自由自律(日本国&仙台&東京)・千葉 潤(無所属、jchiba)のきょうのひとこと

「他人事」のようにコメントしていた元総理大臣やマスコミとは別の視点で政治関連の動きをコメント。

「政治空白」(2010/12/31)

2010-12-31 09:16:03 | 政治・時事

きょうは2010/12/31(金)です。

「政治空白」(2010/12/31)

「政治家が やるべきことは 他にある! 忘年会に 新年会と…」-

 相変わらず永田町周辺では6カ月間以上に渡って非常に長い「政治空白」が続いています。そして政府・民主党では「政治とカネ」の問題での「見苦しい泥沼の内紛」が続いています。とうとう「政治空白」のまま2010年を終え、「政治空白」のまま2011年を迎えることになります。そしてすぐにどこかの「新年会」に誰が参加したとかしないなどというほとんどどうでもいいことが注目されるようになるのだろうと思います。相変わらず多くの政治家たちは「忘年会」が終わると次は「新年会」などという類の「商売」をやっているようですが、私はそうした現状に大いに疑問を感じています。少なくとも「議員バッチ」などをつけたら他にやるべきことがいくらでもあるはずです。こんな現状だからこそいつまでも「政治空白」を埋めることができないのだろうと私は思っています。

 政府・民主党によってつくり出されている「政治空白」のために日本国の国益、つまり日本国民の利益が流出しています。私は、失われていく日本国の国益を守るためには、その最大の障害になっている「菅直人」を切り捨てる以外の選択肢はもはや残されていないという確信をますます深めています。そして内閣総理大臣を務めるために必要な能力と内閣総理大臣になる「正統性」とを共に持たない人間をあえて内閣総理大臣にしてしまった国会議員バッチを付けただけの人間たちの責任が厳しく問われなければならないと私は考えています。私としては、能力のないお粗末な人間たちが「霞が関の役人たち」にけんかを売るだけで何ら意味のあるものを生み出すことができない「事業仕分け」騒動のような「中身のないテレビ政治」などを含めて、これからも政府・民主党などを厳しく監視し続けます。そして日本国の国益、つまり日本国民の利益を流出させる能力のないお粗末な人間たちによって日本が「パー」にされてしまうことだけは絶対に阻止しなければならないと私は心から思っています。

 2011年こそは「内閣総理大臣にふさわしい人物」を新しく内閣総理大臣にした上で本当の意味で政策的に一致した強力な政治勢力をつくり出して「政治空白」を解消していかなければならないと私は考えています。もうこれ以上「政治空白」を続けている余裕はないはずです。

 <基本方針 -「政局への対処方針」(2010/12/25策定)->

(1) 私は、菅直人氏を日本国の内閣総理大臣として信任せず、その一分一秒でも早い辞任を強く望み続けます。

(2) したがって、いかなる「大義名分」があろうとも、菅氏が内閣総理大臣に居座り続ける限り、菅氏を容認する民主党を中心とする政治勢力とは敵対関係を維持し続け、政界再編を視野に入れながら野党的立場を貫き続けます。

(3) また日本の民主主義のために、「中身のないテレビ政治」、「選挙のための政治」、「勘違いした余計なお世話がはびこる政治」を厳しく監視し続け、それらを排除するための活動を継続します。

 「(前略)…たとえば、与党の代議士に金銭的な疑惑が持ち上がるとする。野党は証人喚問を要求し、国会は委員会審議がストップする。そんなときにコメントを求められた総理大臣はおそらくこう言う。『国会のことは国会に聞いてくれ。私は政府の人間として、国会にあれこれと言う立場にはない』。 官僚の一員である事務の内閣官房副長官がこのように言うのであれば、それは正しい。しかし、総理大臣は国会議員でもあり、同時に与党の党首である。自分の党の議員が疑惑を持たれているのであれば、党首として何らかの措置をとるべきだろう。その視点が、質問するマスコミのほうにも、抜けている。三権分立だから、総理は国会に口を出せない、と決め込んでいる。たしかに、国会の運営については議長が権限を持っているのであり、総理大臣には国会に命令する権限はない。だが、総理大臣も議員の一人であるし、また与党の党首でもあるわけだから、国会に対しての発言権はあるとも言えよう…(後略)」(p179-180。菅直人著、「大臣 増補版」、岩波新書(新赤版1220)、2009年12月から)

 もしかすると「紅衛兵のような人間たち」とその「親分」の言葉には説得力のようなものは必要ないのかもしれません。でも、やはり「熟議」にするために欠かせないのは言葉の信用です。「熟議」とは主張をコロコロ変えながら無意味な議論を繰り返すことではないはずです。「熟議」の国会にするためには、まずは著書に書いてあるように、「与党の党首」が「疑惑を持たれて強制起訴される自分の党の議員」と一刻も早く直接会談して「政治とカネ」の問題に決着を付けることが必要だと私は考えています。私は「約束」したことでさえもほとんど守れないくらい言葉が軽いのならば「熟議」になどなるわけがないと思っています。あえて繰り返しますが、「熟議」にするために欠かせないのは言葉の信用です。

 繰り返しになりますが、私は、日本国の国益、つまり日本国民の利益を最優先で考えることができない人間は内閣総理大臣にふさわしくない人間であり、また日本国の国益、つまり日本国民の利益を実際に守ることができない人間は内閣総理大臣を務めるために必要な能力が欠けている人間であると考えています。私は、10年以上前に様々な理由から菅直人氏が内閣総理大臣にふさわしくない人物であると判断し、その後も現在に至るまでその認識を深め続けています。このまま菅氏の「居座り」を認めれば、さらに歴史に残る最低最悪の国益を損ねる「政治判断」を繰り返す危険性が非常に高いと私は強い危機感を持っています。もちろんたとえ菅氏がこのまま目立ったことをせずに内閣総理大臣の職に居座り続けるだけだったとしても、日本国の国益は確実に損なわれていくことになります。私は、本当の意味での民主主義を理解していない菅直人内閣に対して引き続き「倒閣運動」を展開しながら、権力の濫用や税金の私物化などを一層厳しく監視し、一刻も早く日本に民主主義を取り戻さなければならないと考えています。

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「消費期限」(2010/12/30)

2010-12-30 08:35:58 | 政治・時事

きょうは2010/12/30(木)です。

「消費期限」(2010/12/30)

「来年は 誰が総理に 居座るか 『仮免』切れて 『消費期限』に」-

 相変わらず永田町周辺では6カ月間以上に渡って非常に長い「政治空白」が続いています。「仮免」が失効してとっくに「消費期限」が切れている人間がいつまでも居座り続けることによって「政治空白」が必要以上に長引いています。そして政府・民主党では「政治とカネ」の問題での「見苦しい泥沼の内紛」が続いています。

 政府・民主党の人間たちはなぜ「政治とカネ」の問題を長引かせているのでしょうか? いくら問題解決に必要な能力がなかったとしてもそれだけではここまで長引くことはないはずです。もしかすると政府・民主党の人間たちは通常国会前にダラダラとたっぷり時間をかけて「オザワたたき」をすることで少しでも支持率を上げようと思っているのかもしれません。でも、政府・民主党が時間をかけて取り組む必要があるのは「オザワたたき」ではないはずです。緊急に解決する必要がある課題は山積しているはずです。私は、もしも民主党が何かを決めるのならば、時間の無駄を避け、政治倫理審査会への出席などではなく、最初から「証人喚問」を実現する方針を決めるべきだと考えています。そして繰り返しになりますが、万一、政治倫理審査会の議決ではなく「証人喚問」を実現したとしても、また仮に「離党勧告」や「除名」などを求めるようなことなどがあったとしても、実際に小沢一郎元代表が国会で十分な説明をすることがない限り、「与党党首」をはじめとする政府・民主党はその責任を厳しく問われ続けることになります。あえて繰り返しますが、政府・民主党の人間たちはなぜ「政治とカネ」の問題を長引かせているのでしょうか?

 政府・民主党によってつくり出されている「政治空白」のために日本国の国益、つまり日本国民の利益が流出しています。私は、失われていく日本国の国益を守るためには、その最大の障害になっている「菅直人」を切り捨てる以外の選択肢はもはや残されていないという確信をますます深めています。そして内閣総理大臣を務めるために必要な能力と内閣総理大臣になる「正統性」とを共に持たない人間をあえて内閣総理大臣にしてしまった国会議員バッチを付けただけの人間たちの責任が厳しく問われなければならないと私は考えています。私としては、能力のないお粗末な人間たちが「霞が関の役人たち」にけんかを売るだけで何ら意味のあるものを生み出すことができない「事業仕分け」騒動のような「中身のないテレビ政治」などを含めて、これからも政府・民主党などを厳しく監視し続けます。そして日本国の国益、つまり日本国民の利益を流出させる能力のないお粗末な人間たちによって日本が「パー」にされてしまうことだけは絶対に阻止しなければならないと私は心から思っています。

 <基本方針 -「政局への対処方針」(2010/12/25策定)->

(1) 私は、菅直人氏を日本国の内閣総理大臣として信任せず、その一分一秒でも早い辞任を強く望み続けます。

(2) したがって、いかなる「大義名分」があろうとも、菅氏が内閣総理大臣に居座り続ける限り、菅氏を容認する民主党を中心とする政治勢力とは敵対関係を維持し続け、政界再編を視野に入れながら野党的立場を貫き続けます。

(3) また日本の民主主義のために、「中身のないテレビ政治」、「選挙のための政治」、「勘違いした余計なお世話がはびこる政治」を厳しく監視し続け、それらを排除するための活動を継続します。

 「(前略)…たとえば、与党の代議士に金銭的な疑惑が持ち上がるとする。野党は証人喚問を要求し、国会は委員会審議がストップする。そんなときにコメントを求められた総理大臣はおそらくこう言う。『国会のことは国会に聞いてくれ。私は政府の人間として、国会にあれこれと言う立場にはない』。 官僚の一員である事務の内閣官房副長官がこのように言うのであれば、それは正しい。しかし、総理大臣は国会議員でもあり、同時に与党の党首である。自分の党の議員が疑惑を持たれているのであれば、党首として何らかの措置をとるべきだろう。その視点が、質問するマスコミのほうにも、抜けている。三権分立だから、総理は国会に口を出せない、と決め込んでいる。たしかに、国会の運営については議長が権限を持っているのであり、総理大臣には国会に命令する権限はない。だが、総理大臣も議員の一人であるし、また与党の党首でもあるわけだから、国会に対しての発言権はあるとも言えよう…(後略)」(p179-180。菅直人著、「大臣 増補版」、岩波新書(新赤版1220)、2009年12月から)

 もしかすると「紅衛兵のような人間たち」とその「親分」の言葉には説得力のようなものは必要ないのかもしれません。でも、やはり「熟議」にするために欠かせないのは言葉の信用です。「熟議」とは主張をコロコロ変えながら無意味な議論を繰り返すことではないはずです。「熟議」の国会にするためには、まずは著書に書いてあるように、「与党の党首」が「疑惑を持たれて強制起訴される自分の党の議員」と一刻も早く直接会談して「政治とカネ」の問題に決着を付けることが必要だと私は考えています。私は「約束」したことでさえもほとんど守れないくらい言葉が軽いのならば「熟議」になどなるわけがないと思っています。あえて繰り返しますが、「熟議」にするために欠かせないのは言葉の信用です。

 繰り返しになりますが、私は、日本国の国益、つまり日本国民の利益を最優先で考えることができない人間は内閣総理大臣にふさわしくない人間であり、また日本国の国益、つまり日本国民の利益を実際に守ることができない人間は内閣総理大臣を務めるために必要な能力が欠けている人間であると考えています。私は、10年以上前に様々な理由から菅直人氏が内閣総理大臣にふさわしくない人物であると判断し、その後も現在に至るまでその認識を深め続けています。このまま菅氏の「居座り」を認めれば、さらに歴史に残る最低最悪の国益を損ねる「政治判断」を繰り返す危険性が非常に高いと私は強い危機感を持っています。もちろんたとえ菅氏がこのまま目立ったことをせずに内閣総理大臣の職に居座り続けるだけだったとしても、日本国の国益は確実に損なわれていくことになります。私は、本当の意味での民主主義を理解していない菅直人内閣に対して引き続き「倒閣運動」を展開しながら、権力の濫用や税金の私物化などを一層厳しく監視し、一刻も早く日本に民主主義を取り戻さなければならないと考えています。

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「中身は…」(2010/12/29)

2010-12-29 08:58:51 | 政治・時事

きょうは2010/12/29(水)です。

「中身は…」(2010/12/29)

「出席は 召集前か 常会か 『政治とカネ』の 中身はどこに?」-

 相変わらず永田町周辺では6カ月間以上に渡って非常に長い「政治空白」が続いています。そして政府・民主党では「政治とカネ」の問題での「見苦しい泥沼の内紛」が続いています。きのう12/28に民主党の小沢一郎元代表が来年1月召集の通常国会開会後に衆院政治倫理審査会に出席する考えを記者会見で示しました。一方の「与党党首」らは通常国会召集前の政治倫理審査会への出席を求めています。

