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┃ ビートルズ詳解 The Beatles’Corpus ┃
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①1960(昭和35)年08月17日(水) ライヴ演奏:インドラ・クラブ/ハンブルグ (初日)
②1961(昭和36)年08月17日(木) ライヴ演奏:セント・ジョンズ・ホール/リヴァプール
③1962(昭和37)年08月17日(金) ライヴ演奏1:マジェスティック・ボールルーム/バーケンヘッド
④1962(昭和37)年08月17日(金) ライヴ演奏2:タワー・ボールルーム/ワラジー
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①1960(昭和35)年08月17日(水) ライヴ演奏:インドラ・クラブ/ハンブルグ (初日)
ビートルズは1960年8月17日の早朝、ドイツのハンブルグに到着する。しかしインドラ・クラブ (Indra Club) は閉まっていたため、近所のクラブの支配人が誰かを見つけてきて開けさせた。それからビートルズは奥まった小室の赤い革の椅子で睡眠をとった。そしてこの日の夜、インドラ・クラブの初ステージに立つ。このクラブはハンブルグのグロッセ・フライハイト (Grosse Freiheit) 64番地にあり、ブルーノ・コシュミダー (Bruno Koschmider) が所有していた。ブルーノはカイザーケラー (Kaiserkeller) の所有者でもあった。ビートルズはこの会場で
1960(昭和35)年10月03日(月)までの48日間の演奏をこなす。このグループの契約は、期間は
‡1960(昭和35)年08月17日(水)から
1960(昭和35)年10月16日(日)まで2ヶ月、ビートルズの各メンバーは1日につき一人あたり30マルク (2.5ポンド) を毎週木曜日に受け取る。さらにコシュミダーはマネージャーのアラン・ウィリアムズに週あたり10ポンドの手数料を支払うという内容だった。
彼らの出演ノルマは平日の夜は、
08:00pm~09:30pm
10:00pm~11:00pm
11:30pm~00:30am
01:00am~02:00am の4時間半。
土曜日の夜には、
07:00pm~08:30pm
09:00pm~10:00pm
10:30pm~11:30pm
00:00am~01:00am
01:30am~03:00am の6時間。
また日曜日の夜は、
05:00pm~06:00pm
06:30pm~07:30pm
08:00pm~09:00pm
09:30pm~10:30pm
11:00pm~00:00pm
00:30pm~01:30pm の6時間であった。
初日のこの日、疲れて空腹のビートルズは10人ほどの観客を前に演奏した。主に娼婦とその客だった。また彼らはアンプの音量を下げるようにコシュミダーから指示された。この会場の上に住む女性が苦情を言って来たからである。慣れない環境に萎縮しながらも、初日からビートルズは都合4時間半きっちりと演奏した。終了後、彼らはコシュミダーのフラットで寝た。次の日以降の寝床と比べれば、これはすごい贅沢であった。
ジョージ・ハリスン『ANTHOLOGY』僕らが現地に着いた夜は何の準備もなかった。そのクラブの所有者ブルーノ・コシュミダーは僕らを車で彼の家に連れて行き、結局僕らはそこに泊まることになった。一つのベッドに全員で寝た。ブルーノ自身は僕らを残してどこか他へ行った。その後彼は、グロッセ・フライハイト通りの一番端にあるバンビ・キーノ (Bambi Kino) という映画館の裏部屋に、僕らを置いた。ブルーノは若きロックンロールの興行主ではなく、戦争で負傷した老人だった。彼は足が不自由で、音楽について多くを知っているとは思えなかった。僕らは週に一回、賃金を受け取りに彼のオフィスに行ったが、その時にしか彼と顔を合わすことはなかった。ハンブルグの街はすばらしかった。大きな湖、そしてダークな部分。レーパーバーン (Reeperbahn) とグロッセ・フライハイトは今までで最高だった。そこら中にクラブやネオンライト、たくさんのレストランや娯楽場。ほんとに美しく見えたよ。僕らが最初に行った頃の住居の条件とか、明らかにみすぼらしい部分もあったけどね。
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②1961(昭和36)年08月17日(木) ライヴ演奏:セント・ジョンズ・ホール/リヴァプール
ビートルズはこのセント・ジョンズ・ホールに11回出演しているヨ(=^◇^=)
1961(昭和36)年02月17日
1961(昭和36)年03月10日
1961(昭和36)年07月13日 20日 27日
‡1961(昭和36)年08月03日 10日 17日 24日 31日
1961(昭和36)年09月08日
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③1962(昭和37)年08月17日(金) ライヴ演奏1:マジェスティック・ボールルーム/バーケンヘッド
ビートルズは17回マジェスティック・ボールルームに出演しているヨ(=^◇^=)
1962(昭和37)年06月28日
1962(昭和37)年07月05日 12日 19日 28日
