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┃ 『13時ショー』 ┃NETテレビ系列
┗━━━━━━━━━┛ 13:00~13:55
1972(昭和47)年10月02日(月) 放送開始
1975(昭和50)年03月28日(金) 55分放送最後の日
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┃ 『13時ショー』 ┃NETテレビ系列
┗━━━━━━━━━┛ 13:15~13:55
1975(昭和50)年03月31日(月) 40分放送最初の日
†1976(昭和51)年01月30日(金) 放送終了
放送時間は当初13:00-13:55の55分枠だったが、
1975(昭和50)年03月31日(月)より「腸捻転解消」で朝日放送の『シャボン玉プレゼント』を13:00-13:15に編成し、40分番組に短縮された。この番組のノウハウを活かし
1976(昭和51)年02月02日(月)に放送を開始したのが、長寿番組『徹子の部屋』である
1975(昭和50)年03月28日(金)まで毎日放送
1975(昭和50)年03月31日(月)から朝日放送(番組終了まで)
http://ja.wikipedia.org/wiki/13%E6%99%82%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%BC
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┃ 『徹子の部屋』 ┃ テレビ朝日
┗━━━━━━━━━┛13:15~13:55
①1978(昭和53)年01月30日(月)市川房枝
②1979(昭和54)年01月30日(火)水野久美
③1980(昭和55)年01月30日(水)広中和歌子
④1981(昭和56)年01月30日(金)志穂美悦子
⑤1984(昭和59)年01月30日(月)野際陽子
⑥1985(昭和60)年01月30日(水)目黒祐樹
⑦1986(昭和61)年01月30日(木)池部良
⑧1987(昭和62)年01月30日(金)真野響子
⑨1989(平成元)年01月30日(月)岩井半四郎
⑩1990(平成二)年01月30日(火)丹下健三
⑪1991(平成三)年01月30日(水)尾上梅幸
⑫1992(平成四)年01月30日(木)スリー・グレイセス
⑬1995(平成七)年01月30日(月)市原悦子
⑭1996(平成八)年01月30日(火)柴田理恵
┏━━━━━━━━━┓
┃ 『徹子の部屋』 ┃ テレビ朝日
┗━━━━━━━━━┛13:55~14:50
⑮1997(平成九)年01月30日(木)涼風真世
┏━━━━━━━━━┓
┃ 『徹子の部屋』 ┃ テレビ朝日
┗━━━━━━━━━┛13:20~13:55
⑯1998(平成十)年01月30日(金)落合博満
2001(平成13)年01月30日(火)国生さゆり
2006(平成18)年01月30日(月)森光子
http://www.tisen.jp/pukiwiki/?%C5%B0%BB%D2%A4%CE%C9%F4%B2%B0%A1%CA1976%A1%CB
┏━━━━━━━━━┓ tv asahi
┃ 『徹子の部屋』 ┃(月)曜日~(金)曜日
┗━━━━━━━━━┛午後1:20~1:55放送
┌─―――――――――――――――――┐
|2002(平成14)年 1月30日(水) 川田正子 |第回
└─―――――――――――――――――┘
http://www.h4.dion.ne.jp/~giten/cont/guest2002/h14-1-30.html
┌─――――――――――――――――――┐
|2003(平成15)年 1月30日(木) ジローラモ |第回
└─――――――――――――――――――┘
http://www.h4.dion.ne.jp/~giten/cont/guest2003/h15-1-30.html
┌─――――――――――――――――┐
|2006(平成18)年 1月30日(月) 森光子 |第回
└─――――――――――――――――┘「30周年特集・ハワイの黒柳と森光子」
http://up-beat.pos.to/tetsuko/t_calendar.htm#2006年
┌─――――――――――――――――――┐
|2008(平成20)年 1月30日(水) 富司 純子 |第回
└─――――――――――――――――――┘「外国人ムコ殿と初の正月を」昨年秋に「紫綬褒章」を授章した女優の富司純子さん。しかし、それ以上に嬉しかったのが娘・寺島しのぶさんの結婚だった。フランス人の娘婿・ローランさんは大の親日家。結婚式はもちろん現在の住まいも純日本式という徹底ぶり。さて、その徹底ぶりとは?以前から孫が欲しかった富司さんは、ローランさんの娘・クレオちゃん(9歳)の“おばあちゃん”に!初めて体験した日本の正月に大感激。特に、お年玉には…!?
ドラマ「長男の結婚」2月3日(日) 午後 2:00 ~ 午後 3:25 放送
http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/back2000/html/080130.html
┌─――――――――――――――――――┐
|2009(平成21)年 1月30日(金) 池内 淳子 |第回
└─――――――――――――――――――┘「40年前…黒柳の女優映像に」「テレビ朝日開局50周年」&「徹子の部屋34年目突入記念」の特別企画第1日目のゲストは大ベテランの池内淳子さん。今から50年以上前、テレビドラマが生で放送されていた頃の貴重な秘話に花が咲く。今日は黒柳のテレビ女優時代の秘蔵映像も披露!1969年放送のテレビドラマで、ハイミスの役を演じる黒柳の姿は…。何よりも健康が自慢だった池内さん。人生初の入院体験の話や、「白内障」手術のエピソードも明かされる。
明治座3月公演「三平物語」二代 林家三平襲名記念公演 2009年3月1日(日)~29日(日)
出演 池内淳子・風間杜夫・熊谷真実 問合せ03-3660-3900 明治座チケットセンター
三越劇場10月公演 「母の贈物」出演 池内淳子・長山藍子
http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/back2000/html/090130.html
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|2012(平成24)年 1月30日(月) コンサート(3) |第9152回
└─――――――――――――――――――――┘「豪華コンサート爆笑祭(3)三人娘&仲代兄弟ほか」見所満載でお送りする「徹子の部屋コンサート」。3日目の出演は三人娘(伊東ゆかり・中尾ミエ・園まり)さん、仲代達矢さん・仲代圭吾さん。50年来の友人である三人娘とは毒舌トークバトルが勃発!俳優の仲代達矢さん、歌手の圭吾さん兄弟は見事なパフォーマンスを。豪華出演陣VS黒柳の大波乱フィナーレにご期待を!
