元衆議院東京2区の泡沫候補・千葉 潤のきょうのひとこと

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「終わりなき旅」(2014/12/31)

2014-12-31 18:05:58 | 日記
きょうは2014/12/31(水)です。

「終わりなき旅」(2014/12/31)

「政治とは 終わりなき旅 なのだろう 行く年を見て つくづく思う」-。

 2014年もきょう12/31だけになってしまいました。今改めて2014年の日本の政治を振り返ってみると、政治というものは「終わりなき旅」だとつくづく思います。

 「郵政民営化」の漢字五文字が問われた総選挙で圧勝した小泉純一郎首相時代の自民党、「政権交代」の漢字四文字が問われた総選挙で大勝した民主党、そして何が問われたのかが考えれば考えるほどよく分からなくなってくる先の総選挙で大勝した安倍晋三首相の自民党…。有権者の支持というものはいつもつかみどころのないものなのだと思います。そしてこれからも投票率の低下傾向との戦いはまだまだ続きます。

 繰り返しになりますが、もうすぐ党首選が行われるどこかの野党第一党の人間たちは自信を持って「日本国の内閣総理大臣候補」であると言えるような人物を新しい党首として選ぶことができるのでしょうか? あくまでも念のために言っておきますが、野党第一党の党首は「日本国の内閣総理大臣」としてふさわしい人物でなければならないはずです。

 2015年も政治というものは「終わりなき旅」であり続けるのだろうと思います。きょうのところはこれ以上の深入りは避けることにしておきます。

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「国民に聞いてみたい?」(2014/12/30)

2014-12-30 10:26:13 | 日記
きょうは2014/12/30(火)です。

「国民に聞いてみたい?」(2014/12/30)

「『国民に 聞いてみたい』と 言えるよな 『首相候補』と 『将来像』は…」-。

 2014年もきょうを含めて残り2日になってしまいました。きょうはあえて個別具体的な事例を挙げることをは避けながら最近の日本の政治を少し違った角度から考えてみることにしようと思います。どこかの野党第一党ではもうすぐ党首選が行われるようです。どこかの野党第一党の人間たちは自信を持って「日本国の内閣総理大臣候補」であると言えるような人物を新しい党首として選ぶことができるのでしょうか? あくまでも念のために言っておきますが、野党第一党の党首は「日本国の内閣総理大臣」としてふさわしい人物でなければならないはずです。

 いくらどこかの野党第一党の新しい党首が自分たちにとっては「収まりの良い人物」であったとしても、日本国の国民から見れば「日本国の内閣総理大臣」としてはふさわしい人物とは限らないのです。率直に言わせてもらうのならば、これまでのどこかの野党第一党の党首として選ばれた顔ぶれを見てみれば、党内事情を最優先で考えた結果として「日本国の内閣総理大臣」としてふさわしくない人物が党首として選ばれることが多かったのです。くどいようですが、野党第一党の党首は「日本国の内閣総理大臣」としてふさわしい人物でなければならないはずです。

 さらに言えば「日本国の内閣総理大臣」としてふさわしい人物は「これからの日本国の将来像」についてごく普通の多くの有権者にも説得力のある言葉で説明することができなければならないはずです。どんなに少なくともそれなりに説得力のある「これからの日本国の将来像」も持たないような人間は「日本国の内閣総理大臣」としてふさわしい人物ではないのです。残念ながらこれからの日本国にはそれほど明るい未来が約束されているわけではないのです。それが偽らざる現実なのです。その偽らざる現実をありのままに受け止めた上で「これからの日本国の将来像」についてごく普通の多くの有権者にも説得力のある言葉で説明することができる人物だけが本当の意味での「日本国の内閣総理大臣候補」になることができるのです。くどいようですが、野党第一党の党首は「日本国の内閣総理大臣」としてふさわしい人物でなければならないはずなのです。

 繰り返しになりますが、どこかの野党第一党の人間たちは自信を持って「日本国の内閣総理大臣候補」であると言えるような人物を新しい党首として選ぶことができるのでしょうか? それともどこかの野党第一党の人間たちはまたまた自分たちにとって「収まりの良い人物」を党首に選ぶことになってしまうのでしょうか? あえて言い換えれば、どこかの野党第一党には「国民に聞いてみたい」などと自信を持って言えるような「日本国の内閣総理大臣候補」と「これからの日本国の将来像」が本当にあるのでしょうか? あくまでも念のために言っておきますが、「日本国の内閣総理大臣」としてふさわしい人物が党首に就任して「これからの日本国の将来像」についてごく普通の多くの有権者にも説得力のある言葉で語りかけることのできないような政党に未来はないのです。この問題についてはまた取り上げることにします。

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「嘘をつき…」(2014/12/29)

2014-12-29 07:44:56 | 日記
きょうは2014/12/29(月)です。

「嘘をつき…」(2014/12/29)

「政権に つくまでバレぬ 嘘をつき 政権獲って バラバラになる!」-。

 2014年も残り少なくなってきました。きょうは今の日本の政治にはびこる最大の問題点の一つである「野党共闘」や「野党再編」などというものについて改めて少しだけ考えてみることにしようと思います。できることならば2014年のうちに日本の政治に残された過去の遺物を1つでも多く片付けたいものです。

 改めて最初に当たり前すぎるくらい当たり前のことを確認しておきますが、そもそも野党は「政権交代」していったい何をやろうと考えているのでしょうか? もちろんそれぞれの野党によってやりたいことはそれぞれ違っているのだろうと思います。それでは「野党共闘」や「野党再編」などというものをもっともらしく唱えている知的レベルの低い人間たちはいったい何をやろうと考えているのでしょうか? もしかすると「政権交代」が最大の目的なのでしょうか? もしも「政権交代」が最大の目的だということになるのならば2009年総選挙直後の民主党政権と同じかそれよりもずっと早くバラバラになってしまうことは誰の目にも明らかです。なぜ野党の知的レベルの低い人間たちは民主党政権の大失敗から何も学習することができないのでしょうか? 日本国のごく普通の多くの有権者は野党の知的レベルの低い人間たちに騙されるほど愚かではないと思います。

