自由自律(日本国&仙台&東京)・千葉 潤(無所属、jchiba)のきょうのひとこと

「他人事」のようにコメントしていた元総理大臣やマスコミとは別の視点で政治関連の動きをコメント。

「懇談」(2010/10/31)

2010-10-31 09:03:03 | 政治・時事

きょうは2010/10/31()です。

「懇談」(2010/10/31)

「面会は 10分間の 『懇談』に 『拒否』した後の 自然な形?」-

 中国側としては実は今回は最初から「首脳会談」ではなく「懇談」をやりたかっただけではないかという説も有力になっています。それにもかかわらず、自らの「居座り」やメンツなどのために1に首脳会談、2に首脳会談、3に首脳会談」などとあまりにもしつこく「首脳会談」にこだわる人間たちがいたものだから、ついに断り切れなくなって後から「理由」を探して「ドタキャン」してみたら、想像以上に大きな波紋が広がってしまって少し困っているというのが実情なのかもしれません。いずれにしても、ドタキャンした後に約10分間の自然な形での「懇談」があったなどという類の話にはあまり意味はないと私は考えています。そんなことよりも、民主党の岡田克也幹事長と小沢一郎元代表がどこかの場所で自然な形で約10分間の「懇談」を行うことになるのかどうかということに注目している人たちも少なくないのではないかと私は思っています。

 いくら「外遊」などを繰り返しても、相変わらず永田町周辺では日本だけではなく地球全体に多大な悪影響を及ぼしている「未曾有の人災」が続いていると私は考えています。そしていくら「事業仕分け」騒動のような「税金を使った見世物興行」を繰り返したとしても、経済再生の問題でも、深刻な財政の問題でも、社会保障制度の問題でも、あるいは、「政治とカネ」やその他の問題でも、解決はおろか結論らしきものも全く見えてこない深刻な状態が続いています。

 たとえ「事業仕分け」騒動のような「税金を使った見世物興行」がひとまず終わったとしても、私としては、これからも引き続き「中身のないテレビ政治」などを厳しく監視し続け、それらを排除するための活動を継続していきます。

 <基本方針 -「政局への対処方針」(2010/10/1策定)->

(1) 私は、菅直人氏を日本国の内閣総理大臣として信任しないということを改めてここで宣言します。

(2) したがって、菅氏を支持する民主党などの政治勢力とは敵対関係を維持し、政界再編を視野に入れながら野党的立場を貫き続けます。

(3) また日本の民主主義のために、「中身のないテレビ政治」、「選挙のための政治」、「勘違いした余計なお世話がはびこる政治」を厳しく監視し続け、それらを排除するための活動を継続します。

 「(前略)…たとえば、与党の代議士に金銭的な疑惑が持ち上がるとする。野党は証人喚問を要求し、国会は委員会審議がストップする。そんなときにコメントを求められた総理大臣はおそらくこう言う。『国会のことは国会に聞いてくれ。私は政府の人間として、国会にあれこれと言う立場にはない』。 官僚の一員である事務の内閣官房副長官がこのように言うのであれば、それは正しい。しかし、総理大臣は国会議員でもあり、同時に与党の党首である。自分の党の議員が疑惑を持たれているのであれば、党首として何らかの措置をとるべきだろう。その視点が、質問するマスコミのほうにも、抜けている。三権分立だから、総理は国会に口を出せない、と決め込んでいる。たしかに、国会の運営については議長が権限を持っているのであり、総理大臣には国会に命令する権限はない。だが、総理大臣も議員の一人であるし、また与党の党首でもあるわけだから、国会に対しての発言権はあるとも言えよう…(後略)」(p179-180。菅直人著、「大臣 増補版」、岩波新書(新赤版1220)、2009年12月から)

 もしかすると「紅衛兵のような人間たち」とその「親分」の言葉には説得力のようなものは必要ないのかもしれません。でも、やはり「熟議」にするために欠かせないのは言葉の信用です。「熟議」とは主張をコロコロ変えながら無意味な議論を繰り返すことではないはずです。「熟議」の国会にするためには、まずは著書に書いてあるように、「与党の党首」が「疑惑を持たれて強制起訴された自分の党の議員」と一刻も早く直接会談して「政治とカネ」の問題に決着を付けることが必要だと私は考えています。私は「約束」したことでさえもほとんど守れないくらい言葉が軽いのならば「熟議」になどなるわけがないと思っています。あえて繰り返しますが、「熟議」にするために欠かせないのは言葉の信用です。

 繰り返しになりますが、私は、日本国の国益、つまり日本国民の利益を最優先で考えることができない人間は内閣総理大臣にふさわしくない人間であり、また日本国の国益、つまり日本国民の利益を実際に守ることができない人間は内閣総理大臣を務めるために必要な能力が欠けている人間であると考えています。私は、10年以上前に様々な理由から菅直人氏が内閣総理大臣にふさわしくない人物であると判断し、その後も現在に至るまでその認識を深め続けています。このまま菅氏の「居座り」を認めれば、さらに歴史に残る最低最悪の国益を損ねる「政治判断」を繰り返す危険性が非常に高いと私は強い危機感を持っています。もちろんたとえ菅氏がこのまま目立ったことをせずに内閣総理大臣の職に居座り続けるだけだったとしても、日本国の国益は確実に損なわれていくことになります。私は、本当の意味での民主主義を理解していない菅直人内閣に対して引き続き「倒閣運動」を展開しながら、権力の濫用や税金の私物化などを一層厳しく監視し、一刻も早く日本に民主主義を取り戻さなければならないと考えています。

コメント

「ドタキャン」(2010/10/30)

2010-10-30 08:10:23 | 政治・時事

きょうは2010/10/30(土)です。

「ドタキャン」(2010/10/30)

「『ドタキャン』と 『仕分け』られても 冷静に? 国民白け 日本は沈む」-

 名古屋市で開かれていた生物多様性条約第10回締約国会議(国連地球生きもの会議、COP10)が10/30未明に生物から開発される資源の利用についての国際ルールである「名古屋議定書」などを採択して閉幕しました。またきのう10/29にベトナム・ハノイで日中外相会談と日中韓首脳会談が行われましたが、一度セットされた日中首脳会談を中国側が拒否したそうです。「いったい何をやっているのか」という気はします。でも、もともと今回の日中首脳会談で大した成果が期待できなかったのならば大したことはなかったのだろうと私は思います。そしてもしも中国側が11月に横浜で開かれるアジア太平洋経済協力会議(APEC)への出席を取りやめるなどということになるのならば大きな問題になると私は思います。現時点ではあえてこれ以上のコメントはしないことにしておきます。

 台風14号が関東に接近していますが、永田町周辺では日本だけではなく地球全体に多大な悪影響を及ぼしている「未曾有の人災」が続いていると私は考えています。相変わらず、経済再生の問題にしても、深刻な財政の問題にしても、社会保障制度の問題にしても、あるいは、「政治とカネ」やその他の問題にしても、解決はおろか結論らしきものも全く見えてこない深刻な状態が続いています。

 それにもかかわらず、政府・民主党の人間たちは「事業仕分け」騒動のような「税金を使った見世物興行」をしつこく繰り返しているということになります(→参考:2009/11/14、2010/4/24、2010/5/21etc.)。「番記者」か何かがいるとニュースでないものまで無理にニュースであるかのように伝えようとする一部のマスコミには本当に困ったものです。そろそろ「事業仕分け」騒動を完全に無視して一度立ち止まってじっくりと考えてみる必要があるのではないかと私は思っています。いくら情報を「丸裸」にしたとしても、「予算を効果的に使うこと」と「税金の無駄遣いを完全になくすこと」の間の本質的な違いを見失ってしまうのならば、ただ単に「古い税金の無駄遣い」を廃止して「新しい税金の無駄遣い」をつくり出していくだけの無意味な作業に終わるだけです。そもそも「事業仕分け」騒動では政府・民主党の人間たちにとって都合の良い情報しか「丸裸」にはならないと私は見ています。このままの状態ならば「丸裸」になるのは、せいぜい「事業仕分け」騒動の存在意義に対する疑問の一部と仕分け人たちのお粗末な能力ぐらいではないかと私は考えています。

 そもそもなぜ議員バッチを付けただけの人間たちが「事業仕分け」に参加する必要があるのでしょうか? もしも本気で様々な問題の解決を考えているのならば、議員バッチを付けただけの人間たちではなく、正しい専門知識を持った本物の専門家らに任せた方がずっと効率的だと私は考えています。あるいは、もしも素人の普通の感覚を取り入れようと考えているのならば、議員バッチを付けただけの人間たちではなく、裁判員制度のように、ごく普通の有権者の中から「仕分け人」を選んだ方がいいと私は考えています。会場に傍聴にやってきた人たちの中から抽選で「仕分け人」を選んだ方がずっとましではないかと私は思います。さらに言えば、もしも本気で幅広い多くの人たちに様々な問題をアピールすることを考えているのならば、議員バッチを付けただけの人間たちではなく、もっとずっと若くて美しすぎるタレントやレポーターなどに任せた方がはるかに効果的だと私は考えています。

 それにもかかわらず、どうしても議員バッチを付けただけの人間たちが参加したいというのならば国会の中でやればいいはずです。国会の委員会などで「事業仕分け」のようなことをやれば、新たに税金を使ってまで特別に会場を用意したりしなくても、インターネット中継も傍聴もできるはずです。そして新たに税金を使わなくても1カ月も経過しないうちに詳細な議事録がインターネットで公開されるようになるはずです。

 私には、なぜ国会の外にわざわざ「離れ」のような会場を借りてテレビカメラの前で「すき焼き」を食べるようなパフォーマンスをしなければならないのかが全く理解することができません。私としては、これからも引き続き「中身のないテレビ政治」などを厳しく監視し続け、それらを排除するための活動を継続していきます。

 <基本方針 -「政局への対処方針」(2010/10/1策定)->

(1) 私は、菅直人氏を日本国の内閣総理大臣として信任しないということを改めてここで宣言します。

(2) したがって、菅氏を支持する民主党などの政治勢力とは敵対関係を維持し、政界再編を視野に入れながら野党的立場を貫き続けます。

(3) また日本の民主主義のために、「中身のないテレビ政治」、「選挙のための政治」、「勘違いした余計なお世話がはびこる政治」を厳しく監視し続け、それらを排除するための活動を継続します。

 「(前略)…たとえば、与党の代議士に金銭的な疑惑が持ち上がるとする。野党は証人喚問を要求し、国会は委員会審議がストップする。そんなときにコメントを求められた総理大臣はおそらくこう言う。『国会のことは国会に聞いてくれ。私は政府の人間として、国会にあれこれと言う立場にはない』。 官僚の一員である事務の内閣官房副長官がこのように言うのであれば、それは正しい。しかし、総理大臣は国会議員でもあり、同時に与党の党首である。自分の党の議員が疑惑を持たれているのであれば、党首として何らかの措置をとるべきだろう。その視点が、質問するマスコミのほうにも、抜けている。三権分立だから、総理は国会に口を出せない、と決め込んでいる。たしかに、国会の運営については議長が権限を持っているのであり、総理大臣には国会に命令する権限はない。だが、総理大臣も議員の一人であるし、また与党の党首でもあるわけだから、国会に対しての発言権はあるとも言えよう…(後略)」(p179-180。菅直人著、「大臣 増補版」、岩波新書(新赤版1220)、2009年12月から)

 もしかすると「紅衛兵のような人間たち」とその「親分」の言葉には説得力のようなものは必要ないのかもしれません。でも、やはり「熟議」にするために欠かせないのは言葉の信用です。「熟議」とは主張をコロコロ変えながら無意味な議論を繰り返すことではないはずです。「熟議」の国会にするためには、まずは著書に書いてあるように、「与党の党首」が「疑惑を持たれて強制起訴された自分の党の議員」と一刻も早く直接会談して「政治とカネ」の問題に決着を付けることが必要だと私は考えています。私は「約束」したことでさえもほとんど守れないくらい言葉が軽いのならば「熟議」になどなるわけがないと思っています。あえて繰り返しますが、「熟議」にするために欠かせないのは言葉の信用です。

