goo blog サービス終了のお知らせ 

エウアンゲリオン

新約聖書研究は四福音書と使徒言行録が完了しました。
新たに、ショート・メッセージで信仰を育み励ましを具えます。

ユダはどこへ行った

2025-04-15 | メッセージ
マタイ26:20-30 
 
「都のあの人」(26:18)とは誰のことなのか分かりませんが、過越の食事の準備を、弟子たちが手配しました。早速食事の場面が描かれます。十二弟子とイエスとで食事はとられたらしい。イスラエルの祭りとして最重要と見られます。食事の中でイエスは、「アーメン」との言葉を以て、重大なことを告げます。
 
「あなたがたのうちの一人が」というところで、一旦切っておきます。弟子たちの中に、確実に一人いるというのです。「私を裏切ろうとしている」あるいはこれは「私を引き渡そうとしている」とも読めます。弟子たちはどちらの意味で受け止めたでしょう。「非常に心を痛めた」といいます。「主よ」との呼びかけは、実はあまり多くありません。
 
「まさか私のことでは」と言うからには、ユダが殊更に目立っていたわけではないようです。イエスは「私と一緒に手で鉢に食べ物を浸した者」と特定しますが、それを聞いてなお、ユダがまた「先生」と呼びかけつつ「まさか私のことでは」と尋ねているから、自覚がなかったものと思われます。自分のしていることが分からないでいるのです。
 
「生まれなかったほうが、その者のためによかった」とは、曰く付きの言葉です。が、その前に「災いあれ」とぶつけているところは見逃せません。「ウーアイ」というギリシア語で、黙示録で鳴り響く言葉です。まさか私では、とのユダの口先へイエスが突きつけます。「それはあなたの言ったことだ。」イエスはユダをこの場で裁いたのではありません。
 
かと言って、ユダではない、と否定したわけでもありません。マタイ伝では、このときすぐにユダがこの場を去って行ったようには書かれていません。サタンが入ったというような説明もありません。案外冷静です。この後ゲッセマネでの祈り際に、ユダは当局の者たちのところへ抜けたのでしょうか。するとしばらくユダは晩餐の席にいたことになります。
 
つまりユダは、「取って食べなさい」「この杯から飲みなさい」という食事の祝福を受けたことになります。ユダの姿がどう消えたのか、私たちには謎です。「一同は賛美の歌を歌」いました。なにも問題はなかったかのように、弟子たちは食事を済ませ、祈りの場へと動いています。これから起こることの兆しに、まるで気づいていないかのように。




イエスを裏切ろうとしていたユダが、
「先生、まさか私のことでは」と言うと、
イエスは言われた。
「それはあなたの言ったことだ。」(マタイ26:25)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする