過去の今日の出来事etSETOraですヨ(=^◇^=)

過去の今日の浜省さんとetSETOraだヨ(=^◇^=)


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 ┃RQ-5⑤② ナショナル モノラルラジカセ┃
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 1975(昭和50)年04月01日(火) 発売年月日?? 
 2019(令和元)年04月01日(月) 公開 オーディオ(278) レトロラジオ・ラジカセ館(116) ナショナル(24) 
◎スピーカーグリルが主張する「音のマック」
 モデル名     :RQ-552(音のマック)
 メーカー/ブランド:ナショナル
 発売年      :1975年
 当時の定価    :39,800円
 外形寸法     :W352 x H203 x D100mm
 重量       :4.0kg(乾電池含む)
 取材協力     :ビデオ工房トパーズ様
 黎明期を過ぎて各社それぞれ特徴を打ち出してきた時代のモノラルラジカセです。「音のマック」のニックネームがついていますが、もうひとつのセールスポイント「ワイヤレスマシン」も目を引きます。
 同世代のナショナルのラジオ、クーガシリーズにも通じるダイナミックなスピーカーグリルのデザインです。12cmダブルコーンスピーカーを採用しており、クリアな中高音が楽しめます。出力は1.3W。
◎飛び道具が楽しい
 ワイヤレスマシンです。サイトポケットに収めた状態では内蔵マイクとして機能するほかFMトランスミッターとしてテープの音を飛ばすことができます。取り出すとワイヤレスマイクとして使うことができます。いわば多機能マイクですが、あえて「マシン」と呼ぶところに意気込みを感じます。
 チューナーは短波も入る3バンドです。いちおうBCLも楽しむことができます。
 テープの無音部分を探すことができるミュージックセレクターが付いています。この機能はのちに一発選曲に発展してポピュラーになりますが、この時代に搭載しているのは先進的と言えます。
 いかにも70年代ラジカセらしいルックスです。ワイヤレスマシンという飛び道具も装備し、少年の物欲を刺激する一台です。
 ビデオ工房トパーズhttp://www.video-koubou-topaz.jp/  各種テープのダビングや、DVD・BD製作が出来ます。 CD、MD、各種テープのダビングなど、各種音源からのCD製作もいたします。 ビデオやオーディオの相談もお気軽にどうぞ。
 https://goldenyokocho.jp/articles/339
 ㊦↓は552(この機種は画像をクリックすると説明が読めるぞ)。 
 http://plaza.harmonix.ne.jp/~ita/1123/matsushita.htm
 RQ552でございます。画像はでかいサイズのままで置いてあるのでアップで見たいかたは画像をクリックしてみるとよろし。音のマック。スーパーパーマロイLHヘッド、12cmのスピーカを採用したモデル。448の高級モデル、という製品位置だったと思う。上部についているスイッチ類も、とてもキッチリ造ってあり、そこはかとない高級感が漂う。艶消しブラックがなかなか美しい。当時、松下はテクニクスのコンポも造っていたが、あちらのほうでも艶消しの黒を使った美しい造形のアンプやチューナーがあった。黒といえば山水であるが、この時代は松下も黒がお好きだったようだ。ポーズボタンは448のような電気式ではなく小気味よい押し味のメカニカルポーズになっている。また、ミュージックセレクターという曲間の無録音(ブランク)部分をサーチする機構もついている。部品類もいいものを選んでいるなぁ、と思う。サイドのカンガルーポケットには、448で大ヒットしたFMトランスミッターが装着されている。美しい造形である。448ではポケットオープンはサイドのボタンを押して開けたものだが、この機種では前面にオープンボタンがついている。まあここまで凝らなくてもいいのだが。マイクの表面にもポケットにも「液漏れするから6ヶ月ごとに交換しなはれや」と書いてある。448の購入者から苦情が相次いだんだろうなぁ。で一応書いとこう、ってことになったんでしょう。このマイク、内蔵のコンデンサマイクとして使うときにも単3電池が入っていないとダメで、そこだけは改良して欲しかったなぁ。私は448を持っていたのだが、ワイヤレスマイクとして使うよりも、テープの音を他のラジオに飛ばすトランスミッターとしてよく使ったという記憶がある。ご丁寧に、周波数を変えるコアを回すための小さいドライバが蓋の裏に貼り付けてあるぞ。背面はシンプルである。NSBクリスタ(ル)の端子があるだけ。電源コードのソケットが背面にないのは改良というか、実用上当たり前です。やっと気がついたか松下。とても良い機種なのだが、39800円と高かったから、当時の私の興味の対象外だった。ハナタレ小学生のオレにはこの機種の良さは良くわかんなかったのさ。
 http://plaza.harmonix.ne.jp/~ita/1123/RQ552.htm