 繰り返しになりますが、私は、日本国の国益、つまり日本国民の利益を最優先で考えることができない人間は内閣総理大臣にふさわしくない人間であり、また日本国の国益、つまり日本国民の利益を実際に守ることができない人間は内閣総理大臣を務めるために必要な能力が欠けている人間であると考えています。私は、10年以上前に様々な理由から菅直人氏が内閣総理大臣にふさわしくない人物であると判断し、その後も現在に至るまでその認識を深め続けています。このまま菅氏の「居座り」を認めれば、さらに歴史に残る最低最悪の国益を損ねる「政治判断」を繰り返す危険性が非常に高いと私は強い危機感を持っています。もちろんたとえ菅氏がこのまま目立ったことをせずに内閣総理大臣の職に居座り続けるだけだったとしても、日本国の国益は確実に損なわれていくことになります。私は、本当の意味での民主主義を理解していない菅直人内閣に対して引き続き「倒閣運動」を展開しながら、権力の濫用や税金の私物化などを一層厳しく監視し、一刻も早く日本に民主主義を取り戻さなければならないと考えています。

コメント

「招致」(2010/10/29)

2010-10-29 07:02:45 | 政治・時事

きょうは2010/10/29(金)です。

「招致」(2010/10/29)

「『あの人』は 国会招致 承知せず? 傍聴席で 『仕分け』はどうか?」-

 台風14号が奄美大島に接近しているそうです。被害が心配です。またきのう10/28(日本時間)に前原誠司外相と米国のクリントン国務長官がホノルルで会談しました。そしてどうやらきょう10/29に2010年度補正予算案がようやく国会に提出されるらしいです。もしも民主党代表選のような時間と税金の無駄遣いをやっていなければ、9月末ぐらいには補正予算が成立していたかもしれないということをあえて付け加えておくことにします。

 永田町周辺では日本だけではなく地球全体に多大な悪影響を及ぼしている「未曾有の人災」が続いていると私は考えています。相変わらず、経済再生の問題にしても、深刻な財政の問題にしても、社会保障制度の問題にしても、あるいは、「政治とカネ」やその他の問題にしても、解決はおろか結論らしきものも全く見えてこない深刻な状態が続いています。

 それにもかかわらず、政府・民主党の人間たちは「事業仕分け」騒動のような「税金を使った見世物興行」をしつこく繰り返しているということになります(→参考:2009/11/14、2010/4/24、2010/5/21etc.)。政府・民主党の人間たちは、テレビカメラの前でもっともらしく「税金の無駄遣い」をバッサリと切り捨てて見せることはできるのかもしれませんが、「政治とカネ」の問題はいつまでも抱え持ったまま切り捨てることもできないようです。そんなに政治倫理審査会にするのか証人喚問にするのかで時間がかかるのならば、まずは民主党の小沢一郎元代表を「事業仕分け」騒動の傍聴席に招致することから始めたらいいのではないかと思います。そして小沢氏から新たな財源を生み出すための正しい特別会計の仕分け方でも伝授してもらえばいいのではないかと思っている人たちも少なくはないはずです。さらにそこに岡田克也幹事長が小沢氏に会いに行けば「一石二鳥」になるのかもしれません。

 そろそろ「事業仕分け」騒動を完全に無視して一度立ち止まってじっくりと考えてみる必要があるのではないかと私は思っています。いくら情報を「丸裸」にしたとしても、「予算を効果的に使うこと」と「税金の無駄遣いを完全になくすこと」の間の本質的な違いを見失ってしまうのならば、ただ単に「古い税金の無駄遣い」を廃止して「新しい税金の無駄遣い」をつくり出していくだけの無意味な作業に終わるだけです。そもそも「事業仕分け」騒動では政府・民主党の人間たちにとって都合の良い情報しか「丸裸」にはならないと私は見ています。このままの状態ならば「丸裸」になるのは、せいぜい「事業仕分け」騒動の存在意義に対する疑問の一部と仕分け人たちのお粗末な能力ぐらいではないかと私は考えています。

 そもそもなぜ議員バッチを付けただけの人間たちが「事業仕分け」に参加する必要があるのでしょうか? もしも本気で様々な問題の解決を考えているのならば、議員バッチを付けただけの人間たちではなく、正しい専門知識を持った本物の専門家らに任せた方がずっと効率的だと私は考えています。あるいは、もしも素人の普通の感覚を取り入れようと考えているのならば、議員バッチを付けただけの人間たちではなく、裁判員制度のように、ごく普通の有権者の中から「仕分け人」を選んだ方がいいと私は考えています。会場に傍聴にやってきた人たちの中から抽選で「仕分け人」を選んだ方がずっとましではないかと私は思います。さらに言えば、もしも本気で幅広い多くの人たちに様々な問題をアピールすることを考えているのならば、議員バッチを付けただけの人間たちではなく、もっとずっと若くて美しすぎるタレントやレポーターなどに任せた方がはるかに効果的だと私は考えています。

 それにもかかわらず、どうしても議員バッチを付けただけの人間たちが参加したいというのならば国会の中でやればいいはずです。国会の委員会などで「事業仕分け」のようなことをやれば、新たに税金を使ってまで特別に会場を用意したりしなくても、インターネット中継も傍聴もできるはずです。そして新たに税金を使わなくても1カ月も経過しないうちに詳細な議事録がインターネットで公開されるようになるはずです。

 私には、なぜ国会の外にわざわざ「離れ」のような会場を借りてテレビカメラの前で「すき焼き」を食べるようなパフォーマンスをしなければならないのかが全く理解することができません。私としては、これからも引き続き「中身のないテレビ政治」などを厳しく監視し続け、それらを排除するための活動を継続していきます。

 <基本方針 -「政局への対処方針」(2010/10/1策定)->

(1) 私は、菅直人氏を日本国の内閣総理大臣として信任しないということを改めてここで宣言します。

(2) したがって、菅氏を支持する民主党などの政治勢力とは敵対関係を維持し、政界再編を視野に入れながら野党的立場を貫き続けます。

(3) また日本の民主主義のために、「中身のないテレビ政治」、「選挙のための政治」、「勘違いした余計なお世話がはびこる政治」を厳しく監視し続け、それらを排除するための活動を継続します。

 「(前略)…たとえば、与党の代議士に金銭的な疑惑が持ち上がるとする。野党は証人喚問を要求し、国会は委員会審議がストップする。そんなときにコメントを求められた総理大臣はおそらくこう言う。『国会のことは国会に聞いてくれ。私は政府の人間として、国会にあれこれと言う立場にはない』。 官僚の一員である事務の内閣官房副長官がこのように言うのであれば、それは正しい。しかし、総理大臣は国会議員でもあり、同時に与党の党首である。自分の党の議員が疑惑を持たれているのであれば、党首として何らかの措置をとるべきだろう。その視点が、質問するマスコミのほうにも、抜けている。三権分立だから、総理は国会に口を出せない、と決め込んでいる。たしかに、国会の運営については議長が権限を持っているのであり、総理大臣には国会に命令する権限はない。だが、総理大臣も議員の一人であるし、また与党の党首でもあるわけだから、国会に対しての発言権はあるとも言えよう…(後略)」(p179-180。菅直人著、「大臣 増補版」、岩波新書(新赤版1220)、2009年12月から)

 もしかすると「紅衛兵のような人間たち」とその「親分」の言葉には説得力のようなものは必要ないのかもしれません。でも、やはり「熟議」にするために欠かせないのは言葉の信用です。「熟議」とは主張をコロコロ変えながら無意味な議論を繰り返すことではないはずです。「熟議」の国会にするためには、まずは著書に書いてあるように、「与党の党首」が「疑惑を持たれて強制起訴された自分の党の議員」と一刻も早く直接会談して「政治とカネ」の問題に決着を付けることが必要だと私は考えています。私は「約束」したことでさえもほとんど守れないくらい言葉が軽いのならば「熟議」になどなるわけがないと思っています。あえて繰り返しますが、「熟議」にするために欠かせないのは言葉の信用です。

 繰り返しになりますが、私は、日本国の国益、つまり日本国民の利益を最優先で考えることができない人間は内閣総理大臣にふさわしくない人間であり、また日本国の国益、つまり日本国民の利益を実際に守ることができない人間は内閣総理大臣を務めるために必要な能力が欠けている人間であると考えています。私は、10年以上前に様々な理由から菅直人氏が内閣総理大臣にふさわしくない人物であると判断し、その後も現在に至るまでその認識を深め続けています。このまま菅氏の「居座り」を認めれば、さらに歴史に残る最低最悪の国益を損ねる「政治判断」を繰り返す危険性が非常に高いと私は強い危機感を持っています。もちろんたとえ菅氏がこのまま目立ったことをせずに内閣総理大臣の職に居座り続けるだけだったとしても、日本国の国益は確実に損なわれていくことになります。私は、本当の意味での民主主義を理解していない菅直人内閣に対して引き続き「倒閣運動」を展開しながら、権力の濫用や税金の私物化などを一層厳しく監視し、一刻も早く日本に民主主義を取り戻さなければならないと考えています。

コメント

「丸裸?」(2010/10/28)

2010-10-28 08:42:00 | 政治・時事

きょうは2010/10/28(木)です。

「丸裸?」(2010/10/28)

「丸裸? 無知のベールで 覆われて 古い無駄から 新たな無駄へ」-

 永田町周辺では日本だけではなく地球全体に多大な悪影響を及ぼしている「未曾有の人災」が続いていると私は考えています。きのう10/27に政府の行政刷新会議の「事業仕分け」(第3弾、前半戦)が始まったそうです。しかし、それでも相変わらず、経済再生の問題にしても、深刻な財政の問題にしても、社会保障制度の問題にしても、あるいは、「政治とカネ」やその他の問題にしても、解決はおろか結論らしきものも全く見えてこない深刻な状態が続いています。それにもかかわらず、政府・民主党の人間たちは「事業仕分け」騒動のような「税金を使った見世物興行」をしつこく繰り返しているということになります(→参考:2009/11/14、2010/4/24、2010/5/21etc.)。

 そろそろ「事業仕分け」騒動を完全に無視して一度立ち止まってじっくりと考えてみる必要があるのではないかと私は思っています。そのためには、あえて極端な議論をしてみる必要があるのではないかと私は考えています。例えば、税金の無駄遣いを完全かつ確実になくすためにはいったいどうしたらいいのでしょうか? 言うまでもなく、もっとも極端な場合には、税金を使うのを完全に止めればいいということになるはずです。でも、そんなことが本当にできるのでしょうか? 政府や地方自治体の仕事を完全になくすということを意味するわけですから、言うまでもなくそんなことはできるわけがありません。税金の無駄遣いを容認するつもりは全くありませんが、あえて極端な議論をしてみれば「税金の無駄遣いをなくす」という発想の限界が見えてくるのではないかと私は思っています。いくら情報を「丸裸」にしたとしても、「予算を効果的に使うこと」と「税金の無駄遣いを完全になくすこと」の間の微妙かもしれないが本質的な違いを見失ってしまうのならば、ただ単に「古い税金の無駄遣い」を廃止して「新しい税金の無駄遣い」をつくり出していくだけの無意味な作業に終わるだけです。そもそも「事業仕分け」騒動では政府・民主党の人間たちにとって都合の良い情報しか「丸裸」にはならないと私は見ています。このままの状態ならば「丸裸」になるのは、せいぜい「事業仕分け」騒動の存在意義に対する疑問の一部と仕分け人たちのお粗末な能力ぐらいではないかと私は考えています。

