ところが「魔術師エリマ――彼の名前は魔術師という意味である――は二人に対抗して、地方総督をこの信仰から遠ざけようとした」(使徒13:8)ということになりました。今出てきたバルイエスの名はどうなったのでしょう。文脈からすると同一人物のように思われますが、何の説明もなしに名前が変わってしまいました。日本語訳を見ても、何を言っているのかよく分からない形になっていると思います。訳すと魔術師である、というような挿入的な句が見え、ほんとうに捉えにくいものです。「エリマ」という新共同訳はなじみがなく、従来「エルマ」と表されていました。元の発音に近いのは「エリュマス」です。謎の「訳」については諸説あり、アラビアのほうの言葉であるなどとの説明も見られますが、やはり判然としません。バルイエスそのものの別名であるという声もありますが、はたして当時の人はここがすんなりつながるような文化的背景があったのでしょうか。この人物、キリスト教に総督パウルスが近づこうとしていることに対して邪魔をした、ということがここに書かれてあることのようです。「信」はなるほどここではまさにキリスト教そのもの、キリスト教の信仰のことでしょう。テオフィロもキリスト教には好意的な人物だと想定されています。となると、ここにキリスト教にやはり好意的な態度を示したパウルスに、その教えが届くのを妨げた人物は、邪悪な存在ということになるでしょう。それを容易に「魔術師」と表現するのは、当時の常套手段であったかもしれません。
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