goo blog サービス終了のお知らせ 

見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

台湾旅行2016【最終日】台北→羽田

2016-05-07 23:28:23 | ■中国・台湾旅行
昨日のうちにお土産のパイナップルケーキ(李製餅家)も購入済みなので、荷物のパッキングを済ませ、朝はホテル周辺をちょっとだけ散歩に行く。

朝食は駅前地下街で、連日こんな感じ。10年以上前に台湾に来たときは、やっぱり台北駅周辺で、店先で出来立てサンドイッチを買って食べた。小売りの店は少なくなったような気がするが、チェーン店のパン屋さんのサンドイッチも美味しい。



あまり店が開いていないので、建築を楽しみながら散歩する。土地銀行(旧・日本勧業銀行台北支店)は、国立台湾博物館の「土銀展示館」になっていた。ファサードの下の舗装がきれい。



北門前の郵便局も、近づいてみるとなかなかよかった。内部に郵政博物館台北北門分館が開設されていた。最後は、遠くから眺めただけの総統府。



次回は近代建築遺跡めぐりに重点を置くのもいいかも。(5/7記)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

台湾旅行2016【3日日】安平、台南

2016-05-06 01:59:26 | ■中国・台湾旅行
台湾旅行3日目は台北→台南日帰り。前日、窓口で高鉄(台湾高速鉄道)のチケットを買っておいた。

高鉄台南駅に着くと、駅前は何だか閑散とした広場で、おとなしい野犬が気持ちよさそうに寝ていた。



まず安平に行こうと思い、タクシーで「安平古堡」に連れていってもらう。オランダ統治時代にはオランダ東インド会社による台湾統治の中心地「ゼーランディア城」と呼ばれ、鄭成功に攻め取られ、鄭氏政権の王城としても使用された。当時の城壁が残る。それにしても暑い!!



隣りの安平天后宮(これも古い)を見て、路線バスで台南市中心部に向かう。

民生緑園というロータリーでバスを下り、「地球の歩き方」の地図を頼りに、鄭成功を祀る「延平郡王祠」へ。敷地内に「鄭成功文物館」という資料館があり、無料なので入ってみた。展示は、鄭成功とはほぼ関係なく、台湾における道教信仰を紹介するもの。古い(清代)ものから新しいものまで、ものすごく面白かった。知らない神様がたくさんいるんだなあ。

ここで見かけたのが、景色のいい場所を選んで、美しい人形にポーズを取らせて撮影している若い男性…。趣味なのか仕事なのか分からず、声をかけそびれてしまった。前日テレビで見た、不思議な人形劇の人形に似ているような気がした。調べたら、台湾では非常に現代的な演出のイケメン人形劇(布袋戯)が人気らしい。面白い~。



大南門、孔子廟を経て、天壇へ。道教の神々をまとめて祀る。「一」という不思議な扁額がある。



街中には、あまり目立たないけど「府城歴史散歩」というルート案内板があることに気づく。これに従うと、日本のガイドブックに載っていないようなマイナーな史跡も巡れる。けっこう細い裏道にも入っていく。しかし暑い~。



赤崁楼(せきかんろう)。オランダ人によって築城された旧跡で、鄭成功が台湾を占拠すると、東都承天府と改められて台湾全島の最高行政機関となった。敷地内にはオランダ人に和議を迫る鄭成功の像があったりする。それはいいが、Wikiによる「朱一貴が清朝に対して反乱を起こすと、赤崁楼の鉄製門額が武器鋳造の材料とされた」という歴史は、目立って取り上げられていなかった気がする。



台湾府城隍廟。「爾来了(お前、来たな)」という扁額が威圧的。これと天壇の「一」と竹渓寺の「了然世界」が、府城三大名額と言われているそうだ。



ガイドブックによれば、城隍廟から歩いて10分くらいで台南駅に出るという。帰りの列車までは余裕があるが、駅で冷たいものでも飲んで一休みしようと思って、歩いていく。ところが、着いてみると駅の風景が全く違う。ここで初めて、高鉄の台湾駅のつもりで台鉄の台南駅を目指していたことに気づく(というか、同じところにあると信じていた)。がーん。

駅員さんに聞くと、沙崙駅まで切符を買えという(沙崙駅が高鉄台南駅と直結している)。「タクシーは?」と聞くと「高いからやめろ」と首を振る。「大体いくら?」と聞くと「400元」。今のレートなら日本円で1,500円程度だ。現地の感覚では高いだろうけど、まあ許せる。結局タクシーを使って、無事、予約していた列車に間に合った(20分、340元くらいだった)。