 そもそもなぜ議員バッチを付けただけの人間たちが「事業仕分け」に参加する必要があるのでしょうか? もしも本気で様々な問題の解決を考えているのならば、議員バッチを付けただけの人間たちではなく、正しい専門知識を持った本物の専門家らに任せた方がずっと効率的だと私は考えています。あるいは、もしも素人の普通の感覚を取り入れようと考えているのならば、議員バッチを付けただけの人間たちではなく、裁判員制度のように、ごく普通の有権者の中から「仕分け人」を選んだ方がいいと私は考えています。会場に傍聴にやってきた人たちの中から抽選で「仕分け人」を選んだ方がずっとましではないかと私は思います。さらに言えば、もしも本気で幅広い多くの人たちに様々な問題をアピールすることを考えているのならば、議員バッチを付けただけの人間たちではなく、もっとずっと若くて美しすぎるタレントやレポーターなどに任せた方がはるかに効果的だと私は考えています。

 それにもかかわらず、どうしても議員バッチを付けただけの人間たちが参加したいというのならば国会の中でやればいいはずです。国会の委員会などで「事業仕分け」のようなことをやれば、新たに税金を使ってまで特別に会場を用意したりしなくても、インターネット中継も傍聴もできるはずです。そして新たに税金を使わなくても1カ月も経過しないうちに詳細な議事録がインターネットで公開されるようになるはずです。

 私には、なぜ国会の外にわざわざ「離れ」のような会場を借りてテレビカメラの前で「すき焼き」を食べるようなパフォーマンスをしなければならないのかが全く理解することができません。私としては、これからも引き続き「中身のないテレビ政治」などを厳しく監視し続け、それらを排除するための活動を継続していきます。

 <基本方針 -「政局への対処方針」(2010/10/1策定)->

(1) 私は、菅直人氏を日本国の内閣総理大臣として信任しないということを改めてここで宣言します。

(2) したがって、菅氏を支持する民主党などの政治勢力とは敵対関係を維持し、政界再編を視野に入れながら野党的立場を貫き続けます。

(3) また日本の民主主義のために、「中身のないテレビ政治」、「選挙のための政治」、「勘違いした余計なお世話がはびこる政治」を厳しく監視し続け、それらを排除するための活動を継続します。

 「(前略)…たとえば、与党の代議士に金銭的な疑惑が持ち上がるとする。野党は証人喚問を要求し、国会は委員会審議がストップする。そんなときにコメントを求められた総理大臣はおそらくこう言う。『国会のことは国会に聞いてくれ。私は政府の人間として、国会にあれこれと言う立場にはない』。 官僚の一員である事務の内閣官房副長官がこのように言うのであれば、それは正しい。しかし、総理大臣は国会議員でもあり、同時に与党の党首である。自分の党の議員が疑惑を持たれているのであれば、党首として何らかの措置をとるべきだろう。その視点が、質問するマスコミのほうにも、抜けている。三権分立だから、総理は国会に口を出せない、と決め込んでいる。たしかに、国会の運営については議長が権限を持っているのであり、総理大臣には国会に命令する権限はない。だが、総理大臣も議員の一人であるし、また与党の党首でもあるわけだから、国会に対しての発言権はあるとも言えよう…(後略)」(p179-180。菅直人著、「大臣 増補版」、岩波新書(新赤版1220)、2009年12月から)

 もしかすると「紅衛兵のような人間たち」とその「親分」の言葉には説得力のようなものは必要ないのかもしれません。でも、やはり「熟議」にするために欠かせないのは言葉の信用です。「熟議」とは主張をコロコロ変えながら無意味な議論を繰り返すことではないはずです。「熟議」の国会にするためには、まずは著書に書いてあるように、「与党の党首」が「疑惑を持たれて強制起訴された自分の党の議員」と一刻も早く直接会談して「政治とカネ」の問題に決着を付けることが必要だと私は考えています。私は「約束」したことでさえもほとんど守れないくらい言葉が軽いのならば「熟議」になどなるわけがないと思っています。あえて繰り返しますが、「熟議」にするために欠かせないのは言葉の信用です。

 繰り返しになりますが、私は、日本国の国益、つまり日本国民の利益を最優先で考えることができない人間は内閣総理大臣にふさわしくない人間であり、また日本国の国益、つまり日本国民の利益を実際に守ることができない人間は内閣総理大臣を務めるために必要な能力が欠けている人間であると考えています。私は、10年以上前に様々な理由から菅直人氏が内閣総理大臣にふさわしくない人物であると判断し、その後も現在に至るまでその認識を深め続けています。このまま菅氏の「居座り」を認めれば、さらに歴史に残る最低最悪の国益を損ねる「政治判断」を繰り返す危険性が非常に高いと私は強い危機感を持っています。もちろんたとえ菅氏がこのまま目立ったことをせずに内閣総理大臣の職に居座り続けるだけだったとしても、日本国の国益は確実に損なわれていくことになります。私は、本当の意味での民主主義を理解していない菅直人内閣に対して引き続き「倒閣運動」を展開しながら、権力の濫用や税金の私物化などを一層厳しく監視し、一刻も早く日本に民主主義を取り戻さなければならないと考えています。

コメント

「『離れ』で『すき焼き』」(2010/10/27)

2010-10-27 07:32:26 | 政治・時事

きょうは2010/10/27(水)です。

「『離れ』で『すき焼き』」(2010/10/27)

「国会に 無断で『離れ』 つくり出し 『すき焼き』食らう 仕分け人たち」-

 永田町周辺では日本だけではなく地球全体に多大な悪影響を及ぼしている「未曾有の人災」が続いていると私は考えています。きのう10/26になって政府はようやく2010年度補正予算案を閣議決定しました。しかし、相変わらず、経済再生の問題にしても、深刻な財政の問題にしても、社会保障制度の問題にしても、あるいは、「政治とカネ」やその他の問題にしても、解決はおろか結論らしきものも全く見えてこない深刻な状態が続いています。それにもかかわらず、政府・民主党の人間たちは「事業仕分け」騒動のような「税金を使った見世物興行」をしつこく繰り返しています。

 私は、昨年からずっと、「事業仕分け」騒動を否定的に捉え、その問題点を指摘し続けています(→参考:2009/11/14、2010/4/24、2010/5/21etc.)。相変わらずなぜ国会の外にわざわざ「離れ」のような会場を借りてテレビカメラの前で「すき焼き」を食べるようなパフォーマンスをしなければならないのかが私には全く理解することができないままです。

 どうして議員バッチを付けただけの人間たちが「事業仕分け」に参加する必要があるのでしょうか? もしも本気で様々な問題の解決を考えているのならば、議員バッチを付けただけの人間たちではなく、正しい専門知識を持った本物の専門家らに任せた方がずっと効率的だと私は考えています。あるいは、もしも素人の普通の感覚を取り入れようと考えているのならば、議員バッチを付けただけの人間たちではなく、裁判員制度のように、ごく普通の有権者の中から「仕分け人」を選んだ方がいいと私は考えています。会場に傍聴にやってきた人たちの中から抽選で「仕分け人」を選んだ方がずっとましではないかと私は思います。さらに言えば、もしも本気で幅広い多くの人たちに様々な問題をアピールすることを考えているのならば、議員バッチを付けただけの人間たちではなく、もっとずっと若くて美しすぎるタレントやレポーターなどに任せた方がはるかに効果的だと私は考えています。

 それにもかかわらず、どうしても議員バッチを付けただけの人間たちが参加したいというのならば国会の中でやればいいはずです。国会の委員会などで「事業仕分け」のようなことをやれば、新たに税金を使ってまで特別に会場を用意したりしなくても、インターネット中継も傍聴もできるはずです。そして新たに税金を使わなくても1カ月も経過しないうちに詳細な議事録がインターネットで公開されるようになるはずです。

 繰り返しますが、なぜ国会の外にわざわざ「離れ」のような会場を借りてテレビカメラの前で「すき焼き」を食べるようなパフォーマンスをしなければならないのかが私には全く理解することができません。私としては、これからも引き続き「中身のないテレビ政治」などを厳しく監視し続け、それらを排除するための活動を継続していきます。

 <基本方針 -「政局への対処方針」(2010/10/1策定)->

(1) 私は、菅直人氏を日本国の内閣総理大臣として信任しないということを改めてここで宣言します。

(2) したがって、菅氏を支持する民主党などの政治勢力とは敵対関係を維持し、政界再編を視野に入れながら野党的立場を貫き続けます。

(3) また日本の民主主義のために、「中身のないテレビ政治」、「選挙のための政治」、「勘違いした余計なお世話がはびこる政治」を厳しく監視し続け、それらを排除するための活動を継続します。

 「(前略)…たとえば、与党の代議士に金銭的な疑惑が持ち上がるとする。野党は証人喚問を要求し、国会は委員会審議がストップする。そんなときにコメントを求められた総理大臣はおそらくこう言う。『国会のことは国会に聞いてくれ。私は政府の人間として、国会にあれこれと言う立場にはない』。 官僚の一員である事務の内閣官房副長官がこのように言うのであれば、それは正しい。しかし、総理大臣は国会議員でもあり、同時に与党の党首である。自分の党の議員が疑惑を持たれているのであれば、党首として何らかの措置をとるべきだろう。その視点が、質問するマスコミのほうにも、抜けている。三権分立だから、総理は国会に口を出せない、と決め込んでいる。たしかに、国会の運営については議長が権限を持っているのであり、総理大臣には国会に命令する権限はない。だが、総理大臣も議員の一人であるし、また与党の党首でもあるわけだから、国会に対しての発言権はあるとも言えよう…(後略)」(p179-180。菅直人著、「大臣 増補版」、岩波新書(新赤版1220)、2009年12月から)

 もしかすると「紅衛兵のような人間たち」とその「親分」の言葉には説得力のようなものは必要ないのかもしれません。でも、やはり「熟議」にするために欠かせないのは言葉の信用です。「熟議」とは主張をコロコロ変えながら無意味な議論を繰り返すことではないはずです。「熟議」の国会にするためには、まずは著書に書いてあるように、「与党の党首」が「疑惑を持たれて強制起訴された自分の党の議員」と一刻も早く直接会談して「政治とカネ」の問題に決着を付けることが必要だと私は考えています。私は「約束」したことでさえもほとんど守れないくらい言葉が軽いのならば「熟議」になどなるわけがないと思っています。あえて繰り返しますが、「熟議」にするために欠かせないのは言葉の信用です。

 繰り返しになりますが、私は、日本国の国益、つまり日本国民の利益を最優先で考えることができない人間は内閣総理大臣にふさわしくない人間であり、また日本国の国益、つまり日本国民の利益を実際に守ることができない人間は内閣総理大臣を務めるために必要な能力が欠けている人間であると考えています。私は、10年以上前に様々な理由から菅直人氏が内閣総理大臣にふさわしくない人物であると判断し、その後も現在に至るまでその認識を深め続けています。このまま菅氏の「居座り」を認めれば、さらに歴史に残る最低最悪の国益を損ねる「政治判断」を繰り返す危険性が非常に高いと私は強い危機感を持っています。もちろんたとえ菅氏がこのまま目立ったことをせずに内閣総理大臣の職に居座り続けるだけだったとしても、日本国の国益は確実に損なわれていくことになります。私は、本当の意味での民主主義を理解していない菅直人内閣に対して引き続き「倒閣運動」を展開しながら、権力の濫用や税金の私物化などを一層厳しく監視し、一刻も早く日本に民主主義を取り戻さなければならないと考えています。

コメント

「仕分け」(2010/10/26)

2010-10-26 08:18:51 | 政治・時事

きょうは2010/10/26(火)です。

「仕分け」(2010/10/26)

「『事務方』の 示唆があったか 仕分けせず 『事務所』も『盾』に 責任逃れ」-

 「(前略)…参議院警務部に許可願を出すときにですね、まあ、これまでにも過去、国会で、国会議員が撮影をしたことがございまして、事務方にはそういう事務手続きのノウハウがあるものでございますから、撮影目的欄に何と書けばいいのかという、あの、お尋ねを申し上げました。そうしたら、あのー、そこには、過去も同じように『議員活動の記録のため』と書くように担当者から示唆がございまして、その通りに書かせていただきました…(後略)」(2010/10/14午後の参院予算委、自民党の西田昌司氏への答弁)。

 「あのー、実際に申請を行ったのは、私の事務所でございまして、そのときに…、そのときに私から、あのー、雑誌の取材の中…、私のインタビュー記事もあるということを、撮影もあるということでご説明を申し上げ、警務部からも丁寧に、あの、ご説明をいただきました。今、森委員がおっしゃったように、私が警務部に責任をというふうに、それは全く思っていないので、それは申し訳ないと思っています。その上で、私は、自分の中の理解で、議員活動の一環として、と思っていたんですけども、結果として、虚偽と捉えられて、それは本当に申し訳ない、率直に反省をさせていただきます」(2010/10/25午後の参院予算委、自民党の森まさこ氏への答弁)。

 昔、昔、永田町周辺では「秘書が…」「秘書が…」と見苦しい言い訳を繰り返すような政治家がたくさんいたものです。最近は「事務方が…」「事務方が…」という言い訳が通用しないと、次は「私の事務所が…」「私の事務所が…」などと言い訳するらしいです。どんなに少なくとも事務方の示唆があったのかどうか、つまり虚偽答弁があったのかどうか、そして責任があるのは議員本人なのか事務方や事務所なのかということをハッキリと仕分けしてもらいたいものです。こんなメチャクチャな屁理屈が永田町周辺でもっともらしく飛び交っているお粗末な状態ならば、「事業仕分け」騒動のような「税金を使った見世物興行」でも「紅衛兵」の亡霊たちが好き勝手に暴れ回ることになるのでしょう。

 やはり「見苦しい言い訳」と「他人への責任なすりつけ」を繰り返して逃げ回る無責任な人間の下には同じような無責任な人間たちが集ってくるということなのかもしれません。相変わらず「政治とカネ」の問題では何ら新しい動きは見られません。今度は「幹事長が…」「幹事長が…」と言い訳して逃げ回るつもりなのでしょうか? あるいは、「1にオザワイチロウ、2にオザワイチロウ、3にオザワイチロウ」などと叫んで逃げ回るつもりなのでしょうか? いいかげんに「与党党首」が直接本人と会談して「政治とカネ」の問題に決着を着けてもらいたいものです。

 永田町周辺では日本だけではなく地球全体に多大な悪影響を及ぼしている「未曾有の人災」が続いていると私は考えています。相変わらず、経済再生の問題にしても、深刻な財政の問題にしても、社会保障制度の問題にしても、あるいは、「政治とカネ」やその他の問題にしても、解決はおろか結論らしきものも全く見えてこない深刻な状態が続いています。いずれにしても、「事業仕分け」騒動のような「税金を使った見世物興行」に現を抜かしているような余裕は全くないはずです。

 <基本方針 -「政局への対処方針」(2010/10/1策定)->

(1) 私は、菅直人氏を日本国の内閣総理大臣として信任しないということを改めてここで宣言します。

(2) したがって、菅氏を支持する民主党などの政治勢力とは敵対関係を維持し、政界再編を視野に入れながら野党的立場を貫き続けます。

(3) また日本の民主主義のために、「中身のないテレビ政治」、「選挙のための政治」、「勘違いした余計なお世話がはびこる政治」を厳しく監視し続け、それらを排除するための活動を継続します。

 「(前略)…たとえば、与党の代議士に金銭的な疑惑が持ち上がるとする。野党は証人喚問を要求し、国会は委員会審議がストップする。そんなときにコメントを求められた総理大臣はおそらくこう言う。『国会のことは国会に聞いてくれ。私は政府の人間として、国会にあれこれと言う立場にはない』。 官僚の一員である事務の内閣官房副長官がこのように言うのであれば、それは正しい。しかし、総理大臣は国会議員でもあり、同時に与党の党首である。自分の党の議員が疑惑を持たれているのであれば、党首として何らかの措置をとるべきだろう。その視点が、質問するマスコミのほうにも、抜けている。三権分立だから、総理は国会に口を出せない、と決め込んでいる。たしかに、国会の運営については議長が権限を持っているのであり、総理大臣には国会に命令する権限はない。だが、総理大臣も議員の一人であるし、また与党の党首でもあるわけだから、国会に対しての発言権はあるとも言えよう…(後略)」(p179-180。菅直人著、「大臣 増補版」、岩波新書(新赤版1220)、2009年12月から)

 もしかすると「紅衛兵のような人間たち」とその「親分」の言葉には説得力のようなものは必要ないのかもしれません。でも、やはり「熟議」にするために欠かせないのは言葉の信用です。「熟議」とは主張をコロコロ変えながら無意味な議論を繰り返すことではないはずです。「熟議」の国会にするためには、まずは著書に書いてあるように、「与党の党首」が「疑惑を持たれて強制起訴された自分の党の議員」と一刻も早く直接会談して「政治とカネ」の問題に決着を付けることが必要だと私は考えています。私は「約束」したことでさえもほとんど守れないくらい言葉が軽いのならば「熟議」になどなるわけがないと思っています。あえて繰り返しますが、「熟議」にするために欠かせないのは言葉の信用です。

 繰り返しになりますが、私は、日本国の国益、つまり日本国民の利益を最優先で考えることができない人間は内閣総理大臣にふさわしくない人間であり、また日本国の国益、つまり日本国民の利益を実際に守ることができない人間は内閣総理大臣を務めるために必要な能力が欠けている人間であると考えています。私は、10年以上前に様々な理由から菅直人氏が内閣総理大臣にふさわしくない人物であると判断し、その後も現在に至るまでその認識を深め続けています。このまま菅氏の「居座り」を認めれば、さらに歴史に残る最低最悪の国益を損ねる「政治判断」を繰り返す危険性が非常に高いと私は強い危機感を持っています。もちろんたとえ菅氏がこのまま目立ったことをせずに内閣総理大臣の職に居座り続けるだけだったとしても、日本国の国益は確実に損なわれていくことになります。私は、本当の意味での民主主義を理解していない菅直人内閣に対して引き続き「倒閣運動」を展開しながら、権力の濫用や税金の私物化などを一層厳しく監視し、一刻も早く日本に民主主義を取り戻さなければならないと考えています。

コメント

「ブレる?」(2010/10/25)

2010-10-25 08:12:27 | 政治・時事

きょうは2010/10/25(月)です。

「ブレる?」(2010/10/25)

「ブレる人 辞めた後にも またブレて 影響力は ブレずに消える?」-

 きのう10/24に衆院北海道5区補選の投・開票が行われ、自民党の前代議士の町村信孝氏が民主党候補らを破って当選しました。投票率は53.48%(2009年は76.32%)だったそうです。コメントすることは特にありません。

 相変わらず中国各地で「反日デモ」が発生しているなどと伝えられています。もしも「日本=悪者」だから何をやっても許されるということになっているのならば、「反日」を掲げた「紅衛兵」の亡霊たちがあちこちで激しく暴れ回る危険性も出てくることになります。そしてもしも「反・旧政権」「反・天下り」「反・税金の無駄遣い」などを掲げればすべてが許されてしまうことになるのならば、「事業仕分け」騒動のような「税金を使った見世物興行」でも「紅衛兵」の亡霊たちが好き勝手に暴れ回ることになるのでしょう。

 永田町周辺では日本だけではなく地球全体に多大な悪影響を及ぼしている「未曾有の人災」が続いていると私は考えています。相変わらず、経済再生の問題にしても、深刻な財政の問題にしても、社会保障制度の問題にしても、あるいは、「政治とカネ」やその他の問題にしても、解決はおろか結論らしきものも全く見えてこない深刻な状態が続いています。いずれにしても、「事業仕分け」騒動のような「税金を使った見世物興行」に現を抜かしているような余裕は全くないはずです。

 さて、話は少し変わります。やはりどこかの前首相が国会議員を引退するのをやめるらしいです。少し前からそのうち「辞めるのをやめる」などと言い出すのではないかと思っていましたから、私にとっては特に不思議なことではありません。しかし、いったい誰が「内閣総理大臣にふさわしくない人間」が内閣総理大臣になってしまうような最低最悪の事態をつくり出したのでしょうか? そして前首相としての「影響力」はブレずに消えるのでしょうか? どんなに少なくともそのことだけは絶対に忘れてもらいたくないものです。

 久しぶりに当たり前のことを確認しておくことにします。約1カ月前に行われた民主党代表選は、形式的にも実質的にも、民主党関係者以外は参加できない「内輪の騒動」に過ぎず、すべての有権者が参加できる総選挙の代わりには断じてならないはずです。そして2009年総選挙で有権者から信任されたのは鳩山由紀夫前首相ただ一人のはずです。今現在も内閣総理大臣の職に居座り続けてもっともらしく内閣を改造した菅直人氏は、いったいいつどんな形で日本の有権者から信認されたというのでしょうか? そして7/11投開票の参院選で示された「直近の民意」は、総選挙で有権者から信任されていない菅氏の居座りの正当化を少しでも許すような結果だったのでしょうか? そしてきのう10/24の衆院北海道5区補選で示された最新の「民意」はどうだったのでしょうか? 鳩山由紀夫前首相以外の人間に代えたのならばまずは解散・総選挙で有権者に信を問う必要があるはずです。もしも2009年総選挙で民主党が掲げたマニフェストを大幅に「修正」するというのならば、ますます解散・総選挙によって有権者に信を問わなければならなくなるはずです。

 <基本方針 -「政局への対処方針」(2010/10/1策定)->

(1) 私は、菅直人氏を日本国の内閣総理大臣として信任しないということを改めてここで宣言します。

(2) したがって、菅氏を支持する民主党などの政治勢力とは敵対関係を維持し、政界再編を視野に入れながら野党的立場を貫き続けます。

(3) また日本の民主主義のために、「中身のないテレビ政治」、「選挙のための政治」、「勘違いした余計なお世話がはびこる政治」を厳しく監視し続け、それらを排除するための活動を継続します。

 「(前略)…たとえば、与党の代議士に金銭的な疑惑が持ち上がるとする。野党は証人喚問を要求し、国会は委員会審議がストップする。そんなときにコメントを求められた総理大臣はおそらくこう言う。『国会のことは国会に聞いてくれ。私は政府の人間として、国会にあれこれと言う立場にはない』。 官僚の一員である事務の内閣官房副長官がこのように言うのであれば、それは正しい。しかし、総理大臣は国会議員でもあり、同時に与党の党首である。自分の党の議員が疑惑を持たれているのであれば、党首として何らかの措置をとるべきだろう。その視点が、質問するマスコミのほうにも、抜けている。三権分立だから、総理は国会に口を出せない、と決め込んでいる。たしかに、国会の運営については議長が権限を持っているのであり、総理大臣には国会に命令する権限はない。だが、総理大臣も議員の一人であるし、また与党の党首でもあるわけだから、国会に対しての発言権はあるとも言えよう…(後略)」(p179-180。菅直人著、「大臣 増補版」、岩波新書(新赤版1220)、2009年12月から)

 もしかすると「紅衛兵のような人間たち」とその「親分」の言葉には説得力のようなものは必要ないのかもしれません。でも、やはり「熟議」にするために欠かせないのは言葉の信用です。「熟議」とは主張をコロコロ変えながら無意味な議論を繰り返すことではないはずです。「熟議」の国会にするためには、まずは著書に書いてあるように、「与党の党首」が「疑惑を持たれて強制起訴された自分の党の議員」と一刻も早く直接会談して「政治とカネ」の問題に決着を付けることが必要だと私は考えています。私は「約束」したことでさえもほとんど守れないくらい言葉が軽いのならば「熟議」になどなるわけがないと思っています。あえて繰り返しますが、「熟議」にするために欠かせないのは言葉の信用です。

