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見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

台湾旅行2017【2日目】九份、台北市内

2017-12-19 22:57:18 | ■中国・台湾旅行
 台湾旅行2日目は、九份(ジウフェン)に行こうと決めていた。朝、目が覚めると、天気予報どおりの激しい雨音。しかし、ホテルで朝食を食べて出かける頃は、雨が上がっていたので、かすかな期待を抱いて、忠孝復興駅前から「金瓜石」行きのバスに乗る。ガイドブックには所用1時間半とあったが、朝だったので、もう少し早く着いた。しかし「九份老街」でバスを下りる頃は、滝のような大雨。折りたたみ傘は持っていたけど、とても外を散策できるような状態ではない。

 そこはよくしたもので、バスを下りてすぐの駐車場(?)の雨宿りスペースで、簡易雨具を売っていた。フード付きの雨ガッパ(35元)と靴カバー(2セット、30元)を購入。これでなんとか歩き出せる体制を整える。



 少し先から細いメインストリート「基山街」が始まる。両側は観光客相手のお土産屋、食べ物屋が立ち並ぶ。長い庇を張り出している店が多いが、完全な雨除けアーケードにはなっていないので、やはり傘なしでは歩けない。



 「基山街」と交差する階段道が「豎崎路」。少し上がると、九份国民小学校に突き当たって行き止まりとなり、少し下ると「阿妹茶楼」がある。全く予定してなかったのだが、雨の坂道を歩くのに疲れてしまったので、お茶を飲んで、少し休むことにした。



 この坂道は、いかにも九份らしい趣きが感じられる。私は、そもそも侯孝賢監督の映画『非情城市』(1989年)を見て以来、九份に憧れてきたのだが、今では『千と千尋の神隠し』(2001年)のモデルの街として、すっかり有名になってしまった。この日も、修学旅行らしい日本の高校生を何組か見たし、カオナシのお面など、ジブリグッズを扱っているお店をあちこちに見て、時代の変化を感じた。



 お昼過ぎのバスで台北市内に戻る。市の中心部の道はすっかり乾いていて、朝の雨はあとかたもなし。十数年ぶりに国立歴史博物館を訪ねてみた。残念ながら「歴史文物」の展示室は閉まっていて、近現代の写真と董小蕙(1962-)という女流画家の作品展示が中心だったが、けっこう楽しめた。

 

 それから龍山寺の近くにある「剥皮寮(ボーピーリャオ)歴史街区」を初めて訪ねてみる。狭い区画だが、清代の伝統的な店屋や日本統治時代の建物が保存・再生されている地区。街の歴史を尋ねる展示施設もあって面白かった。



 龍山寺では、ちょうど夕方のおつとめが行われており、声をあわせて経を唱える信者のみなさんの数に圧倒された。いつものおみくじを引いたところ、第四十四「周郎赤壁敗曹兵」が出た! 総合評価は「中中」だから、あまりよい卦ではないのだが、三国志随一のイケメン周瑜を引いたことに小躍りしたい気持ちだった。

 少し寒くなってきたので、いったんホテルに戻ってコートを羽織り、夜は寧夏夜市に行ってみた。胡麻もち(中華風の餅ではなく、日本ふうの白いもちである)を一皿買ったら、それだけで夕食になってしまった。

(12/19記)
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台湾旅行2017【初日】故宮博物院

2017-12-18 23:33:32 | ■中国・台湾旅行
 台湾に行ってきた。1日休暇が取れそうと判明したのは10日くらい前で、慌ただしく手配をして、2泊3日旅行に飛び出した。初日の朝は、ちょっと早起きがつらかったが、成田空港を9:40に出発し、12:55桃園空港に着いた(キャセイパシフィック便)。