 「野党共闘」や「野党再編」などというものをもっともらしく唱えている知的レベルの低い人間たちはいったい誰を日本国の内閣総理大臣にするつもりなのでしょうか? 「政権交代を実現して何をやるのかということ」と「誰を日本国の内閣総理大臣にするのかということ」は密接不可分なものであるはずです。「選挙のために野党再編をして大きな塊をつくる」とか何とかという話は何度ももっともらしく語られていますが、これまでにただの一度も誰を日本国の内閣総理大臣にするべきなのかという話がじっくりと語られることはなかったのです。「野党共闘」や「野党再編」などというものをもっともらしく唱えている知的レベルの低い人間たちは、かつての民主党政権と同じように政権につくまでバレない嘘をついて政権交代を実現した直後にバラバラになっていくような愚かなことをまた繰り返すつもりなのでしょうか? やはり「野党共闘」や「野党再編」などというものをもっともらしく唱えている知的レベルの低い人間たちの中には日本国の内閣総理大臣候補にふさわしい人間たちはいないのだろうと思います。

 あくまでも念のために確認しておきますが、そもそも衆議院議員選挙とはいったい何なのでしょうか? 現行の「小選挙区比例代表並立制」の下では、衆議院議員選挙、特に小選挙区の選挙では「誰を日本国の内閣総理大臣にするのか」ということも事実上有権者に同時に問われているのです。ですから、もしもある有権者に内閣総理大臣にしたい人物がいる場合には、その人物が党首を務める政党の公認候補者を選んで投票することになるのだろうと思います。しかし、それにもかかわらず、先の総選挙では野党側は有権者に「日本国の内閣総理大臣候補」を示すことはなかったのです。それどころか野党第一党の民主党は定数の過半数に遠く及ばない公認候補者しか擁立できずに過半数を獲得する可能性を最初から放棄してしまったのです。民主党代表選(→1/7告示、1/18投開票)の前に改めてそのことを確認しておく必要があります。この問題についてはそう遠くないうちにまた取り上げることにします。

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「冷やかし?」(2014/12/28)

2014-12-28 09:28:33 | 日記
きょうは2014/12/28(日)です。

「冷やかし?」(2014/12/28)

「冷やかしで 立候補する 意思示し 締め切りまでは 注目される?」-。

 きょうは個別具体的な事例を挙げることは避けながら最近の日本の政治を少し違った角度から考えてみることにしてみたいと思います。どこかの野党第一党では党首選になると必ずと言っていいほど「参議院議員」が立候補の意思を示すだけ示して結局は立候補を断念するという異常な現象が繰り返されています。あくまでも念のために言っておきますが、野党第一党の党首は「日本国の内閣総理大臣」としてふさわしい人物でなければならないはずです。くどいようですが、今現在日本国の衆議院議員ではない人物は「日本国の内閣総理大臣」としてふさわしい人物ではないと私は見なしています。

 とても大切なことなのであえて繰り返し確認しておきますが、参議院議員は「日本国の内閣総理大臣」としてふさわしい人物ではないと思います。残念ながら次の総選挙までの間に「日本国の内閣総理大臣候補」として活躍する機会がほとんど与えられないような人物は現実問題として「日本国の内閣総理大臣候補」としてはふさわしくないと思います。そしてやはり憲法上内閣総理大臣になることが予定されていない参議院議員では実際に日本国の内閣総理大臣を務めることは難しいということもあえて付け加えておくことにします。万一参議院議員が内閣総理大臣になることがあるとしたら衆議院の解散を決断することができる人間だけはその衆議院議員選挙で有権者の審判を受けないということが許されてしまうことになります。議会制民主主義というものが何かということを考えれば考えるほど、参議院議員が日本国の内閣総理大臣になるようなことが許されるとは私にはとても思えないのです。

 もしも現職の参議院議員であるにもかかわらずどこかの野党第一党を本気で立て直したいと思って今回の党首選に立候補しようとしているというのならば、なぜ直前の総選挙で野党第一党の公認候補がいない空白選挙区から立候補しなかったのでしょうか? なぜ野党第一党の公認候補が定数の半数に遠く及ばないという危機的な状況を傍観したのでしょうか? 当選できる可能性が全くなかったからでしょうか? 例えば、東京6区や宮城2区などのように野党第一党にも比較的強固な支持基盤が残っていて与党側に勝つことができる可能性がそれなりに高い小選挙区でさえも公認候補の擁立を見送って空白選挙区にしてしまったのはいったいなぜなのでしょうか? 野党第一党を本気で立て直そうと思っている同党の参議院議員が一人もいなかったからではないのでしょうか? それにもかかわらず、なぜ総選挙が終わった直後の党首選に立候補する意欲を示しているのでしょうか? 立候補の意思表明は単なる冷やかしでも締め切り直前まではマスコミに注目してもらえると思っているのでしょうか? こんな私利私欲にとらわれた参議院議員が党首になったとしても野党第一党を立て直すことができないのは明らかです。国民をバカにするのもいい加減にしてもらいたいものです。

 とても大切なことなので最後にもう一度繰り返しておきますが、参議院議員は「日本国の内閣総理大臣」としてふさわしい人物ではないと思います。もしも様々な意味で日本国の内閣総理大臣としてふさわしくない人物が間違って野党第一党の党首に就くことになるとしたら日本の政治で新たな混乱と迷走が始まることになってしまいます。次の総選挙こそは野党第一党も責任を持って有権者に「日本国の内閣総理大臣候補」を示さなければならないということを絶対に忘れてはならないのです。この問題についてはまた取り上げることにします。

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「嘘みたい」(2014/12/27)

2014-12-27 13:56:29 | 日記
きょうは2014/12/27(土)です。

「嘘みたい」(2014/12/27)

