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エウアンゲリオン

新約聖書研究は四福音書と使徒言行録が完了しました。
新たに、ショート・メッセージで信仰を育み励ましを具えます。

神の計画の中のファラオ

2025-03-24 | メッセージ
出エジプト11:1-10 
 
「私も二度とあなたの顔を見ようとは思いません」(10:29)と、モーセはエジプトのファラオに言い返して、二人は訣別しました。この後、主はモーセにこれからのことを予告します。ふと思うのは、イエスが十字架と復活をどう知ったか、ということです。元々自分の中に幼い頃からそうなることを胸に懐いていたのでしょうか。
 
それとも、このモーセのように、あるとき神から突然聞き知ったのでしょうか。モーセは、さらなる「一つの災い」を聞きます。それは、そこまでの九つの災い締め括る、決定的な災いです。それにより、ファラオの手から完全に去ることになります。このとき、先ず「エジプト人が民に好意を持つように」なり、モーセも「厚い尊敬を受け」るそうです。
 
順序は逆になるようですが、モーセがこの主の声を聞いたのは、ファラオの目の前であったのかもしれません。モーセはファラオに、吐き捨てるように、呪いめいたことを告げます。「エジプトの地のすべての初子は死ぬ」のです。初子を主に献げよ、という、後の律法規定に則るかのようです。そのとき「大きな叫びがエジプト全土に響」くでしょう。
 
「主がエジプト人とイスラエル人を区別されること」を、まざまざと知ることになるでしょう。モーセの脅しが続きます。「こうして、モーセは怒ってファラオのもとを出て行った」のでした。そのとき、主がモーセにまた語りかけます。ファラオが決定的にモーセに反することを。こうなると、ファラオが少し気の毒になります。
 
「主がファラオの心をかたくなにした」といいます。イスラエルをすんなり去らせないようにしたのは、ほかならぬ主自身である、というのです。エジプトの初子を殺すに至るのは、まるで主なる神の自作自演のように見えるではありませんか。このとき、私はユダの裏切りのことを思い起こします。イエスを敵に売った、十二弟子の一人です。
 
ユダもまた、イエスの救いを全人類に実現するために、用いられたキャラクターでした。あの裏切りは、ユダの自由意志であり、悪い意味での自業自得だった、と片付けてよいのでしょうか。主はユダを選び、ユダを滅ぼしたのでしょうか。主はファラオを滅びに定め、実行したというだけなのでしょうか。神の計画とは何か、人には到底分かりません。




モーセとアロンはこれらの奇跡をすべてファラオの前で行ったが、
主がファラオの心をかたくなにしたので、
ファラオはイスラエルの人々をその地から去らせなかった。(出エジプト11:10)

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