goo blog サービス終了のお知らせ 

エウアンゲリオン

新約聖書研究は四福音書と使徒言行録が完了しました。
新たに、ショート・メッセージで信仰を育み励ましを具えます。

聖霊がすべてのことを教える

2025-05-27 | メッセージ
ヨハネ14:25-29 
 
「私を愛する人は、私の言葉を守る」(14:23)というイエスですが、間もなくイエスはその姿を弟子たちの前から消すことになります。この場面のときは、まだ「あなたがたのもとにいる間」でした。「しかし」の後はもちろん、省略されています。「私は去っていく」のです。でも、「また、あなたがたのところに戻って来る」と言います。
 
3節と18節にも、そのことは繰り返されています。戻って来るのはイエスその人ではありません。「弁護者」とまず挙げたその方は「聖霊」です。聖霊は、父なる神がイエスの名によって遣わす方です。そして、すべてのことを教えるのだといいます。イエスがこうして話していたことを、悉く思い起こさせます。確かに弁護するためでした。
 
人は罪の内にあります。従って、神の前に、本来嘉されるような者ではありません。そこへ、イエスの十字架の業があり、それを神と人との間に渡す架け橋として信じる者に、永遠の命をもたらすこととなりました。そこに残されるのは「平和」です。イエスの平和が与えられます。この世にはない平和です。
 
「心を騒がせるな。おびえるな」とあるからには、イエスの与える平和は、心の平安をもたらすものであるのでしょう。どうやって与えるか。イエスが「父のもとに行く」ことによってです。むしろ、これを喜べ。喜ぶはずだ。「事が起こったときに、あなたがたが信じるように」、いま話しておこう、とイエスが告げます。
 
十字架の時を見据え、その歴史上唯一の、最大の出来事を特別なものとして認識することにより、そこへの信仰が命をもたらすものであることを知るように、促されています。弟子たちにイエスが語っている場面を、私たちはいま見ています。しかし、それらの言葉は確かに私自身へ向けて告げられていることを、強く覚えなければなりません。
 
そして、そこから強いメッセージを受け、私自身が態度を改めなければならないのです。それは、世が与えるようなものととは全く違う、神の平和です。ここに、大いなる平安があり、それが与えられます。少なくとも、その授与が約束されています。「そのことの起こる前に話しておく」というのは、聖書全体について言えることに違いありません。




しかし、弁護者、すなわち、
父が私の名によってお遣わしになる聖霊が、
あなたがたにすべてのことを教え、
私が話したことをことごとく
思い起こさせてくださる。(ヨハネ14:26)

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 父と子と聖霊 | トップ | 愚かとは気づかないこと »

コメントを投稿

サービス終了に伴い、10月1日にコメント投稿機能を終了させていただく予定です。
ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

メッセージ」カテゴリの最新記事