元衆議院東京2区の泡沫候補・千葉 潤のきょうのひとこと

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「もっともらしく…」(2015/1/31)

2015-01-31 12:27:18 | 日記
きょうは2015/1/31(土)です。

「もっともらしく…」(2015/1/31)

「『格差』など もっともらしく 叫んでも 『社会主義』では 解消できず!」-。

 きょうは久しぶりに永田町周辺の動きを取り上げることにしようと思います。きのう1/30に2014年度補正予算案(→総額3兆1180億円)が衆議院を通過しました。ちなみに補正予算案は2/3にも成立する見通しになっているそうです。そしてやはり総選挙から時間が経過すればするほど野党側の存在感はますます希薄になっていきます。

 どうやら一部の野党はまたまた「流行」に便乗して「格差」の問題を自分たちの党勢拡大のために利用しようとしているようです。確かに「格差」の問題を取り上げてその解消をもっともらしく訴えればそれだけで多くの人たちから「正論」として受け止められる傾向があるのだろうと思います。確かに日本国内で「健康で文化的な最低限度の生活」(日本国憲法25条)を営むことができないほどの「貧困」の状態に置かれている人たちをそのまま放置することはできないと思います。しかし、もっともらしく「格差」の問題を取り上げながら得意気な顔で耳触りの良い政策を唱える前に立ち止まってじっくりと考えてみなければならないことがいくつもあるはずなのです。

 そもそも「格差」とはいったい何を意味しているのでしょうか? 「格差」とはある時点におけるある人たちと別の人たちとの間の「経済的格差」のことを意味しているのでしょうか? もしも「格差」がただ単に「経済的格差」のことだけを意味しているのならば必ずしも「格差」を解消する必要はないと思います。もしもそういう話になるのならば政府がすべての人たちに対して「健康で文化的な最低限度の生活」「平等な機会」「公正な競争」などを確実に保障するのならば、自由競争の結果として生じた「格差」は「平等な機会」と「公正な競争」を繰り返して「勝者」と「敗者」が何度も入れ替わっていくことを通じて自然に解消することになると考えることができます。どういうわけか永田町周辺では「格差」というものは解消するのが当然だと根拠なしに強く思い込んでいる人間たちが少なくないようです。批判を覚悟の上であえて言わせてもらうのならば、「格差」というものは本当に解消しなければならないものなのでしょうか?

 さらに言わせてもらうのならば「格差」というものは本当に解消することができるのでしょうか? もしも「格差」がただ単に「経済的格差」のことだけを意味しているというのならば、政府が大規模な「富の再分配」を強制的に行えば一時的には「格差」がほとんどなくなるかもしれないとは思います。しかし、いくら政府が大規模な「富の再分配」を強制的に行ったとしても一人ひとりの個人の能力には大きな違いがあるので時間が経てば再び「格差」が生じるはずです。もちろん「富の再分配」は政府の重要な役割の一つだと思います。しかし、それでもやはり、「できそこないの社会主義」のようなあまりにも単純な考え方では明らかに限界があるのです。「できそこないの社会主義」では「格差」を解消することはできないのです。この「格差」の問題についてはそう遠くないうちにまた取り上げることにします。

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「狡猾?」(2015/1/30)

2015-01-30 01:18:39 | 日記
きょうは2015/1/30(金)です。

「狡猾?」(2015/1/30)

「狡猾な 『おばけ』が見える 『専門家』! 正体見たら どうなるだろう?」-。

 イスラム過激派組織「イスラム国」によると見られる日本人人質事件の波紋が広がっています(→参考:2015/1/29付、2015/1/28付、2015/1/27付、2015/1/26付、2015/1/25付、2015/1/24付、2015/1/23付、2015/1/22付、2015/1/21付)。犯人側がインターネット上で公開するメッセージに示される要求などは次々と変化しています。1/29朝には1/29の日没(→日本時間の1/29深夜か)までに死刑囚の女を後藤健二氏との引き換えのためにシリアとトルコの国境に連れてこなければヨルダン人パイロットを処刑するなどという後藤氏と思われる英語の新たな音声がインターネット上に公開されたなどと伝えられています。そして「期限」と思われる1/29深夜(日本時間)になっても大きな動きは見られないようです。くどいようですが、次から次へと流れてくる様々な情報には精査が必要であるということを繰り返し強調しておくことにします。

 当たり前と言えば当たり前の話ですが、「イスラム国」に拘束されたと見られる日本人の救出を求める声が日本国内を中心に高まっています。何度も繰り返していますが、日本政府は拘束された日本人を救出するために全力を尽くさなければならないのです。自由な民主主義国家である日本国が自らの国民の生命などを守ろうとすることは当然です。しかし、「人質交換」には、主権国家による凶悪犯罪を犯した人間たちに対する司法的制裁の正当性を主権国家自らが否定してしまう意味があります。また「人質交換」には、逮捕・起訴して司法的制裁を受けさせようとしているそれぞれの犯罪を犯した人間たちを再び凶悪な犯罪を犯す危険性が高い状態で野放しにするという弊害もあるのです。言うまでもなく主権国家には凶悪な犯罪をなくそうとする義務もあるはずなのです。主権国家が人質を全力挙げて救い出そうとする場合には手段は問われないということにはならないはずなのです。何にしても「人質交換」には黙って見過ごすことができない大きな問題点がいくつもあるということだけは繰り返し強調しておくことにします。

 一部の「専門家」と称する人間たちは「イスラム国」側の「狡猾さ」を見出しているようです。「専門家」と称する人間たちには良い意味でも悪い意味でもごく普通の多くの人たちには見えないものが見えているということなのだろうと思います。でも、犯人側は本当に「狡猾」なのでしょうか? 一連の犯人側の要求などの変遷や交渉経過などを素直に見れば、ただ単に場当たり的な対応を繰り返しているだけと受け止めた方が様々な出来事が自然に説明できるようになるのではないかと思います。もちろん現時点においては事件の真相や犯人側の実態はよく分からないわけです。しかし、それでもやはり、犯人側を過大評価しないようによく注意をする必要があるはずです。確かに「専門家」と称する人間たちは「専門知識」を利用して多くの人たちには見えない事件の真相を見ることができることもあります。しかし、逆に「専門知識」のために現実には全く存在しない「おばけ」が見えてしまうこともあるのではないかと思います。事件が解決した後で「正体」を見たときにいったいどうなるのだろうかということをあえて想像してみる必要がありそうです。