 それにしてもいわゆる「政治とカネ」の中身の話はいったいどこに行ってしまったのでしょうか? 政府・民主党の人間たちにとっては、政治倫理審査会への出席が通常国会召集前になるのか開会後になるのかということは大きな問題なのかもしれません。でも、政治倫理審査会に出るのか出ないのか、出るとしたら通常国会召集前かそれとも召集後かなどということは、いわゆる「政治とカネ」の問題の本質ではないはずです。そもそも「政治とカネ」の問題では何をどの程度まで説明すれば十分な「説明責任」を果たしたということになるのでしょうか? 私は、もしも民主党が何かを決めるのならば、時間の無駄を避け、政治倫理審査会への出席などではなく、最初から「証人喚問」を実現する方針を決めるべきだと考えています。そして繰り返しになりますが、万一、政治倫理審査会の議決ではなく「証人喚問」を実現したとしても、また仮に「離党勧告」や「除名」などを求めるようなことなどがあったとしても、実際に小沢一郎元代表が国会で十分な説明をすることがない限り、「与党党首」をはじめとする政府・民主党はその責任を厳しく問われ続けることになります。

 政府・民主党によってつくり出されている「政治空白」のために日本国の国益、つまり日本国民の利益が流出しています。私は、失われていく日本国の国益を守るためには、その最大の障害になっている「菅直人」を切り捨てる以外の選択肢はもはや残されていないという確信をますます深めています。そして内閣総理大臣を務めるために必要な能力と内閣総理大臣になる「正統性」とを共に持たない人間をあえて内閣総理大臣にしてしまった国会議員バッチを付けただけの人間たちの責任が厳しく問われなければならないと私は考えています。私としては、能力のないお粗末な人間たちが「霞が関の役人たち」にけんかを売るだけで何ら意味のあるものを生み出すことができない「事業仕分け」騒動のような「中身のないテレビ政治」などを含めて、これからも政府・民主党などを厳しく監視し続けます。そして日本国の国益、つまり日本国民の利益を流出させる能力のないお粗末な人間たちによって日本が「パー」にされてしまうことだけは絶対に阻止しなければならないと私は心から思っています。

 <基本方針 -「政局への対処方針」(2010/12/25策定)->

(1) 私は、菅直人氏を日本国の内閣総理大臣として信任せず、その一分一秒でも早い辞任を強く望み続けます。

(2) したがって、いかなる「大義名分」があろうとも、菅氏が内閣総理大臣に居座り続ける限り、菅氏を容認する民主党を中心とする政治勢力とは敵対関係を維持し続け、政界再編を視野に入れながら野党的立場を貫き続けます。

(3) また日本の民主主義のために、「中身のないテレビ政治」、「選挙のための政治」、「勘違いした余計なお世話がはびこる政治」を厳しく監視し続け、それらを排除するための活動を継続します。

 「(前略)…たとえば、与党の代議士に金銭的な疑惑が持ち上がるとする。野党は証人喚問を要求し、国会は委員会審議がストップする。そんなときにコメントを求められた総理大臣はおそらくこう言う。『国会のことは国会に聞いてくれ。私は政府の人間として、国会にあれこれと言う立場にはない』。 官僚の一員である事務の内閣官房副長官がこのように言うのであれば、それは正しい。しかし、総理大臣は国会議員でもあり、同時に与党の党首である。自分の党の議員が疑惑を持たれているのであれば、党首として何らかの措置をとるべきだろう。その視点が、質問するマスコミのほうにも、抜けている。三権分立だから、総理は国会に口を出せない、と決め込んでいる。たしかに、国会の運営については議長が権限を持っているのであり、総理大臣には国会に命令する権限はない。だが、総理大臣も議員の一人であるし、また与党の党首でもあるわけだから、国会に対しての発言権はあるとも言えよう…(後略)」(p179-180。菅直人著、「大臣 増補版」、岩波新書(新赤版1220)、2009年12月から)

 もしかすると「紅衛兵のような人間たち」とその「親分」の言葉には説得力のようなものは必要ないのかもしれません。でも、やはり「熟議」にするために欠かせないのは言葉の信用です。「熟議」とは主張をコロコロ変えながら無意味な議論を繰り返すことではないはずです。「熟議」の国会にするためには、まずは著書に書いてあるように、「与党の党首」が「疑惑を持たれて強制起訴される自分の党の議員」と一刻も早く直接会談して「政治とカネ」の問題に決着を付けることが必要だと私は考えています。私は「約束」したことでさえもほとんど守れないくらい言葉が軽いのならば「熟議」になどなるわけがないと思っています。あえて繰り返しますが、「熟議」にするために欠かせないのは言葉の信用です。

 繰り返しになりますが、私は、日本国の国益、つまり日本国民の利益を最優先で考えることができない人間は内閣総理大臣にふさわしくない人間であり、また日本国の国益、つまり日本国民の利益を実際に守ることができない人間は内閣総理大臣を務めるために必要な能力が欠けている人間であると考えています。私は、10年以上前に様々な理由から菅直人氏が内閣総理大臣にふさわしくない人物であると判断し、その後も現在に至るまでその認識を深め続けています。このまま菅氏の「居座り」を認めれば、さらに歴史に残る最低最悪の国益を損ねる「政治判断」を繰り返す危険性が非常に高いと私は強い危機感を持っています。もちろんたとえ菅氏がこのまま目立ったことをせずに内閣総理大臣の職に居座り続けるだけだったとしても、日本国の国益は確実に損なわれていくことになります。私は、本当の意味での民主主義を理解していない菅直人内閣に対して引き続き「倒閣運動」を展開しながら、権力の濫用や税金の私物化などを一層厳しく監視し、一刻も早く日本に民主主義を取り戻さなければならないと考えています。

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「たちあがれ?」(2010/12/28)

2010-12-28 08:59:55 | 政治・時事

きょうは2010/12/28(火)です。

「たちあがれ?」(2010/12/28)

「泥船を 改造しても 沈むだけ オザワ蹴落とし たちあがろうと」-

 きのう12/27に政府・民主党から連立参加を非公式に打診されていた「たちあがれ日本」は連立参加を拒否することを決めたそうです。過剰な期待を与えることを避けるためにもあえてコメントは控えることにします。

 相変わらず永田町周辺では6カ月間以上に渡って非常に長い「政治空白」が続いています。そして政府・民主党では「政治とカネ」の問題での「見苦しい泥沼の内紛」が続いています。きのう12/27の民主党役員会で小沢一郎元代表が自発的に衆院政治倫理審査会に出席しない場合には通常国会までに政治倫理審査会で出席を求める議決を行う方針を確認したそうです。要するに、結局のところは、民主党は「政治とカネ」の問題の解決を年末年始以降に先送りしただけの話です。

 そもそも政倫審で議決をしても、本人が出席しないのならば議決する意味はないはずです。また仮に本人が政倫審に出席したとしても、野党側は政倫審では納得せずに「証人喚問」を要求しているわけですから、少なくとも国会対策上は政倫審に出席する意味はほとんどないということになります。そして仮に政倫審に出席しても野党側が「証人喚問」を要求して国会が動かなくなるのならば、ますます本人は出席することはないのだろうと思います。私は、もしも民主党が何かを決めるのならば、時間の無駄を避け、政治倫理審査会への出席などではなく、最初から「証人喚問」を実現する方針を決めるべきだと考えています。いずれにしても、万一、政治倫理審査会の議決ではなく「証人喚問」を実現したとしても、また仮に「離党勧告」や「除名」などを求めるようなことなどがあったとしても、実際に小沢一郎元代表が国会で十分な説明をすることがない限り、「与党党首」をはじめとする政府・民主党はその責任を厳しく問われ続けることになります。

 どうやら「与党党首」は小沢一郎元代表が国会招致を拒否するのならば「出処進退」を判断してもらったり自発的な離党を促したりしたいようです。しかし、いくら「悪者」を蹴落としたとしても「泥船」は決して浮かび上がることはないはずです。むしろ「与党党首」が「新党」を作った方が「政治とカネ」の問題に一定の決着をずっと早くつけることができるのではないかと私は思います。また「内閣総理大臣に居座り続ける与党党首」が「内閣改造」を考えているようですが、参議院で問責決議が可決された「官房長官」らだけではなく、「内閣総理大臣」も交代させなければ今の日本の難局を乗り越えることはできないと私は心から思います。

 政府・民主党によってつくり出されている「政治空白」のために日本国の国益、つまり日本国民の利益が流出しています。私は、失われていく日本国の国益を守るためには、その最大の障害になっている「菅直人」を切り捨てる以外の選択肢はもはや残されていないという確信をますます深めています。そして内閣総理大臣を務めるために必要な能力と内閣総理大臣になる「正統性」とを共に持たない人間をあえて内閣総理大臣にしてしまった国会議員バッチを付けただけの人間たちの責任が厳しく問われなければならないと私は考えています。私としては、能力のないお粗末な人間たちが「霞が関の役人たち」にけんかを売るだけで何ら意味のあるものを生み出すことができない「事業仕分け」騒動のような「中身のないテレビ政治」などを含めて、これからも政府・民主党などを厳しく監視し続けます。そして日本国の国益、つまり日本国民の利益を流出させる能力のないお粗末な人間たちによって日本が「パー」にされてしまうことだけは絶対に阻止しなければならないと私は心から思っています。

 <基本方針 -「政局への対処方針」(2010/12/25策定)->

(1) 私は、菅直人氏を日本国の内閣総理大臣として信任せず、その一分一秒でも早い辞任を強く望み続けます。

(2) したがって、いかなる「大義名分」があろうとも、菅氏が内閣総理大臣に居座り続ける限り、菅氏を容認する民主党を中心とする政治勢力とは敵対関係を維持し続け、政界再編を視野に入れながら野党的立場を貫き続けます。

(3) また日本の民主主義のために、「中身のないテレビ政治」、「選挙のための政治」、「勘違いした余計なお世話がはびこる政治」を厳しく監視し続け、それらを排除するための活動を継続します。

 「(前略)…たとえば、与党の代議士に金銭的な疑惑が持ち上がるとする。野党は証人喚問を要求し、国会は委員会審議がストップする。そんなときにコメントを求められた総理大臣はおそらくこう言う。『国会のことは国会に聞いてくれ。私は政府の人間として、国会にあれこれと言う立場にはない』。 官僚の一員である事務の内閣官房副長官がこのように言うのであれば、それは正しい。しかし、総理大臣は国会議員でもあり、同時に与党の党首である。自分の党の議員が疑惑を持たれているのであれば、党首として何らかの措置をとるべきだろう。その視点が、質問するマスコミのほうにも、抜けている。三権分立だから、総理は国会に口を出せない、と決め込んでいる。たしかに、国会の運営については議長が権限を持っているのであり、総理大臣には国会に命令する権限はない。だが、総理大臣も議員の一人であるし、また与党の党首でもあるわけだから、国会に対しての発言権はあるとも言えよう…(後略)」(p179-180。菅直人著、「大臣 増補版」、岩波新書(新赤版1220)、2009年12月から)

 もしかすると「紅衛兵のような人間たち」とその「親分」の言葉には説得力のようなものは必要ないのかもしれません。でも、やはり「熟議」にするために欠かせないのは言葉の信用です。「熟議」とは主張をコロコロ変えながら無意味な議論を繰り返すことではないはずです。「熟議」の国会にするためには、まずは著書に書いてあるように、「与党の党首」が「疑惑を持たれて強制起訴される自分の党の議員」と一刻も早く直接会談して「政治とカネ」の問題に決着を付けることが必要だと私は考えています。私は「約束」したことでさえもほとんど守れないくらい言葉が軽いのならば「熟議」になどなるわけがないと思っています。あえて繰り返しますが、「熟議」にするために欠かせないのは言葉の信用です。

 繰り返しになりますが、私は、日本国の国益、つまり日本国民の利益を最優先で考えることができない人間は内閣総理大臣にふさわしくない人間であり、また日本国の国益、つまり日本国民の利益を実際に守ることができない人間は内閣総理大臣を務めるために必要な能力が欠けている人間であると考えています。私は、10年以上前に様々な理由から菅直人氏が内閣総理大臣にふさわしくない人物であると判断し、その後も現在に至るまでその認識を深め続けています。このまま菅氏の「居座り」を認めれば、さらに歴史に残る最低最悪の国益を損ねる「政治判断」を繰り返す危険性が非常に高いと私は強い危機感を持っています。もちろんたとえ菅氏がこのまま目立ったことをせずに内閣総理大臣の職に居座り続けるだけだったとしても、日本国の国益は確実に損なわれていくことになります。私は、本当の意味での民主主義を理解していない菅直人内閣に対して引き続き「倒閣運動」を展開しながら、権力の濫用や税金の私物化などを一層厳しく監視し、一刻も早く日本に民主主義を取り戻さなければならないと考えています。

