過去の今日の出来事etSETOraですヨ(=^◇^=)

過去の今日のTHE BEATLESだヨ(=^◇^=)


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 ┃『SGT PEPPER'S LONELY HEARTS CLUB BAND』┃
 ┃アルバム・カヴァーに登場しているのは誰?┃
 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛STORIES
 2020(令和二)年05月30日(土)『discovermusic.jp』Published
 ザ・ビートルズの『Sgt. Pepper’s Lonely Hearts Club Band』は、史上最高にアイコニックなアルバム・ジャケットの座をいまだ維持し続けている。ポール・マッカートニーの着想から、イギリスのポップ・アーティスト、ピーター・ブレイクと妻のジャン・ハワースによる最終デザインに至るまで、これは単なるアルバム・ジャケットの枠を超えている。当時を象徴する見事なモダン・アート作品なのだ。このアートワークは、当時としては画期的なデザインだった。また、制作費用が3,000ポンド(現在では5万ポンド以上に相当する)と破格で、当時のポップ・アルバムのジャケットでは最高額である。コンセプトは、ザ・ビートルズが「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」に扮して登場し、今ちょうどコンサートを終えたところで影響力の大きな人々の集団に囲まれている、というものだ。合計58人が、最終版のアートワークに登場している。ジャケットに登場した人々は、ジョン、ポール、ジョージ、ピーター・ブレイク、ジャン・ハワース、そしてロンドンの美術品商、ロバート・フレイザーが共同で作ったリストから選ばれた。イエス・キリストとアドルフ・ヒトラーは、掲載には不適切とされ、マハトマ・ガンジーやレオ・ゴーシーといった人々は、別の理由で削除された。また、エルヴィス・プレスリーの顔がないのも気になるが、これはポール・マッカートニーが後年語っているが、「あまりに重要で、雲の上の存在すぎて、口にするだけでも畏れ多い存在」だったからだという。最終ヴァージョンに残った人々は、文化人や重要人物、さらにはザ・ビートルズのメンバーが関心を持つ人々が並ぶ魅惑的な顔ぶれだ。「Sgt. Pepper’s Lonely Hearts Club Band」の歌詞のように、「皆さんも長年、このバンドのことは知っているだろう。それでは、『Sgt. Pepper’s Lonely Hearts Club Band』のジャケットに掲載されている残りの人々を皆さんに紹介しよう……」
 ┌─――――――――┐Second row <二行目>
22|  Tony Curtis  |『Wikipedia』
22|トニー・カーティス|『discovermusic.jp』
 └─――――――――┘ 魅力に溢れた多才多芸のトニー・カーティスは、ハリウッドのアイドルだった。1949年から2008年の間に、目もくらむような数の映画(100作品以上)に出演した。ジャック・レモン、マリリン・モンロー(No. 25)と共演した『お熱いのがお好き(原題:Some Like It Hot)』(1959年)での女装姿が忘れられないが、バート・ランカスターと共演した1957年のフィルム・ノワール『成功の甘い香り(The Sweet Smell Of Success)』で演じた早口のプレス・エージェント、シドニー・フィアスコ役も印象深い。
 1925(昭和)年06月03日(wed) Born
†2010(平成)年09月29日(wed) Died. 85 years old
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 https://sgtpepper.udiscovermusic.com/
†https://en.wikipedia.org/wiki/Tony_Curtis
 https://www.udiscovermusic.jp/stories/whos-who-on-the-sgt-peppers-album-cover
 https://www.udiscovermusic.com/stories/whos-who-on-the-beatles-sgt-peppers-lonely-hearts-club-band-album-cover/
 https://en.wikipedia.org/wiki/List_of_images_on_the_cover_of_Sgt._Pepper%27s_Lonely_Hearts_Club_Band
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 ┃『ジョン・レノン&オノ・ヨーコ プレイボーイ・インタヴュー 1980完全版』┃
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 2020(令和二)年12月08日(火) \2,970(本体 2,700+税)A5判 P.408
 著者:デイヴィッド・シェフ(著)、山川真理(訳)
 ジョンとヨーコの最重要インタヴュー、本邦初出の発言を含む新訳!音楽、社会、そしてジョン自身が決定版と語るビートルズの回想 ジョン・レノン生誕80年、没後40年の2020年、『DOUBLE FANTASY?John&Yoko』東京展も話題となる中、ジョンとヨーコの歴史的インタヴューが待望の新装発売!
‡1980(昭和55)年09月、3週間にわたって二人に徹底的に密着して行なわれたロング・インタヴューの全貌を、新たな訳でお届けする。アルバム「ダブル・ファンタジー」でシーンに復帰するに当たって、二人の出会いからジョンの主夫時代までを詳細に語り、ジョンがビートルズの曲作りやメンバーへの思いについて率直に明かす。ジョンがヨーコとともにそれまでの人生と作品を総括した自叙伝であると同時に、人類の未来に向けての展望を示したジョンの遺言でもある。日本では過去に2回(1981年と1990年)、書籍の形で刊行されたことがあるが、当時は割愛されていた貴重なやり取りと、著者による序文を加えた完全版が本書である。世の中が混迷を極める今だからこそ、「真のラヴ&ピース」に繋がるこのヴィジョンと哲学を、我々はどうしても必要としているのだ。
【CONTENTS】はじめに ジョンとヨーコ、あれから40年■プロローグ■第1部■第2部■第3部■エピローグ
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 https://www.shinko-music.co.jp/item/pid0649591
 http://www.beatlesinterviews.org/db1980.jlpb.beatles.html
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■『リア王』のラジオ音源■曲の中間ほどから聞こえる朗読は、シェイクスピア著の『リア王』(第4幕、シーン6)の219行目から222行目と249行目から262行目の部分である[16]。
‡1967(昭和42)年09月29日(金) [14]にレノンがAMラジオのダイヤルを回し、この日の午後7時30から午後11時にかけて[17]BBCラジオ3で放送された「リア王」を朗読する声を加えた[18]。
◎219行目から222行目より、曲に使用された節が以下の部分になる[16]。
  Gloucester: (2:35) Now, good sir, wh? (ここでレノンは一度別のチャンネルにダイヤルを回している)[16]
  Edgar: (2:38) ? poor man, made tame by fortune ? (2:44) good pity ?
