過去の今日の出来事etSETOraですヨ(=^◇^=)

過去の浜省さんとetSETOraだヨ(=^◇^=)


 No.⑥ 路地裏の少年 1988.8.20 渚園http://video.fc2.com/content/201103316AuXX63r
    アニメ◆動画:No.⑤ 路地裏の少年 1988.8.20 渚園
 ダイジェスト◆動画:No.⑤ 路地裏の少年 1988.8.20 渚園
    静止画◆動画:No.⑤ 路地裏の少年 1988.8.20 渚園
 映像◆HELLO ROCK&ROLL CITY 浜田省吾http://video.fc2.com/content/201103270nMVdUxP
    アニメ◆動画:HELLO ROCK&ROLL CITY 浜田省吾
 ダイジェスト◆動画:HELLO ROCK&ROLL CITY 浜田省吾
    静止画◆動画:HELLO ROCK&ROLL CITY 浜田省吾
 浜田省吾 - 丘の上の愛
    アニメ◆動画:浜田省吾 - 丘の上の愛
 ダイジェスト◆動画:浜田省吾 - 丘の上の愛
    静止画◆動画:浜田省吾 - 丘の上の愛
 映像◆浜田省吾『路地裏の少年 (ON THE ROAD "FILMS")』https://youtu.be/yeFEzyYoq0A
 2012(平成24)年09月28日(金) YouTube公開
 2019(令和元)年05月21日(金) 10,161,086回視聴
 
 映像◆浜田省吾『MONEY (ON THE ROAD "FILMS")』https://youtu.be/AAUtTn26Aig
 2013(平成25)年04月24日(水) YouTube公開
 2019(令和元)年05月21日(金) 1,063,235回視聴
 
 映像◆浜田省吾『片想い (ON THE ROAD "FILMS")』https://youtu.be/F7CfahQmWhg
 2013(平成25)年04月24日(水) YouTube公開
 2019(令和元)年05月21日(金) 15,553,521回視聴
 
 映像◆浜田省吾『J.Boy (ON THE ROAD "FILMS")』https://youtu.be/VTZBsaxNNEY
 2013(平成25)年04月24日(水) YouTube公開
 2019(令和元)年05月21日(金) 1,412,471回視聴
 
『ON THE ROAD "FILMS" 』SHOGO HAMADA 浜田省吾  ON THE ROAD'86&渚園+a
 ㊤↑映像◆◆https://www.youtube.com/playlist?list=PLmQIzKRWaBRXJzIaiExN_opUVkYYT_sSv

 No.⑥ 路地裏の少年 1988.8.20 渚園http://video.fc2.com/content/201103316AuXX63r
  アニメ◆動画:No.⑤ 路地裏の少年 1988.8.20 渚園
  ダイジェスト◆動画:No.⑤ 路地裏の少年 1988.8.20 渚園
  静止画◆動画:No.⑤ 路地裏の少年 1988.8.20 渚園
 映像◆HELLO ROCK&ROLL CITY 浜田省吾http://video.fc2.com/content/201103270nMVdUxP
 動画:HELLO ROCK&ROLL CITY 浜田省吾
 動画:HELLO ROCK&ROLL CITY 浜田省吾
 動画:HELLO ROCK&ROLL CITY 浜田省吾
 浜田省吾 - 丘の上の愛
 アニメ◆動画:浜田省吾 - 丘の上の愛
 ダイジェスト◆動画:浜田省吾 - 丘の上の愛
 静止画◆動画:浜田省吾 - 丘の上の愛

 明日なき世代 浜田省吾 1988(昭和六十三)年8月20日もうひとつの(土)曜日http://video.fc2.com/content/20110327KULn6euy
  アニメ◆動画:明日なき世代 浜田省吾
  ダイジェスト◆動画:明日なき世代 浜田省吾
  静止画◆動画:明日なき世代 浜田省吾

