斑尾の住人

斑尾の開発当時から居座っている人間の裏話。

広告

※このエリアは、60日間投稿が無い場合に表示されます。記事を投稿すると、表示されなくなります。

この時期の湿原東トレイル

 | Weblog
今、湿原東トレイルを歩くと、こんな花を見ることが出来ます。

シラネアオイ


ミヤマカタバミ


オオイワカガミ

コメント (1)

今夜8時24分頃の地震

 | Weblog
NHKテレビで地震の情報が伝えられていますが、被害の情報が無くて一安心です。

   斑尾高原と周辺の地域も異常の情報は入っていません。

  どうぞ安心して斑尾高原にお出かけください。
コメント

遭遇

 | Weblog
今日は斑尾高原内のトレイル整備の一日でした。
 午後からの整備に参加。

   トレイルの途中初めての遭遇です。

この時期、ギフチョウ、ヒメギフチョウは良く見かけますが
  ヒメギフチョウの交尾状況に遭遇しました。



また、道標の支柱には「はるぜみ」の抜け殻が・・・・
     いま、ちいちゃな体であちこちの森で一生懸命鳴いています。

コメント

斑尾山麓開発の成り立ち 2

 | Weblog
昭和39年(1964)8月飯山市は市制10周年、10月1日には東海道新幹線が開通、
10日からは第18回オリンピック東京大会開催(94ヶ国 5541人の選手が参加)、
11月9日佐藤栄作内閣が成立など日本経済は大きく動き始めました。
    40年代に入り、驚異的な高度成長を遂げた日本経済と共に、行政側より開発の動きが始まり、12月信越経済協議会において、斑尾山麓地域の開発計画が浮上、長野県と新潟県とを結ぶ林道沼・万坂線の道路改良を足がかりに、
 昭和40年(1965)6月8日「林道沼・万坂線期成同盟」が結成されたが観光開発のためには土地提供という形での地域の協力が必要であったため、計画ははかどらなかった。
 しかし、行政の動きと共に地域住民の側でも斑尾山麓の開発を推進しようという気運が次第に高まりつつあったのです。
コメント

斑尾山とスキーのかかわり  その2

 | Weblog
 大正2年(1913)
     1月12日と3月 飯山中学校(現飯山北高)寄宿生、斑尾山にスキー登山。

 昭和7年(1932)
     1月30日~31日 第10回全日本スキー選手権並びに第6回明治神
      宮スキー大会予選会が神明ヶ丘に雪不足のため分道スキー場で開催。
      選手、役員は分道と堂平の民家に分宿。

 昭和8年(1933)
     11月16日 分道スキー場にヒュッテ完成。
      分道に飯山最初の民宿が二軒誕生。(ご飯と味噌汁付きで一泊50銭、一軒5~6人の宿泊であった。)
 昭和9年(1934)
     1月 6日 飯山・田口間20kmスキーツアーコース開きを分道ヒユッテにお
      いて開催。
     1月28日 飯山・斑尾・田口スキーツアーコース開きでツアーを実施。
     2月18日 名古屋鉄道局主催、田口・斑尾・飯山スキーツアーで婦人・子供を含 め80余名が完走。
 昭和16年(1941)
     2月16日 全国皆スキーに併せ飯山町民スキー行事で坊主山と分道にてスキー
           行軍。
 昭和32年(1957)
     3月10日 田口・斑尾・飯山スキーツアーは復活し、33年3月2日・34年
     3月1日・36年3月19日・42年3月19日と実施されている。


 このような記録が残されています。
   昭和7年に全日本スキー選手権が開催されていたとは驚きです。
コメント (1)

斑尾山とスキーのかかわり

 | Weblog
斑尾山とスキーのかかわり その1

斑尾という文字が飯山スキー史に登場するのは、明治45年(1912)1月23日飯山で市川達譲氏が初スキー滑走をした日と同日、陸軍高田13師団の田口より斑尾・大川を経て飯山までのスキー行軍が行われた時であります。
田口(妙高高原)より古海・袴岳南斜面・万坂峠・沼の原湿原(湿原西コース)・毛無山東斜面・沼の池(希望湖)・大川・藤の木・飯山と伝えられ、1月24日には片山稲荷西北斜面にてスキー実演と記録されています。

斑尾高原エリアの沼の原湿原と毛無山、希望湖周辺を滑って飯山に下ったんです。
コメント (1)

斑尾高原がオープンした1972年

 | Weblog
斑尾高原スキー場は昭和47年12月1日(1972)にオープンしたスキー場です。
 この年の日本は、2月3日より第11回冬季オリンピックが35カ国の参加により札幌で開催され、5月15日には沖縄県が発足、6月11日田中角栄通産相が「日本列島改造論」を発表、7月7日第一次田中角栄内閣が成立。8月26日からは第20回オリンピック・ミュンヘン大会に219名の日本選手団が参加、11月5日中国政府寄贈のパンダ2頭が上野動物園にて公開等
 1月24日 グアム島で元日本兵横井庄一氏 発見救出
 2月19日 浅間山荘事件
 3月15日 山陽新幹線 大阪、岡山間 開通
 3月26日 奈良県、高松塚古墳 発掘
 4月16日 ノーベル文学賞作家川端康成氏 自殺
 5月15日 沖縄返還
 5月26日 初の「観光白書」発表
 5月30日 イスラエル テルアビブ空港で日本人ゲリラ乱射事件
 7月 3日~13日 ゲリラ梅雨で全国に豪雨  
10月 1日 ツクダオリジナルより「オセロ」発売
12月22日 第二次田中角栄内閣成立
    
           多くの出来事が起きた43年前の年でありました。



1972年 冬のポスター
斑尾高原とJAZZYのアーカイブ
                       http://www.jazzyterase.com/
コメント (1)

フデリンドウ

 | Weblog
斑尾高原の基礎管理って大げさですが、気持ちいい高原内にということで、道路沿いにある緑地帯の草刈りを協会員でしています。
  担当エリアの草刈りをしていると、こんな花が増えていました。
フデリンドウです。 筆竜胆こんな字を書きます。
 日のあたる山野に生え、日が当たれば咲きます、閉じている花冠が筆のように見えることから、このような名が付いています。
  ハルリンドウ間違いますが、ハルリンドウは日のあたる湿った所に生えます。
 小さな花で、うっかり他の草とビーバーで刈ってしまいそうです。
 
コメント

斑尾山麓開発の成り立ち  1

 | Weblog
昭和29年(1954)飯山市が誕生し、32年3月31日大田(現戸狩)観光協会、34年2月23日黒岩(現信濃平)観光協会、35年7月8日飯山市観光協会が相次いで設立され、スキーが観光の中心に成りつつある途上でも、飯山市の出稼ぎ者実数は35年、797人など深刻な過疎の問題を抱えていました。
 斑尾山麓の開発により、この問題解決の糸口にしようと話が始まった昭和38年(1963)6月に開催された飯山市観光協会の総会の場において、上野喜一氏から当時有名無実であった大平観光協会を生かすためにも、斑尾山麓、沼の池周辺を観光開発地としての要望があり、行政を含めた現地の視察が行われました。   つづく。
コメント (1)

B,B,King

 | Weblog
5月14日、ニューポート ジャズ フェスティバル イン 斑尾に1984 1986 1994年と3回
      斑尾のステージで迫力のある演奏を聴かせてくれたB,B,king氏が89歳で亡くなりました。

  アメリカのオバマ大統領は、氏の死去に対しこんなコメントをしています。

  The blues has lost its king, and America has lost a legend.

     ブルースは王様を、アメリカは伝説の人を失った。

  残念です。
   また、2月21日には1986年のステージで一緒だったクラーク・テリ―氏も94歳で亡くなっています。

 レストラン・バーJAZZYは一週間ずーとB,Bkingのブルースが聴こえています。




JAZZとJAZZYのアーカイブ
                      http://www.jazzyterase.com/
コメント