過去の今日の出来事etSETOraですヨ(=^◇^=)

過去の今日のTHE BEATLESだヨ(=^◇^=)

 


ビートルズ騒動 1966  https://youtu.be/27HUmnD2CJ8
TBSが昭和41年6月30日(!)に放送した「現代の主役」というドキュメンタリー。
35年後の2001年にスカイパーフェクトTVでオンエアされたもの。
ミュージック・ライフ編集長星加ルミ子、協同企画嵐田三郎、自民党代議士福永健司
OFC(東芝オデオンファンクラブ)会長乾裕樹(バーで会談で母親と会談する方)等がコメント。
TBSはビートルズ公演の放送権を日テレに奪われた負け惜しみ(?)で、ビートルズの
側面を取り上げた番組を当時沢山放映していた。
TBS編成局長「ビートルズ中継しても、放送文化上何の意味も無い。」
負け惜しみ以外の何物でもないがwあながち言ってることは間違ってなく
ビートルズが日本に来た時代をリアルに切り取ってる、という意味では
むしろ、若い人達にビートルズ公演そのものよりも見てほしい内容ではないかと思う。
だから・・・スカパーは中途半端な著作権侵害を申し立てるのなら、定期的に
再放送したらどうだろうか。?


日本公演プログラム

 ごあいさつ 
 今世紀最大のタレントといわれる『ザ・ビートルズ』の日本公演が、本日ここに実現することになりました。
 全日本のビートルズ・ファンの長い間の要望にこたえて、中部日本放送が、協同企画エージェンシーの協力により、画期的な日本初演の契約を結ぶことができましたことをファンの皆様と共に喜びたいと存じます。
 今回の公演については、日本で一都市、東京のみという制約のため、全国各地の公演ができないことを残念に思っておりますが、テレビ中継を必ず行うということを契約に際しての条件といたしました。
 東京の公演については、読売新聞社が共同主催者として、全面的に周密な計画のもとに担当され、その配慮によって日本武道館の理解ある会場提供も実現しました。
 『ザ・ビートルズ』が、日本において最高の熱演を行い、期待以上の感激と、十分な満足を与えてくれることによって、『ザ・ビートルズ』の日本公演が立派に行われた記録をのこしたいと思います。
中部日本放送  

 クラシックの殿堂カーネギー・ホールで演奏し、テレビ視聴率72%、三年間でレコードを2億枚も売り上げる。などなど、かずかずの記録をもつ『ザ・ビートルズ』が、いよいよわたくしたちの目の前に現われ、夢殿の姿にも似た日本武道館で夢の演奏を聞かせてくれることになりました。
 ザ・ビートルズはいずれもリバプールで生まれ、4人が一つの輪になった1962年に栄光へのスタートを切りました。台風のように速く内にもつ大きな力と、すばらしい創造性と、特異さで全世界にブームを起こしました。
 65年にはイギリス女王陛下自ずから勲章をもらうという幸運も得て文字通り世界一、世界中の若い人々のアイドルとなったのであります。
 「聞き手の心をゆさぶり、興奮にかり立てる独特のものが、エレキや歌声の中にひそんでいる」と感じてから、そのマネージャーになったエプスタイン氏の言のように、ジョンもポールも、ジョージもリンゴも、現在からさらに未来へと果てしなく、若い人の心を底の底からゆすぶっていくことでありましょう。
 なお一行の公演中、各地で騒ぎを起こしていると聞いておりますが、日本のファンの皆さまは節度ある態度でお聴きになると主催者は信じております。彼らをあたたかく迎え気持ちよく帰すことになれば、ザ・ビートルズはかならず、ふたたび皆さまにその姿を現わすことでしょう。
 最後にこの公演にあたり、いろいろとお骨折りをいただき、またおしみなくご協力をして下さった関係者の方には深く感謝し、厚くお礼を申し上げます。
読売新聞社

  私どもに代って、日本のビートルズ・ファンによろしくお伝え下さい。
  私どもは六月末、皆さまにお会いできる東京の空にひたすらな思いを寄せています。そこへ、たった今、二回の追加公演までやれるというすばらしい朗報です。
 待通しい東京公演、ではそれでは皆さま、どうぞごきげんよう。
ジョン、ポール、ジョージ、リンゴ (中部日本放送に寄せられたザ・ビートルズのメッセージ) 
 ビートルズについては、私から説明する必要がないくらい、皆様がごぞんじです。
 ビートルズの名声は、もはや英国だけでなく、全世界にとどろいています。
 ビートルズのレコード、フィルム、ビートルズの作曲の数々は、日本の皆様にも広く親しまれております。そして、待望の今回の訪問は、日本のビートルズ・ファンを歓喜にわきたたせるでしょう。それゆえ、私はビートルズの来日を心から歓迎するのです。
 イギリスのポップ・ミュージックは、世界中に空前のブームを作りだしました。
 この成功によって、ビートルズは、その名声を高めました。我々は Gay Nineties (陽気な1890年代)や、
Roaling Twenties(狂乱の1920年代)をへてきました。
 そして、1960年代は、Beatles Decade ビートルズ時代として人々に記憶されることになりましょう。
 最後に、私は、ビートルズが、東京訪問に成功し、又東京訪問を愉快に過ごす事を祈ります。
                      英国大使館 代理大使 ダドレイ・チェク  

