「音楽&オーディオ」の小部屋

クラシック・オーディオ歴40年以上・・身の回りの出来事を織り交ぜて書き記したブログです。

「音楽&オーディオ」に「現(うつつ)を抜かす」のは幸せの証明みたいなもの

2023年08月28日 | 音楽談義

習慣というものは恐ろしい。夏の時期はあまり「本」を読む気がしないのだが、それでも定期的な図書館通いは止められない。

もしかして、暑さを吹き飛ばすような面白い本に出くわすかもしれないという期待感に背中を押されてのことだが、ピッタリだったのが「世界の中の”日本の順位”がわかる本~すごい日本、ダメな日本が一目瞭然~」。

                   

表紙の裏に次のようなことが書いてあった。

「国別ランキングほど面白い知識はない。日本が世界で“第何位”かというシンプルな情報から、「日本と日本人の本当の姿」 「各ジャンルの意外なトップ国」 「世の中にある大きな動き」まで手に取るようにわかるからだ。雑学知識を楽しみながら、教養を高め、話材も増える本!」

そして、「はじめに」の部分では本書の楽しみ方が述べてある。

1 ちょっとした発見を楽しむ

「日本は島国だから国土は狭い」 「日本人は勤勉で仕事をする時間も長い。教育にも熱心だ」と思っている人は多いだろう。だがランキングを見ていると、それとは違ったおもしろ情報が見つかる。

「国土の広さは世界の上位3分の1にランクインするし、海の広さは世界第6位」 「日本は世界6位の軍事大国」であり、「日本人の働く時間は長くはない」し、「日本は教育熱心な国とはいえない」。驚かれたかもしれないが、外国と比べると「日本の凄い一面・ダメな部分」「日本人の素顔」が浮き彫りになるのだ。

2 日本が抱える課題も浮き彫りになる

「家族を一番に考える人が少ない」「男女の平等度は先進国では最低レベル」「国の借金は危険水域」・・・・図解を見るだけでも数字で具体的に理解できる。

3 逆に日本人が当たり前だと思っていることが、世界では称賛の的になっている例も少なくない。

「時間に正確」「他人に親切」「公共料金はきちんと払う」「世界中のグルメが楽しめる」・・・・。そうした国は実は珍しいことが分かり、日本人として誇りに思える部分を再認識できるのだ。


前置きが長くなったが、本書にザット目を通してみると基礎データとしての「人口」「国土」「経済」「健康・体」を皮切りに、93項目の多岐にわたって世界における日本の順位が記してあった。

1章「日本の技術力が分かる!」 2章「日本の文化・教養」 3章「日本人の健康度」 4章「日本人の頭の中がわかる」 5章「日本の政治問題」 6章「日本の3年後の経済を占う」 7章「世界が評価する“日本と日本人の魅力とは”」

まあ、全体的に日本は好ましい項目群で上位に位置していることが分かって、愛国心をくすぐられることは間違いない。しかも第1章にわざわざ世界に誇れる「日本の技術力」を持ってくるところなんか、なかなか気がきいている。

もう一つ、第2章の中の「音楽売上」の項目にも注目。何と、「全世界の売り上げの4分の1を占める!」というのだ。

ちなみに、2021年における音楽市場規模の国別ランキング(ネットから引用)では、

1位アメリカ 2位日本 3位イギリス 4位ドイツ 5位フランス ・・


欧米の先進国がズラリと顔を並べている中で何と日本は2位ですよ!

どうやら音楽を楽しむには政治的な安定、経済的な“ゆとり”、そしてある程度の知的な環境が必要なのかもしれないですね。


中国は現在GDP世界第2位だが一人当たりにするとおそらく下位に転落するだろうから問題外だし、ロシアが圏外なのも納得がいく。

これまで幾多の名作曲家・演奏家を輩出し、音楽の歴史と伝統に深く彩られた国だけど・・、この国は指導者や政治体制がイマイチですからね(笑)。


さて、「国の豊かさ=音楽好きが多い」を敷衍(ふえん)して、今度は個々人に具体的に当てはめてみるとしよう。

つまり「音楽を楽しむ人はお金持ちなのか?」

残念なことに自分のような例もあるので、これは完全に当てはまらないが(笑)、知人や「よそ様」のブログなど知っている範囲で見回すと音楽愛好家はいずれもそれなりの余裕のある方々ばかり。

「衣食足りて礼節を知る」という言葉があるが、
ある程度の「資産」のゆとり → 「時間」のゆとり → 「心」のゆとり(静謐感も含めて)がないと、音楽(クラシック)を心から楽しめないのかもしれませんね。

それと、忘れてはいけない大切なものが「健康」で、心身の不調や睡眠不足だと、もう音楽やオーディオどころではないですよね。

結局「音楽&オーディオ」に「現(うつつ)を抜かす」のは幸せの証明みたいなものかもしれませんよ~(笑)。


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欠かせない「視覚的な誘因」

2023年08月25日 | 音楽談義

前々回のブログ「百花繚乱のソプラノ歌手たち」は大好評でした。美人の画像が目白押しだったので、訴求力が大きかったのかな・・。

「文章」が主体のブログとはいえ、やはり「視覚的な誘因」は手っ取り早い効果があって、欠かせないようですね~(笑)。

で、そのブログの末尾に掲載した極めつけのソプラノ歌手の画像がこれだった。



声もいいし、見てくれもいいしで、ぞっこんだが残念なことに名前がわからないので、「ご存じの方は教えて~」と呼びかけたところ、ご親切にも2名の方から応答がありました。

そのうちのお一人「ウマさん」(南スコットランド在住)からはこうありました。

「チェコ出身のパトリシア・ヤネチコヴァで、まだ25歳です。
とても残念ですが、昨年2月に乳がんを患ってることを発表し、活動を休止したとのことです。
ウィキペディアに経歴が出ていますし、YouTubeにも出ています。
とても美しい方ですね。僕もうっとりしてます。」

ありがとうございました!

周辺のデータから推測するところ、この画像はご本人が「芳紀まさに19歳」ともいえる「花盛り」の時のようです。(広辞苑「花盛り=容色の最も美しい年頃」)

早く治ってまた第一線で活躍してほしいですね~。

そして、翌日再度ウマさんから次のメール「我がソプラノ歌手」
いただいた。

「中学生の時、音楽雑誌のグラビアに出ていたそのソプラノ歌手に釘付けになった。

なんて可愛いんだろう! 早速、その白黒写真を切り抜いて、机の前に貼りました。
エディット・マティス…ベルリンオペラの歌手だった。僕が一番最初に意識したソプラノ歌手でしたね。
 
それと「スッゲェー美人やなあ」と、その見てくれだけでレコードを買ったのが、エリザベート・シュワルツコップ。

綺麗な声で顔もよし。かなり後年、コンサートに行きましたよ。当時のお金で5千円。貧乏学生にしたら清水の舞台…やった。

フェスティバルホールの最後列…まず、前座のおばちゃんが出てきはった。鉄人28号みたいな体型で貫禄たっぷりだけど、まあ驚いた。素晴らしい唄声で、後ろの席まではっきり聴こえる。前座のおばちゃんがこれだったら、シュワルツコップさんはもう…

ところが、このおばちゃん、延々と唄ってるのよ。で、隣のおじさんに訊いた…
「シュワルツコップさん、なかなか出てこないですね」すると…
「彼女、今、唄ってるじゃないですか」…
がぁ〜ん!ショック!大ショック! シュワルツコップさんが鉄人28号!…お願い!イメージ壊さないで!
 
アンナ・ネトプレコさん…やはり見てくれと歌唱力、そしてスタイルが抜群だった。ところがところが…
YouTube で拝見するそのお姿…だんだん時を経ると…頬あたりがどんどん膨らんできて…

お願い! イメージ、壊さんといてーぇ!
 
「音楽とオーディオ」の小部屋の主さん。やっぱり、見てくれって大事ですよねえ?」  以下~略~。

懐かしい! 私も「マティス」にはぞっこんでした。オペラ「魔笛」や「フィガロの結婚」に出演してましたね。



若いころの映像がどうしても見つからなくて・・、やむなくこの画像を使用しましたが、年齢がいってもこの美貌ですからね~、往時が偲ばれます。

現在85歳だそうです・・。

しかし、外国の女性は年齢とともに肥大化する傾向が後を絶ちませんね。ソプラノ歌手だって例外ではありません。

「ネプレチコ」も「フレミング」もそうです。

ウマさんと同じく「お願い! イメージ、壊さんといてーぇ!」(笑)


 
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百花繚乱のソプラノ歌手たち

2023年08月23日 | 音楽談義

新しいテレビがやってきて我が家の音楽環境が一変したのは先日、投稿した通り。

ちょっと「くどい」かもしれないが、書かずにはいられないほど素晴らしさを満喫しているので続編を~(笑)。

題して「百花繚乱のソプラノ歌手たち」・・。

昔から大好きなモーツァルトの宗教曲「踊れ、喜べ、汝幸いなる魂よ K165」は「ソプラノ歌手と小編成の管弦楽団」という素朴な組み合わせだが、日本ではそれほどポピュラーな曲目ではなくどんな演奏会でもプログラムに入っているのをこれまで見たこともないし、聞いたこともない。

ところが、「You Tube」のテレビ画面でこの曲を検索してみると、ずらっとこの曲のアルバムが登場してくるから驚く。

欧米ではこの曲が中世風の素敵な小ホールで、まるで当たり前のように数限りなく演奏されていることにショックを受けた。宗教音楽がとても身近に鑑賞されている!

