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エウアンゲリオン

新約聖書研究は四福音書と使徒言行録が完了しました。
新たに、ショート・メッセージで信仰を育み励ましを具えます。

擬人法のようでありながら

2024-05-28 | メッセージ

詩編98:1-9 
 
擬人法があります。全地に詩人は呼びかけます。「主に向かって喜びの声を上げよ」と。歓声を上げ、喜び歌え。ただ、この「全地」とは、全世界の「人間」のことを指しているようにも見えます。全世界の人々よ、喜び歌え、という意味であるように感じられます。主なる神は、奇しき業を成し遂げ、救いをもたらした、ということです。
 
人間に救いなるものを与えることができるのは、この神を措いて他にありません。この救いは、国々に向けて正義を現します。イスラエルの家に対して、歴史の中でこの神は慈しみとまことを現してきました。遠くの国々もまた、このイスラエルの神の扱いを確かに見て知っています。だから「全地よ」と呼びかけることができるのです。
 
この賛歌をうたった詩人は、どれほどの「世界」知っているのでしょうか。イスラエルを取り囲む大国がありました。西に拡がる海は、何が潜むか知れず、不気味で恐ろしいところです。そこには遙かに島々が浮かんでいます。そこにも人が住み、海の民とでもいう人々がいて、遠くから珍しいものを貿易でもたらしてくれます。
 
その程度の「世界」だったのかもしれません。それでも、イスラエルの同胞の他に、つながるべき民がいて、時に勢力のどちらにつくか迫ってくる大国の幾つかが、同盟と称して吸収する目的で近づいてきました。イスラエルは大国の交易の要所に位置していたのです。かの海を見ながら、そこに満ちる生物のことをも想像していたことでしょう。
 
流れ込む川、地に聳える山すら、喜び歌えと引っ張り出してきます。やはり擬人法だったようです。主は「もろもろの民を公平に裁かれる」といって詩が結ばれます。この川や山も、実のところ人間のことを意味しているのかもしれません。自然存在万物が主を称える、という表現が、決してアニミズムを指向しているわけではないのだと思います。


全地よ、主に向かって喜びの声を上げよ。
歓声を上げよ、喜び歌え、ほめ歌え。(詩編98:4)

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