過去の今日の出来事etSETOraですヨ(=^◇^=)

過去の今日のTHE BEATLESだヨ(=^◇^=)


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 ┃ 『The Beatles' First』 ┃
 ┗━━━━━━━━━━━━━┛
 1964(昭和39)年3月19日(thu) 米 Polydor 236 201
 1964(昭和39)年6月19日(fri) 英 Polydor 236 201 
 1964(昭和39)年8月21日(fri) 日『The Beatles' First』
④1967(昭和42)年8月04日(fri) 英『The Beatles' First』Polydor 236-201
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 http://yokono.co.uk/collection/beatles/beatles.html
④http://www.beatlelinks.net/forums/showthread.php?t=17084
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 ┏━━━━━━━━━━━━━━━┓
 ┃ ザ・ビートルズ アルバム作品 ┃
 ┗━━━━━━━━━━━━━━━┛
 1964(昭和39)年02月03日(mon) 米『The Beatles With Tony Sheridan And Guests』
‡1964(昭和39)年06月19日(fri) 英『The Beatles' First』
 1964(昭和39)年08月21日(fri) 日『The Beatles' First』
 http://yokono.co.uk/collection/beatles/beatles.html

 ┏━━━━━━━━━━━━━┓
 ┃ 『Live at the BBC』 ┃
 ┗━━━━━━━━━━━━━┛
 1994(平成六)年11月30日(wed) UK Released
 1994(平成六)年12月06日(tue) US Released
 2001(平成13)年06月08日(fri)    Released
 2013(平成25)年11月11日(mon)    Released <remastered>
◇CD1 (Disc one)
◎LP A-side (Record Disc 1)
 『Easy Beat』
‡1963(昭和38)年06月19日(wed) Recording
 1963(昭和38)年06月23日(sun) On Air
  11 "Some Other Guy"
  12 "Thank You Girl"
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 https://music.amazon.co.jp/albums/B07F5MT5DW
 https://en.wikipedia.org/wiki/Live_at_the_BBC_(Beatles_album)
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 ┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
 ┃ 『ザ・ビートルズ・LPレコード・コレクション』第20号 ┃ 180g
 ┃      『The Beatles' Anthology 1』      ┃VINYL
 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛ 重量盤
 2018(平成30)年05月22日(火) 発売『ザ・ビートルズ・アンソロジー1』
‡2018(平成30)年06月19日(火) 発行   THE BEATLES 
     通常価格・・・本体3,694円+TAX(8%)=3,990円 ※Wアルバム作品だヨ(=^◇^=)
      発行所・・・DeAGOSTINI JAPAN (デアゴスティーニ・ジャパン)
 映像◆隔週刊 ザ・ビートルズ・LPレコード・コレクション【デアゴスティーニTVCM】https://youtu.be/2nH7M9fnU48
 
************************* https://deagostini.jp/btr
 https://deagostini.jp/btr/backnumber.php?issue=20
 https://www.amazon.co.jp/dp/4813521835
 https://en.wikipedia.org/wiki/Anthology_1
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 ┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