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「○○のない○○なんて…」(2010/12/27)

2010-12-27 08:53:16 | 政治・時事

きょうは2010/12/27(月)です。

「○○のない○○なんて…」(2010/12/27)

「『悪者』が 集めた『票』に 罪はない? 『剛腕』捨てて 議席は捨てず」-

 永田町周辺では6カ月間以上に渡って非常に長い「政治空白」が続いています。相変わらず政府・民主党では「政治とカネ」の問題での「見苦しい泥沼の内紛」が続いています。どうやらきょう12/27の民主党役員会には「与党党首」も出席して小沢一郎元代表の国会招致問題を協議するそうです。どういうわけか政府・民主党の人間たちは、「悪者の小沢一郎」を生け贄にしてなんとか切り捨てようとしても、その「悪者の小沢一郎」の力によって獲得した衆議院や参議院の議席を切り捨てる気持ちは少しもないようです。「小沢一郎」のいない「民主党」なんて…、と思っている人たちも少なくはないと私は思いますが、今の政府・民主党には「ご都合主義」がはびこっているようです。もしも民主党が小沢一郎元代表を切り捨てるのならば、2009年総選挙のマニフェストと「政権交代」を掲げて獲得した衆議院の議席、「国民の生活が第一。」などを掲げて獲得した参議院の議席も一緒に切り捨てなければ有権者から票を騙し取ったことになるはずです。何にしても、万一、政治倫理審査会の議決ではなく「証人喚問」を実現したとしても、また仮に「離党勧告」や「除名」などを求めるようなことなどがあったとしても、実際に小沢一郎元代表が国会で十分な説明をすることがない限り、「与党党首」をはじめとする政府・民主党はその責任を厳しく問われ続けることになります。

 「打倒民主党」のない「たちあがれ日本」なんて…。「たちあがれ日本」の存在を少しでも知っている人たちはきっとそう思うのではないかと私は思います。コメントは以上です。

 政府・民主党によってつくり出されている「政治空白」のために日本国の国益、つまり日本国民の利益が流出しています。私は、失われていく日本国の国益を守るためには、その最大の障害になっている「菅直人」を切り捨てる以外の選択肢はもはや残されていないという確信をますます深めています。そして内閣総理大臣を務めるために必要な能力と内閣総理大臣になる「正統性」とを共に持たない人間をあえて内閣総理大臣にしてしまった国会議員バッチを付けただけの人間たちの責任が厳しく問われなければならないと私は考えています。私としては、能力のないお粗末な人間たちが「霞が関の役人たち」にけんかを売るだけで何ら意味のあるものを生み出すことができない「事業仕分け」騒動のような「中身のないテレビ政治」などを含めて、これからも政府・民主党などを厳しく監視し続けます。そして日本国の国益、つまり日本国民の利益を流出させる能力のないお粗末な人間たちによって日本が「パー」にされてしまうことだけは絶対に阻止しなければならないと私は心から思っています。

 <基本方針 -「政局への対処方針」(2010/12/25策定)->

(1) 私は、菅直人氏を日本国の内閣総理大臣として信任せず、その一分一秒でも早い辞任を強く望み続けます。

(2) したがって、いかなる「大義名分」があろうとも、菅氏が内閣総理大臣に居座り続ける限り、菅氏を容認する民主党を中心とする政治勢力とは敵対関係を維持し続け、政界再編を視野に入れながら野党的立場を貫き続けます。

(3) また日本の民主主義のために、「中身のないテレビ政治」、「選挙のための政治」、「勘違いした余計なお世話がはびこる政治」を厳しく監視し続け、それらを排除するための活動を継続します。

 「(前略)…たとえば、与党の代議士に金銭的な疑惑が持ち上がるとする。野党は証人喚問を要求し、国会は委員会審議がストップする。そんなときにコメントを求められた総理大臣はおそらくこう言う。『国会のことは国会に聞いてくれ。私は政府の人間として、国会にあれこれと言う立場にはない』。 官僚の一員である事務の内閣官房副長官がこのように言うのであれば、それは正しい。しかし、総理大臣は国会議員でもあり、同時に与党の党首である。自分の党の議員が疑惑を持たれているのであれば、党首として何らかの措置をとるべきだろう。その視点が、質問するマスコミのほうにも、抜けている。三権分立だから、総理は国会に口を出せない、と決め込んでいる。たしかに、国会の運営については議長が権限を持っているのであり、総理大臣には国会に命令する権限はない。だが、総理大臣も議員の一人であるし、また与党の党首でもあるわけだから、国会に対しての発言権はあるとも言えよう…(後略)」(p179-180。菅直人著、「大臣 増補版」、岩波新書(新赤版1220)、2009年12月から)

 もしかすると「紅衛兵のような人間たち」とその「親分」の言葉には説得力のようなものは必要ないのかもしれません。でも、やはり「熟議」にするために欠かせないのは言葉の信用です。「熟議」とは主張をコロコロ変えながら無意味な議論を繰り返すことではないはずです。「熟議」の国会にするためには、まずは著書に書いてあるように、「与党の党首」が「疑惑を持たれて強制起訴される自分の党の議員」と一刻も早く直接会談して「政治とカネ」の問題に決着を付けることが必要だと私は考えています。私は「約束」したことでさえもほとんど守れないくらい言葉が軽いのならば「熟議」になどなるわけがないと思っています。あえて繰り返しますが、「熟議」にするために欠かせないのは言葉の信用です。

 繰り返しになりますが、私は、日本国の国益、つまり日本国民の利益を最優先で考えることができない人間は内閣総理大臣にふさわしくない人間であり、また日本国の国益、つまり日本国民の利益を実際に守ることができない人間は内閣総理大臣を務めるために必要な能力が欠けている人間であると考えています。私は、10年以上前に様々な理由から菅直人氏が内閣総理大臣にふさわしくない人物であると判断し、その後も現在に至るまでその認識を深め続けています。このまま菅氏の「居座り」を認めれば、さらに歴史に残る最低最悪の国益を損ねる「政治判断」を繰り返す危険性が非常に高いと私は強い危機感を持っています。もちろんたとえ菅氏がこのまま目立ったことをせずに内閣総理大臣の職に居座り続けるだけだったとしても、日本国の国益は確実に損なわれていくことになります。私は、本当の意味での民主主義を理解していない菅直人内閣に対して引き続き「倒閣運動」を展開しながら、権力の濫用や税金の私物化などを一層厳しく監視し、一刻も早く日本に民主主義を取り戻さなければならないと考えています。

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「子供のけんか」(2010/12/26)

2010-12-26 08:52:49 | 政治・時事

きょうは2010/12/26()です。

「子供のけんか」(2010/12/26)

「口利かず 目も合わさずに 同席し 居座るカンの 子供のけんか」-

 今の政府・民主党は相手の迷惑を一切考えずに一方的に抱きつきまくるチカンのような非常に迷惑な存在になっているのではないかと私は思います。とにかく多数になれば何でもいいのでしょうか? 「居座り」が許されれば何でもよくなるのでしょうか? 「たちあがれ日本」とも「社民党」とも一緒になってできるものが私にはなかなか想像することができません。そもそも「政権交代」「クタバレ自民党」程度の政策の一致で政党を作ってしまったことが今の深刻な対立に繋がっているのではないでしょうか? 永田町周辺では6カ月間以上に渡って非常に長い「政治空白」が続いています。

 相変わらず政府・民主党では「政治とカネ」の問題での「見苦しい泥沼の内紛」が続いています。どうやらきのう12/25に連合が仲介した民主党の小沢一郎元代表と「与党党首」の会談では二人は言葉も交わさず目も合わせなかったらしいです。子供のけんかじゃあるまいし…。何にしても、万一、政治倫理審査会の議決ではなく「証人喚問」を実現したとしても、また仮に「離党勧告」や「除名」などを求めるようなことなどがあったとしても、実際に小沢一郎元代表が国会で十分な説明をすることがない限り、「与党党首」をはじめとする政府・民主党はその責任を厳しく問われ続けることになります。

 政府・民主党によってつくり出されている「政治空白」のために日本国の国益、つまり日本国民の利益が流出しています。私は、失われていく日本国の国益を守るためには、その最大の障害になっている「菅直人」を切り捨てる以外の選択肢はもはや残されていないという確信をますます深めています。そして内閣総理大臣を務めるために必要な能力と内閣総理大臣になる「正統性」とを共に持たない人間をあえて内閣総理大臣にしてしまった国会議員バッチを付けただけの人間たちの責任が厳しく問われなければならないと私は考えています。私としては、能力のないお粗末な人間たちが「霞が関の役人たち」にけんかを売るだけで何ら意味のあるものを生み出すことができない「事業仕分け」騒動のような「中身のないテレビ政治」などを含めて、これからも政府・民主党などを厳しく監視し続けます。そして日本国の国益、つまり日本国民の利益を流出させる能力のないお粗末な人間たちによって日本が「パー」にされてしまうことだけは絶対に阻止しなければならないと私は心から思っています。

 <基本方針 -「政局への対処方針」(2010/12/25策定)->

(1) 私は、菅直人氏を日本国の内閣総理大臣として信任せず、その一分一秒でも早い辞任を強く望み続けます。

(2) したがって、いかなる「大義名分」があろうとも、菅氏が内閣総理大臣に居座り続ける限り、菅氏を容認する民主党を中心とする政治勢力とは敵対関係を維持し続け、政界再編を視野に入れながら野党的立場を貫き続けます。

(3) また日本の民主主義のために、「中身のないテレビ政治」、「選挙のための政治」、「勘違いした余計なお世話がはびこる政治」を厳しく監視し続け、それらを排除するための活動を継続します。

 「(前略)…たとえば、与党の代議士に金銭的な疑惑が持ち上がるとする。野党は証人喚問を要求し、国会は委員会審議がストップする。そんなときにコメントを求められた総理大臣はおそらくこう言う。『国会のことは国会に聞いてくれ。私は政府の人間として、国会にあれこれと言う立場にはない』。 官僚の一員である事務の内閣官房副長官がこのように言うのであれば、それは正しい。しかし、総理大臣は国会議員でもあり、同時に与党の党首である。自分の党の議員が疑惑を持たれているのであれば、党首として何らかの措置をとるべきだろう。その視点が、質問するマスコミのほうにも、抜けている。三権分立だから、総理は国会に口を出せない、と決め込んでいる。たしかに、国会の運営については議長が権限を持っているのであり、総理大臣には国会に命令する権限はない。だが、総理大臣も議員の一人であるし、また与党の党首でもあるわけだから、国会に対しての発言権はあるとも言えよう…(後略)」(p179-180。菅直人著、「大臣 増補版」、岩波新書(新赤版1220)、2009年12月から)

 もしかすると「紅衛兵のような人間たち」とその「親分」の言葉には説得力のようなものは必要ないのかもしれません。でも、やはり「熟議」にするために欠かせないのは言葉の信用です。「熟議」とは主張をコロコロ変えながら無意味な議論を繰り返すことではないはずです。「熟議」の国会にするためには、まずは著書に書いてあるように、「与党の党首」が「疑惑を持たれて強制起訴される自分の党の議員」と一刻も早く直接会談して「政治とカネ」の問題に決着を付けることが必要だと私は考えています。私は「約束」したことでさえもほとんど守れないくらい言葉が軽いのならば「熟議」になどなるわけがないと思っています。あえて繰り返しますが、「熟議」にするために欠かせないのは言葉の信用です。

 繰り返しになりますが、私は、日本国の国益、つまり日本国民の利益を最優先で考えることができない人間は内閣総理大臣にふさわしくない人間であり、また日本国の国益、つまり日本国民の利益を実際に守ることができない人間は内閣総理大臣を務めるために必要な能力が欠けている人間であると考えています。私は、10年以上前に様々な理由から菅直人氏が内閣総理大臣にふさわしくない人物であると判断し、その後も現在に至るまでその認識を深め続けています。このまま菅氏の「居座り」を認めれば、さらに歴史に残る最低最悪の国益を損ねる「政治判断」を繰り返す危険性が非常に高いと私は強い危機感を持っています。もちろんたとえ菅氏がこのまま目立ったことをせずに内閣総理大臣の職に居座り続けるだけだったとしても、日本国の国益は確実に損なわれていくことになります。私は、本当の意味での民主主義を理解していない菅直人内閣に対して引き続き「倒閣運動」を展開しながら、権力の濫用や税金の私物化などを一層厳しく監視し、一刻も早く日本に民主主義を取り戻さなければならないと考えています。

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「チカン?」(2010/12/25)

2010-12-25 08:21:48 | 政治・時事

きょうは2010/12/25(土)です。

「チカン?」(2010/12/25)