‡1962(昭和37)年08月17日 24日
1962(昭和37)年09月08日 22日
1962(昭和37)年10月15日
1962(昭和37)年11月22日 29日
1962(昭和37)年12月15日
1963(昭和38)年01月17日 31日
1963(昭和38)年02月21日
1963(昭和38)年04月10日
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④1962(昭和37)年08月17日(金) ライヴ演奏2:タワー・ボールルーム/ワラジー
ビートルズはタワー・ボールルームに27回出演しているヨ(=^◇^=)
1961(昭和36)年11月10日 24日
1961(昭和36)年12月01日 08日 15日 26日
1962(昭和37)年01月12日 19日 26日
1962(昭和37)年02月15日 16日 23日
1962(昭和37)年03月02日
1962(昭和37)年04月06日
1962(昭和37)年06月21日 29日
1962(昭和37)年07月13日 21日 27日
‡1962(昭和37)年08月17日
1962(昭和37)年09月14日 21日
1962(昭和37)年10月12日
1962(昭和37)年11月23日
1962(昭和37)年12月01日 07日
1963(昭和38)年06月14日
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⑤彼らのウェールズでの公演は、
1962(昭和37)年07月14日 リル (Rhyl)
1962(昭和37)年11月24日 プレタティン (Prestatyn)
1963(昭和38)年01月24日 モールド (Mold)
1963(昭和38)年06月22日 アバーガベニー (Abergavenny)
1963(昭和38)年07月19日 リル (Rhyl)
1963(昭和38)年07月20日 リル (Rhyl)
1963(昭和38)年08月12日 スランディドノ (Llandudno)
1963(昭和38)年08月13日 スランディドノ (Llandudno)
1963(昭和38)年08月14日 スランディドノ (Llandudno)
1963(昭和38)年08月15日 スランディドノ (Llandudno)
1963(昭和38)年08月16日 スランディドノ (Llandudno)
‡1963(昭和38)年08月17日 スランディドノ (Llandudno)
1963(昭和38)年05月27日 カーディフ (Cardiff)
1964(昭和39)年11月07日 カーディフ (Cardiff)
1965(昭和40)年12月12日 カーディフ (Cardiff) で開催されているヨ(=^◇^=)
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①https://gejirin.com/beatles/history/1960/19600817_live_indra1.html
②http://gejirin.com/beatles/history/1961/19610217_live_saint_john.html
https://gejirin.com/beatles/history/1961/0history_index-1961.html
③http://gejirin.com/beatles/history/1962/19621215_live_Majestic_Ballroom.html
https://music.amazon.co.jp/albums/B00BKB6N3G
https://gejirin.com/beatles/history/1962/0history_index-1962.html
④https://gejirin.com/beatles/history/1962/19620621_live_Tower_Ballroom.html
⑤https://gejirin.com/beatles/history/1963/19630124-2_live_Assembly.html
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┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓┌─――――┐
┃ THE BEATLES HISTORY ┃|August 17|229
┃ ザ・ビートルズの今日の出来事 ┃|8月17日|
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①1965(昭和40)年08月17日(火) カナダ・トロント メイプルリーフ・ガーデンズ公演
★観客数3万6,000人(2回公演)宿泊先キング・エドワード・ホテル
★昼の部セットリスト、、、「Twist And Shout」「Baby's In Black」「She's A Woman」「I Feel Fine」「Dizzy Miss Lizzy」「Ticket To Ride」「Everybody's Trying To Be My Baby」「Can't Buy Me Love」「I Wanna Be Your Man」「A Hard Day's Night」「Help !」「I'm Down」