 繰り返しになりますが、私は、日本国の国益、つまり日本国民の利益を最優先で考えることができない人間は内閣総理大臣にふさわしくない人間であり、また日本国の国益、つまり日本国民の利益を実際に守ることができない人間は内閣総理大臣を務めるために必要な能力が欠けている人間であると考えています。私は、10年以上前に様々な理由から菅直人氏が内閣総理大臣にふさわしくない人物であると判断し、その後も現在に至るまでその認識を深め続けています。このまま菅氏の「居座り」を認めれば、さらに歴史に残る最低最悪の国益を損ねる「政治判断」を繰り返す危険性が非常に高いと私は強い危機感を持っています。もちろんたとえ菅氏がこのまま目立ったことをせずに内閣総理大臣の職に居座り続けるだけだったとしても、日本国の国益は確実に損なわれていくことになります。私は、本当の意味での民主主義を理解していない菅直人内閣に対して引き続き「倒閣運動」を展開しながら、権力の濫用や税金の私物化などを一層厳しく監視し、一刻も早く日本に民主主義を取り戻さなければならないと考えています。

コメント

「器」(2010/10/24)

2010-10-24 07:32:48 | 政治・時事

きょうは2010/10/24()です。

「器」(2010/10/24)

「器には 器に見合う 中身だけ お粗末過ぎる 総理の器」-

 当たり前と言えば当たり前の話ですが、「器」には「器に見合う中身」しか入らないはずです。「器に見合わない中身」を無理に「器」に入れようとしても「中身」を壊さずに「器」の中に納めることはなかなかできないはずです。もしも責任逃れをするような人間が「器」になってしまったのならば、どんな重要な決定でもすべて先送りしてどうしたら自分が責任を問われずに済むのかということばかりを考えるような無責任な人間たちが集ってくることになるのでしょう。もしもいつでも口から出任せばかりを言っている人間が「器」になってしまったのならば、選挙のために平気で有権者を欺いたり、不誠実な国会答弁や記者会見を繰り返したりするようないいかげんな人間たちが集ってくることになるのでしょう。もしも知的レベルがあまりにも低い人間が「器」になってしまったのならば、それに見合った知的レベルの人間たちしか集ってこなくなってしまうのかもしれません。そして万一、何人かは有能な人物を集めることができたとしても、その有能さは「器」からは完全にあふれ出てしまうことになるはずです。

 永田町周辺では日本だけではなく地球全体に多大な悪影響を及ぼしている「未曾有の人災」が続いていると私は考えています。相変わらず、経済再生の問題にしても、深刻な財政の問題にしても、社会保障制度の問題にしても、あるいは、「政治とカネ」やその他の問題にしても、解決はおろか結論らしきものも全く見えてこない深刻な状態が続いています。いずれにしても、「事業仕分け」騒動のような「税金を使った見世物興行」に現を抜かしているような余裕は全くないはずです。ちなみにきょう10/24は衆院北海道5区補選の投・開票日です。

 <基本方針 -「政局への対処方針」(2010/10/1策定)->

(1) 私は、菅直人氏を日本国の内閣総理大臣として信任しないということを改めてここで宣言します。

(2) したがって、菅氏を支持する民主党などの政治勢力とは敵対関係を維持し、政界再編を視野に入れながら野党的立場を貫き続けます。

(3) また日本の民主主義のために、「中身のないテレビ政治」、「選挙のための政治」、「勘違いした余計なお世話がはびこる政治」を厳しく監視し続け、それらを排除するための活動を継続します。

 「(前略)…たとえば、与党の代議士に金銭的な疑惑が持ち上がるとする。野党は証人喚問を要求し、国会は委員会審議がストップする。そんなときにコメントを求められた総理大臣はおそらくこう言う。『国会のことは国会に聞いてくれ。私は政府の人間として、国会にあれこれと言う立場にはない』。 官僚の一員である事務の内閣官房副長官がこのように言うのであれば、それは正しい。しかし、総理大臣は国会議員でもあり、同時に与党の党首である。自分の党の議員が疑惑を持たれているのであれば、党首として何らかの措置をとるべきだろう。その視点が、質問するマスコミのほうにも、抜けている。三権分立だから、総理は国会に口を出せない、と決め込んでいる。たしかに、国会の運営については議長が権限を持っているのであり、総理大臣には国会に命令する権限はない。だが、総理大臣も議員の一人であるし、また与党の党首でもあるわけだから、国会に対しての発言権はあるとも言えよう…(後略)」(p179-180。菅直人著、「大臣 増補版」、岩波新書(新赤版1220)、2009年12月から)

 もしかすると「紅衛兵のような人間たち」とその「親分」の言葉には説得力のようなものは必要ないのかもしれません。でも、やはり「熟議」にするために欠かせないのは言葉の信用です。「熟議」とは主張をコロコロ変えながら無意味な議論を繰り返すことではないはずです。「熟議」の国会にするためには、まずは著書に書いてあるように、「与党の党首」が「疑惑を持たれて強制起訴された自分の党の議員」と一刻も早く直接会談して「政治とカネ」の問題に決着を付けることが必要だと私は考えています。私は「約束」したことでさえもほとんど守れないくらい言葉が軽いのならば「熟議」になどなるわけがないと思っています。あえて繰り返しますが、「熟議」にするために欠かせないのは言葉の信用です。

 繰り返しになりますが、私は、日本国の国益、つまり日本国民の利益を最優先で考えることができない人間は内閣総理大臣にふさわしくない人間であり、また日本国の国益、つまり日本国民の利益を実際に守ることができない人間は内閣総理大臣を務めるために必要な能力が欠けている人間であると考えています。私は、10年以上前に様々な理由から菅直人氏が内閣総理大臣にふさわしくない人物であると判断し、その後も現在に至るまでその認識を深め続けています。このまま菅氏の「居座り」を認めれば、さらに歴史に残る最低最悪の国益を損ねる「政治判断」を繰り返す危険性が非常に高いと私は強い危機感を持っています。もちろんたとえ菅氏がこのまま目立ったことをせずに内閣総理大臣の職に居座り続けるだけだったとしても、日本国の国益は確実に損なわれていくことになります。私は、本当の意味での民主主義を理解していない菅直人内閣に対して引き続き「倒閣運動」を展開しながら、権力の濫用や税金の私物化などを一層厳しく監視し、一刻も早く日本に民主主義を取り戻さなければならないと考えています。

コメント

「責任逃れ」(2010/10/23)

2010-10-23 07:58:09 | 政治・時事

きょうは2010/10/23(土)です。

「責任逃れ」(2010/10/23)

「演説は 政治とカネを 避けられず 遊説避けて 責任逃れ」-

 鹿児島県の奄美大島での記録的な豪雨の被害が広がっています。そして永田町周辺では日本だけではなく地球全体に多大な悪影響を及ぼしている「未曾有の人災」が続いていると私は考えています。相変わらず、経済再生の問題にしても、深刻な財政の問題にしても、社会保障制度の問題にしても、あるいは、「政治とカネ」やその他の問題にしても、解決はおろか結論らしきものも全く見えてこない深刻な状態が続いています。どこかの与党党首は「政治とカネ」の問題も問われているあす10/24投・開票の衆院北海道5区補選の応援演説には行かないそうです。あえて「ノーコメント」とだけコメントしておくことにします。いずれにしても、今の日本には官房長官が不誠実な記者会見を繰り返したり不適切な国会答弁を謝罪したり、あるいは、「事業仕分け」騒動のような「税金を使った見世物興行」に現を抜かしているような余裕は全くないはずです。

 <基本方針 -「政局への対処方針」(2010/10/1策定)->

(1) 私は、菅直人氏を日本国の内閣総理大臣として信任しないということを改めてここで宣言します。

(2) したがって、菅氏を支持する民主党などの政治勢力とは敵対関係を維持し、政界再編を視野に入れながら野党的立場を貫き続けます。

(3) また日本の民主主義のために、「中身のないテレビ政治」、「選挙のための政治」、「勘違いした余計なお世話がはびこる政治」を厳しく監視し続け、それらを排除するための活動を継続します。

 「(前略)…たとえば、与党の代議士に金銭的な疑惑が持ち上がるとする。野党は証人喚問を要求し、国会は委員会審議がストップする。そんなときにコメントを求められた総理大臣はおそらくこう言う。『国会のことは国会に聞いてくれ。私は政府の人間として、国会にあれこれと言う立場にはない』。 官僚の一員である事務の内閣官房副長官がこのように言うのであれば、それは正しい。しかし、総理大臣は国会議員でもあり、同時に与党の党首である。自分の党の議員が疑惑を持たれているのであれば、党首として何らかの措置をとるべきだろう。その視点が、質問するマスコミのほうにも、抜けている。三権分立だから、総理は国会に口を出せない、と決め込んでいる。たしかに、国会の運営については議長が権限を持っているのであり、総理大臣には国会に命令する権限はない。だが、総理大臣も議員の一人であるし、また与党の党首でもあるわけだから、国会に対しての発言権はあるとも言えよう…(後略)」(p179-180。菅直人著、「大臣 増補版」、岩波新書(新赤版1220)、2009年12月から)

 もしかすると「紅衛兵のような人間たち」とその「親分」の言葉には説得力のようなものは必要ないのかもしれません。でも、やはり「熟議」にするために欠かせないのは言葉の信用です。「熟議」とは主張をコロコロ変えながら無意味な議論を繰り返すことではないはずです。「熟議」の国会にするためには、まずは著書に書いてあるように、「与党の党首」が「疑惑を持たれて強制起訴された自分の党の議員」と一刻も早く直接会談して「政治とカネ」の問題に決着を付けることが必要だと私は考えています。私は「約束」したことでさえもほとんど守れないくらい言葉が軽いのならば「熟議」になどなるわけがないと思っています。あえて繰り返しますが、「熟議」にするために欠かせないのは言葉の信用です。

 繰り返しになりますが、私は、日本国の国益、つまり日本国民の利益を最優先で考えることができない人間は内閣総理大臣にふさわしくない人間であり、また日本国の国益、つまり日本国民の利益を実際に守ることができない人間は内閣総理大臣を務めるために必要な能力が欠けている人間であると考えています。私は、10年以上前に様々な理由から菅直人氏が内閣総理大臣にふさわしくない人物であると判断し、その後も現在に至るまでその認識を深め続けています。このまま菅氏の「居座り」を認めれば、さらに歴史に残る最低最悪の国益を損ねる「政治判断」を繰り返す危険性が非常に高いと私は強い危機感を持っています。もちろんたとえ菅氏がこのまま目立ったことをせずに内閣総理大臣の職に居座り続けるだけだったとしても、日本国の国益は確実に損なわれていくことになります。私は、本当の意味での民主主義を理解していない菅直人内閣に対して引き続き「倒閣運動」を展開しながら、権力の濫用や税金の私物化などを一層厳しく監視し、一刻も早く日本に民主主義を取り戻さなければならないと考えています。

コメント

「空気」(2010/10/22)

2010-10-22 07:31:49 | 政治・時事

きょうは2010/10/22(金)です。

「空気」(2010/10/22)

「決断と 存在感は 曖昧で ひたすら望む 責任逃れ」-

 詳細は不明ですが、中国側が「領土問題」を棚上げして尖閣諸島周辺での資源の共同開発を提案し、日本側がこれを拒否していたなどと伝えられています。あえてひとことだけコメントするならば、正式な外交ルートを通じて、日本としては、日本と中国によるレアアースの共同開発・共同管理を強く要求するべきだと私は考えています。そしてその上で、さらにもうひとことだけ付け加えれば、鉱山などの「領有権」などについてはあえて一切触れないことにしておきます。