◎曲のエンディング部分で、249行目から262行目が引用された[16][19]。
  Oswald: (3:52) Slave, thou hast slain me. Villain, take my purse.
  If ever thou wilt thrive, (4:02) bury my body,
  And give the (4:05) letters which thou find'st about me
  To (4:08) Edmund, Earl of Gloucester; (4:10) seek him out
  Upon the British party. O, (4:14) untimely Death!
  Edgar: (4:23) I know thee well: a (4:25) serviceable villain;
  As duteous to the (4:27) vices of thy mistress
  As badness would desire.
  Gloucester: What, is he dead?
  Edgar: (4:31) Sit you down father, rest you.
 なお、ラジオ放送は、マーク・ディグナム(英語版)(グロスター伯)、フィリップ・ガード(英語版)(エドガー)、ジョン・ブライニング(オズワルド)によって朗読された[20]。
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%A4%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%A0%E3%83%BB%E3%82%B6%E3%83%BB%E3%82%A6%E3%82%A9%E3%83%AB%E3%83%A9%E3%82%B9#%E3%80%8C%E3%83%AA%E3%82%A2%E7%8E%8B%E3%80%8D%E3%81%AE%E3%83%A9%E3%82%B8%E3%82%AA%E9%9F%B3%E6%BA%90
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 ┃   『The U.S. vs. JOHN LENNON』   ┃
 ┃ 『PEACE BED アメリカVSジョン・レノン』 ┃
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 2006(平成18)年08月31日(thu) Venice Film Festival
 2006(平成18)年09月15日(fri) LA released 先行ロードショー
 2006(平成18)年09月15日(fri) NY released 先行ロードショー
‡2006(平成18)年09月29日(fri) US released 全米公開
 2006(平成18)年12月08日(fri) UK released
 2007(平成19)年12月08日(mon) JP released
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 ┃   『The U.S. vs. JOHN LENNON』   ┃
 ┃ 『PEACE BED アメリカVSジョン・レノン』 ┃
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 2006(平成18)年09月25日(mon) UK released
 2006(平成18)年09月26日(tue) US released
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 https://en.wikipedia.org/wiki/The_U.S._vs._John_Lennon
 https://en.wikipedia.org/wiki/The_U.S._vs._John_Lennon_(soundtrack)
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 ┃ Mary McCartney ┃
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‡1909(明治42)年09月29日(wed) Born
 1956(昭和31)年10月31日(wed) Died
 亡き母メアリー・マッカートニー[注釈 2]が降りて来た際に述べた「あるがままを あるがままに(全てを)受け容れるのです」との囁きを元に書いたと言われている。ポールの母であるメアリー・パトリシア・モーヒン(1909年9月29日-1956年10月31日)は「子供達が大きくなるのを見たかったわ」と言い残し満47歳で死去している。[注釈 2]
 注釈2・・・^ Mother Maryを聖母マリアと解釈する人が多いがポール本人は「僕の母・メアリー=マッカートニー」とインタビューに回答。一方で「この曲を聴いた人が聖母マリアと解釈するのは当然だ。この曲で信仰心を高めてくれれば光栄。」とも語っている。なぜ当然かというと、新約聖書『ルカによる福音書』1章38節(受胎告知)のマリアの言葉成りますようにの箇所は、英語で let it be というためである。そこでマリアが言った、「わたしは主のはしためです。お言葉どおりこの身に成りますように」。そして御使は彼女から離れて行った。 
 注釈3・・・^ 美術史の若桑みどりは『レット・イット・ビー』(主婦の友社 1988年)において「この絶望的な時代を生きるすべての人に最悪の状況でも破滅せぬための“wisdom"をビートルズはくれた。どうしようもない状況を暴力的に変えようというのではない。さりとて、それに従えとか満足せよというのでもない。そういう状況の中でも自棄(やけ)を起こさず希望を捨てないというのである」と書いている。
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 https://beatlesdata.info/14/06_letitbe.html
 https://en.wikipedia.org/wiki/Let_It_Be_(song)
 https://en.wikipedia.org/wiki/Personal_relationships_of_Paul_McCartney#Jim_and_Mary_McCartney
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 ビートルズの♪Let It Be♪の和訳を教えてくださいませんか?
 http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13110744738

 ┏━━━━━━━━━━━━━━━━┓1967年、オスロ。
 ┃ 『Yesterday イエスタデイ』 ┃ビートルズに憧れる
 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━┛少年たちの青春ムービー!ほか全国順次公開
 2016(平成18)年10月01日(sat) 東京・新宿シネマカリティ 
 2017(平成29)年05月24日(wed) TSUTAYA先行(DVD)レンタル開始!!