 ┃ 『ザ・ビートルズ・LPレコード・コレクション』第22号 ┃ 180g
 ┃      『The Beatles' Anthology 3』      ┃VINYL
 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛ 重量盤
‡2018(平成30)年06月19日(火) 発売『ザ・ビートルズ・アンソロジー3』
 2018(平成30)年07月17日(火) 発行   THE BEATLES 
     通常価格・・・本体3,694円+TAX(8%)=3,990円 ※Wアルバム作品だヨ(=^◇^=)
      発行所・・・DeAGOSTINI JAPAN (デアゴスティーニ・ジャパン)
 映像◆隔週刊 ザ・ビートルズ・LPレコード・コレクション【デアゴスティーニTVCM】https://youtu.be/2nH7M9fnU48
 
************************* https://deagostini.jp/btr
 https://deagostini.jp/btr/backnumber.php?issue=22
 https://www.amazon.co.jp/dp/4813521851
 https://en.wikipedia.org/wiki/Anthology_3
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 ┃ ビートルズ詳解 The Beatles’Corpus ┃
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②1945(昭和20)年06月19日(火) ジョンの種違いの妹ヴィクトリア誕生
③1961(昭和36)年06月19日(月) ライヴ演奏:トップ・テン・クラブ/ハンブルグ (80日目)
④1962(昭和37)年06月19日(火) ライヴ演奏1:キャバーン・クラブ (昼) /リヴァプール
⑤1962(昭和37)年06月19日(火) ライヴ演奏2:キャバーン・クラブ (夜) /リヴァプール
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①ジム・マッカートニー ⇒ この日、ジェームズ・ポール・マッカートニー (James Paul McCartney) はリヴァプール・ウォルトン病院で生まれる。母のメアリーは、以前この病院の産科病棟で看護婦として働いていたことがあった。彼はおぞましい顔だった。私は耐えられなかった。恐ろしかった。彼は片方の目だけを開けて、ただずっと泣きわめいていた。彼らが抱き上げると、赤身の肉のかたまりのように見えた。家に帰って何十年ぶりに私は泣いた。しかし
‡1942(昭和17)年06月19日(金) 次の日、彼はいくぶん人間らしく見えた。結局最後には彼は愛らしい赤んぼうになっていた。 
②1945(昭和20)年06月19日(火) ジョンの種違いの妹ヴィクトリア誕生
 夫のアルフが海に出ている間、ジュリア・レノンは息子のジョンとリヴァプール・ウールトン・アラートン通り120a番地 (120a Allerton Road in Woolton, Liverpool) の通称「酪農小屋 (Dairy Cottage)」と呼ばれる家に住んだ。この小屋の持ち主はジュリアの姉ミミ (Mimi) の夫、ジョージ・スミス (George Smith) である。アルフは頻繁に海に出ていないものだから、ジュリアは度々ダンスホールで夜を過した。1942年、彼女はウェールズ人兵タフィ・ウィリアムズ (Taffy Williams) と知り合う。彼はリヴァプールのモスリー・ヒル (Mossley Hill) にある兵舎に駐在していた。1944年の後半にジュリアはウィリアムズによって妊娠する (当初は見知らぬ兵隊にレイプされたと言っていた)。ウィリアムズは人妻とその息子と一緒にいる恥を被りたくないとして、ジュリアがジョンを手放さないならば彼女と一緒に住みたくないと拒んだ。しかしジュリアもそれを承諾しなかったので、この二人の関係は終わる。1944年にアルフがリヴァプールにもどった時、彼はこれまで通りジュリアとジョン、そして生まれて来る赤ん坊の面倒も見ると申し出る。しかしジュリアは私たち夫婦の関係も終わったとアルフに告げた。ジュリアは1945年6月19日、ノース・モスリー・ヒル通り (North Mossley Hill Road)にある 救世軍エルムズウッド病院 (Salvation Army's Elmswood Infirmary) で女児を生み、ヴィクトリア・エリザベス (Victoria Elizabeth) と名付けられる。ジュリアの実家からの強い圧力により、ヴィクトリアはノルウェー救世軍の大佐ペダー・ペダーセン (Peder Pedersen) とその妻マーガレット (Margaret) のもとに養子に出される。その子はイングリッド・マリー・ペダーセン (Ingrid Marie Pedersen) と改名され、ノルウェーで育てられた。ジョンはこの種違いの妹の存在を知らされたことはなかった。しかしイングリッドは1966年に看護婦をしていた時、彼女には有名人の兄弟がいたことを知る。彼女が婚姻のための出生証明書を作成していた時に、自分とビートルズの一人が親族関係にあることを発見したのである。
