過去の今日の出来事etSETOraですヨ(=^◇^=)

過去の今日のTHE BEATLESだヨ(=^◇^=)

 

 ┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
 ┃ THE BEATLES of 1963  ┃(tue)01 January 1963
 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
 The Beatles flew from Hamburg to London, spending the night there in anticipation of a Scottish tour due to begin on 2 January.
*******************************************
 http://www.multiplusbooks.com/630101.html
*******************************************
 ┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
 ┃ ビートルズ詳解 The Beatles’Corpus ┃
 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
①1959(昭和34)年01月01日(木) ライヴ演奏:ウィルソンホール/リヴァプール
②1962(昭和37)年01月01日(月) デッカ・レコードのオーディション
③1963(昭和38)年01月01日(火) 移動:ハンブルグからロンドン
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
①1959(昭和34)年01月01日(木) ライヴ演奏:ウィルソンホール/リヴァプール
 この日はクオリーメン (Quarrymen) のウィルソン・ホール (Wilson Hall) への最後の出演として知られている。今回は過去3回の出演とは異なり、チャーリー・マック (Charlie McBain) による興行ではない。また不良の集団 (Teddy boys) がトラブルを起こすこともなかった。 このイベントは「スピーク地区バス車庫社交クラブ (Speke Bus Depot Social Club)」の遅いクリスマスパーティーであった。ジョージ・ハリスン (George Harrison) の父ハロルド (Harold) がこの社交クラブの議長だったことが、クオリーメンの採用に貢献している。兄のハリー (Harry) もまたこの社交クラブのメンバーであり、さらに母のルィーズ (Louise) もこの会場で初心者のための社交ダンス教室を開いていた。 ドラマーのコリン・ハントン (Colin Hanton) はこのイベントを最後にクオリーメンを去ることになった。2セットの演奏の幕間にメンバーはパーティードリンクを飲んだ。これは地元の映画館のマネージャーが来ていて、彼らと将来の契約を考えているという知らせに、心を踊らせたからに違いない。
 コリン・ハントン『Shout!』フィリップ・ノーマン ⇒ その夜、最初は本当にうまくいってたんだ。僕らはみんないいムードで、「ジョージの父ちゃんがいるぞ!でもバスはどこなんだ!?」なんて言ってジョージをからかってた。それはジョージの家族がお膳立てして僕らを乗せてくれた、ちゃんと幕が昇降する本当の舞台だったんだ。そして幕が上がり、第一幕では6曲演奏した。5曲じゃないよ。バスの運転手や女車掌たちはみんな僕らを気に入って喝采してくれた。 幕間に僕らは言われた、「あっちのカウンターに君たちへの1杯も用意してあるよ。」1杯は2杯となり3杯となった。僕らが第二幕の舞台に上がった時はやばかった。みんな酔っぱらってた。映画館の人は僕らと契約しなかった。そのことで帰りのバスの中でけんかになった。「わかった。もういいや。もうこいつらとは二度とプレーするもんか!」と僕は思った。
 ハントンは彼のドラムセットをバスからおろした。そこは彼の降りるべきバス停ではなかったが。そして二度とクオリーメンでプレーすることはなかった。 
②1962(昭和37)年01月01日(月) デッカ・レコードのオーディション
 有名なデッカ・レコードによるビートルズのオーディションは、1962年の元旦にロンドンで行われた。このセッションは1961年12月13日にマイク・スミス (Mike Smith) が、このレコード会社のA&R*の代表としてキャバーン・クラブを訪れ、ビートルズの演奏を見た結果を受けて開催されたものであった。その夜の彼らのパフォーマンスは、すぐにレコード契約を保証できるほどのものではなかった。しかしスミスは意欲的で、デッカのスタジオで改めてオーディションすることを彼らに提案したのである。このスタジオはロンドンのウェスト・ハムステッド区 (West Hampstead) ブロードハースト・ガーデンズ (Broadhurst Gardens) 165番にある。
 *レコード会社における職務の一つ。Artist and Repertoire(アーティスト・アンド・レパートリー)の略。アーティストの発掘・契約・育成とそのアーティストに合った楽曲の発掘・契約・制作を担当する。
 ジョン・レノン (John Lennon)、ポール・マッカートニー (Paul McCartney)、ジョージ・ハリスン (George Harrison)、ピート・ベスト (Pete Best) の4人は、ローディー*のニール・アスピノール (Neil Aspinall) が運転するヴァンでリヴァプールから移動した。吹雪の天候にたたられ、一行は11:00amからのオーディションにぎりぎりで間に合った。ブライアン・エプスタイン (Brian Epstein) は彼らとは別に列車で移動している。
 *roadie: 楽器の手配、積み込み・積み卸し、輸送、セッティング、エフェクティングといったコンサート業務や、楽器のメンテナンスおよび管理、ミュージシャンに対するサポートなどの業務を行う人々のこと。
 スミスは大晦日の夜にハリキリ過ぎて遅れて来た上に、ビートルズの使ってるのは音が問題外だからデッカのアンプを使えと言ってきかず、ビートルズの神経を逆撫でた。
