著者がアベノミクス批判(インフレ目標2%は中途半端)の小論を公表し、目立つようにメールアドレスを付け加えておいたにもかかわらず、賛成も反対も来なかったという話。著者は「日本は、論争の趣味がない、知的砂漠になってしまった」と慨嘆する。かつての日本を知っているから、余計にそう思うのだろう。今の日本の言論界にあるのは、知性の活動である「論争」じゃないものな。

 経済が停滞して貧乏国になること、国際競争を勝ち抜く政治力を失うこと。そんなことはどうでもいいが、自分の祖国が、文化と知的活力を失ったと評されるのは、なんとも寂しい、やりきれない気持ちがする。著者が、もう一度、重い舵を切って方向転換する日本を見届けてくれる日が来ますように。
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