 鹿児島県の奄美大島での記録的な豪雨の被害が広がっています。いつの時代になっても自然災害(天災)の被害は唐突で深刻です。ニュースを見ながら、道路などはもちろん、電気、電話、水道、ガスなども含めたインフラの重要性を改めて実感しているという人たちも少なくはないのではないかと私は想像しています。そして世の中には、例えば、「空気」などのように、普段はあまりその重要性を意識しておらず、実際に失われてみて初めてその有難さがよく分かるというものがたくさんあるものです。

 日本国の内閣総理大臣も様々な意味で「空気」のような存在なのかもしれないと私は考えています。このまま内閣総理大臣にふさわしくない人間が「居座り」を続け、日本国の内閣総理大臣が事実上存在しないような状態が長く続いたり、あるいは、存在しない方がはるかにましな状態が長く続いたりしたときに、国民は具体的にどのような弊害をどの程度実感することになってしまうのでしょうか? 想像したくないことをあえて想像しなければならない時期になってきていると私は思っています。今の日本には「事業仕分け」騒動のような「税金を使った見世物興行」に現を抜かしているような余裕は全くないはずです。

 永田町周辺では日本だけではなく地球全体に多大な悪影響を及ぼしている「未曾有の人災」が続いていると私は考えています。相変わらず、経済再生の問題にしても、深刻な財政の問題にしても、社会保障制度の問題にしても、あるいは、「政治とカネ」やその他の問題にしても、解決はおろか結論らしきものも全く見えてこない深刻な状態が続いています。繰り返しますが、日本国の内閣総理大臣も様々な意味で「空気」のような存在なのかもしれないと私は考えています。

 <基本方針 -「政局への対処方針」(2010/10/1策定)->

(1) 私は、菅直人氏を日本国の内閣総理大臣として信任しないということを改めてここで宣言します。

(2) したがって、菅氏を支持する民主党などの政治勢力とは敵対関係を維持し、政界再編を視野に入れながら野党的立場を貫き続けます。

(3) また日本の民主主義のために、「中身のないテレビ政治」、「選挙のための政治」、「勘違いした余計なお世話がはびこる政治」を厳しく監視し続け、それらを排除するための活動を継続します。

 「(前略)…たとえば、与党の代議士に金銭的な疑惑が持ち上がるとする。野党は証人喚問を要求し、国会は委員会審議がストップする。そんなときにコメントを求められた総理大臣はおそらくこう言う。『国会のことは国会に聞いてくれ。私は政府の人間として、国会にあれこれと言う立場にはない』。 官僚の一員である事務の内閣官房副長官がこのように言うのであれば、それは正しい。しかし、総理大臣は国会議員でもあり、同時に与党の党首である。自分の党の議員が疑惑を持たれているのであれば、党首として何らかの措置をとるべきだろう。その視点が、質問するマスコミのほうにも、抜けている。三権分立だから、総理は国会に口を出せない、と決め込んでいる。たしかに、国会の運営については議長が権限を持っているのであり、総理大臣には国会に命令する権限はない。だが、総理大臣も議員の一人であるし、また与党の党首でもあるわけだから、国会に対しての発言権はあるとも言えよう…(後略)」(p179-180。菅直人著、「大臣 増補版」、岩波新書(新赤版1220)、2009年12月から)

 もしかすると「紅衛兵のような人間たち」とその「親分」の言葉には説得力のようなものは必要ないのかもしれません。でも、やはり「熟議」にするために欠かせないのは言葉の信用です。「熟議」とは主張をコロコロ変えながら無意味な議論を繰り返すことではないはずです。「熟議」の国会にするためには、まずは著書に書いてあるように、「与党の党首」が「疑惑を持たれて強制起訴された自分の党の議員」と一刻も早く直接会談して「政治とカネ」の問題に決着を付けることが必要だと私は考えています。私は「約束」したことでさえもほとんど守れないくらい言葉が軽いのならば「熟議」になどなるわけがないと思っています。あえて繰り返しますが、「熟議」にするために欠かせないのは言葉の信用です。

 繰り返しになりますが、私は、日本国の国益、つまり日本国民の利益を最優先で考えることができない人間は内閣総理大臣にふさわしくない人間であり、また日本国の国益、つまり日本国民の利益を実際に守ることができない人間は内閣総理大臣を務めるために必要な能力が欠けている人間であると考えています。私は、10年以上前に様々な理由から菅直人氏が内閣総理大臣にふさわしくない人物であると判断し、その後も現在に至るまでその認識を深め続けています。このまま菅氏の「居座り」を認めれば、さらに歴史に残る最低最悪の国益を損ねる「政治判断」を繰り返す危険性が非常に高いと私は強い危機感を持っています。もちろんたとえ菅氏がこのまま目立ったことをせずに内閣総理大臣の職に居座り続けるだけだったとしても、日本国の国益は確実に損なわれていくことになります。私は、本当の意味での民主主義を理解していない菅直人内閣に対して引き続き「倒閣運動」を展開しながら、権力の濫用や税金の私物化などを一層厳しく監視し、一刻も早く日本に民主主義を取り戻さなければならないと考えています。

コメント

「人災」(2010/10/21)

2010-10-21 08:24:14 | 政治・時事

きょうは2010/10/21(木)です。

「人災」(2010/10/21)

「天災は 忘れた頃に やってきて 『居座り』続く カンの人災」-

 鹿児島県の奄美大島などで記録的な大雨で浸水や土砂崩れなどの被害が出ているそうです。いつの時代になっても自然災害(天災)の被害は唐突で深刻です。現時点では被害の全体像を把握することができていませんが、政府も必要な対策を迅速に実施しなければなりません。

 自然災害の被害も深刻ですが、人災の被害もかなり深刻です。そして「人災」は一度忘れてしまったら後はずっと「居座り」続けるだけです。永田町周辺では日本だけではなく地球全体に多大な悪影響を及ぼしている「未曾有の人災」が続いていると私は考えています。経済再生の問題にしても、深刻な財政の問題にしても、社会保障制度の問題にしても、あるいは、「政治とカネ」やその他の問題にしても、解決はおろか結論らしきものも全く見えてこない状態が続いています。そもそも今の日本には「事業仕分け」騒動のような「税金を使った見世物興行」に現を抜かしているような余裕は全くないはずです。もしもこのまま正しい政治主導が発揮されなければ、「官」による人災の被害も、「菅」による人災の被害も、ますます深刻なものになっていってしまうと私は強い危機感を持っています。きょうのところはあえてこれ以上の詳細には触れないでおくことにします。

 <基本方針 -「政局への対処方針」(2010/10/1策定)->

(1) 私は、菅直人氏を日本国の内閣総理大臣として信任しないということを改めてここで宣言します。

(2) したがって、菅氏を支持する民主党などの政治勢力とは敵対関係を維持し、政界再編を視野に入れながら野党的立場を貫き続けます。

(3) また日本の民主主義のために、「中身のないテレビ政治」、「選挙のための政治」、「勘違いした余計なお世話がはびこる政治」を厳しく監視し続け、それらを排除するための活動を継続します。

 「(前略)…たとえば、与党の代議士に金銭的な疑惑が持ち上がるとする。野党は証人喚問を要求し、国会は委員会審議がストップする。そんなときにコメントを求められた総理大臣はおそらくこう言う。『国会のことは国会に聞いてくれ。私は政府の人間として、国会にあれこれと言う立場にはない』。 官僚の一員である事務の内閣官房副長官がこのように言うのであれば、それは正しい。しかし、総理大臣は国会議員でもあり、同時に与党の党首である。自分の党の議員が疑惑を持たれているのであれば、党首として何らかの措置をとるべきだろう。その視点が、質問するマスコミのほうにも、抜けている。三権分立だから、総理は国会に口を出せない、と決め込んでいる。たしかに、国会の運営については議長が権限を持っているのであり、総理大臣には国会に命令する権限はない。だが、総理大臣も議員の一人であるし、また与党の党首でもあるわけだから、国会に対しての発言権はあるとも言えよう…(後略)」(p179-180。菅直人著、「大臣 増補版」、岩波新書(新赤版1220)、2009年12月から)

 もしかすると「紅衛兵のような人間たち」とその「親分」の言葉には説得力のようなものは必要ないのかもしれません。でも、やはり「熟議」にするために欠かせないのは言葉の信用です。「熟議」とは主張をコロコロ変えながら無意味な議論を繰り返すことではないはずです。「熟議」の国会にするためには、まずは著書に書いてあるように、「与党の党首」が「疑惑を持たれて強制起訴された自分の党の議員」と一刻も早く直接会談して「政治とカネ」の問題に決着を付けることが必要だと私は考えています。私は「約束」したことでさえもほとんど守れないくらい言葉が軽いのならば「熟議」になどなるわけがないと思っています。あえて繰り返しますが、「熟議」にするために欠かせないのは言葉の信用です。

 繰り返しになりますが、私は、日本国の国益、つまり日本国民の利益を最優先で考えることができない人間は内閣総理大臣にふさわしくない人間であり、また日本国の国益、つまり日本国民の利益を実際に守ることができない人間は内閣総理大臣を務めるために必要な能力が欠けている人間であると考えています。私は、10年以上前に様々な理由から菅直人氏が内閣総理大臣にふさわしくない人物であると判断し、その後も現在に至るまでその認識を深め続けています。このまま菅氏の「居座り」を認めれば、さらに歴史に残る最低最悪の国益を損ねる「政治判断」を繰り返す危険性が非常に高いと私は強い危機感を持っています。もちろんたとえ菅氏がこのまま目立ったことをせずに内閣総理大臣の職に居座り続けるだけだったとしても、日本国の国益は確実に損なわれていくことになります。私は、本当の意味での民主主義を理解していない菅直人内閣に対して引き続き「倒閣運動」を展開しながら、権力の濫用や税金の私物化などを一層厳しく監視し、一刻も早く日本に民主主義を取り戻さなければならないと考えています。

コメント

「牽強付会」(2010/10/20)

2010-10-20 07:52:57 | 政治・時事

きょうは2010/10/20(水)です。

「牽強付会」(2010/10/20)

「年を取り 磨かれていく 『技術』とは 『健忘症』と 牽強付会?」-

 相変わらず中国の反日デモの波紋が広がっていますが、実は今の日本でも「紅衛兵」のような勘違いした人間たちがあちこちで暴れ回って日本をメチャクチャにしているのではないかと私は思っています。地球上のどこであっても、「紅衛兵(こうえいへい)とは何か」ということがよく分かる新しい実例が出てこないことを私は心から望んでいます(→参考:http://www.jchiba.net/message/060512-0.htm)。

 例えば、今の日本でも「紅衛兵」のような勘違いをした人間たちによって「事業仕分け」騒動が引き起こされています(→参考:2009/11/14etc.)。もしも無駄を徹底的に削減して十分な財源を捻出することができないというのならば、「事業仕分け」騒動はもはや「税金を使った見世物興行」以外の何物でもなくなると私は考えています。そしてそろそろ「事業仕分け」騒動とその関連の動きそのものが税金の無駄遣いになっているということに多くの人たちも気づき始めているのではないかと私は見ています。

 「健忘症」と牽強付会の技術では本物の紅衛兵もとてもかなわないのではないかと私は思うことがあります。本当の肩書きが官房長官なのかそれ以上なのかはよく分かりませんが、どこかの内閣の「広報」を担当しているらしい人間の言葉の軽さと開き直りには呆れるばかりです。たとえ相手がどれだけ人物も発言もいい加減だったとしても、だからと言って自分自身もいい加減なことを言ったりやったりしても許されるということには絶対にならないはずです。そもそも彼が関与した出来事では密室内での言った言わないの類の話があまりにも多すぎます。どうやら「問責決議案」などという言葉も飛び交い始めているようですが…。