で、たくさんのソプラノ歌手たちの歌唱を次から次に楽しませてもらったが、その中でも特上だと気に入ったのが次の2名の歌手。

「Stefanie Steger」



はじめて聴く歌手だったが、声の張りといい、伸び具合といいたいへんな逸材ですね、おまけに見てくれもいい。もう、ぞっこんです(笑)。

そして、次は「Arleen Auger」(アーリーン・オジェー)



いかにも落ち着いた佇まい、自信に満ち溢れた表情のもと、その揺るぎない歌唱力に感心した。こんな歌手がいたなんて・・、大発見である。

急いでネットでググってみると、エ~ッ・・、1993年に59歳で鬼籍に入っていた! まだ若いのに惜しい・・。

ほかにもありまっせ~。

歌劇「死の都」(コルンゴルド作曲)はそれほど有名ではないが、その中の曲目「マリエッタの歌~私に残された幸せは~」は名曲中の名曲で、何度聴いても胸が熱くなる。

この一曲だけで「死の都」の存在価値があると思えるほどで、ほら、歌劇「カバレリア・ルスティカーナ」もあの有名な「間奏曲」で持っているのと同じようなものかもね~。

で、「マリエッタの歌」も演奏会のプログラムに頻繁に登場しているようで、次から次にいろんな歌手が楽しめる。

シュワルツコップ、ミゲネス、オッター、そして日本人の「中江早希」も十分伍しているので楽しくなる。

名前は不詳だがこの歌手も大変良かった。



こうして、次から次にお気に入りのソプラノ歌手たちがタダで発掘できるのだから、もう時間がいくらあっても足りない(笑)。

そういえば、昔の演奏会のプログラムは「ソプラノ」が中心だったんですよねえ。

裏付けるために、ずっと以前のブログから抜粋してみよう。

図書館から借りてきた「クラシック名曲全史」に目を通していたら、興味深い資料があった。



「1783年のモーツァルトの音楽会のプログラム」

いわば240
年前の「音楽会」の演目なので極めて珍しい。

モーツァルトは1791年に35歳で亡くなったので、換算すると27歳のときの演奏会になる。

ウィーンで開かれた演奏会のプログラムの内容はこうだ。

1 序曲「ハフナー」交響曲

2 オペラ「イドメネオ」よりアリア(ソプラノ)

3 ピアノ協奏曲K415(モーツァルト演奏)

4 オペラのシェーナK369(テノール独唱)

5 「ポストホルン」セレナードの協奏曲楽章

6 ピアノ協奏曲K175(モーツァルト演奏)

 

7 オペラ「ルーチォ・シッラ」よりアリア(ソプラノ)

8 モーツァルトのピアノ独奏

9 オペラのシェーナK416(ソプラノ独唱)

10 終曲(序曲の終楽章)

解説によると、当時の音楽会の目玉演目はいつも声楽であり、注目されるのも声楽家たちだった。

1番と10番はオーケストラだけの演奏で、まだ電気も発明されておらず普及していない時代なので1曲目の序曲は開幕のベル代わりであり、最後の10曲目にあたる終曲は終了の合図だった。

つまり交響曲はベル代わりで「前座」のようなものでありコンサートの華は歌曲だった。

以上のとおりだが、コンサートの華が歌曲だったということに大いに興味を惹かれる。人の声(ボーカル)は昔も今も変わらない「最高の楽器」なのでしょうね。

我が家の音楽鑑賞においても中心となるのはやはりボーカルだが、その再生は簡単そうに見えて実はオーディオ機器の欠点を洗いざらい白日の下にさらけ出す手強い難物でもある。以下~略~。

以上のとおりだが、「You Tube」を通じて欧米のソプラノ歌手たちの充実ぶりに感心すると同時に、我が家のオーディオシステムの対応力にもこの上なく満足していますぞ!(笑)

最後に、モーツァルトの名曲で誰もがウットリする「ラウダーテ・ドミヌム K339」(讃美歌)を歌ったこの歌手にも惚れ込んで毎日、「目」と「耳」の保養をさせてもらってま~す(笑)。

どなたか、名前を知っている方は教えてくださいな~。



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「You Tube」で一変した我が家の音楽環境

2023年08月10日 | 音楽談義

「またか、くどい!」と言われそうだが、「You Tube」(テレビ)のおかげで一変した我が家の音楽環境。

もう毎日がワクワク ドキドキだが、身近に感じていただくために二つの具体例をあげてみよう。

1 「4つの最後の歌」(リヒャルト・シュトラウス)

この曲は稀代のクラシック愛好家で作家の「百田尚樹」さんによると「ヨーロッパ音楽が最後に行き着いた至高の名曲」とのことで、「人生を変えた名曲ベスト10」の中で堂々と第1位に輝く作品である。

たしかに、聴き込めば聴き込むほどに胸を打たれる名曲で、この曲目に感銘を受けない人はクラシックを愛する資格なしと、つい断言したくなってしまうほど・・(笑)。

で、たまたま図書館で目に触れたのがこの本。



作家の村上春樹さんが愛好するクラシック・レコードの紹介本。

村上さんが好きだからといってどうってことはないが、新たに好きな曲目を発掘できる可能性もあるのでざっと目を通してみた。

すると、180頁に目が留まった。



5人の歌手が紹介してあるが、そのうち「デラ・カーザ」(ソプラノ)はまだ聴いたことがないなあ・・。

どれどれ、こういうときこそ「You Tube」(以下「Y」)の出番だ。

テレビのリモコンスイッチで「Y」をポチッと押して検索画面を出し「4つの最後の歌」と打ち込んだ。

すると、ズラリと出てきました!



嬉しいことに、ルネ・フレミング、デラ・カーザなどがずらっと勢ぞろい。

手持ちのCDは「シュワルツコップ」「バーバラ・ボニー」「ヤノヴィッツ」の3人だけだったので狂喜乱舞しましたねえ!!

いろんな歌手をたっぷりと聴かせてもらった。

で、村上春樹さんの一押しは「シュワルツコップ」だったが、この歌手はどうも技巧的に走りすぎる傾向があって「イマイチ」だと常々思っている。つまり自分とはあまり相性が良くない。

前述の百田さんの「一押し」は、「ヤノヴィッツ」(カラヤン指揮)である。

そこで「お前の一押しは?」と訊かれるとそれが困るんですよねえ・・。

しばし、時間をくだされ~(笑)。

2 「夜に聴きたいモーツァルト」

「Y」の検索画面に「モーツァルト」と打ち込んだら、山のように関連楽曲が登場してくるが、そのうちの一つに「夜に聴きたいモーツァルト」というアルバムがあった。



何気なしに聴いているとモーツァルトの「アダージョ」(緩徐楽章)ばかりが勢ぞろい。

「アダージョ」となると定評があるのはベートーヴェンだが、自分はモーツァルトの方が好き~(笑)。

で、その内訳は・・

1 弦楽五重奏曲1番 K174
2 クラリネット五重奏曲 k581
3 ピアノ協奏曲27番 K595
4 弦楽四重奏曲19番 「不協和音」 K465
5 セレナード12番 K388
6 クラリネット協奏曲 k622
7 弦楽四重奏曲23番 k590
8 ヴァイオリン・ソナタ34番 K378
9 ドン・ジョバンニ セレナーデ K527
10 自動オルガンのためのアンダンテ k616

 もう、いずれもが透明感に満ち溢れ「涙が追い付かない悲しみ」が疾走していく・・、心に浸み入ってくる名曲ばかりです! 

