過去の今日の出来事etSETOraですヨ(=^◇^=)

過去の今日のTHE BEATLESだヨ(=^◇^=)


 オノ・ヨーコ、リンゴ・スターへのナイト爵位授与を祝福「ついにその時が来た」
 2018(平成30)年01月11日(木) 17:00 Elias Leight
 オノ・ヨーコは、ナイト爵位を授与されるリンゴ・スターを祝福した(Photo by Michael Kovac/WireImage)オノ・ヨーコは、英国政府から個人としてナイト爵位を与えられることに決まったリンゴ・スターを祝福した。「ビートルズ・ファミリー全員にとって名誉なこと」とコメントした。
‡2018(平成30)年01月02日(火)、オノ・ヨーコは「音楽への貢献」に対してエリザベス女王よりナイト爵位を授与されることが決まったリンゴ・スターを祝福した。
「あなたが女王陛下から爵位を与えられることを、とてもうれしく思います」と彼女はTwitterに投稿した。「ついにそのときが来たのですね! 本当におめでとうございます。これはビートルズ・ファミリー全員にとって名誉なことです」
 2017(平成29)年12月30日(土) オノの祝辞より前、ポール・マッカトニーもInstagramを通じて元バンド仲間を称賛した。「本当におめでとう、サー・リンゴ! “サー・リチャード・スターキー”は、何と素晴らしい響きだろうか。最高のドラマーで最高の仲間だ!」スターは、1965年にザ・ビートルズのメンバーとして勲章を受けている。
 2017(平成29)年12月29日(金)、英国政府は、彼に個人としてナイト爵位を授与することを発表した。ちなみにマッカートニーは、1997年に個人でナイト爵位を受けている。「私が愛情を注いでいる音楽と慈善活動が認められ、評価されたことは名誉であり喜びでもある。ピース&ラヴ」と、スターは声明の中で述べている。ミュージシャンとしてはスターのほかに、ビージーズのバリー・ギブもナイト爵位を授与される。さらに、ソフト・セルのマーク・アーモンドも大英帝国四等勲位(OBE)を与えられる。
 https://rollingstonejapan.com/articles/detail/27928

 ビートルズ「最後のライブ」はなぜ屋上だったのか 『ジョン・レノン 最後の3日間』Chapter37
‡2022(令和四)年01月02日(日) 21:00 ジェイムズ・パタースン
 写真◆Martin Wahlborg/iStock(c)東洋経済オンライン
 エミー賞9度受賞のほか、エドガー賞、米国人文科学勲章、アメリカ文学界奉仕功労賞を受賞している米国でも有数のストーリーテラーの名手ジェイムズ・パタースン。その著者が、ポール・マッカートニーをはじめとする関係者への独占インタビューを盛り込み、ビートルズ結成60周年、解散50周年、ジョン・レノン射殺から40年の節目であった2020年12月、満を持して上梓したのが、ニューヨークタイムズベストセラーにもなった『The Last Days of John Lennon』でした。今回はその翻訳書『ジョン・レノン 最後の3日間』の中から、Chapter32・35・37・39から抜粋し、東洋経済オンライン限定の試し読みとして4日連続・計4回に分けてお届けします。
■一緒にいようよ――「レッツ・ステイ・トゥギャザー〈Let’s Stay Together〉」■ ビートルズは、『ハード・デイズ・ナイト』や『ヘルプ!』の撮影にも使われたトゥイッケナムのスタジオに戻った。英国での10枚目のアルバムとなる『レット・イット・ビー(Let It Be)』(当初タイトルは『ゲット・バック(Get Back)』になるはずだった)の制作過程を追った映画を作ることになったのだ。撮影監督には、『ローリング・ストーンズのロックンロール・サーカス(The Rolling Stones Rock and Roll Circus)』(この作品は結局お蔵入りとなり、1996年まで公開されなかった)の監督を務めたマイケル・リンゼイ=ホッグが選ばれた。この企画についてバリー・マイルズは、「あれもまた、ポールのアイディアだった」と説明している。タイトル・ソングの「レット・イット・ビー」は、10年前、1957年に亡くなった母マリーが、ポールの夢に出てきたことに着想を得て書かれた曲だった。
「僕たちは、またツアーに出るべきだと思うんだ」1968年のクリスマス前、ポールが言った。