 以前も書きましたが、今回の「イスラム国」による人質事件はいわゆる「劇場型犯罪」になっているようです。いわゆる「劇場型犯罪」の定義というものは定かではありません。しかし、「劇場型犯罪」には、犯人側が人質解放の「期限」を設定したり、インターネットやメディアを最大限に利用したりすることを通じて、事件の被害者や当事者だけではなく、事件と直接的な関係のない不特定多数の第三者までをも「観客」として巻き込んでいくことによって、犯人側の要求が実現する可能性と被害者側の被害の程度が共に大きくなっていくという特徴があることだけは確かです。「専門家」と称した人間たちも、ごく普通の多くの人たちも、そんな「劇場型犯罪」の特徴をしっかりと理解しておくことが必要です。私は、今回の「イスラム国」による人質事件では、「観客」の数をできるだけ増やさないようにすること、そして「観客」の影響力をできるだけ大きくしないようにすることが非常に重要であると考えています。多くの人たちが自分自身の何気ない言動が最低最悪の「劇場型犯罪」の手助けをしてしまうことになるという自覚を持つことが必要なのです。この問題についてはまたすぐに取り上げることになります。

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「手段は問わず?」(2015/1/29)

2015-01-29 10:00:06 | 日記
きょうは2015/1/29(木)です。

「手段は問わず?」(2015/1/29)

「人質を 全力挙げて 救い出す そのためならば 手段は問わず?」-。

 イスラム過激派組織「イスラム国」によると見られる日本人人質事件の波紋が広がっています(→参考:2015/1/28付、2015/1/27付、2015/1/26付、2015/1/25付、2015/1/24付、2015/1/23付、2015/1/22付、2015/1/21付)。そして1/24深夜には拘束された日本人2人のうち殺害したとする1人の写真を別の1人に持たせた上でヨルダンで連続爆弾テロ事件の実行犯として収監中のイラク人の死刑囚の女の解放を身代金の代わりに新たに要求する内容の英語の音声と画像がインターネット上に公開されて大きな波紋が広がりました。

 さらに1/27深夜(23:00頃、日本時間)に「イスラム国」が拘束したとされる後藤健二氏と見られる男性が「イスラム国」への空爆に参加して拘束されたヨルダン人パイロットと見られる男性の画像を持たされた画像と、連続爆弾テロ事件の実行犯としてヨルダンで収監中のサジダ・リシャウィ死刑囚(イラク人の女)と後藤氏との「交換」が24時間以内に実現しなければまずヨルダン人パイロット、そして後藤氏が殺害されるなどという内容の英語の音声がインターネット上に公開されました。そして1/28深夜にヨルダン当局がヨルダン人パイロットが無事に解放された場合には死刑囚の女を釈放する用意があるなどという方針を示しました。さらに1/29朝には1/29の日没(→日本時間の1/29深夜か)までに死刑囚の女を後藤氏と引き換えのためにシリアとトルコの国境に連れてこなければヨルダン人パイロットを処刑するなどという後藤氏と思われる英語の新たな音声がインターネット上に公開されたなどと伝えられています。くどいようですが、様々な情報には精査が必要であるということを繰り返し強調しておくことにします。

 当たり前と言えば当たり前の話ですが、「イスラム国」に拘束されたと見られる日本人の救出を求める声が日本国内を中心に高まっています。何度も繰り返していますが、日本政府は拘束された日本人を救出するために全力を尽くさなければならないのです。自由な民主主義国家である日本国が自らの国民の生命などを守ろうとすることは当然です。しかし、「人質交換」には、主権国家による凶悪犯罪を犯した人間たちに対する司法的制裁の正当性を主権国家自らが否定してしまう意味があります。また「人質交換」には、逮捕・起訴して司法的制裁を受けさせようとしているそれぞれの犯罪を犯した人間たちを再び凶悪な犯罪を犯す危険性が高い状態で野放しにするという弊害もあるのです。言うまでもなく主権国家には凶悪な犯罪をなくそうとする義務もあるはずなのです。主権国家が人質を全力挙げて救い出そうとする場合には手段は問われないということにはならないはずなのです。何にしても「人質交換」には黙って見過ごすことができない大きな問題点がいくつもあるということだけはあえて指摘しておくことにします。

 あくまでも念のために言っておきますが、「身代金の支払い」と「人質交換」以外にも人質を救い出す手段はあるはずです。もしも人質事件が日本国内で発生した場合には、日本の警察には、容疑者グループとの「交渉」だけではなく、人質救出作戦などを実行するなどという「選択肢」もあるはずです。もちろん国際社会には日本政府に代わってそれぞれの領域の中で人質救出のために実力を行使してくれるかもしれない主権国家は多く存在しています。しかし、国際社会には破たん国家などと呼ばれる主権国家の統治が及ばない「無法地帯」がまだまだ多く残されているのです。この機会にこれからの日本国がグローバリゼーションが進展する中で日本国民の生命などをどのように守っていくのかということについて議論を始めたいものです。

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「劇場型犯罪?」(2015/1/28)

2015-01-28 10:03:36 | 日記
きょうは2015/1/28(水)です。

「劇場型犯罪?」(2015/1/28)

「最悪の 劇場型の 犯罪を 手助けしてる 自覚が欲しい!」-。

 イスラム過激派組織「イスラム国」の構成員と見られる黒の衣服を着てナイフを持った男がオレンジ色の衣服を着せられた日本人男性と見られる2人の人質の後ろに立って72時間以内に身代金を支払わなければ拘束している2人を殺害するなどと脅迫している映像が1/20にインターネット上で公開された波紋が広がっています(→参考:2015/1/27付、2015/1/26付、2015/1/25付、2015/1/24付、2015/1/23付、2015/1/22付、2015/1/21付)。そして1/24深夜には拘束された日本人2人のうち殺害したとする1人の写真を別の1人に持たせた上でヨルダンで連続爆弾テロ事件の実行犯として収監中のイラク人の死刑囚の女の解放を身代金の代わりに新たに要求する内容の英語の音声と画像がインターネット上に公開されて大きな波紋が広がりました。

