自由自律(日本国&仙台&東京)・千葉 潤(無所属、jchiba)のきょうのひとこと

「他人事」のようにコメントしていた元総理大臣やマスコミとは別の視点で政治関連の動きをコメント。

「『あの日』から…」(2015/1/17)

2015-01-17 10:18:39 | 政治・時事

きょうは2015/1/17(土)です。

「『あの日』から…」(2015/1/17)

『あの日』から 月日は流れ 20年 『記憶』を持たぬ 世代が増える!」-

 きょう1/17で6434人が死亡した阪神・淡路大震災から20年になります。私にとって1995年は様々な意味で忘れられない1年になりました。あれからもう20年になるわけです。

 ほぼ徹夜明けで睡魔と闘っていた「あの日」。深夜なのか早朝なのか微妙な時間帯に自宅に戻ってきてできるだけ物音をたてないように入浴した「あの日」。今寝てしまったらもうお終いだと思ってとにかくベッドに近づかないようにしてコーヒーを飲みながら必死に頑張っていた「あの日」。最初に地震のニュースを知ったのはラジオでした。どうも関西地方で大きな地震があったらしい…。でも、詳しいことは分かりませんでした。とりあえずテレビも付けてみました。それでもやはり詳しいことは分かりませんでした。そして激しい睡魔が襲ってきて何度も意識を失いそうになりながらもテレビの前から何時間も離れることができなかった「あの日」。次々と断片的に流れてくる耳を疑うようなニュースと衝撃的な映像が夢なのか現実なのかハッキリしないままただただテレビに釘付けになっていた「あの日」…。

 くどいようですが、あれからもう20年になります。そしてあの年に生まれた人たちはもう20歳になるわけです。当たり前と言えば当たり前の話ですが、20歳ぐらいの若い彼・彼女たちには20年前の震災の記憶はないのです。歳月が経過すれば、震災の実体験を持った人たちの数が減り、震災の記憶を全く持たない人たちの数が増えていく…。これは当たり前のことです。あえて批判を覚悟の上で言わせてもらうのならば、私は、震災の記憶を持たない世代の数が増えて震災が「風化」していくのはやむを得ないことだと思っています。そして震災の実体験を持った人たちと震災を体験しなかった人たち、震災時の記憶が鮮明に残っている人たちと震災時の記憶を全く持たない人たちの間の「溝」を完全に埋めることは事実上不可能です。しかし、それでもやはり、これからもできるだけ多くの人たちの間で震災の「教訓」とでも呼ぶべきものをしっかりと共有し続けていかなければならないと思っています。これからも震災の記憶を持たない世代が増え続けるという現実を真正面から受け止めなければならないはずです。

 確かに震災の実体験を持った人たちが自らの実体験を語ったり「震災遺構」や「震災被害を記した碑」などを残したりすれば後世にも震災の「記録」を残すことはできるのだろうと思います。しかし、たとえ世の中が震災を体験しなかった人たちや震災の記憶を全く持たない人たちだらけになってしまったとしてもそうした震災の「記録」を消さずに残しておきさえすれば震災の「教訓」とでも呼ぶべきものを共有し続けることができるのかということは一度立ち止まってじっくりと考えてみる必要がありそうです。きょうのところはこれ以上の深入りは避けることにしておきます。何にしても「あの日」から20年になるわけです。

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