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エウアンゲリオン

新約聖書研究は四福音書と使徒言行録が完了しました。
新たに、ショート・メッセージで信仰を育み励ましを具えます。

愛は勝つ

2025-05-07 | メッセージ
ローマ8:31-39 
 
「死んだ方、否、むしろ復活させられた方であるキリスト・イエス」が、私たちが罪に定められぬよう、神に執り成しをしてくださり、罪ありと裁かれるのではなく義と認められるようになりました。神は私たちの味方をしてくださったのです。「誰が私たちに敵対できますか」と反語で迫る言葉が、力強く助けてくれるように思えます。
 
キリストという御子を「惜しまず死に渡された神」でした。「御子」はむしろ「子」という原語のままに受け止めておいてもよいかと思います。「神の子」という呼称が当時、ローマ皇帝への尊称であったことを思うと、キリストは人と見られていたかのようにも感じられますが、復活という決め手がある以上、ただの人ではないはずです。
 
キリストは復活して、「神の右におられ、私たちのために執り成してくださる」のです。これは、私たちがキリストの愛を受けていることだ、とパウロは言いますが、少し筋道をずらしているようにも見えます。「キリストの愛」それは「神の愛」だと読み取れます。ここでは全く等置されているように見えます。
 
「私たちの主キリスト・イエスにある神の愛」は、私たちから離れることがありません。「キリストの愛」から私他を引き離すことができるものは、何もないのです。これらが具体的に居並ぶ様子は驚異的ですが、キリストの愛と神の愛とでは、具体例の質が異なるかもしれません。前者は苦難・行き詰まり・迫害・飢え・裸・危険・剣だそうです。
 
これらは、人間を襲う災いのようなものに思われます。後者は、死と命・天使と支配者・現在のものと将来のもの・力あるもの・高いものと深いもの・凡ゆる被造物だと挙げられています。これらは対比が多いのも目立ちますが、具体例というよりは、かなり抽象的な枠組みを示したに過ぎないように見受けられます。
 
災いというよりは、大きく世界と人間を取り巻く運命や環境を暗示したようなものを、パウロは並べています。しかし、具体的な災いについては、勝ち得て余りある、というような訳すらあったほど、圧倒的な勝利の結果に終わることを断言しています。神からもたらされる愛は、すべての困難や災いに対して、大勝利を収めるのです。愛は勝つのです。




しかし、これらすべてのことにおいて、
私たちは、私たちを愛してくださる方によって
勝って余りあります。(ローマ8:37)

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