過去の今日の出来事etSETOraですヨ(=^◇^=)

過去の今日のTHE BEATLESだヨ(=^◇^=)

 

 ノーザン・ソングス・その2 
 2010-05-13 
前日のつづき。
解散後の著作権
[ポールとリンダ共作「アナザー・デイ」がNo1ヒット]
マッカートニー夫人はノーザン・ソングスと契約していなかったため、彼女の作家としての印税は夫が契約しているノーザン・ソングスとは別の、外部の会社[マッカートニー・ミュージック・インク]へ支払わなければならなくなる。ATV会長グレードはこれをインチキだと考え、マッカートニーの新しいコラボレーターが純然たる共作者ではないとして訴訟を起こした。
 レノンもすぐにあとに続き、ヨーコと曲作りを開始する。(略)「ハッピー・クリスマス(戦争は終った)」である。イギリスでの発売が一年遅れだったのは、オノのクレジットを巡るATVとの対立のためだ。(略)
[さらに『ジョンの魂』収録曲は、ノーザン・ソングスではなくマックレン・ミュージック管理曲としてクレジットするべきと主張。それに対し、ノーザン側は命令状を発行。73年2月までレノン&マッカートニーは]
既存の音楽出版契約に縛られていること、1965年の契約によってノーザン・ソングスが出版したいかなる「音楽作品」についての著作権を主張することを彼らに禁じるものであった。(略)
マッカートニーは[『ラム』収録の]自分の単独作五曲(「ラム・オン」の二ヴァージョンを含む)をノーザン・ソングスのクレジットとすることには同意したものの、妻との共作曲に関してはマッカートニー・ミュージックと表記すべきだと言って譲らなかった。(略)     
ノーザン・ソングスはEMIが11曲すべてを自分たちに許諾申請しない限り、単独作品5曲の許諾も出すつもりはないという意思を明らかにした。
 しかしEMIに補償を確約したことと自分たちの懐に印税が入ることもあって、五月の初めにはノーザン・ソングスは許諾を出し、それから一ヶ月もしないうちに『ラム』はUKアルバム・チャートで首位に立った。五ヶ月後にはレノンのソロ・アルバム『イマジン』もトップに輝く。このアルバムにはレノン作九曲、レノンとオノ共作一曲が収録されていたが、クレジットはすべてノーザン・ソングスである。
なぜATVと再契約したのか
[弁護士のマイケル・イートン談]「あのふたりがATVと再契約した理由は、ゆくゆくはノーザン・ソングスなりATVミュージックを買い戻すのに有利だから、という憶測があった。ただし妙だったのは、第一優先権なり追従オファーのオプションについての含みを書面に一切入れていなかったことだ」(略)
[ATVの]ヒースは慎重に付け加えた。「私はすべての話し合いに出たわけじゃないが、ふたりはある程度の権利を取り戻したはずだし配慮もしてもらったはずだ」。(略)当のオノの記憶は、「知り合いの悪魔のほうが、素性のしれない悪魔よりもまし」というものだった。
(略)
レノンとマッカートニーはそれぞれの新しい出版社経由で、レコードの売り上げからはこれまでの25%ではなく27.5%を受け取ることになり、共同出版者としてのレノン&マッカートニーはATVに対して55:45の分配率となった。この有利な条件をATV、ノーザン・ソングスから引き出すために、ふたりの元ビートルは代償を支払っている。(略)
 1973年、マッカートニーはATVのテレビで『ジェイムズ・ポール・マッカートニー』というスペシャル番組に出演した他、『ズー・ギャング』という新シリーズのために主題歌を作った。それには負けられないとばかりにレノンも、1975年にニューヨークで開かれた『ルー・グレード卿に敬意を』というチャリティで、自身最後となるステージに立っている。
MPL
音楽出版の仕組みと旨味を身をもって実感したポールは、義父の指導を受けMPLを設立、音楽出版ビジネスに乗り出す。バディ・ホリー、『グリース』『コーラスライン』。1979年コロムビア・レコードと契約した際には、フランク・レッサーの曲を含む出版カタログをプレゼントされる。
チャンス到来