☆三人娘結成50周年記念ひな祭り コンサート
2012年3月3日(土)昼の部 14:00開演 /夜の部 18:00開演 場所:Bunkamura オーチャードホール
料金:S指定席 6,500円 / A指定席 5,000円 お問い合わせ:東京音協 03-5774-3030
☆「仲代圭吾・行代美都・仲代達矢コンサート~あたたかい微笑みの中で~」
2012年6月30日(土) 16:30開演 場所:ル テアトル銀座
お問い合わせ:オフィスK5 03ー5722ー5085 一般発売日:2012年4月2日(月)
http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/back2000/html/120130.html
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|2013(平成25)年 1月30日(水) 岸 朝子 |第9408回
└─―――――――――――――――――┘「89歳の現役料理記者…食へのこだわり」 ※「おいしゅうございます」の名文句で一世を風靡した岸朝子さん。70歳になった記念に引き受けた料理番組での事だった。89歳になる現在も現役料理記者として活躍する。戦後間もなく5人目の子どもを身ごもりながら、家計の足しにするため出版社に就職したのが“職業婦人“としての第一歩だった。今日は気になる岸さんの食生活に迫る。
http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/html/140130.html
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%B9%E5%AD%90%E3%81%AE%E9%83%A8%E5%B1%8B
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|2014(平成26)年 1月30日(木) 吉永みち子 |第9663回
└─――――――――――――――――――┘「母との複雑な関係に…」コメンテーターとしてもお馴染みの作家・吉永みち子さん。競馬の記者を経て、3児の父だった騎手・吉永正人さんと結婚をした。大家族を夢見た結婚だったが、それに猛烈な反対をしたのは母。夫を亡くし長く母娘2人だけで暮らした思いからだった。試行錯誤のすえ吉永さんの結婚は破局したが、家族の絆は逆に深まったという。その経験から語られる「家族」とは?
http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/html/130130.html
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┃ 『徹子の部屋』 ┃(月)曜日~(金)曜日
┗━━━━━━━━━┛午後12:00~12:30放送
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|2015(平成27)年 1月30日(金) 岡田茉莉子 |第9892回 ※解説放送
└─――――――――――――――――――┘「祝金婚式!結婚式の振袖を披露」昨年結婚50年を迎えた女優・岡田茉莉子さん。夫は映画監督の吉田喜重さん。昨年、金婚式の記念に、50年前に挙式をした思い出の地ドイツを夫婦揃って訪れた。当時宿泊したホテルは昔のままで、街並みはより一層華やかに。「今までで一番楽しかった」という旅のエピソードを語る。当時、披露宴で着た振袖は、ドイツに旅立つ前に母と一緒に刺繍を足して仕上げた着物。その艶やかな刺繍が残る振袖をスタジオで披露。あまりの美しさに黒柳も大感激!
http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/guest/bn/20150130.html
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|2017(平成29)年 1月30日(月) 司葉子 水野真紀 |「テレビ初顔合わせ!「代議士の妻」の私達」
└─―――――――――――――――――――――┘42年目突入を記念してスペシャルな繋がりを持つ女優2人を迎える。2人を結ぶキーワードは「代議士の妻」。長きにわたり衆議院議員をつとめた相沢英之さんの妻・司葉子さん、現在6期目の衆議院議員・後藤田正純さんを夫に持つ水野真紀さん。テレビに揃って出演するのは初めてという事で、意外な共通点や思いがけないエピソードに花が咲く。今日は13年前にさかのぼる水野さんの結婚披露宴のVTRも紹介する。また、水野さんが母親としても先輩である司さんに、前から聞きたかった“ある質問”をぶつけるが…。
http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/guest/bn/2017013.html
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|2018(平成30)年 1月30日(火) 五木ひろし 坂本冬美|「まもなく古希の先輩に驚き!」
└─――――――――――――――――――――――┘五木ひろしさんと坂本冬美さんという、演歌界のスター2人が夢のビック共演! 気になるプライベートを、互いに明かしてくれた。坂本さんはコンサートの日、マスクをして歌やセリフ以外は一切声を出さず「体力温存」しているという。昨年、五木さんの公演に参加した坂本さん。夜と昼の公演の合間に映画を観に行く五木さんのパワフルさに驚いたという。その五木さんはまもなく古希、70歳を迎える。健康の秘訣は妻の料理。妻は結婚と当時に芸能界を引退し、五木さんの母や姉から「五木家の味」を習った。いつも食べていると言う豪華な愛妻弁当も見せてくれる。
☆明治座 五木ひろし特別公演 特別出演 坂本冬美 2月23日(金)~3月29日(木)
☆CD「恋歌酒場」/五木ひろし ファイブズエンタテインメントより発売中
☆CD「ラストダンス」/五木ひろし&坂本冬美 2月14日 ユニバーサル ミュージックより発売予定
http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/guest/bn/20180130.html
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|2019(平成31)年01月30日(水) 三上博史 |