 さらに1/27深夜(23:00頃、日本時間)に「イスラム国」に拘束されたとされる後藤健二氏と見られる男性の画像と英語の音声が再びインターネット上で公開されて波紋が大きくなっています。画像の中で後藤氏と見られる男性は「イスラム国」への空爆に参加して拘束されたヨルダン人パイロットと見られる男性の画像を持たされており、そして連続爆弾テロ事件の実行犯としてヨルダンで収監中のサジダ・リシャウィ死刑囚と後藤氏との「交換」が24時間以内に実現しなければまずヨルダン人パイロット、そして後藤氏が殺害されるなどという内容の英語の音声が付けられています。くどいようですが、一連の情報には精査が必要であるということを繰り返し強調しておくことにします。

 どうやら今回の「イスラム国」による人質事件はいわゆる「劇場型犯罪」になっているようです。問題の英語の音声で何度か出てきた「政府に圧力をかけろ」などという言葉の持つ意味を一歩踏み込んでじっくりと考えてみる必要があるということをあえて強調しておくことにします。いわゆる「劇場型犯罪」の定義というものは定かではありません。しかし、「劇場型犯罪」には、事件の容疑者側が人質解放の「期限」を設定したり、インターネットやメディアを最大限に利用したりすることを通じて、事件の被害者や当事者だけではなく、事件と直接的な関係のない不特定多数の第三者までをも「観客」として巻き込んでいくことによって、容疑者側の要求が実現する可能性と被害者側の被害の程度が共に大きくなっていくという特徴があることだけは確かです。私は、今回の「イスラム国」による人質事件では、「観客」の数をできるだけ増やさないようにすること、そして「観客」の影響力をできるだけ大きくしないようにすることが非常に重要であると考えています。多くの人たちが自分自身の何気ない言動が最低最悪の「劇場型犯罪」の手助けをしてしまうことになるという自覚を持つことが必要なのです。

 くどいようですが、日本政府は拘束された日本人を救出するために全力を尽くさなければならないのは確かです。自由な民主主義国家である日本国が自らの国民の生命などを守ろうとすることは当然です。しかし、「人質交換」には、主権国家の司法による制裁の正当性を主権国家自らが否定してしまうような意味がありますし、逮捕・起訴して司法的制裁を受けさせようとしているそれぞれの犯罪を犯した人間たちを再び凶悪な犯罪を犯す危険性が高い状態で野放しにすることになるというあまりにも大きな弊害があるということだけは絶対に忘れてはならないのです。この問題についてはまたすぐに取り上げることにします。

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「人質交換?」(2015/1/27)

2015-01-27 07:11:31 | 日記
きょうは2015/1/27(火)です。

「人質交換?」(2015/1/27)

「人質を 交換すると いうことは 低いレベルに 堕ちる危険も」-。

 イスラム過激派組織「イスラム国」の構成員と見られる黒の衣服を着てナイフを持った男がオレンジ色の衣服を着せられた日本人男性と見られる2人の人質の後ろに立って72時間以内に身代金を支払わなければ拘束している2人を殺害するなどと脅迫している映像が1/20にインターネット上で公開された波紋が広がっています(→参考:2015/1/26付、2015/1/25付、2015/1/24付、2015/1/23付、2015/1/22付、2015/1/21付)。そして1/24深夜になって拘束された日本人2人のうち殺害したとする1人の写真を別の1人に持たせた上でヨルダンで連続爆弾テロ事件の実行犯として身柄を拘束されて死刑囚として収監中のイラク人の女の解放を身代金の代わりに新たに要求するなどの内容の英語の音声などがインターネット上に公開されてさらに波紋が広がっています。

 繰り返しになりますが、そもそもインターネット上に映像を公開した人間たちが本当に今現在も日本人を拘束しているのでしょうか? そして拘束された日本人は今現在も間違いなく無事なのでしょうか? インターネット上で公開された画像の中の画像は本当に日本人の遺体などなのでしょうか? 万一そうであったとしても画像はいつ撮影されたものなのでしょうか? これまでにインターネット上に公開された映像には撮影された「場所」はもちろん撮影された「日時」を示す情報も含まれていなかったはずです。もしも間違いなく「本人」だと確認することができる情報と共に「場所」や「日時」を示す情報が含まれていたとしても、編集作業などによって「ねつ造」された形跡が残っていないかどうかを徹底的に検証する必要があるはずです。この事件では様々な「未確認情報」が精査をされないままに独り歩きする傾向があります。もしもこれまでの「未確認情報」の一部または全部が事実ではなかったとしたら前提が崩れて人質解放のために積み重ねてきた様々な努力の一部または全部が無駄になる危険性もあるはずです。これまでに何度も繰り返し流されている情報についても改めて精査をしてみる必要があると私は思います。

 当たり前すぎるくらい当たり前のことですが、仮に「交渉」をするというのならば「日本人の安否を確実に確認することができる状態」で「今現在実際に日本人を拘束している人間たち」との間で「交渉」をしなければ全く意味はなくなるはずなのです。繰り返しになりますが、私は、拘束されたと見られる日本人の「安否」を確認すると同時にその身体の安全の確保を図るためにも、日本政府は「拘束されていると見られる日本人の身体の安全が確認されている状態でなければいかなる交渉にも応じない」などという声明を大至急発するべきであると考えています。そしてくどいようですが、日本政府は拘束された日本人を救出するために全力を尽くさなければならないのです。自由な民主主義国家である日本国は国民の生命などを守ろうとするべきなのです。

 その上で、あえて言えば、「人質交換」によって拘束された日本人の解放を目指すということは、主権国家の政府である日本政府が卑劣なテロを行う相手側と同じ低いレベルに堕落してしまう危険性があるということにも十分な注意が必要になります。1977年の日本赤軍による日航機ハイジャック事件(→いわゆる「ダッカ事件」)で日本政府が「超法規的措置」によって600万ドルの身代金を支払うと共に日本で拘留・服役中だった6人を釈放した歴史的事実を思い出してしまうという人たちも少なくはないと思います。「人質交換」には、主権国家の司法による制裁の正当性を主権国家自らが否定してしまうような意味があると同時に、せっかく逮捕・起訴して司法的制裁を受けさせようとしているそれぞれの犯罪を犯した人間たちを再び凶悪な犯罪を犯す危険性が高い状態で野放しにしてしまうというあまりにも大きな負の効果もあるということだけは絶対に忘れてはならないのです。きょうのところはこの程度にとどめてこの問題についてはまたすぐに取り上げることにします。