「小さなバンドが、旅をしてクラブやなんかで演奏する。初心に戻って、そういう僕たち本来の在り方を思い出そうよ」ポールの言葉の背後には、ビートルズが初めて直面しつつある新たな問題があった。金銭的なプレッシャーだ。というのも、その年の10月、ビートルズは、財務状況の窮状を訴える専属会計士からの手紙を受け取っていた。そこには、1万ポンドの支出につき12万ポンドの収入がないと、莫大な額の税金を支払うことができないと記されていた。このころまでに、アップル社の経営は、深刻な悪循環に陥っていたのだった。
「もう、これで終わりだ」映画『レット・イット・ビー』のラストを飾るコンサートについて、リンゼイ=ホッグは、あるアイディアを膨らませていた。サハラ砂漠か、あるいは大型客船を舞台として、さまざまな文化の人々がともに集い、世界平和を祈るという、壮大な案だ。
「ビートルズが、日の出とともに演奏を始めるんだ」リンゼイ=ホッグは4人に説明した。
「そこに、1日かけて方々から人々が集まってくる、っていうのはどうだろう」
「ローマの円形劇場のレプリカを作って、そこに僕たちがライオンを何頭か率いて現われるっていうのはどうかな」と、ポールが提案した。
「リバプールに戻ろうよ」とリンゴが割って入る。
「キャバーン・クラブ〔ビートルズが初めてギグをした場所〕にさ」ジョンの案は、こうだった。
「僕は、アシュラム〔以前ビートルズが瞑想訓練で数カ月滞在したインドの僧院〕でやったらどうかと考えているんだけど」なんといっても、世界一のバンド、ビートルズの映画だ。見たこともないような、大胆なエンディングが必要だった。一方、ジョージにも考えがあった。
「もう、これで終わりだ」カメラが回る中、ピリピリしたムードで続けられていたリハーサルの7日目の昼食中、ふいにジョージが言った。
「クラブで会おう」ジョージはそのままスタジオから出ていき、14歳で加入したバンドを去ったのだった。ジョンは、これを聞いても落ち着いていた。
「月曜か火曜になってもジョージが戻らなかったら、エリック・クラプトンにギターを弾いてもらえばいいさ」とジョンは言い放った。それは、それほど突飛な案というわけでもなかった。9月の初め、『ホワイト・アルバム』の収録中に、ジョージはクラプトンを招いて「ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス(While My Guitar Gently Weeps)」を録音していたのだ。
「考えなきゃいけないのは、もしジョージが辞めたとして、それでもビートルズを続けたいのかってことだ。僕は、続けたい。だれかほかのメンバーを入れて、前に進むだけだ」と、ジョンは皆に告げた。
■「屋上でやったら素晴らしいんじゃないだろうか」■ジョージは
 1969(昭和44)年01月10日(金)にビートルズを脱退し、
 1969(昭和44)年01月15日(水)に戻ってきた。だが復帰後も、ツアーを再開するという案にジョージは断固として反対した。
 1969(昭和44)年01月29日(水)になっても、コンサートシーンの撮影場所は決まらないままだった。そしてついに、あるアイディアが降ってきた。ジョンはリンゴに意味ありげな顔をしてみせ、こう言った。
「屋上(ルーフトップ)でやったら素晴らしいんじゃないだろうか。ウェスト・エンド中に向けて演奏するんだ」ジョンはリンゼイ=ホッグに向かっていたずらっぽく微笑んだ。ロンドン市民を驚かせたゲリラ・ライブ計画は、こうして始まった。翌
 1969(昭和44)年01月30日(木)の午後1時、アップルの幹部たちは、サヴィル・ロー3番地の本社ビルの屋上に集まるようにという緊急通知を受け取った。現地ではすでに、仮設ステージを組み立てる大道具スタッフや、ケーブルの束を抱えたエンジニアたちがあたりを走り回っていた。ジョンたちは頭を寄せ合って、曲目をもう一度確認した。4人揃って人前で演奏するのは、じつに4年ぶりだ。ジョンは、緊張でおかしくなりそうだった。だがそれはポールたちも同じことだった。ジョンは、彼らの目にも緊張がありありと現われているのを見て取った。
「ステージに出たくない」と、ジョージがごね始める。「だいたい、なんのためにこんなことするんだ?」と、リンゴもぼやいた。こんなとき、ゴーサインを出すのは、やはりジョンの役目だった。