└─―――――――――――――――――┘「伯母は銀幕スター!その貴重映像は」
今年でデビュー40年となる俳優の三上博史さん迎える。デビュー間もない頃から、人生相談に乗ってもらうなど、親交を深めたのが樹木希林さんだった。亡くなる直前に映画で共演した際の秘話を語る。戦後の銀幕女優・折原啓子さんは、三上さんの伯母にあたる。黒柳の憧れだった折原さんが番組に出演したときの貴重映像を振り返りながら、思い出を語る。
☆映画「LOVEHOTELに於ける情事とPLANの涯て」テアトル新宿ほかにて公開中
http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/guest/bn/20190130.html
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|2020(令和二)年01月30日(木) 安田顕 |
└─――――――――――――――――┘「北海道出身の「怪物俳優」は深夜にこっそりと…」
☆土曜ナイトドラマ「アリバイ崩し承ります」2月1日(土)よる11時15分スタート
http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/guest/bn/20200130.html
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|2023(令和五)年01月30日(月)|
| 浅丘ルリ子 春風亭小朝 |
└─――――――――――――┘「意外な友人!人気落語家を翻弄する大女優!?」
☆春風亭小朝『菊池寛が落語になる日』文藝春秋刊
https://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/guest/bn/20230130.html
https://ja.wikipedia.org/wiki/徹子の部屋
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┃ 『徹子の部屋』 ┃(月)曜日~(金)曜日
┗━━━━━━━━━┛午後1:20~1:55放送
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|2002(平成14)年 1月30日(水) 川田正子 |第回
└─―――――――――――――――――┘
黒柳「歌手生活60年と紹介しましたがこんなに若くてなんで60年なんだと言われるかもしれませんが歌手として小さい頃から歌われてきたんですけど戦争が終わってすぐに”みかんの花咲く丘”を歌われて、並木みち子さんが”りんごの歌”を歌われて戦後はみかんとりんごだと。わたしやっぱり胸がいっぱいになるのは男の人が戦争に行って、子供はどんどん疎開に行って誰もいなくなったとこであなたは一人残って海沼先生と一緒にNHKにいらしてあなたの歌で兵隊さんが元気になったというのを聞いて胸がいっぱいになって。小さいからわからないこともあったと思いますけどさびしいこともあったろうなと思って」
川田≪そうですねでも私歌歌ってると歌のことしか考えられないの。で一生懸命歌えれば、上手に歌えればということで海沼先生も一緒でしたから一人じゃなかったですから。でも歌が好きだったのかなあって大人になってから思います≫
「大人もいない子供ももちろんいないNHKの中でいたということを聞くと胸がいっぱいになります。また戦地の兵隊さんが励まされたというのを聞くとあなたも一生懸命やろうという気持ちだったでしょうね」
≪まあ戦後そのお手紙をいただいたんで。こんなに小さい子供が歌ってるじゃあ家の子供も大丈夫じゃないかと・・・元気でやってるんじゃないかと≫
「”みかんの花咲く丘”は本当にみなさんご存知です。紅白にもおでになったんですよね」
≪紅白は”汽車ポッポ”だったんですよ。≫
「”みかんの花咲く丘”は歌ってらっしゃらないの」
≪そう≫
「どうしたんでしょ」
≪一時私は”みかん”は21年なんですよ。22年の夏のときに一回引退したんです≫
「そういう時期ありましたね。みかんの花って海沼実さんがお作りになった曲なんですね」
≪そうです≫
「私も後にNHKに入りましたときにいつもそばにいてくださった方ですよね。簡単に説明するとあなたはご結婚されて25歳でご結婚されたんでしたっけ」
≪そうです≫
「お一人で歌い続けてきたのと、結婚されて歌い続けてきたのと違うと思うんですよ。お子さん2人いらっしゃって子供も大きくて」
≪(笑)そうです≫
「でもあなたあの頃の感じのままなのでお若く見えるので何歳だかわからないんだけど歌手生活60年だから60以上だと思いますけどみんな何歳だかわからないとおっしゃるでしょ」
≪(微笑)そうですね≫
「童謡歌ってらっしゃるし言ってみればお子さんはすごく大きいということで7歳からお歌いになられました?」
≪(会場、本人笑い)そうです。≫
「そのつもりなかったんですよ。そうよね。失礼いたしました。お家がレストランをやってらした」
≪始めはね≫
「お父さんはとんかつがお上手ということで」
≪ですから板前さんみたいに≫
「そういうことをおやりになって。お母様は入ってきたお金は全部管理されるような方で。皆さんはその建物の中で暮らされているような状況でした。お母様はとっても元気な方で」
≪そうです≫「お父様は内気な方で」
≪内気ではないですけどひとつの事ですか、職人さんだったらそのことだけって感じで≫
「物静かな職人気質の方で」
≪そうですね≫
「あなたはお父様の血を引いて内気な方何ですって」
≪そうですね≫
「内気な子だったんですけど妹さんも生まれて歌を歌い始めるようになって」
≪そうですね小学校2年生のときに内気で≫
「学校でもしゃべんないんですって」
≪そう。学校の先生が声を出したほうがいいということで海沼先生のとこへ。母は戦争がはじまってるのに習い事は止めないと。止めさせないという気持ちで≫
「やるんならやるということで」
≪そうそう。そういうことで2ヶ月考えたらしいんですけど戦争がいつ終わるかわからないし私が始めたのが17年ですから≫
「あら戦争がはじまってから。海沼実さんて言う方は作曲家としても指導する方としても当時は有名な方で?」
≪有名じゃなかったです≫「たまたまなんですかそこにいらっしゃたの」
≪そうです護国寺の音羽の境内で≫
「そのときそこにいらっしゃってオーデションを受けたんですけど蚊の鳴くような声だったんですって」
≪そうですね≫
「それなのにいいでしょうということになって」≪少しは声が出たんじゃないですか≫