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「情報の精査」(2015/1/26)

2015-01-26 06:54:02 | 日記
きょうは2015/1/26(月)です。

「情報の精査」(2015/1/26)

「情報の 精査はなぜか 後回し! 前提崩れ すべてが無駄に?」-。

 イスラム過激派組織「イスラム国」の構成員と見られる黒の衣服を着てナイフを持った男がオレンジ色の衣服を着せられた日本人男性と見られる2人の人質の後ろに立って72時間以内に身代金を支払わなければ拘束している2人を殺害するなどと脅迫している映像が1/20にインターネット上で公開された波紋が広がっています(→参考:2015/1/25付、2015/1/24付、2015/1/23付、2015/1/22付、2015/1/21付)。そして1/24深夜になって拘束された日本人2人のうち殺害したとする1人の写真を別の1人に持たせた上でヨルダンで連続爆弾テロ事件の実行犯として収監中の死刑囚のイラク人の女の解放を身代金の代わりに新たに要求するなどの内容の英語の音声などがインターネット上に公開されてさらに波紋が広がっています。

 あくまでも念のために言っておきますが、重要な情報ほど十分に精査する必要があるのです。この事件では精査されないままに様々な「未確認情報」が独り歩きする傾向があります。もしもこれまでの「未確認情報」の一部または全部が事実ではなかったとしたら前提が崩れて人質解放のために積み重ねてきた様々な努力の一部または全部が無駄になる危険性もあるはずです。これまでに何度も繰り返し流されている情報についても改めて精査をしてみる必要があると私は思います。

 そもそもインターネット上に映像を公開した人間たちが本当に今現在も日本人を拘束しているのでしょうか? そして拘束された日本人は今現在も間違いなく無事なのでしょうか? これまでにインターネット上に公開された映像には撮影された「場所」はもちろん撮影された「日時」を示す情報も含まれていなかったはずです。もしも間違いなく「本人」だと確認することができる情報と共に「場所」や「日時」を示す情報が含まれていたとしても、編集作業などによって「ねつ造」された形跡が残っていないかどうかを徹底的に検証する必要があるはずです。当たり前すぎるくらい当たり前のことですが、仮に「交渉」をするというのならば「日本人の安否を確実に確認することができる状態」で「今現在実際に日本人を拘束している人間たち」との間で「交渉」をしなければ全く意味はなくなるはずなのです。繰り返しになりますが、私は、拘束されたと見られる日本人の「安否」を確認すると同時にその身体の安全の確保を図るためにも、日本政府は「拘束されていると見られる日本人の身体の安全が確認されている状態でなければいかなる交渉にも応じない」などという声明を大至急発するべきであると考えています。あえて繰り返しますが、重要な情報ほど十分に精査をする必要があるのです。

 ちなみにきょう1/26に第189通常国会が召集されます(→会期は6/24までの150日間)。もしもきょうというタイミングで安倍晋三首相の所信表明演説が省略されずに行われていたとしたら国際社会の中における日本国の存在感はずいぶん違ったかもしれないと思います。きょうのところはあえてそれ以上のコメントはしないことにしておきます。

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「交渉?」(2015/1/25)

2015-01-25 02:01:09 | 日記
きょうは2015/1/25(日)です。

「交渉?」(2015/1/25)

「『交渉』を する相手とは 誰なのか? 安否不明で 『交渉』できる?」-。

 イスラム過激派組織「イスラム国」の構成員と見られる黒の衣服を着てナイフを持った男がオレンジ色の衣服を着せられた日本人男性と見られる2人の人質の後ろに立って72時間以内に身代金を支払わなければ拘束している2人を殺害するなどと脅迫している映像が1/20にインターネット上に公開された波紋が広がっています(→参考:2015/1/23付、2015/1/22付、2015/1/21付)。そして日本政府が受け止めていた「期限」(1/23,14:50頃)が経過した後も事態には大きな変化は見られない状態が続いています。

 この事件については様々な人たちが様々な見方や様々な主張を展開しています。しかし、残念なことですが、この事件の「核心部分」が明らかになっていないためにどの見方や主張にも十分な説得力が生まれていないのです。言うまでもなくこの事件の「核心部分」とは拘束されたと見られる日本人2人の「安否」です。当たり前と言えば当たり前の話ですが、この日本人2人の「安否」が確認することができなければ事実上一歩も前に進むことはできなくなるのです。そのことを改めてしっかりと確認しておく必要があります。

 多くの人たちが拘束された日本人2人の解放のための「交渉」を求める主張を展開しています。確かに「正論」だとは思います。しかし、批判を覚悟の上であえて言わせてもらうのならば、日本人2人の「安否」が不明な状況でいったい誰と何を「交渉」しろというのでしょうか? そもそもインターネット上に映像を公開した人間たちが本当に今現在も日本人2人を拘束しているのでしょうか? そして今現在も日本人2人は間違いなく無事なのでしょうか? これは当たり前すぎるくらい当たり前のことですが、仮に「交渉」をするというのならば「日本人2人の安否を確実に確認することができる状態」で「今現在実際に日本人2人を拘束している人間たち」との間で「交渉」しなければ全く意味はなくなるはずなのです。

 1/24深夜に拘束された日本人1人が殺害されたなどという「未確認情報」がインターネット上に流れました。私は、拘束されたと見られる日本人2人の「安否」を確認すると同時にその身体の安全の確保を図るためにも、日本政府は「拘束されていると見られる日本人2人の身体の安全が確認されている状態でなければいかなる交渉にも応じない」などという声明を大至急出すべきだと考えます。いずれにしても日本政府は拘束されたと見られる日本人2人の「安否」を最優先で確認しなければならないはずです。この問題についてはまたすぐに取り上げることにします。

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「『期限』より 『安否』」(2015/1/24)

2015-01-24 13:41:13 | 日記
きょうは2015/1/24(土)です。

「『期限』より 『安否』」(2015/1/24)

「『期限』より 『安否』の方が 気になるが… テロリストらに 振り回される?」-。

 イスラム過激派組織「イスラム国」の構成員と見られる黒の衣服を着てナイフを持った男がオレンジ色の衣服を着せられた日本人男性と見られる2人の人質の後ろに立って72時間以内に身代金を支払わなければ拘束している2人を殺害するなどと脅迫している映像が1/20にインターネット上に公開された波紋が広がっています(→参考:2015/1/23付、2015/1/22付、2015/1/21付)。そして日本政府が受け止めていた「期限」(1/23,14:50頃)が経過しても事態には大きな動きが見られないなどと伝えられています。

 当たり前すぎるくらい当たり前のことを確認しておくと、「期限」よりも人質の「安否」の方がはるかに重要のはずです。日本のマスコミはあまりにも「期限」を意識しすぎているように感じています。確かに人質事件では「期限」はとても重要になります。しかし、それでもやはり、人質の「安否」の方がはるかに重要のはずです。人質の身体の安全が最大の関心事になるべきなのです。こんな状態では結果的に日本中の多くの人たちがテロリストらに簡単に振り回されてしまうことになります。

 唐突かつ一方的に「期限」を設定する。そうすると「期限は残りわずか」などと大騒ぎを始める。そしてその「期限」が経過してもあえて沈黙を守る。すると今度は「期限」は経過したのに動きがないなどと大騒ぎを始める。そこで騒ぎが収まってきた頃を見計らって、今度は例えば「期限」を延長するなどという「声明」を一方的に出せば「延長された期限まで残りわずか」などとまたまた大騒ぎを始めるが、やはり肝心な人質の「安否」は不明な状態は続く…。どうやらそんな悪夢が現実のものになる危険性が高まっているようです。あえて繰り返しますが、こんな状態では結果的に日本中の多くの人たちがテロリストらに簡単に振り回されてしまうことになります。

 くどいようですが、今回の事件は完全な「自己責任」の問題であると私は受け止めています。しかし、それでもやはり、日本国の政府は「被害者」である2人の日本人を救出するために全力を尽くさなければならないのです。自由な民主主義国家である日本国は国民の生命などを守ろうとするべきなのです。「国家」であるのならば、その「国民」の生命などを守ろうとするのは当たり前すぎるくらい当たり前のことなのです。逆の言い方をすれば「国民」の生命などを守ろうともしないような「国」は「国家」ではないと言うことができるのです。きょうもそのことをあえて繰り返してこの問題についてはまたすぐに取り上げることにします。

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「すべての国は…」(2015/1/23)

2015-01-23 07:03:08 | 日記
きょうは2015/1/23(金)です。

「すべての国は…」(2015/1/23)

「国民の 生命などを 守ろうと すべての国は せざるを得ない!」-。

 イスラム過激派組織「イスラム国」の構成員と見られる黒の衣服を着てナイフを持った男がオレンジ色の衣服を着せられた日本人男性と見られる2人の人質の後ろに立って72時間以内に身代金を支払わなければ拘束している2人を殺害するなどと脅迫している映像が1/20にインターネット上に公開された波紋が広がっています(→参考:2015/1/22付、2015/1/21付)。やはり現時点でも人質の安否などを含めた正確かつ詳細な情報はまだ十分に得られていないと思います。ですからきょうも事件の詳細にはあえて踏み込まずに事件の持つ意味についてもう少しだけ考えてみることにしたいと思います。

 繰り返しになりますが、今回の事件は完全な「自己責任」の問題であると私は受け止めています。人質になった日本人が「何が起こっても責任は自分自身にある」などと考えていたとしてもいなかったとしても、今回の事件は完全な「自己責任」の問題であると私は考えています。それぞれの個人が自由な意思で判断して行動した結果として生じたことは完全な「自己責任」の問題であり、それぞれの人たち自身に責任があるということには疑問の余地は全くないと考えています。しかし、いくら「自己責任」の問題だからと言っても「被害者」は「被害者」のまま少しも変わらないということには注意が必要になります。そしていくら「自己責任」の問題だからと言っても「被害者」が「被害者になっても当たり前」などということには断じてならないということもあえて強調しておくことにします。

 さらに念のために言っておくのならば、いくら「自己責任」の問題だからと言っても「被害者」に「落ち度」があるなどと批判することが正当化されるわけではないということにも注意が必要になります。言うまでもなくたとえ「被害者」に何らかの「落ち度」などがあったとしても「被害者」は「被害者」のまま少しも変わることはないのです。もちろんたとえ「被害者」に何らかの「落ち度」などがあったとしても「加害者」は「加害者」のまま少しも変わりませんし、「加害者」の犯した罪の重さも基本的には変わらないのです。そのことは「性犯罪」のような卑劣な犯罪の被害者の場合と少しも変わることはないのです。

 くどいようですが、今回の事件は完全な「自己責任」の問題であると私は受け止めています。しかし、それでもやはり、日本国は「被害者」である2人の日本人を救出するために全力を尽くさなければならないのです。すべての国は国民の生命などを守ろうとするべきなのです。「国家」であるのならば、その「国民」の生命などを守ろうとするのは当たり前すぎるくらい当たり前のことなのです。逆の言い方をすれば「国民」の生命などを守ろうともしないような「国」は「国家」ではないと言うことができるのです。ですから正真正銘の「国家」である日本国の政府には日本国民の生命などを守る責任があるのです。いくら疑問の余地がないほど完全な「自己責任」の問題であったとしても、日本国の政府には日本国民の生命などを守る責任があるということには少しも変わりはないのです。きょうもそのことを繰り返し強調しておくことにします。この問題についてはすぐにまた取り上げることになります。

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「被害者と加害者」(2015/1/22)

2015-01-22 09:00:30 | 日記
きょうは2015/1/22(木)です。

「被害者と加害者」(2015/1/22)

「『被害者』と 『加害者』だけは 変わらない! 『自己責任』の 問題だけど…」-。

 イスラム過激派組織「イスラム国」の構成員と見られる黒の衣服を着てナイフを持った男がオレンジ色の衣服を着せられた日本人男性と見られる2人の人質の後ろに立って72時間以内に身代金を支払わなければ拘束している2人を殺害するなどと脅迫している映像が1/20にインターネット上に公開された波紋が広がっています(→参考:2015/1/21付)。中東歴訪中だった安倍晋三首相は当初の予定を約1時間早めてきのう1/21夕に帰国して事件の対応に追われています。