 この時ビートルズは合計15曲を録音している。 (曲順は推定)
・Like Dreamers Do
・Money (That's What I want)
・Till There Was You
・The Sheik Of Araby
・To Know Her Is To Love Her
・Take Good Care Of My Baby
・Memphis, Tennessee
・Sure To Fall (In Love With You)
・Hello Little Girl
・Three Cool Cats
・Crying, Waiting, Hoping
・Love Of The Loved
・September In The Rain
・Besame Mucho
・Searchin'   
 「Like Dreamers Do」「Hello Little Girl」「Love Of The Loved」の3曲は、レノン=マッカートニーのオリジナル。ほとんどの曲はオーバー・ダビング無しの一発録りで録音されたらしく、おおよそ1時間で全曲の録音が終了している。「Searchin'」「Three Cool Cats」「The Sheik Of Araby」「Like Dreamers Do」「Hello Little Girl」の5曲は、1995年にリリースされたアルバム『アンソロジー 1』に収録されている。残りの曲も1977年以降に出回った多くの海賊版で聴くことができる。緊張のためにビートルズの演奏は最高とは言えないまでも、メンバー4人とブライアン・エプスタインは、このセッションがデッカとの契約に結びつくことを確信していた。ところがそのレコード会社は、同じ日にオーディションを受けたブライアン・プール&ザ・トレメローズ (Brian Poole & The Tremeroes) に寝返ってしまったのである。デッカA&R部のトップだったディック・ロウ (Dick Rowe) は後にこう語っている。
 ディック・ロウ ⇒ 私はマイクに「どちらにするのか君が決めろ」と言った。ビートルズか、それともトレメローズか、それは彼次第だった。彼は「どちらもいいんです。ただ一方は地元のグループで、他方はリヴァプールからのグループです。」と言った。そして地元のクループを取った方が良いという結論になった。彼らはダグナム (Dagenham) から来ていたので、仕事がやりやすいし親密でいられると考えた。
 しかし公式の理由は「エプスタインさん、ギター・グループは消えゆく運命ですよ」というものだった。この言葉は世間に広く知られ、ディック・ロウは後に「ビートルズを蹴落とした男」という悪名を背負うことになった。しかしジョージ・ハリスンの推薦を受けて、ローリング・ストーンズ (The Rolling Stones) と契約するのも彼なのである。ブライアン・エプスタインはその結果を黙って受け入れはしなかった。彼はロンドンに戻ってデッカと再び折衝し、デッカがリリースするビートルズのすべてのシングル盤に付き、彼が3,000枚の買い取りを保証すると販売部に約束までした。ディック・ロウがこのことを知らされていたなら、歴史はまったく違っていたかもしれない。
 ディック・ロウ ⇒ あの時点では私はそのことを聞いていなかった。当時のレコード業界の常識を考えると、3,000枚の売上げが確実ということになれば、たとえそれが何者であっても、そのレコードを出さざるを得なかっただろう。
 しかしながら、デッカのオーディション落選とその録音テープは、結果的にビートルズにとって幸運だったことになる。彼らがデッカと契約していたら、ビートルズのキャリアにリンゴ・スター (Ringo Starr) は関係して来なかったかもしれない。彼はジョージ・マーティン (George Martin) が、ピート・ベストのドラミングに不安を表明した後にグループに加わったのである。またこのオーディションは、エプスタインにビートルズの高品位なオープンリールの録音テープを提供し、彼がそれをロンドンの他のレコード会社に持って行くことを可能にした。ロンドンのオックスフォード通り (Oxford Street) にあるHMVレコード店の店長は、もっと簡単に再生できるように、オープンリールのテープからレコード盤を作ることをエプスタインに提案した。エプスタインも同意して、さっそくそのレコード店の上にあるスタジオとプレス工房にテープを持って行った。エンジニアのジム・フォイ (Jim Foy) はその録音に感動した。エプスタインがその内の3曲はレノン=マッカートニーの自作だと言うと、フォイは音楽出版のアードモア&ビーチウッド社 (Ardmore & Beechwood:EMIの子会社) のシド・コールマン (Sid Coleman) にそのことを伝え、そしてコールマンはエプスタインに出版契約をオファーする。エプスタインの優先すべきはビートルズをレコード会社と契約させることであった。そこでコールマンはビートルズのマネージャーとパーロフォン・レコード (Parlophone Record) のA&Rのトップを会わせる手はずを調える。これによりブライアン・エプスタインとジョージ・マーティンの面談が実現したのであった。デッカの録音を聴いて十分に興味を感じたマーティンは、アビー・ロード (Abbey Road) でのオーディションをエプスタインに申し入れる。
③1963(昭和38)年01月01日(火) 移動:ハンブルグからロンドン
 ビートルズは1963年1月1日にハンブルグからロンドンに飛行機で帰る。次の日にはスコットランド・ツアーに出発するため、リヴァプールには戻らずこの夜はロンドンで過ごした。1963年は多くの意味でビートルズの「奇跡の年 (annus mirabilis)」であった。この時点での彼らは知らないが、その年の終りには彼らの人生は仰天の変化を遂げている。イギリス全土で彼らの名を知らぬ者はいなくなり、リリースするシングル・アルバムはともに何百万枚の単位で売れるようになるのである。
④1959(昭和34)年10月18日(日) TVスターサーチ 地区予選:エンパイア劇場/リヴァプール