一方グレードの関心は映画に向かい、ピンクパンサーがヒット、ソフィーの選択も高評価、調子に乗った『レイズ・ザ・タイタニック』がコケて大損失。ノーザン・ソングスを2000万ポンドでどうかとポールに打診。自分が無から産み出したものに大枚はたくことにポールは躊躇。ヨーコに共同購入を持ちかけるも、ヨーコは500万ポンドまでという回答。その渦中、豪の実業家ロバート・ホームズ・ア・コートがACC(ATVの親会社)の筆頭株主に。ポールはチャンスを逃し、グレードは追放。
[ポールは]初の主演映画『ヤァー・ブロード・ストリート』(略)で「イエスタデイ」を使いたかった。(略)もはや彼は曲の所有者ではなかった。(略)世界でもっとも有名な曲を書いた本人が、自分の映画にその曲を使うための許諾をATVミュージックに申請しなくてはならなかった……しかもシンクロナイゼーション料までかかる。
マイケル・ジャクソン
共作した際にポールが音楽出版ビジネスをレクチャー。
 マッカートニーは「枯葉」「ラック・ビー・ア・レディ」「アンチェインド・メロディ」といった曲の著作権を持つことの御利益についても、自分が保有している曲が録音されたりラジオでかかったりライヴで演奏されるたびに使用料が手元に入ることについても、確実に説明したはずだ。(略)この時点でのマッカートニーの自作以外の管理楽曲からの収入は、年間四千万ドルという規模だった。
『スリラー』マネー運用として、まずスライ・ストーンの「スタンド!」「エヴリデイ・ピープル」をゲット、さらにディオン、レン・バリー、ソウル・サヴァイヴァーetc、プレスリー、アレサ・フランクリンの曲も。
和解
1984年、100万ドルと印税率アップと引き換えに、レノン&マッカートニー側はノーザンへのあらゆる訴訟を取り下げることに。ノーザン契約下での解散後ソロ作品権利は返還された。逆にATVはノーザンを障害なく売却できることになった。そしてマイケルが登場。ホームズ・ア・コートは合意に達しそうになるたびに売値を吊り上げ最初の価格から1000万ドルアップの4750万ドルで、85年、ATV全カタログを売却。
[その際、むかつくホームズ・ア・コートのあほうは、娘の好きな“ペニー・レーン”プレゼントしてくれなきゃ売らないとゴネ、マイケル側が激怒し契約が御破算になりかけている。さらに豪パースでのチャリティ・イベントにマイケルを呼びつけるという傲慢ぶり]
 のちにマッカートニーは、自分はATVカタログを買えたはずだったが「ヨーコとのいざこざで買えなかった」と釈明している。その一方でジャクソンが楽曲を所有していることについては、「僕よりマイケル・ジャクソンのほうが“イエスタデイ”の権利割合が多いというのは腹立たしい。困ったもんだ」と語っている。(略)
 ジャクソンから買収の件を聞いたことは絶対にないと譲らないマッカートニーは、買収契約の締結以降にジャクソンとはほとんど口をきいていないことを認めている。
[マイケルは全曲は入手できなかった]
エプスタインがディック・ジェイムズに渡した「プリーズ・プリーズ・ミー」「アスク・ミー・ホワイ」の二曲は、DJMの他の音楽出版ビジネスと合わせて1986年にポリグラムヘ売却されている。一方ビートルズのデビュー・シングルだった「ラグ・ミー・ドゥ」「P.S.アイ・ラグ・ユー」は、最終的にポール・マッカートニーのものになった。
[80年半ば、キャピトル復帰条件のひとつとして手に入れた]
注意点
所有権はマイケルにあるが、レノン&マッカートニーは全世界で50?55%(米では33%)の作家取り分の著作権印税を得ている。
ソニーATV
 買収から十年後、そして「アース・ソング」が大ヒットするほんの一ヶ月前、ジャクソンはATVミュージックとソニー・ミュージックの合併を発表し、音楽業界をあっと言わせた。この提携で彼は一億一千万ドルを受け取り、新たな巨大会社の株式の50%を保有することになった。(略)
[ノーザン・ソングスは1986年に有名無実化、1995年に正式に解体]