終わりよければ全てよし。初日の龍山寺のおみくじ「孟嘗君鶏鳴度開」を思い出す台南旅行だった。(5/7記)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

台湾旅行2016【2日日】台北故宮博物院

2016-05-05 00:22:41 | ■中国・台湾旅行
泊まったホテルは台北駅正面の「五鉄秋葉原(Wutu Akiba Mall)」という商業ビルの中にあった。



2日目の予定は故宮博物院の観光のみ。MRT士林駅前から、関二哥の勧めるバスに乗る(関羽がこんなにイケメンでいいのか)。



故宮博物院は8時30分開館だが、さすがにそこまで早起きできず、9時頃に入った。入館ゲートに「現在の入館者数」は表示されていて、確かすでに500人近かったと思う。日本人は多いが、それ以上に中国人(たぶん大陸から)の団体客が多い。



しかし幸いなことに、書画の展示室は比較的空いていた。混雑していたのは「玉器」「銅器」「陶磁器」など。民族的な嗜好が垣間見えて面白い。東京の台北故宮展のときに聞いたけど、やっぱり「漆器」の常設展示はないのね~。気候が合わないこともあるのだろうか。

途中、1階のカフェで簡単な昼食を取り、午後3時過ぎまで観覧していた。ゆっくりお土産も買って、外に出るとあやしい雲行き。屋根のあるバス停にたどりついた頃からポツポツ降り始め、バスで士林駅に向かう間に激しいスコールになる。台北地下街で夕食を済ませ、あまり濡れずにホテルに帰りついた。

故宮展示参観の記は、また別稿で。(5/7記)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

台湾旅行2016【初日】羽田→台北(龍山寺、迪化街)

2016-05-04 23:38:36 | ■中国・台湾旅行
ひとりで3泊4日の台湾旅行に行ってきた。

思い立ったのは3月頃。このところ仕事が忙しくて、ゆっくり遠出ができないストレスを感じていたのと、2月の台南地震の後、観光で台南を応援しようという趣旨の「#台南はいいぞ」タグを眺めているうち、台南に(ついでに台北にも)行ってみたい気持ちが盛り上がってきた。連休の間に1日くらい有休を取っても…大丈夫だろう。

というわけで、午前便で羽田を発ち、昼過ぎに台北着。台北は三度目だが松山空港は初。中心部に近くて、本当に便利。

ホテルに荷物を置いて、まず龍山寺におみくじを引きに行く。引き当てたのは「孟嘗君鶏鳴度開」で、おお、孟嘗君!と嬉しくなる。「上上」(大吉の次)なので、苦難に遭っても何とかなる卦と理解する。



北門へ。MRT北門駅は2014年に開通した新駅で、以前は背後に無粋な高速道路があったが、柯文哲台湾市長の指示で、2016年2月に撤去されたばかりとのこと(※参考:地球の覗き方)。すごい。周辺では、近代・前近代文化財の発掘調査とその展示が行われていた。



古い町並みの残る迪化街。10年くらい前の初台湾で、迷い込んだことがある。観光客や若者向けのこじゃれたお店が増えた印象だが、建築好きとしては、アーケードの上ばかり眺めながら歩く。



(5/7記)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

江西・福建2012【11日目/最終日】上海→羽田

2012-08-20 18:45:46 | ■中国・台湾旅行
■上海~羽田

 前日の上海・虹橋空港到着は深夜になってしまったが、幸い、ホテルが国際線ターミナルのすぐそばだったので、朝はきちんと朝食を取って、出発することができた。昨日までの三ツ星ランクのホテルだと、国内旅行客が主体で、朝から戦場状態のところが多かったので、整然とした朝食風景が新鮮。

 昼過ぎ、羽田に帰国。ビールと枝豆で、しみじみ今年の旅行を振り返り、散会した。ところで、中国手配旅行の場合、ガイドとドライバーには1日100元程度のチップを渡すことが、日本の旅行社から求められている。いろいろ問題のあったシャオホワンであるが、もちろん最終日にはチップを渡すつもりで用意していた。しかし、思わぬアクシデントで、渡すこともできず、大量の人民元が手もとに残ってしまった。次回の旅行までの貯金と思えばいいか…。