■オープニング・ナンバー「ゲット・バック」■ヨーコの毛皮のコートを羽織り、眼鏡を直すと、ジョンは楽屋から屋上へと続く階段を登り始めた。その日はテムズ川から強風が吹いていて、ヘリコプターからの空中撮影はできそうになかった。こうなると、メンバーのクローズアップのショットと、通りに集まる人々のショットをうまく?いでいくしかない。ジョンの手は、ギターの弦を押さえられないほど冷え切っていた。彼は用意されたギターをどうにか手に取り、ビリー・プレストンの見慣れた顔を見やった。ビリーは、1962年にビートルズがリトル・リチャードのバック・バンドとしてツアーをしたときに出会ったアメリカ人のR&Bキーボーディストで、電子ピアノでこのセッションに参加していた。ケン・マンスフィールドは、4本のタバコに火をつけた。吸うためではなく、ジョージの指先を温めるためだ。オープニング・ナンバーの演奏が始まった。「ゲット・バック」だ。通りすがりの人々がビルの前で歩みを止め、次々に上を見上げて、空を指し始める。
「その通り」とジョンは言ってやりたかった。ビートルズのフリー・コンサートだ。1966年のキャンドルスティック以来、初めてのライブが、たったいま、きみたちの頭上で始まったのさ。この様子を文字通り通行人の頭上から捉えていたのが、アメリカ人カメラマンのイーサン・ラッセルだった。ジョンから依頼を受けたラッセルは、屋上から隣のビルの壁によじ登るという危険を冒して、演奏するビートルズの姿を頭上から撮影することに成功した。ロンドンの街を背景にしたジョンとポール、ジョージ、リンゴ――世界で最も有名なロックローラーたち――の姿は、周りを取り囲むほかのすべての人々と同様に、小さく見えた。
「彼らも、普通の人間なんだ」シャッターを切るラッセルの心を、そんな思いがよぎった。
■ビートルズ、伝説のラストライブ■ビートルズはこの日、42分間にわたって5曲を披露した。
「ゲット・バック」は3バージョン、「ドント・レット・ミー・ダウン(Don?t Let Me Down)」と「アイヴ・ガット・ア・フィーリング(I?ve Got a Feeling)」は2回ずつ演奏したので、テイクは9回分だった。ロンドン警視庁からやってきた警官たちは、アップル本社のビルを取り囲み、スタッフにこう言い渡した。
「10分間やる」とはいえ巡査たちとて、もちろんビートルズのファンだ。約束の10分が過ぎても、すぐに演奏を止めることはしなかった。そしてついに、警察がビル内部に立ち入り、屋上に向かった。スタッフたちは念のため、大急ぎでトイレに駆け込んでドラッグを流した。警察が屋上に辿り着いたところで、コンサートは終了した。ジョンは、マイクに向かって語りかけた。
「バンドを代表して、お礼を言いたいと思います。オーディションに合格できたならいいんだけど」ポールとジョージ、リンゴは、これを聞いて微笑んだ。4人の胸にある想いは、同じだった。僕たちはいまでも、世界最高のロックンロール・バンドだ。このルーフトップ・コンサートがビートルズとして最後のライブになるかもしれない予感はあったか、と2019年のインタビューで聞かれたポールは、こう答えている。
「いいや、そんなふうには感じなかったよ。ほかのメンバーも同じじゃないかな。ただたんに、たくさんの曲を書いてリハーサルをした成果として、あそこで演奏しただけだった」だが終わりというものは、必ず訪れる。予感のあるなしにかかわらず。
◎最後の「Get back」の演奏中にアンプのプラグを抜かれてしまったときのジョンの苛立ち。ポールとリンゴだけで何事もなかったかのように演奏を続けた。その後、ジョージがプラグを差し込んだ。ギター演奏を再開した時のジョンのドヤ顔。そして、演奏後の例のジョーク。最高のドラマだった。何回でも観たい。ビートルズは、最後の最後まで奇跡だった。
◎結果的にセッションが失敗したのは、ポールの拙速さが原因だと思う。ライブショー開催や、その場所をどこにするのかすらメンバー全員の同意がないままにトゥイッケンナムスタジオに集まっちゃてる。これは致命的。事前にしっかり話し合っていれば、なんら問題はないようなものだけど意思疎通が出来ない状態になってたのではないかな。あとジョージは、クラプトンの演奏力を称賛しているシーンがあったけど、当時台頭してきたクリーム フー 、ザバンド等の演奏力に驚異を感じていたんじゃないかな?ジョージのギタープレイは、それ以前とはだいぶ変わってきているしね。
◎The whoのピートタウンゼントはアルバムを制作するにあたって スタジオでの「このだらけたグダグダな時間」がどうにも嫌で 自宅のスタジオで一人多重録音によるデモテープを必ず制作しメンバーに渡していた 効率性は仕事のカテゴリーで重要なポイントだ 正に「ゲットバック」を見て痛感する 化学反応を狙うにしても程がある 作品としては「よくぞ丹念に再編集してくれた」と賛辞を惜しまないが……
◎そうなんですね。布袋さんのboowy時代のインタビューで、「俺ピート・タウンゼントに近いかもしれない」って言ってた意味が分かりました。