 ジャクソンヘの蔑視なのか、あるいはソニーATVミュージックという名前をアルバムに入れないための単なる手段なのか、『ザ・ビートルズ1』の中でソニーATVが所有している25曲の出版社クレジットは、ノーザン・ソングスとだけされている。実際には五年前に消滅した会社なのにである。
 二年後、マッカートニーはレノンと共作したビートルズ時代の20曲が含まれているライヴ・アルバム『バック・イン・ザ・USライヴ2002』を発売し、クレジットを巡ってのオノとの対立をわざわざ再燃させた。「ジョンが僕の曲だと言ってくれたものについては、僕の名前を最初にするのがフェアだと思う」と理由を説明し、コンポーザーのクレジットを「ポール・マッカートニー&ジョン・レノン」としている。出版社クレジットはまたしてもノーザン・ソングスである。
 https://kingfish.hatenablog.com/entry/20100513

 ポール・マッカートニー、2018年からようやくビートルズの楽曲の管理権を所有できるか
 2016.03.28 12:21
 ポール・マッカートニーはザ・ビートルズ時代の楽曲の版権を取り戻そうと動いているという。実はポールはビートルズ時代の楽曲の版権を所有したことがなく、ビートルズ時代に書いたレノン=マッカートニーとしての楽曲やジョージ・ハリスンやリンゴ・スターの楽曲の管理権もすべてノーザン・ソングスというポールとジョン・レノンも出資者となった著作権管理会社に所有されていた。実際にこの会社はディック・ジェイムスという楽曲著作権管理事務所の経営者とビートルズのマネージャーだったブライアン・エプスタインが実質的に切り回している団体だった。その後、ブライアンが1967年に他界した後、ポールとジョンは版権を自分たちの手元に取り返そうとノーザン・ソングスの買収に動き出すが、ジェイムスは会社をイギリスの民放テレビ局ATVに売却し、その後、ポールとジョンは何度かATVから楽曲の版権の買戻しを試みたがいずれも実現しなかった。さらに80年代に入ってからポールがマイケル・ジャクソンとのコラボレーションを重ねるようになると、ポールはマイケルから楽曲の所有権のノウハウなどについて訊かれ、版権を所有することの重要性を彼に説いたというが、その後、マイケルからビートルズの曲を買ってみせると宣言され、マイケルは現実にATVそのものを買収してしまうことに成功した。マイケルはさらにATVとソニーを合併させ、版権管理会社ソニー/ATVとなったが、先頃、マイケルの遺産管理団体がマイケルの所有していた株式をすべてソニー/ATV側に売却することが明らかになって、ポールがビートルズの楽曲をまた取り戻す日はいつかくるのだろうかという関心がにわかに注目されることになった。さすがにソニー/ATVの買収やビートルズ楽曲の版権の買戻しは資金的にも難しい一方で、ポールが着実に版権の回復のために動いていることが明らかになったとビルボード誌が伝えている。というのは、アメリカの著作権法の規定で、1978年以前に書かれた楽曲については著作権が成立した日から56年目に原作者は楽曲の権利を取り戻せることになっているからで、1962年にレコード・デビューしているビートルズの場合、2018年からがそのタイミングとなるのだ。ただし、版権を取り戻すには56年目から数えて2年から10年前までに米国著作権局に申請を行わなければならず、その後、当該楽曲の著作権がいったん抹消され、原作者にすべての権利が返却されるという。そしてポールは昨年末にこの申請を行っていたことが明らかになったという。なお、ビートルズの楽曲はすべてレノン=マッカートニー名義になっているため、ポールはその半分だけを取り戻すことになるが、ジョンの持ち分については著作権そのものが無効となる(ジョンの死から70年後)までソニー/ATVが版権を保持し続けるという取り決めがソニー/ATVとオノ・ヨーコとの間で行われたという。ただし、この措置はアメリカについてのみの話で、ポールはアメリカでは2018年以降、楽曲の版権を取り戻すことになるが、そのほかの世界各国では依然としてソニー/ATVが権利を所有したままになる。 