 若さの特権  安部 亮一
 去年の夏、 アメリカ旅行中にちょうど、ビートルズのアメリカ公演があり、これはチャンスと早速切符の手配をたのんだら、「1週間前にビートルズの切符を手に入れようなんて心がけが悪い。もう1ヵ月も前からとっくに売り切れです」とつれなくことわられてしまった。
 それが日本に帰ってきたら、東京でいながらにしてビートルズが聞けるのだから、やはり東京は世界でも有数の大都市との認識を改めさせられた。
 ビートルズがすべて、というビートルズ・ファンも、ああいう歌はどうもわからん、というビートルズ批判派も、どっちの側の人だって、ビートルズという怪物の存在を無視できない。世界中の若い世代にとって、ビートルズは、今や''社会現象''なのだし、戦後の世界の軽音楽の流れを語るとき、ビートルズの名前は、余りにも大きい位置を占めているのだ。
 あの4人組みは、どうもうるさくてかなわん、と批判する人もいる。しかし、その人たちですら、ビートルズの、あの若いエネルギーの奔流については、文句をつけることができないだろう。火山の噴火のように、爆発し溶岩のように自由に流れ出る彼らの歌声を、おさえつけることはできないのだ。
 そして、若さは常に未知の世界への冒険心を誘発するように、ジョンとポールは、つぎつぎと新しいスタイルの歌を作り、4人はそれを歌い続けて行く。彼らは決して停止しない。冒険心が、時には高価な犠牲を支払わなければならないことを知ってはいても、彼らはその冒険に全身を投げかける。それは、すばらしいことだ。
 こうして、彼らの歌は、「プリーズ。プリーズ・ミー」「抱きしめたい」から「イエスタデイ」「ミシェル」とかわる。そして、また、彼らの歌はかわるだろう。歌がかわるように、バックのリズムも、ハーモニーもかわってゆく。彼らはいつも自由なのだ。ひとつのスタイルに固執する歌手が多い中で、常に冒険してゆく彼ら。だからこそ、その冒険心に拍手を送ろうという人が多いのだ。それが若さの本当の特権というものなのだから。

ロンドンで会ったビートルズ  星加 ルミ子
 丁度1年前の6月、私は念願のビートルズと、ロンドンにあるEMI レコードのスタジオで約3時間もの間インタビューやら楽しい談笑をしました。
 もうあれから1年経ってしまいましたが、あの時の私の興奮と、すばらしかった4人、ジョン、ポール、ジョージ、リンゴとの会話は今でも鮮やかによみがえってきます。
 外は小雨がちらついていた寒かった6月15日、。どんなにか待っていたビートルズとの会見が、不意に現実となったのです。
 私は持参した着物を着て、スタジオに向かいましたが、何を聞こう、最初は何を云ったらいいのだろう、ジョンは気むづかし屋かしら、4人ともきっとレコーディングで忙しくってゆっくり話をしてくれる暇なんてないのじゃないのかしら……のべつこんなことを考えている間に、私はいつしか彼等の前に立っていたのです。
 「ハロー」「ハーイ」「ウェルカム」次々と4人からさきに言葉がとび出ます。
 低音で、落ちついた感じのジョン、一番おしゃれなジョージ、気さくなリンゴ、そしてあのあどけない顔いっぱいに笑顔で迎えてくれたポール。
 ジョンがしきりに日本のことを知りたがって私に質問してきたのには、私のほうが恥ずかしいことにしどろもどろ。
 4人の印象は一口で云って今や億万長者、ビートルズ世界のアイドル、ビートルズといったかた苦しさはどこにもなく、話し好きで、無邪気で、あけっぴろげで、陽気な若者たちということでした。
 リンゴは大きな鼻と背が他の3人に比べてわずかに低いのをちょっと気にしているようでしたが、''学問的体育訓練法''という本をその時持っていて、もし男の子が生れたら(リンゴの赤ちゃんザックはこの年10月に生れたことはご存知のとうり)丈夫で元気でたくましくなるよう運動をジャンジャンさせるんだ'といっていました。彼はまたダジャレの名人、次から次へとユーモラスな言葉がとび出します。
 ポールは、一番気さくな青年でした。何くれとなく気を使ってくれ、言葉がとぎれると話題をみつけてくれたり、始終小まめに動き回っています。ただ、ジェーンとの結婚問題については、あいまいに笑ってごまかされてしまいました。顔のあちこちにニキビの跡があり、鼻の頭に小っちゃな赤いニキビがプツンと出来ていたのが印象に残っています。
 ジョージ。彼が一番難物でした。いつも1人ぽつんと離れたところで、何をすることもなく、坐ってだまりこくっています。でも話しかけると、とてもていねいに、一言一言念をおすような話しかたをするのが特徴。セピアのコールテンのジャケットとスラックスがいかにもおしゃれなジョージらしく、袖口、衿のところなどに細かい工夫がされていました。
 ジョンは、非常に学究肌で、気に入るまで物事を何度でもやり直したり、徹底的に研究する性格だと自分でも云っていましたが、私から熱心に日本の話をききだしたのもこのジョンでした。
 それまでレコードと映画「ヤァヤァヤァ」でしか知らなかったビートルズの4人が、こんなにもすばらしい性格を持ち、ウィットにあふれ、愉快な連中だったことに私は大きな満足を覚えたものです。こうした4人だからこそ、沢山の世界中のファンから愛されているのでしょう。
 EMI のスタジオではこの日、5月にクランク・アップした第2作の映画「ヘルプ」の主題曲の中から2曲レコーディングしていました。レコーディング室からミキサー室に戻ってまた私達は、そこでプレイ・バックをききましたが、4人ともそれぞれに気に入らない点を指摘していました。そして気に入るまで何度もレコーディングし直すのだそうです。
 ジョン・レノン、ポール・マッカートニーの2人が殆んどのレパートリーの作詞、作曲をしているのはご存知の通りですが、この2人のイマジネーションは全く天才的。ふっとひらめけば、どこであろうと曲にしちゃうということで、それがまさに現代の若いゼネレーションにぴったりのものなのですからいかにこの2人の感覚がすぐれているかお判りでしょう。
 私にとっては本当にラッキーとしか云いようのないこの会見から1年して、この偉大なビートルズを私達の国日本に迎えることが出来たということは何んという歓びでしょう。
 いつまでもすばらしい歌を沢山作って、私達ビートルズ・ファンに聞かせて下さい。
 そしてまた何度でもあなた方を待っている日本にこれからもジャンジャン来てください。