 イングリッド・ペダーセン(2000年)『メルボルン・サンデー・ヘラルド・サン』私はジョンの妹だと気づいた後、持っていたジョンの記事や写真の切抜きをありったけ集めて寝室の引出しに隠しました。両親に対する裏切りだと感じたからです。それでももし両親が見つけた場合を思うと気が気ではありませんでした。私は養母が生きているうちはジョンとコンタクトできないと思いました。私は彼女に尋常ではない義理を感じていたからです。彼女は私が父 (タフィ・ウィリアムズ) の娘だと知っていたと思います。それでいて父とジュリアの情事に対する憤りを表に出すこと無く、私を自分の娘として受け入れてくれたのです。わたしは養母がタンスの中のブリキ缶に私的な書類を隠しているのを知っていました。だれもいない時、震えながら私はそれを開けました。リヴァプールの裁判所が発行した黄ばんだボロボロの養子縁組証がありました。それには私のフルネーム「Lillian Ingrid Maria Pedersen」と生年月日がかかれていました。そしてその上には私が探し求めていた3語「Victoria Elizabeth Lennon」という私の出生時の名前があったのです。私の実母の名「Julia Lennon」もありました。私は泣き出しました。 
③1961(昭和36)年06月19日(月) ライヴ演奏:トップ・テン・クラブ/ハンブルグ (80日目)
 7月1日のもうひとつの(土)曜日まで92日間、毎日演奏良好だヨ(=^◇^=)
④1962(昭和37)年06月19日(火) ライヴ演奏1:キャバーン・クラブ (昼) /リヴァプール
⑤1962(昭和37)年06月19日(火) ライヴ演奏2:キャバーン・クラブ (夜) /リヴァプール
 この日はビートルズのキャバーン・クラブのイブニング・ショーへの74回目の出演だった。このショーは「ブルー・ジーンズ・ゲスト・ナイト (Blue Genes Guest Night)」と名付けられ、またザ・マージー・ビーツ (The Merseybeats) も出演した。
 コリン・ミドル・ブロウ(ザ・ジェイウォーカーズ)『The Cavern』スペンサー・レイ ⇒ 僕はいつもマッカートニーは生まれながらのリーダーだと思っていた。レノンは横柄そうにピアノに寄りかかってあそこに立っていた。僕らは彼が膝を曲げて自分の鼻を見下ろしながら『Please Mister Postman』を歌うのをワクワクしながら今か今かと待っていた。レノンはあまり人に愛想がなく、ほとんどの場合僕は完全に無視された。ポールは愛想がとても良かった。覚えているのは、マイク・ミルワード (Mike Millward) ポールの誕生日 [前日だった] だからとランチタイムにケーキを運んでやると、彼はとても喜んでいた。ケーキを貰ったと言って跳ねまわっていたよ。
 ランチタイムショーも含めると、彼らのキャバーン出演はこれが180回目だった。ビートルズのキャバーン・クラブへの正確な出演回数は判っていない。しかし1961年2月9日から1963年8月3日までの期間に、少なくともランチタイムショーで155回、イブニングショーで125回の演奏を行っている。
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 ①https://gejirin.com/beatles/history/1926-1959/19420618_paul_birth.html
 ②https://gejirin.com/beatles/history/1926-1959/19450619_victoria_birth.html
 ③https://gejirin.com/beatles/history/1961/19610401_live_top_ten_club.html
 ④https://gejirin.com/beatles/history/1962/0history_index-1962.html
 ⑤https://gejirin.com/beatles/history/1962/19620619_live_Cavern.html
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 ┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓┌─――――┐
 ┃ THE BEATLES HISTORY ┃|  June 19|170
 ┃    ザ・ビートルズの今日の出来事   ┃|6月19日|
