ちなみに、ブログで情報発信をやってると全国各地からメールをいただくがず~っと継続して長続きしているのは「I」さん(東海地方)、「K」さん(横浜)、そして南スコットランド在住の「ウマさん」だけなのはちょっと淋しい(笑)。
「〇〇様にクラシックの話を持ち出すのは、ケンカを売っている(笑)ようなものですが、ご意見を聞かせていただけましたら幸いです。
というわけで「盲目蛇に怖じず」とばかり、次のように返信した。
「いつも当方の拙いブログに付き合っていただきありがとうございます。そこでマーラーの話ですが・・。過去に好きになったこともありますが以下はあくまでも「現時点」での個人的な意見です。
大編成の曲目が多いのですが、それに意味があるのかなと思ってます。むしろ中身の薄さをカバーするためにコケオドシ的な要素もあるのではないかという気がします。ちょっと辛口ですが~。また、ときおり魅力的な旋律が出てくるのですがどうも部分的で持続しません。
また長さの方もこれまた大編成と同じで必然性があまり感じられません。
したがって私には縁の薄い作曲家だと思ってます。ただし、「大地の歌」の最終楽章にはいつも胸を打たれます。この曲にはずっと以前のブログ「大地の歌8枚の試聴盤」(2009.11.28)に記載したことがあります。
これに対して「I」さんからご返信がありました。
稀代のジャズ愛好家「I」さんからは、いろいろとご示唆をいただくことが多い。
たとえば、ジャズとクラシックの再生の違いについて、前者では「力感と勢い」が重視され、後者は「ハーモニー」が重視されるので、両者に対してオーディオ的には異なるアプローチが必要だと気付かされたのもその一つ。
ジャズの再生は「何でもあり」のようでオーディオ的には欠点になるところが聴感上ではむしろ長所になったりして、「個性」という言葉で片付けられるところがとても便利~。
その一方、クラシックの再生となると人間の耳は押しなべてハーモニーの違和感にはとても敏感に感じやすいので、家庭で十全に聴こうと思ったら、まずは泥沼の世界を覚悟しなければならない。
こんなことを書くとジャズ・ファンから盛大なバッシングを受けるかもしれないですね~。
最後に、ときどきですけど「クラシックもジャズも両方いける!」という二刀流のシステムに出会うこともありますので念のため(笑)。
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