 ビートルズ・ファンとおとなの関係  森田 潤
ビートルズ・ファンの熱狂ぶりについて「気ちがいだ!」と一言のもとにきめつける人たちが多い。テレビでの対談番組をはじめ、ラジオ、新聞、雑誌などでもビートルズ・ファンはひんしゅくを買っているようだ。
ビートルズ論議はイギリスはもちろん、世界各国で激しく行われているが、とくにイギリスは本場らしく論戦の内容も激しく密度も高いもので、有名な学者、音楽家、政治家などあらゆる知識階層が真剣に賛否を戦わせている。
ところで日本にもビートルズが来日すると決まってから、ビートルズ論争はようやく激しくなってきた。東京在住の外国特派員が''ビートルズ論争、日本にも上陸''と海外へ向け打電している程だが、日本での論争は「気ちがい!」とファンへの一方的なきめつけ方だけが大きくクローズアップされるばかりで、どうも論争らしい論争になっていないのはどうしたことだろうか。「気ちがい!」とファンの熱狂する状態を批評する声があがってもいい。だが、それに対する反論がどうも希薄なのである。なぜファンはあのようにビートルズに夢中になるのだろうか---といった分析がほとんど行われていないのである。
ビートルズ・ファンは日本に約300万人いると推定されている。300万人というのはかなりの数だ。これだけの数を熱狂させているタレントがほかにいるだろうか。ビートルズ公演の入場切符の希望申し込みハガキが読売新聞だけでも22万数千通も寄せられる驚異的な新記録を作ったことをみてもそれが分かるだろうすでに日本で公開されたビートルズの映画では髪をかきむしって絶叫し、彼らの舞台に涙する少女ファンがうつし出されていたが、その模様をみていたファンの何人かがスクリーンにかけ寄り、それを手でさわるといったことまでやる光景がひと頃の話題になったものだ。スクリーンにさわったところで、それはビニール製のむなしい一枚の布にすぎないが、彼女たちはそれで満足するのである。
この情景はおとなたちの目からはたしかに''狂態''としかうつらないだろう。その狂態を社会的に疎外された若年層の憤満、若いエネルギーの爆発---などと社会的見地論議される向きもある。それは彼女たちの熱狂ぶりの分析のひとつとして正しいだろうが、もう少しおとなたちはファンの側に立って、内面的な理解を深める必要があると思う。ビートルズ・ファンの中心層といえば12歳から16歳まで、いわゆる''むずかしい時期''にあるティーン・エイジャーだが、彼女たち(少年ファンはごく少ないのでこういう)が置かれている''場''は画一的な文部省教育。教育ママ、試験地獄、積極的に理解してくれないオトナの目など---それこそオトナ以上にきびしい現実に置かれている。教室の中では少しでも試験問題ができないとまわりから冷笑され、他人より少しでも成績が上がるとひそかな優越感にひたる。同じ机を並べた友だちとはいっても根底はきびしい闘争の場に立たされているのだ。だから、わけへだてなく皆んなで熱中できるもの、心を開いて安心して飛び付けるものを求める。そしてそれが発見された時、何もかも忘れて侵入したいという心理がむき出しになるのがビートルズなのではないか。つまりビートルズは彼女たちによって発見された、ただひとつの太陽であり、大空でもあるのでる。
いよいよ本もののビートルズがやってくるが、あこがれ続けた''太陽''を前にしてファンの皆さんはさぞまぶしいことだろう。その太陽に向かって心の限り叫び熱狂することだ。そしてビートルズを通じてみんなが仲好く明るく、ほがらかになることを願っている。
http://www.geocities.jp/thebeatlescometogether/60s/66japan/souvenir.html
 