「かわいい声がでたんじゃないですか。昭和17年に始めたとおっしゃいましたけど戦争がはじまって世の中がだんだんひどくなっていく感じのときにいよいよ疎開すると子供は危ないからあなたのお家も疎開することになって」
≪海沼先生は兵隊さんに取られなかったんですよ。目がお悪かったんですよ。私はね人の前で歌うのは怖いんですけどねえ空襲っていうのは怖くないんですよ。わからないでしょ。妹だけはねたか子は怖がらない人でしたけど空襲は怖いんですよ。それで泣き喚くんで妹も一緒に疎開させたんですよ。≫
「お母様と2人の妹さんが疎開した。お父様は」
≪東京といってもいろいろなところに・・・≫
「レストランといってもその頃はないですから」
≪なにもやっていない≫
「お父様は東京に残って」≪はい≫
「先生は東京に残ってあなたも残ると。そのときあなたは何歳?」
≪あの時はねえ3年生ですから9歳ぐらい≫
「でも私は残るとその辺あたりがすごいと思うんですけどねえ」
≪あの当時子供の時間と大人の時間は違っていたでしょう。そうすると空襲でこられなくなる大人の方の代理って言うんですかあの当時は”穴埋め”っていってたんですよ。≫
「生放送ですからすべてが」
≪ですからいつもNHKにいました≫「住んでるかのように」≪はい≫
「もちろん子供の時間のときもやって」
≪はい子供の時間のときは名前は呼ばないんですよ。でも大人の時間になると私の名前もいってくださるんですよ。だから”前線に送る夕べ”なんかでも私の名前がわかるんですよ≫
「”前線に送る夕べ”っていうのもすごく有名で。ああいうものにもでてらっしゃたんですか。だからNHKもアナウンサーやスタッフの人達がどんどん兵隊に取られてゆくでも残った人達でNHKの放送を出し続けてゆく。でもNHKは焼けなかったんですよね」
~CM~
「今の若い方は想像もできないでしょうけどテレビもなくてラジオしかないんですよね。空襲の無い日はあっても川田正子がラジオに出ない日は無いということでしたね。」
≪一日何回も≫
「子供の時間の童謡を歌うだけじゃなくて大人の時間の代役も」
≪先生が資料室に飛んでいってあのころは軍歌でしたけどそうじゃないのも歌わしたいということで口移しでお稽古して地下でもって歌いますけどねえ≫
「そうこうしている内に戦争が終わってあの当時のマイクロフォンは大きかったですかね」
≪おおきいですね。こういうのじゃないですね(スタジオマイクを指して)≫
「”第一引き上げ同胞激励の午後”なんて番組が始まってそこで”里の秋”をうたいになった」
≪昭和20年の11月24日に復員船が浦賀港に入ってくるときに迎える歌だったんですよそれが番組になって≫
「中国かどこかですか」≪さあどこだったかわたしは浦賀港に入ってくるとしかわからないです。でもその時に海沼先生のほうに歌を作ってほしいということで”里の秋”ができたんです≫
「戦争が終わったときにああ日本についたって思うような曲が”里の秋”だったんですかね」
~CM~
「初めて浦賀のほうに引揚船が帰ってきてもしかして南方の方から帰ってきた船かもしれないんです3番の歌詞が」
≪”ヤシの島。さよなら、さよならヤシの島。お船に揺られて帰られる。ああ父さんよご無事でと今夜も母さんと祈ります。”≫
「あの里の秋をお聞きになると童謡だとおもってお聞きになるけど当時初めて日本に帰ってきて生きて帰ってきて人達を慰める歌だとは私も知らなかったんですけどお聞きください」
~”里の秋”再生中~
「でもあれですよね帰ってきた人達だって家族がどうなってるのか日本がどうなってるのかわからなくて帰ってきて不安だったからこういう声をきいてああ日本なんだって喜びがあったと思うんです。本当にご苦労様でしたねえ」
http://www.h4.dion.ne.jp/~giten/cont/guest2002/h14-1-30.html
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|2003(平成15)年 1月30日(木) ジローラモ |第回
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黒柳「よくいらしてくださいました。お名前からいうのはあれなんですけども普通外国の方って苗字があのあとできて普通のお名前が
ジローラモ≪そうですね
「徹子黒柳となるんですがあなたの場合はもうちゃんと日本人と同じようになっているですってね初めから。
≪そうですね。なぜそれになったのは去年学校に行くときに先生が出席を取るんですねだから必ず苗字から後で名前を言うんですね。だからそれにずっとなっていたからサインするときに最初パンツェッタ名字から書くんですね。
「学校ではやはりアルファベットの名字から言うから子供の時は名字を呼ばれるので学校で。だからパンツェッタだからじゃそれでパンツェッタ・ジローラモ。パンツェッタが家族の名前で
≪そうです
「名字ですよね。だから日本でもそうしてらっしゃるのね。
≪そうです。
「そうしたらみんなが逆だと思ってジローラモさんと呼ぶのが名字だと思って、パンツェッタさんが親しく
≪問題があったんですね。みんな逆だと思っているんですね
「そうなんですだからパスポートなんかもわざわざ作ってくださった日本の方が作ってくださっていときに逆になっていて。だからこの方同じように日本と同じように黒柳徹子というようにパンツェッタ・ジローラモさん。ジローラモさんと呼んでいいの、だからみんなが徹子さんと呼んでいるようにジローラモさんと呼んでもいい。
≪長いからみんなジローと呼ぶんですよ。
「じゃジローさん。ジローさんお願いします。その方がいいですねジローさん。私あなたがいつかオーケストラで一緒の時に、オーケストラをやっている間にこの方がスパゲティを作ってあっという間に見せて下さったから私はお料理をする人とばっかり思っていたからあなたは料理人じゃないんですってね?
≪じゃないですね。食べるのは好きですね。
「で奥様がやってらっしゃるんですってね。
≪そうですね。私はもちろんあちこちいろんなところに行って研究したりとかするんですけども実際にやるのは彼女ですね。イタリア人の男性は何もしないですね。
「そうなんですってよ皆さん。ご存じでした?そんなことイタリア人の女の人って。男の人って。女の人の後をついてきて徹子さんとか言ってきたりはするんつだけどもおうちでは何もしない。だから横のものを縦にもしないと日本ではいいんですけども。
≪一生懸命するのは初めですよ。
「じゃあちょっとはじめはするのやっぱり。
≪一生懸命。あとはやっぱり
「イタリアはやっぱりマーマが。ママは男の子がすると怒ったりするんですって?