 CBSソニーの♪二人の夏♪視聴会時??、150万枚は売れると期待した♪二人の夏♪
 15:13 ♪片想い♪の後、本人の口から初めて父の逝去が公表される
 1987(昭和62)年05月01日(金) 16時間かけて横浜から
‡1987(昭和62)年05月02日(土) 父の里山口までGET BACK
 1987削除動画◆浜田省吾 NHK-FM MY SELECTION からトーク(前半)https://youtu.be/153r0pTOjP0
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 ┃ 浜田省吾 #31『CLUB SURFBOUND』 ┃
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 2016(平成28)年10月21日(金)
 1987(昭和62)年06月28日(日)に発売された浜田省吾さんのミニアルバム「CLUB SURFBOUND」のレコーディングの話です。
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 1987(昭和62)年4月26日(日)、19時から信濃町ソニー1スタジオで二人の夏のダビング作業が行われた。一週間後の
 1987(昭和62)年5月03日(日)~05日(火)、横須賀の観音崎マリンスタジオで本格的にレコーディングが始まった。ただし浜田省吾さんは私事で帰郷していたため、このレコーディングには参加することが出来ず、ぼく達バンドのメンバーだけでリズムトラックのレコーディングを行うことになった。観音崎マリンスタジオは観音崎京急ホテルに隣接したリゾートスタジオ。すぐ目の前が海で東京湾が一望出来る素晴らしいロケーションのスタジオだった。ぼく達バンドのメンバーは、
‡1987(昭和62)年5月02日(土) レコーディングの前日に観音崎入りした。宿泊は観音崎京急ホテル。ホテルからの景色もスタジオと同じく素晴らしくて、プライベートでも訪れたいような場所だった。
 1987(昭和62)年5月04日(月)と
 1987(昭和62)年5月05日(火)でリズム録りする予定の曲は、江澤くん作曲のミディアムテンポのナンバー、町支さん作曲の軽快なシャッフルのナンバー、古村くん作曲のアップテンポのナンバー、ぼくが作曲のバラードナンバー、浜田さん作曲のアップテンポのナンバーの5曲だった。浜田さん不在の中、レコーディングは始まった。スタジオにいるのはバンドメンバーと、ロード&スカイのスタッフ数名、楽器担当のローディ数名、ディレクターの須藤晃さん、エンジニアの助川健さん、カメラマンの内藤順司さんの十数名。それぞれの曲のテンポを慎重に確認しながら、レコーディングは進んでいった。観音崎マリンスタジオはピアノのブース(個室のような仕切り)が無く、レコーディングの際に他の楽器の音がピアノを録音するマイクに被ってしまうため、アコースティックピアノは仮で弾いておいて、後日東京のスタジオで差し替えることになった。ぼくは出来ることならバンドのメンバーと同時にピアノを録音したかったので、これには少しがっかりした。マリンスタジオでは朝と夜の二回、スタジオスタッフ手作りの食事が提供された。これがとても美味しくて、ぼくはレコーディングの合間の食事がとても楽しみ だった。しかし滞在している間中、ほぼ朝までレコーディングが続いたので、朝と夜の食事の区別がよく分からなくなってしまった(笑)
 1987(昭和62)年5月05日(火)の昼過ぎにリズム録りを終えたぼくはスタジオを後にして、世田谷区三宿の人見記念講堂で行われたデビット・フォスターとリー・リトナーのコンサートを観に行った。人見記念講堂は当時住んでいた家から歩いて数分のところだったので、ぼくは一旦帰宅してから出かけた。この日のコンサートはアメリカのビールメーカー、クアーズが冠スポンサーに付いていて、会場の外ではクアーズビールが販売されていた。ゴールデンウィークの最中、幸い天気も良くてアメリカンな雰囲気の中でのコンサートは最高だった。
 写真◆CLUB SURFBOUNDのレコーディング風景 at 観音崎マリンスタジオ。 
**************** http://air.edisc.jp/ima/
 http://mi-mychronicle.blogspot.jp/2016/10/31-club-surfbound.html
 https://ja.wikipedia.org/wiki/THE_FUSE
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 ┃ ON THE ROAD '88 FATHER'S SON ┃前半戦 日程
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‡019.1988(昭和63)年05月02日(月) 下関市民会館
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 http://www.flashandshadow.com/shogo/live/on/on1988.html
 https://ameblo.jp/chiharu1997/entry-11600186984.html
 http://ameblo.jp/futabayama69/entry-10819384548.html
 http://www9.plala.or.jp/bt-pearl/dear_memories.html
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 89.1.28♪ON THE ROAD♪映像◆http://www.nicovideo.jp/watch/sm13810282#