Vol.1 4人を日本へ連れてきたジェット機…JA8008の数奇な一生
Sept-23,2000記
■ぷろろーぐ
 1966年6月29日。台風一過、払暁の羽田空港。THE BEATLESの一行を乗せた日本航空(JAL)のDC-8(JA8008,“MATSUSHIMA”)が到着し、同社のハッピを着た4人がタラップを降りて、日本の地を踏みました。このシーンを「演出」したDC-8“MATSUSHIMA”。実は同機も、数あるJALのDC-8の中では、非常に数奇な一生を送った機体だったのです。今回は、この機体の遍歴にスポットを当てて見ました。
■“再生”された機体
 1960~1970年代にかけ、JALの国際線・国内線ネットワークの主力として活躍したダグラスDC-8。当初、この機体はJA8003“HAKONE”として、
 1960年9月13日に登録されました。(因みに、この当時のJALの旅客機にはすべて愛称がつけられていました。DC-8には日本国内の観光地の名前が、また同時期に導入されたコンベア880には花の名前が、そして1965年から国内線に投入されたボーイング727-100には川の名前が付けられたのです)ところが就航後ほどなくして、JA8003は羽田空港への着陸時に事故を起こして大破し、1961年7月に登録抹消。その後修理の上、1963年2月に再登録されたのです。この時に機体番号はJA8008、愛称は“MATSUSHIMA”に改められました。「再生」されたJA8008は、拡張を続けていたJALの国際線用機材として、他のDC-8やコンベア880(1971年に退役)と共に活躍を続けます。そしてあの台風明けの払暁、ロンドンのヒースロー空港から4人を乗せ、アンカレジ経由で羽田にランディングしたのでした。
■主役を降りて…そして、失われた絆を繋いで
 1970年、「ジャンボジェット」ことボーイング747-100がJALの国際線に就航し、空の大量輸送時代の幕開けを告げました。ジャンボからJALのマーキングは新しいものに変更され(1985年の御巣鷹山事故まで、標準塗装となっていたデザインです)、それまで在籍していた各機も1970~1972年頃に新塗装へ変更されました。JA8008もこの対象となり、“MATSUSHIMA”の愛称もなくなりました。ジャンボの就航により、客席数が130席そこそこのDC-8は主役の座を降り、国際線でも「ローカル」な路線に転用されました。その後、JA8008は1975年9月にJALからJAA(日本アジア航空)へ転籍したのですが…。日本アジア航空は、1972年9月の「日中共同声明」により台湾との国交が絶たれたため、JALが台湾路線を運行することが出来なくなり、その復活のためJALの100%出資で新たに設立された会社なのです。その会社のキック・オフ・フリートとして、もう1機のDC-8と共に転籍したJA8008は、いわば日本と台湾の「失われた絆」を繋ぐ役割を担って、飛び続けることとなったのでした。
■えぴろーぐ
 1981年7月。JA8008はJAAでの登録を抹消され、日本の空を去って、ペルーの航空会社へ売却されました。最新の資料によると、現在でも在籍している…とのことですが、既に機齢ほぼ40年。実際はどうなのでしょうか…?JALのハッピを着たTHE BEATLESの一行を、羽田に降り立たせた瞬間。きっとそれが、JA8008にとっても「一世一代」の晴れ姿だったのでしょう。
■この原稿は、
 2000年6月14日に「BEATLESであそぼー」のBBSに寄稿した内容を元に加筆・再構成しました。
 参考文献 … 「日本の旅客機2000-2001」(1999-11・イカロス出版)
 http://moving.la.coocan.jp/yabunirami1.htm
 