 今回の事件では様々な人たちが様々な見方や主張を示しています。しかし、現時点でも人質の安否などを含めた正確かつ詳細な情報はまだ十分に得られていないと思います。ですから今回の事件の持つ意味について事件の詳細にはあえて踏み込まずに少しだけ考えてみることにしたいと思います。批判を覚悟の上であえて言わせてもらうのならば、今回の事件は完全な「自己責任」の問題であると私は考えています。もちろん人質になったと見られる日本人2人が「被害者」であるということは確かなことです。大切なことなのであえてもう一度繰り返しておきますが、人質になったと見られる日本人2人は「被害者」なのです。そして「加害者」は「イスラム国」なのです。何にしても事件の被害者と加害者が誰なのかということだけは絶対に見失ってはならないということを強調しておくことにします。

 しかし、それでもやはり、今回の事件は完全な「自己責任」の問題であると私は受け止めています。人質になった日本人が「何が起こっても責任は自分自身にある」などと考えていたとしてもいなかったとしても、今回の事件は完全な「自己責任」の問題であると私は考えています。それぞれの個人が自由な意思で判断して行動した結果として生じたことは完全な「自己責任」の問題であってそれぞれの人たち自身に責任があるということには疑問の余地はないと私は考えています。しかし、いくら「自己責任」の問題だからと言っても「被害者」は「被害者」のまま少しも変わらないということには注意が必要になります。そしていくら「自己責任」の問題だからと言っても「被害者」が「被害者になっても当たり前」などということには断じてならないということもあえて強調しておくことにします。

 くどいようですが、今回の事件は完全な「自己責任」の問題であると私は受け止めています。しかし、それでもやはり、日本国は「被害者」である2人の日本人を救い出すために全力を尽くさなければならないのです。当たり前すぎるくらい当たり前のことですが、日本国の政府には日本国民の生命などを守る責任があるのです。いくら完全な「自己責任」の問題であったとしても、日本国の政府には日本国民の生命などを守る責任があるということには少しも変わりはないのです。あえて今の時点でそのことを繰り返し強調しておくことにします。

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「他人事でない!」(2015/1/21)

2015-01-21 12:09:33 | 日記
きょうは2015/1/21(水)です。

「他人事でない!」(2015/1/21)

「『屈服』も 『見て見ぬふり』も 許されず! 卑劣なテロは 他人事でない!」-。

 イスラム過激派組織「イスラム国」の構成員と見られる黒の衣服を着てナイフを持った男がオレンジ色の衣服を着せられて跪かされた日本人男性と見られる2人の人質の後ろに立って72時間以内に身代金を支払わなければ拘束している日本人2人を殺害するなどと脅迫している映像が1/20にインターネット上に公開された波紋が広がっています。これを受けて中東訪問中の安倍晋三首相は1/20にイスラエル・エルサレムのホテルで記者会見して許し難いテロ行為と非難した上で人質を直ちに解放するように求めました。現時点では事件についての詳細かつ正確な情報は十分に得られていないと思います。ですから基本的な事実関係を記すだけにとどめておきます。

 繰り返しになりますが(→参考:2015/1/10付etc.)、確かに「命こそ宝」「一人の生命は地球よりも重い」などという言葉は間違いではないと思います。もちろん人間の生命は大切です。しかし、だからと言って人質を取るような卑劣な相手に屈服して要求を受け入れてでも人質の生命を守ろうとすることが正しい判断になるというわけではないのです。そもそも自分たちの目的達成のために他人の生命を簡単に奪ったり人質を取ったりする卑劣な相手の場合にはこちらが卑劣な相手に屈服して要求を受け入れれば約束通りに人質を解放するとは限らないのです。さらに言えば、もしも卑劣な相手に屈服して要求に応じた結果として人質が解放されたとしても、そうした卑劣な相手を野放しにしている限り、また別の場所でまた別の人質を取ったりさらに多くの人たちの生命を奪ったりする危険性はさらに高まるのです。今ここにいるだけではない「地球よりも重い生命」を守るために「卑劣なテロ」を行うような「人類共通の敵」を断じて見過ごしたり許したりするわけにはいかないのです。そのことを改めて確認しておくことにします。

 あくまでも念のために強調しておきますが、今回の人質事件の前から日本は国際社会と共に既に「卑劣なテロ」に巻き込まれていると考えるべきなのです(→参考:2015/1/8付etc.)。日本には「触らぬ神に祟りなし」などという言葉がありますが、どんなに少なくとも暴力や不当な圧力によって様々な自由を圧殺しようとする動きへの対処を考える場合には絶対に当てはまらないということに注意が必要になります。もしかすると日本社会の中では「触らぬ神に祟りなし」などというその場しのぎの発想がまだそれなりに通用する場所が残っているのかもしれません。しかし、国際社会の中で中長期的に物事を考えていく場合には「触らぬ神に祟りなし」などというその場しのぎの発想はあまりにも愚かな発想になるのです。

 私は「卑劣なテロ」に屈服して要求に応じるようなことだけではなく、実は「巻き込まれるな」などと叫んで相次ぐ「卑劣なテロ」を見て見ぬふりをするようなことも「卑劣なテロ」に屈服することになると考えています。多少の誤解を恐れずにあえて身近な事例に置き換えて説明することにするのならば、たとえ自分たちが直接いじめるようなことはしなかったとしても、自分たちが新しくいじめの対象にされることを恐れて他人がいじめられている状況を黙って見過ごすということになるのならば、そういう人たちもいじめに参加しているのとほとんど同じだと見なされることになると思います。くどいようですが、様々な自由が保障された平和で豊かな民主主義社会である日本は「卑劣なテロ」にもう既に巻き込まれているのです。日本国と日本国民は同じ地球上で起こっている様々な「卑劣なテロ」を決して他人事として捉えることはできないのです。そのことを繰り返し強調しておくことにします。

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「『ちょび髭』と『裸の王様』」(2015/1/20)

2015-01-20 08:31:04 | 日記
きょうは2015/1/20(火)です。

「『ちょび髭』と『裸の王様』」(2015/1/20)

