過去の今日の出来事etSETOraですヨ(=^◇^=)

過去の今日の走る投げる打つシンプルなゲーム等だヨ(=^◇^=)


 おい小池!
 2017(平成29)年06月21日(水) 17:42:52
 https://ameblo.jp/careplan-hikobae/entry-12285680262.html
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 おい、小池! 苗字が同じだから、誰かが作ると思ってた
 https://matome.naver.jp/odai/2150664686423160301/2150675579786907503
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 「おい、小池!」絶倫ぶりを抑えきれなかった 11年半大胆逃亡生活
‡2012(平成24)年11月03日(土) 19:00 週間実話
 300万円もの懸賞金がかけられた指名手配犯が、思わぬ絶倫生活を送った末に死亡したことが判明した。その人物こそが、「おい、小池!」の手配ポスターで徳島県警から全国指名手配されていた、小池俊一容疑者(52・殺人容疑)なのである。「小池容疑者は、岡山県岡山市内の8階建てマンションの一室で女性(67)と同棲。
 2012(平成24)年10月19日(金)夜にこの女性が、トイレでうずくまっている同容疑者を見つけて119番通報したが、搬送先の病院で死亡が確認されたのです」(地元紙記者)死因は「心臓疾患による病死」だったというが、小池容疑者の素性がバレて大騒ぎとなったのは、その後の成り行きから。「実は小池は15歳も年の離れたこの女性と、'05年から同棲しており、『小笠原準一』と名乗っていた。そのため火葬許可書や埋葬許可書が取れず、葬儀会社が警察に通報。指紋照合の末に、小池俊一だと判明したのです」(社会部記者) 小池容疑者は'01年に、徳島市内の県営住宅に住む松田優さん(66)を撲殺し、4000万円の入った預金通帳と現金(額は不明)を奪って逃走。翌日には淡路島の別荘で、松田さんの長男・浩史さん(38)を同じく撲殺し、建物に放火した疑いが持たれていたが、容疑者の死亡で事件の真相は闇に葬られることとなったのだ。ただ、気になるのは警察から逃げ延びた同容疑者の潜伏生活だろう。実は、同容疑者は大方の捜査員らの期待を裏切る同棲生活を、このマンションで送っていた。前出の社会部記者がこう語る。「同居女性によると、2人の出会いは7年前。彼女が勤める小料理屋に小池がフラリと立ち寄ったことがきっかけだという。間もなく小池は女性の部屋に転がり込み、仕事もしないまま月に2万円ほどの小遣いをせびっていたというのです」また、マンションの同じ階に住む若者はこう話す。「ここは繁華街に近いのに、1Kで3万5000円と家賃が格安。ただ生活音は筒抜け。今思えば、夜中に部屋からあの時の声が度々聞こえてきて、『年の割には、お盛んだな』と思ったことがある。男はポスターの写真とは面ざしが違い、老けて見えたから夫婦かと思っていたのです」それだけ逃亡生活は、性欲が溜まりやすいのか?
 https://www.excite.co.jp/news/article/Weeklyjn_2703/
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 ┃    George Edward Foreman   ┃
 ┃ ジョージ・エドワード・フォアマン ┃
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 1949(昭和24)年01月10日(月) Born
 1974(昭和49)年10月30日(水) キンシャサの奇跡:ザイールのキンシャサで、元王者モハメド・アリと3度目の防衛戦を行う。序盤から圧倒的に攻め続けながら、ロープ際で防御を固めるアリの戦法(ロープ・ア・ドープ)にはまり体力を消耗。8Rに逆転KOされ王座から陥落、41戦目キャリア初黒星。1年以上休養した後、
 1976(昭和51)年01月24日(土) Ron LyleとNABFヘビー級決定戦を行い、ダウンの応酬の末5RKO勝利する。その後、フレージャーとの再戦(5RTKO)を含めて4連勝
 1977(昭和52)年03月17日(木) 勝てばアリへの再挑戦権を得る試合にこぎつける。場所はプエルトリコ・サンファン、相手は格下のJimmy Youngだった。一方的にヤングを攻めたが、その日は異常に暑く、試合中盤に失速し、最終ラウンドにダウンを喫して判定負け。ヤング戦の試合後ロッカールームで昏倒し、イエス・キリストの存在を感じる神秘的な体験をしたことを契機に、キリスト教に目覚める。28歳でボクサーを引退し、キリスト教の牧師に転身する
  THE CHURCH OF THE LORD JESUS CHRIST
 1987(昭和62)年03月09日(月) スチーブ・ゾースキーを4RKOし復帰戦を飾る。現役復帰を発表した時は、10年のブランクに加え、体型も明らかに肥満していたため、多くの人々は「正気か?w」と嘲笑したが、復帰後24連勝してヘビー級タイトル戦線に再浮上する(マイク・タイソンとの対決もされたが実現せず)
 1991(平成三)年04月19日(金) 'The Battle of Ages'(世代の対決)と題された一戦でイベンダー・ホリフィールドの持つWBA・WBC・IBF世界ヘビー級王座に挑戦。14歳年下の王者を相手に激しい打ち合いを展開し、判定負けするも称賛を受ける
 1993(平成五)年06月07日(月) トミー・モリソンと空位だったWBO世界ヘビー級王座を争うが、大差の判定負け。その後1年以上ブランクが続き、引退も囁かれる