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 ┃ 『THE BEATLES ビートルズ武道館コンサート』 ┃VAP 
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 1984(昭和59)年09月21日(金) VHS β発売
 1993(平成五)年07月01日(木) VHS LD発売
‡1966(昭和41)年06月30日(木)の公演を収録。1984年9月にVHS βの2種類が発売され定価は18800円。当時ミュージックライフに広告が掲載されていて、それによると初回1万本は豪華なボックス付、抽選でキャバーンの煉瓦が貰えたようだ。ボックスはVHS、βそれぞれ1万本なのか両方で1万本だったのかは不明。湯川レイ子の解説などが書かれた日本公演チケットを模したライナーとキャバーンの煉瓦のハガキ付。15年程前にユニオンで購入3990円
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 https://blogs.yahoo.co.jp/joeyabukiboxing/34207870.html
 https://www.amazon.co.jp/dp/B000064YSK
 https://ja.wikipedia.org/wiki/ザ・ビートルズ日本公演
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 ┃ ビートルズ来日まで ┃
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 ビートルズが本格的に活動を開始したのは1962年。その約4年後に日本にやってくるまでの、記録に残るコンサート回数とレコーディング時間をグラフ化した。
 実に1000回以上のコンサートの合間に、2本の映画を撮影し、6枚のアルバムと12枚のシングル盤(いずれもイギリス国内)を発表、さらにテレビやラジオ出演にも引っ張りだこだったというだけに、プロデューサー、ジョージ・マーティンをして「とにかく彼らは忙しすぎたよ」と言わしめたのも無理はない。
 その様相が変わってくるのがアルバム『Rubber Soul』(1965年収録)の頃からだ。ファーストアルバムの収録を約10時間で終えたのに対して、『Rubber Soul』は約110時間。それまではライブやテレビ出演の合間に収録していたのが、『Rubber Soul』以降、レコーディング期間中は楽曲制作に専念するようになった。来日直前に取り組んでいた『Revolver』の収録は、約280時間にも及ぶ。グラフからも、ビートルズがコンサートから楽曲制作へ比重を移していったことが読み取れる。
 日本公演のあと、フィリピン、アメリカを巡ってライブ活動は停止する。その後の4年間で5枚のアルバムをレコーディング。そしてたった1度のライブ演奏を披露し、ビートルズは解散へ向かう。
 https://www.yomiuri.co.jp/special/thebeatles/chap01.html
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 ┃ ビートルズ武道館に来る 来日 ┃
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 1966年6月29日、ビートルズを乗せた飛行機は台風の影響でフライトが遅れ、午前3時40分に東京・羽田空港に到着した。当時、「世界最高の人気グループ」と報じられた4人組の到着までに、2000人近いファンが空港ロビーに設けられた関門で追い返されたという。パトカーに囲まれ、ビートルズがホテルに到着したのは午前4時過ぎだった。
 (c)The Yomiuri Shimbun 無断転載、複製はご遠慮ください
 https://www.yomiuri.co.jp/special/thebeatles/chap02.html#section1
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 ┃ ビートルズ武道館に来る 記者会見 ┃
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 日本到着半日後の6月29日午後3時15分、ビートルズはヒルトン・ホテル(当時)=都内=の「真珠の間」で記者会見を開いた。「名誉と財力を得て、つぎに求めているものは?」という質問に対し、「なによりもまして平和(ピース)がほしい」と答えている。部屋に戻ってからは、窓越しに手を振ったり、ホテルのまわりに集まったファンにカメラを向けたり、くつろいでいたという。
 (c)The Yomiuri Shimbun 無断転載、複製はご遠慮ください
 https://www.yomiuri.co.jp/special/thebeatles/chap02.html#section2
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‡┃ ビートルズ武道館に来る 街の様子 ┃
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 武道館公演のチケットを求めて、読売新聞社へのはがきの申し込みは20万通以上にものぼった。街はビートルズの来日で盛り上がる一方、反対派の活動もあった。直前のドイツ公演でファンと警官が衝突したり、読売新聞社や武道館には脅迫状も届いたりしていたため、警視庁は会場の警備を強化。幸い、30日初日の公演はトラブルもなく終了し、2日目から警備は縮小された。
 (c)The Yomiuri Shimbun 無断転載、複製はご遠慮ください
 https://www.yomiuri.co.jp/special/thebeatles/chap02.html#section3
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‡┃ ビートルズ武道館に来る 武道館公演1日目 ┃
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 初日30日午後6時半からの公演に、午前11時頃からファンが集まり始めた。ホテルと会場の間は、沿道に2メートルおきに警官が配置され、国賓並みの態勢でビートルズは会場入りした。待望の公演は、集まった約1万人の観客の拍手と歓声が、エレキギターの音をかき消すほど激しかったという。演奏時間は30分程度だったが、感極まって泣き出す観客の姿も。
 (c)The Yomiuri Shimbun 無断転載、複製はご遠慮ください
 https://www.yomiuri.co.jp/special/thebeatles/chap02.html#section4
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 ┃ ビートルズ武道館に来る 武道館公演2、3日目 ┃
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 初日を終えた翌7月1日、ポール・マッカートニーは関係者の目をかいくぐり、ホテルから抜け出す。連れ戻されるまでの40分間、皇居前広場を散歩して、つかの間の日本を楽しんだようだ。公演は1日、2日とも無事に終了したが、特に最終日2日の夜公演が熱狂的に盛り上がり、ポールは「すばらしいエキサイトを巻き起こした」とコメントしている。
 (c)The Yomiuri Shimbun 無断転載、複製はご遠慮ください
 https://www.yomiuri.co.jp/special/thebeatles/chap02.html#section5
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 ┃ ビートルズ武道館に来る 離日 ┃
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 ビートルズの日本公演は、彼らが記者会見で「ファンに国境はない」と語ったように成功裏に終了した。4人を乗せた飛行機は、7月3日午前10時43分に羽田空港から飛び立った。この年の8月、ビートルズはアメリカ公演を最後に人前での演奏に区切りをつけ、スタジオ活動中心の時代に入った。
 (c)The Yomiuri Shimbun 無断転載、複製はご遠慮ください
 https://www.yomiuri.co.jp/special/thebeatles/chap02.html#section6