 余談だが、シャオホワンから託された烏龍茶クッキー。会社(サツキトラベル)の同僚か友達のために買ってあったお土産を、私たちにくれたんじゃない?と話していたのだが、包装箱には「上海製」とあった。はあ? やることがいちいち謎である…。



 最後になるが、日本の旅行社(株)GNHトラベル&サービスさんからは「いろいろ変更があったことのお詫び」として、私たちが南昌・九江観光の現地手配代(車代)として支払った一人350元の追加料金(4,500円)を返金するという申し出をいただいたことを付記しておく。

(8/25記)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

江西・福建2012【10日目】武夷山→上海

2012-08-19 17:20:15 | ■中国・台湾旅行
■武夷山(九曲渓~大紅袍~水簾洞)~上海

 九曲渓で筏下り。縦3席×2列の椅子を取り付けた竹製の筏に船頭が二人乗り込む。しかし、ここも観光客殺到で、筏に乗るまでが一騒動だった。むかしの、外国人は別料金・別扱いシステムが、ちょっと懐かしくなる。



 大紅袍風景区。岩壁の間の細い渓谷に、さまざまな種類のお茶が栽培されている。きわめつけは伝説の銘茶「大紅袍」。岩壁の中途の、石垣で囲まれた一角に植わっているのが母木。挿し木で株分けしたものが、その周辺に育っている。大紅袍の木は、赤い花が咲くそうだ。



 水簾洞に寄って、武夷山観光を終了。このあと、ヘイホワンの親戚が経営しているお茶の店に行き、武夷山のお茶を安く分けてもらう。試飲させてもらったが、やっぱり美味い。ただし、半分以上は「入れ方」の問題のような気がする。面倒がっては、駄目。

 夕食。朱さんがいなくなってから、もっぱらシャオホワンが料理の注文を引き受けていたが、ここでまたひと悶着。〆めに注文した湯麺がなかなか来ない。何度かクレームして、ようやく運ばれてきたのは炒麺。「注文したのは湯(タン)だ!」と言って下げさせたら、炒麺にお湯を注いだ湯麺が出てきた。

 本当ならレストランの対応に呆れるところだが、ここに至るまで、翌日の朝食券を渡し忘れたり、チェックアウトしたホテルに忘れ物をして車を引き返させたり、自分の分の筏下りチケットを入手しそこねたり、シャオホワンのダメダメ振りを数々見てきたので、なんとなく、またお前か…の空気。



 夜の町を散策したり、ホテルのロビーで、ヘイホワンの後輩だという高校を卒業したばかりの男子と日本語で会話したりして、時間をつぶす。

 21:30過ぎ、迎えの車が来て、武夷山空港に向かうことになったが、その車中で、ヘイホワンとシャオホワンが、また何かモメている。シャオホワンがあせって探しものをしている様子。大丈夫なのか、コイツ、と思っていたら、空港到着直前、「あった」と言っていたのは、ガイドの身分証らしい。彼に身分証がないと、私たちのチェックイン手続きもしてもらえないので、やれやれ、と思って見ていた。

 ところが、ヘイホワンが帰り、私たちのチェックインが済んでも、なんとなくシャオホワンの様子がおかしい。一緒に荷物を預けないし。「大丈夫なの?」と聞くと「大丈夫、大丈夫」の一点張りで、「お茶でも飲みましょう」と、私たちを空港内のカフェに座らせたが、携帯でオープンチケットがどうこう…と、誰かに長い説明をしている。

 そろそろ搭乗手続きの時間が近づいてくると「私のチケットは、皆さんと種類が違うので、まだ入れないんです。すみませんが、先に入っていてください」というので、三人だけでセキュリティゲートを通る。

 やがてアナウンスがあって、22:50発の上海行きの便は遅れそうだ、ということを把握。まあ、あとは帰国するだけなので、のんびり構えていた。すると、空港係員の制服を着たおじさんが近づいてきて、慇懃な態度で「ちょっと来てほしい」と私たちを招く。着いていくと、セキュリティゲートの外側にシャオホワンが待っており、もはや観念した表情。三人でゲートを出ることは許されなかったので、代表の友人が一人だけ近寄って、話を聞く。要するに、上海行きのチケットが取れなかったということらしい。「すいません、ほんとにすいませんっ」と平身低頭しながら、トランクを開けて、烏龍茶餅干(クッキー)6箱を取り出して、お詫びのしるしに渡された。

 上海・虹橋空港には、シャオホワンの会社(上海サツキトラベル)から迎えが来てくれたので実害はなし。しかし、そこで初めて航空会社のオーバーブッキングによる事故という説明を聞いたが、ほんとなのかね。仮に本当だとしても、夕食後に十分時間があったのだから、早めに空港に行っていたら回避できたトラブルではないか。危機管理意識、なさすぎ。

 とにかく、もう深夜なので、最低限の洗濯だけして寝る。

(8/25記)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

江西・福建2012【9日目】武夷山

2012-08-18 14:46:26 | ■中国・台湾旅行
■武夷山(天遊峰~一線天~虎嘯岩)

 武夷山風景区では専用車は使わず、観光用の路線バスを使用。現地ガイドは、スルーガイドのシャオホワン(小黄)と同じ黄さんなので、日焼けした精悍な風貌にあわせて、こっそり黒黄(ヘイホワン)と愛称することにする。



 最初に向かったのは、天遊峰。峻険な岩壁に、よく見るときちんと手すりつきの石段が設けられている。昨年の崋山と同じだ。それにしても目の眩む高低差に、これ、ほんとに登るの…と気持ちがへこむ。

 しかし、幸いなことに、朝から押しかけた観光客で細い桟道はスシ詰め状態。ジリジリとしか進みようがないので、なんとか脱落せずについていくことができた。



 渓流沿いの地平から登ってきて、この眺めである。帰りは山の裏側を下りる。



 昼食後は、一線天。洞窟の中に入っていくと、二つの巨岩に挟まれた僅かな空間に道が続いている。最終的には幅40センチまですぼまる。



 ここも観光客で大行列だったが、ガタイのいい兄ちゃんたちは、暗闇の中で「通不了(とおれない~)」と大騒ぎ。はるか頭上には、細い線となった外光が見える。シャオホワンも興奮し過ぎでうるさい。



 続いて、もう1ヶ所、虎嘯岩という風景区へ。天遊峰ほど急峻ではないが、上りの石段が続く。途中、急傾斜の近道か、比較的なだらかな回り道かを選ぶ場面があったが、友人は迷わず前者を選択。そっちか、と思ったが、あとで考えると正かったようだ。

 というのも、次第に雲行きがあやしくなり、ドロドロと雷鳴が聞こえ始めた。急傾斜の石段を登り終わった頃から、降り出した雨。シャオホワンは「傘、傘、持ってますか?」と慌てる。持っているけど、この局面(山中の雷雨)で差していいものなのか、登山に不慣れなので、よく分からない。

 武夷山ガイドの黄さんの案内で、とりあえず、雨の避けられる休憩所に逃げ込む。同じように雨宿りする観光客がたくさんいた。そのまま、小1時間ほども過ごしただろうか。小降りになってきたところで、出発するという。

 置いていかれても困るので、傘を差し、岩壁にへばりついた階段を、滑らないように下る。足元に神経を集中しているので、まわりの景色を見る余裕なし。なんとか無事に下山できたものの、どこが虎嘯岩だったのか、全然記憶になし。修行みたいな1日だった。

(8/25記)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

江西・福建2012【8日目】ぶげん→武夷山

2012-08-17 20:43:01 | ■中国・台湾旅行
■婺源県(上暁起村~汪口村~江湾村)~三清山~福建省・武夷山

 引き続き、婺源(ぶげん)古鎮遊。はじめに訪ねたのは、上暁起村。樟樹(くすのき)の巨木が多く、豊かな水と緑にめぐまれた村。村内には木工芸の店も多い。防虫剤になるというクスノキの木材チップ、買えばよかった~。



 汪口村・江湾村へは、昨日、ホテルでの聞き込みで、通行止め区間の手前から観光客用の乗り合い中型バスが運行していることが分かったので、これに乗り換える。

 汪口村(汪口鎮)は、豊かな水流の大河(日本人の感覚では)に臨む。河岸の農地にも路地にも、気ままにうろつくニワトリの姿が目立つ。清・乾隆年間創建の愈氏宗祠を見学。文人や政治家を輩出した名家である。科挙合格→官界で稼ぎ、蓄財する→故郷に錦を飾るって、中央と地方の富の再分配システムだったんだなあ、と考える。