「立ち枯れて 抱きつきまくる チカンかな 居座るために 節操なくす」-

 永田町周辺では6カ月間以上に渡って非常に長い「政治空白」が続いています。きのう12/24に政府・民主党側が非公式に「たちあがれ日本」に連立参加を打診していたことが明らかになりました。政府・民主党はほんの少し前には社民党との連立に前向きだったような気もします。そして相変わらず公明党には秋波を送り続けているようですし、自民党との「大連立」の「噂」もまだ消えていないようです。そう言えば、今年夏の参院選の頃には一時「みんなの党」との連携にも強く期待していたような記憶も残っています。今の政府・民主党は相手の迷惑を一切考えずに一方的に抱きつきまくるチカンのような非常に迷惑な存在になっているのではないかと私は思います。

 きのう12/24に2011年度予算案が閣議決定されました。一般会計の総額は過去最大の92兆4116億円、税収は40兆9270億円、「埋蔵金」などの税外収入は7兆1866億円、新規国債発行額は44兆2980億円(過去最大だった2010年度から50億円減)と2年連続で新規国債発行額が税収を上回る異常事態が続くことになります。

 確かに今の深刻な財政状況を考えるのならば、消費税を含めた抜本的な税制改革の議論が必要であることは間違いないと私も思っています。しかし、私は、政府・民主党によるバラマキ政策の穴埋めのための財源として消費税を絶対に使うべきではないと考えています。政府・民主党は、「社会保障」以外の経済対策に消費税を使うつもりがあるのかないのかということを明確にする必要があります。また仮に消費税を「社会保障」にしか使わないとしても、その「社会保障」の中には、例えば、「子ども手当」は含まれるのかどうかということも明確にする必要があります。消費税を含めた抜本的な税制改革の議論を始める大前提として、政府・民主党は消費税の使途を明確にする必要があると私は考えています。

 さて、相変わらず政府・民主党では「政治とカネ」の問題での「見苦しい泥沼の内紛」が続いています。どうやら民主党の小沢一郎元代表と「与党党首」がきょう12/25に鳩山由紀夫前首相や岡田克也幹事長らも同席して再び会談するらしいです。何にしても、万一、政治倫理審査会の議決ではなく「証人喚問」を実現したとしても、また仮に「離党勧告」や「除名」などを求めるようなことなどがあったとしても、実際に小沢一郎元代表が国会で十分な説明をすることがない限り、「与党党首」をはじめとする政府・民主党はその責任を厳しく問われ続けることになります。

 政府・民主党によってつくり出されている「政治空白」のために日本国の国益、つまり日本国民の利益が流出しています。私は、失われていく日本国の国益を守るためには、その最大の障害になっている「菅直人」を切り捨てる以外の選択肢はもはや残されていないという確信をますます深めています。そして内閣総理大臣を務めるために必要な能力と内閣総理大臣になる「正統性」とを共に持たない人間をあえて内閣総理大臣にしてしまった国会議員バッチを付けただけの人間たちの責任が厳しく問われなければならないと私は考えています。私としては、能力のないお粗末な人間たちが「霞が関の役人たち」にけんかを売るだけで何ら意味のあるものを生み出すことができない「事業仕分け」騒動のような「中身のないテレビ政治」などを含めて、これからも政府・民主党などを厳しく監視し続けます。そして日本国の国益、つまり日本国民の利益を流出させる能力のないお粗末な人間たちによって日本が「パー」にされてしまうことだけは絶対に阻止しなければならないと私は心から思っています。

 <基本方針 -「政局への対処方針」(2010/12/25策定)->

(1) 私は、菅直人氏を日本国の内閣総理大臣として信任せず、その一分一秒でも早い辞任を強く望み続けます。

(2) したがって、いかなる「大義名分」があろうとも、菅氏が内閣総理大臣に居座り続ける限り、菅氏を容認する民主党を中心とする政治勢力とは敵対関係を維持し続け、政界再編を視野に入れながら野党的立場を貫き続けます。

(3) また日本の民主主義のために、「中身のないテレビ政治」、「選挙のための政治」、「勘違いした余計なお世話がはびこる政治」を厳しく監視し続け、それらを排除するための活動を継続します。

 「(前略)…たとえば、与党の代議士に金銭的な疑惑が持ち上がるとする。野党は証人喚問を要求し、国会は委員会審議がストップする。そんなときにコメントを求められた総理大臣はおそらくこう言う。『国会のことは国会に聞いてくれ。私は政府の人間として、国会にあれこれと言う立場にはない』。 官僚の一員である事務の内閣官房副長官がこのように言うのであれば、それは正しい。しかし、総理大臣は国会議員でもあり、同時に与党の党首である。自分の党の議員が疑惑を持たれているのであれば、党首として何らかの措置をとるべきだろう。その視点が、質問するマスコミのほうにも、抜けている。三権分立だから、総理は国会に口を出せない、と決め込んでいる。たしかに、国会の運営については議長が権限を持っているのであり、総理大臣には国会に命令する権限はない。だが、総理大臣も議員の一人であるし、また与党の党首でもあるわけだから、国会に対しての発言権はあるとも言えよう…(後略)」(p179-180。菅直人著、「大臣 増補版」、岩波新書(新赤版1220)、2009年12月から)

 もしかすると「紅衛兵のような人間たち」とその「親分」の言葉には説得力のようなものは必要ないのかもしれません。でも、やはり「熟議」にするために欠かせないのは言葉の信用です。「熟議」とは主張をコロコロ変えながら無意味な議論を繰り返すことではないはずです。「熟議」の国会にするためには、まずは著書に書いてあるように、「与党の党首」が「疑惑を持たれて強制起訴される自分の党の議員」と一刻も早く直接会談して「政治とカネ」の問題に決着を付けることが必要だと私は考えています。私は「約束」したことでさえもほとんど守れないくらい言葉が軽いのならば「熟議」になどなるわけがないと思っています。あえて繰り返しますが、「熟議」にするために欠かせないのは言葉の信用です。

 繰り返しになりますが、私は、日本国の国益、つまり日本国民の利益を最優先で考えることができない人間は内閣総理大臣にふさわしくない人間であり、また日本国の国益、つまり日本国民の利益を実際に守ることができない人間は内閣総理大臣を務めるために必要な能力が欠けている人間であると考えています。私は、10年以上前に様々な理由から菅直人氏が内閣総理大臣にふさわしくない人物であると判断し、その後も現在に至るまでその認識を深め続けています。このまま菅氏の「居座り」を認めれば、さらに歴史に残る最低最悪の国益を損ねる「政治判断」を繰り返す危険性が非常に高いと私は強い危機感を持っています。もちろんたとえ菅氏がこのまま目立ったことをせずに内閣総理大臣の職に居座り続けるだけだったとしても、日本国の国益は確実に損なわれていくことになります。私は、本当の意味での民主主義を理解していない菅直人内閣に対して引き続き「倒閣運動」を展開しながら、権力の濫用や税金の私物化などを一層厳しく監視し、一刻も早く日本に民主主義を取り戻さなければならないと考えています。

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「膨らむ予算」(2010/12/24)

2010-12-24 08:50:59 | 政治・時事

きょうは2010/12/24(金)です。

「膨らむ予算」(2010/12/24)

「財源も 方針もなく 膨らんだ カンでもできる 予算編成」-

 永田町周辺では6カ月間以上に渡って非常に長い「政治空白」が続いています。きょう12/24に2011年度予算案が閣議決定される予定ですが、どうやら政府・民主党による「政治空白」を反映した予算案になりそうです。きちんとした財源の裏付けもなければ、方針らしい方針もないにもかかわらず、一般会計の総額が約92兆4000億円にまで膨らんだ過去最大の予算案になるそうです。

 ちなみに「内閣総理大臣に居座り続ける与党党首」の「指示」によって「科学技術振興費」が削減される方向から一転して約400億円を積み増して2010年度よりもわずかに上回る規模になったなどと伝えられています。でも、科学技術予算の増額の内訳はいったいどうなっているのでしょうか? まさか詳しい内訳も決めずにただ漠然と約400億円を増額することにしたのでしょうか? もしも詳しい内訳が決まっていないのに約400億円増額したのならば「税金の無駄遣いになる」などという批判を避けることはできなくなります。逆に、「税金の無駄遣いではない」と主張できるくらい詳しい内訳が既に決まっていたのならば、官僚によってお膳立てされた「政治主導」を演出するための「やらせ」などという批判を避けることができなくなると思います。きちんとした財源の裏付けもなければ、方針らしい方針もないにもかかわらず、金額ばかりがどんどん膨らんでいくという最悪の状況を何とか阻止したいものです。

 相変わらず政府・民主党では「政治とカネ」の問題での「見苦しい泥沼の内紛」が続いています。きのう12/23に民主党の小沢一郎元代表はインターネットの番組に出演したそうです。何にしても、万一、政治倫理審査会の議決ではなく「証人喚問」を実現したとしても、また仮に「離党勧告」や「除名」などを求めるようなことなどがあったとしても、実際に小沢一郎元代表が国会で十分な説明をすることがない限り、「与党党首」をはじめとする政府・民主党はその責任を厳しく問われ続けることになります。

 政府・民主党によってつくり出されている「政治空白」のために日本国の国益、つまり日本国民の利益が流出しています。私は、失われていく日本国の国益を守るためには、その最大の障害になっている「菅直人」を切り捨てる以外の選択肢はもはや残されていないという確信をますます深めています。そして内閣総理大臣を務めるために必要な能力と内閣総理大臣になる「正統性」とを共に持たない人間をあえて内閣総理大臣にしてしまった国会議員バッチを付けただけの人間たちの責任が厳しく問われなければならないと私は考えています。私としては、能力のないお粗末な人間たちが「霞が関の役人たち」にけんかを売るだけで何ら意味のあるものを生み出すことができない「事業仕分け」騒動のような「中身のないテレビ政治」などを含めて、これからも政府・民主党などを厳しく監視し続けます。そして日本国の国益、つまり日本国民の利益を流出させる能力のないお粗末な人間たちによって日本が「パー」にされてしまうことだけは絶対に阻止しなければならないと私は心から思っています。

 <基本方針 -「政局への対処方針」(2010/10/1策定)->

(1) 私は、菅直人氏を日本国の内閣総理大臣として信任しないということを改めてここで宣言します。

(2) したがって、菅氏を支持する民主党などの政治勢力とは敵対関係を維持し、政界再編を視野に入れながら野党的立場を貫き続けます。

(3) また日本の民主主義のために、「中身のないテレビ政治」、「選挙のための政治」、「勘違いした余計なお世話がはびこる政治」を厳しく監視し続け、それらを排除するための活動を継続します。

 「(前略)…たとえば、与党の代議士に金銭的な疑惑が持ち上がるとする。野党は証人喚問を要求し、国会は委員会審議がストップする。そんなときにコメントを求められた総理大臣はおそらくこう言う。『国会のことは国会に聞いてくれ。私は政府の人間として、国会にあれこれと言う立場にはない』。 官僚の一員である事務の内閣官房副長官がこのように言うのであれば、それは正しい。しかし、総理大臣は国会議員でもあり、同時に与党の党首である。自分の党の議員が疑惑を持たれているのであれば、党首として何らかの措置をとるべきだろう。その視点が、質問するマスコミのほうにも、抜けている。三権分立だから、総理は国会に口を出せない、と決め込んでいる。たしかに、国会の運営については議長が権限を持っているのであり、総理大臣には国会に命令する権限はない。だが、総理大臣も議員の一人であるし、また与党の党首でもあるわけだから、国会に対しての発言権はあるとも言えよう…(後略)」(p179-180。菅直人著、「大臣 増補版」、岩波新書(新赤版1220)、2009年12月から)

 もしかすると「紅衛兵のような人間たち」とその「親分」の言葉には説得力のようなものは必要ないのかもしれません。でも、やはり「熟議」にするために欠かせないのは言葉の信用です。「熟議」とは主張をコロコロ変えながら無意味な議論を繰り返すことではないはずです。「熟議」の国会にするためには、まずは著書に書いてあるように、「与党の党首」が「疑惑を持たれて強制起訴される自分の党の議員」と一刻も早く直接会談して「政治とカネ」の問題に決着を付けることが必要だと私は考えています。私は「約束」したことでさえもほとんど守れないくらい言葉が軽いのならば「熟議」になどなるわけがないと思っています。あえて繰り返しますが、「熟議」にするために欠かせないのは言葉の信用です。