 A PLACE IN THE SUN ⇒ 私にとって初めての遠征がやって来た。まぁ、遠征と言うには近場なのだが。。。
’88、8/20(日)浜名湖の渚園で行われる野外イベントだ。もちろんTちゃんとK子も一緒だ。このイベントの為にファンクラブでTシャツを作った。淡い水色系で左胸に日付とオフィシャルファンクラブと印字されている。ファンクラブの会員しか購入出来ない為、このTシャツを着ている人はファンクラブ会員なので気軽に声をかけてみよう!みたいなことだったような気がする。実際は見知らぬ人に気軽に声をかけられるわけがない。頭のおかしな人だと気味悪がられるのがオチだ。それに購入枚数に制限がなかったので何枚も買ってファンクラブ会員以外に譲ることだって出来たわけだし水色Tシャツ=ファンクラブ会員とは限らない。かくゆう、わたしも予備の為にTシャツを2枚購入した一人だ。その後、着倒してボロボロになって今は手元にない。この頃はイベンターにも入会していたのでイベンター経由でチケット&トレインツアーを申し込んだ。当日の朝、品川駅発の渚園直行ツアー列車に乗り、コンサートが終わったらまた列車に乗って翌朝品川駅に帰ってくるという赤い風船主催のツアーだった。行きの列車の中ではグッズ販売があったり、ギターで盛り上がるなど楽しい時間だった。この日は台風の影響でイベントも危ぶまれたが開演時間が近づくにつれ太陽が見え始めた。だだっ広い平地にブロック毎に仕切られ、入場順に適当に座るためステージはほとんど見えない。両脇にある大型スクリーンに映し出されているのを見るのが精一杯。。。それでも初めての大野外ライヴは楽しかった。一種のお祭りだ。ライヴ終了後、駅への道を歩いていると道沿いの家の塀の上や垣根の中にたくさんのゴミや空き缶を見た。ライヴ会場に来た人たちが捨てたものだ。自分さえ良ければどうでも良いという大勢の人たちに腹が立った。同じく省吾を好きな者として情けなく、悲しかった。渚園駅を発つ前に残り少ないお弁当をなんとか購入した。お茶類は既に売り切れだったのでお店のおばちゃんお勧めの「みかんすい」なるものを買った。見た目は透明で水のようなのだが飲んでみると「みかん」の味がする。今でこそうっすら柑橘系の味がするウォーターはいろいろあるけれど当時はなかった。そして、帰りの列車は苦痛だった。行きは朝出発して午後には到着するが、帰りは夜発って、翌朝7時頃に品川駅に到着する。夜行列車は時間がかかる。その間、ボックス席の直角の固いシートで我慢しなければならない。身体が痛くて眠れたもんじゃない。帰宅後、即行シャワーを浴びて夕方まで爆睡した。
 http://www9.plala.or.jp/bt-pearl/dear_memories.html

浜名湖渚園のコンサート行きましたよ。ON THE ROADFILMSも持ってます。音のギャップですか。あまり覚えてはないですが決して悪い音では無かった気がします。まわりが360°海ですから変に音が跳ね返ったりしないしね。安心して見てた気がします。盛り上がりましたよー。アルバムごとに人気曲をガンガン歌ってくれました。夕方4時から始まって夜10時位までやってました。約6時間のロングライブでした。当時彼もまだ30前半でしたから声のハリ、動き共にハツラツとしてましたね。もちろん当時のファン層も平均20代で若かったのですが そんなみんなも今はアラフォー、アラフィフですけど。浜名湖、本当に良かったです。しかしFILMSの音源はたしか後録だったような…ロースカの手法としてライブの映像に後でスタジオ録音の歌をのせる。一番ありえないのが、DVD『僕と彼女と週末に』浜名湖の映像に今の声をのせる、このやり方どう思います?今度のDVD『The Last Weekend』が楽しみですね、またやらかすんだろうなー。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1092021010

 


1985. 5.25 26 DADDY'S TOWN EAST  
1985. 5.25 26 DADDY'S TOWN よみうりLAND EAST with English sub  
1988. 8.20 明日なき世代 HD  
1988. 8.20 マイホームタウン 渚園  
1988. 8.20 HELLO ROCK ROLL CITY  
1975.8.25 明日なき暴走 - 日本語字幕  
Promotion film for album `J BOY' 浜田省吾
http://www.youtube.com/my_videos?o=U
浜田省吾 ON THE ROAD'86 "I'm a J.BOY" &88&85&79 http://www.youtube.com/playlist?list=PLmQIzKRWaBRVEIDUdLdbCzb_JYfy4YP2K