 12.僕の彼女 1977.05.02青山タワーホールより
 http://www.flashandshadow.com/shogo/el/i_el_index.html

 西武新宿線が「格差」に悩む歴史的な理由
‡2019(令和元)年05月02日(土) 10:05配信 フォトライター 栗原景
 写真◆西武秩父駅に到着した新型特急「Laview」。登場からわずか1年で、池袋線の特急は原則としてすべてLaviewとなりました 
 写真◆西武新宿線(水色)と、競合する西武池袋線(橙)、東武東上線(青)、JR埼京線・川越線(緑)。都心から所沢へは西武新宿線よりも池袋線の方が、川越へは東武東上線の方が早く到達できます(国土地理院「地理院地図Vector」の淡色地図に加筆) 
■池袋線に差をつけられてしまった新宿線
 西武鉄道は、東京都心と所沢・川越・秩父など埼玉県西部の都市を結ぶ大手私鉄です。その基幹となる路線は、池袋~所沢~吾野間の池袋線と、西武新宿~所沢~本川越間の新宿線。いずれも首都圏西部の大動脈です。
 しかし、この2つの路線には大きな格差があります。池袋線は、2015年度までに桜台~大泉学園間7.6kmの連続立体交差化が完了。練馬~石神井公園間は複々線で、西武有楽町線を介して東京メトロ副都心線・有楽町線、東急東横線などとも相互直通運転を行っています。特急は、全列車が2019年登場の新型特急「Laview」に置き換えられました。
 一方、新宿線は、中井~野方間と東村山駅付近で連続立体交差化の工事が行われているものの、今も全線が踏切のある地上線です。関東の大手私鉄の主要路線としては唯一他社線との相互直通を行っておらず、特急「小江戸」は、今も全列車が1993年登場の「ニューレッドアロー」を使用しています。山手線の駅から所沢へ行くなら池袋線の方が早く、川越へは東武東上線の方が早いなど、主要駅間に限ると立場も微妙です。
 西武新宿線沿線で生まれ育ち、現在も暮らしている筆者(栗原景)は、長年不思議に思っていました。なぜ、新宿線はこうした差をつけられてしまったのでしょうか。それは、明治から平成までの日本の歴史が、新宿線にとって不運に働いてしまったからです。
 写真◆国分寺と東村山を結ぶ西武国分寺線。西武新宿線の基となった路線です 
 写真◆国分寺~川越間の路線を開業させた川越鉄道(黄緑)。甲武鉄道(橙)と直通していましたが、国有化により直通列車は廃止。西武軌道(赤)を買収し、東村山~田無間(水色)を建設することで、都心への直通ルート構築を目指しました(国土地理院「地理院地図Vector」の淡色地図に加筆) 
■新宿線のルーツ、川越鉄道は中央線の支線だった
 西武新宿線のルーツは、1895(明治28)年に国分寺~川越(現・本川越)間が全通した川越鉄道です。川越鉄道は、現在のJR中央線の前身である甲武鉄道の経営陣が出資する子会社で、地価の安い東村山を経由して国分寺で甲武鉄道に接続し、新宿から川越までの直通列車が運行されました。
 ところが、甲武鉄道は1906(明治39)年に国有化され、1914(大正3)年には東上鉄道(現・東武東上線)が、翌1915(大正4)年には武蔵野鉄道(現・西武池袋線)が開業します。これらの鉄道は中央線と川越鉄道を乗り継ぐよりも、早く所沢や川越へ行くことができました。
 劣勢に立たされた川越鉄道は、秘策を講じました。1916(大正5)年、箱根ヶ崎(拝島の北、現在八高線の駅がある町)から東村山、田無を経て吉祥寺までの免許を取得していた村山軽便鉄道から、敷設権を譲り受けたのです。
