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エウアンゲリオン

新約聖書研究は四福音書と使徒言行録が完了しました。
新たに、ショート・メッセージで信仰を育み励ましを具えます。

マグダラのマリアと復活の情景

2025-04-23 | メッセージ
ヨハネ20:1-18 
 
ペトロと、イエスが愛しておられたもう一人の弟子とが、墓まで走ります。二人の男の姿が目を惹きます。大人は、特に男は、人前で走ることがみっともないと思われるからです。ただ、この場面を生んだのは、マグダラのマリアでした。すでに安息日は昨夕明けていたものの、人が外で活動できるのは、実質夜明けからでした。
 
曙が明るく東の空を照らすとき、日の出より先に地平線から上が白んでいたとは思われます。あるいは、朱く明け初めていたでしょうか。エルサレムが高地にあったことを思うと、日の出はむしろ見下ろし加減になるのかもしれません。マリアは、「まだ暗いうちに」墓に行っていました。闇夜ではなかったと思われます。
 
マリアが見たものは、石が取り除けてある墓でした。怖かったなどという心理は描かれていません。マリアはただ走りました。これは一大事だ、と男の弟子たちに知らせました。なぜこの二人だったのかは分かりませんが、とにかく二人は走り、ペトロは途中から少し後れます。でも墓の中に最初に足を踏み入れたのはペトロでした。
 
亜麻布と、頭の覆いを確認しています。二人とも墓の中に入り、イエスの遺体がないことを見て「信じた」といいます。何を信じたのかは、これだけでは明確ではありません。「イエスが死者の中から必ず復活されることを記した聖書の言葉を、二人はまだ理解していなかった」というのです。二人は家に帰りましたが、マリアは再び墓に戻りました。
 
墓の中に入ったのかどうかは記されていません。が、主のからだがそこにないことだけは認識していました。ペトロたちから聞いただけかもしれませんが、二人の弟子たちにしても、まだ「復活」ということは現実味を帯びてはいません。信じているような、いないような。さて、私たちはどうでしょうか。このような状態ではないか、問われます。
 
マリアは立って泣いていました。イエスの遺体の代わりに二人の天使が現れました。マリアが振り向くと、そこに人がいたのですが、まだイエスだと認識できせん。天使もイエスも「女よ、なぜ泣いているのか」と声をかけます。「マリア」と名を呼ばれて、それがイエスであることを知ります。マリアは弟子たちに証言します。「私は主を見ました」と。




イエスは言われた。
「女よ、なぜ泣いているのか。誰を捜しているのか。」(ヨハネ20:15)

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