★夜の部セットリスト、、、「I Feel Fine」「Twist And Shout」「She's A Woman」「Dizzy Miss Lizzy」「Ticket To Ride」「Everybody's Trying To Be My Baby」「Can't Buy Me Love」「Baby's In Black」「Act Naturally」「A Hard Day's Night」「Help !」「I'm Down」
★悪天候で飛行機の到着が遅れ」、昼の部公演は90分遅れてスタートした。
★当初は1回公演だったが、爆発的なチケットの売り上げがあったために、急遽2回公演に変更された。
★アメリカのDJ12人がビートルズに同行するためにカナダに入国した。
【ツアー前半でのコメント】
★ジョン、、、「みんなが俺たちを見に来なくなるまではツアーを続けるぜ。」
★ジョン、、、「楽しくなかったら、何度も何度も来ないさ」
★ジョン、、、「ツアーが気に入ってなきゃ、ツアーなんかやらないね」
★ポール、、、「ツアーを続けるかどうかは、ブライアンとチケットを買ってくれる人たち次第だね。」
★ポール、、、「歌っているとき観客がうるさくても、みんなお金を払って来てるんだし、自分たちの求めているものはわかっているんだから、別にかまわないさ。みんな楽しんでいるんだから好きにさせていけばいい。」
★ジョージ、、、「前回とは違う曲をたくさんやるよ。」
★リンゴ、、、「ホテルに缶詰になるのは退屈じゃないよ。ホテルの部屋で写真を撮るのがつまらないだけさ。」
★ジョン、ポール、、、(あなたたちは五大陸を征服しました。次にやりたいことは何でしょう?)「六大陸を征服する。」
②1966(昭和41)年08月17日(水) カナダ・トロント メイプルリーフ・ガーデンズ
★観客数 32,000人(2回公演) 宿泊先 シェラトン・キング・エドワード・ホテル
★2008年に公開された出演契約書には、楽屋には最低限用意しておくものとして「4台のベッド」「鏡」「アイス・クーラー」「ポータブル・テレビ」「清潔なタオル」「2ケースのソフト・ドリンク」と記載され、さらには「アーティストは人種隔離された観客の前では演奏をしない」と規約も書かれていた。
★昼夜公演それぞれ18,000枚のチケットが用意されていたが、昼は15,000枚、夜は17,000枚しか売らなかったという説があるが、実は「売れなかった」という説もある。
********** http://www.thebeatles.co.jp/contents/index2.htm
http://www.beatlelinks.net/forums/showthread.php?t=17097
http://beatlesdiary.web.fc2.com/day/008/0817.html
①https://beatlepedia.web.fc2.com/usa-tour-65.html
②https://beatlepedia.web.fc2.com/usa-tour-66.html
http://www.beatlesagain.com/bhistory.html
楽曲資料https://beatlesdata.info/
歌詞充実http://tsugu.cside.com/index.html
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┏━━━━━━━━━━━━━━━┓‡1964/8/17(mon) Release
┃ 『Saturday Evening Post』 ┃ 1964/6/03(wed) photograph taken
┗━━━━━━━━━━━━━━━┛The Beatles appear on the cover photograph of US weekly magazine『Saturday Evening Post』.
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┃ 『THE BEATLES Interviews Database』 ┃
①┃ 163 Beatles interviews & press conferences ┃
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‡1965(昭和40)年8月13日(金)
‡No.070(11) 1965-08-13(fri) Beatles / New York City (3 photos) The Beatles' press conference at the Warwick Hotel, just before Shea Stadium.
Beatles Press Conference: New York City 8/13/1965
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‡1965(昭和40)年8月17日(火)
‡No.071(12) 1965-08-17(tue) Beatles / Toronto, Ontario (2 photos) Canadian Beatles press conference at Maple Leaf Gardens. Who is bootier?