 1920(大正9)年には電化のために電力会社の武蔵水電と合併(武蔵水電が存続会社)、さらに1922(大正11)年には、新宿~荻窪間の青梅街道で軌道線(路面電車、後の都電杉並線)を運行していた西武軌道を買収しました。西武軌道は、荻窪~田無間の敷設免許を持っており、これらを組み合わせて、川越~東村山~田無~荻窪~新宿という直通ルートを完成させようとしたのです。
 ⇒ 次ページは:電力業界の再編に翻弄されながら高田馬場へ延伸
■電力業界の再編に翻弄されながら高田馬場へ延伸
 そこへ、電力業界再編の波が押し寄せました。当時の日本は、日露戦争や第一次世界大戦を経て電力の普及が進み、全国に多数の電力会社が設立されていました。明治まで、石炭による小規模な火力発電が中心だった電力産業は、大正に入って大規模な水力発電の時代に進み、「電力戦」と呼ばれる価格競争が始まったのです。体力のない電力会社は次々と買収され、昭和初期までに五大電力会社に集約されていきました。
 川越鉄道を引き継いだ武蔵水電は、この波に呑み込まれました。西武軌道を買収した同じ年、今度は武蔵水電自体が帝国電灯に吸収合併されてしまったのです。帝国電灯は鉄道会社に興味がなく、武蔵鉄道という別会社を設立して鉄道事業を分離。武蔵鉄道はまもなく西武鉄道に改称しました(現在の西武鉄道とは別の法人なので(旧)西武鉄道とします)。
 新たに発足した(旧)西武鉄道は、もう一度東京直通の方策を検討します。青梅街道の軌道を活用すれば、建設費は安く済みますが、速度が遅く武蔵野鉄道(池袋線)や東武東上線には太刀打ちできません。そこで、田無から荻窪へ向かうはずだった路線計画を変更し、直接高田馬場に向かうことにしました。
 なおこの軌道線は、1963(昭和38)年に地下鉄荻窪線(丸ノ内線)の開業に伴って廃止されました。もし、(旧)西武鉄道がこの軌道線の活用を選択していたら、今頃青梅街道の地下を西武鉄道の電車が走っていたかもしれません。
 1927(昭和2)年4月、東村山~高田馬場間23.7kmが開業し、(旧)西武鉄道はようやく東京乗り入れを実現しました。ですが、社会情勢に振り回された結果、高田馬場~所沢間は26.9km、川越(本川越)までは45.3kmと、武蔵野鉄道(池袋~所沢間24.8km)や東武東上線(池袋~川越市間31.4km)よりも遠回りになってしまいました。
 念願の都心直通を果たした(旧)西武鉄道は、次に高田馬場から早稲田までの免許を取得して、山手線内への乗り入れを目指します。当時、東京市が池袋~大手町~州崎(東陽町)間に地下鉄道を建設する構想があり、これとの接続を目指していたと言われています。
 この構想は、繁華街として大発展を遂げた新宿乗り入れにまもなく変更されたものの、山手線が競合する鉄道省(国鉄)が難色を示し断念します。新宿乗り入れ構想は、戦後復活して1952(昭和27)年11月に高田馬場~西武新宿間が開業しましたが、国鉄新宿駅乗り入れは用地不足などの問題から、ついに実現することはありませんでした。西武新宿駅は新宿駅の北400mに位置し、他社線との相互乗り入れも厳しくなりました。
 ⇒ 次ページは:新宿線の抜本的改善を阻んだバブル崩壊
■新宿線の抜本的改善を阻んだバブル崩壊
 写真◆1977年にデビューした2000系。それまで3ドア車両を主力としていた西武が、通勤需要に対応するため、初めて導入した4ドア車両です
 写真◆2017(平成29)年に正式に廃止された西武安比奈線。新宿線の新しい車両基地の出庫線として再整備される構想でした。廃線跡の今後は未定です 
 さて、(旧)西武鉄道は、堤康次郎が経営権を握った武蔵野鉄道によって終戦直後に買収され、1946(昭和21)年11月、現在の西武鉄道株式会社となります。
 戦後の西武鉄道は、国鉄の中古電車を大量に購入するなどして迅速に輸送力を増強し、目覚ましい復興を遂げました。池袋線は、1969(昭和44)年に秩父線が開業すると、秩父観光へのアクセス路線となり、特急「レッドアロー」の運行が始まりました。一方新宿線も、国鉄中央線に近いこともあって沿線人口が急激に増え、特に1970年代以降通勤路線として急速に発展していったのです。
 時代は下って1980年代、池袋線、新宿線の混雑率はピーク時間帯で190%を超え、開かずの踏切が大きな社会問題となっていました。池袋線は、1971(昭和46)年1月に桜台─石神井公園駅間の高架複々線化が都市計画決定されて以来、1987(昭和62)年の富士見台~石神井公園間を皮切りに着々と高架複々線化が進められました。
 1987年、新宿線にも、輸送力増強のための複々線化が計画されます。この計画は池袋線とは異なり、西武新宿駅から上石神井駅までの約12.8kmに新たに地下線を建設し、準急、急行などの優等列車をこちらに移すというものでした。西武新宿駅も高田馬場駅も地下化し、高田馬場~上石神井間はノンストップ。既存の地上線は緩行線として残すものの、各駅停車のみになることから「開かずの踏切」問題を大きく改善できるとされました。1967(昭和42)年以降休止していた南大塚~安比奈間の貨物線を復活させ、安比奈付近に車両基地を建設する計画も発表され、総事業費は1600億円と試算されました。
 ところが、またしても新宿線を不運が襲います。バブル崩壊です。新宿線の複々線化計画は1993(平成5)年に東京都の都市計画として決定されましたが、その頃には新宿線の利用者は減少に転じていました。
 さらに建設費を詳細に計算したところ、当初見込みの1.8倍に当たる2900億円かかることが明らかとなります。西武鉄道は、1995(平成7)年に新宿線複々線化事業の無期限延期を発表。事実上の計画撤回でした。その後、西武鉄道は経営をめぐる事件やグループ再編などが続き、新宿線の改良は大きく遅れることになりました。新宿線は、またしても社会情勢の変化から、ハンデを背負うことになったのです。
 結局、この複々線化事業は長い間塩漬けにされた後、2019(平成31)年に正式に中止となりました。
 ⇒ 次ページは:ようやく動き出した連続立体交差化
■ようやく動き出した連続立体交差化
 写真◆朝夕には開かずの踏切となる中杉通りの鷺宮第1号踏切。この通りは中央線・阿佐ケ谷駅と、西武池袋線中村橋駅を結ぶ基幹道路で、非常に渋滞が激しくなっています 
 新宿線の改善が本格化したのは、複々線化計画の凍結から16年後の2011(平成23)年8月のことです。今度は東京都が事業主体となって街づくりの一環として行われるもので、中井~野方間約2.4kmが地下線化されることが決定、2013(平成25)年4月に正式に認可されました。これは踏切の解消が主な目的で複々線化は行われませんが、完成すれば同区間の7つの踏切が除却されます。
