見もの・読みもの日記

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緑風五月秘仏の旅(1):京都・醍醐寺、六波羅蜜寺

2009-05-05 20:44:03 | 行ったもの(美術館・見仏)
 西国三十三所のご開帳を追って、関西に来ている。実はゴールデンウィークに東京を脱出するのは、就職して初めてのことかも知れない。観光地は、どこも大混雑だろうと覚悟を決めてきたわりには、今のところ、それほどひどい目には遭っていない。第1日目(5/2)は、京都入りして、醍醐寺と六波羅蜜寺。

■西国第十一番 深雪山醍醐寺[上醍醐・准胝堂](京都市伏見区)

 醍醐寺の伽藍は、山の上の「上醍醐」とふもとの「下醍醐」に分かれる。西国第十一番の観音様は、ふだん、ふもとから約1時間の険しい山道を登った先の准胝堂においでになる。ということぐらいは、私も知っているので、上醍醐のご開帳と聞いて、ああ、今回は山登りだぞ、と覚悟していた。出発前に醍醐寺のホームページをよく見たら、今回のご開帳は「醍醐寺の本堂である、下醍醐・金堂に奉安し、ご開帳を行います」とある。ちゃんと確かめてよかった。慌てて山の上に行ってしまうところだった。

 金堂は、天井が高く、装飾が少なく、開放感のある気持ちのいいお堂だった。三方の扉から五月の風が吹き抜けていく。中央には大きな薬師三尊像。その前に、ひょいと抱き抱えられそうな、小さな観音像が据えられている。堂内にいらしたお坊さんに「どうぞ、どうぞ前へ」と促されて、間近で拝観させていただく。金色の四角いお盆に波立つ海(?)を表し、そこから太い1本の蓮の茎が立ち上がり、花の上に座すのが准胝観音像だ。蓮華座と光背は、目に鮮やかな紅色である。唐風の衣冠をつけた2人の従者が、蓮華を左右から支えている。寛政10年(1798)「新雕」という墨書があるので、江戸時代の作。仏像としての霊威には欠けるような気がするが、現代のフィギュアみたいな職人芸の粋が感じられて、これはこれで、見ていて飽きない程度には面白い。

 なるほど、この大きさなら、山道を下ろしてくるのにも不自由はないなあ、と思ったが、実は、昨年、火災に遭ったご本尊とは別の、登山口の女人堂から移した観音様であるらしい。道理で、納経所のお坊さんに「ふだんは山の上でご開帳をされるんですか?」とお聞きしたとき、「ええ、まあ」と曖昧なお答えをなさったわけである。まあ、不幸な災害には目をつぶり、こちらをご本尊と思ってお参りさせていただきましょう。

□落雷が原因か:京都・醍醐寺の火災(産経ニュース:2008年8月24日)
http://sankei.jp.msn.com/affairs/disaster/080824/dst0808241122002-n1.htm

□准胝観音、金堂で開帳:醍醐寺(京都新聞:2009年5月1日)※観音像の写真あり
http://www.kyoto-np.co.jp/article.php?mid=P2009050100082&genre=J1&area=K00

 醍醐寺の霊宝館は、平成13年の増改築後、初めての訪問だと思う。思いがけなくも、宗達の『舞楽図屏風』を独り占め状態でじっくり味わえたことに万々歳。太閤秀吉の「醍醐の花見」に関わる遺墨(花見短籍=歌巻)は、日本文化における和歌の存在感をあらためて考えさせられた。迫力満点の巨大画幅『大元帥明王像』は、つい最近、どこかで見たように思ったが、奈良博の『西国三十三所展』で見たのは、京都・善峯寺の所蔵品だったようだ。

■西国第十七番 補陀洛山六波羅蜜寺(京都市東山区)

 地下鉄とバスを乗り継いで京都市内に戻り、六波羅蜜寺へ。ここの秘仏と呼ばれるご本尊を配するのは、なんだかんだで3回目である(たぶん)。重量感があって、しかも均整のとれた体躯が、私の大好きな観音様である。前回(前々回?)は、幔幕のガードが固くて、お顔があまり見えなかったように記憶するが、今回はよく拝見できて、一層うれしかった。本日の宿は彦根。
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