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 1961(昭和36)年06月19日(月) 2度の契約更新の後、2度目のハンブルグ巡業が4月1日より7月1日まで行われ、92日間、のべ503時間トップ・テン・クラブのステージに立つ。前回の最初のハンブルグ巡業と並んで、ビートルズのスタミナと実力を飛躍的に向上させた有意義な巡業となった。
 1962(昭和37)年06月19日(火) キャバーン・クラブでランチタイム・セッションと夜の部のステージに出演。
 1963(昭和38)年06月19日(水) 午後8時45分から1時間。ロンドンのプレイハウス・シアターでBBCラジオ番組「イージー・ビート」の収録。「Some Other Guy」「A Taste Of Honey」「Thank You Girl」「From Me To You」を熱狂的な観客の前で演奏。
 1964(昭和39)年06月19日(金) ワールド・ツアー、オーストラリアのシドニー公演がスタジアムで行われた。観客数は1万2,000人で、これは当時のシドニーにおける最高記録となった。シドニー公演はニュース映画用に撮影されたが、あろうことか「ビートルズ・アット・ザ・スタジアム」というタイトルの劇場用映画が作られてしまい、6月25日からシドニーで公開されてしまった。
********** http://www.thebeatles.co.jp/contents/index2.htm
 http://www.beatlelinks.net/forums/showthread.php?t=17038
 http://beatlesdiary.web.fc2.com/day/006/0619.html
 https://blogs.yahoo.co.jp/fab4city/15744297.html
 http://www.beatlesagain.com/bhistory.html
 楽曲資料https://beatlesdata.info/
 歌詞充実http://tsugu.cside.com/index.html
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 ┏━━━━━━━━━━━━━┓ 
 ┃ 『この日のビートルズ』 ┃上林 格 P.288 714円(税込) 朝日新聞出版
 ┗━━━━━━━━━━━━━┛2013(平成25)年11月7日(木) 朝日文庫発行
  人類がまだ月面着陸を夢見ていた1960年代、英国出身の4人の若者が世界を席巻した。
  ポピュラー音楽史の記録を次々と塗り替えただけではなく、
  文化、思想、生活スタイル、あらゆる分野に強烈な影響を与えた。
  語り継がれる20世紀最高のファブ・フォーの「この日」にこだわってみました。
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 |1964(昭和39)年 6月19日(金)|「最強のクロージング・ナンバー」
 |2012(平成24)年 6月19日(火)|甲虫日記更新日 No.103
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のたうち回るようにポールが絶叫する「Long Tall Sally」は、ロック史に残るボーカル・ナンバーになっている。
ビートルズのメンバーが憧れた米国の黒人ロックンローラー、リトル・リチャードが1956年にヒットさせた曲だ。ポールは15歳だった57年8月、ヨークシャー地方のファイリーにあるキャンプ場で「のど自慢大会」に出演し、この曲を初めて舞台で歌った。


それ以来、ポールの十八番になったこのナンバーは、ビートルズの母体となるクオリーメン時代からライブ・レパートリーに組み込まれ、しばしばフィナーレを飾った。>
いきなりのシャウトが、ステージを一瞬にして制圧する。総立ちになる観客。1400回を超えるという彼らのライブでは、何度も何度も繰り返された光景なのだろう。ポールは62年の英国ツアーでリトル・リチャードと共演した時、楽屋で直接手ほどきを受けたこともあるが、今ではオリジナルの域を超えたという評価が定着している。
英国では4曲入りEP盤「LONG TALL SALLY」として、64年6月19日に発売された。邦題は「のっぽのサリー」だった。
EP盤は「コンパクト盤」とも呼ばれ、シングルより収録曲が多く、LPに比べて低予算が魅力とされた。
ビートルズはそれまで4枚のEP盤を発売していたが、どれもアルバムやシングルで既に発表された曲を組み合わせたものだった。それに比べて「LONG TALL SALLY」の収録曲は、オリジナルの「I Call Your Name」、カバーの「Slow Down」に「Matchbox」も含め、すべて新曲なのが魅力だった。
EPチャートで7週連続1位。半年間で、英国では25万枚、海外を含めると100万枚の大ヒットになった。