「大嘘が バレた後では 嘘みたい チヤホヤされて 輝いた日々」-。

 きょうはまた日本の政治とは直接的な関係がない問題について考えてみることにします。きのう12/26に理化学研究所の調査委員会は「STAP細胞」の作成を発表した論文の主な結論は否定され、同細胞からつくったとされる細胞は混入した既存の別の種類の万能細胞であるES細胞に由来するものであることが科学的に明らかになったなどとする報告書を発表しました(→参考:2014/12/20付、2014/8/6付、2014/8/5付、2014/7/8付、2014/5/9付、2014/4/17付、2014/4/11付、2014/4/10付、2014/4/8付、2014/4/2付、2014/3/15付、2014/3/12付、2014/3/10付、2014/1/31付)。繰り返しになりますが、2014年初めに始まった訳の分からない「騒動」を2014年のうちに科学的に決着をつけることができたことは間違いなく良かったと思います。

 その上で、あえてもう一言だけ付け加えるのならば、この問題では不正が行われた対象が科学という体系的なものであったからこそ科学の力によって解決することができたのです。ごく普通の多くの人たちがこの問題で科学に対してどのようなイメージを持つことになったのかはともかくとしても、この問題では「科学」の名の下で行われた不正を科学の力によって暴くことができたわけです。科学の世界の中で起きた不始末を科学の世界の中で解決することができたということだけは間違いないのです。もしも不正がいわゆる「法匪の屁理屈」が飛び交うような場所に持ち込まれていたとしたならばこれほど早く不正を不正として結論付けることはできなかったのではないかと思います。そのことには注意が必要になります。

 テレビでは、今年初めに「STAP細胞」の作成を発表した頃のチヤホヤされていたときの映像、そして疑惑が大きくなって「あります!」と言っていた頃などの映像が何度も何度も繰り返し繰り返し流されています。率直に言わせてもらうのならば、「大嘘」がバレた後になってみると「あのチヤホヤされて輝いていた日々の出来事はいったい何だったのだろう」などと思っている人たちも実はかなり多いのだろうと思います。しかし、そう思っている人たちの中にもあの頃にチヤホヤしていた人たちがいるはずなのです。もしもあの頃に自分がチヤホヤしていたのならば自分はなぜチヤホヤしていたのでしょうか? ただ単にマスコミがチヤホヤしていたから流行に乗っただけなのでしょうか? あるいはそれ以外の何らかの理由があったのでしょうか? これからも別の種類の「大嘘」に騙され続けないためには自分自身の行動を事後検証する必要があるはずです。

 さて、話は少しだけ変わります。言うまでもなく世の中に時々出てくる「大嘘」は科学周辺だけとは限らないのです。むしろ科学以外のものの周辺の方により多くの「大嘘」があふれているのです。もちろん日本の政治の現場にもいくつもの「大嘘」があります。例えば「政権交代」という漢字四文字などで判断して後悔した経験を持っているという人たちも少なくはないはずです。「政権交代」という「大嘘」がバレてしまった今では「政権交代」が実現した直後の「チヤホヤされて輝いていた日々」が嘘みたいに思えるという人たちも少なくはないのだろうと思います。きょうのところはあえてこの程度にとどめておくことにします。

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「逆効果」(2014/12/26)

2014-12-26 07:42:10 | 日記
きょうは2014/12/26(金)です。

「逆効果」(2014/12/26)

「脅迫が 宣伝になり 逆効果! 『世界』知らずの 独裁国家!」-。

 北朝鮮の金正恩(キムジョンウン)第1書記の「暗殺」を題材にしたコメディー映画「The Interview」を制作して全米で公開を予定していたソニー・ピクチャーズエンタテインメント(SPE)が大規模なサイバー攻撃やテロ予告などを受けていったんは映画の公開中止に追い込まれていた問題の波紋がさらに広がっています(→参考:2014/12/23付、2014/12/22付、2014/12/21付)。

 SPEはいったん中止した映画の劇場公開を12/25から全米の約300の映画館で行うことを明らかにして実際に12/25から一部の映画館で公開が始まりました。またSPEは劇場公開に先立って映画のインターネット上での公開を開始したことを12/24に発表しました。今も米国には脅迫や不当な圧力に屈することなく「自由」をどのように守っていくのかということを真剣に考える人たちがたくさんいることが分かってとても安心しました。そしてどうやら脅迫や不当な圧力という卑劣な手段は逆効果だったようです。

 SPEに対する「サイバー攻撃」を行ったと見られる北朝鮮は「世間知らず」ならぬ「『世界』知らず」だったようです。確かに自由がほとんど許されていない独裁国家の中では脅迫や不当な圧力によって不都合な真実を覆い隠すことはできるのだろうと思います。しかし、自由な民主主義社会においては「何か」に対する脅迫や不当な圧力が結果的に「何か」に対する宣伝になって「何か」に対する同情をさらに多く集めるようになることが少なくないのです。そして実際に北朝鮮によると見られる「サイバー攻撃」などは完全に裏目に出たことになるわけです。もしも北朝鮮がさらに激しく反発してさらにおかしな騒動を引き起こすようになればこの問題のコメディー映画が2015年の世界的な大ヒット映画の1つになってしまう可能性も出てきます。どうやら「サイバー攻撃」を行ったと見られる北朝鮮がどの程度まで「『世界』知らず」なのかということがそのうちに分かることになりそうです。

 くどいようですが、私は、自由とは基本的には他人任せにすることができないものであると考えています。また自由とはそれぞれの個人が何らかの形で負担をしなければ守ることができないものであると考えています。自由というものはいつでもどこでも当たり前のようにあるものではないのです。日本のような民主主義国家においても自由というものは油断しているとある日突然消えてしまうような不確かなものなのかもしれないと思うこともあります。私としてはそう考えられば考えるほど日本における投票率の低下傾向が非常に危険なものに見えてくるのです。決して当たり前に存在しているわけではない「自由」をどのように守っていくのかということについてはそう遠くないうちにまた考えることにしたいと思います。

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「定評のある代表選」(2014/12/25)

2014-12-25 08:02:33 | 日記
きょうは2014/12/25(木)です。

「定評のある代表選」(2014/12/25)

「『オワコン』と 『勘違い』だけ 出てくると 定評のある 『代表選』か?」-。

 きのう第3次安倍晋三内閣が発足しました(→2014/12/24付、2014/12/15付etc.)。先の総選挙では日本国民には日本国の内閣総理大臣候補としては事実上安倍晋三首相以外の選択肢が存在しなかったということをあえて強調しておく必要があります。そして野党側の致命的な問題点は先の総選挙でもその後も日本国民に対して責任を持って「日本国の内閣総理大臣候補」を示すことができないということであると私は考えています。