 桃園空港と台北市内を結ぶMRT(2017年3月開通)には初めて乗る。昨年、購入した「EasyCard」を持っていたので、スムーズに乗車。ここまで何も問題なしと思っていたら、スマホに着信。職場の電話番号である。一度は無視したのだが、繰り返しかかってくる。え~い、あきらめて、空港から2つ目の駅(山鼻)で、電話に出ながらホームに下りる。高架のホームは緑の山林に囲まれ、全く人家の見えない駅で、一瞬、不安を感じたが、次の電車が来るはずと信じて下りる。電話は職場の会計課長からの問い合わせで、「いや私、今日は休暇で東京にいないんですよ~」とごにょごにょ答えて、なんとか解決。次の電車で台北に向かった。

 中山駅近くのホテルにチェックイン。この日は25度を超す夏日。コートを脱いだのはもちろん、薄手の衣類に着替え、セーターも手に持って、観光に出かける。まず、故宮博物院へ。入館は4時近くになってしまうが、この日は金曜日で、夜9時まで延長開館しているのをリサーチ済みだったので、焦らない。士林駅前から「紅30」のバスに乗ると、故宮博物院の構内に入って、本館の下まで連れていってくれることを初めて知った。

 前回、私が2016年5月に参観したときは撮影禁止だったが、その後、2016年9月から撮影解禁の試行が行われ、2016年12月から正式に写真撮影、ビデオ撮影を許可された。ただし、一部の作品には「撮影禁止」マークあり。観客はマナーを守っていて、混乱はなかった。

【101室】「慈悲と知恵-宗教彫塑芸術」
【102室】オリエンテーション・ギャラリー
【106室】「集瓊藻-故宮博物院所蔵珍玩精華展」
【108室】「貴族の栄華-清代家具展」

【105,107室】「ブランドの物語─乾隆帝の文物コレクションと包装の美」
乾隆帝のコレクションの「包装(収納法)」の美しさを主題とし、文物の形態にあわせて誂えた保存箱、考証やカタログの作成、書籍の表装などを取り上げる。



「明帝后像」の布表紙。画像は大明太祖洪武帝・朱元璋の妙に柔和な肖像。



乾隆帝が自分の御製詩集の表紙などに使った染布。漢籍好きなら見覚えがあるかも。



【104室】故宮博物院所蔵善本古書精粋
古籍の写真を自由に撮らせてくれるなんて太っ腹! ただし国宝クラスの「永楽大典」や「四庫全書」は撮影禁止だった。



珍しいものもあった。日本で刊行された「唐土名勝図会」(文化3年、大坂書肆龍章堂刊)、振り仮名つき。木村孔恭著とあって、すぐに分からなかったけど木村蒹葭堂である。



【103室】故宮博物院所蔵清代歴史文書精選
104室がライブラリーなら、こちらはアーカイブ資料。皇帝が朱批を書き入れた奏摺(清の皇帝には満州語の朱批奏摺も残る)、皇帝の起居注冊、実録など、歴史好きには楽しい。



台湾史に関するアーカイブ資料も特集されていた。銅版画「欽定平定台湾紀略」(乾隆帝による台湾平定の記念画)6枚にはちょっとびっくりした。これを平然と展示できるのは、今の台湾の自信かもしれない。



【210,212室】「特別展 国宝の誕生-故宮書画精華-」
ここはさすがに全面的に撮影禁止。しかし堪能した。五代の『秋林群鹿』、宋『文会図』、唐『牧馬図』など夢のような古画を間近に見ることができ、元・倪瓉(げいさん)の『江亭山色』、清・王翬(おうき)の『夏山烟雨図』の涼やかな趣きもよかった。明の唐寅、仇英も好き。書は王羲之の『遠宦帖』。宋の『四家法書』は蔡襄、蘇軾、黄庭堅、米芾(べいふつ)の書を一気に眺めることができる奇跡の名品。けっこう熱心に見ている若者がいて感心した。



【203室】「心に適う-明永楽帝の磁器」
これも非常に楽しかった展示。「潔素にして瑩然,甚だ心に適う」は、永楽帝自らが好む陶磁器(殊に白磁)を賛美した言葉だという。本展は、永楽帝の時代に作られた白磁、青花磁、紅釉磁など紹介。器のかたちや文様に、チベットおよび中央アジア、西アジアとの文化交流の軌跡が見られるのが興味深い。