発売された時期もよかった。ビートルズは63年5月から64年4月にかけ、「PLEASE PLEASE ME」と「WITH THE BEATLES」の2枚のアルバムで51週連続チャート1位という大記録を打ち立てている。だが、3月発売のシングル「Can't Buy Me Love」以降は新たなリリースがなく、7月に3枚目のアルバム「A HARD DAY'S NIGHT」が発売されるまでの「谷間」にあたっていた。


ビートルズ人気に当て込み、次々とレコードが発表されていた。当時、ビートルズのレコード購買層の主力が10代のファンだったことを考えると、リリースの「谷間」は、彼らのお財布に余裕をもたらす貴重な時期だったのかもしれない。
発売されたとき、ビートルズはデンマークやオランダ、オーストラリアなど27日間のワールド・ツアーに出かけていた。帰国後、BBC1のテレビ番組「トップ・オブ・ザ・ポップス」で「Long Tall Sally」の疑似演奏シーンが放映されると、3日後には音楽誌ニュー・ミュージカル・エクスプレスのシングル・チャートで11位まで順位を上げている。その後、「Yesterday」など7枚の4曲入りEP盤を発表するが、シングル・チャート入りしたのは「Long Tall Sally」が最後になった。
 ◎ビートルズにとって「Long Tall Sally」が特別な曲である理由は… 次のページへ 
録音は64年3月、「A HARD DAY'S NIGHT」のセッション。伝説の録音とされるジョンの「Twist And Shout」と同様、彼らはたった1回でこの曲を仕上げている。
ビートルズのライブ・レパートリーのなかでは、最も息の長い曲として知られている「Long Tall Sally」だが、一方、76年に2枚組の編集盤「ROCK'N'ROLL MUSIC」が発表されるまでの12年間、英国では他のアルバムなどに収録されなかった。彼らにとって、思い入れのある特別な曲とみていいだろう。
60年、初めて海外遠征したドイツ・ハンブルク巡業の顛末(てんまつ)は、彼らにとって下積み時代の苦い経験として語られている。年齢詐称が発覚したジョージが強制送還され、ポールとピート・ベストは放火の疑いで逮捕。スチュアート・サトクリフが恋人とハンブルクに残ると、1人でリバプールに帰ってきたジョンは、しばらくの間、先に帰国した他の3人に連絡を取らなかったという。


失意の底から立ち直り、再び活動を始めると、年末に開いたリザランド・タウン・ホールのステージで浮上のきっかけをつかむ。
酔客を相手に500時間以上のステージで鍛え上げられたビートルズは、地元のバンドにはないグルーブ感をつかんでいた。黒のレザースーツとブーツに身を固めてステージに上がる彼らを、地元の観客はドイツから来たバンドだと勘違いしたほどだ。


幕が上がり、「Long Tall Sally」をポールが歌い出すと、観客は熱狂してステージに押し寄せた。やがてこの公演のうわさがリバプールで広まり、ビートルズの名が知られていく。


10年以上も長きにわたってライブ・レパートリーにしてきた。66年8月29日、ビートルズはサンフランシスコのキャンドル・スティックパークで最後の有料公演を開くが、「Long Tall Sally」は演奏した最後の曲だった。
***************** https://www.amazon.co.jp/dp/4022617802
 https://dot.asahi.com/1satsu/tyosya/2013110700049.html
 http://doraku.asahi.com/entertainment/beatles/120619.html
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 ┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
 ┃    『THE BEATLES Interviews Database』    ┃
 ┃ 163 Beatles interviews & press conferences ┃
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‡1967(昭和42)年6月19日(月)
‡No.113(07) 1967-06-19(mon) McCartney / LSD and Journalism (1 photo) ITV talks controversy with Paul in his garden. 
 McCartney Interview: LSD and Journalism, 6/19/1967
 The following interview was filmed by ITV on 
●June 19th 1967, in Paul's backyard garden on Cavendish Avenue, and would be telecast in Britain later that evening.