 2017(平成29)年05月26日(fri) 札幌・シアターキノ 1日限定上映
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 ビートルズに憧れ、バンドを組んだ4人組。でも彼らの青春はいつも空回り…『イエスタデイ』
‡2016(平成18)年09月29日(thu) 23時19分配信 紀平照幸  映画ライター
 日本タイトルは『イエスタデイ』ですが、原題はなんと『BEATLES』というすごいもの(原作小説のタイトルだそうです)。1967年、ノルウェーのオスロを舞台に、ビートルズに憧れた少年たちの青春を描いた作品です。主人公のキム(ルイス・ウィリアムズ)はポール・マッカートニーそっくりと言われ、髪形を真似ている高校生。実際にもかなり若き日のポールの雰囲気を出していて、いい感じの個性の持ち主です。美声の持ち主であるジョン役のグンナー(オレ・ヨハン・ヨルゲンセン)、ジョージの真似をして内気なフリをしているセブ(ホーヴァール・シャクウィッツ)、リンゴ役のオラ(ハルヴォー・シュルツ)は楽隊のドラマーで、やや早く叩きすぎるきらいあり。こんな4人の高校生が、セブの船乗りの父親がいち早く買ってきてくれたビートルズのニューアルバム「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」を聴いた時から物語は始まります。この、あまりにも先鋭的なサウンドに魅せられた彼らは決意するのです。「ビートルズのようなバンドを組んで有名になろう。世界を手に入れるんだ!」しかし、先日日本公開された『シング・ストリート/未来へのうた』とは違い、バンドが猛練習の末にサクセスを手にする物語…ではありません。夏休みに入ると彼らはろくに練習もしないままあっけなくバラバラに過ごすことになってしまい、キムは映画館で出会った謎の少女ニーナ(エッマ・ウェーゲ)のことが気になって仕方がなくなるのです。この時、ニーナは幻のように現れ、キムに突然のキスをして去っていきます。“もう一度会いたい”と思っても、もう彼女は現れません…。そんなキムは新学期になると、転校してきた美少女セシリア(スサン・ブーシェ)のピンチを救ったことから彼女と急接近。友達以上恋人未満の微妙な関係にも胸を焦がすことになります。傍目で見てもまったく“イケてない”4人組。いちおう「スネイファス」というバンド名は付けますが、華麗な演奏を見せるのは想像の中でだけ。夢を語るばかりで一向に動き出そうとはしない、このグダグダしている感じが、なんとも“青春”なんですよね。特にキムがセシリアの前で見せる醜態とか、彼女と仲直りしようとしたところにニーナが突然現れてさあ大変という展開など、笑っちゃうような情けなさ。しかしそんな、空回りはしていても無邪気で純粋でいられた日々はいつしか終わりを告げます。4人は次々とつらい現実に直面していくのです。そして時代もまた、変わろうとしていました…。甘さの後にはほろ苦さもあり、痛みを知って少年たちは成長していく。それでもビートルズという同じ夢を見て過ごしたこのひと時は、彼らにとって生涯忘れられないものになったことでしょう。この映画、音楽をa-haのマグネ・フルホルメンが担当していますが、すごいことに本物のビートルズの演奏による楽曲を3曲も使用しているのです。実はビートルズの曲を映画で使用するのは権利的に非常に難しく、別人の歌や演奏によるカバーバージョンが流れることがほとんど。この作品の場合にはプロデューサーが何年もかけて交渉し、やっと実現したのだそうで、その熱意と努力には心から敬服したいと思います。(付記)日本映画でも『悪霊島』と『ノルウェイの森』でビートルズの曲が使われました。しかし前者は契約の関係で使用期限が決められていて、現行のDVDではビリー・プレストンやレオ・セイヤーによるカバー曲に差し替えられました。後者は、世界の村上春樹の原作ということでヨーコさんの特別な配慮があったらしいです。 
(付記2)でも実はいちばん印象に残った使われ方をしている曲はレナード・コーエンの「スザンヌ」だったりします…。 
(『イエスタデイ』は10月1日から公開) 
(C)2014 Storm Rosenberg. All rights reserved. Exclusively licensed to TAMT Co., Ltd. for Japan Distributed by MAXAM INC.
 紀平照幸 映画ライター ⇒ 愛知県出身。早稲田大学第一文学部卒業後、1984年に(株)近代映画社に入社、「スクリーン(現SCREEN)」編集部員に。2003年から07年まで同誌の編集長に就任。現在はフリーの映画ライターとして活動。映画周辺の雑学や裏話を収集するのが好き。映画雑誌「シネマスクエア」にて「紀平照幸のムービー・ジョッキー 白黒つけるぜ!」を連載中。
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 http://yesterday-movie.com/
 http://bylines.news.yahoo.co.jp/kihirateruyuki/20160929-00062716/
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 ┃ Blackpool Tower  ┃
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 1891(明治24)年09月25日(fri) A time capsule was buried, on 25 September 1891, beneath the foundation stone.[7] 
‡1891(明治24)年09月29日(tue) Two Lancashire architects, James Maxwell and Charles Tuke, designed the tower and oversaw the laying of its foundation stone[4] on 29 September 1891.
 1894(明治27)年05月14日(mon) The Tower finally opened on 14 May 1894, both men had died.
 1973(昭和48)年10月10日(wed) Designated 
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 https://en.wikipedia.org/wiki/Blackpool_Tower
 https://www.beatlesbible.com/1965/08/01/television-blackpool-night-out-2/
 http://www.teenagedream-record-3rd.net/?pid=27128501
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 1982(昭和57)年12月には、ビートルズのクリスマスメッセージの合法的リリースを構成すると主張している2枚のアルバムが米国市場に登場しました。 1963?1966年のレコーディングを収録したその1つは、Desert Vibrations Heritage Series(HSRD-SP1)というラベルのChristmas Reflectionsと呼ばれていました。もう一つは、1967年から1969年の録音で、ハッピー・ミカエルマスと呼ばれ、アディロンダック・グループ(AG-8146)と呼ばれるレーベルにあった[41]。起業家は、
 1983(昭和58)年09月29日(木)、ジョン、ポール、ジョージ、リンゴと呼ぶ予定の1つのレコードで7つのメッセージをすべて発行すると発表した。ビートルズの代表者はすぐに著作権や商標違反を主張し、裁判所で勝訴した[42]。その結果、1983年のアルバムはリリースされず、1982年の2枚のLPが取り下げられました。
 https://en.wikipedia.org/wiki/The_Beatles%27_Christmas_records#Bootlegs
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 ┃ ビートルズ詳解 The Beatles’Corpus ┃
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①1960(昭和35)年09月29日(木) ライヴ演奏:インドラ・クラブ/ハンブルグ (44日目)
②1961(昭和36)年09月29日(金) ライヴ演奏1:キャバーン・クラブ (昼) /リヴァプール
③1961(昭和36)年09月29日(金) ライヴ演奏2:ノッティ・アッシュ・ヴィレッジ・ホール/リヴァプール
④1962(昭和37)年09月29日(土) ライヴ演奏:オアシス・クラブ/マンチェスター
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①1960(昭和35)年09月29日(木) ライヴ演奏:インドラ・クラブ/ハンブルグ (44日目)
 平日の夜は、
 08:00pm~09:30pm
 10:00pm~11:00pm
 11:30pm~00:30am
 01:00am~02:00am 以上、4時間半の演奏良好だヨ(=^◇^=)
③1961(昭和36)年09月29日(金) ライヴ演奏2:ノッティ・アッシュ・ヴィレッジ・ホール/リヴァプール
 ビートルズはノッティ・アッシュ・ヴィレッジ・ホールに、8回出演しているヨ(=^◇^=)
‡1961(昭和36)年09月15日 22日 29日
 1961(昭和36)年10月20日 27日
 1961(昭和36)年11月10日 17日
 1962(昭和37)年03月17日
④1962(昭和37)年09月29日(土) ライヴ演奏:オアシス・クラブ/マンチェスター
 ビートルズはオアシス・クラブに4回出演しているヨ(=^◇^=)
 1962(昭和37)年02月02日
‡1962(昭和37)年09月29日
 1962(昭和37)年12月08日
 1963(昭和38)年02月22日
⑪1962(昭和37)年9月下旬に撮影されたと思しき写真集 (1)
  場所:ピーター・ケイ・スタジオ (Peter Kaye Studio)
 撮影者:レス・チャドウィック (Les Chadwick)
 この日ビートルズがケイのスタジオに着くと、ケイは屋外撮影の背景を探しにリヴァプール巡回に出かけていたのでチャドウィックがビートルズの写真を撮ることになった。このセッションは3時間に及び、ビートルズが過去経験した中では最長だった。その結果、チャドウィックがうろたえたことには、彼らは退屈して集中力が途切れてしまった。ケイが戻って来て「どうだった?」と聞くと「見込み無しだ」とチャドウィックは答えた。惨憺たる撮影とみなされてはいるものの、何枚かの写真はは1963年を通して使われている。しかしケイは満足できなかった。数日後に、ケイが探して来た場所での屋外撮影がスケジュールに組み込まれる。
⑫1962(昭和37)年9月下旬に撮影されたと思しき写真集 (2)
  場所:リヴァプール埠頭周辺の倉庫
 撮影者:レス・チャドウィック (Les Chadwick)
 次なるピーター・ケイとの撮影セッションは、リヴァプール埠頭周辺での屋外撮影であった。日付については「しぐれもようの水曜日」ということしか判っていない。
⑬1962(昭和37)年9月下旬に撮影されたと思しき写真集 (3)
  場所:ドック通りにある「The Bally」と呼ばれる場所
 撮影者:ピーター・ケイ (Peter Kaye)
 次なるピーター・ケイとの撮影セッションは、リヴァプール埠頭周辺での屋外撮影であった。日付については「しぐれもようの水曜日」ということしか判っていない。
⑭1962(昭和37)年9月下旬に撮影されたと思しき写真集 (4)
  場所:アルバート埠頭 (Albert Dock) に停泊する「Salvor号」
 撮影者:レス・チャドウィック (Les Chadwick)
 次なるピーター・ケイとの撮影セッションは、リヴァプール埠頭周辺での屋外撮影であった。日付については「しぐれもようの水曜日」ということしか判っていない。
⑮1962(昭和37)年9月下旬に撮影されたと思しき写真集 (5)
  場所:アルバート埠頭 ⇒ 背景はロイアル・リヴァー・ビル (Royal Liver Building)  
 撮影者:レス・チャドウィック (Les Chadwick)
 次なるピーター・ケイとの撮影セッションは、リヴァプール埠頭周辺での屋外撮影であった。日付については「しぐれもようの水曜日」ということしか判っていない。
⑯1962(昭和37)年9月下旬から10月上旬に撮影されたと思しき写真集
  場所:マッカートニー宅 ⇒ リヴァプール・フォースリン通り (Forthlin Road, Liverpool) 
 撮影者:マイク・マッカートニー (Mike McCartney)
 マッカートニー家でのスナップ。いくつかの報告によれば、ジョンとポールはこの時ここで『I Saw Her Standing There』の作曲に取り組んでいた。
 写真◆ポール、父のジム、弟のマイク
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 ①https://gejirin.com/beatles/history/1960/19600817_live_indra1.html
  https://gejirin.com/beatles/history/1960/19600818_live_indra2.html
 ②https://gejirin.com/beatles/history/1961/0history_index-1961.html
 ③https://gejirin.com/beatles/history/1962/19620317_knotty_ash.html
 ④https://gejirin.com/beatles/history/1962/0history_index-1962.html
 ⑪https://gejirin.com/beatles/history/1962/196209XX_photos_1.html
 ⑫https://gejirin.com/beatles/history/1962/196209XX_photos_2.html
 ⑬https://gejirin.com/beatles/history/1962/196209XX_photos_3.html
 ⑭https://gejirin.com/beatles/history/1962/196209XX_photos_4.html
 ⑮https://gejirin.com/beatles/history/1962/196209XX_photos_5.html
 ⑯https://gejirin.com/beatles/history/1962/196209XX_photos_6.html
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 ┃ THE BEATLES HISTORY ┃|September 29|272
 ┃    ザ・ビートルズの今日の出来事   ┃| 9月29日 |
 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛└─―――――┘
********** http://www.thebeatles.co.jp/contents/index2.htm
 http://www.beatlelinks.net/forums/showthread.php?t=17140
 http://beatlesdiary.web.fc2.com/day/009/0929.html
 http://www.beatlesagain.com/bhistory.html
 楽曲資料https://beatlesdata.info/
 歌詞充実http://tsugu.cside.com/index.html
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①┃ THE BEATLES of 1963  ┃(tue)05 February
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‡(wed)29 September 2004; auctioned by Christies. Autographed menu from Punch's Hotel, where The Beatles stayed in Doncaster
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②┃ THE BEATLES of 1963  ┃(fri)17 May
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 "A rare concert flyer Britain's Greatest Recording and T.V. Stars, The Beatles..., Grosvenor Rooms, Norwich, Friday, 17th May, 1963, signed on the verso in blue ink by John Lennon, George Harrison and Paul McCartney and in blue ballpoint pen by Ringo Starr -- 8x5in. (20.3x12.6cm.)"