≪そうですねえ何もさせないですね。自分の娘だったらやっぱりお嫁さんに行くから料理とか掃除とかできないとダメですね。
「手伝わさないとね。
≪男性はあまりやらないんですよ。だから家内がイタリアに来た時にびっくりしたんですよ。私たち食べ終わった後で女の人だけやっぱり片付けていろんなことをやっているんですけども男の人はずっとテーブルに座ったままなんですね。びっくりしましたですね。
「日本の男の人がお皿なんかを持っていって手伝おうとしたら驚ろいっちゃう。
≪驚きますね。
「でも最近ですよね日本の男の人もね。そういうふうになったのね仕方がないんですけども。でもあなたの奥さんもさすがにずいぶんなれてらっしゃるんだけども洗濯機のところで洗い物してて、あなたは何もすることがないからベットで新聞を読んでいた
≪そうですねまあイタリアではいつもそうだったんですけどもうちに来て彼女はいろんなことを一生懸命やっている私ベットに入っていて新聞を読んでいて向こうは私にすごい怒ってあなたは何もしないかといわれていた。びっくりした。普通はイタリアでは何もしないんですけども。なぜしなければならないんですか?
「なぜしなければいけないと思ってしまう。ママがやってくれる。だから皆さんイタリアの男の人と結婚なさったときはですね男がやってくれないものとお思いになった方がいいと思いますよ。ママが全部やって男が、昔は男の人が台所に入ってはいけないというように同じなんでしょう。
≪同じですね。
「じゃ男の人は何をするんですか1番?
≪やっぱり外で仕事するんですよ。うちの中でお正月になるときにやっぱりそのクリスマスツリーの飾りとかそういうことそんなに大したことはやらないですようちの中では。ほとんどお母さんばっかりお買い物もお母さんがしに行きますね。
「男の人は買い物をしないの。
≪そうですねうちの中の仕事はお母さんがする、男の人は大体は外で仕事をやっている。
「もうちょっと男の人ってイタリア人て働くのかなって思っていましたよね。
≪あんまり最近はみんなはもうちょっと忙しくなっているからそういう仕事をやっている人もいるかもしれないですけども。例えば北の方ミラノだとみんな忙しいですねお互いに仕事するからお互いに。それじゃないと南の方は家族お母さんは内にいる。子供たちの面倒を見るんです。男性は外に出て仕事をする。
「だからイタリアの映画を見ると面白いのは女の人が家の中でドンとしていて何でもお母さんの言うこと聞かないといけない
≪そうです。
「随分大きい息子でもバンバンとやられる。
≪やります。
「お母さんは強いんですね。イタリアのお母さんは。
≪強いですお母さんは強いです。
「また強くなければだめなんでしょうね。
≪そうですねやっぱりパワーがあるんですね。私は15歳くらいかなお父さんがなくなってなお母さんが結構強かったですね。私たちの教育を私たちにさせたですね。強くなければ多分できなかったんですけどもイタリアのまあお母さんはみんな強いですね。
「始め結婚したときはお嫁さんだからそんなに強くなくてもだんだんだんだん強くなっていくの女の人は?
≪そうですね。強くなるんですよ。だから結婚してから強くなるんですよ。
「昔の映画ですけどもソフィアローレンの映画なんかを見ているとイタリアの女の人は強いなと思いましたけどね。のんきでそしていつも笑っていてね。機嫌が良くてまあ機嫌が悪くてもすぐにがらっと変わってさあ食べを食べようというふうなでいつまでも怒っているのが残らないという感じ。
≪そうですねイタリア人はアクションがうまいですね。パッションがあってドラマティックなところもあるけども必ず後で仲良くなるんですね。お母さんもそうですねお友達に対して怒るけどもそれは大袈裟で殴ったりすることもあるかもしれないから後は自分の息子だから大事にするんですね。
「息子もお母さんが殴っているときでもこの人は愛しているから殴っているんだなとちゃんと分かっている。
≪そうですね。やっぱり何がいけないことをやったからそれをさせないようにそういうことするんですね。
「あなたお小さい時にお父さんがなくなれになったんだけどもお父様は建築家でいらした。
≪そうですね。お父さんお兄さんとかみんなそういう仕事をやっていた。
「そうですってねだからあなたはその建築の仕事で1番最初に日本にいらしたとき。いろんなものの修復とか
≪修復ではなくてお父さんのお友達があの日本人の建築家について本を出したんですよ。その本の資料まとめるために日本に来た。
「それは修復ではなくて。修復みたいなこともやられていた。
≪イタリアでやっていた。イタリアでお城とか古い建物の修復をやっていた。
「なるほどね。それで日本にいらした。日本はどうしても1回長いことこようと思いになったんですか?
≪こようと思ってはいなかったんですけども実は引っ張られたんですよ。イタリアに行って最初日本に来てその資料をまとめてイタリアに帰ったときに家内と一緒にイタリアで知り合いになって
「飛行機の中で
≪そうですね
「奥様が隣の席に座っていた
≪隣に座っていたんですね。私がずっとこの
「かわいいと思っていて
≪かわいいとか、やっぱり隣に座ると親切じゃないですか。ああこの食べ物おいしいですか?とか13時間ずっとしゃべりぱなしだったんですよ。結婚したてで彼女の日記を見ればその日「今日はうるさいイタリア人に会いました。2度と会いたくない」と書いてあるんです
「そう。イタリアに行って素敵な生活を何かそこでイタリア人が隣に座ってずっと話しかけてまあいいやとおもってそしてホテルを教えてくださいと言ったけども奥様は教えなかったんですってね。
≪そうですね。やっぱり出会ったばかりだったから教えないけどもだいたいナポリだといいホテルは大体分かりますからあちこち調べてそういうところに入っているからと情報が入ってはイタリアはちょっとチップの世界だから
「そうか!