しかも・・、いかなる「モーツァルト通」といえども、これまで聴いたことがない曲目がきっとあるはずで、「自動オルガンの・・・」なんて誰も聴いたことがないんじゃない・・。

これで、我が家の音楽環境がまるっきり一変した状況がお分かりいただけたかな?(笑)。

音楽好きにとって、まるで夢のような時代がやってきましたね。



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始まった「三つ巴の戦い」

2023年08月06日 | 音楽談義

「子供が新しいおもちゃを手に入れたみたいに、大の大人がはしゃぎ回っている」と、そしられても仕方がないかもしれない(笑)。

不意打ちみたいなテレビの故障に伴いやむなく買い代えたものの、それはたまたま「You Tube」(以下「Y」)が受信できるテレビだった!

そして、およそ1週間余り経つが「音楽の宝庫」ともいえる「Y」の威力に毎日唸るばかり~。

まさに、「ピンチはチャンス」で今ではつくづく故障してよかった!

で、「何を今さらYか・・」といわれそうだが、実はオーディオシステムにテレビを組み込んでいない人は多いので、「それは初耳だぞ」という方もかなりいるみたいですよ。

その証拠に、8月3日付けのブログ「おいおい、今さらY・・」は驚くほどの凄いアクセス数が殺到してぶったまげてしまった。それだけ関心のある方が多かったことになる。

テレビの役割は確実に変わりつつありますな・・。

お互いに時代に取り残されないようにしましょうね~(笑)。

で、実際にその活用の一端をご紹介しよう。

まずは、「Y」のチャンネルを選択し、検索画面に「Mozart」と打ち込んだところズラリといろんなアルバムが勢ぞろい。リラックス系の「名曲100選」とか実に頼もしい!

次に、調子に乗って「まてき」と打ち込んだところ反応なし、そこで「おぺら まてき」(オペラ 魔笛)と打ち込んだところこれが大ヒット!

もう次から次にいろんな指揮者の「魔笛」のアルバムが登場してくるのだからビックリ仰天。

中でもクレンペラー指揮の「魔笛」には驚いた。このアルバムは周知のとおり、珍しくスタジオ録音で「台詞」だけの演奏になるのだが、画面にその台詞が「日本語訳」で出てくるんですよねえ・・。

しばし名演を堪能させてもらった。

そして、さあ・・、いよいよ調子に乗って「おどれよろこべなんじさいわいなるたましいよ」(「踊れ、喜べ、汝幸いなる魂よ」)と打ち込んでみた。

「K165」だからモーツァルトの20歳前後の作品だが、彼の宗教曲の中では一番好きな曲目で、まあ、長ったらしいタイトルだし無理だろうなと半分諦め気味だったところ見事にヒットしたのには心底驚いた。

ズラリとソプラノ歌手たちのアルバムが登場してきて、まさにより取り見取り・・。



その中でも、この身元不明の歌手が素晴らしかった。

「見てくれ」も「歌いっぷり」も最高で、もうまるで恍惚の世界へ・・。

夢中になって、少なくとも朝昼晩を通じて5回は聴いてますよ~(笑)。

ほかにもこの曲に関する優秀録音が目白押しで、「ソプラノ」歌手のたいへんな充実ぶりに目を見張った。

いかに自分の世界が狭かったか・・、「Y」を通じて痛切に思いしらされました!

まだジャズは試していないが、たとえば「ダイアナ クラール」と検索画面に打ち込めば、アルバムが山ほど出てくるに違いない。

一枚だけならまだしも、数知れぬほど選択の機会に恵まれるのだから、「Yは音楽の宝庫」ですね。

これはもう音楽鑑賞に必須でしょう・・。

こうなると「ミステリー番組」を録画するのが何だか馬鹿らしくなってもはや毎日が「音楽三昧」の状態へ。

しかもこのテレビは「USB端子」が3個もあって「ブルーレイレコーダー」を接続しなくても直接録音出来る仕組みになっている。

そこで、テレビを購入した大型店に再び走った。



何と「4TB」のハードディスクが「1万2千円」と格安の状態だった。ひところは「1TB」でそのくらいのお値段だったのに・・。

これから、大量の番組が録画できますね(Y関連の番組は無理だけど)。

いよいよ「テレビの寿命」、「ハードディスクの寿命」、そして「自分の寿命」の「三つ巴の戦い」が始まった~。

こんなに楽しくて豊かな「音楽ライフ」を手に入れたんだから、先にくたばってたまるか・・(笑)。



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水増しされたブログ、そして音楽

2023年08月05日 | 音楽談義

懇意にさせていただいているメル友さんから、このほど「このところブログが、ほぼ日刊になっていますね。読者として大歓迎です。」というご連絡をいただいた。

そう言っていただくと光栄ですが、実は読者のためではなく自分のためなんですよ(笑)。

というのも・・、

ブログを始めてからこの10月下旬で丸17年になるが、これまではほぼ2日に1回のペースだった。


実を言うと「この程度のブログでも安売りなんかしないぞ」(笑)という気概を持っていたのだが、このところ(ブログの)投稿にやや疲れとマンネリ感を覚えてきた。

1日休みを置くと次に投稿するのがつい億劫になってサボりたくなってくる、そこで連日投稿すればそういう気にならないかもしれないと自分を奮い立たせて追い込もうという魂胆だ。

今のところ生活の「リズム」の一部になっているせいか「億劫感」もないが、何しろ移り気な性格なのでいつまで続くことやら・・。

ただし、量が増えたことによる内容の吟味がおろそかになっていることはたしかで、流れ作業みたいになって勘違いやミスも多くなっているし、これまでも大した内容ではなかったが、ますます粗製濫造気味かなあ~(笑)。

たとえば、どうでもいいようなことをぐだぐだと引っ張って「水増し」しているケースもあったりするので賢明な読者はきっとお気づきのことだろう。

「水増し」する能力ってのもあるなあ・・・。

で、「水増し」といえばついブルックナーの「交響曲」を思い出す。

音楽とオーディオの大先達だった「五味康佑」さん(故人)はブルックナーの交響曲について「芳醇な美酒だけどやや水増し気味」といった趣旨のことをたしか記載されていたはずだ。

五味さんの著書はほとんど目を通しているので、探してみるとやっと見つけました!

   

22頁に載ってた。長くなるが引用させてもらおう。

小題は「明けても暮れてもブルックナー」

「今はそれほどでもないが、一時やたらとブルックナーのレコードが発売されFMの時間帯にも登場した。ちょっとしたブルックナー・ブームだった。なぜ、そうなのか?

アントン・ブルックナーの交響曲はたしかにいい音楽である。しかし、どうにも長すぎる。酒でいえばまことに芳醇であるが、量の多さが水増しされた感じに似ている。

これはブルックナーの家系が14世紀までさかのぼることのできる(むろんマーラー同様彼もユダヤ人だが)農民の出であることに関係がありそうだ。

つまり、のどかな田園の明け暮れ、生い立ち、音楽的にも地方の教会オルガニストとして出発したので~晩年までこれは変わらなかった。一時パリのノートルダム大聖堂のオルガン奏者だったこともある~都市の喧騒や苛立ちとは無縁な農夫の鈍重さ、ともいうべき気質に馴染んだためだろう。

それにしても、だからといって彼の膨大な交響曲ばかりが発売される理由にはなるまい。

理由は、うがった見方をすれば、ほかに売り出すレコードがなかったからだと私はみている。LPがステレオになって、クラシックでは当然ながらまずベートーヴェンやモーツァルト、大バッハの名曲が相次いで発売され、名のある指揮者やオーケストラは競ってこれらを録音した。

なかには極め付きと称される名盤もできた、そうなれば月々なにかを発売しなければならぬレコード会社は他に新分野を開拓せねば営業が成り立たず、そこでクラシック盤が一応出そろうと、あと、売れやすいワーグナーの楽劇からマーラーにいたり、ついにブルックナーに手を出した。出さざるを得なかった(一曲でレコード2,3枚買わされるのだから)と私は思う。

まあ、そのおかげで以前はあまり聴く機会もなかった彼の芳醇な曲を味わえたのだから文句はないが、でもやっぱり長いなあ。水増しされてるなあ。

それをまた丹念に抜粋もせず放送局は流している。なにかブルックナーさえ鳴らしとけば放送時間がうずまると担当者は横着に考えるからではないか、と僻みたいくらいで、要するにその程度の音楽にすぎない。明けても暮れてもブルックナーでは閉口である。」

以上のとおりだが、「水増し」という言葉から意外な方向に展開してしまい、おかげさまで今回のブログも随分「水増し」させてもらいました(笑)。

ちなみに、ブルックナーの極めつけの名曲と録音は周知のとおり指揮者チェリビダッケによる「第八番」(リスボン・ライブ盤)ですよね。

これまでオークションで海賊版としてずっと高値を呼んできたが、このほど正式に発売された由。


でも、こうやって並べて書いてみると、作曲家と指揮者ともにゆったりとしたテンポといい「水増し気味」といい、似たような共通点があると思いませんかね(笑)。

   

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和気あいあいの演奏から「いい音楽」は生まれない

2023年07月23日 | 音楽談義

このところ、MLB「大谷選手」についての報道が喧(かまびす)しい。トレード期限(8月1日)が迫る中で、シーズン後の本人の「FA」も絡んだ話なのでメチャややっこしい話になっている。

そもそも「エンゼルス」の成績が良くてプレーオフの進出が濃厚であればこんな騒ぎは起こらないのにね。

エンゼルスの監督がこう言っている。「みんな和気あいあいと楽しそうに野球をやっているので成績もきっと上向きになるはずと信じている」

え~っ、ちょっとおかしいんじゃないかな。

大谷選手が入団してから今年で6年目になるので、ずっと注視してきたが「このチームの体質は甘い」という感じがしてしかたがない。

野球で勝つためには「投手力、守備力、打撃力」のバランスが必要だが、このチームはあまり当てにならない「打撃力」ばかりを重視して高額の契約金で選手を引っ張ってくる。

もっと、投手力と守備力を重視すべきなのに・・。

そして、チームに「緊張感と厳しさ」が足りないためかエラーがメチャ多い・・、そういうことにまだ気が付かないのか!