 https://rockinon.com/news/detail/140947
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 ポールとジョンがビートルズ楽曲の版権を失うことになった知られざる経緯とは
 2016年01月06日 06時00分 By Ian Burt
 1962年にデビューし、一気に世界で最も有名なバンドとしての地位を獲得したザ・ビートルズは、2000年代に入ってもその影響力を保っています。アーティストには著作権に基づくさまざまな収入があるため、ビートルズの楽曲を残したジョン・レノンとポール・マッカートニーのコンビ「レノン・マッカートニー」にはさぞかし多くの収入があるんだろうな……と思う人も多いはずですが、実はビートルズ楽曲のほとんどは彼らの手には入らなかったことは、ビートルズファンの間でもあまり知られていません。
 How Paul McCartney and John Lennon Lost Ownership Of The Beatles Catalogue | Celebrity Net Worth
 http://www.celebritynetworth.com/articles/entertainment-articles/how-michael-jackson-bought-the-beatles-catalogue-then-turned-it-into-a-billion-music-empire/
 ◆若くして結んでしまった「最悪の契約」 ⇒ 1963年2月、ちょうどビートルズがアメリカのテレビ番組「エド・サリバンショー」に出演する1年前、当時バンドのマネージャーをつとめていたブライアン・エプスタインは、ジョン・レノンとポール・マッカートニーの両者に対して版権を管理する会社を立ち上げることを提案しました。これは、当時はまだ現在ほど知名度のなかったビートルズの楽曲をイギリスのラジオで流してもらうためには、大手の出版社と手を組んでラジオ局のマネージャーに売り込むことが不可欠だと判断したエプスタインの提案でした。やがて、エプスタインとジョン、ポールは1963年1月に発表されたシングル「プリーズ・プリーズ・ミー」を、元ミュージシャンで音楽出版社「Dick James Music(DJM)」を運営するベテランパブリッシャーのディック・ジェイムスのもとに持ち込み、楽曲を登録。ラジオ局とのパイプを築いたことで「プリーズ・プリーズ・ミー」は全英で2位という成功を収めます。同年2月、ジェイムスはエプスタインを含む3人に対し、版権管理会社「ノーザン・ソングス」を設立することを進言。このときジョンは23歳、ポールはまだ21歳という若者で、まだまだミュージックビジネスについては知識も経験もない段階だったわけですが、ここで彼らは後に大きなミスといえる契約を結んでしまうこととなります。設立された「ノーザン・ソングス」の株式のうち、なんと50%はジェイムスと彼のパートナーであるチャールズ・シルバーによって押さえられており、残りの50%をエプスタインが10%、ジョンとポールがそれぞれ20%で保有する形で契約が行われ、このパワーバランスが長年にわたってジョンとポールに重くのしかかることとなるのです。後にポールはこの契約について、若くて無垢だったためにとんでもない契約を結んでしまった、と回顧しています。事実、ジョンとポールは契約書の内容に目すら通しておらず、どちらもジェイムスのパートナーであるシルバーに会ったことすらないと明かしています。こうしてノーザン・ソングスと契約を結んだ「レノン・マッカートニー」のコンビは、同社に対して1973年まで年間6曲の楽曲を作曲する義務を負うこととなります。また、同社はすでに作曲されたビートルズの楽曲53曲を保有することになりました。矢継ぎ早に事は進み、同年3月にはビートルズのファーストアルバム「プリーズ・プリーズ・ミー」がイギリスでリリースされます。