≪だから彼女がつく前に彼女のベットの上に
「着く前に
≪そうです
「早いですね。お花。今の手つきは花を
≪そうですね。ベットの上でウエルカム・ツウ・ナポリですね。
「びっくりなさったでしょう奥様は
≪そう。溶けちゃったんですよその時に。
「ん?
≪解けました彼女
「とけました彼女が。日記には一応うるさいわあの人、13時間もしゃべってとか書いたんだけどもやっぱり入ってベットのところにさっき会った人からお花が、イタリア人ってなんて
≪親切だな。
「それですっかり
≪そうですね。それはまぁあとはいろいろ付き合い始めて2年間ぐらいその後は結婚して日本に来たんです。けどまあ日本に来たイタリアで生活してもよかったけども彼女のお兄さんがいるんですね神父様ですね彼女のお兄さんは。
「神父さま。
≪それで神父さま家族と一緒に住んでないですね。彼女がイタリアに住んでいれば彼女の家族かわいそうならともってそれで私がよし義理の両親の面倒を見に行こうと思ったんですね。でも逆に面倒をみてもらったんですね。
「(笑)でもまあそういうことで。奥様の国に行くと1番国際結婚はうまくいくとよく言いますよね。それと男の人は仕事やなんか自分の国でできないということもあるかもしれない。でもあなたの肩書はエッセイストでいらっしゃる。
≪そうですね。
「ものをお書きになるのがご商売でこの方は全然コックさんではないですよ。なんだかあなたがコックさんみたいにみんな思っている人がいるかもしれないけどもその教えていただいた冷たいおいしいスパゲティね。スパゲティというのはあったかいのに冷たいトマトを大きくのせてそして温めた
≪ゴマ油を
「ゴマ油を掛けてそしてシソの細かいのを散らしてこれはおいしかったですね。
≪ありがとうございます
「でもあなたはすごいですよシンフォニーをやっている間にダダダダーンという中でやらなければいけなくてね
≪そうですね音楽に合わせて料理しなければならない
「その時にお会いしたんですけども、また面白い方と思っていてその時はお料理やさんだと思っていたんですけども。今日ね皆さんこれは何だろうと思いでしょうけども(目の前の皿を指す)これはあなたがお作りになったんじゃないですよね。
≪じゃないです。私は、私も作ることはできるんですけども私はプロじゃないですよね。私は人の作ったものを食べるのが上手ですよね。
「これが変わったように思うんですけどもこれはなんでしょうかね?
≪これはピーチの形をしたものですね。
「ビーチの形をしている
≪アーモンドのペーストで全部作っているんですよ。
「アーモンドのペースト。柔らかいですね。このピンク色のところは何で出来ているんでしょうね?
≪そのピンクはアケミスというお酒ですね。そのお酒はピンクの色ですね。
「だからこんなに可愛い桃の形になるんですね。
≪私たちよくその歌詞を作るときにそのお酒を使うんです。
「なるほどね。
≪これは普通のタルトだけども珍しい。
「これ珍しいんですか。
≪食べるとすごく柔らかいですね。
「これが。ちょっとごめんなさいこれは中が柔らかくて珍しい。
≪そうですね。アーモンドのペーストというのはシシリアというイタリアの地中海の中で大きな島ですね。
「シシリア島
≪そこで全部アーモンドがたくさんとれるんですよ。アーモンドの産地
「すごいアーモンドのにおいがしていますね。クッキーじゃないの皆さんこれクッキーだとおもったらかこんなに簡単にわれちゃうお菓子みたいなもの。そうなんですか。
≪シシリアに行くと4月かなぁ5月くらいアーモンドの木、花が全部咲くんですね。真っ白になっちゃうし香りもすごいするし。
「この中もすごい。これでとてもおいしそうね。クニュクニュで。これ随分クニュクニュしてますね。
≪作るのはたぶん1日ぐらいかかるんですね。まずはそれを作っておいて次の日に全部いろんなものを詰めたりしますね。
「ちょっとこれいただいていいですか?
≪どうぞいただいてください。
「お酒がすごいけども
≪そうですアルケミスのお酒ですね。
「何というお酒?
≪アルケミス。
「アルケミス。それが入っているケーキですけども。アーモンドで、全部味付けができている。と何かわからないですけどもとても柔らかくてとてもクニュクニュでおいしい。ごちそうさまでございました
≪いえいえ
「外側がかたくないんですけどもしんなりと硬い。
≪そうですね。
「こういうお菓子があるんですね。
≪結構イタリアン細長いし、あと昔からいろんな国があったんですけどもバラバラ統合したのは100年ぐらいですね。
「そうですよ皆さんこのごろまあお分かりになると思いますけどもイタリアというのはイタリアという国になったのは100年なったかならないかなんですよね。
≪そうです。
「ヴェニスとかナポリとか全部違う国、それぞれが
≪違うんです。例えばこっちはアーモンドを使っているやつがギリシャの影響があるんです。南に行くとギリシャとアラビアの影響があるんです。
「近いですからね。場所が。
≪北の方ですねこれはオーストリアの影響がありますね。
「なるほどね。真ん中のは何ですか?