◎集まってセッションしながら曲仕上げようとすると絶対ダレる。意見や方向性も交錯して煮詰まったり、しまいには収拾つかなくなったりする。よくなんとか最終的にまとめたよ。演奏力も抜群ですね。ポールがピアノ弾いてた時にベースが聴こえた気がしたが。ギターをオクターブ下げるイフェクターでも使ってたのか。ジョンのギターを弾く手がベースをやっているようにも見える場面があったような気がした。あのマイクはあの当時としては随分洗練されたデザインだなあ、なんて思いながら見てた。ケーブルが無くて細いポールの先にマイクが付いているだけ、ってやつ。
◎余り知られていないが・・・・前年の
 1968(昭和43)年12月07日(土)にジェファーソン・エアプレインがニューヨーク・マンハッタンのビルの屋上でライブをおこなっていたんだよな。逮捕されるのを危惧して1曲だけだったそうだが・・・・。最終的に「警官に羽交い締めにされて逮捕され、そのシーンを映画のラストに使いたかった…」とリンゴ・スターが語っている---。勿論ビートルズの方が迫力が有り中身も濃かったけどね。◎ルーフトップコンサートは昔見た事があります。近くのビルのお爺さん(オーナーか?)がパイプを咥えながらビルに設置されている梯子階段をゆっくり登ってコンサートを眺めているシーンが印象的でした。「おやおや、何が始まったんだい?」とばかりに。かなりの大音量だったと推測出来ますね。町中大騒ぎだった事でしょう。
◎「私たちがオーディションに合格できるといいのですが」これは7年前の
 1962(昭和37)年1月1日(月)にビートルズがデッカのオーディションを受けて落ちたことをジョンが根にもっていて発言したんだろうね。ビートルズをオーディションで落として一躍有名になったデッカレコードのA&R(アーティスト・アンド・レパートリー)部門の部長ディック・ロウはそれに凝りて
 1963(昭和38)年5月6日(月)、当時全く無名だったローリングストーンズとレコーディング契約をする。
◎その頃はクリームやジミヘンが台頭し、圧巻のライブ・パフォーマンスを繰り広げていた。ザ・フーも全盛期を迎え数々のライブで評判を得ていた。ビートルズのメンバーも当時のシーンには敏感でジョンはブルース・ロックに傾倒し、ジョージはクラプトンと交遊を温めていた。ビートルズは、このままレコーディングするだけのバンドとして存続するのが最善なのかメンバーは苦悩していたと思う。ライバルのストーンズも休止していたライブツアーの再開を迫られ、過度の薬物中毒に陥っていたブライアンを解雇し、新進気鋭のM・テイラーを迎え第二期黄金時代を幕開ける。
◎「Get Back」で分かるのは、撮影時にはメンバーが予定していたことをやらずに引き延ばしたり、やる気を失っていることだった。だれけた状態で撮影した映画などいい出来になるわけがない。いい出来の映画であれば、すぐにでも公開、上映されたはず。しかしそうではないので、50年後になって公開されたのではないかと思う。ファンとしては見る価値があるし、見てよかったと思う。解散直前のメンバーの状況を知ることが出来たのは、ファンとしては嬉しいこと。また、見なければ後悔するであろうことは間違いない。しかし、数年後にまた見てみたいと思うような映画ではないというのが正直な感想。年末に公開された『マッカートニー 3,2,1』の方がずっと良かった。
◎あの4人の状況で素晴らしいパフォーマンス、下積み時代からのライブバンド魂が伝わりました。あんなふうに演奏してみたい 20代
 https://news.yahoo.co.jp/articles/04647693078b0abe0ca22168672b11b3bcaeddab

 削除音源◆The Beatles - Get Back/Let It Be Recording Session, https://youtu.be/jPKgIdDRafs
‡January 2 1969 (Part #1)
 Twickenham Film Studios, London, January 2, 1969
 01. Dialogue & Slates [0:00]
 02. Don't Let Me Down [1:06]
 03. Tuning [1:40]
 04. All Things Must Pass [2:06]
 05. Tuning [2:34]
 06. Don't Let Me Down [3:02]
 07. Dig A Pony [7:19]