 クオリーメン (Quarrymen) は2年前のこのオーディションにもエントリーしているが、その時は予選落ちだった。ジョン・レノン (John Lennon)、ポール・マッカートニー (Paul McCartney)、ジョージ・ハリスン (George Harrison) は、ABCテレビのタレント発掘番組「TVスターサーチ (TV Star Search)」の予備選考に再び挑戦するため、リヴァプールのエンパイア劇場 (Empire Theatre) に戻って来た。
‡1959(昭和34)年01月01日(木)にコリン・ハントン (Colin Hanton) がクオリーメンを離れて以来、このグループにはドラマーがいなかった。そのことを問われると、「リズムはギタープレーの中にある」と答えていた。ケン・ブラウン (Ken Brown) が参加していた直近のクオリーメンと区別するためか、この時はジョニー・アンド・ザ・ムーンドッグス (Johnny and the Moondogs) という名でエントリーしている。このオーディションは「Mr スター・メーカー」ことキャロル・レヴィス (Carroll Levis) により、リヴァプールのエンパイア劇場 (Empire Theatre) で、
 1959(昭和34)年10月11日(日)
 1959(昭和34)年10月18日(日)
 1959(昭和34)年10月25日(日)の3週連続の(日)曜日にまたがって開催された。いずれの日にジョニー・アンド・ザ・ムーンドッグスが登場したのかは明らかでないが、
 1959(昭和34)年10月18日(日)が有力視されている。彼らはこのオーディションを見事に通過し、
 1959(昭和34)年10月26日(月)~
 1959(昭和34)年10月31日(土)に行われる地区ファイナルへの参加資格を得ているヨ(=^◇^=) 
************************************************************
 ①http://gejirin.com/beatles/history/1926-1959/19590101_live_wilsonhall4.html
 ②http://gejirin.com/beatles/history/1962/19620101_audition_Decca.html
 ③http://gejirin.com/beatles/history/1963/19630101_travel_London.html
 ④https://gejirin.com/beatles/history/1926-1959/19591018_live_TVstarsearch.html
************************************************************
 ┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓┌─―――――┐
 ┃ THE BEATLES HISTORY ┃| January 01|001
 ┃    ザ・ビートルズの今日の出来事   ┃| 1月01日 |
 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛└─―――――┘
 1962(昭和37)年01月01日(月) ロンドンのデッカ・レコードでオーディション。演奏曲は「Like Dreamers Do」「Money (That's What I Want)」「Till There Was You」「The Sheik Of Araby」「To Know Her Is To Love Her」「Take Good Care Of My Baby」「Memphis Tennessee」「Sure To Fall (In Love With You)」「Hello Little Girl」「Three Cool Cats」「Crying, Waiting, Hoping」「Love Of The Loved」「September In The Rain」「Besame Mucho」「Searchin'」。選曲はビートルズの魅力と才能をくまなく披露するために、ブライアン・エプスタインがおこなった。2トラックのモノ・テープにレコーディングされ、コントロール・ルームにはおよそ3週間前にキャバーンでビートルズを視察したデッカ・レコードA&R部門のマイク・スミスがいた。オーディションは午前11時ごろから始まり、1時間ほどで終了した。
 1963(昭和38)年01月01日(火) 最後のハンブルグ巡業を終えてロンドンへ戻るヨ(=^◇^=)
 https://blogs.yahoo.co.jp/fab4city/15601528.html
********** http://www.thebeatles.co.jp/contents/index2.htm
 http://www.beatlelinks.net/forums/showthread.php?t=16868
 http://beatlesdiary.web.fc2.com/day/001/0101.html
 http://www.beatlesagain.com/bhistory.html
 楽曲資料https://beatlesdata.info/
 歌詞充実http://tsugu.cside.com/index.html
*******************************************

 ┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛11.00am
  ┛THE BEATLES 1962 Recording Sessions ┛Decca Studios,
 ┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛at West Hampstead
 01♪Like Dreamers Do♪
 02♪Money(That's What I Want)♪
 03♪Till There Was You♪
 04♪The Sheik Of Araby♪
 05♪To Know Her Is To Love Her♪
 06♪Take Good Care Of My Baby♪