 きょうもあえて繰り返しておきますが、もしもかつての日本が本当の意味での民主主義国家であったとしたら…、そしてもしも一般国民の知的水準がずっと高くて正しい情報を共有していたとしたら…「小村寿太郎」のような政治家や官僚は拍手喝采で迎えられ、「松岡洋右」のような政治家や官僚は「焼き討ち」には遭わなくても厳しく批判されていたのではないかと私はふと思うことがあります。今の日本は本当の意味での民主主義国家なのでしょうか? そして国民は正しい情報を共有しているのでしょうか? どこかの「覇権主義国家」を見ていると、正しい歴史認識を持つ重要性を改めて実感します。日本に限らず、国際社会の一員として責任のある国家は、今こそ歴史を「鑑(かがみ)」にする必要があると私は心から思っています。

 <基本方針 -「政局への対処方針」(2010/10/1策定)->

(1) 私は、菅直人氏を日本国の内閣総理大臣として信任しないということを改めてここで宣言します。

(2) したがって、菅氏を支持する民主党などの政治勢力とは敵対関係を維持し、政界再編を視野に入れながら野党的立場を貫き続けます。

(3) また日本の民主主義のために、「中身のないテレビ政治」、「選挙のための政治」、「勘違いした余計なお世話がはびこる政治」を厳しく監視し続け、それらを排除するための活動を継続します。

 「(前略)…たとえば、与党の代議士に金銭的な疑惑が持ち上がるとする。野党は証人喚問を要求し、国会は委員会審議がストップする。そんなときにコメントを求められた総理大臣はおそらくこう言う。『国会のことは国会に聞いてくれ。私は政府の人間として、国会にあれこれと言う立場にはない』。 官僚の一員である事務の内閣官房副長官がこのように言うのであれば、それは正しい。しかし、総理大臣は国会議員でもあり、同時に与党の党首である。自分の党の議員が疑惑を持たれているのであれば、党首として何らかの措置をとるべきだろう。その視点が、質問するマスコミのほうにも、抜けている。三権分立だから、総理は国会に口を出せない、と決め込んでいる。たしかに、国会の運営については議長が権限を持っているのであり、総理大臣には国会に命令する権限はない。だが、総理大臣も議員の一人であるし、また与党の党首でもあるわけだから、国会に対しての発言権はあるとも言えよう…(後略)」(p179-180。菅直人著、「大臣 増補版」、岩波新書(新赤版1220)、2009年12月から)

 もしかすると「紅衛兵のような人間たち」とその「親分」の言葉には説得力のようなものは必要ないのかもしれません。でも、やはり「熟議」にするために欠かせないのは言葉の信用です。「熟議」とは主張をコロコロ変えながら無意味な議論を繰り返すことではないはずです。「熟議」の国会にするためには、まずは著書に書いてあるように、「与党の党首」が「疑惑を持たれて強制起訴された自分の党の議員」と一刻も早く直接会談して「政治とカネ」の問題に決着を付けることが必要だと私は考えています。私は「約束」したことでさえもほとんど守れないくらい言葉が軽いのならば「熟議」になどなるわけがないと思っています。あえて繰り返しますが、「熟議」にするために欠かせないのは言葉の信用です。

 繰り返しになりますが、私は、日本国の国益、つまり日本国民の利益を最優先で考えることができない人間は内閣総理大臣にふさわしくない人間であり、また日本国の国益、つまり日本国民の利益を実際に守ることができない人間は内閣総理大臣を務めるために必要な能力が欠けている人間であると考えています。私は、10年以上前に様々な理由から菅直人氏が内閣総理大臣にふさわしくない人物であると判断し、その後も現在に至るまでその認識を深め続けています。このまま菅氏の「居座り」を認めれば、さらに歴史に残る最低最悪の国益を損ねる「政治判断」を繰り返す危険性が非常に高いと私は強い危機感を持っています。もちろんたとえ菅氏がこのまま目立ったことをせずに内閣総理大臣の職に居座り続けるだけだったとしても、日本国の国益は確実に損なわれていくことになります。私は、本当の意味での民主主義を理解していない菅直人内閣に対して引き続き「倒閣運動」を展開しながら、権力の濫用や税金の私物化などを一層厳しく監視し、一刻も早く日本に民主主義を取り戻さなければならないと考えています。

コメント

「鏡と鑑」(2010/10/19)

2010-10-19 07:27:22 | 政治・時事

きょうは2010/10/19(火)です。

「鏡と鑑」(2010/10/19)

「批判され 開き直って こう叫ぶ 自民のときも できなかったと」-

 相変わらず中国の反日デモの波紋が広がっています。またまた詳しいことは分かりませんが、きのう10/18には中国湖北省武漢でも多数の若い世代が参加したデモが発生したなどと伝えられています。どうやらデモは主に内陸部で発生しているようです。まさか中国では相手が「悪者」ならばどんなメチャクチャなことをやってもすべて許されるとでもいうのでしょうか? 私としては、最近の中国の若い世代の人たちは「文化大革命」や「紅衛兵」のことをいったいどれだけ知っているのかということが気になっています。きょうもあえて繰り返しておきますが、「紅衛兵(こうえいへい)とは何か」ということがよく分かる新しい実例が出てこないことを私は心から望んでいます(→参考:http://www.jchiba.net/message/060512-0.htm)。どこかの「覇権主義国家」を見ていると、正しい歴史認識を持つ重要性を改めて実感します。日本に限らず、国際社会の一員として責任のある国家は、今こそ歴史を「鑑(かがみ)」にする必要があると私は心から思っています。

 実は今の日本でも「紅衛兵」のような勘違いした人間たちがあちこちで暴れ回って日本をメチャクチャにしているのではないかと私は思っています。あえて多少乱暴な言い方をすると、中国の反日デモはある意味で今の政府・民主党の姿をよく映している「鏡」になっているように私は思います。「政権交代」から1年以上が経過しても、政府・民主党は、自分たちの責任を棚に上げて「旧政権」や「自民党」を厳しく批判して逃げ回るような「野党的体質」から脱却することができていないようです。まさかどんなメチャクチャなことをやっても「旧政権」や「自民党」や「政治とカネ」などの「悪者」を厳しく批判すれば国民は許してくれるとでも思っているのでしょうか? 「熟議」になる気配も見えてこない国会審議を通じて、驚くべきことに首相や官房長官でさえもそうした「野党的体質」にどっぷりと浸かったままだということが明らかになってしまったと私は見ています。繰り返しますが、どこかの「覇権主義国家」を見ていると、正しい歴史認識を持つ重要性を改めて実感します。日本に限らず、国際社会の一員として責任のある国家は、今こそ歴史を「鑑(かがみ)」にする必要があると私は心から思っています。もしもかつての日本が本当の意味での民主主義国家であったとしたら…、そしてもしも一般国民の知的水準がずっと高くて正しい情報を共有していたとしたら…「小村寿太郎」のような政治家や官僚は拍手喝采で迎えられ、「松岡洋右」のような政治家や官僚は「焼き討ち」には遭わなくても厳しく批判されていたのではないかと思うことがあります。今の日本は本当の意味での民主主義国家なのでしょうか? そして国民は正しい情報を共有しているのでしょうか? 

 <基本方針 -「政局への対処方針」(2010/10/1策定)->

(1) 私は、菅直人氏を日本国の内閣総理大臣として信任しないということを改めてここで宣言します。

(2) したがって、菅氏を支持する民主党などの政治勢力とは敵対関係を維持し、政界再編を視野に入れながら野党的立場を貫き続けます。

(3) また日本の民主主義のために、「中身のないテレビ政治」、「選挙のための政治」、「勘違いした余計なお世話がはびこる政治」を厳しく監視し続け、それらを排除するための活動を継続します。

 「(前略)…たとえば、与党の代議士に金銭的な疑惑が持ち上がるとする。野党は証人喚問を要求し、国会は委員会審議がストップする。そんなときにコメントを求められた総理大臣はおそらくこう言う。『国会のことは国会に聞いてくれ。私は政府の人間として、国会にあれこれと言う立場にはない』。 官僚の一員である事務の内閣官房副長官がこのように言うのであれば、それは正しい。しかし、総理大臣は国会議員でもあり、同時に与党の党首である。自分の党の議員が疑惑を持たれているのであれば、党首として何らかの措置をとるべきだろう。その視点が、質問するマスコミのほうにも、抜けている。三権分立だから、総理は国会に口を出せない、と決め込んでいる。たしかに、国会の運営については議長が権限を持っているのであり、総理大臣には国会に命令する権限はない。だが、総理大臣も議員の一人であるし、また与党の党首でもあるわけだから、国会に対しての発言権はあるとも言えよう…(後略)」(p179-180。菅直人著、「大臣 増補版」、岩波新書(新赤版1220)、2009年12月から)

 もしかすると「紅衛兵のような人間たち」とその「親分」の言葉には説得力のようなものは必要ないのかもしれません。でも、やはり「熟議」にするために欠かせないのは言葉の信用です。「熟議」とは主張をコロコロ変えながら無意味な議論を繰り返すことではないはずです。「熟議」の国会にするためには、まずは著書に書いてあるように、「与党の党首」が「疑惑を持たれて強制起訴された自分の党の議員」と一刻も早く直接会談して「政治とカネ」の問題に決着を付けることが必要だと私は考えています。私は「約束」したことでさえもほとんど守れないくらい言葉が軽いのならば「熟議」になどなるわけがないと思っています。あえて繰り返しますが、「熟議」にするために欠かせないのは言葉の信用です。

 繰り返しになりますが、私は、日本国の国益、つまり日本国民の利益を最優先で考えることができない人間は内閣総理大臣にふさわしくない人間であり、また日本国の国益、つまり日本国民の利益を実際に守ることができない人間は内閣総理大臣を務めるために必要な能力が欠けている人間であると考えています。私は、10年以上前に様々な理由から菅直人氏が内閣総理大臣にふさわしくない人物であると判断し、その後も現在に至るまでその認識を深め続けています。このまま菅氏の「居座り」を認めれば、さらに歴史に残る最低最悪の国益を損ねる「政治判断」を繰り返す危険性が非常に高いと私は強い危機感を持っています。もちろんたとえ菅氏がこのまま目立ったことをせずに内閣総理大臣の職に居座り続けるだけだったとしても、日本国の国益は確実に損なわれていくことになります。私は、本当の意味での民主主義を理解していない菅直人内閣に対して引き続き「倒閣運動」を展開しながら、権力の濫用や税金の私物化などを一層厳しく監視し、一刻も早く日本に民主主義を取り戻さなければならないと考えています。

コメント

「紅衛兵とは何か」(2010/10/18)

2010-10-18 07:03:36 | 政治・時事

きょうは2010/10/18(月)です。

「紅衛兵とは何か」(2010/10/18)

「理性なく 感情だけで 暴走し 紅衛兵の 『亡霊』見える?」-

 中国の反日デモの波紋が広がっています。詳しいことは分かりませんが、きのう10/17も中国四川省北部の綿陽で多数の若い世代が参加したデモが発生したなどと伝えられています。中国当局は日本大使館や日本関連施設周辺などの警備を強化しているようです。最近の中国の若い世代の人たちは「文化大革命」や「紅衛兵」のことをいったいどれだけ知っているのでしょうか? 私は、どこかの「覇権主義国家」を見ていると、正しい歴史認識を持つ重要性を改めて実感します。日本に限らず、国際社会の一員として責任のある国家は、今こそ歴史を「鑑(かがみ)」にする必要があると私は心から思っています。現時点ではあえて「紅衛兵(こうえいへい)とは何か」ということについては詳しく触れませんが、何にしても「紅衛兵とは何か」ということがよく分かる新しい実例が出てこないことを私は心から望んでいます(→参考:http://www.jchiba.net/message/060512-0.htm)。

 そしてきょうもあえてこの話を繰り返しておいた方がいいのだろうと思います。もしもかつての日本が本当の意味での民主主義国家であったとしたら…、そしてもしも一般国民の知的水準がずっと高くて正しい情報を共有していたとしたら…、「小村寿太郎」のような政治家や官僚は拍手喝采で迎えられ、「松岡洋右」のような政治家や官僚は「焼き討ち」には遭わなくても厳しく批判されていたのではないかとふと思うことがあります。今の日本は本当の意味での民主主義国家なのでしょうか? そして国民は正しい情報を共有しているのでしょうか? 