【201,205,207室】「土の百変化-中国歴代陶磁器展」
【204,206室】「筆墨は語る-中国歴代法書選」
【208室】「別有可観-寄贈・寄託書画展」

【301室】「鐘・鼎の銘文-漢字の源流展」
【303室】「貴貴琳瑯游牧人-故宮所蔵清代モンゴル・ウイグル・チベット文物特別展」
【304室】「若水澄華-国立故宮博物院所蔵玻璃文物特別展」
【305,307室】「古代青銅器の輝き-中国歴代銅器展」
【306,308室】「敬天格物-中国歴代玉器展」

【302室】「南北故宮 国宝薈萃」
「翠玉白菜」と「肉形石」。これも自由に写真が撮れる。3階に上がったのは夜の7時近くて、もうこの展示室にも数えるほどの人の姿しかなかった。東京国立博物館での喧噪は何だったのか。





眼も足も疲れてきたので、最後は少し急いだが、とにかく全室まわってきた。やっぱり故宮博物院は1年に1回くらいは来てみるものだなあ。そして、ゆっくり落ち着いて見るなら夜間開館がねらい目であることがよく分かった。満足。

(12/18記)
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台湾旅行2017:阿妹茶楼でお茶

2017-12-17 23:33:57 | ■中国・台湾旅行
夏に取り残した休暇の最後の1日を利用して、週末2泊3日で台湾に行ってきた。最近は長い休暇が取れないので、これがギリギリ許される範囲のぜいたくである。

長年、行きたいと思っていた九份についに行くことができた。悪天候でさんざんだったが、詳しくはあらためて。阿里山茶は癖がなくて日本茶に近い感じがした。ゆっくり、一杯ずつ注いで飲むお茶って美味しいんだなあ。各種のお茶うけは、もちろん残らずいただいた。



足もとに火鉢(アルコールランプ?が入っている)があって、鉄瓶に適温のお湯が入っている。



坂道の途中にあり、眺望のよい阿妹茶楼は「千と千尋の神隠し」の油屋のモデルになったと言われる茶楼。



今回はあまり美味しいものにめぐりあう機会のない、忙しい旅行だったが、このティータイムは至高のひとときだった。

(12/17記)
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張家界・鳳凰古城2016【補遺】食べたもの・気になったもの

2016-08-24 23:31:49 | ■中国・台湾旅行
武陵源のホテルの夕食に出た張家界名物の竹筒飯。竹筒の容器に入っていたのは、ご飯ではなくおかずだった。魚の辛味煮込みや豆腐など数種類が出た。



武陵源のホテルは、めずらしくアメニティセットが有料(10元)だった。これは日本でも広まってもいいな。



武陵源から鳳凰城に向かう途中、トイレ休憩を取った道端のお店で売っていた草餅。1個2元。よもぎがぎっしり。ザラメ砂糖のじゃりじゃりする餡入り。素朴な甘さで美味。



そして、このお店の外に放置されていた椅子。むかし(※2005年9月)日本民藝館のミュージアムショップで買った「張家界製」の椅子と全く同じデザインだった。今でも私はこの椅子を使っている。毎日、このブログも「張家界製」の椅子に座って書いている。



鳳凰古城のある鳳凰県の特産はキウイ。中国語では「奇異果」が一般的だと思うが、ここでは「猕猴桃」(mi2 hou2 tao2)という表記をよく見た。



古城街を流れる異臭の正体は香豆腐。臭豆腐を揚げたもので、湖南省の名物。



湖南省といえば唐辛子。ツアーの食事は、日本人向けに辛味を抑えたものばかりだったが、唐辛子はあちこちで見た。



鳳凰古城の名物・姜飴(生姜飴)は、どの店も店先で、叩いてこねて伸ばすパフォーマンスをやっていた。



なお、現地で張家界森林公園の地図を見たとき、「百龍天梯」(ガラスのエレベーター)の降り口のそばに「張良墓」という記載があって気になった。ネットでいろいろ調べてみたら、漢高祖・劉邦の軍師であった張良は、仙人になることを求めて青岩山という地に移り住み、張良の名にちなんで「張家界」と呼ばれるようになった、という伝説があるそうだ。まあ伝説だけど。
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張家界・鳳凰古城2016【最終日】上海→成田