 繰り返しになりますが、私は、日本国の国益、つまり日本国民の利益を最優先で考えることができない人間は内閣総理大臣にふさわしくない人間であり、また日本国の国益、つまり日本国民の利益を実際に守ることができない人間は内閣総理大臣を務めるために必要な能力が欠けている人間であると考えています。私は、10年以上前に様々な理由から菅直人氏が内閣総理大臣にふさわしくない人物であると判断し、その後も現在に至るまでその認識を深め続けています。このまま菅氏の「居座り」を認めれば、さらに歴史に残る最低最悪の国益を損ねる「政治判断」を繰り返す危険性が非常に高いと私は強い危機感を持っています。もちろんたとえ菅氏がこのまま目立ったことをせずに内閣総理大臣の職に居座り続けるだけだったとしても、日本国の国益は確実に損なわれていくことになります。私は、本当の意味での民主主義を理解していない菅直人内閣に対して引き続き「倒閣運動」を展開しながら、権力の濫用や税金の私物化などを一層厳しく監視し、一刻も早く日本に民主主義を取り戻さなければならないと考えています。

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「ほとぼり」(2010/12/23)

2010-12-23 10:34:23 | 政治・時事

きょうは2010/12/23()です。

「ほとぼり」(2010/12/23)

「ほとぼりを 冷ますつもりが あべこべに 『政治とカネ』は 最優先に」-

 永田町周辺では6カ月間以上に渡って非常に長い「政治空白」が続いています。きのう12/22に沖縄県の尖閣諸島沖での中国漁船による海上保安庁の巡視船への衝突事件(→参考:2010/9/8、2010/9/26etc.)の映像が流出した事件(参考:2010/11/5、2010/11/10etc.)で、警視庁は国家公務員法の守秘義務違反容疑で神戸海上保安部の海上保安官を書類送検しました。また海上保安庁は12/22にこの海上保安官を停職1年にし、海上保安官は同日付で依願退職しました。あの事件の後も実に様々な事件や政治的な大失態がありました。確かにこの事件は過去の事件になったような印象を受けます。しかし、少なくとも「政治職」の責任についてはまだ「ほとぼり」も冷めてはいないはずです。「政治職」だという「国土交通相」、「官房長官」、そして「内閣総理大臣」の「処分」はどうなるのだろうかと気になっている人たちは少なくないはずです。事件処理については「事務職」よりも「政治職」の方により大きな責任があったはずです。あくまでも念のために言っておきますが、このままならばおそらく通常国会が始まっても参議院における問責決議の「ほとぼり」が冷めることはないだろうと私は考えています。

 そして相変わらず政府・民主党では「政治とカネ」の問題で「見苦しい泥沼の内紛」が続いています。万一、政治倫理審査会の議決ではなく「証人喚問」を実現したとしても、また仮に「離党勧告」や「除名」などを求めるようなことなどがあったとしても、実際に小沢一郎元代表が国会で十分な説明をすることがない限り、「与党党首」をはじめとする政府・民主党はその責任を厳しく問われ続けることになります。あくまでも念のために言っておきますが、このままならばおそらく通常国会が始まっても「政治とカネ」の問題でも「ほとぼり」が冷めることはないだろうと私は考えています。それどころか、通常国会冒頭の時点では小沢一郎元代表の国会招致をはじめとする「政治とカネ」の問題は最もホットな問題の1つになっているだろうと思います。政府・民主党の一部は、「政治とカネ」の問題を国会閉会中に決着させて「ほとぼり」を冷ますつもりだったのかもしれませんが、あべこべの結果になりつつあるようです。

 政府・民主党によってつくり出されている「政治空白」のために日本国の国益、つまり日本国民の利益が流出しています。私は、失われていく日本国の国益を守るためには、その最大の障害になっている「菅直人」を切り捨てる以外の選択肢はもはや残されていないという確信をますます深めています。そして内閣総理大臣を務めるために必要な能力と内閣総理大臣になる「正統性」とを共に持たない人間をあえて内閣総理大臣にしてしまった国会議員バッチを付けただけの人間たちの責任が厳しく問われなければならないと私は考えています。私としては、能力のないお粗末な人間たちが「霞が関の役人たち」にけんかを売るだけで何ら意味のあるものを生み出すことができない「事業仕分け」騒動のような「中身のないテレビ政治」などを含めて、これからも政府・民主党などを厳しく監視し続けます。そして日本国の国益、つまり日本国民の利益を流出させる能力のないお粗末な人間たちによって日本が「パー」にされてしまうことだけは絶対に阻止しなければならないと私は心から思っています。

 <基本方針 -「政局への対処方針」(2010/10/1策定)->

(1) 私は、菅直人氏を日本国の内閣総理大臣として信任しないということを改めてここで宣言します。

(2) したがって、菅氏を支持する民主党などの政治勢力とは敵対関係を維持し、政界再編を視野に入れながら野党的立場を貫き続けます。

(3) また日本の民主主義のために、「中身のないテレビ政治」、「選挙のための政治」、「勘違いした余計なお世話がはびこる政治」を厳しく監視し続け、それらを排除するための活動を継続します。

 「(前略)…たとえば、与党の代議士に金銭的な疑惑が持ち上がるとする。野党は証人喚問を要求し、国会は委員会審議がストップする。そんなときにコメントを求められた総理大臣はおそらくこう言う。『国会のことは国会に聞いてくれ。私は政府の人間として、国会にあれこれと言う立場にはない』。 官僚の一員である事務の内閣官房副長官がこのように言うのであれば、それは正しい。しかし、総理大臣は国会議員でもあり、同時に与党の党首である。自分の党の議員が疑惑を持たれているのであれば、党首として何らかの措置をとるべきだろう。その視点が、質問するマスコミのほうにも、抜けている。三権分立だから、総理は国会に口を出せない、と決め込んでいる。たしかに、国会の運営については議長が権限を持っているのであり、総理大臣には国会に命令する権限はない。だが、総理大臣も議員の一人であるし、また与党の党首でもあるわけだから、国会に対しての発言権はあるとも言えよう…(後略)」(p179-180。菅直人著、「大臣 増補版」、岩波新書(新赤版1220)、2009年12月から)

 もしかすると「紅衛兵のような人間たち」とその「親分」の言葉には説得力のようなものは必要ないのかもしれません。でも、やはり「熟議」にするために欠かせないのは言葉の信用です。「熟議」とは主張をコロコロ変えながら無意味な議論を繰り返すことではないはずです。「熟議」の国会にするためには、まずは著書に書いてあるように、「与党の党首」が「疑惑を持たれて強制起訴される自分の党の議員」と一刻も早く直接会談して「政治とカネ」の問題に決着を付けることが必要だと私は考えています。私は「約束」したことでさえもほとんど守れないくらい言葉が軽いのならば「熟議」になどなるわけがないと思っています。あえて繰り返しますが、「熟議」にするために欠かせないのは言葉の信用です。

 繰り返しになりますが、私は、日本国の国益、つまり日本国民の利益を最優先で考えることができない人間は内閣総理大臣にふさわしくない人間であり、また日本国の国益、つまり日本国民の利益を実際に守ることができない人間は内閣総理大臣を務めるために必要な能力が欠けている人間であると考えています。私は、10年以上前に様々な理由から菅直人氏が内閣総理大臣にふさわしくない人物であると判断し、その後も現在に至るまでその認識を深め続けています。このまま菅氏の「居座り」を認めれば、さらに歴史に残る最低最悪の国益を損ねる「政治判断」を繰り返す危険性が非常に高いと私は強い危機感を持っています。もちろんたとえ菅氏がこのまま目立ったことをせずに内閣総理大臣の職に居座り続けるだけだったとしても、日本国の国益は確実に損なわれていくことになります。私は、本当の意味での民主主義を理解していない菅直人内閣に対して引き続き「倒閣運動」を展開しながら、権力の濫用や税金の私物化などを一層厳しく監視し、一刻も早く日本に民主主義を取り戻さなければならないと考えています。

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「その場しのぎ」(2010/12/22)

2010-12-22 09:03:26 | 政治・時事

きょうは2010/12/22(水)です。

「その場しのぎ」(2010/12/22)

「二年目で その場しのぎも 限界に 『埋蔵金』は 消費税へと」-

 永田町周辺では6カ月間以上に渡って非常に長い「政治空白」が続いています。政府は基礎年金の国庫負担割合1/2を維持するための財源としてまた「埋蔵金」を充てる方向性になっています。よくもまあ「政治主導」による「その場しのぎ」を続けることができたものだと感心しています。日本の官僚機構は今でもかなり優秀だということが改めてよく分かったような気がします。来年度以降はどうするつもりなのかは分かりませんが、とりあえず2011年度は「鉄道建設・運輸施設整備支援機構」の利益剰余金から約1兆2000億円を国庫に返納、また財政投融資特別会計と外国為替資金特別会計から約1兆3000億円を捻出して必要な約2兆5000億円を賄うということです。しかし、国民に安心感を与えるはずの年金の問題を恒久的な安定財源の確保もせずに真剣に考えることができるわけがないと私は考えています。どんなに少なくとも「その場しのぎ」ではない財源の問題では、誰の目にも明らかな政府・民主党による「政治空白」の状態が続いているわけです。私は、カンカンと感情的にならずに、2009年総選挙のマニフェスト違反や消費税税率10%参考発言などを含めた「政治とカネ」の問題で「与党党首」の証人喚問を要求しなければならないと考えています。そしてあくまでも念のために言っておきますが、政府・民主党によるバラマキ政策の穴埋めのための財源として消費税を絶対に使うべきではないと私は考えています。

 さて、相変わらず政府・民主党では「政治とカネ」の問題で「見苦しい泥沼の内紛」が続いています。万一、政治倫理審査会の議決ではなく「証人喚問」を実現したとしても、また仮に「離党勧告」や「除名」などを求めるようなことなどがあったとしても、実際に小沢一郎元代表が国会で十分な説明をすることがない限り、「与党党首」をはじめとする政府・民主党はその責任を厳しく問われ続けることになります。そしてそもそも「証人喚問」などを実現したとしてもいったい何がどれだけ明らかになるのでしょうか? 私から見れば、「与党党首」だけではなく、既存のマスコミもかなり感情的になっているように見えます。

 政府・民主党によってつくり出されている「政治空白」のために日本国の国益、つまり日本国民の利益が流出しています。私は、失われていく日本国の国益を守るためには、その最大の障害になっている「菅直人」を切り捨てる以外の選択肢はもはや残されていないという確信をますます深めています。そして内閣総理大臣を務めるために必要な能力と内閣総理大臣になる「正統性」とを共に持たない人間をあえて内閣総理大臣にしてしまった国会議員バッチを付けただけの人間たちの責任が厳しく問われなければならないと私は考えています。私としては、能力のないお粗末な人間たちが「霞が関の役人たち」にけんかを売るだけで何ら意味のあるものを生み出すことができない「事業仕分け」騒動のような「中身のないテレビ政治」などを含めて、これからも政府・民主党などを厳しく監視し続けます。そして日本国の国益、つまり日本国民の利益を流出させる能力のないお粗末な人間たちによって日本が「パー」にされてしまうことだけは絶対に阻止しなければならないと私は心から思っています。

 <基本方針 -「政局への対処方針」(2010/10/1策定)->

(1) 私は、菅直人氏を日本国の内閣総理大臣として信任しないということを改めてここで宣言します。

(2) したがって、菅氏を支持する民主党などの政治勢力とは敵対関係を維持し、政界再編を視野に入れながら野党的立場を貫き続けます。

(3) また日本の民主主義のために、「中身のないテレビ政治」、「選挙のための政治」、「勘違いした余計なお世話がはびこる政治」を厳しく監視し続け、それらを排除するための活動を継続します。

 「(前略)…たとえば、与党の代議士に金銭的な疑惑が持ち上がるとする。野党は証人喚問を要求し、国会は委員会審議がストップする。そんなときにコメントを求められた総理大臣はおそらくこう言う。『国会のことは国会に聞いてくれ。私は政府の人間として、国会にあれこれと言う立場にはない』。 官僚の一員である事務の内閣官房副長官がこのように言うのであれば、それは正しい。しかし、総理大臣は国会議員でもあり、同時に与党の党首である。自分の党の議員が疑惑を持たれているのであれば、党首として何らかの措置をとるべきだろう。その視点が、質問するマスコミのほうにも、抜けている。三権分立だから、総理は国会に口を出せない、と決め込んでいる。たしかに、国会の運営については議長が権限を持っているのであり、総理大臣には国会に命令する権限はない。だが、総理大臣も議員の一人であるし、また与党の党首でもあるわけだから、国会に対しての発言権はあるとも言えよう…(後略)」(p179-180。菅直人著、「大臣 増補版」、岩波新書(新赤版1220)、2009年12月から)

 もしかすると「紅衛兵のような人間たち」とその「親分」の言葉には説得力のようなものは必要ないのかもしれません。でも、やはり「熟議」にするために欠かせないのは言葉の信用です。「熟議」とは主張をコロコロ変えながら無意味な議論を繰り返すことではないはずです。「熟議」の国会にするためには、まずは著書に書いてあるように、「与党の党首」が「疑惑を持たれて強制起訴される自分の党の議員」と一刻も早く直接会談して「政治とカネ」の問題に決着を付けることが必要だと私は考えています。私は「約束」したことでさえもほとんど守れないくらい言葉が軽いのならば「熟議」になどなるわけがないと思っています。あえて繰り返しますが、「熟議」にするために欠かせないのは言葉の信用です。