 来年1月に野党第一党である民主党代表選が行われることになったそうです(→1/7告示、1/18投開票)。あくまでも念のために言っておきますが、野党第一党の党首は「日本国の内閣総理大臣」としてふさわしい人物でなければならないはずです。もしも様々な意味で日本国の内閣総理大臣としてふさわしくない人物が間違って野党第一党の党首に就くことになるとしたら日本の政治で新たな混乱と迷走が始まることになってしまいます。次の総選挙こそは野党第一党も責任を持って有権者に「日本国の内閣総理大臣候補」を示さなければならないということを絶対に忘れてはならないのです。

 日本国の内閣総理大臣としてふさわしい人物とはいったいどんな人物なのでしょうか? さすがにこのわずかなスペースだけで「日本国の内閣総理大臣」に要求されるすべての条件を考察することは不可能です。ですから「日本国の内閣総理大臣」としてふさわしくない条件についていくつか考えてみることにしようと思います。やはり今現在日本国の衆議院議員ではない人物は「日本国の内閣総理大臣」としてふさわしい人物ではないと思います。残念ながら次の総選挙までの間に「日本国の内閣総理大臣候補」として活躍する機会がほとんど与えられないような人物は現実問題として「日本国の内閣総理大臣候補」としてはふさわしくないと思います。そしてやはり憲法上内閣総理大臣になることが予定されていない参議院議員では実際に日本国の内閣総理大臣を務めることは難しいということもあえて付け加えておくことにします。万一参議院議員が内閣総理大臣になることがあるとしたら衆議院の解散を決断することができる人間だけはその衆議院議員選挙で有権者の審判を受けないということが許されてしまうことになります。議会制民主主義というものが何かということを考えれば考えるほど、参議院議員が日本国の内閣総理大臣になるようなことが許されるとは私にはとても思えないのです。

 くどいようですが、もしも様々な意味で日本国の内閣総理大臣としてふさわしくない人物が間違って野党第一党の党首に就くことになるとしたら日本の政治で新たな混乱と迷走が始まることになってしまいます。これまで民主党代表選と言えば、何度やっても「本命」ではなく「オワコン」(→「終わったコンテンツ」の略)と「勘違いした人間たち」ばかりが「金太郎飴」のように出てくるなどと揶揄されていたものです。民主党代表選は「オワコン」と「勘違い」だけが出てくるという定評があったのです。当たり前と言えば当たり前の話ですが、日本国の内閣総理大臣としてふさわしい人物が野党第一党の党首になるのかならないのかということはこれからの日本の政治に非常に大きな影響を与えることになるのです。次の総選挙こそは野党第一党も責任を持って有権者に「日本国の内閣総理大臣候補」を示さなければならないということを絶対に忘れてはならないのです。この問題についてはまた取り上げることにします。

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「首相候補」(2014/12/24)

2014-12-24 07:51:56 | 日記
きょうは2014/12/24(水)です。

「首相候補」(2014/12/24)

「選挙でも 首相候補を 示せない 烏合の衆に 国民そっぽ!」-。

 きょう12/24に第188特別国会が召集されて先の総選挙で「大勝」した自民党の安倍晋三総裁(首相)が内閣総理大臣に指名されます(→2014/12/15付etc.)。あえてここで総選挙前も総選挙期間中も総選挙後も「日本国の内閣総理大臣候補」としては安倍晋三以外の選択肢が事実上存在しなかったということを強調しておく必要があります。そして野党側の致命的な問題点は、総選挙前も総選挙期間中も総選挙後もずっと日本国民に対して責任を持って「日本国の内閣総理大臣候補」を示すことができないということであるということもあえて指摘しておくことにします。

 何度も繰り返していますが、いくら「野党共闘」や「野党間の選挙協力」などをもっともらしく唱えてみても「日本国の内閣総理大臣候補」すらも共有することができないバラバラの集団はただの烏合の衆に過ぎないのです。共通の「日本国の内閣総理大臣候補」を示すこともなしに「自民党に対抗する勢力」「反自民」などという旗だけを掲げるのは有権者をあまりにも愚弄していると私は思います。先の総選挙で「日本国の内閣総理大臣候補」に事実上選択肢が存在しなかったことについて日本国の国民はもっと怒りを露わにしてもいいのではないかと思います。

 今現在の小選挙区比例代表並立制という選挙制度は、もしも政権担当を目指すそれぞれの政党・政治勢力が総選挙の前に日本国の内閣総理大臣にふさわしいと考える衆議院議員候補を「日本国の内閣総理大臣候補」としてきちんと掲げることができさえすれば、総選挙は日本国の内閣総理大臣を有権者が事実上選ぶための選挙という意味を持つことになるはずなのです。しかし、それにもかかわらず、先の総選挙では野党第一党の民主党を含めたすべての野党が日本国の有権者に対して「日本国の内閣総理大臣候補」の選択肢を用意することができなかったということを絶対に忘れてはならないのです。安倍晋三首相とは別の「日本国の内閣総理大臣候補」の選択肢を示さず、さらには衆議院の過半数を大きく下回る候補者しか擁立することができなかったにもかかわらず、「自民党に対抗」「自民党に代わる」などと叫ぶことは有権者をあまりにもバカにしているとしか私には思えないのです。

 そもそも今現在の野党側には日本国の内閣総理大臣としてふさわしい人物は本当にいるのでしょうか? 仮に日本国の内閣総理大臣としてふさわしい人物がいるとしてもその人物が「日本国の内閣総理大臣候補」として認知されているのでしょうか? 次の総選挙では安倍晋三首相とは別の「日本国の内閣総理大臣候補」の選択肢を示さず、さらには衆議院の過半数を大きく下回る候補者しか擁立せずに「自民党に対抗」「自民党に代わる」などと叫ぶことは絶対に許されないということをあえて強調しておくことします。総選挙で「日本国の内閣総理大臣候補」すらも共有することができないような烏合の衆が何を叫んでも国民はそっぽを向くだけなのです。この問題についてはまたすぐに取り上げることにします。