2016-08-21 23:14:28 | ■中国・台湾旅行
朝早い帰国便に乗るため、最終日のモーニングコールは5時半。しかし、この上海大衆航空賓館、空港のターミナルビルと通路でつながっている。たいへん便利でありがたい。今回の旅行は、連日ホテル着が遅くて、中国のテレビ放送を見る時間がほとんどなかったが、最終日の朝、チャンネルをまわしてみたら、人気ドラマ『琅琊榜』の再放送をやっていて、思わず見入ってしまった。私はBSもCSも見られない環境なので、最近、YouTubeで中国語字幕版を見始めたところである。



機内食は中華おこわ。これは旨い。たぶん炒飯より日本人好み。前日の張家界→上海でも中華おこわの軽食が出て、夕食を食べたあとにもかかわらず、半分くらい食べてしまった。



成田には時間どおり、無事、到着。しかし翌日(8月22日)が台風で大混乱になったことを思うと、台風と台風の間をうまくすり抜けたラッキーな旅行だった。そして、やっぱり中国は、トラブルを含めて楽しい。ツアー参加者の中には、いろいろ細かい不満を漏らしていた人もいたけど、私は全く不満なしだった。また行きたい。

(8/22記)
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張家界・鳳凰古城2016【4日日】鳳凰古城→張家界→上海

2016-08-20 23:51:05 | ■中国・台湾旅行
観光最終日は、鳳凰古城の中心部を徒歩で観光。古城街の広場に朱鎔基さんの「鳳凰城」の文字があった。好きな政治家だったので懐かしい。しかし字はお世辞にも上手くないなあ。朱鎔基さんは湖南省長沙市の出身だが、鳳凰城との関係はよく分からない。明太祖・朱元璋19世の子孫であるというのは、今、Wikiを見て知ったが、そう言えば朱元璋も癖字だった。



沱江の南岸に、城壁に囲まれた古城街(写真右側)がある。ただし、表通りは、ほぼ観光商店街と化している。



明清の古建築は、強く反った瓦屋根を乗せた「うだつ」が特徴。写真は2階と3階部分で、1階部分は現代的な店舗になっているものが多い。



街歩きのあと、10人乗りの小船に分乗して、30分ほど川下り。川幅が広いので湖のようだ。船頭さんは長い竹竿とオールを使い分けて、器用に船を操り、船歌も聞かせてくれる。川岸にせり出した高床式の「吊脚楼」という建物が櫛比し、どこか東南アジアの国に来たような感じ。日差しが刺すように強く、暑い。



万名塔。清・嘉慶年間にあった字紙炉(文字を書いた紙を焼くための炉)の塔を前身とし、1980年代に人々の寄附で建てられたもの。



下船後、二層式の虹橋(風雨楼)の二階から眺望を楽しみ、銘菓・生姜飴の老舗「鎮竿張氏」でショッピング。銀製品や織物・水牛の角製品・楽器の店も多かった。



少し早い昼食を済ませ、予定どおり、高速道路を使って張家界市内へ戻る。昨日のような生活感のある車窓風景には出会わなかったが、起伏に富み、緑に覆われた雄大な風景は、黄土高原の高速道路では見られないもので、楽しかった。

空港の近くで夕食。遠くの山並みに穴が開いたように見えるのが「天門山」であると、ガイドの王さんが教えてくれた。慌てて写真を撮ろうとしたが、結局、張家界空港の滑走路からがいちばんよく見えることを発見。来たときは夜遅かったので、まわりの風景に気づかなかったのだ。



ツアー31人のうち、東京組は19時出発の便で上海浦東空港へ。関西組6人は11時過ぎの便に乗ったため、上海到着は深夜3時近かったとのこと。

(8/22記)
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張家界・鳳凰古城2016【3日日】武陵源→鳳凰古城