Beatles Press Conference: Toronto 8/17/1965
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‡1966(昭和41)年8月17日(水)
‡No.094(14) 1966-08-17(wed) Beatles / Toronto, Ontario (4 photos) The Beatles' backstage press conference at Maple Leaf Gardens.
Beatles Press Conference: Toronto, Canada 8/17/1966
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①http://www.beatlesinterviews.org/db1965.0813.beatles.html
②http://www.beatlesinterviews.org/db1965.0817.beatles.html
③http://www.beatlesinterviews.org/db1966.0817.beatles.html
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┃ 1968年8月のGeorge ┃‡1968/8/17(sat)~8/21(wed) ギリシャ
┗━━━━━━━━━━━┛ George leaves England, starting a 5-day trip to Greece
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https://beatlesdata.info/10/05_wildhoneypie.html
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┏━━━━━━━━━━━━━┓かみばやし さとる 朝日文庫
┃ 『この日のビートルズ』 ┃上林 格 P.288 本体680円+税 朝日新聞出版
┗━━━━━━━━━━━━━┛ 2013(平成25)年11月30日(土)第1刷発行
No.05 P.035 1962年08月18日「遅れてやってきたビートル」◎新生「ビートルズ」の初ステージ日◎
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┃ 『この日のビートルズ』 ┃上林 格 P.288 714円(税込) 朝日新聞出版
┗━━━━━━━━━━━━━┛2013(平成25)年11月7日(木) 朝日文庫発行
人類がまだ月面着陸を夢見ていた1960年代、英国出身の4人の若者が世界を席巻した。
ポピュラー音楽史の記録を次々と塗り替えただけではなく、
文化、思想、生活スタイル、あらゆる分野に強烈な影響を与えた。
語り継がれる20世紀最高のファブ・フォーの「この日」にこだわってみました。
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|1962(昭和37)年 8月18日(土)|「遅れてきたビートル」
|2007(平成19)年 8月17日(金)|甲虫日記更新日 No.006
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最年長で小柄なドラマー、リンゴ・スターを正式メンバーに迎え入れることは、ビートルズにとって成功へのステップアップのひとつだった。
リバプールの労働者階級の家に生まれた本名リチャード・スターキーは、3人とはすでに顔なじみだった。
ドラムを担当していたローリー・ストーム&ハリケーンズは、西ドイツ(当時)のハンブルクにある「カイザー・ケラー」でビートルズと交代でステージを務めていた。リンゴは代役としてビートルズのドラマーに入ることもあった。
新生「ファブ・フォー」の初ステージは、1962年8月18日。リバプール郊外にあるポート・サンライトのヒューム・ホールで開かれた夜のダンス・パーティー。4日後には、グラナダ・テレビ局のカメラ・クルーがキャバーン・クラブを訪れ、ビートルズの演奏が初めてテレビカメラに収録された。
2月からブライアン・エプスタインとのマネジメント契約が始まると、3月にはBBCラジオに初出演を果たし、6月にはEMIのレコーディングセッションにもこぎつけた。念願のレコードデビューを果たしたのは、新生「ファブ・フォー」誕生から2カ月もたたない10月初めのことだ。
グループは長い下積み時代から抜け出し、栄光と成功への階段を駆け上がる、まさに直前の第一歩を踏み出そうとしていた。その矢先のメンバー交代だった。
リンゴは、ジョンの言葉に従ってあごひげを剃(そ)り落とし、髪のシルバーのメッシュもやめて「モップトップの4人組」のひとりになった。地元ファンは「世界一ツイてる男」と呼んだ。
一方で、「ビートルズになりそこねた男」ピート・ベストの悲劇がある。
ピートはビートルズ結成時の5人目のメンバーで、グループ初のハンブルク巡演に出かける前の1960年8月にメンバーに加わった。ほかに病死したスチュアート・サトクリフがいた。
新生ビートルズの初ステージがある2日前、ピートはエプスタインから電話で呼び出され、彼の事務所に向かった。そこで「3人が君をはずしたがっている。3人は君をドラム奏者としてはいまひとつだと思っている」と告げられた。