 また、東村山駅周辺の約4.5kmについても、高架線による連続立体交差化事業が2013年12月に認可され、共に工事に着手しました。
 井荻~西武柳沢間約5.1kmと野方~井荻間約3.1kmについても、連続立体交差化が検討されています。井荻~西武柳沢間は、事業認可への手続きの1つである環境影響評価書案が東京都知事に提出され、事業認可に向けて動き出しました。
 もっとも、現在工事中の東村山付近の完成は2024年度の見込み。中井~野方間は、用地買収の遅れなどから完成時期が大幅にずれ込み、2026年度に延期されました。野方~井荻間については、高架方式にするか、地下方式にするかもまだ最終決定していません。新宿線の連続立体交差が完成するのは、まだしばらく先のことになりそうです。
 経営母体の変遷から電力業界の再編、新宿の土地問題にバブル崩壊……。日本を取り巻く、さまざまな社会情勢に振り回されて、いまだに開かずの踏切に悩まされている西武新宿線。しかし、JR中央線に近い利便性を備える割に沿線の家賃相場が安い、東京メトロ東西線と連携して都心への移動がスムーズ、着席有料列車の拝島ライナーが好調で小平や拝島からの通勤に便利といった、新宿線ならではのメリットもたくさんあります。連続立体交差事業が進むことで、遅ればせながらももっと便利な路線になっていくことでしょう。
◎相互乗り入れしてないのは確かに不便な面もあるけど、逆に他社の遅れなどの影響が出ないので、そういった面では良いと思う。 返信 2件 476 29
◎たとえば中野駅徒歩15分とか書かれたりして。それは中井駅徒歩5分じゃないのか。新井薬師駅徒歩3分じゃないのか。家賃がお安めで住みやすい沿線でいいと思うんだけど。 返信 10件 367 28
◎一応西武の二大路線の一つなのに、どこかローカル感が漂う所が個人的には好きだけどね。それに池袋線とは違って他社とは乗り入れず独立を維持しているおかげで、他社からのダイヤ乱れも無いし。返信 8件 402 45
 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200502-30000237-tetsucom-ind&p=1
 https://www.uta-net.com/song/185389/

 音源◆https://youtu.be/-B_f9tURD38
 
 映像◆REBECCA (レベッカ) "MOTOR DRIVE"at 日本武道館  https://youtu.be/wJ-ujLvqOcY
 1987. 2/20 日本武道館にて "SHOW TIME AGAIN" より
 

 美A型音源◆Kenny Loggins - I'm Free (Heaven Helps the Man )  https://youtu.be/BdEvuQE6t5c
 美B型音源◆Asia - Don't Cry [HQ]  https://youtu.be/40nYZbX0uCM

【作業用BGM】 1986年 ヒット曲メドレー  https://youtu.be/Am7hgk0CCk0

 レベッカ 『モータードライブ』 コピーバンド Berry-becca  http://youtu.be/a6Zw9XJ6Mz0
 ※ 2013.2.10 大阪・梅田 Live House D' でのライブより。
 

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