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 http://www.beatlesinterviews.org/db1967.0619.beatles.html
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 ┏━━━━━━━━━┓ 
 ┃ 『EASY BEAT』  ┃BBC 21st appearance
 ┗━━━━━━━━━┛
 ‡1963/6/19(wed)   rec. 08:45-09:45pm The Playhouse Theatre, London
  1963/6/23(sun) trans. 10:31-11:30am broadcast
  Recording for BBC's『EASY BEAT』2nd appearance
  ♪Some Other Guy♪
   Did You Have A Party? (speech) 
  ♪A Taste Of Honey♪
  ♪Thank You Girl♪
   Intro 
  ♪From Me To You♪
********* https://en.wikipedia.org/wiki/Dig_It_(Beatles_song)
 http://beatleslist.web.fc2.com/bbc.html http://www.webers-records.com/134_1420.html
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 ┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓1994/11/30(wed)
①┃ 『THE BEATLES Live at BBC』1994 version ┃2001/06/08(fri)
 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛〇Disc one〇
 11.♪Some Other Guy♪『EASY BEAT』63.6.19.収録 6.23.放送 リッチー・バレットという無名のアーティストの曲だが、ビッグ・スリーがデビュー曲としてレコーディングするなど、リバプールのバンドの間では人気の高かった曲である。ビートルズ・ファンにはビートルズの最古の映像といわれる62年のキャバーンのフィルムでもお馴染みであろう。 しかし、ここで聴かれるドライブ感のある、ハードな演奏ぶりは素晴らしく、それらのテイクを大きく上回る出来。また、このアルバムの全テイクの中でも屈指の出来だと思う。ボーカル、演奏とも完璧でバンドとしての勢いや一体感を感じる。この曲はBBCでは計3回演奏されている。 
 12.♪Thank You Girl♪『EASY BEAT』63.6.19.収録 6.23.放送 シングルFrom Me To YouのB面曲。しかし、ジョンはシャウトしまくっているし、公式テイクよりも荒っぽい反面、ノリのよさを感じる。BBCでは計3回演奏された。 
 ┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓1994/11/30(wed)
①┃ 『THE BEATLES Live at BBC』2013 version ┃2013/11/11(mon)
 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛〇Disc one〇
 11.♪Some Other Guy♪『EASY BEAT』23 June 1963 2:01 
 12.♪Thank You Girl♪『EASY BEAT』23 June 1963 2:01 
 ┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
②┃ 『THE BEATLES  bootleg recordings 1963』 ┃2013/12/17(tue)
 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
 24.♪A Taste of Honey♪『EASY BEAT』23 June 1963
***************** https://www.amazon.co.jp/dp/B00005HYHG
 ①http://www.geocities.co.jp/Broadway/5266/beaAlb16.html
 ①https://en.wikipedia.org/wiki/Live_at_the_BBC_(Beatles_album)
 ②https://en.wikipedia.org/wiki/The_Beatles_Bootleg_Recordings_1963
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 ┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
 ┃ 『THE BEEB'S LOST BEATLES TAPES』 ┃
 ┃    Episode 2: Bill Toppers   ┃29:24 (sat)8 October 1988
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 05.♪Some Other Guy♪ 『Easy Beat』(sun)23 June 1963
 06.♪A Taste Of Honey♪『Easy Beat』(sun)23 June 1963
 音源◆https://youtu.be/T8cyebV9bw4
 
********* https://en.wikipedia.org/wiki/Dig_It_(Beatles_song)
 https://en.wikipedia.org/wiki/The_Beeb%27s_Lost_Beatles_Tapes
 https://www.youtube.com/playlist?list=PL073eZJnP1VSVL0DHZ-N_GATBFD-ou2eG
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 ┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
 ┃ The Savage Young Beatles 1950s 1961 ┃
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‡mid 1961 The Grapes, Liverpool
 circa Spring 1961 The Grapes Matthew Street Liverpool
 Photographer: unknown
 Pete told me this was at The Grapes. Otherwise, I wouldn't have been able to tell. I've dated it Spring 1961 because of the hair styles. The Grapes was across the street from The Cavernand this time period was when The Beatles began playing regular gigs at The Cavern.
 写真◆This photo is typically shown reversed. Even today, it hangs on the wall at The Grapes, beside what is referred to as "The Royal Table", as a reversed image. See the contemporary photo below which illustrates this.