 08. "Everybody Got A Song" [10:24]
 09. Don't Let Me Down [11:10]
 10. Let It Down (Two Takes) [14:18]
 11. Improvisation [17:27]
 12. Brown-Eyed Handsome Man [18:21]
 13. I've Got A Feeling [20:09]
 14. A Case Of The Blues [21:29]
 15. Improvisation [22:38]
 16. Revolution [23:53]
 17. I Shall Be Released [24:01]
 18. Sun King [25:55]
 19. Sun King/Don't Let Me Down [28:15]
 20. Don't Let Me Down [33:15]
 21. "The Teacher Was A-Lookin" [36:49]
 22. Don't Let Me Down (Two Takes) [37:49]
 23. Sun King [38:37]
 24. Mailman, Bring Me No More Blues [39:05]
 25. I've Got A Feeling [39:26]
 26. Unknown Song [43:07]
 27. I've Got A Feeling (Five Takes) [43:16]
 28. Unknown Song [57:05]
 39. Speak To Me [1:00:51]
 30. I've Got A Feeling (Three Takes) [1:02:49]
 31. Mighty Quinn (Quinn The Eskimo) [1:08:33]
 32. I've Got A Feeling (Three Takes) [1:09:39]
 33. Dialogue [1:17:05]
 The darkest period of The Beatles' recording career was the Get Back enterprise ? the group's attempt to return to their roots, which saw them initially rehearse and record songs for a television special and live performance. Motivation was low within the group. Paul McCartney aside, there was little enthusiasm for a mooted live appearance. The group were still exhausted after the lengthy sessions for the White Album, and the presence of film cameras during the rehearsals created a further strain.
 This first day officially began at around 9.30am, however, with director Michael Lindsay-Hogg filming as Mal Evans and Kevin Harrington set up The Beatles' equipment onto stage one before the group began playing. The shots would eventually be used for the opening sequence of the Let It Be film. The Beatles spent much of their time working on three songs: Don't Let Me Down, I've Got A Feeling and Two Of Us. There are a couple of tracks that I had to remove due to copyright, particularly a version of "Child of Nature (Jealous Guy)" and a medley between Don't Let Me Down & Sun King. 