 江湾村(江湾鎮)。江沢民の出身地として、急速に発展中の古鎮。ただしWikiでは「江蘇省揚州市生まれ」となっているから、家系的なルーツの意味だろう。反日教育の江沢民の祖先に、倭寇の制圧で名を成した政治家がいるらしい、というのが可笑しかった。倭寇=日本人ではないのは分かってますが。



 本屋ではありません…が、本も売っていた。婺源古鎮遊のガイド本を買う。



 それにしても、廬山を下りてからの江西省はとにかく暑かった。男性は上半身、裸が基本。女性は下半身、(年齢問わず)超ミニのホットパンツが基本。日本に帰ってから、どうしてみんな、こんなに服着てるんだろう…と思った。

 昼食後、再び専用車に乗り換え、福建省の武夷山へ向かう。途中、江西省の名山のひとつ、三清山を超える。今日が最後となるガイドの朱さんは、山道ドライブの最中も、車の中で器用にコーヒーを入れて、私たちにふるまってくれた。

 夕方、武夷山市のホテルに到着。ここから現地ガイドは交代となるため、お世話になった朱さんと運転手さんにはお別れ。二人は南昌まで7時間かけて戻るという。さて、いよいよ…というときに、スルーガイドのシャオホアンが「すいません!」と慌て出す。「ホテルを間違えてましたっ!」って…どういうこと? 日本の旅行社からもらった手配確認書には、このホテル(茶苑大酒店)の名前が記載されているんだけど…。なんだか混乱した事態に、帰るに帰れない朱さんたち。

 そこに到着した福建省の現地ガイドさん(シャオホアンと同年輩の若い男性)。正しくは香馨大酒店というホテルに予約が入っていることが分かったが、移動手段がないため、江西省の車に、下ろした荷物をもう一度積み込み、正しいホテルにまわってもらう。なんだかなあ。もうチップも渡し済みだったのに。

(8/25記)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

江西・福建2012【7日目】景徳鎮→ぶげん

2012-08-16 23:40:45 | ■中国・台湾旅行
■景徳鎮~婺源県(清花鎮~黄村~思渓延村~李坑村~紫陽鎮)

 結局、景徳鎮では、期待したほどの名品には出会えなかった。ホテルの回廊に飾ってあった出土品の大皿が、いちばん印象的だったかもしれない。



 今日から観光の舞台は婺源(ぶげん)県。「中国で最も美しい村」と言われる農村で古鎮遊を愉しむ。境を接する安徽省と同じ、白い壁と黒色の瓦を特徴とする「徽州建築」の宝庫。

 清華鎮の見どころは、屋根つきの彩虹橋。宋代の創建。現存する中国最古の橋ともいう。すぐ下流に、飛び石を並べた石橋が並行しているのだが、直近の台風の影響で、こちらは寸断していた。



 川辺の村、黄村の百柱宗祠(経義堂)は清・康煕年間の建築。百本の柱を用いた広壮な建築であることから、こう呼ばれる。

 思渓延村へは通済橋という屋根つきの木橋を渡って入る。迷路のように入り組んだ村の中に、たくさんの古建築が公開されている。お茶屋や土産物屋を営んでいる邸宅も少数あるが、たいがいは奥の間で普通の暮らしを送りながら、表の広間は開けっ放しで、観光客が入り込むままに任せている。時を刻む置き時計の音が、かえって止まった時間を感じさせる。

 なお、歩いていて、よく分からなかったが、思渓・延村は一体化した二つの村。思渓の名前のほうが古く、現在はまとめて延村と呼ばれているらしい。



 李坑村は、村の中を清流が流れ、幾筋もの橋がかかる。観光客向けにかなり整備された豊かな村。



 さらに幹線道路を西へ進むと、江湾村・暁起村・汪口村という見どころ古鎮があるのだが、行ってみると、工事で通行止めになっていることが判明。ガイド二人は「どうしましょう?」と困惑の体。これまでの中国旅行で出会ったガイドさん、運転手さんだと、こういうとき、絶対にあきらめず、現地の人に聞きまわって、道ならぬ道を探し当て(河川敷とか細い農道とか)、口あんぐりしている日本人観光客を、なんとか目的地に連れていってくれるのが常だったので、中国人も軟弱になったなあ、と思う。

 ひとまず今日の宿泊先に向かうことにする。都市化の進んだ紫陽鎮。電飾をほどこされた橋は、市民の夕涼みの場となっていた。



(8/24記)

※参考:個人旅行記だが、写真が多く、読みやすくて参考になったサイト
江西省婺源(2007年3月31日-4月2日)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