 写真◆Photo courtesy Steve Petricia 
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 http://www.beatlesource.com/savage/1961/61.06.xx%20grapes/61.06.xxgrapes.html
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 ┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
 ┃ THE BEATLES Live 1961 ┃
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‡(mon)19 June 1961 Hamburg, Germany, The Top Ten Club ※27 March~2 July 1961
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 https://en.wikipedia.org/wiki/List_of_the_Beatles%27_live_performances
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 ┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
 ┃ THE BEATLES' 1964 world tour“Australasia” ┃
 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
 No.11 06 (thu)18 June 1964    Sydney City,  Australia, Sydney Stadium
‡No.12 07 (fri)19 June 1964    Sydney City,  Australia, Sydney Stadium
 No.13 08 (sat)20 June 1964    Sydney City,  Australia, Sydney Stadium
  01.♪Twist and Shout♪
  02.♪I Want To Hold Your Hand♪
  03.♪I Saw Her Standing There♪
  04.♪You Can't Do That♪
  05.♪All My Loving♪
  06.♪I Wanna Be Your Man♪
  07.♪She Loves You♪
  08.♪Till There Was You♪
  09.♪Roll Over Beethoven♪
  10.♪Can't Buy Me Love♪
  11.♪This Boy♪
  12.♪Long Tall Sally♪
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 https://en.wikipedia.org/wiki/The_Beatles%27_1964_world_tour
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    ┛ THE BEATLES 1967 Tape copying ┛Studio 3
    ┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛7:00pm-1:45am
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 ┃ ♪All You Need Is Love (愛こそはすべて)♪  ┃of take 10
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 ┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛
  ┛THE BEATLES 1967 Recording Sessions ┛Studio 3
 ┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛7:00pm-1:45am
 ┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
 ┃ ♪All You Need Is Love (愛こそはすべて)♪  ┃overdub onto take 10
 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛No.2 アビイ・ロード第3スタジオにテープを持ち込み、まずはアビイ・ロードのレコーダーに第10テイクをコピー。トラック3とトラック4にはジョンのリード・ヴォーカルとバックコーラス、そしてトラック2にはドラム(リンゴ)、ピアノ(ジョージ・マーティン)、バンジョー(ジョン)を録音した。
      Producer: George Martin
      Engineer: Geoff Emerick
      2nd Engineer: Richard Lush
     ‡1967(昭和42)年6月19日(mon)
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 https://beatlesdata.info/9/11_allyouneedislove.html
 https://en.wikipedia.org/wiki/All_You_Need_Is_Love
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  ┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
  ┃ ビートルズのEP(コンパクト盤)作品 英国(イギリス)リリース ┃
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  ┌─――――――――――――――――――――┐
 ⑤|『Long Tall Sally  ロング・トール・サリー』 | 
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 SIDE 1 ♪Long Tall Sally♪ ♪I Call your Name♪
 SIDE 2 ♪Slow Down♪    ♪Matchbox♪