‡Source: Christie's, (wed)29 September 2004
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 ①http://www.multiplusbooks.com/630205.html
 ②http://www.multiplusbooks.com/630517.html
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 ┃    『THE BEATLES Interviews Database』    ┃
⑤┃ 163 Beatles interviews & press conferences ┃
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‡1980(昭和55)年9月29日(月)
‡No.158(1) 1980-09-29(mon) Lennon / Newsweek Interview (1 photo) John Lennon talks with Barbara Graustark in his last precious months. 
 Lennon Interview: Newsweek, 9/29/1980
①②③④━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
‡1980(昭和55)年9月
‡No.159(2) 1980-09-00(???) Lennon / Playboy (3 photos) Interviewed in September, this issue was on newsstands the night of John's death. Includes Lennon on the Beatles, song-by-song. 
 1981/1 Playboy Interview with John Lennon and Yoko Ono: Published in January 1981 issue
‡1980/9 Interviewed by David Sheff, September 1980 Article ゥ1981 Playboy Press
 ①John Lennon Interview: Playboy 1980 (Page 1)
 ②John Lennon Interview: Playboy 1980 (Page 2)
 ③John Lennon Interview: Playboy 1980 (Page 3)
 ④John Lennon Interview: Playboy 1980 (Introduction)
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 ⑤http://www.beatlesinterviews.org/db1980.0929.beatles.html
 ①http://www.beatlesinterviews.org/db1980.jlpb.beatles.html
 ②http://www.beatlesinterviews.org/dbjypb.int2.html
 ③http://www.beatlesinterviews.org/dbjypb.int3.html
 ④http://www.beatlesinterviews.org/dbjypb.int4.html
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 ┃ THE BEATLES TV Appearance Photos Quick-Reference Guide 1962-1970 ┃
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‡(fri)29 Sept 1967『The Frost Programme interview』
 (wed)04  Oct 1967『The Frost Programme interview』
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 http://www.beatlesource.com/TV/index.html
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  ┛THE BEATLES 1964 Recording Sessions ┛Studio 2
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 ┃ ♪Every Little Thing♪ ┃takes 1-4
 ┗━━━━━━━━━━━━━┛No.1 アビイ・ロード第2スタジオにて。まずは4テイク録音されたが、完成には至らず。
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 ┃ ♪I Don't Want to Spoil the Party♪  ┃takes 1-7
 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛■この日のみ■アビイ・ロード第2スタジオ。 全部で19テイクもの録音が繰り返されたが、完全バージョンはその内の5テイクのみである。最終的に第19テイクが選ばれて収録された。ベーシックトラックがどのテイクだったかは不明である。

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  ┛THE BEATLES 1964 Recording Sessions ┛Studio 2
 ┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛7:00-10:45pm
 ┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
 ┃ ♪I Don't Want to Spoil the Party♪  ┃takes 8-19
 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛■この日のみ■
 ┏━━━━━━━━━━━━━┓
 ┃ ♪What You're Doing♪  ┃takes 1-7
 ┗━━━━━━━━━━━━━┛No.1 アビイ・ロード第2スタジオ。この日は7テイクまで録音したが、完成に至らず。
  Producer: George Martin
  Engineer: Norman Smith
  2nd Engineer: Ken Scott/Mike Stone
 ‡1964(昭和39)年9月29日(tue) 
***************************************************
 https://beatlesdata.info/4/11_everylittlething.html
 https://en.wikipedia.org/wiki/Every_Little_Thing_(Beatles_song)
 https://beatlesdata.info/4/12_idontwanttospoiltheparty.html
 https://en.wikipedia.org/wiki/I_Don%27t_Want_to_Spoil_the_Party
 https://beatlesdata.info/4/13_whatyouredoing.html
 https://en.wikipedia.org/wiki/What_You%27re_Doing
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     ┛THE BEATLES 1967 Mono mixing ┛Studio 2
     ┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛7:00pm-5:00am
 ┏━━━━━━━━━━━━┓
①┃ ♪I Am The Walrus♪  ┃remixes 6-22, from take 17
 ┗━━━━━━━━━━━━┛No.5 ■レコラス(ト)?■第17テイクからモノラルリミックスを17通り作るセッションをジョンの立ち会いの下に行う。この内、完全に出来たのは2テイクだった。その内の一つであるリミックス10を前半に、後半のリミックス22はその場で流れているラジオをミックスしたバージョン。その時ちょうど、BBCではシェイクスピアの『リア王の悲劇』が行われていた。このリミックス22はモノラルマスターにそのままラジオを重ねてしまったために、この部分からはモノラルになってしまう。(ステレオ盤は疑似ステレオ)
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 ┃ 『The Tragedy Of King Lear(リア王の悲劇)』 ┃BBC Third Program
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  The BBC live broadcast is included in ♪I Am The Walrus♪. 