「『ちょび髭』を 付ければ みんなヒトラーか? 『裸の王』も 首相に見える?」-。

 安倍晋三首相はイスラエルを訪問中です(→1/16-21の日程でエジプト、ヨルダン、イスラエル、パレスチナ暫定自治区を訪問)。きょうは日本の政治とは直接的な関係のないことについてあえて考えてみることにしたいと思います。「自由で民主的な社会とは何か」「表現の自由とは何か」という漠然としたことをあえてもう少し考えてみることにします。あまりにも重要なことなので繰り返しておきますが、自由で民主的な社会においては「頭の中」(=「私」)と「頭の外」(=「公」)では許される自由が完全に違っているのです(→参考:2015/1/16付、2013/10/8付etc.)。そのことを改めて確認しておく必要があります。

 繰り返しになりますが、自由で民主的な社会においては、それぞれの個人の「頭の中」(=「私」)には完全かつ無制限な自由が認められているのです。あえて言い換えれば、それぞれの個人は自分自身の「頭の中」では「想像の翼」を自由に広げてどんなことでも自由に言ったりやったりすることができるのです。たとえどこの誰であったとしても、自分自身の「頭の中」では、例えば、地球上のすべての国を征服して地球の王になることもできるし、憧れの俳優を毎日日替わりで配偶者にすることもできるし、「この世にはカネで買えないものは何もない」などと叫びながら地球上のすべてのものを買い占める大富豪になるようなこともできるわけです。さらに言えば、たとえどこの誰であったとしても、自分自身の「頭の中」でならば気に入らない相手をどれだけ口汚く罵っても、憎むべき敵を何度八つ裂きにしたとしても、誰からも処罰されることは決してないのです。自由で民主的な社会においては、たとえどこの誰であったとしても、たとえどんなに不埒なことであったとしても、それぞれの個人の「頭の中」(=「私」)では許されるということには注意が必要になります。

 日本のような自由で民主的な社会ではどこの誰であっても別の誰かが「ちょび髭」を付けているのを思い浮かべることは自由にできるのです。また日本のような自由で民主的な社会ではどこかの誰かが「ちょび髭」を付けているのを見て誰かや何かを連想することも自由にできるのです。言うまでもなく自由で民主的な社会においては「頭の中」(=「私」)のことを「頭の外」(=「公」)に出そうとする場合には一度立ち止まってじっくりと考えてみる必要があるのです。しかし、それでもやはり、日本のような自由で民主的な社会では、髪型を変えて「ちょび髭」を付けたどこかの内閣総理大臣とそっくりな画像を公衆の面前で掲げてもそれだけでは逮捕されることはありませんし、どこかの内閣総理大臣にそっくりな「裸の王様」を人通りの多い意外な場所で見かけることもあったりするのです。そして日本のような自由で民主的な社会では、髪型を変えて「ちょび髭」を付けたどこかの内閣総理大臣とそっくりな画像を見てヒトラーを思い浮かべても、「裸の王様」を見てどこかの内閣総理大臣を思い浮かべたとしても、それだけでは絶対に処罰されることはないのです。

 あくまでも念のために確認しておきますが、髪型を変えて「ちょび髭」を付ければみんなヒトラーに見えるのでしょうか? 「裸の王様」を見ると必ずどこかの内閣総理大臣とそっくりに見えるのでしょうか? いずれにしても日本のような自由で民主的な社会では「ピースとハイライト」であったとしても「ちょび髭と裸の王様」であったとしても見る人たちが自由に「想像の翼」を広げることができるのです。なんと素晴らしいことだろうと私は心から思います。きょうのところはこれ以上の深入りは避けてこの問題はまた取り上げることにします。

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「支えるか?」(2015/1/19)

2015-01-19 07:48:27 | 日記
きょうは2015/1/19(月)です。

「支えるか?」(2015/1/19)

「代表を 責任持って 支えるか? またすぐ足を 引っ張り出すか?」-。

 きのう1/18に民主党代表選の投開票が行われて決選投票の末に岡田克也氏が新代表に選ばれました(→党員・サポーター、地方議員、国会議員らが投票した1回目の投票で細野豪志氏が298ポイントで1位、岡田氏が294ポイントで2位、長妻昭氏は168ポイントで3位となって1位、2位による決選投票に。そして国会議員らによる決選投票で岡田氏は133ポイントを獲得して細野氏の120ポイントを上回って当選(→両者の差は国会議員ら6票分に相当))。

 どうやら既存のマスコミでは民主党代表選に対する注目度はそれなりに高かったようです。しかし、ごく普通の多くの日本国民の民主党代表選に対する注目度は今一つだったようです。なぜごく普通の多くの国民の注目度は高まらなかったのでしょうか? 岡田新代表と民主党はごく普通の多くの国民が民主党代表選に強い関心を示さなかったという現実をまずしっかりと受け止めた上で今の民主党に欠けているものを少しずつ付け加えながら新しい民主党をつくっていかなければならないのです。大切なことなのであえて繰り返しますが、ごく普通の多くの国民はなぜ今回の民主党代表選に強い関心を示さなかったのでしょうか? 岡田新代表と民主党はまずはこの問いに対する説得力のある解答を示さなければならないのです。

 ごく普通の多くの国民が民主党代表選に強い関心を示さなかった最大の原因の一つは、民主党の人間たちが自分たちが責任を持って選んだはずの代表の足をまたすぐに引っ張り出すようになるということを見透かしているからではないかと思います。これは当たり前すぎるくらい当たり前の話ですが、いくら自分は岡田氏ではない別の候補者に投票したなどと言い張ったとしても代表の足を引っ張っていい理由になるわけがないのです。これまでの民主党では無視できない数のあまりにも多くの人間たちが「組織人」としての行動や責任を軽視した無責任な行動を繰り返してきたのです。民主党を新しく生まれ変わらせるためには自分たちが選んだ代表を責任を持って支えるという「常識」を党内に徹底させなければならないのです。民主党の人間たちは本当に無責任な体質から脱皮して新しく生まれ変わることができるのでしょうか? 残念ながらそれはまだ未知数なのです。