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 ┃ ~ビートルズ見物記 三島由紀夫~ ┃
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‡1966(昭和41)年06月30日(木) 南西1-C-36,37
 1966(昭和41)年07月18日(月)号『女性自身』        3,800円(内税)
 22:00『THE BEATLES IN JAPAN 1966 50TH ANNIVERSARY EDITION』DVD ONE
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 http://strangelove-records.com/?pid=124341406
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 会場が静かで自分達の演奏が聞こえたので、メンバーは最初のステージで自分達の音が合っていない事に気づいてショックを受けた。ジョージは最初のステージ後、
‡1966(昭和41)年06月30日(木)「今日の♪恋をするなら♪は、ぼくがこれまでやってきたなかで最低だったよ」、「最近のツアーでぼくたちの演奏はこんなものなんだよ」と発言している。これを受けてビートルズとツアーメンバーは、次のステージまでに急いで改善の努力をしたヨ(=^◇^=)
 https://ja.wikipedia.org/wiki/ビートルズ#日本公演

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 ┃ 『力道山からピンク・レディーまで ┃
 ┃        テレビ25年総集編』 ┃
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 1978(昭和53)年10月05日(木) 19:00~20:54『木曜スペシャル』
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 ┃  『かくし芸なんかじゃない! ┃
 ┃  なつかしの爆笑VTR傑作選 ┃
 ┃      テレビ25年総集編』 ┃
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 1979(昭和54)年01月01日(月) 19:00~20:54
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 1953(昭和28)年08月29日(土) 巨人×阪神戦 初のプロ野球ナイター中継
 1954(昭和29)年02月19日(金)『力道山・木村政彦対シャープ兄弟』蔵前国技館
 1954(昭和29)年02月20日(土)『力道山・木村政彦対シャープ兄弟』蔵前国技館
 1954(昭和29)年02月21日(日)『力道山・木村政彦対シャープ兄弟』蔵前国技館
 1965(昭和40)年05月09日(日)『ベトナム海兵大隊戦記・第1部』ノンフィクション劇場
‡1966(昭和41)年06月30日(木) ザ・ビートルズ日本公演
 1977(昭和52)年09月03日(土) 王貞治の756号ホームラン
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 https://ja.wikipedia.org/wiki/力道山からピンク・レディーまで_テレビ25年総集編
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B6%E3%83%BB%E3%83%93%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%AB%E3%82%BA%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%85%AC%E6%BC%94_(%E3%83%86%E3%83%AC%E3%83%93%E7%95%AA%E7%B5%84)
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『THE BEATLES/LIVE IN JAPAN 1966 EXTRA :50TH ANNIVERSARY EXTRA EDITION』
プレス盤2CD+プレス盤2DVD
  型番 SGTEXJPCD1/2DVD1/2
販売価格 2,800円(内税)
【2016年最新リマスターによるエンハンスト・ステレオとオリジナル・モノによる完全収録初CD化】
【現存する武道館2公演のオリジナル・マスター映像が最新リマスター音源によるリストア・バージョンで初収録】
【第一弾収録のTV放送3バージョンとは異なる編集となるオリジナル・ビデオ・バージョンとLDバージョンも新たに収録】
【本邦初公開の貴重な記録映像やニュース映像さらに66年当時のTV初放送記録まで最新編集ドキュメンタリーを2時間半収録】
2016年ザ・ビートルズ来日50周年アニバーサリー・エディションとして既にリリースされているSGT.レーベル『THE BEATLES IN JAPAN : 50TH ANNIVERSARY EDITION』(2DVDDLset)の第二弾となる『50周年エクストラ・エディション』が登場!今回は最新リマスター2CDと第一弾未収録映像を中心に収録した2DVDでビートルズ日本公演の貴重な歴史的資料として見逃せないコレクターズ・アイテムです。CDには現存する6月30日公演と7月1日公演を最新リマスター音源で収録したもので今回初登場のエンハンスト・ステレオ・リマスターはモノしか存在しないマスター音源を最新リストア技術でステレオ化したものでこれまで埋もれていた音までより鮮明になり立体感を増したリマスター音源は現状最高のベスト・クオリティといえるでしょう。オリジナル・モノと両方収録しているので聴き比べも容易に出来るのでその違いは一聴瞭然です。さらに映像もDVD1には前回HMCと同時リリースした未編集オリジナル・マスターをCD同様のエンハンスト・ステレオ・リマスター音源とオリジナル・モノ音源両方を音声切り替えオーディオ・オプションで収録しており再生しながらの聴き比べも可能です。さらに第一弾収録のTV放送3バージョンとは異なる編集のオリジナル・ビデオ・バージョンとLDバージョンも新たに収録。かつては最も画質が良いとされた初ビデオ化バージョンとその後リリースされたLD(レーザー・ディスク)バージョンもあわせて収録しているのでそれぞれの編集の違いを見比べることが出来ます。意外と良好なLD映像も今となっては貴重な収録です。DVD2には前回未収録の初登場映像多数収録した最新編集ドキュメンタリーを2時間半に渡り収録。今年になって公開されたAP通信やロイター等の海外記録映像は日本に残されたニュース映像では見られなかったシーンも多く空港や記者会見、武道館周辺のグッズ販売等貴重映像がたっぷり収録されています。ボーナス・ビデオには断片ながら66年当時のTV初放送時の記録や前座映像も収録。今年になって発掘されたものも含め内容的には第一弾未収録でまとめた必見映像多数でビートルズ日本公演第一級の研究資料といえるでしょう。第一弾と併せて来日50周年に相応しい究極のコレクターズ・アイテム第二弾です。