地元ラジオのディスクジョッキーはピートがビートルズ最大の魅力だと認めていた。地元ファンは「ピート・ベスト&ザ・ビートルズ」と呼んでいた。物静かで男前のピートを「容姿に関しては最も売れそうなタイプ」と評していたEMIのプロデューサー、ジョージ・マーティンは、エプスタインが解雇したことを「意外だ」と受け止めた。
ドラムの腕前は別として、3人がピートとの間に垣根を築き始めていたこと、エプスタインに解雇を告げるように依頼したことは事実だ。あくまで想像だが、3人は前髪をおろさず、女の子に最も人気があったピートに嫉妬(しっと)していたらしい。
アンソロジーによれば、ジョンは、ピートのメンバー入りはハンブルク巡演のためで正式なドラマーがみつかれば降りてもらうつもりだった、と証言している。
ポールはリンゴの加入によって「僕らにはちょっと弾みがついて、イマジネーションが広がり、バンド全体が安定した」と話す。
リンゴの加入に最も積極的だったのはジョージだ。ジョンとポールにリンゴを正式なメンバーに入れることを強く働きかけた。「リンゴが代役でドラムを叩(たた)くたびに『これだ』って感じがした」。リンゴの自宅を訪れ、応対したリンゴの母親にバンド入りの話を切り出してもいる。
ビートルズがリンゴを迎えて初めてキャバーン・クラブに出演した8月19日、ピートのファンが大挙して押し寄せ、「ピート・イズ・ベスト」「リンゴはビートルズにいらない」などと叫んだ。
ジョージはギグが終わって楽屋から暗い通路に出たところで、誰かに頭突きを食らわされて左目に大きなあざをつくった。ことの成り行きに狼狽(ろうばい)したエプスタインは、眠れぬ一夜を過ごした。
その後、ピートは音楽活動も一時目指したが、最終的には公務員に落ち着いた。
リンゴに会った人に取材すると、ほとんどが「4人のなかで最も謙虚な男」という評価で一致する。
リンゴ自身の有名な言葉がある。「ビートルズの中で一番好きなひとの人気投票をしたら、僕はビリになるだろう。だけど、二番目に好きなひととなったら、たぶん僕がトップだろうね」
遅れてきたビートルが果たした役割は大きい。
◎『この日のビートルズ』の次回は、9月5日です。この日はなんの日でしょうか? お楽しみに。
◎お知らせ ⇒ リンゴ・スターにとって初となる、レーベルを超えたベスト・アルバム「フォトグラフ:ザ・ヴェリー・ベスト・オブ・リンゴ・スター」の発売が決定しました(詳細はこちら)。
また、音楽配信&「着うた(R)」でも6曲の配信が決定しています。
『フォトグラフ ザ・ヴェリー・ベスト・オブ・リンゴ・スター』
2007.9.19発売予定 EMIミュージックジャパン
Ringo Starr Ringtones (着うた(R)配信曲)
想い出のフォトグラフ Photograph
明日への願い It Don't Come Easy
ユア・シックスティン You're Sixteen (You're Beautiful And You're Mine)
アイム・ザ・グレイステスト I'm The Greatest
オンリー・ユー Only You (And You Alone)
バック・オフ・ブーガルー Back Off Boogaloo
***************** https://www.amazon.co.jp/dp/4022617802
https://dot.asahi.com/1satsu/tyosya/2013110700049.html
http://doraku.asahi.com/entertainment/beatles/070817.html
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┃ 『この日のビートルズ』 ┃上林 格 P.288 714円(税込) 朝日新聞出版
┗━━━━━━━━━━━━━┛2013(平成25)年11月7日(木) 朝日文庫発行
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|1960(昭和35)年12月27日(火)|「転機となった60年の年末ライブ」
|2007(平成19)年12月27日(木)|甲虫日記更新日 No.015
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1960(昭和35)年08月17日(水)から11月30日(水)までの最初のハンブルグ・ツアーに旅立つため、リバプール・カレッジエイトを中退したピート・ベストをドラマーに加える。最初のクラブ、インドラでは、毎日ノンストップで演奏した。ここが騒音妨害で閉鎖されるとカイザー・ケラーに移った。演奏と休憩を1時間ずつ交互に繰り返し、1日6時間のステージをこなした。古いロックンロールを中心に、自作曲も織り交ぜて演奏した。観客の反応をみて何が求められるのかというショー・ビジネス感覚を磨き、独自のスタイルを築いていく。レパートリーも徐々に増えていった。リンゴが在籍していたロリー・ストーム&ザ・ハリケーンズと交互にステージに出演。ジョン、ポール、ジョージ、リンゴとハリケーンズのルー・ウオーターの5人で「サマータイム」など3曲の自主制作盤もつくった。ところが、ビートルズが別のクラブに通っていたことを快く思わなかったプロモーターの差し金によって、ジョージが国外退去処分を命じられてしまう。当時17歳のジョージは「18歳未満は夜間のクラブへの立ち入りを禁止する」という法律に抵触していた。ビートルズは就労許可証もビザも持っていなかった。
***************** https://www.amazon.co.jp/dp/4022617802
https://dot.asahi.com/1satsu/tyosya/2013110700049.html