 ごく普通の多くの国民が民主党代表選に強い関心を示さなかったもう一つの大きな原因は、今回の民主党代表選では新しい民主党をつくり出すために絶対に避けて通ることができない「野党再編」のような重要な「争点」を曖昧にして一歩踏み込んだ議論を避けたからではないかと思います。繰り返しになりますが、民主党が本当に「野党再編」を否定的に捉える自主再建路線で一致結束していくことができるのかどうかについても未知数なのです(→参考:2015/1/18付、2015/1/9付etc.)。その上であえて付け加えるのならば、実はこの「野党再編」に対する民主党内の考え方の違いは、新しい代表を責任を持って支えることができるのかという問題と表裏一体の関係にあると考えることができるのです。「野党再編」の対象とされる人間たちの中にはかつて当時の代表の足を強く引っ張った上で最終的には民主党から脱走していった人間たちがかなり多く含まれているということには十分な注意が必要になります。この問題についてはそう遠くないうちにまた取り上げることになります。

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「今一つ」(2015/1/18)

2015-01-18 10:49:04 | 日記
きょうは2015/1/18(日)です。

「今一つ」(2015/1/18)

「世界での 存在感は 今一つ! 努力はしても 評価が低い?」-。

 ベルギーで大規模なテロを計画していたイスラム過激派の拠点が1/15に当局に急襲・摘発されたなどと伝えられています。欧州では現実的なテロの脅威が高まっています(→参考:2015/1/14付、2015/1/11付、2015/1/10付、2015/1/8付)。あくまでも念のために強調しておきますが、日本は決して他人事として捉えることはできないのです。グローバリゼーションが進んだ現代ではテロの脅威はあっと言う間に国境を越えて広がっていくということには注意が必要になります。このグローバリゼーションの時代に日本国からテロの脅威を本気で取り除こうとするのならば地球上からテロリストの温床を一掃することが必要不可欠なのです。

 安倍晋三首相は中東を訪問中です(→1/16-21の日程でエジプト、ヨルダン、イスラエル、パレスチナ暫定自治区を訪問予定)。今回の安倍首相の中東歴訪にはもちろん大きな意味はあると思います。そして中東にはあの悪名高き「イスラム国」があるわけですから中東での日本の様々な支援は様々な形でテロ対策に繋がっていることは確かだと思います。言うまでもなくテロの撲滅を本気で考えるのならばテロ撲滅に向けた地道な努力の積み重ねが大切なのです。

 その上で、あえて言えば、日本国の内閣総理大臣には、最近さらに現実的な脅威が高まっているテロに対抗する国際的な取り組みの中でもっともっと大きな存在感を示してもらいたいものだと私は思っています。日本は十分な努力をしていても国際社会からの評価が低いだけなのでしょうか? 国際社会の中での日本国の内閣総理大臣の存在感と発信力が今一つである現状に不満を持っている人たちは少なくないはずです。きょうのところは日本国の内閣総理大臣の存在感と発信力が今一つであるということを指摘しておくだけにとどめておきます。

 ちなみにきょう1/18に民主党の新しい代表が決まるそうです。日本国民の民主党代表選に対する注目度が今一つだったことについてもやはり一言触れておくことにします。民主党代表選の注目度が今一つだったのはなぜなのでしょうか? それは新しい民主党をつくり出すためには絶対に避けて通ることができない重要な「争点」を曖昧にして一歩踏み込んで議論することを避けたからではないかと私は受け止めています。残念ながらこれからの民主党が野党再編を否定的に捉える自主再建路線で本当に一致結束していくことができるのかどうかについては未知数だと言わざるを得ない状態なのです(→参考l2015/1/9付etc.)。この問題についてはまたすぐに取り上げることになります。

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「『あの日』から…」(2015/1/17)

2015-01-17 10:21:18 | 日記
きょうは2015/1/17(土)です。

「『あの日』から…」(2015/1/17)

「『あの日』から 月日は流れ 20年 『記憶』を持たぬ 世代が増える!」-。

 きょう1/17で6434人が死亡した阪神・淡路大震災から20年になります。私にとって1995年は様々な意味で忘れられない1年になりました。あれからもう20年になるわけです。

 ほぼ徹夜明けで睡魔と闘っていた「あの日」。深夜なのか早朝なのか微妙な時間帯に自宅に戻ってきてできるだけ物音をたてないように入浴した「あの日」。今寝てしまったらもうお終いだと思ってとにかくベッドに近づかないようにしてコーヒーを飲みながら必死に頑張っていた「あの日」。最初に地震のニュースを知ったのはラジオでした。どうも関西地方で大きな地震があったらしい…。でも、詳しいことは分かりませんでした。とりあえずテレビも付けてみました。それでもやはり詳しいことは分かりませんでした。そして激しい睡魔が襲ってきて何度も意識を失いそうになりながらもテレビの前から何時間も離れることができなかった「あの日」。次々と断片的に流れてくる耳を疑うようなニュースと衝撃的な映像が夢なのか現実なのかハッキリしないままただただテレビに釘付けになっていた「あの日」…。

 くどいようですが、あれからもう20年になります。そしてあの年に生まれた人たちはもう20歳になるわけです。当たり前と言えば当たり前の話ですが、20歳ぐらいの若い彼・彼女たちには20年前の震災の記憶はないのです。歳月が経過すれば、震災の実体験を持った人たちの数が減り、震災の記憶を全く持たない人たちの数が増えていく…。これは当たり前のことです。あえて批判を覚悟の上で言わせてもらうのならば、私は、震災の記憶を持たない世代の数が増えて震災が「風化」していくのはやむを得ないことだと思っています。そして震災の実体験を持った人たちと震災を体験しなかった人たち、震災時の記憶が鮮明に残っている人たちと震災時の記憶を全く持たない人たちの間の「溝」を完全に埋めることは事実上不可能です。しかし、それでもやはり、これからもできるだけ多くの人たちの間で震災の「教訓」とでも呼ぶべきものをしっかりと共有し続けていかなければならないと思っています。これからも震災の記憶を持たない世代が増え続けるという現実を真正面から受け止めなければならないはずです。

 確かに震災の実体験を持った人たちが自らの実体験を語ったり「震災遺構」や「震災被害を記した碑」などを残したりすれば後世にも震災の「記録」を残すことはできるのだろうと思います。しかし、たとえ世の中が震災を体験しなかった人たちや震災の記憶を全く持たない人たちだらけになってしまったとしてもそうした震災の「記録」を消さずに残しておきさえすれば震災の「教訓」とでも呼ぶべきものを共有し続けることができるのかということは一度立ち止まってじっくりと考えてみる必要がありそうです。きょうのところはこれ以上の深入りは避けることにしておきます。何にしても「あの日」から20年になるわけです。

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