 繰り返しになりますが、私は、日本国の国益、つまり日本国民の利益を最優先で考えることができない人間は内閣総理大臣にふさわしくない人間であり、また日本国の国益、つまり日本国民の利益を実際に守ることができない人間は内閣総理大臣を務めるために必要な能力が欠けている人間であると考えています。私は、10年以上前に様々な理由から菅直人氏が内閣総理大臣にふさわしくない人物であると判断し、その後も現在に至るまでその認識を深め続けています。このまま菅氏の「居座り」を認めれば、さらに歴史に残る最低最悪の国益を損ねる「政治判断」を繰り返す危険性が非常に高いと私は強い危機感を持っています。もちろんたとえ菅氏がこのまま目立ったことをせずに内閣総理大臣の職に居座り続けるだけだったとしても、日本国の国益は確実に損なわれていくことになります。私は、本当の意味での民主主義を理解していない菅直人内閣に対して引き続き「倒閣運動」を展開しながら、権力の濫用や税金の私物化などを一層厳しく監視し、一刻も早く日本に民主主義を取り戻さなければならないと考えています。

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「内紛」(2010/12/21)

2010-12-21 09:30:04 | 政治・時事

きょうは2010/12/21(火)です。

「内紛」(2010/12/21)

「カンカンと たたき続ける 内紛は オザワ抱きつき 自滅の道へ」-

 韓国はきのう12/20に黄海の延坪(ヨンピョン)島で射撃訓練を行いました(→参考:2010/11/23)。また朝鮮半島情勢への対応を協議していた国連安全保障理事会は、北朝鮮非難に抵抗する中国と日米英仏などの意見が一致せずに結論を出すことはできませんでした。とりあえず現時点では事態の悪化は避けられていますが、私としては、引き続き国連の「集団安全保障」が実際に機能するのかどうかということに注目しています。国連が危機に対して迅速に有効な対応を打ち出せない状況が長く続くのは危険です。

 さて、永田町周辺では6カ月間以上に渡って非常に長い「政治空白」が続いています。そして相変わらず政府・民主党では「政治とカネ」の問題で「泥沼の内紛」が続いています。きのう12/20に民主党の小沢一郎元代表と「内閣総理大臣に居座り続けている与党党首」が約1時間30分に渡って会談したそうです。小沢一郎元代表は仮に出席を求める議決があった場合でも衆院政治倫理審査会には出席しない考えを示したそうです。様々なことが伝えられていますが、万一、政治倫理審査会の議決ではなく「証人喚問」を実現したとしても、また仮に「離党勧告」や「除名」などを求めるようなことなどがあったとしても、実際に小沢一郎元代表が国会で十分な説明をすることがない限り、「与党党首」をはじめとする政府・民主党はその責任を厳しく問われ続けることになります。そして何度切っても切ってもどうしても「オザワ」が切れてくれなければ、万一、解散・総選挙に踏み切ったとしても、政府・民主党は自滅していくだけです。それにしても今の政府・民主党は、何度切っても切っても、見えてくるのは「あまりにもひどい政局オンチ」と「財源の裏付けのないお粗末な政策」、そして「オザワ」や「ハト」ぐらいだということに呆れてしまいます。

 政府・民主党によってつくり出されている「政治空白」のために日本国の国益、つまり日本国民の利益が流出しています。私は、失われていく日本国の国益を守るためには、その最大の障害になっている「菅直人」を切り捨てる以外の選択肢はもはや残されていないという確信をますます深めています。そして内閣総理大臣を務めるために必要な能力と内閣総理大臣になる「正統性」とを共に持たない人間をあえて内閣総理大臣にしてしまった国会議員バッチを付けただけの人間たちの責任が厳しく問われなければならないと私は考えています。私としては、能力のないお粗末な人間たちが「霞が関の役人たち」にけんかを売るだけで何ら意味のあるものを生み出すことができない「事業仕分け」騒動のような「中身のないテレビ政治」などを含めて、これからも政府・民主党などを厳しく監視し続けます。そして日本国の国益、つまり日本国民の利益を流出させる能力のないお粗末な人間たちによって日本が「パー」にされてしまうことだけは絶対に阻止しなければならないと私は心から思っています。

 <基本方針 -「政局への対処方針」(2010/10/1策定)->

(1) 私は、菅直人氏を日本国の内閣総理大臣として信任しないということを改めてここで宣言します。

(2) したがって、菅氏を支持する民主党などの政治勢力とは敵対関係を維持し、政界再編を視野に入れながら野党的立場を貫き続けます。

(3) また日本の民主主義のために、「中身のないテレビ政治」、「選挙のための政治」、「勘違いした余計なお世話がはびこる政治」を厳しく監視し続け、それらを排除するための活動を継続します。

 「(前略)…たとえば、与党の代議士に金銭的な疑惑が持ち上がるとする。野党は証人喚問を要求し、国会は委員会審議がストップする。そんなときにコメントを求められた総理大臣はおそらくこう言う。『国会のことは国会に聞いてくれ。私は政府の人間として、国会にあれこれと言う立場にはない』。 官僚の一員である事務の内閣官房副長官がこのように言うのであれば、それは正しい。しかし、総理大臣は国会議員でもあり、同時に与党の党首である。自分の党の議員が疑惑を持たれているのであれば、党首として何らかの措置をとるべきだろう。その視点が、質問するマスコミのほうにも、抜けている。三権分立だから、総理は国会に口を出せない、と決め込んでいる。たしかに、国会の運営については議長が権限を持っているのであり、総理大臣には国会に命令する権限はない。だが、総理大臣も議員の一人であるし、また与党の党首でもあるわけだから、国会に対しての発言権はあるとも言えよう…(後略)」(p179-180。菅直人著、「大臣 増補版」、岩波新書(新赤版1220)、2009年12月から)

 もしかすると「紅衛兵のような人間たち」とその「親分」の言葉には説得力のようなものは必要ないのかもしれません。でも、やはり「熟議」にするために欠かせないのは言葉の信用です。「熟議」とは主張をコロコロ変えながら無意味な議論を繰り返すことではないはずです。「熟議」の国会にするためには、まずは著書に書いてあるように、「与党の党首」が「疑惑を持たれて強制起訴される自分の党の議員」と一刻も早く直接会談して「政治とカネ」の問題に決着を付けることが必要だと私は考えています。私は「約束」したことでさえもほとんど守れないくらい言葉が軽いのならば「熟議」になどなるわけがないと思っています。あえて繰り返しますが、「熟議」にするために欠かせないのは言葉の信用です。

 繰り返しになりますが、私は、日本国の国益、つまり日本国民の利益を最優先で考えることができない人間は内閣総理大臣にふさわしくない人間であり、また日本国の国益、つまり日本国民の利益を実際に守ることができない人間は内閣総理大臣を務めるために必要な能力が欠けている人間であると考えています。私は、10年以上前に様々な理由から菅直人氏が内閣総理大臣にふさわしくない人物であると判断し、その後も現在に至るまでその認識を深め続けています。このまま菅氏の「居座り」を認めれば、さらに歴史に残る最低最悪の国益を損ねる「政治判断」を繰り返す危険性が非常に高いと私は強い危機感を持っています。もちろんたとえ菅氏がこのまま目立ったことをせずに内閣総理大臣の職に居座り続けるだけだったとしても、日本国の国益は確実に損なわれていくことになります。私は、本当の意味での民主主義を理解していない菅直人内閣に対して引き続き「倒閣運動」を展開しながら、権力の濫用や税金の私物化などを一層厳しく監視し、一刻も早く日本に民主主義を取り戻さなければならないと考えています。

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「剛腕」(2010/12/20)

2010-12-20 09:15:03 | 政治・時事

きょうは2010/12/20(月)です。

「剛腕」(2010/12/20)

「『剛腕』を たたいて上げた 支持率も 『空きカン』たたく 音に消え行く」-

 国連安全保障理事会は12/20未明(日本時間)から朝鮮半島情勢への対応を協議するための緊急会合を開いているそうです。もちろんこれ以上緊張状態が高まることは好ましくないと私も思っています。でも、私としては、国連の「集団安全保障」が必要とされるときに実際に機能するのかしないのかということの方に注目しています。きょうのところのコメントは以上です。

 永田町周辺では6カ月間以上に渡って非常に長い「政治空白」が続いています。そして相変わらず政府・民主党では「政治とカネ」の問題で「泥沼の内紛」が続いています。きょう12/20に民主党の小沢一郎元代表と「内閣総理大臣に居座り続けている与党党首」が会談するなどと伝えられています。でも、形式的な会談にいったいどれだけの意味があるのでしょうか? もしかすると二人で一緒にいてもほとんど何も話さないで済ますことができる「囲碁」をするつもりではないかという「噂」まであります。国会での「説明責任」などは法律的な拘束力などが全くない話ですから、本人から「ならぬものはならぬ」などと拒否されてしまえばそれまでの話になります。いくら「政治倫理審査会の議決」などをしたとしても、「小沢一郎元代表が実際に国会の場で国民に対して十分な説明をする」というそもそもの目的を実現することはできないはずです。きょうも繰り返しておきますが、私は、もしも民主党が何かを決めるのならば、時間の無駄を避け、政治倫理審査会への出席などではなく、最初から「証人喚問」を実現する方針を決めるべきだと考えています。ちなみにいくら強く「剛腕」をたたいてみても、もう3回目ともなると「空きカン」をたたく大きな音にかき消されてしまうかもしれません。

 相変わらず民主党の一部にはまるで「政治倫理審査会の議決」や「離党勧告」や「除名」などが目的であるかのようなとんでもない勘違いも広がっているようです。また憲法上の拘束力がない参院の問責決議は無視しても構わないなどと叫びながら、その一方で「政治とカネ」の問題では法律的な拘束力が全くない「説明責任」をしつこく求め続けるような自己中心的な独特の「憲法論」や「法律論」をふりかざしている勘違いしたお粗末な人間たちまで出てきているようです。しかし、法律的な拘束力のない「政治的な責任」や「道義的な責任」などを求めるのならば「自己中心的な例外」は許されないはずです。そしてあくまでも念のために確認しておきますが、実際に小沢一郎元代表が国会で十分な説明をすることがない限り、「与党党首」をはじめとする政府・与党はその責任を厳しく問われ続けることになります。

 「政治空白」のために日本国の国益、つまり日本国民の利益が流出しています。私は、失われていく日本国の国益を守るためには、その最大の障害になっている「菅直人」を切り捨てる以外の選択肢はもはや残されていないという確信をますます深めています。そして内閣総理大臣を務めるために必要な能力と内閣総理大臣になる「正統性」とを共に持たない人間をあえて内閣総理大臣にしてしまった国会議員バッチを付けただけの人間たちの責任が厳しく問われなければならないと私は考えています。私としては、能力のないお粗末な人間たちが「霞が関の役人たち」にけんかを売るだけで何ら意味のあるものを生み出すことができない「事業仕分け」騒動のような「中身のないテレビ政治」などを含めて、これからも政府・民主党などを厳しく監視し続けます。そして日本国の国益、つまり日本国民の利益を流出させる能力のないお粗末な人間たちによって日本が「パー」にされてしまうことだけは絶対に阻止しなければならないと私は心から思っています。

 <基本方針 -「政局への対処方針」(2010/10/1策定)->

(1) 私は、菅直人氏を日本国の内閣総理大臣として信任しないということを改めてここで宣言します。

(2) したがって、菅氏を支持する民主党などの政治勢力とは敵対関係を維持し、政界再編を視野に入れながら野党的立場を貫き続けます。

(3) また日本の民主主義のために、「中身のないテレビ政治」、「選挙のための政治」、「勘違いした余計なお世話がはびこる政治」を厳しく監視し続け、それらを排除するための活動を継続します。

 「(前略)…たとえば、与党の代議士に金銭的な疑惑が持ち上がるとする。野党は証人喚問を要求し、国会は委員会審議がストップする。そんなときにコメントを求められた総理大臣はおそらくこう言う。『国会のことは国会に聞いてくれ。私は政府の人間として、国会にあれこれと言う立場にはない』。 官僚の一員である事務の内閣官房副長官がこのように言うのであれば、それは正しい。しかし、総理大臣は国会議員でもあり、同時に与党の党首である。自分の党の議員が疑惑を持たれているのであれば、党首として何らかの措置をとるべきだろう。その視点が、質問するマスコミのほうにも、抜けている。三権分立だから、総理は国会に口を出せない、と決め込んでいる。たしかに、国会の運営については議長が権限を持っているのであり、総理大臣には国会に命令する権限はない。だが、総理大臣も議員の一人であるし、また与党の党首でもあるわけだから、国会に対しての発言権はあるとも言えよう…(後略)」(p179-180。菅直人著、「大臣 増補版」、岩波新書(新赤版1220)、2009年12月から)