≪真ん中の方もシシリアの方ですね。
「だいたいすごく面白いのは、ちょっとコマーシャルをはさんであのベニスのゴンドラの人は歌を歌うんだけども今のお話しを覚えていただいてですねヴェニスはヴェニスという国であって、ナポリはナポリの国であってつい先ごろ100年になったかならないかということでみんなイタリアというのは1つの国だと思っていますよね。
≪そうですね。
「ベニスとかナポリとかはそれぞれの大きな町だと思っているんですがそれぞれが国であった。今でもそう思っている人がいるらしいんですよね。イタリアは面白いと思いますけどもコマーシャルをはさんでちょっとそのお話です。
≪
黒柳「ジローさんはナポリの方、ナポリ民謡というのはみなさんご存じだと思いますけどもをヴェニスのゴンドラの人はみんなナポリ民謡を歌う。
ジローラモ≪そうですね。ゴンドラの人はやっぱりナポリ民謡は世界1よく知られているから。ゴンドラの人はそれをやるときに
「私も乗ったまたときはオーソレミーヨーとかやりましたよね。
≪そのベネチアの偉い人が町長というんですかその偉い人が私たちはベネチアの人だからベネチアの歌を歌わなければならないんですね。だからナポリの歌を歌うのはやめましょうと。
「ゴンドラをゴンドリエというの。ゴンドリエはこれからはナポリの歌は歌わないでベネチアのうた。ベネチアの歌って有名なんですか?あまりよく知らないけども
≪私も知らないです。
「でもまぁ何かあるんでしょうね。ヴェネチアにも。しましょうと言ったらば
≪そうですね。ナポリの人たちが怒こってナポリの偉い人がこんなことをやったなぁよし分かった次の日ベネチアに6人ぐらいかな7人ぐらいオーケストラと楽器とか歌を歌う人たちをベネチアにおかせてゴンドラを借りて1日中オーソレミーヨを歌ったんです。(観客笑い)
「乗ってはいけないっていえませんからね。そこで本当に声のいい人がゴンドラのお客さんとして乗って音楽をやりながらオーソレミーヨと一日中やっていたの。面白いですね。
≪やはりイタリア人は頑固ですね。自分の町のものは1番いい。だからそういうことをやりますね。あとは料理もそうですね頑固だから昔のものがずっと残っているんですね。
「まあね古い国だということもありますけども。あなたは初めて日本にそういうわけでいらっしゃって明海大学
≪そうですね明海大学
「明海大学そこの経済学部にお入りになったそうですけども。ナポリでは建築を建築大学、建築大学というのがあるそうなのでそこをご卒業になってお父さんも建築のことをやって出してそれで日本にいらしたわけなんですけども。日本にいらっしゃっていろんなことにびっくりなさった事があるんですけども何に1番驚きました?
≪1番びっくりしたのは食べ物。私が1番簡単なのはくさやですね。
「くさや。あれはちょっと驚いたですか?
≪もう驚いたんです。当時は私の仲良しの日本人のお友達、よし今日は日本の伝統的なものを食べにいきましょうと言って入る前にすごい臭いところがあって、なぜこういうものを食べなければならないかと思った。
「イタリアではそういうものはありません?臭いけどもおいしいというものはありません?
≪イタリアはまあチーズですね。
「チーズ。チーズが日本人の人は逆にいうとそうかもしれない。
≪でも食べればくさやも食べれば。かめばかむほどおいしいですよ。
「初めはね
≪においがちょっとそうですよ。
「チーズを日本の人が初めてに匂いをかいだらそう思うかもしれない。ナマコなんか
≪そうですナマコもそうですね。ナマコはイタリアだったら触ってはいけないとか食べてはいけないとかあと日本に来てお寿司やさんに行ってそれが出たらなぜこういうものを食べなければならないとか
「違うんじゃないですか種類が。もっとイタリアのは大きいのじゃないのそんなこともない?同じようなの
≪同じようなものですね。
「そうなんですか。それと日本の人は時間が正確
≪これはもうびっくりしましたよ。イタリア人はちょっとアバウトですけども30分40分くらい遅れるんですけども
「ほんと。早く来る人よりも遅れる人の方が多いの。
≪そうですね。普通道がちょっと混んでましたとうそをつくんですけども。ちょっと電車が遅れたとか。私がびっくりしたのは日本に来て間そういうことについてイタリア人いけないからともって一生懸命がんばると思ってうちの義理のお父さんと約束
「義理のお父さん。大変ですよね奥さんのお父さんだから。
≪だから7時に約束をしていてそして7時ぴったりについたんですよ。めちゃくちゃ怒ったんですよ私に対して。「7時に着いたんだよ遅いじゃないですか」、「いや7時ぴったりじゃないですか」、「いや約束をした5分前につけないとダメだ」といわれてあれ何の国かともった。
「それはすごいですねお父様が。
≪もしそれはお父さんがそういう人だったのかもしれないけども。
「でもまあ普通はね相手を待たせて、ましてやその奥様のお父さんですからお待たせしてはいけないから5分ぐらい前には待っていて。あなたとしては大変なことですよね7時につくんだって大変だったんですけどもそれでもしかられた。
≪そうですね。そういうことを勉強しました。だからあの時からまじめで5分前に着くようにしました。
「今でも。
≪今でも。だけどたまに人と約束をして相手が遅れるんです30分。なぜかというと私イタリア人だから絶対30分遅れると
「知っている人が。じゃあ友達のイタリア人はすごく遅れる
≪そうですね。30分は、1回5時間待ったことがあります。
「5時間。
≪私のボスだったから。
「あなたまったのそれで5時間も?