その2か月後、同アルバムはUKチャートでナンバー1を獲得し、その後30週にわたってトップを独占することとなりました。なお、同アルバムを蹴落としてチャートナンバー1を獲得したのは、ビートルズ2枚目のアルバムである「ウィズ・ザ・ビートルズ」でした。ビートルズの人気は世界を席巻し、大成功を収める時代が到来します。ビートルズの4人には大金が転がり込むようになり、同じようにエプスタイン、さらにはディック・ジェイムスと彼のパートナーのもとにも巨額の大金が流れ込むようになるのでした。1965年、株式を公開することで税金を減額できることを知ったジェイムスとシルバーは、ノーザン・ソングスの株式500万株をロンドン証券取引所に公開。これにより、ジョンとポールの持ち株比率は15%(32万ドル相当、現在の価値で230万ドル・約2億7500万円)へと低下。ジェイムスらの比率も37.5%(80万ドル相当、現在の価値で230万ドル・約7億1300万円)へと変化しています。
 ◆売却へ ⇒ 1967年8月、ビートルズを献身的に支えたマネージャーのエプスタインが、アスピリンの過剰摂取によりこの世を去ります。ジョンとポールはエプスタインの死後、ジェイムスらから楽曲の管理権を獲得しようとしましたが、失敗に終わります。ジェイムスとシルバーは保有していたノーザン・ソングスの株式全てを250万ドル(現在の価値で1700万ドル・約20億円)で放送メディアのATV(Associated Television)に売却するという策に出ます。この売却についてジョンとポールには事前に知らされておらず、両名はそれぞれのハネムーン旅行の最中に、新聞のトップを飾った記事でその事実を知ったというエピソードが残っています。こうしてATVはビートルズの楽曲88曲の権利を保有することとなります。このとき、ジョンとポールにはATVが版権料として1ドルを得るたびに25セントが支払われるという、にわかには信じがたい状況となっていました。打開策として、ATVは二人が所有している残りの株式を1475万ドル(現在の価値で1億ドル・約120億円)で買い取るオファーを打診しますが、ビートルズ側はこれを拒否。その後もビートルズ側は対抗策を講じるも、いずれも失敗に終わります。こんな状況でも、契約の上ではビートルズはATVに対して年間6曲を提供する義務が存在します。業を煮やしたビートルズ側は1969年、ついに残されていた楽曲提供の義務条項は全て解消する条件をつけてATVに残りの株式を売却。このときの額はATVがジェイムスらに支払った2倍の金額となる573万8000ドル(現在の価値で3600万ドル・約43億円)で決着をつけましたが、これでビートルズの楽曲の版権(正確には「版権を管理するノーザン・ソングス」)は、完全にビートルズのもとを離れることとなりました。
 ◆買い戻しのチャンス、そしてマイケル・ジャクソンの存在 ⇒ その後、1981年まで版権をめぐる状況に大きな変化は生じませんでした。状況が変わったのはジョン・レノンが凶弾に倒れた1年後の1981年、ATVがオーストラリアの大富豪、ロバート・ホームズ・ア・コート氏に買収された時で、その際にポールのもとにはATVが管理していたビートルズの版権を4000万ドル(当時のレートで約88億円)で買い戻すというチャンスが到来します。ポールはジョン亡き後のオノ・ヨーコに接触し、費用の折半を提案しますが、ヨーコは買い戻し額は全部で2000万ドルが相当であると主張したことから、話し合いは不調に終わります。ポールによると、全ての資金を一人で負担することは可能でしたが、仮にジョン亡き後に単独で版権を買い戻すことで生じる「強欲」や「ジョンへの敬意が感じられない」という悪評を懸念したことから、このときは版権の買い戻しを断念したとのこと。手元にATVが持っているビートルズの版権が残ったホームズ氏でしたが、そもそもミュージックビジネスに関わることに関心はなかったとみられ、ATVの従業員をほぼ全員解雇し、1984年には同社のミュージック部門そのものを売りに出しました。この際にもポールのもとに話しは舞い込んだわけですが、「高すぎる」ことを理由にこれを拒否。