2016-08-19 22:12:50 | ■中国・台湾旅行
朝は索渓谷自然保護区の宝峰湖で遊覧船観光を楽しむ。ガイドの王さんが「ベトナムのハロン湾の風景に似ていると言われます」と言っていたが、確かにそんな感じ。湖岸にしつらえた小屋に民族衣装の歌い手さん(男性・女性)が待っていて、通りすがりに船の中から拍手で呼ぶと、民謡をひとふし歌ってくれる。



お茶屋さんに寄って、土家(トチャ)族の苺茶などを試飲し、ショッピング。午後は昨日に続き、森林公園地区の中に入って、金鞭渓流を観光。この銅像は、画家の呉冠中(1919-2010)で、あまり知られていなかった武陵源の絶景を絵に描き、世の中に広めた人なのだそうだ。



そう言われても思い出せなかったが、2012年の東京国立博物館『中国山水画の20世紀 中国美術館名品選』に作品が出ていて、私は、わざわざ名前を挙げて「すごく好き」と書き留めていた。ガイドの王さんの説明では、伝統的な山水画を描いたように聞こえたが、抽象画のような、全く新しい墨画を描いた人である。

それにしても、武陵源地区が1980年代に発見された名勝である、というのも面白い。そのため、中国の名勝古跡にありがちな、岩壁に刻まれた大きな文字(たいてい赤く塗ってある)が全くないのが、非常に新鮮でよい。

金鞭渓流の遊歩道では野生のサルに遭遇。アカゲザルという種類らしい。ニホンザルに似ているが尻尾が長い。しかし、姿勢によっては尻尾を尻の下に巻き込んで座るので、素人には、ニホンザルと区別がつかない時がある。東博の名品、南宋絵画の『猿図』はこのサルだろうか、と思う。



当初、この日は高速道路で一気に鳳凰古城に向かい、翌日、苗(ミャオ)族の村を観光しながら張家界に戻ることになっていたが、予定を変更。観光最終日に余裕を持たせるため、この日は一般道を走って、5時間以上かけて鳳凰古城に向かう。車窓から眺める人々の生活風景が楽しい。全土に高速道路網が張り巡らせる前の、90年代くらいの中国旅行を思い出して、懐かしかった。

日が傾く頃、ミャオ族の村に到着。険しい山に張り付いた一本道で、どこに村があるのかと思ったら、車道から川に向かって下りていく斜面に瓦屋根の木造家屋が肩を寄せ合うように固まっている。人々が普通の生活を営みながら、その一部を観光客に公開していた。



村の入口に「脱貧到小康」というスローガンが掲げられていたけれど、こうした観光収入も役に立っているんだろうか。



渋滞に苦しみながら、鳳凰古城(湖南省湘西トゥチャ族ミャオ族自治州鳳凰県)に入り、ホテルに到着したのは夜の9時過ぎだった。夕食後、ガイドさんの案内で、徒歩でライトアップを見に行く。ライトアップと聞いて、嫌な予感(笑)がしていたが、中国人って、ほんとにやることが徹底している。



水量豊富な沱江(だこう)には、新旧さまざまな橋がかかる。水遊びで涼をとる家族連れ、川沿いのバーやディスコで楽しむ若者など、深夜になっても賑やか。



ガイドさんが引き上げたあとも、ツアーの仲間と自由散策を楽しみ、ホテルに戻ったのは午前0時過ぎだった。こういう盛りだくさんの1日も、むかしの中国ツアーみたいで懐かしかった。

(8/22記)
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張家界・鳳凰古城2016【2日日】張家界→武陵源

2016-08-18 19:38:56 | ■中国・台湾旅行
朝、張家界市中心部のホテルを出発して、車で1時間ほどの武陵源(ぶりょうげん)に向かう。武陵源は、張家界森林公園、索渓谷自然保護区、天子山自然保護区などの地域からなる広大な自然保護区の総称である。空港で「阿凡達」の世界へようこそ、という広告を見て、何だろう?と思ったら、奇岩の峯々が聳え立つ武陵源の絶景は映画「アバター」のパンドラ星のモデルになっているのだそうだ。へええ、知らなかった。

