自由自律(日本国&仙台&東京)・千葉 潤(無所属、jchiba)のきょうのひとこと

「他人事」のようにコメントしていた元総理大臣やマスコミとは別の視点で政治関連の動きをコメント。

「『人でなし』にも…」(2016/12/21)

2016-12-21 11:07:02 | 政治・時事

きょうは2016/12/21(水)です。

「『人でなし』にも…」(2016/12/21)

『人権』は 『人でなし』にも 残ってる! 『人権』により 『人間』にする!」-

ここ最近も国際社会では卑劣なテロ事件が相次いで発生しています。きょうはあえて個別具体的な事例に触れることを避けながら「人権」というものについて少しだけ考えてみることにしようと思います。

もちろん「テロ」は「憎むべき犯罪」です。そして「テロリスト」は「憎むべき犯罪者」ということになるのだろうと思います。しかし、法治国家ではそんな「テロリスト」にも「人権」はあるということを絶対に忘れてはならないのです。確かに「テロリスト」は「人でなし」と呼ばれても仕方がないと思います。しかし、それでもやはり、法治国家においてはその「人でなし」にも「人権」がしっかりと残っているのです。たとえ相手が「憎むべき犯罪者」であったとしても、法治国家である今現在の民主主義国家では何をやっても許されるというわけではないのです。

ですから抵抗する「盗賊」はその場で斬り捨てても構わないなどという「鬼平」のような「捕り物」は法治国家である今現在の民主主義国家においては認められないのです。もちろん「テロリスト」が激しく抵抗して銃撃戦の末に射殺されてしまうというようなことはよくあることだと思います。しかし、それでもやはり、「テロリスト」が逮捕に抵抗する場合には射殺しても構わないということにはならないはずなのです。ましてや法治国家である今現在の民主主義国家においてはどこの誰であったとしても身柄を拘束して取り調べ中の容疑者を殺害するようなことは断じて許されないのです。そのことをここでしっかりと確認しておくことにします。

確かに「テロリスト」のような「憎むべき犯罪者」にも「人権」を保障することにある種の矛盾を感じるという人たちもいると思います。特に「テロ」の被害者やその家族や友人などの中には「テロリスト」に「人権」を認めることに強い抵抗があるという人たちが少なくないのかもしれないと思います。法治国家である今現在の民主主義国家は、「テロ」の「被害者」を守ることができなかったにもかかわらず、「テロリスト」に「人権」を与えて保護しているように見えるのかもしれないと思います。しかし、私に言わせれば、法治国家である今現在の民主主義国家は「テロリスト」に「人権」を与えて保護しているのではなく、「人でなし」にもあえて「人権」を与えることによって「人間」にしようとしていると考えるべきなのではないかと思います。「人でなし」からも奪うことができない大切なものがあるように一人ひとりの多くの人たちにも奪ってはならない大切なものあるなどと…。この問題についてはそう遠くないうちにまた取り上げることにします。

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