ここで名乗りを上げたのが、当時は版権ビジネスを手広く行っていたマイケル・ジャクソンその人でした。マイケルのマネージャーを長年にわたって務めていたジョン・ブランカ氏のもとにATV売却の話しが舞い込んだ時、マイケルはブランカ氏に「いくらかかってもいいからビートルズの版権を手に入れること」と指示。こうしてビートルズの版権はマイケルのもとに移ることとなりました。なお、この話の背景には皮肉なエピソードが隠されています。ポールとマイケルはそれまでに「ガール・イズ・マイン」と「セイ・セイ・セイ」という2曲をデュエットで発表していたこともあり、良好な関係を築いていました。1982年のある日、ロンドン郊外にあるポールの自宅を訪れ、ポールの妻リンダ(故人)とディナーを共にしていたマイケルは、ポールから「大金を手にできるのは版権を所有することだけだ」という手ほどきを受けたと言います。巡り巡ってその2年後、そのマイケルがビートルズの版権を所有することになるとは、当の本人すら予想できなかったことなのかもしれません。この一件をきっかけに、ポールとマイケルの関係は険悪なものになったといわれています。その後、マイケルは2009年にこの世を去り、さまざまな権利関係の動きや、「1978年以前に製作されたコンテンツの著作権は56年後に作曲家の元に戻る」というアメリカの著作権法の定めにしたがい、ポールはビートルズの楽曲の版権を取り戻している段階にあるとのこと。このまま順調に事が進めば、2026年には全てのレノン・マッカートニー楽曲の権利は再びポールの手に戻ることになると見られています。
 https://gigazine.net/news/20160106-lennon-mccartney-copyright/

 

 

 ┏━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
①┃ 『The Beatles MONTHLY BOOK』 ┃No.007
 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
 1964(昭和39)年02月01日(sat) Issue 1shilling 6pence
 ●ビートルズ・ニュース : 
 ・フランスで人気急上昇  
 ・巨大なクリスマス・カード
 ・ジョンとポールは新型のギターには興味なし
 ・マンスリー・ブックのブック・フォルダができました etc.
●特集
 ・ 集中連載『4人のビートルズ物語』6回目 ※No.009まで
   ♪ラヴ・ミー・ドゥ♪、♪P.S.アイ・ラヴ・ユー♪レコーディング
   第2弾♪プリーズ・プリーズ・ミー♪
   デビュー曲がNMEで27位に
   伸び悩む売行き
   ドイツ巡業中にイギリスでビートルズ人気が上昇
   幻のLP『ライヴ・アット・キャバーン・クラブ』
   ジョージ、ラジオで聴いた♪ラヴ・ミー・ドゥ♪を語る
 ・クリスマス・ショーのレポート   
 ・パリのビートルズ熱 ~次号でパリ公演特集が予告
 ●連載/レギュラー企画
 ・ジョニー・ディーンによる論説  
 ・ニュースレター  
 ・投稿  
 ●今月のビートルズ・ソング:♪P.S.アイ・ラヴ・ユー♪
 ┏━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
②┃ 『The Beatles MONTHLY BOOK』 ┃No.019
 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
 1965(昭和40)年02月01日(mon) Issue 1shilling 6pence
 ●ビートルズ・ニュース : 
 ・新作映画情報
 ・ ジョージ主催のピンポン大会
 ・ポールのパパが再婚、そしてポールには4歳の妹が
 ・レノン夫妻とG・マーティン、アルプスへスキー旅行
 ・ジュリアン君へのクリスマス・プレゼント
 ・次の映画のタイトルは? etc.