今日の観光は天子山自然保護区から。観光ステーションでツアーバスを下り、小型のシャトルバスに乗り換える。さらにロープウェイに乗ると、絶対に日本では見られない光景が開けて行く。絶壁の間を軽やかに上っていくロープウェイは、SFというより、武侠ドラマの達人の神功の如し。



ロープウェイの終着駅から再びシャトルバスで移動し、最初の観光ポイントである賀龍公園へ。張家界の出身で建国の英雄である賀龍将軍(←このひとは好き)にちなんだ公園である。筆を立てたような「御筆峰」(↓)と二人の仙女が花籠を抱えたような「仙女散花」の峰が見どころ。



公園内に楼閣風の展望台があり、入ってみると、途中の階で、パフォーマンスとしてひたすら蝦(エビ)の墨画を描いているおじさんがいた。「張家界書画院副院長 劉毅」の看板が掲げてあった。中国の芸術家は(今も昔も?)大変だなあ。最近、どこかの展覧会で「海老を描かせたら右に出る者のいない画家」の作品を見たなと思いながら、その場で思い出せなかったが、調べてみて斉白石だと分かった。劉毅先生の海老も薄い墨色がきれいで、なかなかよかった。



賀龍公園内には麦当労(マクドナルド)もあり。日本にはない、どんぶり飯みたいなメニューが美味しそう。



午後は「天下第一橋」と呼ばれるアーチ型の岩山、眺望のすばらしい「迷魂台」などを散策。結局、一万歩くらい歩いた。あまり高低差のないルートで楽だったが、とにかく暑いので、汗びっしょりになった。

最後は、絶壁に張り付いたガラス張りのエレベーターで下山。335メートルの高さをわずか1分で移動する。「百龍天梯」「天下第一梯」とはよく言ったものだ。景観保護の観点から批判もあるだろうけど、これはこれでよいと思う。何百年かしたら、きっと万里の長城みたいに、とてつもない発想の遺跡として残るだろう。それから、中国の山水画は、よく見ると必ず人の通り道が描かれている、という話を聞いたことを思い出した。



ちなみに、私たちのツアーが張家界を離れた8月20日には、張家界市に世界一のガラス橋(地上300メートル、全長約430メートル)がオープンして話題になっていたが、この橋は武陵源でなく、市中心部に近い天門山国家森林公園(※後述)にできたものである。夜は武陵源区のホテルに宿泊。

(8/22記)
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張家界・鳳凰古城2016【初日】成田→上海→張家界

2016-08-17 23:28:37 | ■中国・台湾旅行
2012年の江西・福建旅行から4年ぶりの中国旅行である。仕事の関係で長い夏休みが取りにくかったり、中国の大気汚染が深刻化したり、いろいろあって中断していた。今年も、いつも同行してくれる友人と休暇が合わず、オーダーメイドは早々にあきらめてしまったのだが、初めてパッケージツアーにひとりで参加を申し込んでみた。行き先は張家界・鳳凰古城(湖南省)である。

初日、つくばセンターから成田空港へは高速バスで約1時間。東京西部に住んでいたときに比べると非常に近い。しかし、私の乗る飛行機は、前夜、台風の影響で成田に降りられず、名古屋に着陸したとかで、2時間半遅れの出発となる。成田-上海の搭乗券と一緒に、上海浦東空港で乗り継ぎの目印(シール)を渡されたが、あまり機能していなかった。



乗り継ぎには十分な余裕があったので困らなかったが、そもそも何の計画も立てていなかった上に、中途半端な時間になってしまったので、時間のつぶしかたに迷う。ふとリニアモーターカーの空港駅を見つけたので、往復を乗ってみた。最高時速300キロで終点まで約8分。日本にも(成田~東京間の一部でもいいから)欲しい! 終点の「龍陽路」から地下鉄に乗り換えると、市内中心部に行けるらしい。



