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エウアンゲリオン

新約聖書研究は四福音書と使徒言行録が完了しました。
新たに、ショート・メッセージで信仰を育み励ましを具えます。

多角的な視点が福音の拡大を導く

2025-05-13 | メッセージ
使徒10:34-48 
 
一方では、カイサリアにいたコルネリウス、一方では、ヤッファにいたペトロ。主はどちらにも、そしてまたそれぞれに、幻を与えました。二人は面会した事の経緯を確認し合います。「そこで、ペトロは口を開きこう言った」に始まり、ルカの筆は、キリスト教の教義を並べてゆきます。この福音は、ユダヤ人に限らず、異邦人をも救います。
 
イエス・キリストを通して、神の言葉をイスラエルに送った神がいます。キリストは、ユダヤの地へと送られました。ナザレに育ったイエスでしたが、神は聖霊と力を注ぎました。イエスは、癒やしの業を方々へもたらしました。神が共におられたからです。私たちキリスト者は、このイエスの業を知っており、命懸けでそれを証言する者です。
 
人々は、イエスを十字架に殺しました。神はイエスを三日目に復活させました。さて、お気づきでしょうか。この辺り、主語が目まぐるしく入れ替っています。一つの視座で情況を追うことはしません。多角的な視点をもつことで、この出来事が、ただの主観的なものに留まらないことを示しています。神が働き、人がそれぞれの役割を果たします。
 
イエスの復活は、一般の人々へは明らかにされませんでした。これは、復活が通常の客観性とは違う性質をもっていることの現れであるのかもしれません。復活のイエスに会った「私たち」が、「民に宣べ伝え、力強く証しするように」命じたのでした。「私たち」とは、イエスに出会った者のことです。イエスに変えられた者です。
 
「この方を信じる者は誰でもその名によって罪の赦しが受けられる」との証言を、私たちは発します。ペトロがこれを話しました。すると、聞く人々の上に「聖霊が降った」のでした。信じる者となった、ということです。そしてそれは、自分の力で信じることができるのではないことを示しています。そして、異邦人が信じたことがはっきりしました。
 
洗礼という形が、ここで信仰のモデルとなり、教会の指針となるように、促されていると言えます。異邦人も、「私たち」と同様、聖霊を受け、威厳を語り、神を賛美するのです。ルカは、イエスがひたすらエルサレムへ向かい、さらに福音が世界へ拡がる構図をもっています。伝えたくてたまらないその物語が、いよいよ始まるのです。




ペトロがこれらのことをなおも話し続けていると、
御言葉を聞いている一同の上に聖霊が降った。(使徒10:44)

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