 07♪Memphis, Tennessee♪
 08♪Sure To Fall
 09♪Hello Little Girl♪
 10♪Three Cool Cats♪
 11♪Crying, Waiting, Hoping♪
 12♪Love Of The Loved♪
 13♪September In The Rain♪
 14♪Besame Mucho♪
 15♪Searchin'♪
 After the session, Brian returns to Liverpool.
 Test session for Decca due to start at 11.00am
 Decca's test session, at West Hampstead, of Brian Poole and the Tremeloes.
 ┏━━━━━━━━━━━━━━━━┓1995/11/20(mon) UK
 ┃ 『THE BEATLES ANTHOLOGY 1』 ┃1995/11/21(tue) JP、US
 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━┛ 〇Disc one〇
 15.♪Searchin'♪ (Decca audition; mono) 1 January 1962 Decca Studios, London 3:00 
 16.♪Three Cool Cats♪ (Decca audition; mono) 1 January 1962 Decca Studios 2:25 
 17.♪The Sheik of Araby♪ (Decca audition; mono) 1 January 1962 Decca Studios 1:43 
 18.♪Like Dreamers Do♪ (Decca audition; mono) 1 January 1962 Decca Studios 2:36 
 19.♪Hello Little Girl♪ (Decca audition; mono) 1 January 1962 Decca Studios 1:40 
 ┏━━━━━━━━━━━━━━━━┓1995/11/20(mon) UK
 ┃ 『THE BEATLES ANTHOLOGY 1』 ┃1995/11/21(tue) JP、US
 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━┛ 〇Disc one〇
 15.♪Searchin'♪      62.1.1.「デッカ・オーディション」
 16.♪Three Cool Cats♪   62.1.1.「デッカ・オーディション」
 17.♪The Sheik Of Araby♪ 62.1.1.「デッカ・オーディション」
 18.♪Like Dreamers Do♪  62.1.1.「デッカ・オーディション」で演奏されたポールのオリジナル作品で、64年になって女性ベーシストがいたことで知られるビート・バンド、アップルジャックスに贈られている。「デッカ・オーディション」のところで述べた通り、以前流出していたこのオーディション関連の公式アイテムでは、Lennon-McCartney作品は含まれていなかったので、この曲はここではじめて「公式発表」されたということになる。もちろん、ブートでは聴くことができたが・・・。 このオーディションのポールのボーカルは、若干「張り切り過ぎ」なところが目につくが、この曲でもやはりそう。ちょっと「生意気」な感じもするが、でも、逆にそこがよい、という感じもしないでもない。 
 19.♪Hello Little Girl♪  62.1.1.「デッカ・オーディション」で演奏されたジョンのオリジナル作品で、63年になってNEMS所属のフォアモストに贈られている。この曲もやはり、ここではじめて「公式発表」されたことになる。また、キャバーンなどでは頻繁に演奏されていたそうで、デビュー以前の重要なレパートリーだったようだ。事実、60年の「ホーム・レコーディング」でも録音されているが、そのテイクは全くアレンジの違う、カントリー・ポップ調のものだった。 正直、私はそっちのテイクの方が好きだが、ここでは、サビで掛け合いっぽいコーラスを導入、この当時のビートルズにとっては画期的なアレンジではないかと思われる。 
************** https://en.wikipedia.org/wiki/Anthology_1
 http://www.geocities.co.jp/Broadway/5266/beaAlb20.html
********************************************************
 音源◆Decca Audition, January 1 1962  https://youtu.be/TTMlZxHk938
 The Beatles' famous audition for Decca Records took place in London on New Year's Day in 1962. The group - John Lennon, Paul McCartney, George Harrison and Pete Best - travelled down from Liverpool with driver and roadie Neil Aspinall. Beset by snowstorms, the party eventually arrived just in time for the 11am audition. Brian Epstein had travelled separately on train. The Beatles recorded 15 songs altogether. Five of the Decca recordings - Searchin', Three Cool Cats, The Sheik Of Araby, Like Dreamers Do and Hello Little Girl - appeared on the Anthology 1 collection in 1995.