“February Story”浜田省吾 ON THE ROAD'83~FINAL NHKホール 
 1984(昭和59)年02月19日(日) 開演前
 http://monochromerainbow98.blog.fc2.com/blog-entry-224.html
“February Story”浜田省吾 ON THE ROAD'83~FINAL NHKホール
 1984(昭和59)年02月19日(日) 完全レポ PART.1
 http://monochromerainbow98.blog.fc2.com/blog-entry-225.html
“February Story”浜田省吾 ON THE ROAD'83~FINAL NHKホール
 1984(昭和59)年02月19日(日) 完全レポ PART.4
 2014(平成26)年03月03日(月) 20:44
 1984(昭和59)年02月19日(日) この5日前にも行われた、渋谷公会堂での浜田省吾ON THE ROAD '83 【February Story】に参戦していた構成から曲順・曲目(【SAND CASTLE】からの選曲は別)、M.Cに至るまで殆ど同じ内容ではあったが…この日のLIVEは、その時の記憶を全て吹き飛ばすほどの、感動的なLIVEであった魂の入った、魂を込めた演奏と、繰り広げられる凄まじいエネルギーに圧倒され続けた…そして、感情のこもったM.Cとバラードナンバーに時の経過を忘れて魅入る心…過去最高の素晴らしい、本編のLIVEであった!!そして熱狂覚めやらぬまま、アンコールへと向かっていく…この日より約1年前の
 1984(昭和59)年02月22日 自分は大阪フェスティバルホールで行われた、浜田省吾ON THE ROAD '82 ~FINALに参戦していた参戦した理由は、当時の雑誌のインタビューで省吾本人が『大阪の盛り上がりが凄い!』といっていたのを見て、TOUR FINALが重なったのが理由であった。事実、盛り上がりは当時の東京周辺のLIVE会場を凌ぐもので、アンコールを呼ぶオーディエンスの一体感は感動者であったが…
 1984(昭和59)年02月19日(日) 21:00に指しかかろうとするNHKホール、3千数百のオーディエンスのアンコールを求める声援、手拍子、『省吾コール』は、大阪を遥かに凌ぐ、凄まじいものであった…目の前で繰り広げられた最高のLIVE…その余韻が、まだ続くステージでの演奏に大きな期待と興奮を募らせている 普段より長い休憩があったろうか…それでもオーディエンスの熱は一向に下がることはない そして、ステージに照明が点されると、一気に大歓声が沸き起こる 赤のタンクトップに着替えた浜田省吾を先頭にTHE FUSEのメンバーが手を上げ、声援に応えながら持ち場に着きセッティングに入る5日前の渋谷公会堂では、演奏前に省吾がアカペラで『DO YOU WANA DANCE, UNDER THE MOONLIGHT…』と、洋楽のナンバーを楽しくワンコーラス歌ったが、この日は…~1st、ENCORE~『Un~nn,TOKYO! Un~nn,TOKYO!!』とアカペラで歌いだし、合間あいまでブルースハープを拭き上げる息の続く限りブルースハープを吹き上げると『OK!!』と叫び、ドラムの鈴木俊二が激しいビートを刻みだす!ドラムのリズムに合わせて省吾がTHE FUSEのメンバーを紹介していく!
『DRUMS、鈴木俊二!
 BASS、江澤宏明!
 KEYBOARDS、一戸清!
 SAXOPHONE、古村敏比古!
 GUITAR、町支寛二!
 PIANO、板倉雅一!
 THE FUSE!!ロッケン! ロール!! ロッケン! ロール!!…』マイクを手に持った省吾がステージを左右に動き回りながらオーディエンスとのコール&レスポンスが繰り広げられる踊りながら応えるオーディエンス! アンコールに入っても興奮状態は続いている何度か繰り返され、途中でトーンを落として小さくすると最後は叫ぶようにコール&レスポンスを行い、『ワン・ツー、1.2.3.4!』省吾が叫ぶとTHE FUSEの演奏が始まり、アンコール1曲目が始まる