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「他人任せ?」(2014/12/23)

2014-12-23 11:20:42 | 日記
きょうは2014/12/23(火)です。

「他人任せ?」(2014/12/23)

「自由とは 他人任せには できぬもの! 負担なしでは 守れないもの!」-。

 北朝鮮の金正恩(キムジョンウン)第1書記の「暗殺」を題材にしたコメディー映画「The Interview」を制作して全米で公開を予定していたソニー・ピクチャーズエンタテインメント(SPE)が大規模なサイバー攻撃やテロ予告などを受けて映画の公開中止に追い込まれた問題で様々な波紋が広がっています(→参考:2014/12/22付、2014/12/21付)。きょうも個別具体的な事例の詳細に触れることは避けながら様々な不当な圧力に屈することなしに「自由」をどのように守っていくのかということについてもう少しだけ考えてみることにしたいと思います。

 そもそも自由とはいったい何なのでしょうか。あくまでも念のために言っておきますが、このわずかなスペースだけで自由の意味を十分に考察することはとても不可能です。ですから民主主義社会においてある個人がどこまで自由であることが許されるのかということに限定して考えてみることにします。もちろん日本のような民主主義国家ではそれぞれの個人の権利や自由が保障される範囲については憲法や法律によって定められているわけです。しかし、もしもある個人が本気で自由を守ろうとするのならば、実は憲法や法律によってそれぞれの個人に保障されている権利や自由の一部を自分自身の判断で放棄しなければならなくなることもあるのです。

 例えば、選挙の投票権については、日本を含めた多くの民主主義国家では、投票権を持っている成人男女がその権利を行使するかしないかということを含めてそれぞれの判断で自由に決める権利があります。しかし、選挙のたびに棄権ばかりを繰り返していると、自分にとっては死活的に重要なことがいつの間にか自分自身の権利や自由の範囲内ではなくなってしまっているということも起こり得るのです。もしも選挙で棄権することは絶対にないという人たちが自分自身にとって死活的に重要だと考えることを彼・彼女たちの権利や自由の範囲内にしようとし続けるのならば、結果的に選挙で棄権を繰り返す人たちの権利や自由の範囲が狭くなっていくということも十分に起こり得るのです。そう考えるのならば「それぞれの個人には他人の権利や自由を侵害しない範囲内で自由が保障されている」などという昔から何度も繰り返されている言葉には今現在もまだ深い意味があるように私には思えるのです。それぞれの個人の権利や自由などを決める場所でそれぞれの人たちの存在感が希薄になっていけばその人たちの権利や自由などもまた消えていく危険性が高まることになるのです。

 繰り返しになりますが、私は、自由とは基本的には他人任せにすることができないものであると考えています。また自由とはそれぞれの個人が何らかの形で負担をしなければ守ることができないものであると考えています。自由というものはいつでもどこでも当たり前のようにあるものではないのです。日本のような民主主義国家においても自由というものは油断しているとある日突然消えてしまうような不確かなものなのかもしれないと思うこともあります。私としては日本における投票率の低下傾向が非常に危険なものに見えてくるのです。決して当たり前に存在しているわけではない「自由」をどのように守っていくのかということについてはこれからも引き続き考え続けることにします。

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「自粛」(2014/12/22)

2014-12-22 07:18:51 | 日記
きょうは2014/12/22(月)です。

「自粛」(2014/12/22)

「自由とは 見えないものに 奪われる! 自粛のために 消えていくもの!」-。

 北朝鮮の金正恩(キムジョンウン)第1書記の「暗殺」を題材にしたコメディー映画「The Interview」を制作して全米で公開を予定していたソニー・ピクチャーズエンタテインメント(SPE)が大規模なサイバー攻撃やテロ予告などを受けて映画の公開中止に追い込まれた問題で様々な波紋が広がっています(→参考:2014/12/22付)。きょうはあえて個別具体的な事例の詳細に触れることは避けながら様々な不当な圧力に屈することなしに「自由」をどのように守っていくのかということについて少しだけ考えてみることにしたいと思います。

 確かに自由というものは「サイバー攻撃」や「テロ予告」のような暴力や脅迫のような目に見えやすいものによって奪われてしまうことが多いと思います。しかし、自由というものは暴力や脅迫などのような目に見えやすいもの以外でも奪われることがあるということには注意が必要になります。例えば、ある映画やテレビ番組が誰もが知っている有名人の不正を告発したり彼・彼女たちの傍若無人な態度をパロディーにしたりする内容だったとしても本当に自由に発表することができるのでしょうか? たとえ暴力や脅迫などの目に見えやすい形ではどこからも不当な圧力が加えられることがなかったとしても、様々な場所で様々な立場の人たちが自分たちの事情や利益を総合的に考えた上で様々な形で「自粛」をすることになるというのは実はそれほど珍しいことではないと思います。

 私は、自由というものは見えないものによって少しずつ奪われていくものでもあると考えています。ある社会の構成員から自由を奪い取るのは必ずしも「公権力」とは限らないのです。社会の中の様々な利害関係は目には見えにくい形での「圧力」のようなものをつくり出してしまうこともあるのです。自由というものは「自粛」のために少しずつ消えていくものでもあるのです。もしも自由を守りたいと心から思っているのならば、暴力や脅迫などのような目に見えやすいものだけを警戒するのではなく、「自粛」のようななかなか目に見えにくいものについても十分な警戒が必要になるのです。

 私は、自由とは基本的には他人任せにすることができないものであると考えています。また自由とはそれぞれの個人が何らかの形で負担をしなければ守ることができないものであると考えています。自由というものはいつでもどこでも当たり前のようにあるものではないのです。日本のような民主主義国家においても自由というものは油断しているとある日突然消えてしまうような不確かなものなのかもしれないと思うこともあります。私としてはそう考えられば考えるほど日本における投票率の低下傾向が非常に危険なものに見えてくるのです。決して当たり前に存在しているわけではない「自由」をどのように守っていくのかということについてはそう遠くないうちにまた考えることにしたいと思います。