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 削除音源◆The Beatles - Get Back/Let It Be Sessions, https://youtu.be/Na_ZaM7Kuk4
‡January 2 1969 (Part #2)
 Twickenham Film Studios, London, January 2, 1969
 01. Dialogue & Slates [0:00]
 02. I've Got A Feeling [8:26]
 03. Tuning [9:56]
 04. Slate [10:26]
 05. I've Got A Feeling (Eight Takes) [10:32]
 06. Don't Let Me Down (Three Takes) [25:42]
 07. Improvisation [32:24]
 08. Unknown Song [33:47]
 09. Don't Let Me Down (Two Takes) [34:06]
 10. Well... All Right (Two Takes) [37:22]
 11. Unknown Song [39:40]
 12. All Things Must Pass [40:07]
 13. Two Of Us [41:31]
 14. "We're Goin Home" [48:53]
 15. Two Of Us (Seven Takes) [49:16]
 16. "It's Good To See The Folks Back Home" [1:03:58]
 17. Two Of Us [1:04:20]
 The darkest period of The Beatles' recording career was the Get Back enterprise ? the group's attempt to return to their roots, which saw them initially rehearse and record songs for a television special and live performance. Motivation was low within the group. Paul McCartney aside, there was little enthusiasm for a mooted live appearance. The group were still exhausted after the lengthy sessions for the White Album, and the presence of film cameras during the rehearsals created a further strain.
 This first day officially began at around 9.30am, however, with director Michael Lindsay-Hogg filming as Mal Evans and Kevin Harrington set up The Beatles' equipment onto stage one before the group began playing. The shots would eventually be used for the opening sequence of the Let It Be film. The Beatles spent much of their time working on three songs: Don't Let Me Down, I've Got A Feeling and Two Of Us. There are a couple of tracks that I had to remove due to copyright, such as various takes of Don't Let Me Down and Sun King.

 ┏━━━━━━━━━━━━━━━━┓
 ┃ 『THE KILLING OF JOHN LENNON』 ┃
 ┃  『ジョン・レノンを撃った男』  ┃
 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━┛
 2006(平成18)年07月15日(土) Edinburgh Film Festival
‡2008(平成20)年01月02日(水) United States
 映像◆『ジョン・レノンを撃った男』 予告編https://youtu.be/GnwUEpg62F4
 
****************************************
 https://en.wikipedia.org/wiki/The_Killing_of_John_Lennon
****************************************

 ┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
 ┃ 『GET BACK NAKED...ゲット・バック・ネイキッド』  ┃
 ┃  22DAYS THAT ROCK'N ROLLED THE BEATLES IN 1969 ┃
 ┃    1969年、ビートルズが揺れた22日間   ┃
 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
 2019(令和元)年05月08日(金) 青土社 著:藤本国彦 \2640(電子書籍)
 1969(昭和44)年、ビートルズが揺れた22日間の全貌!
‡1969(昭和44)年01月02日(木)、ビートルズの4人は、ロンドン郊外のトゥイッケナム・フィルム・スタジオに集まった。無精髯を生やしたポール・マッカートニー、スタジオを立ち去るジョージ・ハリスン。伝説のルーフトップ・コンサート。そして残された未発表音源――。ビートルズが揺れた22日間を追いかけて、現在入手可能なあらゆるブートレグ音源、記事、証言を徹底検証。幻のゲット・バック・セッションの全貌を再構築する。
 1969(昭和44)年01月03日(金) ポール・マッカートニー「やってることを楽しめるようになるための作業だ。またやり直すための。次に僕らがやりたいのは何だろう? 僕はライヴ・ショーがやりたい。君たちは?」
 1969(昭和44)年、原点に立ち返る思いでスタジオに入った4人。ビートルズが揺れた22日間を追いかけて、あらゆるブートレグ、資料、記事を徹底検証。そこで彼らは何を話し、バンドはどこへ向かっていたのか。幻のゲット・バック・セッションの全貌、そしてビートルズの終わりのはじまり
****************************************
 https://www.amazon.co.jp/dp/B087FZPY4W
 https://www.getback.tv/shopdetail/000000005383/
****************************************

名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最近の「日記」カテゴリーもっと見る