マタイ27:11-56
本欄は、日本聖書協会の「聖書愛読こよみ」を用いた形で日々祈りつつ記したもののうち、2日に1階の割合でこの場所に相応しくまとめたものです。そこで選ばれた聖書箇所を参考に、日々手でノートに綴っているものですが、今日の聖書箇所は、これまでの経験にないほど長いものでした。恐らく最長不倒距離であっただろうと思います。
ユダヤ当局の最高法院・サンヘドリンでの裁判では、死刑判決は下せないようになっていました。ローマ帝国の支配下にあって、ある程度の自治は認められていましたが、死刑についてはローマ側の判断を要することにされていたのでした。せいぜい、暴言をぶつけ、唾を吐きかけ、殴る蹴るの暴行でイエスを痛めつけるくらいでありました。
イエスは、ローマ帝国に引き渡されました。もはや用なしとなったユダは、絶望の中で自死します。そして今、イエスはピラトの前に立っています。ここから死刑判決を受け、市中引き回しの上獄門、ではなく十字架に架けられて絶命するのです。このピラトの裁判からイエスの死までを、一気に読ませる聖書通読表でありました。
正にその受難日、聖金曜日の割り当てに相応しい設定です。もちろんその一つひとつをこの短い範囲で辿るのは不可能です。実は、ここでイエスは、言葉を発さなくなっている点をまず指摘します。当局の裁判の場で、「お前は神の子、メシアなのか」(26:63)と訊かれたときに、人の子が雲に乗って来る、と答えて以降、イエスは沈黙に徹します。
ピラトが「日本のお前はユダヤ人の王なのか」と訊いたとき、「それは、あなたが言っていることだ」と声を発したのは確かですが、説明は加えていません。総督と民衆との取引があり、ピラトはイエスを十字架刑へと引き渡します。イエスは、これで三度引き渡されたことになります。ユダから当局へ。当局からピラトへ。そしてピラトから十字架へ。
この三つのどれも、流れを止めることはできませんでした。兵士たちから心身に暴力を受け、引き回された末、ゴルゴタで十字架に架けられます。「これはユダヤ人の王イエスである」との罪状書きが掲げられ、「通りかかった人々」からも悪口をぶつけられたと言います。まことに、イエスはどれほどの侮辱と苦痛を受けたことでしょう。
いえ、侮辱と苦痛は、人が与えたのです。攻撃を加えた人々がたくさんいますが、私はその、どこにいるでしょう。そのどれもが私であるかもしれません。イエスは絶命の前に、一言だけ「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」と放った、とアラム語のまま、筆記されています。マタイは、怪異現象をも記録し、女たちの目撃の事実まで知らせています。
神殿を壊し、三日で建てる者、
神の子なら、自分を救ってみろ。
そして十字架から降りて来い。(マタイ27:40)
本欄は、日本聖書協会の「聖書愛読こよみ」を用いた形で日々祈りつつ記したもののうち、2日に1階の割合でこの場所に相応しくまとめたものです。そこで選ばれた聖書箇所を参考に、日々手でノートに綴っているものですが、今日の聖書箇所は、これまでの経験にないほど長いものでした。恐らく最長不倒距離であっただろうと思います。
ユダヤ当局の最高法院・サンヘドリンでの裁判では、死刑判決は下せないようになっていました。ローマ帝国の支配下にあって、ある程度の自治は認められていましたが、死刑についてはローマ側の判断を要することにされていたのでした。せいぜい、暴言をぶつけ、唾を吐きかけ、殴る蹴るの暴行でイエスを痛めつけるくらいでありました。
イエスは、ローマ帝国に引き渡されました。もはや用なしとなったユダは、絶望の中で自死します。そして今、イエスはピラトの前に立っています。ここから死刑判決を受け、市中引き回しの上獄門、ではなく十字架に架けられて絶命するのです。このピラトの裁判からイエスの死までを、一気に読ませる聖書通読表でありました。
正にその受難日、聖金曜日の割り当てに相応しい設定です。もちろんその一つひとつをこの短い範囲で辿るのは不可能です。実は、ここでイエスは、言葉を発さなくなっている点をまず指摘します。当局の裁判の場で、「お前は神の子、メシアなのか」(26:63)と訊かれたときに、人の子が雲に乗って来る、と答えて以降、イエスは沈黙に徹します。
ピラトが「日本のお前はユダヤ人の王なのか」と訊いたとき、「それは、あなたが言っていることだ」と声を発したのは確かですが、説明は加えていません。総督と民衆との取引があり、ピラトはイエスを十字架刑へと引き渡します。イエスは、これで三度引き渡されたことになります。ユダから当局へ。当局からピラトへ。そしてピラトから十字架へ。
この三つのどれも、流れを止めることはできませんでした。兵士たちから心身に暴力を受け、引き回された末、ゴルゴタで十字架に架けられます。「これはユダヤ人の王イエスである」との罪状書きが掲げられ、「通りかかった人々」からも悪口をぶつけられたと言います。まことに、イエスはどれほどの侮辱と苦痛を受けたことでしょう。
いえ、侮辱と苦痛は、人が与えたのです。攻撃を加えた人々がたくさんいますが、私はその、どこにいるでしょう。そのどれもが私であるかもしれません。イエスは絶命の前に、一言だけ「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」と放った、とアラム語のまま、筆記されています。マタイは、怪異現象をも記録し、女たちの目撃の事実まで知らせています。
神殿を壊し、三日で建てる者、
神の子なら、自分を救ってみろ。
そして十字架から降りて来い。(マタイ27:40)