元衆議院東京2区の泡沫候補・千葉 潤のきょうのひとこと

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「適切なのか?」(2017/12/11)

2017-12-11 21:06:11 | 日記
きょうは2017/12/11(月)です。

「適切なのか?」(2017/12/11)

「『目的』は 正しいけれど その『手段』 実現のため 適切なのか?」-。

きょうも個別具体的な固有名詞には触れないように注意しながら政治の現場における「目的」と「手段」の関係について考えてみることにしようと思います(→参考:2017/12/10付)。くどいようですが、政治の現場においては「目的」と「手段」の関係は死活的に重要なものになるのです。あくまでも念のために確認しておきますが、いくら「目的」が正しかったとしても、実現するための「手段」が致命的に間違っているのならば、「目的」を実現することはできないのです。

例えば、人が人を殺す「殺人」が悪いことであるということは世界中のほとんどの人たちがよく分かっていると思います。その上で、あえて各国の指導者を含めた多くの人たちに対して様々な機会に人が人を殺す「殺人」がいかに悪いことであるのかということを繰り返し訴え続けることに全く意味がないとは言えないと思います。実際に殺人事件の被害者の遺族などの切実な訴えは多くの人たちの心を動かすことになるのだろうと思います。しかし、それでもやはり、人が人を殺す「殺人」がいかに悪いことであるかということを繰り返し訴え続けてもそれだけでは「殺人」がなくならないという現実を見失ってはならないのです。

いくら「殺人」が悪いことであると繰り返し訴え続けてもその訴えが届かない人間たちがどうしても残ってしまうのです。そして地球上に「殺人」が悪いことであるといくら繰り返し訴え続けてもその訴えが届かない人間がたった1人でも残っている場合には「殺人」はなくなることはないのです。地球上の99.99999%の人たちが「殺人」が悪いことであると分かっていたとしても不十分なのです。あくまでも念のために言っておきますが、「殺人」は「多数決」や「四捨五入」でなくすことができるわけではないのです。

さらに言えば、現実の社会では「殺人」が悪いことであると分かっていても、「殺人」を犯すつもりは全くなかったにもかかわらず、様々な事情から「殺人」を犯してしまうような人間たちも出てきてしまうのです。地球上から「殺人」をなくそうと本気で思っているのならばこうした現実を真正面から捉えることが必要不可欠なのです。いくら「目的」が正しかったとしてもその実現のための「手段」が適切なものであるとは限らないのです。多少の批判を恐れずにあえて言わせてもらうのならば、いくら地球上から「殺人」をなくすという「目的」が正しかったとしても、「殺人」がいかに悪いことであるかということを繰り返し訴え続けるということは、その「目的」を実現するための「手段」としては致命的に間違っていると言わざるを得ないのです。この問題についてはまた取り上げることにします。

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