 01. Money (That's What I Want) [0:00]
 02. To Know Her Is To Love Her [2:26]
 03. Memphis, Tennessee [5:01]
 04. Till There Was You [7:22]
 05. Sure To Fall (In Love With You) [10:23]
 06. Besame Mucho [12:27]
 07. Love Of The Loved [15:07]
 08. September In The Rain [17:00]
 09. Take Good Care Of My Baby [18:57]
 10. Crying, Waiting, Hoping [21:26]
 

 ┏━━━━━━━━━━━━━┓かみばやし さとる      朝日文庫
 ┃ 『この日のビートルズ』 ┃上林 格 P.288 本体680円+税 朝日新聞出版
 ┗━━━━━━━━━━━━━┛  2013(平成25)年11月30日(土)第1刷発行
‡No.02 P.019 1962年01月01日「歴史的な落選の内幕」◎デッカ・レコードのオーディション日◎
 ┏━━━━━━━━━━━━━┓ 
 ┃ 『この日のビートルズ』 ┃上林 格 P.288 714円(税込) 朝日新聞出版
 ┗━━━━━━━━━━━━━┛2013(平成25)年11月7日(木) 朝日文庫発行
  人類がまだ月面着陸を夢見ていた1960年代、英国出身の4人の若者が世界を席巻した。
  ポピュラー音楽史の記録を次々と塗り替えただけではなく、
  文化、思想、生活スタイル、あらゆる分野に強烈な影響を与えた。
  語り継がれる20世紀最高のファブ・フォーの「この日」にこだわってみました。
 ┌─――――――――――――┐
 |1962(昭和37)年 1月 1日(月)|「歴史的な落選の内幕」
 |2008(平成20)年12月30日(火)|甲虫日記更新日 No.039
 └─――――――――――――┘
1962年1月1日、ビートルズはデッカ・レコードのオーディションを受けた。しかし、あえなく落選した。
ジョンは率直に語る。
「これで終わりだなって、その時はほんとに思ったよ。ここまでだって」当時、デッカのA&R(アーティスト&レパートリー)部長だったディック・ロウは、「ビートルズはあまりにもシャドウズに音が似ている。『ギター・バンドの時代になる』という意見もどうかと思います」とブライアン・エプスタインに落選の理由をつきつけた。
デッカは大魚を逃した。後にローリング・ストーンズと契約を交わして必死の挽回(ばんかい)に努めるディック・ロウは、オーディションを見たわけでも、テープを聴いたわけでもなく、人生最大となる失敗の断を下していた。
オーディションの実現には、ブライアンの存在と働きかけがあった。彼が経営するNEMS(North End Music Store)は、デッカの販売部門にとって英国北西部で最大の顧客だった。ブライアンが、自らマネジャーを務めるバンドのレコーディング契約を探している、という情報をデッカは無視できなかった。
だが、ディックにとっては、クリスマス休暇を控えた繁忙期に200マイル(320キロ)も離れた港町に足を運ぶ気にはなれなかった。アシスタントのマイク・スミスに代役を命じた。
1961(昭和36)年12月13日(水)、キャバーン・クラブでビートルズの演奏を聴いたマイクは、力強い演奏と地元ファンの熱狂ぶりにとても興奮した。すぐにオーディションを設定しようとブライアンに申し出た。
大みそかは悪天候に見舞われた。ニール・アスピノールが運転するバンに乗り込んだ一行は、途中で猛吹雪に遭う。バンが路上を滑るたび、機材に囲まれながら座っていた4人は、ギター・ケースとアンプがぶつかり合って壊れないように必死に押さえた。
ようやくロンドン北部までたどり着いたところで、今度は道に迷った。普段の倍の10時間もかかってホテルに着いた。ひどく腹が減ったが金もなくスープすら飲めない。仕方なくスコッチ&コークで前祝いをした。
元旦の午前11時。ブライアンの記録によれば、マイクはオーディションの約束の時間に遅刻した。「非常に不愉快な気分だった。どうでもいいように扱われていると感じた」
マイクは、大みそかに飲んだ酒のせいで二日酔いだった。ディックがクリスマスから新年にかけて休暇をとるため、その間、新人バンドのオーディションはマイクに任せられていた。
スタジオの赤いライトが点灯した。ビートルズは緊張していた。気負いがあった。キャバーンで演奏するときのようなグルーヴ感はうまれなかった。ジョンやポールのボーカルに力強さもなかった。
マイクは失望した。リバプールで聴いた高い演奏水準とは比べものにならなかった。「スタジオでの彼らはちっとも良いところがなく、個性も感じられなかった。きっと雰囲気にのまれてしまったのだ」
選曲のまずさもあったのかも知れない。「ラヴ・オブ・ザ・ラヴド」などオリジナル3曲を含む15曲は、ビートルズの多様性を示すためブライアンが慎重に選んだものだった。だが、マイクは数十年たった後も「オリジナル3曲のうち気に入ったのは1曲だけ」と評価を変えていない。