夜遅く、張家界空港に到着し、現地ガイドの王さん(丸顔の若い男性)に迎えられる。同時にツアーの参加者も初めて顔合わせ。関西組&成田組の合計で31名と聞く。思っていたよりずっと大人数で、若い世代(30代以下?)もちらほら混じる。張家界市内のホテルにチェックイン。

(8/21記)
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台湾旅行余話2・故宮博物院(台北)一日遊

2016-05-10 22:20:23 | ■中国・台湾旅行
國立故宮博物院(台北)(2016年5月5日)

 見て歩いた順に、記憶をたどりながらレポートする。

【103,104室】「唵嘛呢叭咪吽(オンマニペメフン)-国立故宮博物院所蔵チベット仏教文物特別展」
朝イチだったので人がいなかった。はじめに、あまりチベットふうでない色鮮やかな羅漢図(清代?)が並んでいた。仏像や仏具もあったが、展示の中心は経典。チベット式の経典は、横長の長方形の紙に経文を書き(または刷り)、積み重ねる。綴じはしない。上下に飾り板を当ててバンドで固定し、黄色い布でくるむ。さらに美麗な飾り版を当て、バンドで縛って布でくるむことを繰り返す。展示では、経文や飾り板の豪華な装飾に注目するとともに「包みかた」を実演するビデオが放映されていて面白かった。ビデオの最後には「北京故宮博物院技術指導」への謝辞が出た。

【101室】「慈悲と知恵-宗教彫塑芸術」
あまり大きくない展示室だが、古代(北魏、北斉)から明清まで、全時代の様式を通覧できるのが面白い。やっぱり日本人には隋唐の仏像が親しみ深く感じられる。室外の展示ケースに明代(?)の大きな三尊像もあった。

【102室】オリエンテーション・ギャラリー
壁の年表で中国史の概略をおさらいする。室外に館蔵「清明上河図」の複製&デジタルアニメーション展示があった。

【106室】「集瓊藻-故宮博物院所蔵珍玩精華展」
比較的新しい時代の工芸、文具、装身具など。超絶技巧の「集瓊藻」(象牙製の多層球)や皇帝のおもちゃ箱「多宝格」もこの部屋。中国人の団体客でものすごく混んでいた。

【108室】「貴族の栄華-清代家具展」
大きな展示ケースの前後二面に「書斎」と「居間(客間?)」のしつらえが展示されていた。卓上や書棚には文房具や書籍などが置かれていて、雰囲気を出していた。

【105,107室】特別展室(閉室)

【203室】「朝星の如く貴き-清朝宮廷に収蔵された12~14世紀の青磁特別展」
「貴似晨星(朝星の如く貴き)」は乾隆御製の詩句。清朝の歴代皇帝に愛された宋代の官窯磁器を展示する。見ものは汝窯の水仙盆。はじめに(1)縁つき足あり (2)縁なし足あり (3)縁なし足なし、の三種が並んでいた。(1)(3)は青が強く、(2)は少し緑がかっている。(3)はかなり大きく、カレー皿になりそう。究極の名品といわれる乾隆帝鍾愛の水仙盆は出ていないのか?と思ったら、別の展示ケースにひとつだけ単独で飾ってあった。あ~美しい!! 日本で好まれた「青磁」よりも青みが強い磁器が多い。龍泉窯の磁器も、日本で見るものより緑色っぽくないと感じた。

【201,206,207室】中国歴代陶磁器展
古代から明清まで歴代の陶磁器を展示。明代の絵入り磁器がかわいい。『五彩魚藻盤』(正徳)(※画像あり:典蔵台湾)や『青花五彩百鹿尊』(万暦)(※画像あり:中国語サイト)がお気に入り。龍も可愛かった。中国の陶磁器というと、一分の隙もない芸術品が思い浮かぶのだが、あれは満洲族の好みで、漢族は意外と可愛いもの好きなんだろうか。清代陶磁器の粋『粉彩桃紋天球瓶』はやっぱり好きだ。10年以上前も特別待遇の展示をされていたが、現在も独立のケースに展示されている。四方から鑑賞できるのが嬉しい。そう言えば、以前は写真を撮り放題だったが、今は完全に禁止だった。