 ●特集 :
 ・ジョンの顔
   9枚の写真に見る彼のユニークなキャラクター
 ・ビートルズのフリー・トーク
   「楽屋にテープ・レコーダーを置いて好きなことを喋ってもらおう」…第1回はジョンとジョージ。英米のファン雑誌の相違や気質の違いを語る
 ・クリスマス・ショーレポート
   ロンドン、ハマースミス・オデオンで1晩2回のショー。その模様を写真で紹介
 ●連載/レギュラー企画
 ・スポットライトの裏側
  『プリーズ・プリーズ・ミー』の波紋
   ファン・クラブ急成長
   単なるグループのでない4人の個性
   故郷リヴァプールを語る
   イギリス音楽界に与えた影響)
 ・ジョニー・ディーンによる論説  
 ・ニュースレター  
 ・投稿
 ・ ペン・パル(文通)募集   
 ●今月のビートルズ・ソング:♪恋する二人♪
 ┏━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
③┃ 『The Beatles MONTHLY BOOK』 ┃No.031
 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
 1966(昭和41)年02月01日(tue) Issue 1shilling 6pence
 ●ビートルズ・ニュース : 
 ・ポールの新居  
 ・ビートルズと007
 ・シェア・スタジオアム公演、8月にテレビ放送予定  
 ・今も楽譜は書けません  
 ・レコード購入に毎月30ポンド 
 ●特集 : 
 ・ビートルズ・トーク
   今月はポールとジョージ。
  『ヤァ!ヤァ!ヤァ!』と『HELP!』
  そして第3作映画『ア・タレント・オヴ・ラヴィング』を語る。
 ・リバプールのファンクラブ(第2回)
   毎月400通の手紙が届くファンクラブ。熱心に返事を書くポール、リンゴ、リンゴ夫人モーリンもお手伝い
 ●連載/レギュラー企画
 ・スポットライトの裏側
  ついにアメリカ上陸
  リンゴ、爆発的人気
  カーネギー・ホールの興奮
  アメリカ制覇!
 ●今月のビートルズ・ソング:♪ドライヴ・マイ・カー♪
 ┏━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
④┃ 『The Beatles MONTHLY BOOK』 ┃No.043
 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
 1967(昭和42)年02月01日(wed) Issue 2shilling
 ●ビートルズ・ニュース : 
 ・4人に加え…マルやニールもヒゲ狂いになったビートルズ
 ・ポールが国道1号線で事故死というデマ
 ・ファンクラブのみなさんへお知らせ  etc.
 ●特集 : 
 ・ビートルズのフリー・トーク
   ビートルズ・ナンバーの質の変化や日常生活を4人が語る
 ・ポール 特別インタビュー
   4人で唯一の独身のポール。セント・ジョンズ・ウッドの自宅を訪ねる。優雅なインテリアから琴などの楽器のコレクション、愛車までを幅広く紹介
 ・イラスト・コンテスト優秀作品発表
 ・国内外の公認ファンクラブ支部一覧
 ●連載/レギュラー企画
 ・スポットライトの裏側
   リンゴとモーリンの出会い
   アメリカ人にはリバプールは聖地
   映画第2作、主役はリンゴ
   撮影に対する抱負
 ・ジョニー・ディーンによる論説  
 ・ニュースレター  
 ・投稿  
 ・ ペン・パル(文通)募集 
 ●今月のビートルズ・ソング:♪アイム・オンリー・スリーピング♪
 ┏━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
⑤┃ 『The Beatles MONTHLY BOOK』 ┃No.055
 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
 1968(昭和43)年02月01日(thu) Issue 2shilling
 ●ビートルズ・ニュース
 ・ジョージ、映画『不思議の壁』の音楽を担当
 ・ジョンのサイケデリック・ロールス・ロイス、アメリカへ
 ・シラ・ブラックのTVショーにリンゴがゲスト出演
 ・『MMT』、アメリカではLPとして発売
 ・ビートルズ、各誌人気投票でトロフィー獲得 etc.