 1994(平成六)年11月05日(土) WBA・IBF世界ヘビー級王者マイケル・モーラーに逆指名され、復帰後3度目のタイトルマッチに臨む。劣勢の中で10Rに逆転の右ストレートでモーラーをKOし、20年ぶりにヘビー級タイトルへの返り咲きを果たした。45歳9カ月での戴冠はボブ・フィッシモンズ(ライトヘビー級)の40歳3カ月を上回る最年長王座獲得記録となった(2011年にバーナード・ホプキンス(ライトヘビー級)が46歳4カ月で更新)。勝利の瞬間、フォアマンはコーナーポストの前で跪き、神に感謝したヨ(=^◇^=)
‡1996(平成八)年11月03日(日) 東京ベイNKホールでクロウフォード・グリムスリーと対戦し(JBC非公認試合・日本IBF協力)WBU王座防衛とともにIBA世界ヘビー級タイトルを獲得(その後、IBAタイトルを返上)
 1997(平成九)年04月26日(土) ルー・サバレーセを破りWBU王座を防衛するがこれも返上
 1997(平成九)年11月22日(土) WBC世界ヘビー級王者レノックス・ルイスへの挑戦権をかけてシャノン・ブリッグスと対戦し、12R判定負け。以後、リングから遠ざかるが、正式な引退表明はしていない。また、自らの名を冠したバーベキューグリル「George Foreman Grill」をヒットさせ、TVドラマやCMに出演するなど、ビジネスでも成功を収めているヨ(=^◇^=)
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 https://ja.wikipedia.org/wiki/ジョージ・フォアマン
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 ┃ 今日は何の日? ┃名称、肩書き、年齢などは当時のものです
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 1949(昭和24)年11月03日(木) 湯川秀樹博士が日本人初のノーベル賞受賞 ⇒ 湯川秀樹博士(写真)が日本人で初のノーベル賞を物理学賞で受賞した。原子核の内部で陽子と中性子を結合させる媒介となる中間子の存在を1935年までに理論的に指摘。47年に実際に中間子が観測されたことで、湯川氏の理論の正しさが実証された【時事通信社】※2021(令和三)年説明追加
 2013(平成25)年11月03日(日) プロ野球・楽天が初の日本一 ⇒ プロ野球の日本シリーズ第7戦で、パ・リーグ優勝の楽天がセ・リーグを制した巨人を3-0で破って4勝3敗とし、創設9年目で初の日本一に輝いた。星野仙一監督は中日、阪神の監督時代を含め、4度目の日本シリーズで初めて頂点に立った。写真は球団史上初の日本一に輝き、選手らに胴上げされる星野監督【時事通信社】※2021(令和三)年説明削除
 1954(昭和29)年11月03日(水) 東宝の怪獣特撮映画『ゴジラ』第1作が公開
 1957(昭和32)年11月03日(日) ソ連が犬を乗せた人工衛星「スプートニク」2号を打ち上げ
 https://www.jiji.com/jc/daily
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 ┃ プロ野球デキゴトロジー ┃写真=BBM
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‡2003(平成15)年11月03日(月) いったいなぜ? 小久保裕紀、巨人への無償トレード
‡2017(平成29)年11月03日(金) 7:05 
 写真◆03年は故障で出場なしだったが、00年から3年連続30本塁打以上。不動の四番だった小久保
 プロ野球の歴史の中から、日付にこだわって「その日に何があったのか」紹介していく。今回は11月3日だ。 
‡2003(平成15)年11月3日(月)、圧倒的な強さでリーグ優勝、さらには阪神を破って日本一を飾った福岡ダイエーホークスが大きく揺れた。 
 前日に福岡市内で祝賀パレードを行った後、翌3日の午前10時から緊急記者会見を開き、小久保裕紀の巨人への無償トレードが発表。その場では説明はなかったが、公私混同のウワサがあった当時の球団社長に対し、選手会長時代の小久保が毅然と抗議し続けたことが確執となって放出話が起こり、小久保自らも移籍を希望したことで急きょ実現したらしい。ただ、なぜ無償だったのかは、いまもはっきりとは分からない。 
 ダイエーの王貞治監督も直前に伝えられたようで記者たちの質問に対し、混乱した表情を浮かべながら、「保有権を持ちながらの放棄がまかり通ったら、チームの崩壊につながりかねない。これは監督としてではなく、球界OBとして言っている。俺は監督だからということではなく、誰にも納得できる説明にはならないだろう」と語気を強めた。 
 2003(平成15)年は故障で棒に振ったが、低迷時代からチームを支えた主砲で、紛れもないチームの精神的支柱でもあった。それだけに仲間の選手も大きなショックを受け、怒りまくった。小久保の後の選手会長だった松中信彦は「ふざけるなと言いたい。来年連覇したいという気持ちが急激に薄れています」と言い切った。 
 小久保はその後、07年にFAでソフトバンクと変わった古巣に復帰した。
************************* https://www.uta-net.com/song/78844
 http://column.sp.baseball.findfriends.jp/?pid=column_detail&id=097-20171103-12 ************************************************************
 ┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓  特大号
 ┃ 『週刊ベースボール』60周年記念企画 No.605 ┃  80円
 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛写真=BBM
‡1969(昭和44)年11月03日(月)特大号 八百長事件は収束するのか?