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「自由とは…」(2014/12/21)

2014-12-21 10:34:55 | 日記
きょうは2014/12/21(日)です。

「自由とは…」(2014/12/21)

「自由とは 手間暇かけて 守るもの! 圧力受けて 黙るべからず!」-。

 北朝鮮の金正恩(キムジョンウン)第1書記の「暗殺」を題材にしたコメディー映画「The Interview」を制作して全米で公開を予定していたソニー・ピクチャーズエンタテインメント(SPE)が大規模なサイバー攻撃やテロ予告などを受けて映画の公開中止に追い込まれた問題で、米国のオバマ大統領は12/19に北朝鮮がサイバー攻撃に関与したと断定して非難、今後対抗措置を取る考えを示しました。そしてオバマ大統領は上映中止を決めたSPE側の対応は同情できるものの適切ではなかったなどという考えを示しました。

 やはり米国には自分たちの社会に対する誇りがまだ残っていたようです。私としては、世界で最も「表現の自由」や「民主主義社会」の価値を理解しているはずの米国社会であっても「テロ予告」や「サイバー攻撃」などのような不当な圧力に屈服させられてしまうような動きを結局のところは黙って見過ごすことになってしまうのだろうかと非常に大きな関心を持って事態の推移を見守ってきました。もちろん自由な民主主義社会では金儲けにならないのならば「表現の自由」を捨てても構わないだとか、「表現の自由」を守るためにあまりにも多くのコストがかかるのならば「表現の自由」を守ることを諦めるのもやむを得ないなどと考える自由はしっかりと保障されています。しかし、本当に「表現の自由」を捨てたり諦めたりしてもいいのでしょうか? 「表現の自由」よりも本当に「カネ」の方が大切なのでしょうか? 世の中にはカネでは買うことができないものがいくつもあるはずなのです。

 あくまでも念のために言っておきますが、私は「問題のコメディー映画」を特に見たいとは思っていないのです。率直な話、サイバー攻撃やテロ予告によって公開中止に追い込まれるという事件が発生しなければほぼ確実に興味を持つことのなかった種類の映画ではないかと思います。しかし、それにもかかわらず、不当な圧力に屈することなく、「問題のコメディー映画」は公開されるべきだと考えているのです。伝統的な自由主義的価値観を重視する私としては、自由とは手間暇をかけてでも守るべきものであると考えているのです。そしてたとえどんな不当な圧力を受けたとしても決して黙るべきではないと考えているのです。もちろん自由を守るために必要なコストの一部を自由を愛する一人の日本国民として負担する覚悟は持っているのです。

 もしもSPEが不当な圧力に屈することなく「問題のコメディー映画」をインターネット上で公開するようなことを決断したならば、伝統的な自由主義的価値観を重視する私としては、そのリンク等を示しながらその決断を強く支持する主張を展開することにしようと思っています。またもしもSPEが不当な圧力に屈することなく「問題のコメディー映画」をyoutube上などで無料で公開するような勇気ある決断した場合には、私としてはその勇気ある決断を称えて「口座振込」などを利用して「相応のコスト」を負担する用意があります。繰り返しになりますが、私は、自由とは手間暇をかけてでも守るべきものであると考えています。そして自由を守るためには、たとえどんな不当な圧力を受けたとしても決して黙るべきではないと考えているのです。この問題についてはそう遠くないうちにまた取り上げることにします。

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「幻」(2014/12/20)

2014-12-20 09:46:31 | 日記
きょうは2014/12/20(土)です。

「幻」(2014/12/20)

「STAPは 『幻』だった ことになる! 今年の騒ぎ 今年のうちに!」-。

 きょうは久しぶりに日本の政治とは直接的な関係がない問題について考えてみることにします。きのう12/19に理化学研究所は「STAP細胞」の作成を発表した小保方晴子氏本人による再現実験も含めたこれまでのすべての「STAP細胞」の検証実験で再現性が確認されなかったことなどを発表しました(→参考:2014/8/6付、2014/8/5付、2014/7/8付、2014/5/9付、2014/4/17付、2014/4/11付、2014/4/10付、2014/4/8付、2014/4/2付、2014/3/15付、2014/3/12付、2014/3/10付、2014/1/31付)。また小保方氏は退職願を提出して12/21付で理研を退職することになったことも明らかになりました。そして理研は小保方氏の実験とは別に来年3月まで行う予定だった「STAP細胞」についての検証実験を打ち切ることにしたそうです。

 「STAP細胞」を作成したと主張した本人が第三者の監視の下で何度試みても再現性が得られなかったということは、「STAP細胞」が「幻」であったということが科学的事実として確認されたということを意味することになります。私としては、当初から「STAP細胞」の問題はあまりにも大騒ぎをしすぎていると感じていました。もしも「STAP細胞」の問題が早い段階でいわゆる「法匪の屁理屈」が次から次へと持ち出される場に持ち込まれていたのならば、今もなお「泥沼」の状態が続いていたかもしれないと思います。一時期いわゆる「法匪の屁理屈」を繰り返し聞かされる最悪の展開になりそうな危機もありましたが、なんとか科学的検証の場に引き戻して科学的に決着をつけることができたわけです。何にしても今年初めに始まった訳の分からない「騒動」を今年のうちに科学的に決着をつけることができたことは良かったと思います。

 何度も繰り返していますが、私に言わせれば、科学とは「全く同じ条件を再現することができさえすれば誰が何回やっても全く同じ結果になるものだけを体系的に集めたもの」ということになるのです。あえて言い換えれば、科学とは実験結果などの科学的事実がすべてと言ってもいいということになります。ですから科学の世界では科学的な事実関係の解明のない状態のまま幕引きにすることはできないはずなのです。だからこそ「STAP細胞」の問題では、論文作成過程の調査や責任追及などよりも、まずは徹底的に「検証実験」や「再現実験」を繰り返して何が正確な科学的事実なのかということを明確にする必要があったと私は考えています。