とまあ、日本の片隅で部外者がどう喚こうと効き目はないけどね(笑)。

という導入部のもとに、「和気あいあいの演奏からいい音楽は生まれない」といこう。

このブログはオーディオ関係の記事が半分以上を占めているが、
正直言って「オーディオ・マニア」と言われるよりも「音楽愛好家」と言われる方がうれしい。

女性が「仕事ができると言われるよりも、可愛いと言われたほうがうれしい」のと同じかな(笑)。

そういえば、これまでたくさんのオーディオ愛好家とすれ違ってきたが長続きしている人は「心から音楽が好き」という人が多かった。

このブログでいつも小難しい理屈を振り回しているようだがシンプルに言えば、ただただ「好きな音楽」を「好きな音」で聴きたいというだけのことである。

というわけで、今回は音楽ネタということで・・。

いつぞやのブログで、独裁者のようだった指揮者トスカニーニを引き合いに「指揮者とオーケストラの関係が和気あいあいの雰囲気ではいい音楽は生まれない」なんて生意気なことを書いたものの、所詮は音楽現場に疎いズブの素人の「たわ言」と受け止められても仕方がない。

そこでオーケストラの一員それもコンサート・マスターとして第一線でバリバリ活躍している方に応援してもらうことにしよう。

語るのは矢部達哉氏(1968年~ )。

90年に22歳の若さで東京都交響楽団のソロコンンサートマスターに就任して大きな話題を集めた現役のヴァイオリニストである。97年NHK連続テレビ小説「あぐり」のあの美しいテーマ音楽を演奏した方といえば思い出す人もあるかもしれない。

 

この本の第4章「指揮者はオーケストラを超えていたら勝ち」に対談形式で述べられていた内容である。

 指揮者とオーケストラが仲良し友だちみたいだと奇跡的な名演は生まれにくいのですか?

生まれにくいと思う。結果的には練習のときに僕が指揮者から怒鳴られて嫌な気持ちはしたけど、その演奏会を思い出すと幸せなんです。

その指揮者をものすごく尊敬するし、尊敬の気持ちって一生消えない。仲良く和気あいあいとやった場合に、芸術的な深みのある演奏をした記憶がないんです、残念ながら。

ものすごくいい演奏ができるのは一年に一度か、運がいいと二度、三度かもしれない、そういうときはある種のストレスとか、負荷がかかって舞台にいるんです。

すごい緊張かもしれないし、このメロディを綺麗に吹くことができるかどうかっていう瀬戸際かもしれない、そういうことを感じながらみんなが次々にクリアすることが積み重なって奇跡が起こることがある。


ある意味で、そういうストレスとか負荷を与えてくれる指揮者でないと、名演はできない。みんながご機嫌で全然ストレスがなくて、いい指揮者だな、この人はなにか居心地がいいよなっていうときはそこそこしか、いかないです。

だから、今まで僕が経験した、素晴らしかった演奏というのはいい意味でのストレスは沢山ありましたよ。指揮者からの音楽的な要求が高くて、自分やオーケストラがそこまで行かれるかどうかを考えているときは精神的にプレッシャーがかかるけど、それを乗り越えたときにいい演奏ができる。

☆ コンサートマスターにとって、指揮者とはどのような存在なのですか?

指揮者って本当にミステリー。指揮者がいなくても演奏はできるがレベルをもっと高いところまで持っていくためには、やっぱり指揮者は絶対に必要。

レベルの高いオーケストラには、音楽に対する確固たる信念と個性を持った一流の器楽奏者が沢山集まっています。だから、指揮者はオーケストラの存在を超えているんじゃないかと思わせる人が勝ちなんです。

それはおそらく勉強とか経験とか、耳がいいとかスコアがよく読めるとか、そんなことではダメかもしれない、というのが僕の意見。

「生まれたときからそういう資質がある人じゃないと指揮者にはなれない」と、ある人が言っていますが、指揮者になれないのになっちゃっている人が意外に多いんです。「この指揮者は本物だ」と思える人はひと握り。

本物の指揮者だったら、音楽を離れたときにどんな人なんかあまり気にしない。音楽がものすごく出来て、しかも人間的にもバランスが取れている指揮者なんて、ほとんど聞いたことないです。

本物の指揮者は人並み外れているっていうのが僕の考え。そういう能力があって我々やお客さんに喜びとか幸せを与えられる指揮者なら意地悪だろうとお金に汚い人だろうとかまわないんです。

以上、関連箇所の抜粋だが、随分と歯切れのいい発言でこれが指揮者に対するオーケストラ側のおよその見解とみてもいいかもですね。

ところで、以上の話は「演奏」という言葉を「仕事」に置き換えると音楽の世界だけではなく私たちが一般的に働いている職場にも通じるような話になる。

たとえば「なあなあの仲良しクラブみたいな職場ではいい仕事が出来ない」とは在職中にもよく聞かされた話だが、ともすれば穏やかな方向へ流されがちだった我が身にとってはいささか耳の痛い話である。

組織の世界では単なる「いい人」では済まされないことが多い。

「厳しい上司と忠実な部下」という構図が当たり前のように求められるが、ストレスを受ける部下にしてみれば迷惑千万な話で「居ないのが一番いい上司」と言われる所以だろう。

「あいつは悪(ワル)だ」とレッテルを張られることはひとつの勲章といってもいいが、そこはそれ本人の人徳とも微妙に絡んできて「いい人」と「ワル」との兼ね合いがなかなか難しい。

結局のところ、最後の決め手となるのは「組織への忠誠心」と「人間的な誠実さ」にあるような気がするが、その辺が才能が優先する音楽芸術の世界と大きくかけ離れているところですかね・・。

いずれにしても現役を引退した身分だから、すっかり気楽で勝手気ままの言いたい放題です(笑)。


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満足と不満足の間を永遠に彷徨う

2023年07月14日 | 音楽談義

日本経済新聞の文化欄に「交友抄」という短い記事が連載されている。

各界で名を知られた方々が毎回登場して親しい友達との現在の交流状況を記載したものだが、つい先日の記事にはこういうことが記載されていた。

「久しぶりにごく親しい友人と会った際にこれからの生き方ということで次の3つの申し合わせをした。1 健康管理に気をつけること 2 奥さんを大切にすること 3 夢を持ち続けること。」

1と2は分かるが3となるとちょっと難しい。はてさて、夢ねえ・・・・。

オーディオで理想的な音を出すことも一つの夢だが、いかにもこじんまりとしていて披露するのがチョット恥ずかしくなる
(笑)。

そういえば、夢らしい夢を持たないまま生き続けてきたことになるが、
皆さまは何かしらの夢を持ち続けていますか?