  The re-make of ♪Your Mother Should Know♪ is ignored, and work returns to the original Chappell version.
 ‡1967(昭和42)年9月29日(fri) 7:30pm. Start of broadcast

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       ┛THE BEATLES 1967 Editing ┛Studio 2
       ┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛7:00pm-5:00am
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①┃ ♪I Am The Walrus♪  ┃of mono remixes 10, 22,
 ┗━━━━━━━━━━━━┛ called remix mono 23

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  ┛THE BEATLES 1967 Recording Sessions ┛Studio 2
 ┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛7:00pm-5:00am
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②┃ ♪Your Mother Should Know♪  ┃tape reduction take 9 into takes 50-52, 
 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━┛         overdub onto take 52

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     ┛THE BEATLES 1967 Mono mixing ┛Studio 2
     ┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛7:00pm-5:00am
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②┃ ♪Your Mother Should Know♪  ┃remix 20, from take 52
 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━┛No.3 ■レコラス(ト)?■アビイ・ロード第3スタジオ。結局ポールは9月16日のリメイクを破棄する事に決定し、8月22日のチャペルでのバージョン(第9テイク)を新たにリダクションミックスを3回行った(これに第50~52テイクという大げさな数字がついた)この第52テイクにポールのベース、そしてジョンのオルガンをオーバーダブしてこの曲は完成した(コーラスなどがいつ録音されたかは不明)
  Producer: George Martin
  Engineer: Geoff Emerick
  2nd Engineer: Graham Kirkby
 ‡1967(昭和42)年9月29日(fri)
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 ①https://beatlesdata.info/9/06_iamthewalrus.html
 ①https://en.wikipedia.org/wiki/I_Am_the_Walrus
 ②https://beatlesdata.info/9/05_yourmothershouldknow.html
 ②https://en.wikipedia.org/wiki/Your_Mother_Should_Know
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 新婚カップルの横を自転車で通りかかったのは……マッカートニーさん
 2018(平成30)年10月2日(tue)
 Laurie Dixon and Tamara Large of Madix Photograph
 カナダ中部ウィニペグの新婚カップルが記念撮影中、自転車で通りかかった人が誰かと思えば……サー・ポール・マッカートニーだった。
 コンサート・ツアーでマニトバ州ウィニペグを訪れていたマッカートニーさんは
‡2018(平成30)年9月29日(土)、川沿いで自転車に乗っていた最中に、結婚式を目前に控えたカップルの横を通過した。新郎のスティーブ・グレッグさんが真っ先に気づき、2人を撮影していたカメラマンがすかさず、マッカートニーさんを写真に収めた。
「おめでとうと声をかけてくれて、通り過ぎていきました。スティーブが『今の、ポール・マッカートニーだよ』と言ったのはその後で」と、花嫁のジェン・ロスコーさんはカナダCBCニュースに話した。
 マッカートニーさんとボディガード2人はいったん通り過ぎたが、川沿いの自転車専用路が行き止まりだったため、同じ道を逆戻りして、新婚カップルの横を再び通過することになった。
 グレッグさんはその機をとらえ、思い切って一緒に記念撮影をしてくれないかと頼んでみた。
「あっという間でした。握手してくれて、おめでとうと言って、手早く写真を何枚か撮って、すぐまた走り出した」とグレッグさんはCBCに話した。
 新婚カップルは、自分たちはファンはファンでもビートルズ・マニアとは言いがたいと話し、世界的スターとの一瞬の出会いも、それなりのこととして受け止めている。
「素晴らしいことが目白押しの1日で、そのなかの素敵な出来事のひとつでした」とグレッグさんは話した。
「でももちろん、昨日の自分にとって最高の出来事は、もっと別にありました」
(英語記事 Sir Paul McCartney photo-bombs newlyweds in Winnipeg)
 https://www.bbc.com/japanese/45715019

 ビートルズとマネージャーの唯一の契約書、6600万円で落札 
 2015(平成27)年09月30日(水)
 写真◆1963年にグラナダ・テレビに出演したビートルズ 
 ビートルズの4人が1962年に、マネージャーとなるブライアン・エプスタインと交わした契約書が29日、英サザビーズで競売に出品され、36万5000ポンド(約6600万円)で落札された。ビートルズとブライアン・エプスタインが交わしたマネージメント契約はこれが唯一で、ビートルズの出発点としてポピュラー音楽史上きわめて重要な文書のひとつといわれる。英リバプールのレコード店主だったブライアン・エプスタインは、リバプールのライブハウス「キャバーン・クラブ」で人気を得ていたビートルズを発見し、ロンドンでEMI傘下パーロフォンとのレコーディング契約を実現させた。2008年にロンドンで競売された際には24万ポンドで落札され、今回は最高50万ポンドの値がつくかと予想されていた。