≪まあボスだったから待ってくださいと言われて電話で。5時間たって平気で向こうは今日はゴメンナサイと言われて。
「それだけ
≪それでです。
「それにしても日本の電車はきちんとした時間につくしバスも。驚くですよね
≪それは嘘をつけないですね。
「そうかそうか日本で。向こうだったら遅れてもうそをつけるけども、日本は遅れることがないから。新幹線が遅れたとはいえないですよね。
≪はいそうです。
「遅れたらテレビに出ますからねぇ。今日遅れたというのがね(観客笑い)そうかそうかそういうことがびっくりすること。
≪車のタイヤがパンクしたとかそういうことがあります。
黒柳「ジローさんが日本に来て驚いたことのもう一つは大学にいらっしゃる時に男の人が一緒になって行動しようとするのが驚いた。
ジローラモ≪ああそうですねそれもびっくりしましたですね。イタリアの場合は大学の時に大体ひとり自分で移動したりとかグループにはあまりならないですね。日本の場合は最初の説明会の時に最初の日にみんな同じ席に並んでいてグループになっていたんですね。だから必ず一緒に動かないとだめとか。だからこれは私びっくりしましたね。
「だから食堂に行くのにもみんな一緒に行く。
≪一緒ですね。
「終わっても何となく駅まで一緒に行く。一緒に行くというのが分からない(笑)
≪わからない(笑)
「イタリア人は終わったらそこでバラバラ
≪そうですねみんなバラバラですね。後仲良しの友達もいるけどもずっと一緒にいないんですね。
「確かに考えたら日本人というのは一緒になって行動しますよね。
≪はい。
「そうですね団体行動と決めていなくてもなんとなく友達と一緒にねえ。いきなりサヨナラといっちゃうとどうもあのちょっと冷たい人だと
≪冷たい人だと。最初結構私のこと冷たい人だと言われていて(笑)
「それはそうあなたもみんなと一緒にいたいだと思ってもサヨナラというから皆も冷たい人だと思って。そのへんがやっぱりずいぶん。何か奥様と結婚なさったらイタリア人てもう少し働くって奥様は内で働くと思ったけどもあなたが働かない。お子さんはいらっしゃらない?
≪いないですね
「あなたがもうちょっと働くと思ったら働かないので驚いたんでしょうけども、その他おうちの中で奥様はあなたについて驚いたことあるようですか?
≪たとえば最初はやってはいけないけどもうやらなくてはいけないかなと思って最初は僕も掃除を助けようと思ったんですよ。だから結構一生懸命やろうと思っていをいて。ただやったあとでチェックが「このテーブルの下に残っている」ここでうまくいかなかったからそれでやめたんですね。彼女は私がやめたことはびっくりしたんじゃないかと。
「ああそうか。やってくれると思ったらコレやってないわよこれやってないわよといったら御免といってまだやるかと思ったら辞めちゃったので(笑)
≪私にとってやったことがないから結構するのはすごい力がかかるんですね。
「なるほどね。でもアレなんですって同じアパートの下の階の子供があなたのお父様にあなたのこといっちゃったのであなたがウソをついたのがばれたって
≪あーそうですね。ごめんなさい。いつですか?
「ずいぶん若いときみたいですよ。あの何かで同じアパートの下級生があなたのことがばれてね、うそを言ってたんでしょうお父様にあなたが。学校のことで。
≪ああそうですね。私は、よくご存じですね。
「そうなんですよ。
≪私学校の時は、結構まじめで学校よくいっていたんですけども
「あなたを1年落第したそうで
≪そう、あるときはちょっとある人と知り合いになってこの人は学校サボるのが得意だったんですよ。それでジロー1回学校をさぼりましょうよと言われていて、それで一回サボったら1年間ずっとさぼちゃったんですね。
「すごい(笑)
≪さぼって3年生になるはずだったんですけども落として2年生だったんです。うちの家族はみんな3年生になったと思っていたんですね。でもイタリアの場合は同じ建物に住んでいるといろんな家族と住んでいるんですね。だから他の子供がいたら私の家族はなんとかさんの子供の方が頭がいいとか彼の家族も彼に対して私のことを指してジローさんの方が頭がいいとかそういうこと競争させるわけですね。だから結構彼も私の学校に来たときに私が3年生じゃなくて2年生だったことが分かった瞬間に私の家族に言ったんですね。まあいってよかったんですよ。だからうちの家族はめちゃくちゃ怒ったんですね。なぜかというとお父さんをやっぱり子供は勉強しないとダメですね。勉強していい結果が出れば何でも上げるけども勉強しなかったらすごい怒っていたんですね。だからその時が1年間ダメになってから次の年は2年1年で全部取ったです(2年間でとる単位を1年間でとってしまった)
「すごいですね。とんだですね。でも下の子が同級生だよといっちゃったから分かったわけですよね。でも飛んだの。じゃうれしかったでしょうね自分でそれはやった
≪そうですね。まぁ私は勉強するのが好きですよただあの時はちょっと甘かったから
「わかりますよ一緒に友達がいてねいいなと思ったらずっと休んでだったんでしょうねきっと。
≪そうですね。あとはくせになっちゃったからね。イタリアの場合は例えば私の町だと海の近くだから、遊園地とが映画館とか学校サボる人たちのために特別値段出すんですよ
「特別値段を出す。
≪いい天気だったらいいんですけども天気が悪かったらみんな遊園地に行くんです。映画館に行く。映画館に行ったら値段は半分以下ですね
黒柳「まあ日本にはスパゲティナポリタンというものがあるですが。こちらはナポリなんでそういうスパゲティナポリタンはナポリの特産かと思ったんですけども
ジローラモ≪ないです。
「ないんですってね。私もナポリに初めて行った時に驚きましたよ。ないと聞いて。あれは日本人が作ったんですかね。
≪でしょうね。だってスパゲティにケチャップは入れないですよイタリア人は。イタリア人がケチャップを見るだけでなんだこんなものは。
「なんだこんなものは。それはトマトから自分で作るからですか
≪そうですそうです。
「ケチャップは使わない
≪使わないです。あれはイタリア人にとってはあのケチャップはアメリカ人のものですね。
「そう。じゃトマトから作るのがスパゲティでも何でもお料理でも基本なんですね。日本人は麺をゆでるのがすごくうまい
≪うまいです。なぜかというとソバとかうどんとかのゆで方がうまいですね。だから結構世界一のイタリア人の後は2番目じゃないですか。
「アルデンテにもゆでられますものね。まあ楽しいお話しをどうもまた。
http://www.h4.dion.ne.jp/~giten/cont/guest2003/h15-1-30.html