 確かに「STAP細胞」の作成を主張した小保方氏の依願退職が決まれば理研が懲戒などの処分をすることはできなくなってしまうわけです。そして「STAP細胞」の問題の論文作成過程などを含めた真相究明に必要な調査について小保方氏から十分な協力が得られるかどうかが不透明になってしまうことも事実です。しかし、「STAP細胞」の問題についての科学的な事実関係がひとたび明確になれば、いくつかの科学的事実に基づいた合理的な推測にはいわゆる「法匪の屁理屈」を跳ね返すだけの十分な客観的根拠が付け加えられることになると思われます。きょうのところはこれ以上の深入りは避けることにしておきます。この問題についてはまた取り上げることにします。

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「椅子取りゲーム?」(2014/12/19)

2014-12-19 13:03:58 | 日記
きょうは2014/12/19(金)です。

「椅子取りゲーム?」(2014/12/19)

「突き飛ばし しがみついたら 離さない! 選挙はそんな 『椅子取りゲーム』?」-。

 相変わらず既存のマスコミなどでは12/14に投開票が行われた第47回衆議院議員選挙(総選挙)関連の話題が取り上げられています。既存のマスコミ、特にテレビにあふれている選挙戦の「ドキュメント」「ルポ(ルポルタージュ)」などというものの中には今の日本の政治と政治報道の最大の問題点が分かりやすい形で表れているように思います。くどいようですが、そもそも衆議院議員選挙とはいったい何なのでしょうか? 言うまでもなく衆議院議員選挙は基本的には日本国の国会議員である衆議院議員を選ぶための選挙です。どんなに少なくとも公権力の行使に直結するような選挙だけは「人気投票」にしてはならないと私は考えています。

 もちろん現行の「小選挙区比例代表並立制」の下では、衆議院議員選挙、特に小選挙区の選挙は「誰を日本国の内閣総理大臣にするのか」ということも事実上有権者に同時に問われているのです。ですから、内閣総理大臣にしたい人物がいる有権者は、その人物が党首を務める政党の公認候補者を選んで投票することになるのだろうと思います。そしてひどい場合には自分自身が内閣総理大臣にしたいと思うような人物に間違いなく投票してくれさえすれば「人形」でも「案山子」でも何でもいいなどと思って投票する有権者もいるのだろうと思います。しかし、それぞれの候補者が「日本国の国会議員である衆議院議員としてふさわしい人物であるのかどうか」ということを見極めなくても本当にいいのでしょうか? それぞれの政党の党首が日本国の内閣総理大臣としてふさわしい人物であるのかどうかということを見極めなくても本当にいいのでしょうか? 「日本国の国会議員である衆議院議員としてふさわしい人物であるのかどうか」や「日本国の内閣総理大臣としてふさわしい人物であるのかどうか」ということがほとんど問題にされることがないのは今の日本の政治と政治報道の大きな問題点の一つだと私は考えています。繰り返しになりますが、どんなに少なくとも公権力の行使に直結するような選挙だけは「人気投票」にしてはならないのです。

 議員バッチを付け続けることができた人間たちの中には「野党間の選挙協力」だとか「野党間の候補者調整」だとか選挙のための「野党再編」だとかをもっともらしく唱える知的レベルの低い人間たちがまだ生き残っています。議員バッチを付け続けることができた知的レベルの低い人間たちはそれぞれの小選挙区で野党側の候補者を無理にでも1人に絞り込めば与党側に勝つことができるなどという根拠のない強い思い込みをしているのです。しかし、多少の誤解が生じる危険性を恐れずにあえて例えるのならば、今現在の小選挙区の選挙の実態は「椅子取りゲーム」のようなものになっているのです。つまり現状の小選挙区の選挙では野党側の候補者を無理に1人に絞り込んでも与党側の候補者には実はそれほど大きな脅威にはならないのです。それどころかむしろ与党側の候補者が当選する確率の方を高めてしまう可能性もあるのです。

 現状の「椅子取りゲーム」のような小選挙区の選挙では1つの椅子をめぐって多くの候補者の間で奪い合いをした方が結果的に与党側の候補者が椅子に座ることができなくなる可能性が高まるのです。今現在の小選挙区の選挙の実態は、まずは相手候補を突き飛ばし、とにかく相手よりも早く椅子にしがみついたら絶対に離さないなどという反則スレスレの「椅子取りゲーム」のようなものになっているのです。「椅子取りゲーム」のような現状は決して望ましいものではありませんが、それが偽らざる現実なのです。あえて繰り返しますが、今現在の小選挙区選挙の実態はそんな「椅子取りゲーム」のようなものになってしまっているのです。ですから現状の小選挙区の選挙では野党側の候補者を無理に1人に絞り込んでも与党側の候補者には実はそれほど大きな脅威にはならないのです。それどころかむしろ与党側の候補者が当選する確率の方を高めてしまう可能性もあるのです。もしも野党側が何が何でも与党から議席を奪いたいのならば「椅子取りゲーム」に圧倒的に強い候補者を新たに擁立すればいいだけの話なのです。「椅子取りゲーム」に圧倒的に強い候補者を一人擁立しさえすれば野党側に何人の候補者がいてもあまり影響はなくなるのです。なんとか議員バッチを付け続けることができても学習することができない知的レベルの低い人間たちには本当に困ったものです。

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「美男美女」(2014/12/18)

2014-12-18 12:08:38 | 日記
きょうは2014/12/18(木)です。

「美男美女」(2014/12/18)

「美男美女 たくさん集め 一人ずつ 小選挙区に 擁立したら…」-。

 相変わらず既存のマスコミなどでは12/14に投開票が行われた第47回衆議院議員選挙(総選挙)関連の話題が取り上げられています。既存のマスコミ、特にテレビにあふれている選挙戦の「ドキュメント」「ルポ(ルポルタージュ)」などというものの中には今の日本の政治と政治報道の最大の問題点が分かりやすい形で表れているように思います。くどいようですが、そもそも衆議院議員選挙とはいったい何なのでしょうか? 言うまでもなく衆議院議員選挙は基本的には日本国の国会議員である衆議院議員を選ぶための選挙です。どんなに少なくとも公権力の行使に直結するような選挙だけは「人気投票」にしてはならないと私は考えています。