オーディションが終わると、マイクは次のバンドの開始時刻をまわってしまったからと、メンバーをせかせてスタジオの外へ出した。そのバンドはブライアン・プール&ザ・トレメローズだった。
1962(昭和37)年1月27日(土)付の『リバプール・エコー』誌に短い記事が載った。「デッカのプロデューサーであるマイク・スミスは、ビートルズはすごいバンドだと筆者に語った。30分以上に及ぶオーディションの模様をテープに録音しており、デッカのレーベルからぜひともデビューさせたいということである」
マイクは、ビートルズとブライアン・プール&ザ・トレメローズの両方を合格させたいと考えていた。
ところが、ディックはマイクが持ち込んだオーディションのテープも聴かず、両方は契約できないと言った。二つではなく一つ。単に数の問題だった。
「経験豊富な彼が、どちらを良いと判断するか知りたかったが、彼は何も意見を言わなかった。ディックは私に『君が決めろ』と言った。あとになってディックは、ビートルズがシャドウズに似ていたので契約を交わさなかったと発言したが、まったくおかしな話だ……歌も聴いていないのに」
不合格の知らせは2月初めに届いた。「シャドウズに似ている」という理由に釈然としないブライアンは、デッカ本社まで押しかけた。
丁寧さを装いつつも高慢な態度でディックは突き返した。
「ビートルズは成功しませんよ。エプスタインさん。我々にはわかるんです。あなたはリバプールで立派なレコード店を経営していらっしゃる。なにがご不満なのですか」
冷静さを失ったブライアンはこう言い放った。
「この子たちは今に爆発的な成功を収めますよ。いずれエルビス・プレスリーより大物になると断言します」
 ◎『この日のビートルズ』の次回は、1月19日です。この日はなんの日でしょうか? お楽しみに。
 ◎お知らせ「ザ・ビートルズ アンソロジー」は、未発表音源などを集めた2枚組3セットのアルバム。アンソロジー1では、ごく初期段階のオリジナル作品やデビュー前の音源を聞くことができ、デッカ・レコードのオーディションに応募したオーディション・テープから「ライク・ドリーマーズ・ドゥ」「ハロー・リトル・ガール」のオリジナル曲を含む5曲が収録されている。
  ザ・ビートルズ・アンソロジー1 1995年11月21日 EMIミュージック・ジャパン
***************** https://www.amazon.co.jp/dp/4022617802
 https://dot.asahi.com/1satsu/tyosya/2013110700049.html
 http://doraku.asahi.com/entertainment/beatles/081230.html
********************************************************

 ┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
 ┃ 『THE BEATLES (アニメ ザ・ビートルズ)』Season 1 ┃26 animated color episodes
 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛in 30 minute format
‡Ep.15 1966(昭和41)年1月1日(sat) No.29 「♪I'm Happy Just to Dance With You (すてきなダンス)♪」
 Sing-a-Longs ♪Don't Bother Me♪
‡Ep.15 1966(昭和41)年1月1日(sat) No.30 「♪Mister Moonlight♪」
 Sing-a-Longs ♪Can't Buy Me Love♪
 Directed By・・・・・・Bob Godfrey / Bob Godfrey
 Voice Cast・・・・・・・Paul Frees...John Lennon.......伊武雅刀
 Voice Cast・・・・・・・Paul Frees...George Harrison...田中秀幸
 Voice Cast・・・Lance Percival...Paul McCartney....小幡研二
 Voice Cast・・・Lance Percival...Ringo☆Starr......曽我部和恭
 Created By・・・Al Brodax & Sylban Buck 
 Songs By・・・・・THE BEATLES
**************************** http://beatlescartoon.jp/
 http://en.wikipedia.org/wiki/The_Beatles_(TV_series)
 http://web.archive.org/web/20091028135843/http://geocities.com/garn13/beatles.html