お腹がすいてきたので、ここで早めのランチ。4階のカフェ「三希堂」が閉まっていたので、一時退出(手の甲にスタンプを押してもらう)して、1階入口横の「居賦」で簡単に済ませる。待たずに済んで、ありがたかった。

【210室】「清明上河図特別展」(※特設サイト:日本語
今回、最も楽しみにしてきた特集展示。同館が所蔵する8点の「清明上河図」を展示する。「清明上河図」といえば、北京故宮博物館が所蔵する張択端の作品が有名であるが、多数の模作・類作が存在する。それぞれ絵画的・風俗資料的に独自の価値を持つことは、日本の「洛中洛外図屏風」によく似ている。台北故宮博物院のイチ推しは「清院本」と呼ばれ、陳枚、孫祜、金昆、戴洪、程志道という5名の画家による合作。冒頭に乾隆帝の御題詩、御印、「繪苑璚瑶」の四文字が記されている。穏やかな農村風景に始まり、川(運河)に沿って、次第に人の姿が増え、虹橋を経て、城内に入る。城外には豊かな水をたたえた湖と幽玄の風景を楽しむ貴人の別荘(王宮)がある。こういう明清の絵画は、なかなか日本に来てくれないと思うので、見に来てよかった! もちろん図録もゲット。

【202,212室】「造形と美感-明清山水画の精粋」
だんだん明清の山水画が好きになっているので、日本で見られない作品が見られて嬉しかった。「山水画」と言いながら、人物や人家が描き込まれているのが多いのは中国人の好みかな。私は、李世倬筆『画連理杉』や鄒一桂筆『太古雲嵐』のような、人物を描かない清代の山水画が好きだ。

【202室】「巨幅名画」
回廊の壁の大きなケースを使って、大判の絵画を展示。濃彩、淡彩、墨画などいろいろ。ほぼ明清の作で、張大千が寄贈した伝・董源筆『江堤晩景』だけは、元代前後の作と考察されている。ところで同館は軸物を飾るとき、上から吊るすだけでなく、下の軸棒を受ける台を添えて、全体が伸び切らないようにしていた。あれは中国式なんだろうか。

【208室】「国立故宮博物院寄贈書画展」
現代物かと思ったら、張学良氏寄贈(!)の王守仁(陽明)筆『山水』なんてのがあって、びっくりした。大好きな朱耷(八大山人)の書『行書芸韞帖』はすぐ分かった。

【204,206室】「書中の龍なり-歴代十七帖法書名品展」
「書中の龍」と呼ばれる王羲之「十七帖」の臨本や模本、刻帖など関連作品を展示。「十七帖」といえば、京博の上野本を思い出した。乾隆帝が熱心に王羲之の書法を学んでいるのが面白かった。

【301室】「鐘・鼎の銘文-漢字の源流展」
【302室】「南北故宮 国宝薈萃」
通常は302室に例の「翠玉白菜」が展示されているらしいのだが、現在、2015年12月に開業した故宮南院(嘉義県太保市)で出張展示中のため、インドの女神像とベトナムの磁器が展示されていた。

【303室】「皇帝の鏡-清宮廷の鏡鑑文化とコレクション」
日本古代の銅鏡に比べると型が小さく文様もゴツくなく、実際に使われていた感じがした。

【306,308室】「敬天格物-中国歴代玉器展」
【304室】「水源の清らかな水が流れ来る-宋・遼・金・元玉器特別展」
【305,307室】「古代青銅器の輝き-中国歴代銅器展」
玉器と銅器は中国人が大好き。とても混んでいた。

前回、故宮博物院に来たのは10年どころか15年も前の話になる。次回はそんなに間を置かず、見たい展示があったら、さっと来てしまおう。南院(アジア芸術文化博物館)もぜひ訪ねてみたい!
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