夢といえば、作曲家「グスタフ・マーラー」が在世時に
「やがて私の時代がやってくる」
とカッコいい言葉を遺したことを思いだした。

一生に一度でもいいからこんな言葉を吐いてみたいものだが、しがない一介の市井の徒にはまったく縁がなさそう(笑)。

懐古趣味に陥って過去の業績を徒に振り返ることなく明るい希望に満ちて未来に目を向けるところが何よりも素敵~。

「人の評価は棺を覆うてのち定まる」という諺があるが、ほんとうの芸術家とは作品を通して時代を超越し、生き続ける存在なのだろう。

それにひきかえ、「現代の芸術家たちは現世での名声と栄華をあまりにも短兵急に追い求めすぎてはいないだろうか」と、思うことが再々ある。

金持ちの芸術家なんかよりも「貧乏で不遇な芸術家」に“時代に迎合しない高潔さ”を感じるのは自分だけだろうか。

さて、マーラーは九つの完成した交響曲と未完の第十番、そしていくつかの歌曲を遺した作曲家として知られているが、周知のとおり今では世界中の大半のオーケストラがその作品をレパートリーに取り入れ、コンサートの定番としているので彼の「夢」は見事に的中したことになる。

現在、よく聴いているのがマーラー作曲の交響曲第4番(CS放送「クラシカ・ジャパン」による録画)。

指揮者:ワレリー・ゲルギエフ

演 奏:WOP 2010(ワールド・オーケストラ・フォー・ピース)

会 場:ロイアル・アルバート・ホール(ロンドン)

演奏時間:60分

      

演奏がWOPとあるので、どうやらユネスコ行事の一環として世界中から寄せ集められた演奏家ばかりのようだが、コンマス(コンサート・マスター)には、あの「ライナー・キュッヘル」氏がスカウトされているのでウィーン・フィルのメンバーが主力になっているのだろう。

4番と並んで好きなのは「大地の歌」の第六楽章で、旋律と歌詞(漢詩:孟浩然と王維)に「この世への大いなる惜別の情と諦観」を感じるので晩年に聴くのにはふさわしい曲目。

ちなみに、晩年に大作曲家たちがどういう曲目を好んで聴いていたのかというのは興味のあるところで、一例を挙げるとショスタコーヴィッチは「大地の歌」だし、ストラヴィンスキーはベートーヴェンの後期弦楽四重奏曲群にこだわっていた。

そして、あのモーツァルトは死の床に就きながら時計を見て「(上演されているオペラ魔笛に思いを馳せ)今ごろはちょうど”夜の女王”の出番だ」とつぶやいた。

話は戻って、本題のマーラーについてだが現代では作曲家として非常に有名だが、実は生存中は音楽家としての時間の大半(5/6)をオペラ指揮者として過ごしていた。音
楽家マーラーの一つの不幸は、その死後、作曲した作品が高く評価されたため、指揮者としての業績が隠れてしまったことだという。

もちろんほかにもあって、当時は何せ録音技術なんか存在しなかったので、現在では彼の指揮した曲目をまったく聴く機会がないのも大きな理由の一つ。

というわけで、珍しいことに指揮者としてのマーラーにスポットを当てたのが次の本。

「指揮者 マーラー」(河出書房新社刊、著者:中川右介)

                           

本書では意識的にマーラーの創作とその過程については最低限のことしか触れず、指揮者としてのマーラーが当時の音楽界でどのようなポジションにあり、そのポストをめぐり、どのようなドラマがあったのかに焦点を絞り、なおかつ彼がいつどの演奏会場でどういう曲目を指揮したかを詳らかにしている。

興味を引かれた点を私見を交えながらピックアップしてみよう。

 ヨーロッパでの音楽鑑賞といえば歌劇場における「オペラの上演」が圧倒的な割合を占めている。マーラーは極論すれば、ワグナーとモーツァルトのオペラの指揮ばかりしていたが(2025回も!)、とりわけ「魔笛」を振った回数は歴代指揮者の中でN0.1ではなかろうかと、思うほどその多さに驚く。

なお、当時ワグナーのオペラを指揮する事は指揮者にとって憧れの的であり、そのために指揮者同士がその権威とポストをかけて血まなぐさい(?)争いを展開している。その点でマーラーはニキシュ(ベルリンフィル常任指揮者)とも正面きって争うなど実に好戦的だった。


 マーラーの作品には同年代の作曲家リヒャルト・シュトラウスのようにはオペラがない。なぜなら、マーラーはいつもオペラの指揮をしていたので夏休みに入るとその息抜き(オペラを忘れる!)をするために交響曲の作曲に没頭していたからである。

もし、マーラーがシンフォニー・コンサートの日々が続いていたら、、今度はシンフォニーを忘れるためにオペラを書いたかもしれない。それにしてもあのシンフォニー群が「夏休みの余技」として書かれたのには驚く。


 マーラーは名だたる指揮者になってからも2~3年おきに音楽監督や常任指揮者などの職を辞して各地を転々としている。プラハ、ライプツィヒ、ブダペスト、ハンブルクでもマーラーさえ辛抱すれば、もっと長く居れた。

転職の理由は、常によりよい条件を求めてのキャリア・アップ、そしてあまりにも過酷な練習を楽団員に強いたり、強引な手法をとるため反対派が多くなって居づらくなるなどが挙げられるが、そのほかにも「成功した日々」に飽きたという可能性が大いにある。つまり「成功は飽きる」のだ。 

以上のとおりだが、「音楽家マーラーは何よりも当代一流の指揮者として活躍しておりシンフォニーを作曲したのは余技だった」という視点から考えるとハハ~ンと思い当たる節(ふし)がある。

これはあくまでも個人的な意見だが彼の音楽にはベートーヴェンのように作曲に対する必然性と強い意志が感じられない。しかもバッハのような「神への敬虔な祈り」はないし、管楽器を筆頭にいろんな楽器を多用してオーケストレーションは巧みだが、やや耽美的に走り過ぎるきらいがあるのもそのせいで、結局、耳当たりのよい「ながら聴き」に向いている音楽のような気がする。

マーラーさん、ゴメンね・・(笑)。

さて、最後に出てくる「成功は飽きる」という言葉だが、卑近な例を挙げると我が家の「オーディオ・システム」では常に数系統のシステムを操っているが、面白いことにあまりに「気に入った音」を出してくれると、日常聴くのは不思議と不満足なシステムの方に偏る傾向がある。

「何とかもっといい音にできる工夫はないものか」と考えながら聴く方が何となく”安心”できるのである。

結局、「オーディオ・システムは8割程度の出来に留めておく方が一番楽しい」なんて思ったりするが、これは「成功は飽きる」に一脈相通じるところがありはしないだろうか。

つまるところ、
満足と不満足の間を永遠に彷徨(さまよ)うのが、いちばん自分の性に合っていそうだなあ(笑)



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音楽は楽譜で読むものなのか?

2023年07月08日 | 音楽談義

音楽好きの作家「村上春樹」さんのエッセイには、興味のあるエピソードが満載だが「インタビュー集」~夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです~」の185頁に次のような問答が収録されている。

質問:「20世紀の偉大な文学作品の後にまだ書くべきテーマがあるでしょうか?文学にはもはや書くべきテーマも、言うべきものごともない、という意見に同意されますか?」と、一人の外国の愛読者が発する問いに対して村上はこう答えている。

回答:「バッハとモーツァルトとベートーヴェンを持ったあとで、我々がそれ以上音楽を作曲する意味があったのか?彼らの時代以降、彼らの創り出した音楽を超えた音楽があっただろうか?それは大いなる疑問であり、ある意味では正当な疑問です。そこにはいろんな解答があることでしょう。」

とあり、以下長くなるので要約すると「音楽を作曲したり物語を書いたりするのは”意味があるからやる、ないからしない”という種類のことではありません。選択の余地がなく、何があろうと人がやむにやまれずやってしまうことなのです。」とある。

文学的には、村上さんが理想とする書いてみたい小説の筆頭は「カラマーゾフの兄弟」(ドストエフスキー)で、小説に必要なすべての要素が詰まっているそうで、そのことを念頭に置いて解答しているわけだが、興味を引かれるのは音楽的な話。

「バッハ、モーツァルト、ベートーヴェンの3人組に対して、はたして他の作曲家の存在意義とは?」

これはクラシック音楽における永遠のテーマではないだろうか。

「ブラームス、ワーグナー、マーラー、ブルックナーなどが居るぞ」と声高に叫んでみても前述の三人組の重量感にはまったく抗しようがないのも、なんだか虚しくなる事実である。

たとえば、このところマーラーの「4番」(クレンペラー指揮)をよく聴いているが、聴き心地はとてもいいのだが、聴き終わってから心に響いてくるもの、いわば「美」についての深い意識や「人生の感慨」を巻き起こすほどの訴える力がないのはいささか残念・・。


本書には、もうひとつ音楽に関して興味あることがあった。(312頁)

村上さんは映画が好きで青春時代に台本(シナリオ)を読み耽ったそうだが、それが嵩じてそのうち自分なりの映画を空想の中で組み立てていくクセがついてしまった。

それは、近代音楽の雄であるアーノルド・シェーンベルクが「音楽というのは楽譜で観念として読むものだ。実際の音は邪魔だ。」と、言っていることと、ちょっと似ているとのこと。「実際の音は邪魔だ」とは実にユニークな言葉。

「楽譜を読みながら音楽を頭の中で想像する」ことが出来れば実にいいことに違いない。第一、それほど広くもない部屋の中で我が物顔で大きなスペースを占めているオーディオ・システムを駆逐できるのが何よりもいい(笑)。