江西・福建2012【6日目】景徳鎮

2012-08-15 22:20:13 | ■中国・台湾旅行
■景徳鎮(古窯民俗博覧区~御窯遺址~民窯博物館~浮梁古県衙・紅塔)~楽平古鎮

 古窯民俗博覧区は、陶磁器のつくりかたを実際に見て学べる、文化・観光施設。ものすごく面白かった。あとでスライドショー載せます。

 ただ、実際に作業をしているのは、人間国宝クラスの名人だというのに、大音量のハンドマイクでがなり立てるガイドもいれば、無遠慮に手元を覗き込んだり、カメラを向けたりする観光客もいて、あれではとても仕事にならないだろうと思うとかわいそうだった。ときどき、途方に暮れたような表情をしてたなあ、おじいちゃん。大阪市の橋下市長が主張する、自ら稼ぐ芸術ってこんな感じかな、と思うと、なんだか暗鬱な気持ちになった。



 おかあさんが描いていた大振りの染付け茶碗。景徳鎮というより絵唐津みたいな洒脱な文様で、ちょっと欲しかった。今回、ガイドさんは我々に遠慮したのか、忙しかったのか、お買いもの強要タイムは一切なし。



 次に、三層の楼閣・龍珠閣を訪ねる。内部が官窯博物館になっているという話だったが、ここも修復中で内部に入れず。慌てた朱さんが電話をかけてみると、官窯博物館の展示は、御窯遺址景区の施設で行っているというので、そちらに向かう。通常展示より、かなり規模を縮小しているという話だったが、それなりに面白かった。日本では、ほとんど見ることのない↓この形の容器は、蟋蟀壺(コオロギ入れ)。



 官窯(御窯)の失敗作は、民間に流れ出ることがないよう、粉砕されて廃棄された。そのため、ここで展示されている作品は、発掘された破片をつなぎ合わせて再構築したものばかりである。「黄さん(シャオホワン)が、ここは壊れたものばかりで、いいものがないっていうけど、違うんですよ~」と苦笑する朱さん。

 同館の所蔵品は、日本にも来たことがある。『皇帝の磁器-新発見の景徳鎮官窯-』という展覧会で、1994~1995年頃、東京の出光美術館や大阪市立東洋陶磁美術館を巡回したようだ。私は、当時まだ焼きものには関心がなくて、見てないかなあ…。

 民窯博物館(作業場の遺跡のみ)、浮梁古県衙の見学を終えたのが午後2時頃。いよいよ、行き先の定かでない楽平古鎮に向かう。スルーガイドのシャオホワンはスマホの画面を、朱さんは紙製の地図を眺めながら、運転手さんをナビゲート。そして、夕方4時近く、二人はそわそわと車窓に注意を向ける。やがて、道路の傍らで待っていた男性を見つけて声をかけると、それが迎えにきてくれた楽平古鎮の関係者だった。

 「ここで降ります!」と告げられて、慌てて車を降りる。ちなみに、この看板のちょっと先である。看板には「江西省楽平市双田鎮工業園88号」とあり。



 何のへんてつもない左手の脇道に入ると…



 いきなり現れる明代の巨大な野外劇場の残滓。



 いま復元修理のまっ最中らしい。往時の美観をしのばせる精緻な木彫。「漂亮(ぴゃおりゃ~ん)=美しい!」と、仕事を忘れて大興奮の中国人ガイド二人。



 案内人に一緒に車に乗ってもらい、わずかに離れた別の舞台建築も見に行く。やはり表通りからは一歩奥まったところに建つ。この一帯は「明清時代の地方劇舞台が200箇所も残る、地方劇の故郷」なのだそうだ。



 左端のパジャマ姿みたいなおじさん、一人おいたおじさん、二人おいた右端のお兄さんが、楽平市の方々。これらの舞台建築の復元に力を尽くしている。



 お宅に寄って、縮小模型の復元完成図も見せてもらった。



 何年か先には観光名所になっているかも。頑張ってほしい。

(8/24記)

※参考:帰国してから、中国語Googleで少し調べたら、いくらでも情報が出てくるのだが…。中国国内からだと検索できない? そんなことないと思う。

大江網:楽平農民雕制完美“微型古劇台”(2012/05/08)
楽平新聞網:”国之珍宝”蕴商機(2011/3/18)
楽平在線:楽平古街古村
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする