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エウアンゲリオン

新約聖書研究は四福音書と使徒言行録が完了しました。
新たに、ショート・メッセージで信仰を育み励ましを具えます。

あなたのもとに逃れる一人でありたい

2025-05-09 | メッセージ
詩編5:1-13 
 
主に私が呼びかけます。私とは、ダビデのことです。これはダビデの賛歌です。私ダビデの言葉、叫びを聞いて応えてください、と願う時、私は主の側にいます。これに対して、敵対する者がいます。私に敵対する者がいて、それは主に逆らう者でもある、という構図があります。彼らは不正を喜び、偽りを語り、血を流すのです。悪が留まっています。
 
その口は、確かなことを語りません。腹が腐っています。「舌は滑らかでも、喉は開いた墓」だという表現が目を惹きます。口は達者なのです。聞こえのよう言葉が美しく流れ出ます。待てよ、ダビデは詩人ではなかったでしょうか。ダビデこそ、美しい言葉が次へと生まれてくる人物であったはずです。でもそれはここの「滑らか」な舌とは違います。
 
ダビデの心は、まっすぐな主の道に従うから悪ではない、という確信があるのです。「豊かな慈しみによって/あなたの家に入り/あなたを畏れ敬いつつ、聖なる宮にひれ伏します」という告白が、ダビデを救っています。確かなことを語るのはダビデですが、これを以て安易に、誰もが自分が神の側に立っていると高慢になってはならないでしょう。
 
あの「敵」に、いつでもなり得るのです。「神よ、彼らに罪を負わせてください」などと、なかなか言えるものではありません。そこにある「言葉」「背き」は、いつでも己れのことへの形容となることを、忘れてはならないのです。「あなたに逆らった」のが「彼ら」なのです。だからなすべきは、「あなたのもとに逃れる」ことなのです。
 
それは「御名を愛する」ということです。そうすれば「正しき者」とされ、祝福されることでしょう。この自信、この信仰は特異です。しかし私たちはこれを模範とすることも許されることでしょう。「朝が来る度に、あなたに向かって身を整え/待ち望みます」と言うのです。「あなたに祈っています」ということ、「あなたの前に立つこと」なのです。




あなたのもとに逃れるすべての者が喜び
とこしえに喜び歌いますように。
あなたは彼らを覆い
御名を愛する者があなたを喜び祝いますように。(詩編5:12)

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