http://doraku.asahi.com/entertainment/beatles/071227.html
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┃ The Savage Young Beatles 1950s 1962 ┃
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(sat)28 July 1962 The Majestic Ballroom, Birkenhead
Photographer: unknown
--- Sorry, no enlargements on this page ---
This would be one of Pete Best's last shows as a Beatle. And this is certainly some of his last photos with them. In just over two weeks, he would be dismissed from his postion as drummer. Pete played his last gig with The Beatles at The Cavern
on (wed)15 August 1962.
On (thu)16-●(fri)17 August, The Big Three's Johnny Hutchinson (the same drummer from the Larry Parnes audition
on (wed)10 May 1961) sat in on drums.
On (sat)18 August, Ringo made is live debut with The Beatles at Hulme Hall in Birkenhead.
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http://www.beatlesource.com/savage/1962/62.07.28%20majestic/62.07.28majestic.html
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┃ The Savage Young Beatles 1950s 1961 ┃
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(wed)26? July 1961 The Cavern 10 Mathew Street Liverpool
Photographer: (photo 1) Bob Dean
This date is speculative. I have seen it referenced as 26 July. Photo 1 was featured in the
●(thu)17 - (thu)31 August 1961 issue of Mersey Beat (seen below). Assuming that the newspaper was actually issued a few days before the issue date and was type-set and printed a few days prior to that. it can be assumed this is from late July (possibly early August). I'm not certain that photo 2 is the same date as photo 1. I'm merely making an assumption based, primarily, on John's hair and George's denim jeans.
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http://www.beatlesource.com/savage/1961/61.07.26%20cavern/61.07.26cavern.html
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┃ Late Summer 1961 St.John's Hall, Liverpool ┃St. John's Hall Bootle
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Late Summer 1961 St. John's Hall Bootle
Photographer: Dave Forshaw
Lewisohn places this photo among February 1961 listings but it can't be from any of the dates in that month. George has his Gretsch Duo Jet which he bought in July 1961 and their hairstyle is that of later 1961. After returning from Hamburg in early July 1961, The Beatles played St. John's Hall on the following dates. This photo could be from any of these dates.