文学は文字という記号で行間の意味を伝える仕組みになっているが、音楽だって音符という記号で情感を伝える仕組みだから同じようなものかもしれない。

もしかして、楽譜が読める音楽家がオーディオ・システムにとかく無関心なのもその辺に理由があるのかもしれない。人間が勝手に描くイマジネーションほど華麗なものはないので、頭の中で鳴り響く音楽はきっと素晴らしいものに違いない。

これからはオーディオに投資することを止めて、できるだけ頭の中で想像しながら聴くことにしよう、といっても残された時間はもうそれほどないのだが・・(笑)。

最後に「チャットGPT」に訊ねてみた。「音楽は楽譜で読むものなのか?」

「音楽というのは楽譜で観念として読むものだ。実際の音は邪魔だ。」という文言は、一部の人々が持つ音楽に対する特定の視点を表現しています。しかしながら、この主張は音楽に対する普遍的な見方ではなく、個人の主観的な意見に過ぎません。

音楽は、楽譜によって表現される一方で、その本質的な要素は音そのものにあります。楽譜は、音楽の構成や演奏方法を示すための手段として重要ですが、音楽はそれを聴くことによって魅力を持つものです。実際の音は、感情や表現を伝えるための重要な要素であり、楽曲の魅力や感動を体験するためには不可欠です。

さらに、音楽は文化や伝統、個人の創造性と密接に結びついています。演奏者や歌手は楽譜を基にしながらも、その音楽を自身の解釈や感性で表現します。音楽は生き生きとした表現であり、単なる観念や抽象的な概念を超えたものです。

したがって、音楽を楽譜だけで理解しようとするのではなく、実際の音に耳を傾けることが重要です。音楽を聴くことで、感情的なつながりや個人的な響きを体験し、より豊かな音楽の世界を探求することができます。」


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音楽は認知症のバロメーターか?

2023年06月18日 | 音楽談義

つい先日、倉敷市からお見えになったYさんは電気にお詳しい方だったが、総じて「音楽&オーディオ」が好きな人はどうも理系人間に偏っている傾向があるように見受けられる。

また、クラシックやジャズに熱心な医師、歯科医、建築関係の技師さんたちも専門誌などでよく見かけるのであながち間違いではなかろう。

で、なぜ理系人間に「音楽&オーディオ」好きが多いのか。

これに関しては数年前のブログでも身の回りの実例を挙げて投稿したことがある。ご記憶だろうか・・。

一部抜粋すると、

周知のとおり、ほとんどの人が高校時代に大学受験のため「文系と理系のどちらに進むか」の選択を迫られるが、これはその後の人生をかなり大きく左右する要素の一つとなっている。そのことは、一定の年齢に達した人たちのそれぞれが己の胸に問いかけてみるとお分かりだろう。

「自分がはたして理系、文系のどちらに向いているか」なんて、多感な青春時代の一時期に最終判断を求めるのは何だか酷のような気もするが、生涯に亘る総合的な幸福度を勘案するとなれば、なるべくここで誤った選択をしないに越したことはない。

現代でも進路を決める際の大きな選択肢の一つとなっているのは、おそらく本人の好きな科目が拠り所になっているはずで、たとえば、数学、理科が好きな子は理系を志望し、国語、英語、社会などが好きな子は文系志望ということになる。もちろんその中には「数学は好き」という子がいても不思議ではないが・・。

それで概ね大きなミスはないのだろうが、さて、ここからいよいよ本論に入るとして、なぜ、音楽好きは理系人間に多いのだろうか、その理由について実に示唆に富んだ興味深い本がある。



序文に音楽と数学の関わり合いについて次のようなことが述べてある。

「私たちは、数の世界の背後には深い抽象性があることを、ほとんど無意識で感じています。音楽によって与えられる快感は、ときにはこの抽象世界の中を感覚的に漂う心地よさで高まり、それは広がっていく心の小宇宙に浮遊し、魂が解放されるような感動まで到達することがあります。~中略~。音楽は数の比によって成り立っており、それを考える数学の一分野です。」(抜粋)

抽象的だけどなかなか含蓄のある文章だと思うが、要するに音楽は数の比によって成り立っており数学の一分野というわけ。

さて、それはそれとして
ここから新たにどう展開しようか・・。

困ったときは
「チャットGTP」の出番だ~(笑)。

「数学と音楽の関連性について、段階的に考えてみよう」と打ち込んでみた。

ちなみに「段階的に考えてみよう」と、質問の末尾に付け加えるだけで(チャット「GTP」の)「正答率が上がる」とNHKのテレビ放送で紹介していましたよ。

で、答えは以下のとおり。

「数学と音楽には深い関連性があります。以下では、段階的にその関連性を考えてみましょう。

1 数とリズムの関係性

音楽はリズムや拍子を持っており、これらは数学的な概念と密接に関連しています。拍子やリズムは数のパターンや割合として捉えることができます。たとえば、4分の4拍子の曲では、1小節が4つの等しい拍子に分割されます。このような数学的なパターンは音楽を構成する基礎となっています。

2 音程と振動数の関係性

音楽では音程が重要な要素です。音程は音の高さを表し、数学的には振動数と関連付けられます。音程の間の関係は、周波数比として数学的に表現されます。たとえば、オクターブの関係では、2つの音の振動数は2倍の比率で関連付けられます。このような数学的な関係性に基づいて、音楽の調和や和音の構成が理解されています。

3 音楽のスケールと数列の関係性

音楽のスケールは、音の組み合わせのパターンです。これらのパターンは、数列や数学的なパターンとして表現することができます。たとえば、メジャースケールでは音の間隔が特定の数列(全音全音半音全音全音全音半音)に従っています。数学的なパターンを音楽に適用することで、調性や音楽理論を解析することが可能となります。

4 波形とフーリエ変換

音は波形として表現されます。波形は時間と振幅の関係を示すものであり、これを解析するために数学的な手法が利用されます。フーリエ変換は、音の波形を異なる周波数成分に分解するための数学的手法です。フーリエ変換を用いることで、音楽の周波数スペクトルや音色を分析することができます。

5 数学と作曲

数学的なアプローチは、作曲や音楽の創造にも応用されます。音楽の構造やパターン、ハーモニーの構築において、数学的なルールや理論が参考にされます。たとえば、バッハの作品では数学的なパターンが随所に見られます。また、現代の作曲家たちは、数学的なアルゴリズムや確率論を音楽の生成に応用することもあります。

以上が、数学と音楽の関連性を段階的に考えた一例です。数学は音楽の理解や解析に役立つだけでなく、作曲や音楽の創造にも応用されることがわかります。」

いかがでしょう?

これほどまでに音楽が数学と密接な関係があるとしたら、音楽は認知症のバロメーターとしても使えそうですよ。

つまり、音楽好きの人がだんだん聴か(け)ないようになったら「認知症」の進行を疑った方がいいかもしれませんね。

で、その対策の一環として日頃から浴びるように好きな音楽を「いい音」で聴きましょう、ネッ!(笑)。



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心洗われる「日本歌曲」

2023年06月10日 | 音楽談義

前回のブログ「ナポリ、そして浜辺の歌」を読んでいたら、つい「浜辺の歌」が聴きたくなったのでさっそく「ユーチューブ」の出番。

♪ あした 浜辺を・・と、一緒に声を出して歌っていると、まるで心が洗われるようで日本人に生まれて良かったとつくづく思った。

何といっても言葉が「詩的」でとても美しい。

もちろんクラシック(オペラ、ボーカル)もいいが、言葉の意味がストレートに伝わらないので詩的なイメージが湧きにくいのが難点。

で、関連して思い出したのが「花の街(まち)」(作曲:団 伊玖磨)という曲で、これもなんだか哀愁味を帯びていて大好き~。

これまた大好きな「島田祐子」さんの声でときどき楽しんでいる。            

        

余談になるが「顎が横に張った」顔は歌唱力が安定していて美しい声の持ち主が多いことにお気付きだろうか・・。美空ひばり、五輪真弓、等々。

                             

おっと、忘れちゃいけない
「エディタ・グルべローヴァ」(オペラ「魔笛」の「夜の女王」)もそうですね。

                               