 写真◆ジョン、ポール、ジョージ、リンゴの4人がブライアン・エプスタインと交わした唯一の契約書 
 マネージメント契約はリバプール中心部のホワイトチャペルにあったエプスタインさんのオフィスで
 1962(昭和37)年10月01日(月)に交わされた。エプスタインさんの秘書ベリル・アダムズさんが立会人となった。サザビーズの
‡2015(平成27)年09月29日(火)の競売ではほかに、ジョン・レノンがリバプールのクォリーバンク高校で問題行動の罰として29回居残りをさせられたことが分かる記録帳が、2500ポンド(45万円)で落札された。エリック・クラプトンの水色のギター「フェンダー・ストラトカスター」は4万5000ポンド(約810万円)で、クラプトンと「クリーム」で一緒だったベーシスト、ジャック・ブルースの楽器や衣装なども落札された。スウェーデンのアバが1973年~1977年にかけてレコーディングに使ったグランドピアノも出品されたが、落札されなかった。
 https://www.bbc.com/japanese/features-and-analysis-34398363

エンタな話題
小倉智昭が見た ポール・マッカートニーの素顔 
小倉智昭のザ・ビートルズとっておき(4)
2016/9/29
大のポールびいきだ。「ポールは完璧主義でさ、ステージの動き方もしゃべることも全部決まってるんだよ」(東京・六本木のライブハウス「アビーロード」) 
1970年、ポール・マッカートニーがザ・ビートルズからの「脱退宣言」をして、ビートルズは事実上解散する。解散後、ポールは個人として5度来日してツアーを敢行、その日本公演すべてにキャスター、小倉智昭さん(69)は足を運んでいる。学生時代にベースをやっていたのもポールに憧れたから。そして2013年11月、ついにポールの単独インタビューのチャンスをつかむ。「頭の中が真っ白になった」ほど緊張した小倉さんに対し、ポールは意外な一面を見せた。(聞き手は企業報道部次長 松本和佳)
――ビートルズは66年の来日公演が最初で最後となりました。
「それっきりよ。翌年にはもう公演をやらなくなって、すぐ解散しちゃった。さすがにショックでした。後でポールに曲作りについて聞いたのだけど、ビートルズは4人が集まって、『ね、ジョン、この曲どう思う』『いいね』なんて言いながら演奏してテープに録音して、曲ができちゃうんだって。その才能たるやすごい。だけど、得るものを得て、好きなことができるようになり、嗜好性が違っていって、女性問題も出てきたら当然、うまくいかなくなるよね」
「解散の理由はポールとジョンの仲が悪かった、ということが一番大きいでしょう。有名なグループが必ず通る道です。シカゴだとかローリング・ストーンズだとか何十年も続けているバンドはあっても、途中でメンバーが入れ替わっています。初期の生え抜きのまま40年、50年とやっている有名バンドはそうないでしょう」
――ポールの魅力はどこにあるのですか。
「ポールの魅力か……。当たり前だけど、作詞作曲の能力でしょうね。歌はなんていうのかなあ、哀愁がある。ハートがあるのよ。『僕は譜面は読めないよ』とかいいながらもピアノは弾く、ギターは弾く、オルガンだって何でもやるんだから。すばらしい才能だと思います。僕はポールが大好きだから公演は見逃さないよ。東京公演を4回やるなら全部チケットを買いますね。貴重ですもん。まあ、これで最後、と言われながら何度も来るんですけど(笑)」
「全日程に行くからいろんなことがわかる。たとえばポールは毎日、ステージの動き方もしゃべることも全部一緒。アドリブもありません。完璧にシナリオがあるようです。『日本が好き。日本にきて歌うのはハッピーになれる』とか、曲の合間にしゃべることも毎回同じ。完璧主義者なのかな」
――初のインタビューではどんな印象を受けましたか。
「13年11月の日本ツアーのときにフジテレビの『とくダネ!』で単独インタビューが許されました(詳細は動画参照)。大阪公演の前に時間をとってくれるって。すごくラッキーなことにリハーサルにもそっと入れてもらえることになり、ライブではやらない4~5曲を楽しそうに演奏しているポールを間近で見ました。ああ、これ、ライブで見たいな、と思ったよね。練習が終わった後がインタビューの時間でした」
「やる前から舞い上がってしまって。だって、インタビューが始まる前にプロデューサーが、『ポールが座るのはどこだ』『違うな。ソファの向きを少し変えて』などとダメ出しをする。『顔が左から撮れるアングルがいい』『そのライティングは明るいから、少し落として』とか、セッティングにうるさくて。やっとOKが出てポールを呼びに行ったのは一時間ほどたってから。何から聞いていいか困っちゃってさ。思わず『ほんとにもう大好きなんです』と言っちゃった」
――突っ込んだ質問ができましたか。
「勢いで、80年に成田空港で大麻の不法所持で逮捕されて入国できず公演が中止になったとき、『東京公演のチケットを全部持っていたんだよ』と言うと、『君は本当に僕のファンなんだね』だって。ジョンに対しては、『彼はいい曲を作るし、いいやつだったよ』と話すんだけど、もう熱い気持ちを持っていないんだなと感じましたね」
――インタビュー時の秘蔵写真をお持ちです。
「(ポールと小倉さんが並んで映っている写真をiPadで見せながら)すごいツーショットでしょ。僕が、『ベースを弾くんだよ』って言ったら、『じゃあ君もベースを弾く格好しなよ』と、2人でベースを弾いているポーズをして、ポールのカメラマンが写真を撮ってくれたの。後でメールで画像を送ってくれたのですが、しっかりクレジットの(C)が入っていましたよ(笑)。だから公開はできないです。ごめんなさい。ビートルズは世界一、著作権管理が厳しいからね。この写真は宝物です」
――昨年4月、ポールは49年ぶりに日本武道館でライブをしました。
「いい音楽はいい。昔も今も聞かれるし、世代を超えるんだよ」。音楽には力があると信じている
「日本武道館と東京ドームであり、東京公演は4回全部見ました。東京ドームでは大画面を使ってショーアップして、演奏した曲も多かったんだけど、追加公演となった日本武道館はキャパシテーに限りがあって、そうした演出が難しく、曲も少なかった。でも、満足度では断然、日本武道館でした。ポールのノリも音もはるかに良かった。公演を聞けてよかったなあ、と涙が出ました。今でもみんながポールの公演に行きたがるのがすごい。僕だってまた来日したら、チケットが高くても必ず行きます」
「ロックでもジャズでもフュージョンでも、日本人ミュージシャンがどんどんうまくなっています。バンドをやっていた僕は、もはや、昔とったきねづか、なんて言えませんよ。でも、若い人は音楽をあまり聞き込んでいない気がする。音楽はいいよね。音楽がもう一度、力を持ってほしいな」