(thu)13 July
(thu)20 July
(thu)27 July
(thu)03 August
(thu)10 August
‡(thu)17 August
(thu)24 August
(thu)31 August
(fri)08 September
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http://www.beatlesource.com/savage/1961/61.08.XX%20st%20johns%20hall/61.07-09stjohns.html
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┃ THE BEATLES Live at the Majestic Ballroom ┃
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‡No.06 1962(昭和37)年 8月17日(fri) Majestic Ballroom
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http://gejirin.com/beatles/history/1962/19621215_live_Majestic_Ballroom.html
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┃ Summer 1963 UK Tour“THE BEATLES SHOW” ┃
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‡No.50 (sat)17 August 1963 Llandudno, Wales, Odeon Cinema (6)THE END. Odeon Cinema
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https://en.wikipedia.org/wiki/List_of_the_Beatles%27_live_performances
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┃ Beatles {U.S.A.} Ltd. ┃
┃ THE BEATLES' 1965 US Tour ┃
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‡No.02 (tue)17 August 1965 Toronto City, Canada, Maple Leaf Gardens (Afternoon)
No.03 (tue)17 August 1965 Toronto City, Canada, Maple Leaf Gardens (Evening)
01.♪Twist and Shout♪ (excerpt) (not played at Minneapolis due to problems with Lennon's voice)
02.♪She's a Woman♪
03.♪I Feel Fine♪
04.♪Dizzy Miss Lizzy♪
05.♪Ticket to Ride♪
06.♪Everybody's Trying to Be My Baby♪
07.♪Can't Buy Me Love♪
08.♪Baby's in Black♪
09.♪I Wanna Be Your Man (♪Act Naturally♪, also sung by Starr, played at Shea Stadium)
10.♪A Hard Day's Night♪
11.♪Help!♪
12.♪I'm Down♪
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https://en.wikipedia.org/wiki/The_Beatles%27_1965_US_tour
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┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
┃ Beatles {U.S.A.} Ltd. ┃
┃ THE BEATLES' 1966 US Tour ┃
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‡No.08 (wed)17 August 1966 Toronto City, Canada, Maple Leaf Gardens (Afternoon)
‡No.09 (wed)17 August 1966 Toronto City, Canada, Maple Leaf Gardens (Evening)
01.♪Rock and Roll Music♪
02.♪She's a Woman♪
03.♪If I Needed Someone♪
04.♪Day Tripper♪
05.♪Baby's in Black♪
06.♪I Feel Fine♪
07.♪Yesterday♪
08.♪I Wanna Be Your Man♪
09.♪Nowhere Man♪
10.♪Paperback Writer♪
11.♪Long Tall Sally♪
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https://en.wikipedia.org/wiki/The_Beatles%27_1966_US_tour
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┃ ♪INSTANT KARMA!(WE ALL SHINE ON)♪ ┃
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1970(昭和45)年01月27日(tue) Recorded
1970(昭和45)年02月06日(fri) UK Released
1970(昭和45)年02月20日(fri) US Released
John Lennon ♪Instant Karma♪ 訳詞