 2019(令和元)年12月06日(金) 10:14 昨年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。 
◎バッキーの愚痴
 写真◆表紙は左上から時計回りに巨人・王貞治、近鉄・永淵洋三、阪急・長池徳二、巨人・長嶋茂雄
 今回は『1969年11月3日号』。定価は80円。 
 パ・リーグでは阪急が近鉄を振り切り、3連覇を果たし、5連覇の巨人とまたも日本シリーズで激突する。表紙に近鉄・永淵の写真があるということは、締めきりまでに決まらなかったのだろう(本文より表紙のほうが締め切りは早い)。 
 阪急は小林オーナー、巨人は正力松太郎氏(元オーナー)がこの年、死去し、ともに「亡きオーナーのために」と燃えていた。 
 ただ、世間は日本シリーズより、八百長問題にどうしても目が向く。 
 実は、表面化してはいなかったが、賭け屋の問題は球界内で少し前から話題となっており、オーナー間では「真相を解明しなければ」という話もあったらしい。 
 報知・読売が西鉄・永易将之の八百長行為をスクープした際も「ついに出てしまったか、仕方ないな」くらいの受け取り方をする球界関係者が多かったようだ。 
 おそらく彼らは、しばらくすれば、ほとぼりは冷めると思っていたはずだ。 
 しかし、西鉄・国広代表があっさり認めてしまったことで、ごまかしようがなくなってしまった。 
 それだけに「なぜ国広代表はあっさり認めたのか」という批判もあったが、こういうことらしい。以下、国広代表の言葉。 
「読売・報知の取材は12球団全部について、球界浄化のための大キャンペーンを張る。ついては、その突破口として西鉄から手をつけたい、という申し入れがあった。西鉄は悪質な野球賭博に泣かされたほうだし、先方にも膨大な資料があるというから思い切ってやってくれると信じて協力したのに……」 
 このあたりの話から読売・報知の身内である巨人にも火種があり、それを打ち消すために西鉄をスケープゴートにしたという話が、のちのちまでまことしやかに伝えられることになる。 
 巨人がどうだったのかは知らないが、国広発言、そして永易の失踪というショッキングな事態によって、話が西鉄のみにフォーカスされてしまった面は確かにある。 
 球界も問題の拡大を避けるかのように収束に向け、動く。 
 10月13日のパ・リーグ理事会では、証拠不十分として永易を八百長ではなく、「職場放棄」(失踪中だった)として契約違反で処分することを決めた。 
 うやむやにしたいという本音がダダ漏れか。 
 ただ、もはや、そう簡単に終わることはない。 
 10月16日には失踪していた永易に産経の記者がインタビュー。「神に誓ってやっていない」「国広社長を訴えたい」などと言って、大阪の街の雑踏の中に消えたという。 
 八百長話ばかりではつまらない。 
 チコのニッポン日記(バルボン手記)では、近鉄・バッキーの引退について赤裸々に書かれていた。  
 基本的には同情なのだが、書き出しはこうだ。 
「阪神から近鉄にいって辞めて帰ったバッキー。彼はワタシになんのあいさつもせずに帰ってしまった。まったく薄情なヤツや」 
 相変わらず、いい味を出している。 
 スタンカ(南海ほか)と並ぶ通算100勝だったバッキーは、外国人最多101勝を挙げるために近鉄に移籍し、101勝を挙げたら盛大なパーティーをしたいと楽しみにしていた。 
 しかし三原脩監督は4回まで4対0とか、バッキーに勝利投手のチャンスがあっても平気で交代させた。 
 バッキーは「もうやる気なんかないんだ。日本はいい国だけど、たった一人の変な監督のために嫌な思い出を残して帰るのが残念や」とバルボンにこぼしていたという。 
 よく「今どきの若い者は」の永遠の連鎖が言われるが、このときのバルボンも今の言葉と言われてもまったく違和感のないことを言っている。阪神のカークランドが「日本の投手はコントロールがいいので困る」という言葉に反応したものだ。 
「ワタシに言わしたらカークランドは甘いわ。日本の投手がコントロールがいいと言っても、ワタシが来たころの投手のほうがはるかに上だった。ただそのころに比べたら日本の選手はみんな大きい。それだけ力もあるはずだ。だからコントロールが悪いぶんだけは力で補っている」 
 では、また月曜に。<次回に続く>
 備考・・・2018(平成30)年に創刊60周年を迎える『週刊ベースボール』。1日に1冊ずつバックナンバーを紹介
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 https://column.sp.baseball.findfriends.jp/?pid=column_detail&id=097-20191205-01
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%80%B1%E5%88%8A%E3%83%99%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%9C%E3%83%BC%E3%83%AB
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