 実は今の日本でも「紅衛兵」のような勘違いした人間たちがあちこちで暴れ回って日本をメチャクチャにしているのではないかと私は思っています。例えば、約1年前から私はずっと問題視し続けていますが、今の日本でも「紅衛兵」のような勘違いをした人間たちによって「事業仕分け」騒動が引き起こされています(→参考:2009/11/14etc.)。もしも無駄を徹底的に削減して十分な財源を捻出することができないのならば、「事業仕分け」騒動はもはや「税金を使った見世物興行」以外の何物でもなくなると私は考えています。「紅衛兵」のようなとんでもない勘違いをした人間たちを排除しなければ、日本を本物の民主主義国家にすることはできないと私は考えています。繰り返しますが、どこかの「覇権主義国家」を見ていると、正しい歴史認識を持つ重要性を改めて実感します。日本に限らず、国際社会の一員として責任のある国家は、今こそ歴史を「鑑(かがみ)」にする必要があると私は心から思っています。

 <基本方針 -「政局への対処方針」(2010/10/1策定)->

(1) 私は、菅直人氏を日本国の内閣総理大臣として信任しないということを改めてここで宣言します。

(2) したがって、菅氏を支持する民主党などの政治勢力とは敵対関係を維持し、政界再編を視野に入れながら野党的立場を貫き続けます。

(3) また日本の民主主義のために、「中身のないテレビ政治」、「選挙のための政治」、「勘違いした余計なお世話がはびこる政治」を厳しく監視し続け、それらを排除するための活動を継続します。

 「(前略)…たとえば、与党の代議士に金銭的な疑惑が持ち上がるとする。野党は証人喚問を要求し、国会は委員会審議がストップする。そんなときにコメントを求められた総理大臣はおそらくこう言う。『国会のことは国会に聞いてくれ。私は政府の人間として、国会にあれこれと言う立場にはない』。 官僚の一員である事務の内閣官房副長官がこのように言うのであれば、それは正しい。しかし、総理大臣は国会議員でもあり、同時に与党の党首である。自分の党の議員が疑惑を持たれているのであれば、党首として何らかの措置をとるべきだろう。その視点が、質問するマスコミのほうにも、抜けている。三権分立だから、総理は国会に口を出せない、と決め込んでいる。たしかに、国会の運営については議長が権限を持っているのであり、総理大臣には国会に命令する権限はない。だが、総理大臣も議員の一人であるし、また与党の党首でもあるわけだから、国会に対しての発言権はあるとも言えよう…(後略)」(p179-180。菅直人著、「大臣 増補版」、岩波新書(新赤版1220)、2009年12月から)

 もしかすると「紅衛兵のような人間たち」とその「親分」の言葉には説得力のようなものは必要ないのかもしれません。でも、やはり「熟議」にするために欠かせないのは言葉の信用です。「熟議」とは主張をコロコロ変えながら無意味な議論を繰り返すことではないはずです。「熟議」の国会にするためには、まずは著書に書いてあるように、「与党の党首」が「疑惑を持たれて強制起訴された自分の党の議員」と一刻も早く直接会談して「政治とカネ」の問題に決着を付けることが必要だと私は考えています。私は「約束」したことでさえもほとんど守れないくらい言葉が軽いのならば「熟議」になどなるわけがないと思っています。あえて繰り返しますが、「熟議」にするために欠かせないのは言葉の信用です。

 繰り返しになりますが、私は、日本国の国益、つまり日本国民の利益を最優先で考えることができない人間は内閣総理大臣にふさわしくない人間であり、また日本国の国益、つまり日本国民の利益を実際に守ることができない人間は内閣総理大臣を務めるために必要な能力が欠けている人間であると考えています。私は、10年以上前に様々な理由から菅直人氏が内閣総理大臣にふさわしくない人物であると判断し、その後も現在に至るまでその認識を深め続けています。このまま菅氏の「居座り」を認めれば、さらに歴史に残る最低最悪の国益を損ねる「政治判断」を繰り返す危険性が非常に高いと私は強い危機感を持っています。もちろんたとえ菅氏がこのまま目立ったことをせずに内閣総理大臣の職に居座り続けるだけだったとしても、日本国の国益は確実に損なわれていくことになります。私は、本当の意味での民主主義を理解していない菅直人内閣に対して引き続き「倒閣運動」を展開しながら、権力の濫用や税金の私物化などを一層厳しく監視し、一刻も早く日本に民主主義を取り戻さなければならないと考えています。

コメント

「鑑(かがみ)」(2010/10/17)

2010-10-17 08:06:53 | 政治・時事

「鑑(かがみ)」(2010/10/17)

「お台場や アキバだったら どうするか? 日本は日本 歴史は鑑(かがみ)」-

 きのう10/16に中国四川省成都、陝西省西安、河南省鄭州で大規模な反日デモが発生、一部が暴徒化して日系スーパーなどのガラスが割られるなどの被害が出たと報道されています。私は、どこかの「覇権主義国家」を見ていると、正しい歴史認識を持つ重要性を改めて実感します。日本に限らず、国際社会の一員として責任のある国家は、今こそ歴史を「鑑(かがみ)」にする必要があると私は心から思います。

 私は、尖閣諸島が日本固有の領土であるということは、国際社会の常識から判断しても疑う余地が全くないと考えています。そういう意味では尖閣諸島はお台場や秋葉原と全く同じはずです。もしも尖閣諸島が日本固有の領土であることに少しでも不安があるというのならば、日本でも大規模デモなどが必要になってくるのかもしれません。しかし、私はその必要性はないと思っています。例えば、もしも政府が国外から国内に侵入してきた「暴徒」や「武装集団」を野放しにしているというのであれば、その場合には日本を守るためにデモや集会以上の行動を起こさなければならなくなるのだろうと私は思っています。あえて強調しておきますが、尖閣諸島はお台場や秋葉原などと全く同じです。日本としては、特に大騒ぎすることもなく、お台場や秋葉原などの治安や安全保障を守るために必要不可欠な措置と全く同じ措置を粛々と講じればいいだけの話だと私は考えています。日本政府が必要不可欠なことを静かに黙って確実にやればいいだけの話だと私は考えています。

 そしてきょうもあえてこの話を繰り返しておいた方がいいのかもしれません。もしもかつての日本が本当の意味での民主主義国家であったとしたら…、そしてもしも一般国民の知的水準がずっと高くて正しい情報を共有していたとしたら…、「小村寿太郎」のような政治家や官僚は拍手喝采で迎えられ、「松岡洋右」のような政治家や官僚は「焼き討ち」には遭わなくても厳しく批判されていたのではないかとふと思うことがあります。今の日本は本当の意味での民主主義国家なのでしょうか? そして国民は正しい情報を共有しているのでしょうか? 繰り返しますが、どこかの「覇権主義国家」を見ていると、正しい歴史認識を持つ重要性を改めて実感します。日本に限らず、国際社会の一員として責任のある国家は、今こそ歴史を「鑑(かがみ)」にする必要があると私は心から思っています。

 「(前略)…たとえば、与党の代議士に金銭的な疑惑が持ち上がるとする。野党は証人喚問を要求し、国会は委員会審議がストップする。そんなときにコメントを求められた総理大臣はおそらくこう言う。『国会のことは国会に聞いてくれ。私は政府の人間として、国会にあれこれと言う立場にはない』。 官僚の一員である事務の内閣官房副長官がこのように言うのであれば、それは正しい。しかし、総理大臣は国会議員でもあり、同時に与党の党首である。自分の党の議員が疑惑を持たれているのであれば、党首として何らかの措置をとるべきだろう。その視点が、質問するマスコミのほうにも、抜けている。三権分立だから、総理は国会に口を出せない、と決め込んでいる。たしかに、国会の運営については議長が権限を持っているのであり、総理大臣には国会に命令する権限はない。だが、総理大臣も議員の一人であるし、また与党の党首でもあるわけだから、国会に対しての発言権はあるとも言えよう…(後略)」(p179-180。菅直人著、「大臣 増補版」、岩波新書(新赤版1220)、2009年12月から)

 どうやら永田町周辺の一部の政治家は自分自身の著書を「鑑(かがみ)」にする必要があるそうです。何度も繰り返していますが、「熟議」にするために欠かせないのは言葉の信用です。「熟議」とは主張をコロコロ変えながら無意味な議論を繰り返すことではないはずです。「熟議」の国会にするためには、まずは著書に書いてあるように、「与党の党首」が「疑惑を持たれて強制起訴された自分の党の議員」と一刻も早く直接会談して「政治とカネ」の問題に決着を付けることが必要だと私は考えています。私は「約束」したことでさえもほとんど守れないくらい言葉が軽いのならば「熟議」になどなるわけがないと思っています。あえて繰り返しますが、「熟議」にするために欠かせないのは言葉の信用です。

 <基本方針 -「政局への対処方針」(2010/10/1策定)->

(1) 私は、菅直人氏を日本国の内閣総理大臣として信任しないということを改めてここで宣言します。

(2) したがって、菅氏を支持する民主党などの政治勢力とは敵対関係を維持し、政界再編を視野に入れながら野党的立場を貫き続けます。

(3) また日本の民主主義のために、「中身のないテレビ政治」、「選挙のための政治」、「勘違いした余計なお世話がはびこる政治」を厳しく監視し続け、それらを排除するための活動を継続します。

 さて、きょうも当たり前のことを確認しておくことにします。少し前に行われた民主党代表選は、形式的にも実質的にも、民主党関係者以外は参加できない「内輪の騒動」に過ぎず、すべての有権者が参加できる総選挙の代わりには断じてならないはずです。そして2009年総選挙で有権者から信任されたのは鳩山由紀夫前首相ただ一人のはずです。今現在も内閣総理大臣の職に居座り続けてもっともらしく内閣を改造した菅直人氏は、いったいいつどんな形で日本の有権者から信認されたというのでしょうか? そして7/11投開票の参院選で示された「直近の民意」は、総選挙で有権者から信任されていない菅氏の居座りの正当化を少しでも許すような結果だったのでしょうか? 鳩山由紀夫前首相以外の人間に代えたのならばまずは解散・総選挙で有権者に信を問う必要があるはずです。もしも2009年総選挙で民主党が掲げたマニフェストを大幅に「修正」するというのならば、ますます解散・総選挙によって有権者に信を問わなければならなくなるはずです。多くの国民はこのまま「永田町乗っ取り作戦」などという「ほら」の実現を許してしまうのでしょうか?

 繰り返しになりますが、私は、日本国の国益、つまり日本国民の利益を最優先で考えることができない人間は内閣総理大臣にふさわしくない人間であり、また日本国の国益、つまり日本国民の利益を実際に守ることができない人間は内閣総理大臣を務めるために必要な能力が欠けている人間であると考えています。私は、10年以上前に様々な理由から菅直人氏が内閣総理大臣にふさわしくない人物であると判断し、その後も現在に至るまでその認識を深め続けています。このまま菅氏の「居座り」を認めれば、さらに歴史に残る最低最悪の国益を損ねる「政治判断」を繰り返す危険性が非常に高いと私は強い危機感を持っています。もちろんたとえ菅氏がこのまま目立ったことをせずに内閣総理大臣の職に居座り続けるだけだったとしても、日本国の国益は確実に損なわれていくことになります。私は、本当の意味での民主主義を理解していない菅直人内閣に対して引き続き「倒閣運動」を展開しながら、権力の濫用や税金の私物化などを一層厳しく監視し、一刻も早く日本に民主主義を取り戻さなければならないと考えています。

コメント