話は戻って、たまたまだが図書館から借りてきていたのがこの本。



作曲家「団 伊玖磨」(だん いくま)の生涯の足跡を記したものでたいへん興味深かった。

もちろん「花の街」への言及もあった。詩人で本曲を作詞した「江間 章子」は次のように解説している。(55頁)。

「花の街は私の幻想の街です。戦争が終わり、平和が訪れた地上は瓦礫(がれき)の山と一面の焦土に覆われていました。

その中に立った私は夢を描いたのです。ハイビスカスなどの花が中空に浮かんでいる、平和という名から生まれた美しい花の街を。

詩の中にある「泣いていたよ 街の角で・・」の部分は、戦争によってさまざまな苦しみや悲しみを味わった人々の姿を映したものです。

この詩が曲となっていっそう私の幻想の世界は広がり、果てしなく未来へ続く<花の街>となりました。

<花の街>はたびたび「婦人の時間」(NHK)で放送されたあと「メロディーにのせて」という婦人番組のテーマ音楽として10年近くにわたりラジオから流れ人々に浸透していった。」

第一番 
七色の谷を越えて 流れていく 風のリボン 輪になって 輪になって かけていったよ 歌いながら かけていったよ

第二番
美しい海を見たよ あふれていた 花の街よ 輪になって 輪になって 踊っていたよ 春よ春よと 踊っていたよ

第三番
すみれ色してた窓で 泣いていたよ 街の角で 輪になって 輪になって 春の夕暮れ ひとりさびしく 泣いていたよ

寂(せき)として言葉なし・・・。



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音楽とアルコール

2023年06月01日 | 音楽談義

このところ、過去記事ランキングの常連なのが「バッハとウィスキー」。

昨年(2022)10月の記事なのでもう8か月も前のこと、大半の記事がはかなくてもろい「打ち上げ花火」なので(笑)、こういうことは極めて珍しい。

念のため記事の内容を振り返っておくと、

「フランス発のミステリー番組の中でバッハの名曲「フーガの技法」の一部が登場した。自分はモーツァルト一辺倒の人間だが、音楽の母バッハには一目置かざるを得ない。

そこで、CDを購入して聴いたところサッパリ馴染めず頂きに登る道筋さえも分からない。そこで、空きっ腹にウィスキーを流し込んで聴くと少し馴染みやすくなった」

以上が大要だが、(読者の)興味の要因を推察すると、

1 バッハ晩年の名曲「フーガの技法」の曲自体に興味を持った

2 「バッハの音楽は難しいよね」と共感を覚えた

3 いささか線香臭いバッハの音楽に馴染めずウィスキーまで持ち込むなんて・・、「音楽とアルコール」の組み合わせに共感を覚えた

ぐらいかな~。

ちなみに、例の「チャットGPT」に「バッハとウィスキー」と打ち込んでみたところ、つぎのような文章がスラスラと出てきた。

「バッハとウィスキーには直接的な関連はありませんが、それぞれは音楽と飲み物という異なる分野で重要な役割を果たしています。

ヨハン・ゼバスティアン・バッハは、18世紀のドイツの作曲家であり、西洋音楽史上最も偉大な作曲家の一人とされています。

バッハは多くの教会音楽やオルガン曲を作曲し、その作品は技巧的で複雑な構造や美しい旋律で知られています。彼の作品は音楽愛好家や音楽家にとって、永遠の名作となっています。

一方、ウィスキーはスコットランドやアイルランドなどで生産される蒸留酒の一種です。ウィスキーは大麦やトウモロコシ、ライ麦などの穀物を発酵させて蒸留し、熟成させることで作られます。

さまざまな種類のウィスキーがあり、それぞれ特有の風味とキャラクターを持っています。ウィスキーは世界中で愛され、飲み物として楽しまれるだけでなく、一部の人々にとっては芸術のようなものとも考えられています。

バッハとウィスキーは、異なる形態の芸術としての楽しみ方を提供しています。バッハの音楽は聴く人々に感情や美を与え、ウィスキーは飲む人々にリラックスや楽しみをもたらします。それぞれの領域で、深い探求や研究が行われ、人々の生活に豊かさをもたらしています。

ただし、バッハの音楽を聴きながらウィスキーを楽しむことは、音楽や飲み物それぞれの個別の鑑賞に集中するために、お互いの楽しみを最大限に引き出す方法とは言えません。それぞれを個別に楽しむことをおすすめします。」

そうかな・・。

ウィスキーは脳をある程度麻痺させて「馴染めそうにない音楽」を受け入れる素地をつくってくれる大切な役割を担っていると思うんだけどなあ(笑)。

さらには、若いころの瑞々しい感性が失われつつある高齢者になればなるほど「好きな音楽」に対してますます夢中にさせる麻薬的な効果もある・・、つまり(音楽とアルコールの)相乗効果も期待できる!

というわけで読者の皆様におかれましては「チャットGPT」か、あるいは「筆者」の意見のどちらに賛同されるか、白黒をはっきりつけましょうや(笑)。

そして、ご賛同の方のうち「音楽とアルコール」に関するエピソードがもしありましたらぜひお聞かせくださいな~。



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オペラ「椿姫」のベストの演奏は?

2023年05月20日 | 音楽談義

昨日(19日)の過去記事ランキングの上位に入っていたのが「ネズミはオペラを聴くと寿命が延びる」だった。

およそ2年前の記事なのに内容の方は早くも忘却の彼方・・、情けない
。歳は取りたくないものですね~(笑)。

かいつまむと次のような内容だった。

「帝京大学チームによると心臓移植を受けたネズミにオペラ「椿姫」を聞かせたところ通常術後1週間の寿命が1か月まで延びたという。

何も処置をしないと拒絶反応が起こり8日で心臓は止まります。ある時、10匹のネズミが入った箱2つを並べて置いておくことが出来ず、別々の場所で保管しました。

すると片方の箱では8日前後で止まるはずの移植後の心臓が止まりませんでした。そこで環境の変化があるのではないかと直感したのです。

そこでまずはヴェルディ作曲の「椿姫」を聞かせてみることにした。音楽がとても好きだというリーダーの新見院長、イギリスに留学していたころはよくオペラや楽団の演奏を聴きに行ったそうだ。

研究員によると「椿姫」を選んだ理由はボス(新見院長)が好きだからというのが理由。研究者たちは他にもモーツァルトやエンヤなどの音楽を聞かせたが結局一番効果があったのが椿姫であり、寿命が平均26日生き延びた。

次にモーツァルトで20日、エンヤは11日程度で微増。また石川さゆりの「津軽海峡冬景色」も試したが残念ながら効果はなかったそう。

さらに寿命が延びた理由がほんとうに音楽によるものなのかを検証するためにネズミに音が聞こえないようにして同様の実験を繰り返した。その結果、ネズミの寿命が伸びることはなく、術後の長生きが音楽の効果であったことが証明された。

新見院長はこう述べる。

「この研究結果から言えることは音楽が脳を介して免疫系に良い影響を与えているということです。

病気には医学的対処はもちろん大切ですが脳に影響を及ぼすような環境、希望や気合、家族のサポートなどが大切であることに通じる結果です。”病は気から”とよく言いますが、あながちウソではないです」。


昨今、とりわけ欧米諸国で音楽は様々な病気の治療の一環としてじわじわと定着し始めている。音楽療法は精神病や中毒症の両方の一つであることに加え、身体的な病気の治療を手助けするものと認識されつつある。

効果の度合いや再現性については諸説あるが様々な症状において、音楽が痛みや吐き気そして不安感を和らげると報告されている。音楽を通常の治療と合わせることで安らぎを与え、症状をポジティブな方向に向かう手助けをしているようだ。

新型コロナウィルス肺炎が続く中、感染予防にも大脳の働きが大切です。ストレスを溜めないことが、がん予防、感染予防、そして長寿につながります。」

というわけで「音楽&オーディオ」に限らず趣味と名のつくものの効用は免疫系にとても良い作用を及ぼすのでけっして無駄な投資ではないことがわかる。

そして、ずっと以前にも「乳牛にモーツァルトを聞かせるとお乳の出が良くなる」という話を読んだことがあるが、これらのことを踏まえると、美しい芸術を人間が独り占めしてはいけないということだろうか(笑)。

という内容でした。

フ~ン、「椿姫」ねえ・・。

周知のとおり自分は「モーツァルト・オンリー」の人間なので、ヴェルディの作品には疎い。

このところマンネリ気味の「音楽脳」に、たまには刺激を与えてみるか・・。

で、「チャットGPT」に「椿姫のベスト演奏はどれ?」と訊ねてみた。

すると、

「椿姫」はジュゼッペ・ヴェルディのオペラであり、多くの素晴らしい演奏が存在します。ベストの演奏を選ぶのは主観的な判断になるため、人々の好みによって異なるかもしれません。ただし、以下の演奏は一般的に高く評価されているものです。

1 マリア・カラスの演奏:マリア・カラスは「椿姫」の主役を演じたことで有名であり、彼女の演技と歌唱は非常に感動的です。彼女の1953年のスタジオ録音や1958年のコヴェント・ガーデンでのライブ録音などが特に称賛されています。