‡英:1964(昭和39)年 6月19日(金):45回転 モノラル
 日:1970(昭和45)年 6月25日(木):33回転 疑似ステレオ
 音源◆『Long Tall Sally』U.K. Mono EP  https://youtu.be/7jxJ3qREdIw
 
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 ⑤http://rock-t.info/beatles-discography-ep-longtallsally.html
 http://en.wikipedia.org/wiki/Long_Tall_Sally_(EP)
 写真一蘭◆http://d.hatena.ne.jp/hideaway_juju/20120723/1343019802
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 ┃ ザ・ビートルズ来日 今日の出来事 ┃
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 |1966(昭和41)年 6月19日(日)|警視庁少年課、大阪から家出して来たビートルズファンの二人の少年を保護
 └─――――――――――――┘警視庁はビートルズ対策会議を開き、「安保」「日韓」以来の警備体制を敷くことを決定。この頃、全国の中学・高校の教師・PTAがコンサートへは行かないように生徒たちに通達するなど、問題が広がる。 
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 |1966(昭和41)年 6月19日(日)|警視庁少年課は19日正午ごろ、大阪から家出してきた少年2人を、
 └─――――――――――――┘東京駅で保護した。彼らは日本公演の切符は手に入らなかったが、東京に行けば顔だけでも見られると思い、家出してきたという。[毎日新聞夕刊記事より]
  警視庁がビートルズ対策会議を開き、来日公演に際し機動隊を含めたのべ3万5千人を動員することを決めた。この会議での決定事項は以下の通り。
**************** http://www.yunioshi.com/beatlesinjapan.html
 http://www.fsinet.or.jp/~magumi/BEATLES/japan/japandocument.html
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B6%E3%83%BB%E3%83%93%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%AB%E3%82%BA%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%85%AC%E6%BC%94
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 ザ・スパイダースが「ビートルズの前座」を断った理由とは
‡2019(令和元)年06月19日(水) 7:00配信 
 2019(令和元)年06月28日(金)号 週刊ポスト
 ♪夕陽が泣いている♪は120万枚を超える大ヒット 
 1960年代後半から1970年代前半にかけて一世を風靡したグループ・サウンズ(GS)。1961年に結成されたザ・スパイダースでベースを担当していた加藤充氏が、グループに加入したきっかけとビートルズの前座の話が来たときのエピソードを明かす。
 * * *
 10代の頃はギターを弾くといっても『湯の町エレジー』とか『影を慕いて』みたいな曲しかなくてね。そのうちFEN(在日米軍向けラジオ放送)から流れてくるハンク・ウイリアムスやハンク・スノウといったウエスタンの曲にのめり込んで……やがてサンズ・オブ・ウエストというバンドを組んでベースを弾くようになりました。その頃はウッド・ベースでした。後に京都では有名なナイト・クラブとなるジャズ喫茶「ベラミ」や大阪のジャズ喫茶「ナンバ一番」、三ノ宮の「月光」、神戸の「白馬車」とかに、電車で楽器を持って通ったものです。
 スパイダースに誘ってくれたのは克夫ちゃん(大野克夫)です。彼は後からサンズ・オブ・ウエストにスチールギターで入って来たんですけど、先にスパイダースにスカウトされて東京に行っていて、「今いるベースが体調壊しちゃったんで来てくれない?」と急に言ってきて。僕は将来、京都に帰って家業の寿司屋を継ごうと思っていたので、「2年だけ」というから引き受けたら、結局帰してもらえませんでした(笑い)。
 初期の頃は色んな外国人アーティストと共演しましたよ。エレキブームの時にはベンチャーズ、アストロノウツ、サファリーズ……新宿厚生年金会館でビーチ・ボーイズとも一緒にやりましたね。リバプールサウンドがブームになるとピーター&ゴードン、ハニーカムズ、アニマルズ。アニマルズといえば渋谷のリキパレスで彼らの前座をやった時、当時彼らの有名な曲だった『Boom Boom』って曲を先にやっちゃったんです。「まずいよ」って言ったんだけど、ムッシュが「オレ達のは向こうと違って踊りがついてるから構わないよ」って。イントロが始まったらボーカルのエリック・バードンが楽屋から出てきて、幕の間から見ていました(笑い)。
 ビートルズの前座の話も来たけど、断わりましたね。「ビートルズは客席で見るもんだ」って。色んな前座をやって懲りたってこともあったんですけどね。でもポール(マッカートニー)は、憧れのベーシストでした。
 ビートルズといえば、当時の仲間だったレーサーのサチオ(故・福澤幸雄)がスパイダースにとっての良きブレーンとして、ビートルズの曲を仕込んでくれたり、振り付けを手伝ったりしてくれました。残念ながら若くして事故死してしまいましたが……。ムッシュがスパイダース時代にソロアルバムを出していて、その中に彼を偲んだ『ソー・ロング・サチオ』って曲が入っていましたよ。
【ザ・スパイダース】1961年に結成され、田辺昭知、かまやつひろし、大野克夫、加藤充、井上孝之、堺正章、井上順の7人のラインナップとなる。自作自演バンドのハシリであり、GSの草分け的存在。GS界にミリタリー・ルックのファッションを定着させたのも彼らである。代表曲は『フリフリ』『夕陽が泣いている』『あの時君は若かった』など。
 https://www.news-postseven.com/archives/20190619_1394043.html

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