CD ONE
JUNE 30, 1966 EVENING CONCERT - ECHANCED STEREO REMASTER
JUNE 30, 1966 EVENING CONCERT - ORIGINAL MONO MASTER
OPENING ACTS/THE BEATLES
Live at the Budokan Hall, Tokyo, Japan June 30th 1966

CD TWO
JULY 1, 1966 AFTERNOON CONCERT - ECHANCED STEREO REMASTER
JULY 1, 1966 AFTERNOON CONCERT - ORIGINAL MONO MASTER
OPENING ACTS/THE BEATLES
Live at the Budokan Hall, Tokyo, Japan July 1st 1966

DVD ONE
JUNE 30, 1966 EVENING CONCERT 
- ECHANCED STEREO REMASTER / ORIGINAL MONO MASTER
Live At The Budokan Hall, Tokyo, Japan June 30th 1966

JULY 1, 1966 EVENING CONCERT 
- ECHANCED STEREO REMASTER / ORIGINAL MONO MASTER
Live At The Budokan Hall, Tokyo, Japan July 1st 1966

JUNE 30, 1966 EVENING CONCERT - ORIGINAL VIDEO VERSION

JUNE 30, 1966 EVENING CONCERT - ORIGINAL LD VERSION
* track same as video version

NTSC 16:9 (4:3) Dolby Digital Stereo / Mono time approx. 147min.

DVD TWO
WELCOME TO JAPAN DOCUMENTARY
THE BEATLES CONCERT FOR JAPAN
WAITING FOR THE BEATLES
THE BEATLES GO HOME! PROTESTS IN TOKYO 1/2/3
THE BEATLES GO HOME! ABC NEWS 1/2
WAITING FOR THE BEATLES AT AIRPORT 1/2
THE BEATLES ARRIVING IN JAPAN 1/2/3/4/5/6/7/8/9/10/11/12/13/14/15
THE BEATLES AT HILTON HOTEL
PRESS CONFERENCE 1/2/3/4/5/6/7/8
TV SPECIAL 1/2/3/4/5
NEWSREEL 1/2/3
TV SPECIAL
NETWORK NEWS

EXTRA RARE VIDEO
OPENING ACTS
INTRODUCTION / WELCOME BEATLES / LONG TALL SALLY / DYNAMITE / WE'VE GOTTA GET OUT OF THIS PLACE / KOI NI SHIBIRETE / CARAVAN
BONUS EXTRA
1966 BROADCAST EXCERPTS / BACKSTAGE DOCUMENTARY / AP NEWSREEL (SILENT)
 NTSC 16:9 (4:3) Dolby Digital Stereo / Mono time approx. 
 http://strangelove-records.com/?pid=121366590


『THE BEATLES/ IN JAPAN 1966:50TH ANNIVERSARY EDITION』
【2DVD(Dual)】
   型番 SGTAEJPDVD1/2
 販売価格 3,800円(内税)
【現存する武道館2公演の映像が新発掘オリジナル・マスターから初収録】
【来日40周年特番『ビートルズの103時間』と貴重な『ビートルズ来日・嵐の5日間』を初収録 さらに66年当時放送幻のTVドキュメンタリー&ニュース映像収録】
【来日記者会見日本語字幕付映像で完全再現】
【今や貴重な78年初のTV放送と今回初収録となるポール逮捕騒動時期の80年さらに 88年と過去に放送されたすべてのTV放送3バージョンを収録】
2016年今からちょうど50年前となる1966年6月に実現した最初で最後のザ・ビートルズ日本公演。これまで日本公演の映像決定版としてSGT.レーベルからリリースされていたエクスパンデッド・ エディションの続編というべき”50周年アニバーサリー・エディション”が緊急リリース!
DVD1には現存する武道館2公演の映像を新発掘オリジナル・マスターから収録。TV放送や既発ビデオのような曲表記やテロップのない未編集映像は2016年HMCレーベル同様のオリジナル・マスター・コピーからの完全収録でこれまで編集された形でしか見ることの出来なかった6月30日公演の未編集映像は50年目にして初めて陽の目を見る注目の初登場映像です。また
7月1日公演はオープニング・アクトも含め過去最長かつ最高画質で初登場となるものでこちらも注目です。さらに
66年当時の貴重なTVドキュメンタリーと来日記者会見日本語字幕付完全再現映像が再収録されている他来日40周年を記念して放送されたドキュメンタリー
『ビートルズの103時間』も収録。
DVD2には66年以降にTV放送された3回のバージョンをすべて収録。6月30日公演が初めて公開された
78年のTV放送バージョンと今回が初収録となるポール逮捕騒動で日本公演中止となり放送された
80年バージョンそして当時画像補正が施され注目された
88年TV放送バージョンをすべて収録。
さらに貴重なドキュメンタリー『20世紀のファイルから:ビートルズ来日・嵐の5日間』も今回初収録でエクストラにも初収録のニュース映像が追加されています。内容的にはトータル8時間近くにも及びDVD4枚組相当をDVD二層式による2DVDセットにまとめられており注目の初登場映像を中心に来日50周年に相応しい歴史的なビートルズ日本公演究極のコレクターズ・アイテムです。