 ●特集 : 
 ・ビートルズの仮装パーティー
  『MMT』完成を記念した豪華な仮装パーティが開かれた。場所はロンドンのロイヤル・ランカスター・ホテル。200人の招待客を前に、ジョンはハンブルグ時代の皮ジャン姿、ポールとジェーンはスコットランドの王侯風衣装、リンゴは開拓時代のアメリカを思わせる姿、モーリンはインディアン風ミニスカート、ジョージはエロール・フリン調の服で登場し、招待客を湧かせた
 ・ローマでのリンゴ パート2
   前回に続き、映画『キャンディ』の撮影が進むローマでの様子をマルがレポートする
 ・マンスリー編集部から読者に、内容に関するへのアンケートを実施。
 ●連載/レギュラー企画
 ・スポットライトの裏側 
   スウィンギング・ロンドンの真ん中で、スティーヴィー・ワンダー、キース・ムーン、ポールらがスーパー・セッション
   当時のベスト10の顔ぶれは
   分裂の噂
   ビートルズの昔からの憧れ メアリー・ウェルズがビートルズのカバー曲集を発表。
   プロダクション「ネムズ・エンタープライズ」、設立3周年
   ジョン、ヤードバーズ、フー、ディランを語る
 ・ジョニー・ディーンによる論説  
 ・ニュースレター  
 ・投稿  
 ・ペン・パル(文通)募集
************************************************************
 ①http://www.geocities.jp/thebeatlescometogether/60s/monthly/1_10.html
 ②http://www.geocities.jp/thebeatlescometogether/60s/monthly/11_20.html
 ③http://www.geocities.jp/thebeatlescometogether/60s/monthly/31_40.html
 ④http://www.geocities.jp/thebeatlescometogether/60s/monthly/41_50.html
 ⑤http://www.geocities.jp/thebeatlescometogether/60s/monthly/51_60.html
************************************************************
 ┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
 ┃ 『The Beatles BOOK(ザ・ビートルズ・ブック)』2月号  ┃MONTHLY
 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
 Issue 007 February 1964 
 Issue 019 February 1965 
 Issue 031 February 1966 
 Issue 043 February 1967 
 Issue 055 February 1968 
 Issue 067 February 1969 
 Issue 087 February 1977  No.010
 Issue 099 February 1978  No.022
 Issue 111 February 1979  No.034
 Issue 123 February 1980  No.046
 Issue 135 February 1981  No.058
 Issue 147 February 1982  No.070
 Issue 159 February 1983  No.082
 Issue 171 February 1984  No.094
 Issue 183 February 1985  No.106
 Issue 195 February 1986  No.118
 Issue 207 February 1987  No.130
 Issue 219 February 1988  No.142
 Issue 231 February 1989  No.154
 Issue 243 February 1990  No.166
 Issue 255 February 1991  No.178
 Issue 267 February 1992  No.190
 Issue 279 February 1993  No.202
 Issue 291 February 1994  No.214
 Issue 303 February 1995  No.226
 Issue 315 February 1996  No.238
 Issue 327 February 1997  No.250
 Issue 339 February 1998  No.262
 Issue 351 February 1999  No.274
 Issue 363 February 2000  No.286
 Issue 375 February 2001  No.298
 Issue 387 February 2002  No.310
***********************************************
 http://en.wikipedia.org/wiki/The_Beatles_Book
 http://the-beatles-collectors.wikia.com/wiki/Magazines
 http://beatlesite.blogspot.jp/2009/09/beatles-book-sixties-editions-cd-rom.html ⇒ 1963-1970 CD-ROM
***********************************************
 ※『THE BEATLES MONTHLY BOOK』 ¥98,000- 18:27 2012/04/16(月)現在
 UKオリジナル! OFFICIAL BEATLES FAN CLUBの機関誌。1963年から`69年までのTHE BEATLES BOOK 1号~77号のコンプリート・セットです。コンディションはEX程度。中には書込みがあるものが含まれます。
 http://www.tracks-japan.com/catalogue/list173/173_items2.html#monthly

名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最近の「日記」カテゴリーもっと見る