2 ジョアン・サザーランドの演奏:ジョアン・サザーランドは美しい声とテクニックで知られており、彼女の「椿姫」の演奏も優れています。彼女の1962年のスタジオ録音や1973年のコヴェント・ガーデンでのライブ録音が評価されています。

3 アンナ・ネトレプコの演奏:アンナ・ネトレプコも「椿姫」の演奏で高い評価を受けています。彼女の声の美しさと感情的な表現力が特筆されています。彼女の2005年のコヴェント・ガーデンでのライブ録音や2012年のメトロポリタン歌劇場での公演がおすすめです。

これらの演奏は、それぞれの歌手の個性や演技力、音楽性によって異なる解釈がされています。椿姫を演じる歌手の声や表現力によって好みが分かれるため、自分自身でいくつかの演奏を聴いて比較し、自分にとって最も魅力的な演奏を見つけることをおすすめします。

ハイ、わかりました。と、ひたすら頭(こうべ)を垂れるのみです(笑)。



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「音質」をうまく表現するには

2023年05月11日 | 音楽談義

日常茶飯事のように、DAC、プリアンプ、パワーアンプ、あるいはケーブルを入れ替えながら「ああでもない、こうでもない」とオーディオを毎日楽しんでいるが、その結果を、つまり「どういう音質になったのか」をいざブログに書こうとなると、いつも困り果ててしまう。

一番大切なポイントなのに、どう表現したらいいのか・・(笑)。

正確に表現できない「もどかしさ」をいつも感じているが、これが「嗅覚」や「味覚」となると様相が一変する。

たとえば「思索紀行」(立花 隆)の中の「ワインの香りと味」についての表現なんか実に豊かなんですよね~。



抜き書きしてみると、

 ワインのプロの間では試飲の仕方が完全に様式として確立されている。そして言葉で匂いと味わいを表現しなければならない。さらには、その表現力をどれだけ身に付けているかで「匂いと味きき」の能力が試される。

✰ 匂いの表現方法にはなんと百種以上ある。たとえば天然の香りが次々にあげられ、初めはたいてい花の香りから始まる。スミレ、ジャスミンなど、あらゆる花の名前が登場してきて、次に果物の香りとしてリンゴ、イチゴさらにはアーモンドなどのナッツ類も登場する

ほかにも、本書では「味覚」「嗅覚」の表現の豊かさについて事細かに述べられているが、それに比べて「聴覚=音質」の表現の難しさについて嘆かざるを得ない。

たとえば「スミレの香りみたいな音」といってもチンプンカンプンですよね(笑)。

したがって「音の表現」についてもワインのように様式として確立し、もっと豊かで感覚的に分かりやすい表現ができないものだろうかと、いつも思う。

ちなみに、オーディオ誌などで「音質」に関して常用される言葉としてアトランダムに挙げると「光沢」「色艶」「彫琢」「奥行き感」「スケール感」「透明感」「いぶし銀」「色気」「音像定位」「原音」などで、ほかにもいろいろありそうだがすぐには思い浮かばない。

そもそも、味覚細胞や嗅覚細胞には対象となる超微粒子が直接触れてくるが、聴覚細胞に届くのはせいぜい「空気の波」に過ぎないのだから仕方がないのかもしれませんね。

ちなみに「チャットGPT」で「音質を表現する言葉」で、打ち込んでみたら次のような文章が出てきましたよ。

「音質を表現する言葉には以下のようなものがあります。

1 クリアな :音がクリアで透明感があることを表現する

2 暖かい :音が柔らかく、心地よい印象を与えることを表現する

3 明瞭な :音が明確で聞き取りやすいことを表現する

4 豊かな :音が豊かで奥行きがあることを表現する

5 ナチュラルな :音が自然で加工されていないような印象を与えることを表現する

6 ダイナミックな :音がダイナミックでパワフルな印象を与えることを表現する

7 フラットな :音が平坦で特に強調された周波数がないことを表現する

8 ディテールが豊富な :音の細かなディテールが豊富で聴き手に細部まで伝わることを表現する

9 サウンドステージが広い :音の広がりが広く、空間的な印象があることを表現する

10 サウンドバランスが良い :音のバランスが良く楽器や声がバランスよく聞こえることを表現する」

とまあ、以上のとおりです。

単に「いい音だ」と片付けるよりも、これら10項目に亘って言及するとかなり具体的なイメージが湧いてくる気がしますよ。

「チャットGPT」・・、なかなか捨てたもんじゃないとは思いませんかね~(笑)。



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「脳内補完力」とは

2023年05月08日 | 音楽談義

ここしばらくクラシック音楽から遠ざかっていることを自覚している

録画した「ミステリー番組」や「映画」「ドキュメンタリー」を観たり、リモコン片手にブルーレイで選曲するときも、エンヤ(英国)や歌謡曲(ちあきなおみ、小椋 佳、加藤登紀子など)についポチッ・・。

スランプなのかなあ・・。

一流の演奏家がスランプに陥ったときはグールドの「ピアノソナタ」(モーツァルト)を聴くと何かの雑誌で読んだことがあるが、自分のような一介のしがない「市井の徒」の場合は「五味康佑」さん(故人)の著作がカンフル剤の役目を果たしてくれる。

文筆家として芥川賞を受賞されるとともに、こよなくクラシック音楽を愛された方だが、「
なぜ音楽関係者にこんなに優れた評論を書けないのか」と、嘆かれたほどの「西方の音」、「天の声」、そして「いい音いい音楽」と名著がずらり。



クラシック音楽への接し方について改めて啓発される点がとても多い。

そして、これらのほかにも読み残しの著作はないだろうかと、ネットで漁っていたところ、同氏のファンから寄せられた次のようなコメントが目に入った。

無断引用させてもらいます、どうかお許しを~。

「音楽というのは不思議なもので視覚と違って、日によって聞こえ方が違ったりします。 恐らく少ない情報量を脳内補完しているために、体調によって感じ方が変わるためでしょう。 良い音を求めて止まないオーディオ道が成り立つのは、このためかも知れません。」

そうなんです!

前日の夜にあれほど「いい音」で鳴っていたシステムが、翌日になると、それほどでもない・・、「いったいあの音はどこに消えたのか!」と嘆いた経験をお持ちの方はかなりおられれるのではあるまいか。

その原因としては、深夜の好転した電力事情や街中の騒音レベルの低下など諸説あるが今のところ決定打はない。

そういう中で「脳内補完」という新鮮な響きに、とてもシンパシーを覚えると同時に、暗闇の中で一筋の光明を見た思いがした。

音楽鑑賞とは受け止めた音楽情報をいかに脳内補完し、イメージとして完成させるかに尽きるのかもしれない!

言い換えると、どんなに高級なシステムで「いい音」を鳴らしたとしてもリスナー側に「音楽的な教養」が無ければ「猫に小判」かな(笑)。


とはいえ、脳内補完力と言っても具体的なイメージが湧いてこないだろうから前述の「西方の音」から実例を挙げてみよう。

   


12頁に次のような記述がある。

「分かりやすくするためにフォーレのヴァイオリン・ソナタを例にとるが、フォーレのこのソナタ一番をボベスコ、ジェンティの英国デッカ盤ではじめて聞いたとき、夜の海浜で、貴婦人に抱擁される私自身をはっきり幻覚させてくれた。

彼女は未亡人であることは確かだが、金髪で、むろん名前も知らぬし会ったこともない。

彼女は優しく貧乏青年の私を愛撫し、潮風に髪を乱して嫋々(じょうじょう)たる彼女の過去の嘆きと過ちへの悔恨を訴え、どうかすると波涛の飛沫が私たちの頬に降りかかったが、彼女は細い指で私の頬を拭ってくれ、自身のは濡れるに任せている。

彼女の告白はフランス語だから意味はいっさい私には分からない。一人の寂しく生きた婦人がここにいる。そう分かるだけだ。


ことわっておくが、フォーレの音楽にのって浮かびだした光景である。~以下略~」
といった具合。

もちろん「五味さんの勝手な妄想だろ!」の一言に尽きるが、こういう情景を脳内補完力でもって描きながら音楽を鑑賞するクセがつくと、端的にオーディオの役割っていったい何だろうという気がしてくる。

たとえば、ノイズだらけのフルトヴェングラーの昔の演奏を聴いて、今でも感動できるのもこの「脳内補完力」のおかげかもしれませんね。

こうしてみると、システムのUPも必要だけど同時並行的に沢山のクラシックを聴いて己の「脳内補完力をUPさせることもとても大切なことだ」に行き着く。

ハードとソフトの両立のために、
もっと音楽(クラシック)を聴かなくちゃあ・・。



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