 もしかすると「紅衛兵のような人間たち」とその「親分」の言葉には説得力のようなものは必要ないのかもしれません。でも、やはり「熟議」にするために欠かせないのは言葉の信用です。「熟議」とは主張をコロコロ変えながら無意味な議論を繰り返すことではないはずです。「熟議」の国会にするためには、まずは著書に書いてあるように、「与党の党首」が「疑惑を持たれて強制起訴される自分の党の議員」と一刻も早く直接会談して「政治とカネ」の問題に決着を付けることが必要だと私は考えています。私は「約束」したことでさえもほとんど守れないくらい言葉が軽いのならば「熟議」になどなるわけがないと思っています。あえて繰り返しますが、「熟議」にするために欠かせないのは言葉の信用です。

 繰り返しになりますが、私は、日本国の国益、つまり日本国民の利益を最優先で考えることができない人間は内閣総理大臣にふさわしくない人間であり、また日本国の国益、つまり日本国民の利益を実際に守ることができない人間は内閣総理大臣を務めるために必要な能力が欠けている人間であると考えています。私は、10年以上前に様々な理由から菅直人氏が内閣総理大臣にふさわしくない人物であると判断し、その後も現在に至るまでその認識を深め続けています。このまま菅氏の「居座り」を認めれば、さらに歴史に残る最低最悪の国益を損ねる「政治判断」を繰り返す危険性が非常に高いと私は強い危機感を持っています。もちろんたとえ菅氏がこのまま目立ったことをせずに内閣総理大臣の職に居座り続けるだけだったとしても、日本国の国益は確実に損なわれていくことになります。私は、本当の意味での民主主義を理解していない菅直人内閣に対して引き続き「倒閣運動」を展開しながら、権力の濫用や税金の私物化などを一層厳しく監視し、一刻も早く日本に民主主義を取り戻さなければならないと考えています。

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「連戦連敗」(2010/12/19)

2010-12-19 08:07:39 | 政治・時事

きょうは2010/12/19()です。

「連戦連敗」(2010/12/19)

「連敗し トンチンカンな 言い訳し 居座るだけの 政局オンチ」-

 永田町周辺では6カ月間以上に渡って非常に長い「政治空白」が続いています。そして相変わらず政府・民主党では「政治とカネ」の問題で「泥沼の内紛」が続いています。ちなみにきのう12/18に鳩山由紀夫前首相が政界引退を撤回したと伝えられています。私としては、元首相や前首相が過剰な影響力を発揮しないようにするためにも、あえてコメントしないということをコメントにしておきます。

 あくまでも念のために確認しておきますが、2009年総選挙で有権者から信任されたのは鳩山由紀夫前首相ただ一人のはずです。そして今年9月に行われた小沢一郎元代表も立候補した民主党代表選ではすべての有権者が参加できる総選挙の代わりには断じてならないはずです。そもそも今現在も内閣総理大臣の職に居座り続けている菅直人氏は、いったいいつどんな形で日本の有権者から信認されたというのでしょうか? そして7/11投開票の参院選で示された「直近の民意」は、総選挙で有権者から信任されていない菅氏の居座りの正当化を少しでも許すような結果だったのでしょうか? さらに10/24の衆院北海道5区補選で示された最新の「民意」はどうだったのでしょうか? 国民からは「仮免許」も認められていない状態のはずです。 鳩山由紀夫前首相以外の人間に代えたのならばまずは解散・総選挙で有権者に信を問う必要があるはずです。もしも2009年総選挙で民主党が掲げたマニフェストを大幅に「修正」するというのならば、ますます解散・総選挙によって有権者に信を問わなければならなくなるはずです。選挙で無責任な「公約」を掲げた責任から逃げ回る政党・政治家の存在意義が問われていると私は考えています。

 民主党の小沢一郎元代表と「内閣総理大臣に居座り続けている与党党首」が12/20にも会談する見通しなどと伝えられています。形式的な会談にどれだけの意味があるのでしょうか? 実際に小沢一郎元代表が国会で十分な説明をすることがない限り、「与党党首」をはじめとする政府・与党はその責任を厳しく問われ続けることになります。民主党の一部にはまるで「政治倫理審査会の議決」や「離党勧告」や「除名」などが目的であるかのようなとんでもない勘違いも広がっているようですから、あくまでも念のために言っておきますが、そもそもの目的は小沢一郎元代表が実際に国会の場で国民に対して十分な説明をすることだったはずです。いくら政府・民主党が現実逃避をしようとしても、野党や国民はそれを許さないと私は思います。どうやら今の政府・民主党は、これまでの選挙での「連戦連敗」に加え、「政局」でも引き返すことのできない「連戦連敗」の道を歩み始めたようです。トンチンカンな言い訳を繰り返す「政局オンチ」たちが何度繰り返して集ってみても事態を打開することはできないと私は見ています。このままならば何度切っても切っても「金太郎飴」のように「オザワ」と「ハト」が出てくるだけで、いつまでも「政治とカネ」の問題を切り捨てることはできないと私は思います。切り捨てようとするたびに切り捨てることができずに政府・民主党への失望が深まっていくばかりです。きょうも繰り返しておきますが、私は、もしも民主党が何かを決めるのならば、時間の無駄を避け、政治倫理審査会への出席などではなく、最初から「証人喚問」を実現する方針を決めるべきだと考えています。

 「政治空白」のために日本国の国益、つまり日本国民の利益が流出しています。私は、失われていく日本国の国益を守るためには、その最大の障害になっている「菅直人」を切り捨てる以外の選択肢はもはや残されていないという確信をますます深めています。そして内閣総理大臣を務めるために必要な能力と内閣総理大臣になる「正統性」とを共に持たない人間をあえて内閣総理大臣にしてしまった国会議員バッチを付けただけの人間たちの責任が厳しく問われなければならないと私は考えています。私としては、能力のないお粗末な人間たちが「霞が関の役人たち」にけんかを売るだけで何ら意味のあるものを生み出すことができない「事業仕分け」騒動のような「中身のないテレビ政治」などを含めて、これからも政府・民主党などを厳しく監視し続けます。そして日本国の国益、つまり日本国民の利益を流出させる能力のないお粗末な人間たちによって日本が「パー」にされてしまうことだけは絶対に阻止しなければならないと私は心から思っています。

 <基本方針 -「政局への対処方針」(2010/10/1策定)->

(1) 私は、菅直人氏を日本国の内閣総理大臣として信任しないということを改めてここで宣言します。

(2) したがって、菅氏を支持する民主党などの政治勢力とは敵対関係を維持し、政界再編を視野に入れながら野党的立場を貫き続けます。

(3) また日本の民主主義のために、「中身のないテレビ政治」、「選挙のための政治」、「勘違いした余計なお世話がはびこる政治」を厳しく監視し続け、それらを排除するための活動を継続します。

 「(前略)…たとえば、与党の代議士に金銭的な疑惑が持ち上がるとする。野党は証人喚問を要求し、国会は委員会審議がストップする。そんなときにコメントを求められた総理大臣はおそらくこう言う。『国会のことは国会に聞いてくれ。私は政府の人間として、国会にあれこれと言う立場にはない』。 官僚の一員である事務の内閣官房副長官がこのように言うのであれば、それは正しい。しかし、総理大臣は国会議員でもあり、同時に与党の党首である。自分の党の議員が疑惑を持たれているのであれば、党首として何らかの措置をとるべきだろう。その視点が、質問するマスコミのほうにも、抜けている。三権分立だから、総理は国会に口を出せない、と決め込んでいる。たしかに、国会の運営については議長が権限を持っているのであり、総理大臣には国会に命令する権限はない。だが、総理大臣も議員の一人であるし、また与党の党首でもあるわけだから、国会に対しての発言権はあるとも言えよう…(後略)」(p179-180。菅直人著、「大臣 増補版」、岩波新書(新赤版1220)、2009年12月から)

 もしかすると「紅衛兵のような人間たち」とその「親分」の言葉には説得力のようなものは必要ないのかもしれません。でも、やはり「熟議」にするために欠かせないのは言葉の信用です。「熟議」とは主張をコロコロ変えながら無意味な議論を繰り返すことではないはずです。「熟議」の国会にするためには、まずは著書に書いてあるように、「与党の党首」が「疑惑を持たれて強制起訴される自分の党の議員」と一刻も早く直接会談して「政治とカネ」の問題に決着を付けることが必要だと私は考えています。私は「約束」したことでさえもほとんど守れないくらい言葉が軽いのならば「熟議」になどなるわけがないと思っています。あえて繰り返しますが、「熟議」にするために欠かせないのは言葉の信用です。

 繰り返しになりますが、私は、日本国の国益、つまり日本国民の利益を最優先で考えることができない人間は内閣総理大臣にふさわしくない人間であり、また日本国の国益、つまり日本国民の利益を実際に守ることができない人間は内閣総理大臣を務めるために必要な能力が欠けている人間であると考えています。私は、10年以上前に様々な理由から菅直人氏が内閣総理大臣にふさわしくない人物であると判断し、その後も現在に至るまでその認識を深め続けています。このまま菅氏の「居座り」を認めれば、さらに歴史に残る最低最悪の国益を損ねる「政治判断」を繰り返す危険性が非常に高いと私は強い危機感を持っています。もちろんたとえ菅氏がこのまま目立ったことをせずに内閣総理大臣の職に居座り続けるだけだったとしても、日本国の国益は確実に損なわれていくことになります。私は、本当の意味での民主主義を理解していない菅直人内閣に対して引き続き「倒閣運動」を展開しながら、権力の濫用や税金の私物化などを一層厳しく監視し、一刻も早く日本に民主主義を取り戻さなければならないと考えています。

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「勘違い」(2010/12/18)

2010-12-18 09:06:02 | 政治・時事

きょうは2010/12/18(土)です。

「勘違い」(2010/12/18)

「カン違い 空きカンたたき 抗議する カンが居座る 『ベター(better)』は『バッド(bad)』」-

 相変わらず永田町周辺では6カ月間以上に渡って非常に長い「政治空白」が続いています。「内閣総理大臣」に「居座り」続けている人間がきのう12/17から沖縄県にも「居座り」続けているようです。沖縄県側は「ベター(better)」ではなく「バッド(bad)」などと反発しています。まあ、当然と言えば当然の反応なのだろうと私は思っています。いずれにしても単なる「アリバイ作り」のために沖縄県を訪問し、県知事らと形だけの会談をするのは時間の無駄だと私は見なしています。政府・民主党の一部にとんでもない勘違いが広がっているようなので、あくまでも念のために言っておきますが、「駄々っ子」が「無理難題」をただひたすら「おねだり」する類のことが「リーダーシップ」や「政治主導」ではないはずです。

 相変わらず政府・民主党では「政治とカネ」の問題で「泥沼の内紛」が続いています。きのう12/17に民主党の岡田克也幹事長と小沢一郎元代表が会談したそうです。小沢一郎元代表は現段階での衆院政治倫理審査会への出席を拒否しました。どうやら来週は小沢一郎元代表と「与党党首」が形式的な会談をするらしいです。今頃になって形だけの会談をすることにどれだけの意味があるのでしょうか? くどいようですが、私は、もしも民主党が何かを決めるのならば、時間の無駄を避け、政治倫理審査会への出席などではなく、最初から「証人喚問」を実現する方針を決めるべきだと考えています。民主党の一部にはまるで「政治倫理審査会の議決」や「離党勧告」などが目的であるかのようなとんでもない勘違いも広がっているようですが、そもそもの目的は小沢一郎元代表が実際に国会の場で国民に対して十分な説明をすることだったということは絶対に忘れてはならないはずです。したがって実際に小沢一郎元代表が国会で十分な説明をすることがない限り、「与党党首」をはじめとする政府・与党はその責任を厳しく問われ続けることになります。いずれにしても「駄々っ子」が「無理難題」をひたすら「おねだり」をする類のことが「リーダーシップ」や「政治主導」ではないはずです。やはりどの世界でも上司があまりにも無能だと部下がとても苦労するということは変わらないようです。

 あえてきょうも繰り返しておきますが、2009年総選挙で有権者から信任されたのは鳩山由紀夫前首相ただ一人のはずです。そして今年9月に行われた小沢一郎元代表も立候補した民主党代表選ではすべての有権者が参加できる総選挙の代わりには断じてならないはずです。そもそも今現在も内閣総理大臣の職に居座り続けている菅直人氏は、いったいいつどんな形で日本の有権者から信認されたというのでしょうか? そして7/11投開票の参院選で示された「直近の民意」は、総選挙で有権者から信任されていない菅氏の居座りの正当化を少しでも許すような結果だったのでしょうか? さらに10/24の衆院北海道5区補選で示された最新の「民意」はどうだったのでしょうか? 国民からは「仮免許」も認められていない状態のはずです。 鳩山由紀夫前首相以外の人間に代えたのならばまずは解散・総選挙で有権者に信を問う必要があるはずです。もしも2009年総選挙で民主党が掲げたマニフェストを大幅に「修正」するというのならば、ますます解散・総選挙によって有権者に信を問わなければならなくなるはずです。選挙で無責任な「公約」を掲げた責任から逃げ回る政党・政治家の存在意義が問われていると私は考えています。

