自由自律(日本国&仙台&東京)・千葉 潤(無所属、jchiba)のきょうのひとこと

「他人事」のようにコメントしていた元総理大臣やマスコミとは別の視点で政治関連の動きをコメント。

「なかったならば…」(2017/6/28)

2017-06-28 07:56:17 | 政治・時事

きょうは2017/6/28(水)です。

「なかったならば…」(2017/6/28)

『公正』が なかったならば 『圧力』も なかったものと 推測できる!」-

きょうは日本の政治の個別具体的な事例を取り上げることは可能な限り避けながら今の日本の政治の大きな問題点の1つについて少しだけ考えてみることにしようと思います。一連の「怪」がつくかどうかもで騒ぎになったよく分からない「文書」などの問題を含めて、最近は永田町周辺で個別具体的な事例の「細部」ばかりがどういうわけかクローズアップされて取り上げられる傾向が高くなっています。確かに一般的には物事の本質を見極めるためには物事の「細部」にまで踏み込んでいくことが必要になります。しかし、物事の本質を見極めるためにはあえて個別具体的な事例の「細部」から離れて「全体像」に注目することが必要になる場合もあるのです。物事の本質を見極めるためには「全体像」を見失わないようにする必要があるのです。

例えば不当な「圧力」のために「公正な判断が歪められた」などと叫んでいる人間たちがいたとします。そしてその人間たちは相手側から「トップのご意向」だとか「どこかの最高レベルが言っている」などと言われたことを「日記」に記録していたとします。言うまでもなく、この場合に「本質」が何かということを見極めようと思うのならば、そもそも「公正な判断」とはいったい何なのかということをまず問題にしなければならないはずなのです。相手側の言動を「圧力」という言葉で表現する場合には、自分たちにとって不都合な言動であったということだけは間違いなのだろうと思います。しかし、そもそも自分たちがやったりやろうとしたりしていることが客観的に見て「公正」なものではなかったのならば、そうした人間たちの言う「圧力」というものは客観的に見れば「正当な要求」や「正しい指摘」である可能性が高くなるということには注意が必要になります。どういうわけか客観的に「公正」だったのかどうかということを確認せず、自分たちが受けたと主張する「圧力」の詳細や「細部」ばかりを無秩序に並べ立てみても物事の本質は見えてこないはずなのです。物事の本質を見極めるためにはあえて個別具体的な事例の「細部」から離れて「全体像」に注目することが必要になる場合もあるのです。物事の本質を見極めるためには「全体像」を見失わないようにする必要があるのです。

大切なことなのであえて繰り返しますが、「圧力」のために「公正な判断が歪められた」などと叫んでいる人間たちの言う「圧力」などというものは、そう叫んでいる人間たちが客観的に見て「公正」ではない場合には客観的に見れば「正当な要求」や「正しい指摘」である可能性が高くなるのです。ですから、もしも「圧力」があったかどうかということや「公正な判断が歪められた」かどうかということを本気で明らかにしようと思うのならば、「公正な判断が歪められた」などと叫んでいる人間たちがそもそも「公正」なことをやったりやろうとしていたのかということを検証するという方法もあるはずなのです。もしも「公正な判断が歪められた」などと叫んでいる人間たちがそもそも「公正」なことをやったりやろうとしていなかったのならば、歪められる「公正な判断」というものが最初から存在しなかったことになるわけですから「圧力」というものも存在しなかった可能性が極めて高くなるのです。当たり前と言えば当たり前の話ですが、歪められる可能性のある「公正な判断」が最初から存在しなかったのにもかかわらず「圧力」だけが存在したと考えるのにはかなりの無理があるのです。

最近は永田町周辺で個別具体的な事例の「細部」ばかりがどういうわけかクローズアップされて取り上げられる傾向が高くなっています。確かに一般的には物事の本質を見極めるためには物事の「細部」にまで踏み込んでいくことが必要になります。しかし、どういうわけか客観的に「公正」だったのかどうかということを確認せず、自分たちが受けたと主張する「圧力」の詳細や「細部」ばかりを無秩序に並べ立てても物事の本質は見えてこないはずなのです。物事の本質を見極めるためにはあえて個別具体的な事例の「細部」から離れて「全体像」に注目することが必要になる場合もあるのです。物事の本質を見極めるためには「全体像」を見失わないようにする必要があるのです。最近の永田町周辺にはどういうわけか「細部」だけは見えても「全体像」が少しも見えない知的レベルの低い人間たちが増えているのです。「細部」ではなく「全体像」が見えていれば、そもそも最初から「公正」ではなかったのならば「圧力」も存在しなかっただろうと推測することができるということにすぐに気づくことができるはずなのです。きょうのところはこの程度にとどめてこの問題についてはまた取り上げることにします。

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