 もちろん現行の「小選挙区比例代表並立制」の下では、衆議院議員選挙、特に小選挙区の選挙は「誰を日本国の内閣総理大臣にするのか」ということも事実上有権者に同時に問われているのです。ですから、内閣総理大臣にしたい人物がいる有権者は、その人物が党首を務める政党の公認候補者を選んで投票することになるのだろうと思います。そしてひどい場合には自分自身が内閣総理大臣にしたいと思うような人物に間違いなく投票してくれさえすれば小選挙区の候補者は「人形」でも「案山子」でも何でもいいなどと思って投票する有権者もいるのだろうと思います。しかし、それぞれの候補者が「日本国の国会議員である衆議院議員としてふさわしい人物であるのかどうか」ということを本当に見極めなくてもいいのでしょうか? それぞれの政党の党首が日本国の内閣総理大臣としてふさわしい人物であるのかどうかということを見極めなくても本当にいいのでしょうか? 「日本国の国会議員である衆議院議員としてふさわしい人物であるのかどうか」や「日本国の内閣総理大臣としてふさわしい人物であるのかどうか」ということがほとんど問題にされることがないのが今の日本の政治と政治報道の大きな問題点の一つだと私は考えています。繰り返しになりますが、どんなに少なくとも公権力の行使に直結するような選挙だけは「人気投票」にしてはならないのです。

 世の中で行われる様々な競争では様々な形で「性」を使って勝負に勝とうとする人間たちが出てきます。そして残念なことですが、公権力の行使に直結するような選挙もまたその例外ではないのです。様々な選挙の現場では「イケメン」や「美女」が美貌などの「性」を売り物にしている場面は何度見てもうんざりさせられるものです。残念なことですが、やはり公権力の行使に直結するような選挙でも候補者を見た目だけで判断する人間たちが多いということなのだろうと思います。

 もしも「人気者の(将来の)独裁者」が今の日本を劇的に変えたいと思うのならば、有名大学卒の学歴とそこそこの教養を持った美男美女を可能な限りたくさん集めてそれぞれの小選挙区から擁立して一気に政権の奪取を目指すという方法が最も手っ取り早いのではないかという「冗談」にもそれなりの説得力を感じる人たちは少なくないと思います。同じ「人形」や「案山子」なら「イケメン」や「美女」の方が世の中の受けがずっといいであろうことは残念ながら事実なのだろうと思います。今の日本の政治はそんな「冗談」が少しも冗談に聞こえないぐらいの非常事態になっていると私は見ています。くどいようですが、「日本国の国会議員である衆議院議員としてふさわしい人物であるのかどうか」や「日本国の内閣総理大臣としてふさわしい人物であるのかどうか」ということがほとんど問題にされることがないのは今の日本の政治と政治報道の大きな問題点の一つだと私は考えています。繰り返しになりますが、どんなに少なくとも公権力の行使に直結するような選挙だけは「人気投票」にしてはならないのです。

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「人気投票?」(2014/12/17)

2014-12-17 13:27:19 | 日記
きょうは2014/12/17(水)です。

「人気投票?」(2014/12/17)

「選挙とは 『人気投票 ではない』と いつになったら 言えるのだろう」-。

 相変わらず既存のマスコミなどでは12/14に投開票が行われた第47回衆議院議員選挙(総選挙)関連の話題が取り上げられています。既存のマスコミ、特にテレビにあふれている選挙戦の「ドキュメント」「ルポ(ルポルタージュ)」などというものの中には今の日本の政治と政治報道の最大の問題点が分かりやすい形で見えているように思います。

 まず当たり前すぎるくらい当たり前のことを確認しておきますが、そもそも衆議院議員選挙とはいったい何なのでしょうか? 言うまでもなく衆議院議員選挙というものは基本的には日本国の国会議員である衆議院議員を選ぶための選挙です。ですから選挙期間中はまずはそれぞれの候補者が「日本国の国会議員である衆議院議員としてふさわしい人物であるのかどうか」ということが問われなければならないはずなのです。しかし、それにもかかわらず、選挙の前も、選挙期間中も、選挙が終わった後も、それぞれの候補者が「日本国の国会議員である衆議院議員としてふさわしい人物であるのかどうか」ということが問われることはほとんど全くと言っていいほどないのです。多くの有権者も、ある候補者の対立陣営も、既存のマスコミも、「日本国の国会議員である衆議院議員としてふさわしい人物であるのかどうか」ということにはどういうわけかほどんど興味がないようです。これは明らかに異常な現象です。

 確かに現行の「小選挙区比例代表並立制」の下では、衆議院議員選挙、特に小選挙区の選挙は「誰を日本国の内閣総理大臣にするのか」ということも事実上有権者に同時に問われていることは間違いないと思います。ですから、もしもある有権者に内閣総理大臣にしたい人物がいる場合には、その人物が党首を務める政党の公認候補者を選んで投票することになるのだろうと思います。もしかすると自分自身が内閣総理大臣にしたいと思うような人物に間違いなく投票してくれさえすれば「人形」でも「案山子」でも何でもいいなどと思っているような有権者もそれなりにいるのかもしれません。しかし、それぞれの候補者が「日本国の国会議員である衆議院議員としてふさわしい人物であるのかどうか」ということを見極めなくても本当にいいのでしょうか? 衆議院議員選挙(総選挙)が「日本国の国会議員である衆議院議員を選ぶための選挙」であるにもかかわらず、それぞれの候補者が「日本国の国会議員である衆議院議員としてふさわしい人物であるのかどうか」ということがほとんど問題にされることがないのは今の日本の政治と政治報道の大きな問題点の一つだと私は考えています。選挙というものは単なる人気投票ではないはずなのです。

 もしかすると選挙の現場では「選挙とは人気投票ではない」というのは単なる「美しい建前」になっているのかもしれないと思います。残念ながら「今の選挙は人気投票にすぎない」というのが偽らざる現実なのだろうと思います。いったいいつになったら「選挙とは人気投票ではない」と言えるようになるのでしょうか? 選挙の現場でも「選挙とは人気投票ではない」と堂々と言えるようにならなければならないと私は心から思います。

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