 M-17.【反抗期】アンコールのオープニングはシンプルなロックサウンドの【反抗期】ステージをくまなく動きながら歌う省吾!間奏ではセットで作られたステージ右側のビルの横に取り付けられた非常階段を駆け上り、2階にある踊り場で歌いだすとオーディエンスも大いに盛り上がる(このシーンはON THE ROAD 2011 TOURの【反抗期】が演奏された際に、スクリーンにも映し出されましたね)歌い終えると階段を降りるとそのままステージ中央後方に置かれたフォルクスワーゲンのボンネットに飛び乗り、そこで演奏に合わせて体を揺らしながらブルースハープを吹き上げていく完奏を長めに行う中、省吾をはじめバンドのメンバーが皆楽しそうに笑顔で演奏を繰り広げるそして演奏が終わる瞬間、ボンネットから降りてギターを肩からかけて次の曲へ小気味良いドラムの刻むビートが響き、省吾がオーディエンスに語りかける『一緒に歌うかい?』そう言うと、リズムに合わせてギターを力強く奏で、ポーズを決めてステップを軽く踏む
 M-18【DJ お願い!】オーディエンスとの掛け合いで歌われた曲! 合間に弾くギターがとても印象的だった 間髪入れにカウントを叫ぶ省吾 アルバムに収められた曲順通りに次の曲が演奏される
 M-19【バックシート ラブ】小気味良いビートにのって歌いだされたナンバー 最初のワンフレーズを歌終えると、そこからはTHE FUSEのメンバーがヴォーカルをつとめた 最初はギターの町支寛二が、次にサックスの古村敏比古、そしてピアノの板倉雅一へと渡り、最後は浜田省吾が歌い上げるそして間奏の演奏が始まると、ステージ上部より紙吹雪が舞い落ちてきた 会場の上部から吊るされたミラーボールも現れる スポットライトを向けて反射する無数の煌く光が、舞い降りる紙吹雪に照らされて幻想的なシーンを醸し出していく紙吹雪の量は想像を超え、、ステージ上が紙吹雪で視界が利かないほど多くの紙吹雪が舞っている 間奏をここでも長めにしてステージで繰り広げられるTHE FUSEとの演奏… 皆、楽しそうに笑顔で演奏を行っている オーディエンスもリズムに合わせて踊り、手拍子で盛り上がっている 演奏が終盤にさしかかり、省吾が『OH YEAH! OH YEAH!! YEAH! YEAH!! 今夜はどうもありがとう!!』こう叫び、演奏が終了する…と思いきや、カウントを叫び、再び【バックシート ラブ】のサビがオーディエンスと歌われていく…6分30秒を超えるロングバージョンでの演奏が終わり、最初のアンコールは幕を降ろす 『省吾』コールが会場に大きくこだまする やはり大阪を凌ぐ、一体となったオーディエンスの熱が込められている そして、それに応えるようにステージに浜田省吾が現れる 白のタンクトップに赤のジャンパーに着替えている…~2nd ENCORE~が、他のメンバー、THE FUSEのメンバーがステージに現れない ON THE ROAD '83 ~秋のツアーでのラストナンバーが通常では演奏されるのだが、浜田省吾一人しかステージに現れないのは…一体何を?そんな思いを感じながらも、期待が高まっていく… そしてマイクスタンドに立つ浜田省吾 大きな声援が送られる中、声援がおさまるのを待つようにして、そしてタンバリンを片手に持ち、アカペラで歌い始める『Llke a long lonely stream I keep runnin't'wards a dream Movin'on, movin'on…』なんと、歌われたのはスティビー・ワンダーの【A PLACE IN THE SUN】このサプライズは…胸に込み上げるものがあった…前年の
 1983(昭和58)年08月13日(土)に、福岡で行われた浜田省吾初の野外LIVE【A PLACE IN THE SUN】参戦できなかったが、音源を聴いていたのでこの曲の冒頭は知っていた 驚きと感動の拍手の中、アカペラで歌う省吾 ワンコーラスをゆっくりと聴かせると、そこからテンポを上げてタンバリンを叩きながら歌う 手拍子が大きく叩かれる中、力強く歌い続ける省吾 歌詞の合間でこんなメッセージをオーディエンスに贈るシーンが素晴らしい『悲しい時や辛い時… いつも思い出して欲しい』そこから更に力強く歌い、最後の歌詞ではゆっくりと且つ力を振り絞って歌い上げた…正直、出だしのワンフレーズで終わると思っていたが…この時はなんと、フルでアカペラで歌い上げたのである
 M-20【A PLACE IN THE SUN】歌い終えるとTHE FUSEのメンバーがそれぞれの楽器についていく そしてマイクで省吾が伝える『どうもありがとう! 4月29日に横浜スタジアムで【A PLACE IN THE SUN】を行います』そして、ラストナンバーがTHE FUSEから演奏される アルバム【SAND CASTLE】に、ラストナンバーでも収録されたバラードナンバー、【愛しい人へ】