 「政治空白」のために日本国の国益、つまり日本国民の利益が流出しています。私は、失われていく日本国の国益を守るためには、その最大の障害になっている「菅直人」を切り捨てる以外の選択肢はもはや残されていないという確信をますます深めています。そして内閣総理大臣を務めるために必要な能力と内閣総理大臣になる「正統性」とを共に持たない人間をあえて内閣総理大臣にしてしまった国会議員バッチを付けただけの人間たちの責任が厳しく問われなければならないと私は考えています。私としては、能力のないお粗末な人間たちが「霞が関の役人たち」にけんかを売るだけで何ら意味のあるものを生み出すことができない「事業仕分け」騒動のような「中身のないテレビ政治」などを含めて、これからも政府・民主党などを厳しく監視し続けます。そして日本国の国益、つまり日本国民の利益を流出させる能力のないお粗末な人間たちによって日本が「パー」にされてしまうことだけは絶対に阻止しなければならないと私は心から思っています。

 <基本方針 -「政局への対処方針」(2010/10/1策定)->

(1) 私は、菅直人氏を日本国の内閣総理大臣として信任しないということを改めてここで宣言します。

(2) したがって、菅氏を支持する民主党などの政治勢力とは敵対関係を維持し、政界再編を視野に入れながら野党的立場を貫き続けます。

(3) また日本の民主主義のために、「中身のないテレビ政治」、「選挙のための政治」、「勘違いした余計なお世話がはびこる政治」を厳しく監視し続け、それらを排除するための活動を継続します。

 「(前略)…たとえば、与党の代議士に金銭的な疑惑が持ち上がるとする。野党は証人喚問を要求し、国会は委員会審議がストップする。そんなときにコメントを求められた総理大臣はおそらくこう言う。『国会のことは国会に聞いてくれ。私は政府の人間として、国会にあれこれと言う立場にはない』。 官僚の一員である事務の内閣官房副長官がこのように言うのであれば、それは正しい。しかし、総理大臣は国会議員でもあり、同時に与党の党首である。自分の党の議員が疑惑を持たれているのであれば、党首として何らかの措置をとるべきだろう。その視点が、質問するマスコミのほうにも、抜けている。三権分立だから、総理は国会に口を出せない、と決め込んでいる。たしかに、国会の運営については議長が権限を持っているのであり、総理大臣には国会に命令する権限はない。だが、総理大臣も議員の一人であるし、また与党の党首でもあるわけだから、国会に対しての発言権はあるとも言えよう…(後略)」(p179-180。菅直人著、「大臣 増補版」、岩波新書(新赤版1220)、2009年12月から)

 もしかすると「紅衛兵のような人間たち」とその「親分」の言葉には説得力のようなものは必要ないのかもしれません。でも、やはり「熟議」にするために欠かせないのは言葉の信用です。「熟議」とは主張をコロコロ変えながら無意味な議論を繰り返すことではないはずです。「熟議」の国会にするためには、まずは著書に書いてあるように、「与党の党首」が「疑惑を持たれて強制起訴された自分の党の議員」と一刻も早く直接会談して「政治とカネ」の問題に決着を付けることが必要だと私は考えています。私は「約束」したことでさえもほとんど守れないくらい言葉が軽いのならば「熟議」になどなるわけがないと思っています。あえて繰り返しますが、「熟議」にするために欠かせないのは言葉の信用です。

 繰り返しになりますが、私は、日本国の国益、つまり日本国民の利益を最優先で考えることができない人間は内閣総理大臣にふさわしくない人間であり、また日本国の国益、つまり日本国民の利益を実際に守ることができない人間は内閣総理大臣を務めるために必要な能力が欠けている人間であると考えています。私は、10年以上前に様々な理由から菅直人氏が内閣総理大臣にふさわしくない人物であると判断し、その後も現在に至るまでその認識を深め続けています。このまま菅氏の「居座り」を認めれば、さらに歴史に残る最低最悪の国益を損ねる「政治判断」を繰り返す危険性が非常に高いと私は強い危機感を持っています。もちろんたとえ菅氏がこのまま目立ったことをせずに内閣総理大臣の職に居座り続けるだけだったとしても、日本国の国益は確実に損なわれていくことになります。私は、本当の意味での民主主義を理解していない菅直人内閣に対して引き続き「倒閣運動」を展開しながら、権力の濫用や税金の私物化などを一層厳しく監視し、一刻も早く日本に民主主義を取り戻さなければならないと考えています。

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「見通し」(2010/12/17)

2010-12-17 08:59:08 | 政治・時事

きょうは2010/12/17(金)です。

「見通し」(2010/12/17)

「見通せば 空白ばかり 見えてくる カンがでしゃばる 政治空白」-

 相変わらず永田町周辺では6カ月間以上に渡って非常に長い「政治空白」が続いています。きのう12/16に政府は2011年度の税制改正大綱を閣議決定しました。部分的には評価できるものもないわけではありませんが、全体的には「その場しのぎ」の内容になっていると私は考えています。そして何よりも少し前に言っていた方針をまた守れなくなって新規国債発行額が「2010年度並の44.3兆円」を上回ることになってしまうのでしょうか? あくまでも念のために言っておきますが、税収の見通しが約41兆円であるにもかかわらず、約44兆円も新規国債を発行しようとしている現状でさえもかなり異常な状態であるということを忘れてはならないはずです。今の政府・民主党が言ったりやったりしていることは、すぐに実現不可能と判明して完全に正反対の内容に変わっても全く不思議ではないと多くの人たちから受け止められているのではないかと私は思っています。将来の見通しが全く開けない状態、特に来年の今頃でさえもどうなっているか全く分からない状態では、普通の感覚を持った多くの人たちは「雇用」の増加にも「経済成長」にも全く期待することはできないと私は考えています。今の政府・民主党は何を言ってもやっても結局のところは「政治空白」しか作り出していないと私は見なしています。

 確かに今の政府・民主党では国民の期待に応えることはできないと私も思います。しかし、私は、選挙で無責任な「公約」を掲げた責任が問われない「大連立」や「連立組み替え」は日本国と日本国民の利益のために断じて許すことはできないと考えています。

 あえてきょうも繰り返しておきますが、2009年総選挙で有権者から信任されたのは鳩山由紀夫前首相ただ一人のはずです。そして今年9月に行われた小沢一郎元代表も立候補した民主党代表選ではすべての有権者が参加できる総選挙の代わりには断じてならないはずです。そもそも今現在も内閣総理大臣の職に居座り続けている菅直人氏は、いったいいつどんな形で日本の有権者から信認されたというのでしょうか? そして7/11投開票の参院選で示された「直近の民意」は、総選挙で有権者から信任されていない菅氏の居座りの正当化を少しでも許すような結果だったのでしょうか? さらに10/24の衆院北海道5区補選で示された最新の「民意」はどうだったのでしょうか? 国民からは「仮免許」も認められていない状態のはずです。 鳩山由紀夫前首相以外の人間に代えたのならばまずは解散・総選挙で有権者に信を問う必要があるはずです。もしも2009年総選挙で民主党が掲げたマニフェストを大幅に「修正」するというのならば、ますます解散・総選挙によって有権者に信を問わなければならなくなるはずです。選挙で無責任な「公約」を掲げた責任から逃げ回る政党・政治家の存在意義が問われていると私は考えています。

 そして「政治とカネ」の問題で民主党の岡田克也幹事長が小沢一郎元代表に衆院政治倫理審査会への出席などを求めている「泥沼の内紛」が続いています。くどいようですが、私は、もしも民主党が何かを決めるのならば、時間の無駄を避け、政治倫理審査会への出席などではなく、最初から「証人喚問」を実現する方針を決めるべきだと考えています。当たり前すぎるくらい当たり前の話ですが、当然のことながら「一任」された幹事長は職を賭して小沢一郎元代表を説得するのが「天命」ということになるのだろうと私は受け止めています。もちろん言うまでもなく「与党党首」が小沢一郎元代表を直接説得するべきであるにもかかわらず、いつまでも逃げ回っているからこそ、「泥沼の内紛」にまで発展してしまったわけです。やはりどの世界でも上司があまりにも無能だと部下がとても苦労するということは変わらないようです。

 「政治空白」のために日本国の国益、つまり日本国民の利益が流出しています。私は、失われていく日本国の国益を守るためには、その最大の障害になっている「菅直人」を切り捨てる以外の選択肢はもはや残されていないという確信をますます深めています。そして内閣総理大臣を務めるために必要な能力と内閣総理大臣になる「正統性」とを共に持たない人間をあえて内閣総理大臣にしてしまった国会議員バッチを付けただけの人間たちの責任が厳しく問われなければならないと私は考えています。私としては、能力のないお粗末な人間たちが「霞が関の役人たち」にけんかを売るだけで何ら意味のあるものを生み出すことができない「事業仕分け」騒動のような「中身のないテレビ政治」などを含めて、これからも政府・民主党などを厳しく監視し続けます。そして日本国の国益、つまり日本国民の利益を流出させる能力のないお粗末な人間たちによって日本が「パー」にされてしまうことだけは絶対に阻止しなければならないと私は心から思っています。

 <基本方針 -「政局への対処方針」(2010/10/1策定)->

(1) 私は、菅直人氏を日本国の内閣総理大臣として信任しないということを改めてここで宣言します。

(2) したがって、菅氏を支持する民主党などの政治勢力とは敵対関係を維持し、政界再編を視野に入れながら野党的立場を貫き続けます。

(3) また日本の民主主義のために、「中身のないテレビ政治」、「選挙のための政治」、「勘違いした余計なお世話がはびこる政治」を厳しく監視し続け、それらを排除するための活動を継続します。

 「(前略)…たとえば、与党の代議士に金銭的な疑惑が持ち上がるとする。野党は証人喚問を要求し、国会は委員会審議がストップする。そんなときにコメントを求められた総理大臣はおそらくこう言う。『国会のことは国会に聞いてくれ。私は政府の人間として、国会にあれこれと言う立場にはない』。 官僚の一員である事務の内閣官房副長官がこのように言うのであれば、それは正しい。しかし、総理大臣は国会議員でもあり、同時に与党の党首である。自分の党の議員が疑惑を持たれているのであれば、党首として何らかの措置をとるべきだろう。その視点が、質問するマスコミのほうにも、抜けている。三権分立だから、総理は国会に口を出せない、と決め込んでいる。たしかに、国会の運営については議長が権限を持っているのであり、総理大臣には国会に命令する権限はない。だが、総理大臣も議員の一人であるし、また与党の党首でもあるわけだから、国会に対しての発言権はあるとも言えよう…(後略)」(p179-180。菅直人著、「大臣 増補版」、岩波新書(新赤版1220)、2009年12月から)

 もしかすると「紅衛兵のような人間たち」とその「親分」の言葉には説得力のようなものは必要ないのかもしれません。でも、やはり「熟議」にするために欠かせないのは言葉の信用です。「熟議」とは主張をコロコロ変えながら無意味な議論を繰り返すことではないはずです。「熟議」の国会にするためには、まずは著書に書いてあるように、「与党の党首」が「疑惑を持たれて強制起訴された自分の党の議員」と一刻も早く直接会談して「政治とカネ」の問題に決着を付けることが必要だと私は考えています。私は「約束」したことでさえもほとんど守れないくらい言葉が軽いのならば「熟議」になどなるわけがないと思っています。あえて繰り返しますが、「熟議」にするために欠かせないのは言葉の信用です。

 繰り返しになりますが、私は、日本国の国益、つまり日本国民の利益を最優先で考えることができない人間は内閣総理大臣にふさわしくない人間であり、また日本国の国益、つまり日本国民の利益を実際に守ることができない人間は内閣総理大臣を務めるために必要な能力が欠けている人間であると考えています。私は、10年以上前に様々な理由から菅直人氏が内閣総理大臣にふさわしくない人物であると判断し、その後も現在に至るまでその認識を深め続けています。このまま菅氏の「居座り」を認めれば、さらに歴史に残る最低最悪の国益を損ねる「政治判断」を繰り返す危険性が非常に高いと私は強い危機感を持っています。もちろんたとえ菅氏がこのまま目立ったことをせずに内閣総理大臣の職に居座り続けるだけだったとしても、日本国の国益は確実に損なわれていくことになります。私は、本当の意味での民主主義を理解していない菅直人内閣に対して引き続き「倒閣運動」を展開しながら、権力の濫用や税金の私物化などを一層厳しく監視し、一刻も早く日本に民主主義を取り戻さなければならないと考えています。

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