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僕と彼氏と猫の日々

「ノッキングオンヘブンズドア Knockin' on Heaven's Door」

2007-08-05 | そのほか
忘れられないのが、大人による大人のためのこの童話。
M君と付き合いはじめの頃に映画の話になって、
おもしろい映画としてすすめてしまった。

昔の話。
映画の日だから何かを見ないといけないということで、
タイトルだけで興味を持った俺が、何の予備知識も無く
当時の愛人と新宿で観た映画。
お互い恋人がいる関係に、二人揃って限界を感じはじめた時期だった。
愛人の恋人が僕の友達だったり、実は僕のほうが先に愛人と付き合ってたり、
だけど僕は愛人を選ばなかったり、お互い抱えていた事情が厄介だった。
閉塞感が漂っていたのに、お互いずるいし若いからそれは絶対に口に出さない。
別れる踏ん切りもつかなかった。
そんな時に観た映画。
今はやっと茶化せるようになったけれど、
あの頃のもどかしさを思い出す度、胸が痛んだ。

かさかさと音を立てそうなほどに乾いた画面や物語は、
徐々にみずみずしく活き活きとしてくる。
残された時間が少ない二人にとっては、
どんな時間さえ永遠にすることができるし、
その瞬間を全力疾走する二人には誰も追いつけない。
この映画を思い出すと、複雑な心境になるのに
画面から溢れ出て来る疾走感のせいか、不思議な爽快感に包まれる。
なぜかアクション映画とかに分類されてるんだけど
ハリウッド映画でもなくフランス映画でもなく
「ランローララン」を作ることとなるドイツ映画だから
絶妙なバランスが維持できたんだと思う。
涙が零れるわけでもなく、ご都合主義の大団円でもなく、
淡々と潮が満ちるように静かにピリオドが打たれる。
全ての物語にこんなピリオドが打たれることを切に祈る。

その愛人との関係は、彼氏にばれて、終わった。
ああ、そうだ。
「ランローララン」もその愛人と行ったんだった。
渋谷の映画館に滑り込みセーフで、一列目しか空いてなくて。
手を繋ぎながら見たっけ。
その数年前に「トレインスポッティング」も手を繋ぎながら見ていた。
「ノッキングオンヘブンズドア」では手は繋いでなかったはずだ。
手を離してしまったのは僕の方なのか、
彼の方なのかはわからない。
報われずに終わった思いだからこそ胸に残るのかもしれない。
どこかで会っても擦れ違うだけだろう。
この思いは時間を重ねることに吸い込まれていくのだ。

AX

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