 M-21【愛しい人へ】(1982)当時、この曲には個人的にも相当な思い入れがあり、このLIVEのラストナンバーを飾る曲に…ただただ、感動感情を込めて歌い上げる省吾…その姿は涙でぼやけていた…しっとり優しく、魂を込めるようにして歌われた【愛しい人へ】…演奏が終わると大きな拍手に包まれるこうして、【THE FUSE 第2期】のメンバーとの演奏は全て終わったのである…大歓声の中、THE FUSEのメンバーがステージを降り、最後に残った浜田省吾が、ステージ右のレンガ作りのビルの前に座り、その横に置かれたラジカセのスイッチを切るすると、会場に流れていたジャクソンブラウンの曲が止み…ゆっくり立ち上がると背後のビルの扉に向かい、ビルの扉を開けて省吾が去って行く…こうして、浜田省吾ON THE ROAD ’83 【February Story】は幕を閉じた…その時は知らなかったが、実はこのLIVEをもって、THE FUSEのドラム・鈴木俊二と、キーボード・一戸清の両名が脱退することになる…浜田省吾が始めてバンドを組んだ1978年からのメンバー・鈴木俊二、約5年間共に歴史を刻んだ一戸清の脱退は、浜田省吾にとっても悲しく、大きな意味を持つものであった…そんな両名の脱退を、浜田省吾はこのNHKホールでのLIVEでサブタイトル【FIRST FINAL】と名づけ、彼のLIVEにおける一つの記録と記憶を残した…改めて、鈴木俊二氏・一戸清氏が在籍した【THE FUSE】の第2期は、自分にとって感動的なLIVEを多く体感することとなり、現在も浜田省吾を追い続ける大きな要素であることは紛れもない事実である彼らの繰り広げられる演奏は今もこの心に深く刻まれ、どんなLIVEよりもスピード感があり、熱い魂を感じられた荒削りだとか、上手ではないという声もあったが…自分にとって浜田省吾&THE FUSEは永遠である
《追記》実はこのLIVE終了後、一緒に参戦した友・聖君がロビーで、あるアーティストに出会いました。ARBの石橋凌と原田美枝子です(この時はまだ結婚しておらず、付き合っていました)。他のオーディエンスも原田美枝子には気付いていましたが、石橋凌を知る人は殆どこの時にはいませんでした確か、聖君は石橋凌からサインをもらったと記憶してますが…この時の聖君、LIVEの余韻と石橋凌に出会えた2重の喜びに大興奮し、幸福に満ちておりましたね(笑)曲です。その前にこの動画を。確か…1981年1月にNHK・FMでオンエアーされた、浜田省吾&THE FUSEのスタジオライヴの中の、THE FUSEのメンバー一人ひとりの自己紹介です この時はBASSが、岡嶋善文のため、今回のレポで演奏した江澤宏明ではありません そして、曲は…このON THE ROAD '83 FINALでのラストナンバーであり、THE FUSE第2期の最後の演奏となった、【愛しい人へ】その、【SAND CASTLE】ヴァージョンを!
《後記》1981年4月から参戦し始めた浜田省吾のLIVE…33年の歴史が積み重なりました その瞬間、瞬間で行われた素晴らしいLIVEの数々…中でも1980年代に行われたLIVEは今も心の中で躍動し、そのシーンを思い返します
‡1988(昭和63)年08月20日(土) 浜名湖畔・渚園での【A PLACE IN THE SUN】
 1982(昭和57)年01月12日(火) 日本武道館 そして、今回のレポで書いた
 1984(昭和59)年02月19日(日) NHKホールでのFIRST FINAL この3つのLIVEは、自分にとって決して色褪せることのない屈指のLIVEです。このブログを始めた頃、この【February Story】ON THE ROAD '83 ~FINALのレポを書き上げることが一つの夢でありましたしかし、30年近い年月に記憶の曖昧さがあり、なかなか書くことが出来ませんでした そんな折、偶然知ったBAR【Flash & Shadow】で観たこの日の映像!!衝撃と感動の中、『これで完全レポが書ける』と核心したものです…そして、30年目の
 2014(平成26)年02月19日(水)からレポを書き出して今回、全てを書き終えました 一つの夢が叶った瞬間でもあります。今回、このレポを書くにあたり、かなりエモーショナルになりすぎてしまい、感情のまま書き綴ったように思います。読みにくい点も多々あるとは思いますが、最後まで完読して頂きまして感謝しております。
 http://monochromerainbow98.blog.fc2.com/blog-entry-228.html

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