‡2012(平成24)年08月17日(金) この曲がリリースされたのは1970年。ジョンが60年代から東洋思想に強い関心があったことは、当時の若者にも大きな影響をあたえていたと聞いていますが、スピリチュアルも、平和運動も「流行」のひとつになっただけで、、という思いが、この曲を創った頃のジョンにはあったのではないかと、私は想像しました。国内版CDの訳詞では、INSTANT KARMA はタイトル通り「インスタント・カーマ」だったのですが、そのままカタカナにするんだったら「インスタント・カルマ」の方がわかりやすいし、「インスタント・カーマ」が、何なのかわからなかったら、gonna get you もされても、knock you もされても気がつかないし、何より We all shine on にもならないと思います。この詩がわかりにくいのは、スピリチュアルに興味がある人の多くが、「カルマ」という言葉を、一方では「生まれ変わることへの希望」のように感じ、もう一方では、前世の因縁などのように、自分では動かしがたい宿命として考えていて、そこに疑問を感じていないからだと思います(ジョンは、多くの偉人たちと同様、その矛盾に悩んでいました)。前世というものに「ファンタスティック」な思いを抱くことは、その一方で、現在の自分にも、他者にも、前世の行いという、自分には動かしようのない理屈をつけて、今、生きている「みんなが輝ける」ことをあきらめることにも繋がっている。前世や、来世のことよりも、今を変えようと思えば「一瞬」で変われる。INSTANT KARMAは、教義化されたカルマという言葉や、自分の「運命」といったものに、囚われることなく、そんなもの(運命のこと)は、今すぐにでも変えられるんだという意味が込められていて、私はジョンがインド思想に学び、またそこに疑問をもったことが「INSTANT KARMA」を生んだのだと思いました。詩の内容にあわせて、即席だったり、お手軽だったり、刹那的で、流行ってる感じで、get you して来そうな “因果なやつ”を、とりあえず3種類考えてみましたが、他にもっとイイ感じの「INSTANT KARMA」を思いついた方は、ぜひ教えてください。また、ヤバい英語力を最大限駆使して訳していますので、日本語部分はご注意の上、間違いや、気になる点は、お気軽にご指摘くださいませ。(コメント欄参照)
♪Instant Karma♪ Written By John Lennon
Instant Karma's gonna get you
Gonna knock you right on the head
You better get yourself together
Pretty soon you're gonna be dead
What in the world you thinking of
Laughing in the face of love
What on earth you tryin' to do
It's up to you, yeah you
最新流行の「教義」が、おまえを狙っている
今にも、おまえの脳に入り込もうとしている
落ちついて、本当によく考えないと
あっという間に、死はやってくる
おまえにとっての世界は、微笑んで笑っていればいいのか
今、やるべきことをやらなくて、どうするんだ
Instant Karma's gonna get you
Gonna look you right in the face
Better get yourself together darlin'
Join the human race
How in the world you gonna see
Laughin' at fools like me
Who on earth d'you think you are
A super star
Well, right you are
ありきたりな「運命」が、おまえをがんじがらめにする
それは、おまえの顔をじっくりとのぞき込む
愛する人のことをよく考えて
人間に生まれたことを楽しまなきゃ
世界には色々あるんだってことを知って
俺の愚かさを笑い飛ばせよ
おまえは自分のこと何だって思う?
スーパースター!
いいんじゃない。おまえは確かにスーパースターだよ
Well we all shine on
Like the moon and the stars and the sun
Well we all shine on
Ev'ryone come on
そうさ、俺たちはみんな輝く
月のように、星のように、そして太陽のように
そうさ、みんなが輝ける
さあ、みんな!
Instant Karma's gonna get you
Gonna knock you off your feet
Better recognize your brothers
Ev'ryone you meet
Why in the world are we here
Surely not to live in pain and fear
Why on earth are you there
When you're ev'rywhere
Come and get your share
出来合いの「宿命」に、溺れてしまって
おまえは完全にノックアウト状態
出会える人たちはだれでも兄弟なんだよ
なぜ、この世界に生まれて来たんだと思う?
傷ついたり、恐怖に脅えるためじゃないだろう
どうして、おまえはそこにいるんだ
さぁ、ここに来て、おまえの居場所を見つけなきゃ
Well we all shine on
Like the moon and the stars and the sun
Yeah we all shine on
Come on and on and on on on
Yeah yeah, alright, uh huh, ah
そうさ、俺たちはみんな輝く
月のように、星のように、そして太陽のように
そうさ、みんなが輝ける
さあ、みんな!
Well we all shine on
Like the moon and the stars and the sun
Yeah we all shine on
On and on and on on and on
Well we all shine on
Like the moon and the stars and the sun
Well we all shine on
Like the moon and the stars and the sun
Well we all shine on
Like the moon and the stars and the sun
Yeah we all shine on
Like the moon and the stars and the sun
◎[歌詞引用]INSTANT KARMA LYRICS
下記に、岩谷宏氏の訳を追記。
♪インスタント・カーマ♪
瞬間のカルマがあなたを捉える
あなたの脳を一撃する
気持ちを集中しろ
もうじきあなたは死ぬ
何を考えるのかも
恋を笑いで一蹴して
何に努力するのかも
すべてあなた次第だ
瞬間のカルマがあなたを捉える
顔面を一撃する
気持ちを集中して
人類の一員なんだと思え
ものの見方を変えるんだ
僕みたいなバカは笑い飛ばして
あなた自身が何者かを考えるんだ
あなたはスーパースターか、
そうさ、あなたがスーパースターなんだ
そうなのだ、みんなが輝くのだ
月のように星のように太陽のように
誰もが輝くのだ
そうだ、あなた自身が輝くのだ
『ジョン・レノン詩集』訳・岩谷宏(シンコーミュージック1986年出版)より
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http://nikkidoku.exblog.jp/17873319
https://en.wikipedia.org/wiki/Instant_Karma!
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