 http://www.geocities.jp/thebeatlescometogether/gallery/photograph/animation.html
******************************************************

『The Early Beatles: 1962-1965』
‡1984 January 1(sun) Granada TV in England premieres the documentary
彼の著書「Way Beyond Compare」では、シーン6:30に使用されたバージョンはジョン・ウィン(John Winn)がグラナダのドキュメンタリー「The Early Beatles」●1984年1月1日放送に見られるものと同じであると推定しています。英国のコレクターであるDaveによると、取引のサークルで流通しているバージョンはThe Early Beatlesの放送から得られる可能性が高いです。そのバージョンは、曲の最初のコードから始まり、男性の聴衆のメンバーからの悪名高い叫びで終わります。「We want Pete」とジョンの返答「Yeah」。それは観客の舞台からの短い道からの単一のカメラ撮影からのものです。画像はズームイン/アウトして左右にパンするが、第1詩と第2詩の間で交互に12秒間の編集(以下の詳細について)が行われた場合を除き、ショットは途切れていない。また、2番目の詩の最初の行の間に画像には奇妙な「ジャーク」があります(詳細は後述)。このバージョンでは、8月のパフォーマンスからの実際のオーディオを使用していますが、9月の録音ではオーバーダビングされません。Daveはさらに、同じバージョンが、ジョン・レノンのグラナダのトリビュート・プログラムで、「1980年代に再放送された」と述べています。これらはおそらく録音のビートルズの早期の登場の源であろう。 Daveはさらに、1980年の放送には、Bob Woolerが「It's The Beatles」(後で詳しく説明します)を発表するだけで紹介されました。
 http://www.beatlesource.com/savage/1962/62.08.22%20cavern%202%20-%201st%20Ringo/film.html
 ┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
 ┃ BRIAN EPSTEIN Presents  1964   ┃
 ┃ THE BEATLES Christmas Shows ┃
 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
‡No.09 (wed)01 January 1964 London, England, Finsbury Park Astoria Theatre (07)
 ┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
 ┃ THE BEATLES 1965 Christmas Shows ┃Another Beatles Christmas Show
 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛      LAST CHRISTMAS SHOWS
‡No.08 (fri)01 January 1965 London, England, Odeon Cinemas (01)
  ♪I FEEL FINE♪映像◆The Beatles at Hammersmith Odeon, London Christmas Day in 1964  https://youtu.be/FSCwPIn2Bbk
  
************************************************************
 https://en.wikipedia.org/wiki/List_of_the_Beatles%27_live_performances
************************************************************

 ┏━━━━━━━━━━┓ CARL PERKINS 
 ┃ ♪HONEY DON'T♪  ┃‡Released (sun)January 1, 1956 
 ┗━━━━━━━━━━┛ Recorded     December 1955, Sun Studio, Memphis, Tennessee 
*********************************************
 https://beatlesdata.info/4/10_honeydont.html
 https://en.wikipedia.org/wiki/Honey_Don%27t
*********************************************

名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最近の「日記」カテゴリーもっと見る