おぐら・ともあき 1947年秋田生まれ。独協大仏語学科卒、71年日本科学技術振興財団テレビ事業本部(現テレビ東京)入社。77年にフリーとなり「世界まるごとHOWマッチ」のナレーションが話題に。現「とくダネ!」(フジテレビ)キャスター。
ザ・ビートルズ(ジョン・レノン、ポール・マッカートニー、ジョージ・ハリスン、リンゴ・スター)来日公演 1966年6月30日~7月2日、日本武道館(東京・千代田)で昼夜5回にわたって開かれ、約5万人の観客が詰めかけた。武道館初のロック・コンサートとなる。世界ツアーはドイツから始まり日本は2番目。日本公演の後はフィリピンへ向かった。
「小倉智昭のザ・ビートルズとっておき」は9月26日(月)から29日(木)まで4回シリーズで公開しました。(おわり)
https://style.nikkei.com/article/DGXMZO07483260R20C16A9000000/

国際 ステレオ レコード コンサート 
2009/9/29(火) 午後 6:54
かつて、名古屋市中区で行われていた国際ステレオレコードコンサートのプログラムの載ったパンフレットが、3部だけ手に入りましたので、掲載します。
コンサートにはLeakのアンプが使用され、その音の良さから、名古屋に多くのリークファンがいまだに存在する原因を作ったコンサートです。
このコンサートは、世界中の多くの音楽家に知れ渡り、感動と賞賛をもって受け入れられていたようです。
写真のように、フルトベングラーやブルーノワルターから送られた手紙も紹介されています。
コンサートを40年以上にわたって運営されたかたがたの苦労を考えると、人間の行動は自らの利益のためにだけするとは限らないことがよく分かります。
http://blogs.yahoo.co.jp/gakuyujp/60390962.html

 ┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
 ┃       LET IT BE       ┃
 ┃ A CELEBRATION OF THE MUSIC OF THE BEATLES┃
 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
 2019(令和元)年09月27日(金) 19:00開演 東京・新宿文化センター 大ホール ※東京1会場 回目
 2019(令和元)年09月28日(土) 12:00開演 東京・新宿文化センター 大ホール ※東京1会場 回目
 2019(令和元)年09月28日(土) 17:00開演 東京・新宿文化センター 大ホール ※東京1会場 回目
‡2019(令和元)年09月29日(日) 12:00開演 東京・新宿文化センター 大ホール ※東京1会場 回目
‡2019(令和元)年09月29日(日) 17:00開演 東京・新宿文化センター 大ホール ※東京1会場 回目
 2019(令和元)年10月01日(火) 16:00開演 静岡市民文化会館 中ホール
 2019(令和元)年10月02日(水) 16:00開演 名古屋市公会堂
 2019(令和元)年10月03日(木) 16:00開演 大阪・オリックス劇場
 2019(令和元)年10月04日(金) 16:00開演 岡山市民会館 大ホール
 2019(令和元)年10月05日(土) 15:30開演 東広島芸術文化ホールくらら 大ホール
 2019(令和元)年10月06日(日) 15:30開演 山口県立劇場 ルネッサながと
 2019(令和元)年10月08日(火) 16:00開演 群馬ベイシア文化ホール 大ホール
 2019(令和元)年10月09日(水) 16:30開演 栃木・宇都宮市文化会館 大ホール
 2019(令和元)年10月10日(木) 16:00開演 東京・かつしかシンフォニーヒルズ ※東京2会場 回目
 2019(令和元)年10月11日(金) 19:00開演 東京・町田市民ホール ※東京3会場 回目
 2019(令和元)年10月12日(土) 12:00開演 東京・町田市民ホール ※東京3会場 回目
 2019(令和元)年10月12日(土) 17:00開演 東京・町田市民ホール ※東京3会場 回目
 2019(令和元)年10月13日(日) 15:30開演 神奈川・海老名市文化会館 大ホール
 2019(令和元)年10月14日(月) 15:30開演 東京・立川たましんRISURUホール 大ホール ※体育の日 ※東京4会場 回目 日本最終公演
 第一幕
 ☆Ed Sullivan
 ・I Saw Her Standing There
 ・She Loves You
 ・I Want To Hold Your Hand
 ・All My Loving
 ・Yesterday
 ☆BUDOKAN
 ・Help!
 ・She's A Woman
 ・Paperback Writer
 ・I Feel Fine
 ・If I Need Someone
 ・Twist & Shout
 ・Day Tripper
 ☆Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band
 ・Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band
 ・With A Little Help From My Friends
 ・Penny Lane
 ・Strawberry Fields Forever
 ・When I'm Sixty Four
 ・Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band (Reprise)
 ・A Day in the Life
 ☆Abbey Road
 ・Come Together
 ・Get Back
 ・Revolution
 ・The End
 第二幕
 ☆Reunion
 ・Because
 ・Got to Get You into My Life
 ・What Is Life
 ・Starting Over
 ・It Don't Come Easy
 ・Band on the Run
 ・Watching The Wheels
 ・My Sweet Lord
 ・Blackbird
 ・Here Comes the Sun
 ・Imagine
 ・Slow Down
 ・Long Tall Sally
 ・Live and Let Die
 ・While My Guitar Gently Weeps
 ・Back in the U.S.S.R.
 ・Let It Be
 ・Hey Jude
 ※セットリストは予告なく変更される場合がございますので、予めご了承ください。
 https://www.letitbe-japan.com/
 https://rockinon.com/news/detail/186557

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