DVD ONE 6.30 EVENING CONCERT ORIGINAL MASTER
Live At The Budokan Hall, Tokyo, Japan June 30th 1966
OPENING
ROCK AND ROLL MUSIC
SHE'S A WOMAN
IF I NEEDED SOMEONE
DAY TRIPPER
BABY'S IN BLACK
I FEEL FINE
YESTERDAY
I WANNA BE YOUR MAN
NOWHERE MAN
PAPERBACK WRITER
I'M DOWN

7.01 AFTERNOON CONCERT ORIGINAL MASTER
Live At The Budokan Hall, Tokyo, Japan July 1st 1966
OPENING ACTS
INTRODUCTION
WELCOME BEATLES
LONG TALL SALLY
DYNAMITE
WE'VE GOTTA GET OUT OF THIS PLACE
KOI NI SHIBIRETE
CARAVAN

THE BEATLES
OPENING
ROCK AND ROLL MUSIC
SHE'S A WOMAN
IF I NEEDED SOMEONE
DAY TRIPPER
BABY'S IN BLACK
I FEEL FINE
YESTERDAY
I WANNA BE YOUR MAN
NOWHERE MAN
PAPERBACK WRITER
I'M DOWN

DOCUMENTARY IN JAPAN
DOCUMENTARY IN JAPAN YEAH YEAH YEAH - NEWS FILM 1966
TV DOCUMENTARY
PRESS CONFERENCE
COMPLETE INTRODUCTION / PHOTO SESSION
PRESS CONFERENCE PART 1
PRESS CONFERENCE PART 2
PRESS CONFERENCE PART 3
At Pink Pearl Ballroom, Hilton Hotel Tokyo June 29th 1966
103 HOURS OF THE BEATLES IN JAPAN PART 1/2/3/4

DVD9 (Double Layer) NTSC 16:9 (4:3) Dolby Digital Stereo / Mono
- Japanese Subtitle time approx. 30+46+38+49+59 = total 224min.

DVD TWO
TV BROADCAST 1978 VERSION
TV INTRODUCTION / OPENING
ACT CONCERT
OPENING
ROCK AND ROLL MUSIC
SHE'S A WOMAN
IF I NEEDED SOMEONE
DAY TRIPPER
BABY'S IN BLACK
I FEEL FINE
YESTERDAY
I WANNA BE YOUR MAN
NOWHERE MAN
PAPERBACK WRITER
I'M DOWN

ENCORE
/ YESTERDAY TV OUTRODUCTION TV BROADCAST 1980 VERSION
TV INTRODUCTION PAPERBACK WRITER PAUL NEWS IN JAPAN
THE BEATLES STORY pt.1
THE BEATLES STORY pt.2
THE BEATLES STORY pt.3

CONCERT
OPENING
ROCK AND ROLL MUSIC
SHE'S A WOMAN
IF I NEEDED SOMEONE
DAY TRIPPER
BABY'S IN BLACK
I FEEL FINE
YESTERDAY
I WANNA BE YOUR MAN
NOWHERE MAN
I'M DOWN

TV OUTRODUCTION
TV BROADCAST 1988 VERSION
TV INTRODUCTION
ROCK AND ROLL MUSIC
SHE'S A WOMAN
IF I NEEDED SOMEONE
DAY TRIPPER
BABY'S IN BLACK
I FEEL FINE
YESTERDAY
I WANNA BE YOUR MAN
NOWHERE MAN
PAPERBACK WRITER
I'M DOWN
HISTORY AND EXTRA 20TH CENTURY FILE :
BEATLES 5 DAYS IN JAPAN NEWS ARCHIVE 1/2 DVD9 (Double Layer)
NTSC 16:9 (4:3) Dolby Digital Stereo / Mono time approx. 39+72+43+55 = 209min 
 http://strangelove-records.com/?pid=124341406

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